世界一性格の悪い男・鈴木みのるが語る「アントニオ猪木のこと、高山選手のこと」【レスラーめし】

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「世界一性格の悪い男」鈴木みのる選手【レスラーめし 第3回】

日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。

プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。

そんな食にまつわる話をさまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。第3回の登場は鈴木みのる選手

 

新日本プロレスからUWF・藤原組、そして日本に総合格闘技を根付かせた「パンクラス」に設立から関わった後、現在フリーとして新日本プロレスを中心に参戦。

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世界一性格の悪い男」という異名でも知られますが、その試合や佇まいから伝わってくるのは、徹底した「強さ」へのこだわり。強いからこそ何でも言える。強ければ何からも自由でいられる。そして鈴木選手が取る食事も「強さ」とは無縁ではありませんでした。

 

子どもの頃好きだったのは鶏の唐揚げにマヨネーズ、それに「山椒」

生粋の「横浜っ子」としても知られる鈴木選手。昭和50年代の横浜は、今とはまた違った光景が残っていたそうです。兄弟でおかずの奪い合い、大食漢ばかりのレスリング部の選手たち……。

 

── 鈴木選手にとって、子どもの頃の思い出の味って何ですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:思い出の味……ひとつあるのは、今もプロレス年鑑なんかで好きな食べ物のところに「鶏の唐揚げマヨネーズ和え」って書いていて。あれ、すごく記憶にあるんですよね。うちは兄弟が多くて、必ずおかずが大皿で出されたんですよ。よく出ていたのが、大皿にキャベツが敷いてあって、その上に山盛りの唐揚げ。それで8歳とかの頃かな? コロコロっと転がった唐揚げにマヨネーズが付いたんです。それをパクっと食べたら「うわー、うまい!」と思って。それから唐揚げはマヨネーズつけて食べるようになりましたね。「油に油つけんのか」ってずっと言われてますけど。

 

── 決してカロリー的にはいいものじゃないですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:それにプラスしておまけがあるんですけど、ある日商店街の定食屋さんに家族で晩飯を食べにいって、オレは唐揚げ定食を頼んだんですね。それで「マヨネーズくれ」ってそこの親父さんに言ったら、「じゃあこれもつけろ」ってボンと渡してくれたのが山椒なんですよ。

 

── マヨネーズと山椒、って珍しいですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:最初は「ええ?」って思ってパラパラっとかけたら、「違うよ」って言われてマヨネーズにドボドボかけだして。「食べてみい!」って言われて、食べてみたら最高にうまかったんですよ。

 

── 山椒をドボドボってすごいですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:最近は揚げ物を食べないので、なにかのご褒美に食べる程度ですけどね。ちなみにマヨネーズと山椒は、ほぼ同量で混ぜるんですよ。

 

── 同量!? それって山椒の味がすごくないですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:と思うじゃないですか? それがちょうどいいんですよ。間違いなく食べた人全員が「うわっ!」とびっくりしますから。

 

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── 今度試してみます! 兄弟の話が出ましたけど、日々おかずの奪い合いって感じだったんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:もう取り合いですよ、昭和の兄弟ですから(笑)。最後の一個を取ろうもんなら、兄貴から箸でバーン!ってやられて「それはオレんだよ」って言われるような。どっちがご飯を多く食べられるかっていう競争してましたから。

 

── じゃあ、もう成長するにつれ皆が食べる量も多くなって。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:そうですね。中学生高校生ぐらいには大食いのチャレンジがあちこちでやっていたんで、いろんなところに行きましたよ。「ラーメン大盛り3杯食べたらタダ」とか。あと回転寿司が出始めの頃に「100個食べたらタダプラス5,000円、サイン入り写真を撮って並べられる」ってところがあって。なんて街だっけ……、たしか弘明寺ってところでやってたんですよ。弘明寺の商店街の回転寿司。もうとっくにないと思いますけど。

 

── 100個ってことは50皿ですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:そう、もう余裕でしたね! 練習に行く途中だったんですけど、50皿・100個を余裕で食べてお小遣いをもらえて、こりゃいいなとまた行こうと思ったら「1回食べきったやつはダメ」って2回目は断られました。

 

── 高校時代はレスリング部で鍛えられてたそうですが、まわりの部員も食べそうですもんね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:食べてましたね! ただ、どんなに練習がきつくても、夏場でバテバテになっても、先生がわざと「天ぷらとかを食え」って言うんですよ。昔の先生なんで「食に強くならなきゃ強くなれない」って言って。でもみんなそんなの食えないんですよ、練習後に焼肉定食とか。オエッてなっちゃうけど、オレはパクパク食ってました。余裕でした!

 

── やっぱり食に強い人が競技でも強いんですね。

 

ハンバーガーなんてドムドム(バーガー)でしか食ったことなかった

高校時代はレスリング部に入り、ひたすら技を鍛え上げる鈴木さん。

そんな中、あこがれのアメリカの味が横浜にやってきました。

さらに現地に行く機会も……! そこで食べた衝撃の味とは?

 

── 鈴木選手にとって、そんな高校時代の好物ってありました?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:やっぱり肉ですよ、肉。それとファストフード。ちょうどはやり始めた頃なんだよね。

 

── ファストフードってハンバーガーとかですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:横浜にマクドナルドの最初のお店が出来た時は小学生だったんですけど……今あそこ何建ってるんですかね? ビブレかな? あそこの1階にあったんですよ 。当時はニチイ(笑)。実家がもともとあの辺だったんで、開店初日に並んだけどブワーッっと人が並んで。それでその日はやめましたね。それで後日食べられたんだけど、ハンバーガーなんてドムドム(バーガー)でしか食ったことなかったから「ドムドムと違う!」と思ったよね(笑)。「アメリカの味だ!」みたいな。あとはケンタッキーフライドチキンとか、やっぱりファストフードと呼ばれる類のものは好きでしたね。

 

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── 今はすっかり日本になじみましたけど、当時は「アメリカの味」って感じでしたよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:メシだけじゃなく、もともとアメリカに憧れがあったんです。免許なんか持ってない中高生の頃からアメリカの車に憧れて。あと音楽だと昔のロカビリーとか、女の子がひらひらしたスカート着たり、ああいうのにすごく憧れてた。でも、現実は「坊主頭で毎日レスリング」なんですよ(笑)。

 

── 横浜ってそういうアメリカ文化のイメージありますもんね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:本牧の、今はマイカルだっけ? あの辺って全部米軍住宅だったんですよ。子どもの時、自転車であの辺に行くと黒人の子がバスケとかやっていて、じっと見ているとフェンスが壊れてるところがあって「ここから入って来い」みたいに言われて。言葉がわかんないのに一緒にバスケをして遊んだりしてたね。

 

── そんなに実際のアメリカの環境に近かったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:あと、うちは酒屋さんをやってたんで、大きな船が着くと外国人がお酒を買いに来るんです。タイガー・ジェット・シンみたいなターバンを巻いてる人とか来て、「誰だこれ? 宇宙人か?」と思ったりとか(笑)。あと港で釣りをしていたらいきなり話しかけられて、見たことのない文字の現地っぽい瓶のコーラをもらったりしたこともあったな。そういうのでアメリカに憧れがあったんで、東京に対しての憧れってなかったんですよね。原宿とか中学の時に行ったけど、横浜の方が面白いじゃんって(笑)。昭和50年代とかはまだそんな感じでしたよ。

 

── ではアメリカに憧れながらも、実際は坊主頭でレスリングをする毎日と。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:レスリングは年に3日しか休みがなかったですからね。ただ高校生の時にレスリングの日本代表に選んでもらって、アメリカ遠征に行ったことがあるんですよ。それで1カ月ぐらい向こうでホームステイさせてもらったんですけど、その時に触れた向こうの文化はすごかったですね。憧れていたパーティーにも行きました!

 

── おお、アメリカの本物のパーティーに!

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:ホームステイ先の同い年の男の子に「これからパーティーに行こうぜ」って言われて、行くと女の子とかチャラチャラしているわけですよ。原っぱで音楽かけてミラーボールもくるくる回ってて、なぜかビールもあって(笑)。みんなで踊って騒いで、なんかいいな、本当にアメリカだなって思いましたね。

 

─ 本場アメリカで食べたもので記憶に残っているものってありますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:ピザですね。日本だと宅配ピザの出始めだったんじゃないかな。それまでは喫茶店にあるような、ペラペラの小さいピザしか食べたことがなかったですね。ピーマンの輪切りにハムとちょっとチーズが乗っているだけ、みたいなやつ。宅配ピザもうちは商店街だったんで、よそで注文とか親が許さないんですよ。だから現地でピザを出された時は「何だこれ! チーズがこんなに分厚いし、うわーっ!」て思いながら食べましたよ。うまかったですね!

 

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猪木さんの後ろ姿を見ながら「どうやったらこの人を倒せるかな?」

そして鈴木さんは新日本プロレスに入団。新弟子として若手選手のご飯を作りつつ、付き人として先輩選手たちの面倒も見る。そんななか、とんでもないお店に入れることも……。

 

── それから新日本プロレス入団ですよね。まずは新弟子生活ってことになると思いますが。いわゆる「ちゃんこ」作りもされたんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:そうですね、集団生活でしたから。もともと「ちゃんこ」って相撲から来ている用語ですけど、相撲は親方と若い衆が一緒に食べますよね。でもプロレスは違いましたね。食べる順番があるんです。先輩から先に食べてって、ぼくらはもう最後の最後、カスみたいなのが残った汁とガビガビのご飯しか食えなかったです。

 

── 鈴木さんがいた頃は、何人くらいで一緒に食べてました?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:多い時は30人分くらい作ってたんじゃないかな。ご飯を作る人がいて、その補佐的な感じで覚えていく感じですね。その時に包丁の使い方を覚えたんですよ。おかげさまで今はなんでも作れます。自分で釣った魚もさばけますしね。マイ包丁も持ってますから。

 

── じゃあその頃から料理も作りはじめて。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:でもねえ、「まずい!」って言われて全部ひっくり返されたこともありましたよ。全部作り直せって。ご飯をべちゃべちゃにしたこともあるし、パッサパサにしたこともあるし。

 

── 作る量が一般家庭のとは違いますからね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:鍋とか失敗したら、しょうがないから違う鍋に移してお湯を足して、「お前、絶対捨てんなよ、絶対全部飲め」とか言われて。しょうがないから夜ずっと(その鍋の残りを)飲んでいたこともありましたね。

 

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── では新弟子時代に食べたものの思い出ってあまりない感じですか。大変だったことばっかりで。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:そうだな……。しゃぶしゃぶを初めて食べたのはプロレスラーになってからですね。30年前だと家庭でしゃぶしゃぶを食うところなんてほとんどなかったし。それまで名前しか知らなかった。そもそも家で牛肉を食べなかったんです。兄弟がいるから量を食べるんで牛肉なんて買わないんですよ、高いから。だからプロレスの世界に入るまでは、家では牛なんて数えるほどしか食べたことがなかった。「牛はまずいもんだ」くらいに思ってましたね。

 

── そこまで徹底してるのもすごい。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:だから18歳の時にアメリカに行って、牛100%のハンバーグを食った時の衝撃はすごかったですね。「なんだこのうまさは!」って。

 

── ところでプロレスの世界に入って、先輩にいいお店に連れていってもらったという記憶はありますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:ありますよ。猪木さんの付き人をやっていた時に、とんでもないのがありましたね。3メートルぐらいのデカい扉がついているステーキ屋さんがあったんですよ。場所は覚えてないんですけど、どっか地方だったと思う。ゴゴゴゴゴ……と自動ででっかいドアが開くんですよ。そしたら長い帽子をかぶったシェフが出てきて、お店には猪木さんと付き人のオレと、そこに連れていってくれた社長の3人しかいない。完全貸切りですよ。

 

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── なんかもう漫画の世界ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:肉も柔らかくて、「スゲー、ナイフで切らないでも切れるよ!」って。それを猪木さんがあんまり食べなかったんで、半分くらい食べて「お前これ食え」って言われて、ヤッター!って(笑)。猪木さんの付き人をやっている時は、おいしいお寿司屋さんとか、いろいろ連れていってもらいましたね、カバン持ちなんで。議員さんになる前の猪木さんなので、毎日メインイベントに出ている頃の、現役最後の猪木さん。周囲の扱いが全然違いましたね。

 

── プロレスラーとして頂点の時代ですもんね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:その姿を見ながら「あー、これがスターなんだな」って思っていましたね。そしていつも「どうやったらこの人を倒せるかな?」「後ろから殴ったら勝てるかな?」とか本当にそんなことばっかり考えてましたね。

 

── ステーキもらって喜びながらも倒す気満々だったんですね(笑)。

 

食生活を変えなければ生きていけなかったパンクラス時代

食事とは日常のもの。それだけにプロレス団体の懐事情がその団体の食事のレベル、さらに意識に直結します。鈴木選手が渡り歩いた団体でも、その違いは明らかでした。そして自らが作った団体「パンクラス」では、食事との新しい関わり方を生み出していきます。

 

── 新日本プロレス退団後、鈴木選手はUWF、そして藤原組へと移籍して戦いを求めていきます。UWFでの食事ってどんな感じだったんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:貧乏メシです(きっぱり)。

 

── ひと言ですね(笑)。お金があると聞いていたけど実際はなかった、なんてよくインタビューで見ますけども。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:新興団体なんで。ちゃんこの内容が変わりましたね。肉が減りました。もう食事というと鍋しか出ないんですよ。鍋っていうのは大人数で食べるには一番効率のいい、それは食費の効率もいいんですよね。安くできるんで。本当に毎日鍋ですね、そこからは。

 

── 鍋は体作りにも効率的だって言いますけども。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:それは言いわけです!

 

── そうなんですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:ただ20代前半とかになって女の子とデート出来るようになると、ちょうどトレンディードラマがはやっていたバブルの時代じゃないですか。そういうところに行くのがかっこいいとは思って行ってたね(笑)。

 

── 道場では肉が減った鍋を食べながら!

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:東京ウォーカー』とかチェックして(笑)。

 

── 鈴木選手にそんなチャラい時代があったんですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:バブル時代はみんなチャラいっすよ! 代官山のなんていうんだっけ、ドラマの舞台になったバブリーなレストランに行ったりして。ジャケットを着なきゃ絶対入れないようなお店。クリスマスにそういうお店に当時の彼女と行ったんだけど、その子がすごく酒を飲む子で「チューハイない?」とか言って「このお店にあるわけねえよ!」ってやりとりして、結局ベロベロになって渋谷の居酒屋さんで飲みなおしたりしましたね(笑)。

 

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── 話を戻しましょう(笑)。UWFの次は藤原組ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:藤原組に来たら、今度はちゃんこを作らず毎日弁当とか出前でしたね。「食事を作る時間がもったいない、だったらもう外から取れ」と。近くの喫茶店に頼んだ日替わり弁当みたいなのを食べていましたね。

 

── それも極端ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:藤原さんと言うか、(カール)ゴッチさんが「メシを作る時間があったら練習しろ」って人なんで。10時に練習が始まって終わるのが夕方、それが毎日でしたからね。本当に後ろからひっぱたいてやろうかと思ってましたよ、ゴッチさんを(笑)。

 

── メシに関しては極端な2団体だったんですね。そこからパンクラスを設立されます。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:パンクラスになってからは食生活を変えて、体を作り直すところから始まったんで。ガラッと変えようと。

 

── 総合格闘技に合った体に変える、ということで食事も変えたわけですよね。その引き締まった体は「ハイブリッド・ボディ」と呼ばれて話題になりました。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:船木(誠勝)がボディビルみたいなのに憧れてて、すでにそういう食事スタイルだったんですよ。でもオレはもうギリギリまでやらなかった。「関係ないだろ、要は強ければいいんだろ」って。でもみんなの身体が変わっていくわけですよ。それ見てどうしようかなと思った時に、トレーナーをお願いしてた廣戸道場の廣戸聡一さん、初代のレフリーなんですけど、その人にマッサージされながらポロッと言われたことがあって。

 

── 廣戸さんはどんなアドバイスを?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:「君たちがすごいこと、新しいことをするとして、どうやったら世間に伝わるか知ってる?」と聞かれたんです。それで「すごいことやればいいんでしょう?」みたいに言ったら「違うよ。ひと目見て『あれ? 違うぞ』ってなったら誰もが見てくれる。だけど見た目で何も変わらなかったら、それは新しいものとして受け入れてくれない」って言うんですよ。「通りすがる人は見た瞬間、良いか悪いか全員判断してんだよ。だから説明じゃないんだ、一瞬の見た目だ」って。その話を聞いて「わかった」って、遅れて自分も食事からなにから全部変えることにして。

 

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── そのために食生活を変えたんですね。当時はそのボディに変えるための『船木誠勝のハイブリッド肉体改造法』という本が出るくらいインパクトがありました。その中でのメシというと「鶏のささみ」というのがよく出ますよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:「鶏のささみ」を食べることにたいした意味はないんですけど、手っ取り早かったので「鶏のささみ」を選んだだけで。たんぱく質の量と脂肪分が少ないというだけの理由ですね。とって代わるものがあればそれでいいんですよ。あの時代にはいろいろ勉強しました、栄養学的なことを。

 

── 鈴木選手もプロレスの体からパンクラシストの体に変貌して。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:そしたらバッキバキになったけど、やりすぎて体を壊して耐久性が落ちちゃって(笑)。でもその廣戸さんの一言は大きかったですね。物ごとを変えるなら全部変えなきゃダメ。頭や手足のすげ替えや環境の変化じゃなくて、全部変えなきゃダメだっていうのを教えてくれましたね。

 

── しかし戦う体に変えるために、食生活を変えるのもキツかったでしょうね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:出来る出来ないじゃなくて、しなければ 生きていけないですから。

 

「あれ? オレ、クビ切られるかも」

現在は新日本プロレスを中心に戦いを繰り広げている鈴木選手。共に戦う仲間・鈴木軍を率いてのプロレスは常に会場をヒートさせた。そんななかで、鈴木選手はふたたび肉体改造のための食生活の変化を決断する。その理由とは?

 

── パンクラスで活躍された後、2003年から新日本プロレスに参戦されます。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:そこでも食事が変わったんですよね。巡業とかに出ると、自分はパンクラスの時と同じでプロテインを飲んでツナ缶を買ってホテルの部屋で一人食べていたんですけど、ある時そういうのを売っているお店とか何もない街があったんですよ。それで1回ご飯を我慢したんです。当然腹が減るじゃないですか。でも次の日に行った田舎町にも何もない。ただあるのは居酒屋さんとか焼き鳥屋さんだけ。すげえ腹が減っているなかで「オレは何のために節制しているんだろう」って思ったんですね。「次の世界で生きていくのに、必要なのはこれなのか?」って。

 

── パンクラスと新日本プロレスじゃ全然違いますからね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:今からやることに対抗していくために必要なものは、好きなものを食べて飲んで、練習を子どもの時みたいにいっぱいして、ということじゃないかと思ったんですね。それで「生きるために食わなきゃ」と思って、それでハンバーガーを食べて焼き鳥を食べて。そこから食生活がまた変わりました。

 

── 廣戸さんの話じゃないですけど、プロレスというものに対峙するためには、またすべてを変えなきゃいけない。食生活から、ということですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:それもありますね。生きるがままに食べようと。それで毎日酒を飲んで肉を食ってワハハって感じだったんですけど、ただもうそれも4年くらい前に変えたんですよ。

 

── プロレス生活のなかで、また食生活を変化させる必要が。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:2014年ぐらいかな。それまで東京ドームや両国でメインイベントも出て、いろんな記録を塗り替えていったんですけど、ある時ふっと気づいたら前座にいたんです。そして次の日もそうだった。最初は「順番的にオレに回ってきてないからな」と思ったけど、その状態が3カ月続いた時に「あれ? オレ、クビ切られるかも」と思ったんですね。オレはフリーの選手だし、あと(ギャラが)高いんで。高い選手をどうでもいい前座に使うようなことは、オレが経営者ならありえないです。前座なら前座で、それを次に何かをやるための充電期間にしなくちゃいけない。それが今、自分は無駄に生きてる。それでもう一度自分に挑戦しようと思って、食生活も練習方法も変えたんです。

 

── 今度はどういう肉体改造を考えたんですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:まず最初に「1年後に自分はこういう風になっている」っていう計画をたてて、毎週体重を測って最初の3カ月間でこのぐらい体重を変化させなければいけない、減りすぎていたらご飯の量を増やしたりと変えていって。その時も廣戸さんに相談したんです。

 

── 40代での肉体改造は、当然20代の頃とは違いますよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:練習で言ったら若い時は1日8時間やってたけど、今は出来ても2時間。時間もだけど、自分の体の代謝も減ってるんですよ。でもあの時と変わらず出来るトレーニング方法がひとつだけある、って廣戸さん言うんです。「それが食事だ」って。

 

── 食事自体がトレーニング方法だと。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:人間は1日に3回自分のことを支配できるんです。それが食事なんですよ。朝起きてから食事をするまでの時間、食事して消化吸収栄養になる時間、空腹になって昼になる時間、この間ずっと体を支配してるのは朝のご飯なわけです。昼を食べてから次の食事まで、と一日のほとんどを食事が体をコントロールしている。だからどんなトレーニングより食事は大事だって言うんですね。それでそこから食生活を見直したんです。そしたら計画通りに変わってきましたね。

 

── そしてプロレスの最前線に戻りました。やはり20代とは同じ練習は出来ないですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:代謝とか体のこともあるけど、昔は練習さえしていれば幸せな日が毎日続いていたんですけど、今はこういう取材もあるし、自分のお店もあるし、(時間が)削られてしまう。レスラーであるという部分は変わっていないけど、仕事の品目がめちゃくちゃ増えたよね。

 

── 昔はレスラーとしてやることが試合と練習だけでよかったのが、こういう取材とか、お店の運営とか、さらにいえばSNSなんかもありますしね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:あと今、ぼーっとする時間をすごく大事にしているんですよ。喫茶店でぼーっとしている時間を作って、人が着ている洋服を見たりとか、音楽とかが流れている時に浮かんだ気分を絵に描いて見たり。それが変化していくと、うちの商品になるので。

 

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── たとえ練習時間は短くても、食事をベースにしていけばコンディションも安定させていくことはできるということですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:今はパンクラスで最初にやっていた頃の食生活をもとに、100%じゃないけど、自分が可能なレベルでやっている感じです。おかげで今年で50歳ですけど、まわりの同年代とかもはや妖怪に近いですからね。ハゲでデブで臭いですから(笑)。こっちは22〜23歳のやつらと走っても負ける気しないですからね! いくつになっても出来るんですよ。「オレは出来る!」と思えば。

 

── 一度徹底して肉体改造したからこその食事論ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:いろんなトレーニングをしてきたんですけど、食事はトレーニングとほぼほぼ同じぐらいの割合で重要なもので。だからトレーニングのなかにもオフがあるように、食にもオフがある。別に食わなくてもいい。若い時は強くなるために負荷をいっぱいかける。ただ今は負荷をかけるよりも「続ける」ということが大事。食事もそうやって内容が変わっていってますね。いま一番の食事法は……女の子にケーキをあーん、てしてもらえるのが最高のご褒美ですかね!

 

── そういうことになりますか(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:だってさ、バブルの時代とか本当に高いメシに金払ってたわけじゃない? 「なんでこんな高い値段払わなきゃいけないんだ」って思いながら。でも今だったらその頃と同じお店に悩まず「じゃあ行こうか」って言えるぐらいにやっとなれたんですよ。そりゃそうですよね、50歳近いんだから。となると、もうあとは食べる雰囲気ですよ。食べられるものをいつでも食べられるとなると、あとはもうシチュエーション!(笑)。

 

高山善廣選手のこと

最後に、鈴木選手にどうしても聞いておきたい思い出のメシの話がありました。それは現在、頸髄損傷で欠場中の高山善廣選手とのメシの話。

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同じUWFにルーツを持ち、フリーランスのレスラーとして新日本や全日本、さらにはインディー団体まで戦いを広げ、「自分にしかできない試合」を見せ続けた2人。レスラーとして、個人としても「ウマが合う」関係と鈴木選手は言います。

 

── 最後にお聞きしたいのが、プロレス復帰後の鈴木選手というと高山善廣選手と組んだり戦ったりと何かと縁深い印象があります。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:そうですね。お互いUWFを通過してるんですけど、プロレスをやるまで会うことはなかったんですよ。でもすごいウマが合ったんです。車の趣味とか近かったんですよね。お互い『サーキットの狼』世代だから(笑)。あと古いアメリカっぽいのが好きだったり。微妙に年代とか違うんですけど。

 

── 仲良くなったのは試合を通してですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:それが、仲良くなった理由が、あいつが鈴木みのるファンだったんですよ。その理由が面白くて、ぼくが1987年の3月に新日本に入門して、同じ時期にあいつがUWFに入門してる。でもあいつはデビューしないで引退したんですよね。ぼくはそのままデビューしたから、高山にしてみたら新日とUWFが提携している試合を見て、「デビューしてたらコイツと戦ってたんだろうな」ってずっと思っていたんですね。だからおれがデビューしてからのこと、全部知ってましたね。“幻の同期”なんです。

 

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── 同じ団体に上がるようになって、一緒にメシを食いに行ったりしてました?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:もともと高山って、寝起きにステーキ食うようなやつだったんですよ。試合が終わって「なんか食いに行こう」っていうと焼肉食って、その後飲みに行って、そして朝方に中華行ってまた炒飯食らって、みたいな感じで。

 

── あの体格だと納得な気もします(笑)。高山選手はUWFインターから再デビューしていますけど、食生活は鈴木さんたちと変わらなかったんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:変わらなかったですね。その辺はU系は同じ(笑)。

 

── 試合スタイルは違っても、メシに関してはすぐなじめたと。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:でも彼が10数年前に脳梗塞やって、それから食生活をガラっと変えて。まず肉を食わなくなった。正確には赤い肉ですね。コレステロールが高いのはいらないって。それに魚中心になって、酒も飲まなくなって。一緒に食べ歩く場所が変わりましたね。それまで酒飲んでたのが、朝までダイエットコークで付き合うみたいな(笑)。

 

── 高山選手は酒もかなり飲んでたんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:量は飲んでましたよ。豪快ですね、飲んでもぜんぜん変わらない。それがガラッと食生活を変えて。「肉、食いたくなんないの?」って聞いたら、「死ぬよりマシですよ」って言ってて。たしかに、って。

 

── 現在、高山選手は2017年5月に試合中に負った頸髄損傷で試合欠場中です。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:ここ最近はリング上では敵として相対すること多かったんで、プライベートで会うことはなかったんですよね。もとは友達なんで「どっかでまた戦って仲直りすっかあ」って思っていたら、今回みたいなことになって。

 

── また2人が並んでいる姿が見たいです。

 

f:id:Meshi2_IB:20171129123638p:plain鈴木選手:試合のあと、よく行っていた魚メインの料理屋さんがあるんですよ。刺し身っていうか、刺し身にオリーブオイルと粒の胡椒とかパクチーのせるみたいなハワイアンぽい料理のお店で。そこだと肉が食えなくなっても行けたんで。いつかまた(高山と)行けたらなって思いますね。

 

鈴木みのる選手のリング上で見せる強さの根は食生活にありました。日々きちんとご飯は食べながらも、試合ではハングリーでい続ける。自由でい続けるために、いつかまた盟友とおいしいご飯を食べるために。それが絶対的な強さを持つ孤高のレスラーであり続ける理由なのでしょう。

 

高山善廣選手へのご寄付のお知らせ

髙山善廣選手はDDT 2017年5月4日の豊中大会試合中に怪我を負い、頸髄完全損傷および変形性頚椎症という診断が下り、現在首から下が動かない状況のなか厳しい怪我・リハビリと闘っております。そんな髙山選手を応援する会「TAKAYAMANIA」が立ち上がっています。

ご賛同いただける方は、下記口座に直接募金をお振込いただければ幸いです。

 

【クレジットカードでのご寄付】

(日本語)https://secure.koetodoke.jp/form.php?to=13

(ENGLISH)https://www2.donation.fm/takayamania-en/

 

【銀行振込】

三菱東京UFJ銀行 代々木上原支店(店番号137)

口座番号:普通預金 0240842 

口座名義:TAKAYAMANIA タカヤマニア

※通帳は髙山選手の奥様がお持ちになられています。

 

みなさまの温かいお気持ちはしっかりと高山選手に届けます。

引き続きご支援のほどお願いいたします。

詳しくはブログに掲載しています。(高山善廣オフィシャルブログ

 

鈴木みのる選手のお店

www.piledriver.jp

 

撮影:平山訓生

 

書いた人:大坪ケムタ

大坪ケムタ

アイドル・グルメ・芸能etcよろず請け負うフリーライター。メシ通での好評連載『レスラーめし』(ワニブックス・刊)が書籍版のみの追加エピソード、小林邦昭☓獣神サンダー・ライガー対談も特別掲載して絶賛発売中!

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