リングに革命を起こし続けた前田日明の「新日本プロレス時代の豪快すぎるメシ話」【レスラーめし】

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日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。

その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして “食事” だ。

その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。

プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。そんな食にまつわる話を、さまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。

 

今回登場していただくのは新日本プロレス、UWF、そしてRINGSと、前人未到の刺激的な戦いを求め続けた「リングの革命家」・前田日明さん

 

その体格と格闘センスの高さから新人時代から嘱望されながら、新日本プロレスから(第1次)UWFへの移籍など、あらゆるリングで伝説の戦いを繰り広げた。ドン・中矢・ニールセン戦、アンドレ・ザ・ジャイアント戦といったを伝説の名勝負を経て「新格闘王」と呼ばれる。

さらに第2次UWF、RINGSと格闘技として先鋭化していくリングに立ち続け、99年に“霊長類最強”と呼ばれたアマレス選手アレクサンダー・カレリンとの対戦を実現し引退。

その後もさまざまな格闘技・プロレス興行においてスーパーバイザーを務め、現在では格闘技大会“THE OUTSIDER”プロデューサー、そして今年スタートする新たな総合格闘技大会に向けて奔走している。

www.rings.co.jp

 

「ナマで食えって言われないかぎりは大丈夫」

大阪出身の前田日明さん。

その豪快なキャラクターからしても、食事の好き嫌いなどはなさそうだが……。

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f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain俺、好き嫌いは全然ないんですよ。食べたことないものも、一度は食べてみる。ゲテモノも一度はいってみますね。

 

── 最近食べたもので「これは初めて!」てのはありましたか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainさすがに来年60(歳)なんでね、60年間食べたことのないものってなかなかないね(笑)。これは……っていうものでいえば、日本でクロダイとか釣る時の餌にする“ユムシ”っていうのがあるんですよ。韓国だとアレを生で食うんです。

 

── ミミズのでかい奴みたいなのですよね、ユムシって。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそうそう。しかも日本のより立派なんですよ。まあまあ、慣れれば酒のつまみにいいかなくらいの味でしたね。あとムカデとかも漢方薬として干したやつが売ってて、それを煎じて飲んだら咳に効くって言われて飲んだりしましたね。まあ、だいたいナマで食えって言われないかぎりは大丈夫。

 

── 子供の頃から好き嫌いはなかったんですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain子供の頃はピーマンとかニンジンがダメだったね。肉ばっか食ってました。でも自分らの親の世代は、戦中戦後の食糧難の時代を生きてきたじゃないですか? だから野菜とか残したら、それを食べるまでいつまでも出てくるんですよ。朝に残したら昼、昼に残したら夜。それで他のおかずを減らされるんです。最後はピーマンとニンジンだけになっちゃうんで、無理して食ってましたね。

 

── ではその頃の思い出の味ってありますか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain肉と糸こんにゃくが入ったスープっていうかお吸い物みたいなのをよく作ってくれてね。そればっかり飲まされてたんで、記憶にありますね。いま考えると、うちの母親って料理のメニューが豊富だったんですよ。小アジの南蛮漬けとか八宝菜とかカレーだとか、いま考えると当時としてはいろんなもん作ってたなあ。母親は15人兄弟だったんですよ。

 

── 当時は兄弟が多い家族は普通ですけど、15人はすごいですね!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそのうち男は2人で、あとは全部女。それで姉妹でレシピの交換とかしてたみたいで。ただ、飯がよく食えたのは中学まででね。中学2年で親が離婚したんですよ。それで高校くらいがいちばん食べものが悲惨な時期で、父親が何万か置いて3カ月とか韓国に行っちゃうんですよ。

 

── 前田さんひとり置いて、ですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainでも1カ月も経たんうちに電気代とかガス代とか払ってたら金が底ついてしまうんで、最初は親戚のうちをウロウロしてたんですけど、それも交通費がかかるじゃないですか。そのうちアルバイトした金と、オヤジを脅かして……(笑)というか、ゴネて金を出してもらって、中古のオートバイを買って。それであちこちに行けるようになったんですけどね。

 

── ひとりになっても食っていくために、バイクであちこちに行ったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain当時アルバイトで枚方のかねまた運輸ってところがあって、そこがイトーキの大阪支社の搬送とかしてたんで、その助手とかをよくやってましたね。だいたいバイトは運送関係で、たまに長距離トラックの助手とかをやったら、運転手さんが気前よく飯おごってくれたりしてね。カツ丼とかカツカレーとか、とにかくお腹いっぱいなるもの。それがうれしかったですね。

 

猪木さんが飼っていたセントバーナードの話

1977年に新日本プロレスへ入団した前田さん。

当時はアントニオ猪木モハメド・アリウイリアム・ルスカと闘うなど、異種格闘技戦の興行が数多く行われ、世間の耳目を集めていた時期。

当時、前田さんが山本小鉄さんをはじめとしたコーチ・先輩たちにしごかれていた話は有名だ。

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── 新日本プロレスでは、もちろん新弟子からの生活になりますよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain合宿所の食事はちゃんこですね。365日朝昼晩ずっと鍋です。たまにちゃんこ番の人がサボりたくて、バター焼きと称して鉄板で肉を焼いたりするくらいで。当時いちばん驚いたのが、1日のちゃんこ銭が2万円支給されていたんですよ。大学の初任給が8万とか10万円のころですよ。

 

── 1日2万円って、当時の合宿所には何人くらい住んでたんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainその頃が寮生がいちばん少ない時期で、5,6人とかでしたね。新弟子が入っても、すぐ辞めていっちゃうんですよ。そんな人数で、1日2万円なんて使い切れないじゃないですか。でもちゃんこ銭を余らせると支給額を下げられちゃう。

 

── けっこういい肉を食べても2万円は大変ですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain他に差し入れなんかもありますしね。とにかくその額を使い切らなきゃいけないっていうんで、毎食毎食肉を3キロとか4キロ買ってきて、食べきれなかったらどうしてたかというと、猪木さんが飼っていたセントバーナードに食べさせたりしてた(笑)。

 

── あははは! 美食すぎる犬ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainほんとに高い、すごくいい肉ですよ。今だったら宅配便とかで親戚にでも送ってましたね(笑)。

 

── しかし新弟子時代となると体重を増やさなきゃいけないんでしょうけど、食べるのも大変ですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain飯もいちばん少ない時でも1升くらい炊いてましたよ。格闘家が減量のために「食べるな食べるな」って言われるのもつらいと思いますけど、とにかく体重増やすためにここまで(喉を指差して)「食べろ食べろ」って言われるのもつらかったですね。もともと食は細かったんです。中学から高校にかけては、1食どかんと食べるんじゃなくて、1日に細かく5食とか6食を食べるような生活だったんで。

 

── 前田さんは入団した時から身長は高かったんですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそうすね。中学3年で175センチで、高校卒業するころは189。新日本に入ってまだ伸びて、結局192センチまでいきましたからね。

 

── それだけの体格があっても、ご飯はキツかった。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそうすね。合同練習の日の食事のときとか、山本小鉄さんが食べ終わるまで監視していて「おまえ、いま何杯食った?」って聞いてくるんですよ。

 

── “鬼軍曹”がご飯チェックを!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain目の前でビールを飲みながら何杯食うか見てるんです(笑)。山本さんはすごい人でしたね。練習も率先して若いのと同じメニューを同じだけやって、終わったら終ったで下っ端の飯の面倒まで見て。家に帰ってさぞくつろいでたのかなと思ったら、奥さんのために家でもご飯作ったりしていたらしいですからね。

 

「小林 さんが全部払っていかれました」

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プロのレスラーは練習をするのが仕事なら、食べるのも仕事。

しかし、それは身体を作るためだけではない。

後援者たちに「プロレスラーって、これだけ食べられてすごいだろう!」と見せつけるために食べるのも、また仕事なのだ。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain合宿所のレスラーってのは、試合後とかにスポンサーに連れていってもらった時の「食べる係」なんですよ。どこも「レスラーってすごい食べるんでしょ?」って出してくれるんで、先輩レスラーが残したものを全部食べなきゃいけないんです。これがたぶん良いものを食べてたはずなんですよ。今考えたらミシュラン三ツ星の超一流コック、みたいなところばっかりでしたし。でも量を食べなきゃいけないから、味を楽しんだ覚えが全然ないですね(笑)。お茶で流し込んだとか、そういうのばっかりで。

 

── どこのお店がおいしかったとか、覚えてないですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainみんなおいしかったんですけど、基本的に腹に詰め込む作業ですね。味わってるヒマなんてないです。ありとあらゆる食べ物を食べましたけどね。珍しいもの、高いもの……「満漢全席」みたいなのもありましたね。

 

── 中国のよりすぐりの料理を集めたという宴会のメニューですね。本家は数日間かけて食べるとかいう話もあるほどの。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそういうので“熊の手”とかも食べましたよ。右手か左手か、どっちかが高いんですよね? ハチミツをとる方が高いとかで。ホントか? って思ってたけど(笑)。

 

── 当時は新日本プロレスのトップにアントニオ猪木さんがいらした時代だけに、スポンサーもすごいでしょうね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain昭和30年代や40年代の芸能界やプロスポーツの第一線にいた人たちの環境と、今の芸能スポーツ界ってぜんぜん違いますよね。昔は本当にあがめられていたっていうか、本当に“スター”だった。まわりがスターにごちそうすることが「うれしい、誇らしい」みたいな時代で。

 

── 「俺はあのスターにごちそうしたんだ」ってのが自慢になる時代ですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain昭和のその頃は、勝新太郎さんや小林さんにおごってもらったことありますよ。しかも何万円って話じゃないですよ、100万円とか。

 

── えー!!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain小林さんは、俺らが結婚式の2次会だったかで大騒ぎしていたお店に小林さんが入ってこられて。「すいません、お騒がせしてます」って挨拶したら、「いいよいいよ、気にしなくていいから」っておっしゃってくれたんですよね。でも、その後に席を見たらいなくなっていたから「やっぱりうるさかったんだな、申し訳ないな」って思ってたんですよね。それで俺らも出ようってなって、皆からお金を集めて支払おうとしたら「小林 さんが全部払っていかれました」って言われて、「え!」って。その時の支払いは本当に100万円以上だったと思いますね。

 

── さすが小林! って感じですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainこの前、松方(弘樹)さんが亡くなった時もいろんな話が出てましたけど、あの頃の昭和のスターはスケールが違いますね。

 

── そういう意味ではアントニオ猪木さんもスターだったんじゃないですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain猪木さんも……そうですね。でも選手に対してはスパルタでしたね(笑)。

 

── あははは。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainでもね、猪木さんは猪木さんで夢っていうか野望があって、巨大ビジネスを成功させようとして結局失敗して60億くらいの借金をこさえたけど、最終的には完済してましたからね。そのスケールはすごいですよ。

 

試しに酒を飲まされて、目が覚めたら縛られてて……

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プロレス観戦歴の長いファンなら「昭和の新日本プロレス」というキーワードに夢を抱く人も多い。

試合だけでなく、普段の生活もまた“猛者”が多かった。

その一面をわかりやすく見せてくれるのがレスラーの“めし”そして“”だ。

 

── 前田さんが新日にいたころ、まわりにいたレスラーで食に関して「この人はすごかった!」って思い出の人っていらっしゃいますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain当時の自分らの先輩たちはね、この間亡くなった荒川真さん(ドン荒川)もそうだし、いま新日本の道場管理やってる小林邦昭さんもそうだけど、みんな食いましたね! すごい食べた。小林さんなんか新人の時代に、東京から大阪まで行く3時間の間に新幹線の食堂車のメニューを上から下までぜんぶ食わされましたからね(笑)。荒川さんも旅館で6合か8合入りのおひつをひとりで2つ半食べてました。

 

── レスラーの別の意味でのすごさを感じさせますね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainよく食べる選手のことを「エビスコが強い(※大相撲の隠語で大食い、または大食漢の力士のこと)」って言うんだけど、エビスコが強いか弱いかって大事でしたね。いま考えると、若い頃に無理してでも食わされたから、あの練習に耐えられたんだなってのはありますね。ただ耐えるだけならあの食事はいらないんですよ。耐えながら身体を大きくする。当時のレスラーの1日のカロリーって万単位だったんじゃないですか。

 

── 食べて、さらに練習や試合で消費してるわけですからね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain当時、新日本は鉄骨プレハブの道場だったんですけど、夏の練習の時は窓を閉めきって練習してたんですよ。外の気温が30度を超すと、だいたい道場の中は47か48度。そんな中でやらされるんです。なんでかっていうと理由があってね。当時俺が入って3年目4年目までのころは、蔵前国技館とか愛知県体育館、あと改装前の大阪府立体育館とかにはぜんぜん冷房がありませんでしたね。しかも放送用の照明がリングに向けられるし、第1試合でリング上は40度とかになるんですよ。だから猪木さんがメインイベントをやるころにはさらに熱くなってる。そんな中で試合をするわけですから。

 

── なるほど、過酷な熱さの中で練習する意味があったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain若手の頃とか、練習前と練習後で最初は7キロくらい体重が減るんですよね。当時「練習中には水を飲んじゃいけない」って時代だから。トイレに行ってトイレの便器の水を飲もうかな……ってここ(口の手前)まで来たこと、何度もありますよ。そんな練習をしながらも体を大きくするためにかなりの量を食べているから、最初の3年で30キロは太りましたね。

 

── そんなに! 食事はどんどん食べなきゃいけないし、水は飲みたい時に飲めないし。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainただ、みんなそれぞれ特製ドリンクみたいなの作ってるんですよね。自分も1リットルのコーラの瓶に、当時なけなしのお金で買ったプロテイン入りのドリンクを入れて。当時700gで4万円とかしましたからね。

 

── そんなに高級品だったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainでもね、知らない間にそのプロテインを先輩が飲んじゃってるんですよ。そりゃもう、頭にきてね。コイツなんとかしてやろう! って思って、ドリンクにこっそり小便を入れてね。プロテインも入れて。

 

── ワハハハ、プロテインも一応入れるんですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそれで「誰が飲んだかわからないけど、頭にきたから小便入れてやった!」って言ったら、後ろで2人くらいゲホゲホ言ってもどしてて。ひとりが栗栖(正伸)さんで、もうひとりが荒川さんやったっていう(笑)。

 

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── さっきプロテインの話が出ましたけど、今だとプロテインとかサプリとかが当たり前じゃないですか。当時はまだ少数派だったんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain自分が入った頃は荒川さんが寮長で、しばらくして小林邦昭さんが寮長になって。小林さんが、その頃アーノルド・シュワルツェネッガーの大ファンで。

 

── 俳優になる前、ボディビルダーとして名を上げていたころですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainその影響でプロテインを飲んでいたんですよ。最初はクソ高かったんですけど、しばらくして粒状のプロテインが出てきて、それでけっこう値段も安くなったんですね。900粒くらいで当時なんぼくらいしたかな、5,000円とか6,000円くらい? もっとしたかな? それでもずいぶん安くはなったんですよね。その頃からプロテインとかレバータブレットとかを取るようになったんちゃうかな。

 

── その頃からそういうサプリ的なもの飲むようになったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain最初は隠れて飲んでたんですよ。山本さんに見つかったら没収やから。「ナチュラルが一番だ!」って人だったから。ゴッチさん(カール・ゴッチ)もプロテインとかを飲むのはダメ、っていう方やったね。

 

── そのおふたりがナチュラル派というのはわかる気がします(笑)。あと、お酒についてはいかがでしたか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain新日本プロレスに入る前は、ビールのロング缶1缶くらいでいい気持ちって感じやったんですけど、新日本プロレス入ったらもう「飲め飲め飲め飲め!」の世界で。入門して最初の半年くらいの頃に、レフェリーのミスター高橋さんが花見をやると言ってきて。その時「お前らこれからなにかと酒を飲まなきゃいけなくなるから、酒癖が悪いかどうかチェックするぞ」って言い出したんですね。それでどんぶりに氷を入れて日本酒も入れて、レモンをガーッとしぼって、「さあ飲め!」と。ガンガン飲まされたんですね。

 

── うわー、もう最初からどんぶりで。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそんで飲んでいるうちにわけわかんなくなって、気がついた時には合宿所のある1室で、芋虫のように縛り上げられて、猿ぐつわをされて。

 

── ええ!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainあとで聞いたら包丁を持って暴れていたらしいんです。

 

── ええええ!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそれで高橋さんが、俺が持ってる包丁を取ろうとしてつかんで、手に刺さっちゃったりして。

 

── ええ……。危なすぎますよ!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainヒロ斎藤が逃げるところに後ろからバッと包丁を投げたら、身体の真横に突き刺さったとか(笑)。

 

── うわあ……。前田さん、酒が強くはなかったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainぜんぜん! 飲めないですもん、当時はね。それからしばらくして、海外遠征から帰ってきて大飯を食えるようになった頃までには飲めるようになりましたね。今もそんなには強くはないんです。でも体力はあるんで、永遠につぶれないんですよ。気分悪くなったらオエーッっと出して、空っぽになったらまた飲む……みたいな。まわりはえらい迷惑ですね(笑)。

 

── さすがに包丁は投げなくなったと(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそうですね! 大騒ぎするだけで。でも……(※この後にうかがった六本木のビルの屋上から下品な言葉を連呼した話、角田信朗さんの結婚式での空手界の大物を巻き込んで大暴れした話などはヤバすぎるため割愛)

 

ロシア人格闘家が飲んでいたという「アルコール」の正体

あぶなすぎて『メシ通』では書けないエピソードがいっぱい出た、前田日明さんの酒にまつわるお話。まだまだ続きます。

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── それからUWF、RINGSと新たな闘いの道を切り開いていった前田さんですが、実質トップ選手や経営者側になったことで大変だったことも多いんじゃないですか。それこそ道場の食事なんかもお金を出す側になるわけですし。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainUWFのちゃんこは基本的に新日本の延長線上だったんですけど、最初の頃は選手たちでちゃんこ銭を出し合ったりしてましたね。でも肉の量とかはお腹いっぱいになるようにはしてましたよ。少しずつ応援してくださる人も増えてきて、差し入れなんかももらうようになったり。ありがたかったですね、いろんな人に応援してもらえて。

 

── トップ選手になって酒の席とかも増えたんじゃないですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainありましたね。当時はなんか妙なこだわりがあって、最初の1杯から最後の1杯まで全部イッキしようって。選手も全部やってましたね。

 

── 美学というか、前田さんなりの「レスラーらしさ」みたいな。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain……なのかわからないですけどね。酒といえば当時、益荒男関(現・阿武松親方)と寺尾関(現・錣山親方)・琴ヶ梅関の3人と仲良しで、俺と高田(延彦)と山ちゃん(山崎一夫)と、その3人で伊豆長岡まで泊まりに行ったことあったんです。で、当時は海外までよく行ってたんですよね。それで飲みもしないのに高級ウイスキーを免税店で3本ずつとか買って帰ってきて、それで何10本とあったんで持ち寄って飲もうぜってことになったんです。結局2泊3日で40〜50本くらい空にしましたね。ボトルを全部イッキで。

 

── 力士とレスラー6人がイッキでウイスキーを飲みまくる光景……すごそうです。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそれでみんな酔っ払って、いい感じの時に琴ヶ梅関が平気な顔してるんで、「梅ちゃん飲んでないねえ~」って言ったら、「あ、すいません」ってブランデーの栓を開けて、まるでコーラでも飲むみたいにゴクゴク飲んで……すげえなって。いろいろ飲んだけど、酒を飲むのでいったら琴ヶ梅関がいちばんすごかったですね。

 

── 前田さんは力士やプロレスラー以外にもいろいろな格闘家と飲まれていると思いますけど、誰がいちばん飲み食いがすごかったですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain琴ヶ梅関もかなりすごかったけど、レスラーでも強い人はいますね。アンドレ(ザ・ジャイアント)なんかは試合前になぜか必ずラーメン1杯とコニャック1本を飲んでいましたからね。あれもコーラを飲むみたいにコニャックを飲んでましたね。

 

── レスラーにも力士にもとんでもない人がいましたよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain酒飲みというと、ロシアに行った時がすごかったですね。91年にロシアに選手を探しに行ったとき、当時はペレストロイカで物資がぜんぜんないのに、わざわざ祝いの席とか作ってくれるんですよ。すごかった時は、1日に10数回パーティーを回って、その間はどこに行ってもずーっとウォッカをイッキですよ(笑)。すごいのは、ロシアって乾杯のときに「これは何のための乾杯か」を演説しなきゃいけないんです。それで良い演説したら、それに大して「私も賛成です!」ってまた演説が始まるんですよ。それに対して「反対です!」って演説も始まったりして、そのたびにイッキしなきゃいけない。もうロシアに着いてから成田に帰ってくるまで、ずーっと酔っ払ってましたね。

 

── 行く先々で飲まされるんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainでもそのころは物資がなくって、もしウォッカがない時はどうするんだって聞いたら「アルコールだけは切らさずに飲んでたよ」って言うから、何を飲んでたんだって聞いたら「オーデコロン!」って(笑)。すごいでしょ? そういう奴がいっぱいいるんですよ。あと、メタノールってあるじゃないですか。あれも“目散るアルコール”って言うくらいで、飲むと目がつぶれるって言われてるんですよ。でも彼らは「薄めて飲めば大丈夫だ」って。

 

── いやそれ、ぜんぜん大丈夫じゃないです!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain「メチルで果物を漬けたのがあるけど、飲むか? 毒消しになるんだよ!」って言われて「いやいやいや!」って。彼らはすごいよ、本当に。

 

── なんで生きてるんでしょうねってレベルですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainあとロシア人と酒を飲むと怖いのが、もう首まで酒を飲んでベロベロになって、なんとか意識だけは保って、もう1杯飲んだら意識が飛ぶかもってときに「サウナに行こう」って言われるんですよ。それで仕方なく一緒に行くんですけど、サウナの中で倒れたり、一番最初にサウナから出たら格好悪いじゃないですか。だから「せめて3人目が出るまで頑張ろう」って死ぬ気で耐えるんですよ。それでやっと出られるってタイミングになって、やっとの思いで涼しいところに行こうとしたら……ロシアって、サウナの後に水風呂の場合と雪の場合があるんですよ。

 

── サウナからの「雪」

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain雪って言っても、出た瞬間にマイナス20度の世界ですよ。じゃあ水風呂にするかっていっても、日本のサウナだといくら冷たくてもせいぜい10数度でしょ。向こうの水風呂は凍る寸前の0度なんですよ。だから入った瞬間、心臓がドドドド! って動いて……「ああ、これが心臓麻痺っていうんだな」って経験をしましたね。

 

── そんな「酒とサウナの生活」をしていたら、ナチュラルに鍛えられますね、ロシア人。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそれでロシアの連中の話だと「日本から柔道とかの選手が来ても、飲まされるとだいたい倒れる」と。それで「倒れなかったのはアントニオ猪木と前田だけだ」って言われましたね。その辺はね、益荒男関とかと酒の研さんを積んだからってのはありますね(笑)。

 

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これまで未開の地を切り開いてきた、前田さんならではの豪快すぎる酒の話でした。

ちなみにいま前田さんが気になっているのは、「家康が作った漢方のレシピ」。

現在薬品メーカーでも普通売られている漢方薬「八味地黄丸」の変方、いわば将軍に献上するためのスペシャルバージョンだという。

この好奇心こそが、これまで前田日明さんが闘ってきた試合や興行を見る時に私たちをわくわくさせてくれる一番のスパイスだったのかもしれません。

twitter.com

※一部記事中の表現で修正した箇所があります。(2018年4月3日) 

 

書いた人:大坪ケムタ

大坪ケムタ

日本全国どこに入っても手早く安心して食べれるチェーン店好き。特に茶色い食べ物と期間限定メニューには目がない。天丼はえび天よりかき揚げ派。普段はアイドル・芸能etcよろず請け負うフリーライター業。

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