リングに革命を起こし続けた前田日明の「新日本プロレス時代の豪快すぎるメシ話」【レスラーめし】

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日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。

その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして “食事” だ。

その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。

プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。そんな食にまつわる話を、さまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。

 

今回登場していただくのは新日本プロレス、UWF、そしてRINGSと、前人未到の刺激的な戦いを求め続けた「リングの革命家」・前田日明さん

 

その体格と格闘センスの高さから新人時代から嘱望されながら、新日本プロレスから(第1次)UWFへの移籍など、あらゆるリングで伝説の戦いを繰り広げた。ドン・中矢・ニールセン戦、アンドレ・ザ・ジャイアント戦といったを伝説の名勝負を経て「新格闘王」と呼ばれる。

さらに第2次UWF、RINGSと格闘技として先鋭化していくリングに立ち続け、99年に“霊長類最強”と呼ばれたアマレス選手アレクサンダー・カレリンとの対戦を実現し引退。

その後もさまざまな格闘技・プロレス興行においてスーパーバイザーを務め、現在では格闘技大会“THE OUTSIDER”プロデューサー、そして今年スタートする新たな総合格闘技大会に向けて奔走している。

www.rings.co.jp

 

「ナマで食えって言われないかぎりは大丈夫」

大阪出身の前田日明さん。

その豪快なキャラクターからしても、食事の好き嫌いなどはなさそうだが……。

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f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain俺、好き嫌いは全然ないんですよ。食べたことないものも、一度は食べてみる。ゲテモノも一度はいってみますね。

 

── 最近食べたもので「これは初めて!」てのはありましたか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainさすがに来年60(歳)なんでね、60年間食べたことのないものってなかなかないね(笑)。これは……っていうものでいえば、日本でクロダイとか釣る時の餌にする“ユムシ”っていうのがあるんですよ。韓国だとアレを生で食うんです。

 

── ミミズのでかい奴みたいなのですよね、ユムシって。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそうそう。しかも日本のより立派なんですよ。まあまあ、慣れれば酒のつまみにいいかなくらいの味でしたね。あとムカデとかも漢方薬として干したやつが売ってて、それを煎じて飲んだら咳に効くって言われて飲んだりしましたね。まあ、だいたいナマで食えって言われないかぎりは大丈夫。

 

── 子供の頃から好き嫌いはなかったんですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain子供の頃はピーマンとかニンジンがダメだったね。肉ばっか食ってました。でも自分らの親の世代は、戦中戦後の食糧難の時代を生きてきたじゃないですか? だから野菜とか残したら、それを食べるまでいつまでも出てくるんですよ。朝に残したら昼、昼に残したら夜。それで他のおかずを減らされるんです。最後はピーマンとニンジンだけになっちゃうんで、無理して食ってましたね。

 

── ではその頃の思い出の味ってありますか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain肉と糸こんにゃくが入ったスープっていうかお吸い物みたいなのをよく作ってくれてね。そればっかり飲まされてたんで、記憶にありますね。いま考えると、うちの母親って料理のメニューが豊富だったんですよ。小アジの南蛮漬けとか八宝菜とかカレーだとか、いま考えると当時としてはいろんなもん作ってたなあ。母親は15人兄弟だったんですよ。

 

── 当時は兄弟が多い家族は普通ですけど、15人はすごいですね!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそのうち男は2人で、あとは全部女。それで姉妹でレシピの交換とかしてたみたいで。ただ、飯がよく食えたのは中学まででね。中学2年で親が離婚したんですよ。それで高校くらいがいちばん食べものが悲惨な時期で、父親が何万か置いて3カ月とか韓国に行っちゃうんですよ。

 

── 前田さんひとり置いて、ですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainでも1カ月も経たんうちに電気代とかガス代とか払ってたら金が底ついてしまうんで、最初は親戚のうちをウロウロしてたんですけど、それも交通費がかかるじゃないですか。そのうちアルバイトした金と、オヤジを脅かして……(笑)というか、ゴネて金を出してもらって、中古のオートバイを買って。それであちこちに行けるようになったんですけどね。

 

── ひとりになっても食っていくために、バイクであちこちに行ったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain当時アルバイトで枚方のかねまた運輸ってところがあって、そこがイトーキの大阪支社の搬送とかしてたんで、その助手とかをよくやってましたね。だいたいバイトは運送関係で、たまに長距離トラックの助手とかをやったら、運転手さんが気前よく飯おごってくれたりしてね。カツ丼とかカツカレーとか、とにかくお腹いっぱいなるもの。それがうれしかったですね。

 

猪木さんが飼っていたセントバーナードの話

1977年に新日本プロレスへ入団した前田さん。

当時はアントニオ猪木モハメド・アリウイリアム・ルスカと闘うなど、異種格闘技戦の興行が数多く行われ、世間の耳目を集めていた時期。

当時、前田さんが山本小鉄さんをはじめとしたコーチ・先輩たちにしごかれていた話は有名だ。

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── 新日本プロレスでは、もちろん新弟子からの生活になりますよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain合宿所の食事はちゃんこですね。365日朝昼晩ずっと鍋です。たまにちゃんこ番の人がサボりたくて、バター焼きと称して鉄板で肉を焼いたりするくらいで。当時いちばん驚いたのが、1日のちゃんこ銭が2万円支給されていたんですよ。大学の初任給が8万とか10万円のころですよ。

 

── 1日2万円って、当時の合宿所には何人くらい住んでたんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainその頃が寮生がいちばん少ない時期で、5,6人とかでしたね。新弟子が入っても、すぐ辞めていっちゃうんですよ。そんな人数で、1日2万円なんて使い切れないじゃないですか。でもちゃんこ銭を余らせると支給額を下げられちゃう。

 

── けっこういい肉を食べても2万円は大変ですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain他に差し入れなんかもありますしね。とにかくその額を使い切らなきゃいけないっていうんで、毎食毎食肉を3キロとか4キロ買ってきて、食べきれなかったらどうしてたかというと、猪木さんが飼っていたセントバーナードに食べさせたりしてた(笑)。

 

── あははは! 美食すぎる犬ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainほんとに高い、すごくいい肉ですよ。今だったら宅配便とかで親戚にでも送ってましたね(笑)。

 

── しかし新弟子時代となると体重を増やさなきゃいけないんでしょうけど、食べるのも大変ですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain飯もいちばん少ない時でも1升くらい炊いてましたよ。格闘家が減量のために「食べるな食べるな」って言われるのもつらいと思いますけど、とにかく体重増やすためにここまで(喉を指差して)「食べろ食べろ」って言われるのもつらかったですね。もともと食は細かったんです。中学から高校にかけては、1食どかんと食べるんじゃなくて、1日に細かく5食とか6食を食べるような生活だったんで。

 

── 前田さんは入団した時から身長は高かったんですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそうすね。中学3年で175センチで、高校卒業するころは189。新日本に入ってまだ伸びて、結局192センチまでいきましたからね。

 

── それだけの体格があっても、ご飯はキツかった。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそうすね。合同練習の日の食事のときとか、山本小鉄さんが食べ終わるまで監視していて「おまえ、いま何杯食った?」って聞いてくるんですよ。

 

── “鬼軍曹”がご飯チェックを!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain目の前でビールを飲みながら何杯食うか見てるんです(笑)。山本さんはすごい人でしたね。練習も率先して若いのと同じメニューを同じだけやって、終わったら終ったで下っ端の飯の面倒まで見て。家に帰ってさぞくつろいでたのかなと思ったら、奥さんのために家でもご飯作ったりしていたらしいですからね。

 

「小林 さんが全部払っていかれました」

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プロのレスラーは練習をするのが仕事なら、食べるのも仕事。

しかし、それは身体を作るためだけではない。

後援者たちに「プロレスラーって、これだけ食べられてすごいだろう!」と見せつけるために食べるのも、また仕事なのだ。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain合宿所のレスラーってのは、試合後とかにスポンサーに連れていってもらった時の「食べる係」なんですよ。どこも「レスラーってすごい食べるんでしょ?」って出してくれるんで、先輩レスラーが残したものを全部食べなきゃいけないんです。これがたぶん良いものを食べてたはずなんですよ。今考えたらミシュラン三ツ星の超一流コック、みたいなところばっかりでしたし。でも量を食べなきゃいけないから、味を楽しんだ覚えが全然ないですね(笑)。お茶で流し込んだとか、そういうのばっかりで。

 

── どこのお店がおいしかったとか、覚えてないですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainみんなおいしかったんですけど、基本的に腹に詰め込む作業ですね。味わってるヒマなんてないです。ありとあらゆる食べ物を食べましたけどね。珍しいもの、高いもの……「満漢全席」みたいなのもありましたね。

 

── 中国のよりすぐりの料理を集めたという宴会のメニューですね。本家は数日間かけて食べるとかいう話もあるほどの。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそういうので“熊の手”とかも食べましたよ。右手か左手か、どっちかが高いんですよね? ハチミツをとる方が高いとかで。ホントか? って思ってたけど(笑)。

 

── 当時は新日本プロレスのトップにアントニオ猪木さんがいらした時代だけに、スポンサーもすごいでしょうね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain昭和30年代や40年代の芸能界やプロスポーツの第一線にいた人たちの環境と、今の芸能スポーツ界ってぜんぜん違いますよね。昔は本当にあがめられていたっていうか、本当に“スター”だった。まわりがスターにごちそうすることが「うれしい、誇らしい」みたいな時代で。

 

── 「俺はあのスターにごちそうしたんだ」ってのが自慢になる時代ですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain昭和のその頃は、勝新太郎さんや小林さんにおごってもらったことありますよ。しかも何万円って話じゃないですよ、100万円とか。

 

── えー!!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain小林さんは、俺らが結婚式の2次会だったかで大騒ぎしていたお店に小林さんが入ってこられて。「すいません、お騒がせしてます」って挨拶したら、「いいよいいよ、気にしなくていいから」っておっしゃってくれたんですよね。でも、その後に席を見たらいなくなっていたから「やっぱりうるさかったんだな、申し訳ないな」って思ってたんですよね。それで俺らも出ようってなって、皆からお金を集めて支払おうとしたら「小林 さんが全部払っていかれました」って言われて、「え!」って。その時の支払いは本当に100万円以上だったと思いますね。

 

── さすが小林! って感じですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainこの前、松方(弘樹)さんが亡くなった時もいろんな話が出てましたけど、あの頃の昭和のスターはスケールが違いますね。

 

── そういう意味ではアントニオ猪木さんもスターだったんじゃないですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain猪木さんも……そうですね。でも選手に対してはスパルタでしたね(笑)。

 

── あははは。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainでもね、猪木さんは猪木さんで夢っていうか野望があって、巨大ビジネスを成功させようとして結局失敗して60億くらいの借金をこさえたけど、最終的には完済してましたからね。そのスケールはすごいですよ。

 

試しに酒を飲まされて、目が覚めたら縛られてて……

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プロレス観戦歴の長いファンなら「昭和の新日本プロレス」というキーワードに夢を抱く人も多い。

試合だけでなく、普段の生活もまた“猛者”が多かった。

その一面をわかりやすく見せてくれるのがレスラーの“めし”そして“”だ。

 

── 前田さんが新日にいたころ、まわりにいたレスラーで食に関して「この人はすごかった!」って思い出の人っていらっしゃいますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain当時の自分らの先輩たちはね、この間亡くなった荒川真さん(ドン荒川)もそうだし、いま新日本の道場管理やってる小林邦昭さんもそうだけど、みんな食いましたね! すごい食べた。小林さんなんか新人の時代に、東京から大阪まで行く3時間の間に新幹線の食堂車のメニューを上から下までぜんぶ食わされましたからね(笑)。荒川さんも旅館で6合か8合入りのおひつをひとりで2つ半食べてました。

 

── レスラーの別の意味でのすごさを感じさせますね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainよく食べる選手のことを「エビスコが強い(※大相撲の隠語で大食い、または大食漢の力士のこと)」って言うんだけど、エビスコが強いか弱いかって大事でしたね。いま考えると、若い頃に無理してでも食わされたから、あの練習に耐えられたんだなってのはありますね。ただ耐えるだけならあの食事はいらないんですよ。耐えながら身体を大きくする。当時のレスラーの1日のカロリーって万単位だったんじゃないですか。

 

── 食べて、さらに練習や試合で消費してるわけですからね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain当時、新日本は鉄骨プレハブの道場だったんですけど、夏の練習の時は窓を閉めきって練習してたんですよ。外の気温が30度を超すと、だいたい道場の中は47か48度。そんな中でやらされるんです。なんでかっていうと理由があってね。当時俺が入って3年目4年目までのころは、蔵前国技館とか愛知県体育館、あと改装前の大阪府立体育館とかにはぜんぜん冷房がありませんでしたね。しかも放送用の照明がリングに向けられるし、第1試合でリング上は40度とかになるんですよ。だから猪木さんがメインイベントをやるころにはさらに熱くなってる。そんな中で試合をするわけですから。

 

── なるほど、過酷な熱さの中で練習する意味があったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain若手の頃とか、練習前と練習後で最初は7キロくらい体重が減るんですよね。当時「練習中には水を飲んじゃいけない」って時代だから。トイレに行ってトイレの便器の水を飲もうかな……ってここ(口の手前)まで来たこと、何度もありますよ。そんな練習をしながらも体を大きくするためにかなりの量を食べているから、最初の3年で30キロは太りましたね。

 

── そんなに! 食事はどんどん食べなきゃいけないし、水は飲みたい時に飲めないし。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainただ、みんなそれぞれ特製ドリンクみたいなの作ってるんですよね。自分も1リットルのコーラの瓶に、当時なけなしのお金で買ったプロテイン入りのドリンクを入れて。当時700gで4万円とかしましたからね。

 

── そんなに高級品だったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainでもね、知らない間にそのプロテインを先輩が飲んじゃってるんですよ。そりゃもう、頭にきてね。コイツなんとかしてやろう! って思って、ドリンクにこっそり小便を入れてね。プロテインも入れて。

 

── ワハハハ、プロテインも一応入れるんですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそれで「誰が飲んだかわからないけど、頭にきたから小便入れてやった!」って言ったら、後ろで2人くらいゲホゲホ言ってもどしてて。ひとりが栗栖(正伸)さんで、もうひとりが荒川さんやったっていう(笑)。

 

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── さっきプロテインの話が出ましたけど、今だとプロテインとかサプリとかが当たり前じゃないですか。当時はまだ少数派だったんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain自分が入った頃は荒川さんが寮長で、しばらくして小林邦昭さんが寮長になって。小林さんが、その頃アーノルド・シュワルツェネッガーの大ファンで。

 

── 俳優になる前、ボディビルダーとして名を上げていたころですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainその影響でプロテインを飲んでいたんですよ。最初はクソ高かったんですけど、しばらくして粒状のプロテインが出てきて、それでけっこう値段も安くなったんですね。900粒くらいで当時なんぼくらいしたかな、5,000円とか6,000円くらい? もっとしたかな? それでもずいぶん安くはなったんですよね。その頃からプロテインとかレバータブレットとかを取るようになったんちゃうかな。

 

── その頃からそういうサプリ的なもの飲むようになったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain最初は隠れて飲んでたんですよ。山本さんに見つかったら没収やから。「ナチュラルが一番だ!」って人だったから。ゴッチさん(カール・ゴッチ)もプロテインとかを飲むのはダメ、っていう方やったね。

 

── そのおふたりがナチュラル派というのはわかる気がします(笑)。あと、お酒についてはいかがでしたか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain新日本プロレスに入る前は、ビールのロング缶1缶くらいでいい気持ちって感じやったんですけど、新日本プロレス入ったらもう「飲め飲め飲め飲め!」の世界で。入門して最初の半年くらいの頃に、レフェリーのミスター高橋さんが花見をやると言ってきて。その時「お前らこれからなにかと酒を飲まなきゃいけなくなるから、酒癖が悪いかどうかチェックするぞ」って言い出したんですね。それでどんぶりに氷を入れて日本酒も入れて、レモンをガーッとしぼって、「さあ飲め!」と。ガンガン飲まされたんですね。

 

── うわー、もう最初からどんぶりで。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそんで飲んでいるうちにわけわかんなくなって、気がついた時には合宿所のある1室で、芋虫のように縛り上げられて、猿ぐつわをされて。

 

── ええ!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainあとで聞いたら包丁を持って暴れていたらしいんです。

 

── ええええ!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそれで高橋さんが、俺が持ってる包丁を取ろうとしてつかんで、手に刺さっちゃったりして。

 

── ええ……。危なすぎますよ!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainヒロ斎藤が逃げるところに後ろからバッと包丁を投げたら、身体の真横に突き刺さったとか(笑)。

 

── うわあ……。前田さん、酒が強くはなかったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainぜんぜん! 飲めないですもん、当時はね。それからしばらくして、海外遠征から帰ってきて大飯を食えるようになった頃までには飲めるようになりましたね。今もそんなには強くはないんです。でも体力はあるんで、永遠につぶれないんですよ。気分悪くなったらオエーッっと出して、空っぽになったらまた飲む……みたいな。まわりはえらい迷惑ですね(笑)。

 

── さすがに包丁は投げなくなったと(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそうですね! 大騒ぎするだけで。でも……(※この後にうかがった六本木のビルの屋上から下品な言葉を連呼した話、角田信朗さんの結婚式での空手界の大物を巻き込んで大暴れした話などはヤバすぎるため割愛)

 

ロシア人格闘家が飲んでいたという「アルコール」の正体

あぶなすぎて『メシ通』では書けないエピソードがいっぱい出た、前田日明さんの酒にまつわるお話。まだまだ続きます。

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── それからUWF、RINGSと新たな闘いの道を切り開いていった前田さんですが、実質トップ選手や経営者側になったことで大変だったことも多いんじゃないですか。それこそ道場の食事なんかもお金を出す側になるわけですし。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainUWFのちゃんこは基本的に新日本の延長線上だったんですけど、最初の頃は選手たちでちゃんこ銭を出し合ったりしてましたね。でも肉の量とかはお腹いっぱいになるようにはしてましたよ。少しずつ応援してくださる人も増えてきて、差し入れなんかももらうようになったり。ありがたかったですね、いろんな人に応援してもらえて。

 

── トップ選手になって酒の席とかも増えたんじゃないですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainありましたね。当時はなんか妙なこだわりがあって、最初の1杯から最後の1杯まで全部イッキしようって。選手も全部やってましたね。

 

── 美学というか、前田さんなりの「レスラーらしさ」みたいな。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain……なのかわからないですけどね。酒といえば当時、益荒男関(現・阿武松親方)と寺尾関(現・錣山親方)・琴ヶ梅関の3人と仲良しで、俺と高田(延彦)と山ちゃん(山崎一夫)と、その3人で伊豆長岡まで泊まりに行ったことあったんです。で、当時は海外までよく行ってたんですよね。それで飲みもしないのに高級ウイスキーを免税店で3本ずつとか買って帰ってきて、それで何10本とあったんで持ち寄って飲もうぜってことになったんです。結局2泊3日で40〜50本くらい空にしましたね。ボトルを全部イッキで。

 

── 力士とレスラー6人がイッキでウイスキーを飲みまくる光景……すごそうです。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそれでみんな酔っ払って、いい感じの時に琴ヶ梅関が平気な顔してるんで、「梅ちゃん飲んでないねえ~」って言ったら、「あ、すいません」ってブランデーの栓を開けて、まるでコーラでも飲むみたいにゴクゴク飲んで……すげえなって。いろいろ飲んだけど、酒を飲むのでいったら琴ヶ梅関がいちばんすごかったですね。

 

── 前田さんは力士やプロレスラー以外にもいろいろな格闘家と飲まれていると思いますけど、誰がいちばん飲み食いがすごかったですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain琴ヶ梅関もかなりすごかったけど、レスラーでも強い人はいますね。アンドレ(ザ・ジャイアント)なんかは試合前になぜか必ずラーメン1杯とコニャック1本を飲んでいましたからね。あれもコーラを飲むみたいにコニャックを飲んでましたね。

 

── レスラーにも力士にもとんでもない人がいましたよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain酒飲みというと、ロシアに行った時がすごかったですね。91年にロシアに選手を探しに行ったとき、当時はペレストロイカで物資がぜんぜんないのに、わざわざ祝いの席とか作ってくれるんですよ。すごかった時は、1日に10数回パーティーを回って、その間はどこに行ってもずーっとウォッカをイッキですよ(笑)。すごいのは、ロシアって乾杯のときに「これは何のための乾杯か」を演説しなきゃいけないんです。それで良い演説したら、それに大して「私も賛成です!」ってまた演説が始まるんですよ。それに対して「反対です!」って演説も始まったりして、そのたびにイッキしなきゃいけない。もうロシアに着いてから成田に帰ってくるまで、ずーっと酔っ払ってましたね。

 

── 行く先々で飲まされるんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainでもそのころは物資がなくって、もしウォッカがない時はどうするんだって聞いたら「アルコールだけは切らさずに飲んでたよ」って言うから、何を飲んでたんだって聞いたら「オーデコロン!」って(笑)。すごいでしょ? そういう奴がいっぱいいるんですよ。あと、メタノールってあるじゃないですか。あれも“目散るアルコール”って言うくらいで、飲むと目がつぶれるって言われてるんですよ。でも彼らは「薄めて飲めば大丈夫だ」って。

 

── いやそれ、ぜんぜん大丈夫じゃないです!

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain「メチルで果物を漬けたのがあるけど、飲むか? 毒消しになるんだよ!」って言われて「いやいやいや!」って。彼らはすごいよ、本当に。

 

── なんで生きてるんでしょうねってレベルですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainあとロシア人と酒を飲むと怖いのが、もう首まで酒を飲んでベロベロになって、なんとか意識だけは保って、もう1杯飲んだら意識が飛ぶかもってときに「サウナに行こう」って言われるんですよ。それで仕方なく一緒に行くんですけど、サウナの中で倒れたり、一番最初にサウナから出たら格好悪いじゃないですか。だから「せめて3人目が出るまで頑張ろう」って死ぬ気で耐えるんですよ。それでやっと出られるってタイミングになって、やっとの思いで涼しいところに行こうとしたら……ロシアって、サウナの後に水風呂の場合と雪の場合があるんですよ。

 

── サウナからの「雪」

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plain雪って言っても、出た瞬間にマイナス20度の世界ですよ。じゃあ水風呂にするかっていっても、日本のサウナだといくら冷たくてもせいぜい10数度でしょ。向こうの水風呂は凍る寸前の0度なんですよ。だから入った瞬間、心臓がドドドド! って動いて……「ああ、これが心臓麻痺っていうんだな」って経験をしましたね。

 

── そんな「酒とサウナの生活」をしていたら、ナチュラルに鍛えられますね、ロシア人。

 

f:id:Meshi2_IB:20180228235547p:plainそれでロシアの連中の話だと「日本から柔道とかの選手が来ても、飲まされるとだいたい倒れる」と。それで「倒れなかったのはアントニオ猪木と前田だけだ」って言われましたね。その辺はね、益荒男関とかと酒の研さんを積んだからってのはありますね(笑)。

 

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これまで未開の地を切り開いてきた、前田さんならではの豪快すぎる酒の話でした。

ちなみにいま前田さんが気になっているのは、「家康が作った漢方のレシピ」。

現在薬品メーカーでも普通売られている漢方薬「八味地黄丸」の変方、いわば将軍に献上するためのスペシャルバージョンだという。

この好奇心こそが、これまで前田日明さんが闘ってきた試合や興行を見る時に私たちをわくわくさせてくれる一番のスパイスだったのかもしれません。

twitter.com

※一部記事中の表現で修正した箇所があります。(2018年4月3日) 

 

書いた人:大坪ケムタ

大坪ケムタ

日本全国どこに入っても手早く安心して食べれるチェーン店好き。特に茶色い食べ物と期間限定メニューには目がない。天丼はえび天よりかき揚げ派。普段はアイドル・芸能etcよろず請け負うフリーライター業。

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「ちゃんこってなんですか?」ド素人の質問を元力士&漫画家の琴剣淳弥さんにぶつけてみた【相撲メシ】

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いまださめやらずといった感のある、空前の相撲ブーム。

ご存じのとおり、「ちゃんこ鍋」という独特の食文化を持つ相撲の世界は、グルメ方面から見ても非常に魅力的な世界である。がしかし、知識ゼロのビギナーにとってはまだまだハードルが高そうに見えるのも事実。

そこで元力士で現在漫画家/作家という異色の経歴を持つ、琴剣淳弥さんにインタビュー。近著『相撲めし』は、現役力士や食通の親方衆など、相撲界に関わる人たちの食へのこだわりを掘り下げた、今までになかった新しいタイプのグルメ本だ。

今回『メシ通』では、角界を骨の髄まで知り尽くした琴剣さんに、相撲&食事の素朴なギモンをぶつけてみた。相撲好きな人、相撲をもっと知りたい人、ちゃんこ鍋が好きな人、チョー必読!

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©扶桑社 ©琴剣淳弥

▲琴剣さんの最新著作『相撲めし』(扶桑社)には、有名力士のグルメエピソードやお気に入りのお店、部屋ごとに違うちゃんこ鍋の魅力などが多数掲載されている。ページをめくるたびに腹が減る1冊だ

 

話す人:琴剣淳弥さん

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福岡県出身。佐渡ヶ嶽部屋に所属していた現役時代からスポーツ紙にイラストを掲載するなど異色の力士だったが、廃業後に芳文社『まんがスポーツ』(現在休刊)にて「やぐら太鼓の詩」を連載スタートし漫画家として本格デビュー。以後自らの経験を元にした相撲漫画を発表し続けている。公式ホームページ「琴剣の部屋」

 

知られざる「ちゃんこ」の語源

── 琴剣さん、そもそも「ちゃんこ」って何なんでしょう。

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plainお相撲さんが食べる料理を総称して「ちゃんこ」と言います。「ちゃんこ鍋」だけが「ちゃんこ」じゃないんですね。「ちゃんこ」の語源にはいくつか説があって「ちゃんこの〈ちゃん〉はお父ちゃんで親方。〈こ〉は弟子を表してる」という説。昔の力士が長崎巡業に行った時に、差し入れでもらった海鮮物を食べる時に中国人から鉄鍋を借りて煮込んだという、その鉄鍋のことを中国語で〈チェーコウ〉と呼ぶところから由来しているという説……と、いろいろあるんですが、私が調べた中で個人的に推したいのは、名門・出羽海部屋にルーツがあるという説。今の近代的な相撲協会を作った一人である常陸山さんという大横綱がいまして。100人ぐらいいた自分の弟子の食事をまかなうのは大変だったそうで、合理的な鍋料理を取り入れた。そこで料理を作っている古株のお相撲さんのことを〈ちゃん公〉って呼んでいたらしいんですね。なので、その〈ちゃん公〉という人が語源だと。その方のお孫さんが千葉にいらして、実際に話をうかがったこともあるんで信ぴょう性もあるんですよ。

 

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▲今回は、都内・神楽坂にあるちゃんこ店「黒潮」にて話をうかがった

 

── お相撲さんが「ちゃんこ鍋」を食べる理由は?

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plain調理も簡単だし、一度にたくさんの量を仕込めるという利便性もありますが、何より一番の理由は栄養価が高いということ。相撲診療所の栄養士の先生によると、鍋料理ほどすぐれた食事はないそうなんですね。他の料理では野菜の栄養が溶けた汁を捨ててしまうけど、鍋はその中に全部閉じ込めちゃう。体も温まるし、「ちゃんこ鍋」はスーパー料理なんですよ!

 

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▲ちゃんこ店「黒潮」の店内にて。ちなみに琴剣さんの後ろにデカデカと描かれた相撲部屋のイラストはご本人が手がけたもの

 

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▲イラストの中には、部屋の厨房でせっせと「ちゃんこ」を作る力士たちの姿も

 

部屋の数だけ味付けがある

── お相撲さんは、毎食「ちゃんこ鍋」を食べているイメージがあります。

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plain実際はちょっと違います。お相撲さんって、朝ごはんは食べずに昼と夜の1日2食なんですけど、本場所がない時期は、稽古終わりの昼ごはんは鍋ですが、夜は焼き魚とご飯とか、カレーライスとか一般の家庭と同じようなメニュー。だけど、本場所期間中は夜も鍋を食べる。なぜかというと、場所が終わって親方が帰ってきてから、夕飯時に反省会があるんですね。「ちゃんこ」を食べながら、その日のダメ出しなど親方から直接指導を受けるというのが習わしになってますから。ちなみに部屋でのご飯はみんな床に座って食べるんですが、それは親方がきちんと食べてるか食卓を全部を見渡せるからなんですね。

 

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── 「ちゃんこ鍋」の味の傾向は、部屋ごとに違うと聞いたことがありますが。

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plain部屋ごとにも違うし、時代とともに変わってきていますね。たとえば親方の出身地によって変わってくることも多い。私が現役時代に所属していた佐渡ヶ嶽部屋は北海道出身者が多かったから、力士の家族から北海道の名産がいろいろ送られてきて、そういった食文化が鍋はもちろん、他に食べる料理も味にも影響していくんです。私は出身が九州なので、相撲部屋に入って初めてこんな食べ物があるんだって知りましたね。

 

── なるほど、親方や所属力士の出身地が関係している場合もある、と。

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plainそれに曙とかハワイ出身の力士が入ってくるようになって、「ちゃんこ」の味もガラッと変わりました。「ちゃんこ」にウインナーやソーセージを入れるようになったのは画期的でしたね。ちなみに魚肉ソーセージは、最強の出汁が出る食材ですよ! 私も「ちゃんこ鍋」の講習をやる時には、具材として魚肉ソーセージを入れることをオススメしてます。

 

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▲「この黒潮はとにかく料理がなんでもうまい」と琴剣さんがおっしゃるので、とりあえず刺し盛り(通常は3点盛りで1,890円、5点盛りで2,380円)をオーダー。当たり前だが、見かけどおりにうまかった

 

白鵬関がいちばん苦手な食べ物とは

── 外国人力士はどうなんでしょう。彼らは最初から「ちゃんこ」が食べられる?

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plainみんながみんな最初から食べられるわけじゃないですよね、さすがに。外国人力士はまずお米になじむのに苦労するそうです。鳴戸親方(元・琴欧洲)なんて、最初は米粒がロウソクのろうをハサミで切ったものにしか思えなかったらしいですよ。ボソボソして味がないと。食べられないから、ご飯に牛乳かけてむりやり食べたりね。でも、今は白飯がないとはじまらないってぐらいにお米好きになってる。塩辛や納豆をご飯の上に乗せて食べてるぐらいですからね(笑)。

 

── 食文化がまるで違う国からやって来るわけだから、最初は大変でしょうね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plainモンゴル人の力士はなぜかカレーライスが嫌いっていう人が多い。白いご飯に何かをかけて食べるっていうのが納得いかないらしいです。あと、彼らはあんこも嫌いですね。白鵬関がこの世で一番嫌いなものは小豆だそうですし。

 

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鹿児島郷土料理である、黒豚とんこつ(1,410円)も絶品!

 

マツコも絶賛したサイドメニュー

── 現役力士で一番グルメだと思うのは?

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plainうーん、食にこだわりのある人は多いですよ。たとえば肉だったら、豪栄道関とかね。とにかく肉しか食べない。二子山親方(元・雅山)と一緒に全国の肉を食べ歩いているって聞いてますしね。先日出版した『相撲メシ』の取材で福岡〈牛王〉ってお店に一緒に行かせてもらったんですけど、豪栄道関に食べながら話を聞こうとしたら「しゃべらないで食べて! 火がどんどん入っちゃうから!」って注意されました(笑)。

 

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── 琴剣さんが食べた歩いた中で、「ちゃんこ」がおいしい部屋を教えてください。

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plainやっぱり私がいた佐渡ヶ嶽部屋だと思います。鍋はもちろんおいしいけど、サイドメニューがとくにおいしくて。〈唐揚げのタルタルソースがけ〉はマツコ・デラックスさんも絶賛していましたね(『マツコの知らない世界』2017年5月2日オンエア分、出演時)。もちろん他においい部屋はありますよ。たとえば立田川部屋は毎日築地に仕入れに行ってるんですが、一流料亭に卸すような大間の立派なまぐろを仕入れてくる。

 

── なんと。それは自然と舌も肥えてきますねぇ。

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plainあ、そういえば名古屋場所の時に食べた、高田川部屋の〈名古屋コーチンのとりすき〉も感動だったなぁ。市販のだしを使わず、日本酒を火で飛ばして、味付けは醤油と砂糖だけ。出来上がったら、名古屋コーチンの卵を箸でパッと切るぐらいに崩したのにつけて食べると、これがめちゃくちゃうまい! ちなみに相撲業界ではすき焼きのことを〈煮食い〉って言うんですよ。

 

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▲「ちゃんこ鍋」は一人前 2,490円。こちらはご主人が九州出身ということから麦味噌を使用

 

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▲深いコクと、自然の甘みが溶け合い濃厚なスープを作り上げる

 

「ちゃんこ離れ」に危機感

── 他にもオススメの「ちゃんこ鍋」を教えてください!

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plain面白いのは〈イカのちゃんこ鍋〉。タレはマヨネーズのみで、煮上がったイカをどんぶりに入れたマヨネーズにからめて食べるんだけど、不思議とマヨネーズの味がしない。乳化してクリームっぽくなって、イカのうま味がグンと引き立つんです。あれは不思議なおいしさですね。

 

── 味が想像できないけど、なんかうまそう……。

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plain最近はやっているのが〈相撲部屋の湯豆腐〉。普通の湯豆腐ってポン酢なんかで食べるでしょ。相撲部屋の湯豆腐は、卵の黄身に醤油とかつお節とネギを入れて、それを湯煎して少し固めた〈黄身ダレ〉につけて食べる。これがなんとも絶品なんですよ!

 

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▲「ちゃんこ」の最後は雑炊でシメ

 

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▲クリーミーな雑炊は至福の味。ごっつぁんでした!

 

── どれも食べたくてたまらないんですが、あのぅ、聞きにくい質問をしてもいいでしょうか。その、「ちゃんこ」がおいしくない部屋っていうのも中には……。

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plainもちろんマズイところもありますよ、どことは言えないけど(笑)。でもそれ以前に、「ちゃんこ」をやらないという部屋もあるんです。それはちょっと衝撃的でしたね。

 

── 部屋で調理をしないということですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plainだいたい相撲部屋には〈ちゃんこ長〉って呼ばれる役割の人がいて、年齢を重ねて出世コースから外れた力士が、料理の腕を見込まれて引退後に料理の仕事もできるように料理番を任されることが多い。だけどその〈ちゃんこ長〉を置かなかったり、合理的でないという理由で稽古後は仕出しお弁当で済ませたりと、「ちゃんこ」が消えつつある。

 

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── お相撲さんが「ちゃんこ」を食べなくなる時代が来るかもしれない、と。

 

f:id:Meshi2_IB:20180312170016p:plainその可能性は十分あると思います。「ちゃんこ」という文化がなくなる時代が来るかもしれないと、私は憂いてるんです。もちろん改革といって新しいものを取り入れることも大事だろうけど、残すべきものもたくさんある。「ちゃんこ」に限らず、しきたりを教える人は必要なんです。そういう文化の危うさを感じているからこそ、「ちゃんこ」の大切さや素晴らしさを伝えていくことが、相撲漫画家である私にとっての使命だと感じてるんです。

 

── 琴剣さんの限りない「ちゃんこ愛」が伝わってきます。本日はありがとうございま……いえ、イイ話ごっつぁんです!!

 

お店情報

ちゃんこ 黒潮

住所:東京新宿区神楽坂3-6-3
電話番号:03-3267-1816
営業時間:17:00~23:00
定休日:日曜日

書いた人:宮内健

宮内健

1971年東京都生まれ。ライター/エディター。『バッド・ニュース』『CDジャーナル』の編集部を経て、フリーランスに。以降『bounce』編集長、東京スカパラダイスオーケストラと制作した『JUSTA MAGAZINE』編集を歴任し、2009年にフリーマガジン『ramblin'』を創刊。現在は「TAP the POP」などの編集・執筆活動と並行してイベントのオーガナイズ、FM番組構成/出演など、様々な形で音楽とその周辺にあるカルチャーの楽しさを伝えている。

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レンジだけで簡単にウマい煮込み料理ができてしまう「プチ圧力調理バッグ」が神ツールすぎた

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「レンチンで煮込み料理ができる」というライオンの新商品を試してみた

「ただいま~」ってドアを開けたら超カワイイ彼女が迎えてくれて、テーブルの上には手作りの「肉じゃが」や「サバの味噌煮」が並んでて……なんて妄想むなしく、冷え切った部屋でひとりスーパーの惣菜をチンっする夜。

 

……せつない!

後輩にラブラブリア充アピールされたあとのわびしさたるや。せめてそんな夜くらい、出来立てアツアツ、ほっこりと煮込まれた手作り料理で晩酌したいと思いません?

そんなささやかなオトコの夢をかなえてくれる彼女……じゃなくて新商品が、2018年3月7日にライオン株式会社から出たらしい。

材料を入れてチンっするだけで、煮込んだような出来立て料理が味わえるんだって。「画期的!」と思う反面、「レンチンだけで本当に煮込めるの?」「ラクなぶん高くつくんじゃない?」との疑問も湧く。

なので、さっそく試してみることにした。

 

本当にレンジでチンするだけで煮込んだような料理ができる?

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これがその新商品「リード プチ圧力調理バッグ」。箱の中にはジッパー付きの袋が5枚と、オリジナルレシピが1枚。袋に食材と調味料を入れて、電子レンジでチン。そのまま庫内で3分ほど置いてから取り出せば、じっくり煮込んだようなおかずが出来上がるとのこと。

ちなみに、材料をセットしたまま冷凍保存もできるそうなので、週末なんかにまとめて仕込んでおけば、あとは帰ってチンっするだけで出来立ての食事にありつけちゃうというわけ。

 

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なぜレンチンだけで煮込んだようになるかというと、“食材から出る蒸気が袋内で対流してムラなく加熱し、独自設計の「蒸気口」で蒸気の圧力を調節しながらプチ圧力をかけるから”とのこと。だから短時間でも、やわらかで味も染み染みになるらしい。

 

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つまり、これさえあれば、いつでも手作り風の煮込み料理が出来立てで味わえるってことらしい。うーん……ホントなのだろうか。ただ、おいしくなきゃ意味がない。よし、さっそくお手並み拝見といこう。

 

いざ、お手並み拝見 

まずは煮込み料理の定番、「肉じゃが」から作ってもらおう。

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材料は付属のレシピどおりに用意。とはいえ、せっかくラクに調理できるんだから、野菜の皮をむいて切って……なんて手間はかけたくない。そこで、野菜は「肉じゃがの具」を使うことに。これなら仕事帰りにスーパーで買うだけだもんね。あとは以下の材料と調味料をそろえて準備完了。

  • 牛こま切れ肉 50グラム
  • しょうゆ、みりん、砂糖 各大さじ2
  • だしの素 小さじ1/4

 

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調味料をよく混ぜ合わせたら、すべての材料を一緒に袋に入れて、

 

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600ワットのレンジにセットして待つこと10分(500ワットの場合は12分)。チンって鳴って3分ほど放置してから取り出すと……。

 

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でーきーてーるーーーーー!

香りと見た目はちゃんと「肉じゃが」。はたして本当に中まで味が染みているのか?

 

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じゃがいもを割ってみたらこんな感じ。チンっしただけとは思えないくらい、中までしっかり染みている。食感もしっとりホクホクで、レンチンでありがちなパサつき感もナシ。本当に鍋で作ったみたいな仕上がりだ!

キミ、なかなかやるじゃないか!

 

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同じ要領で、「サバの味噌煮」や、

 

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「厚揚げの染み豆腐風」なんかも作ってみたけれど、

 

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どれも本当にチンするだけで出来ちゃったよ!

3回チンして立派な夕飯の出来上がり。こりゃ、どんなに疲れて帰ってきても、ほっこり幸せなひとときが過ごせるなぁ。

 

コスパはどうだ

キミはひとり暮らしの救世主かもしれない。でもひとり暮らしだからこそコスパは重要。あまりお金がかかると困るんだな。材料買うのにスーパーに寄るなら、惣菜だってあるわけだし。

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というわけで、スーパーの惣菜とコスト比較。「リード プチ圧力調理バッグ」は小売希望価格で税込321円だから、1枚当たり約64円。「肉じゃがの具(300グラム)」が321円、牛肉(50グラム)が90円で、トータル約475円也。1グラム単位の価格でみてみると、475円÷350グラムで「1グラム約1.36円」の計算になる。

 

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対して、スーパーの「肉じゃが」は、内容量270グラムで321円。1グラム単価にして約1.19円だ。

 

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今回は惣菜が10%増量中だったこともあり、「リード プチ圧力調理バッグ」のほうがわずか0.17円ほど高値だけれど、野菜からちゃんとカットしたり、キミがドラッグストアなんかで安売りされていたり、肉の特売日だったりしたら、惣菜よりローコストで味わえる可能性は高い。それに、惣菜と同じくらいの金額で出来立てが食べられると考えれば、コスパは悪くないかもしれない。

 

料理の腕前が上がったのを実感できる

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材料をカットしたり準備したりする手間はあるものの、惣菜ほどの価格で、長時間煮込んだような出来立てのアツアツ料理が味わえるのはありがたい。片付けも捨てるだけでラクちんだし、下処理された材料を上手に活用するとか、休日にまとめて仕込んで冷凍しておくとか、やり方次第ではかなりかんたんに、手作り風の夕飯を楽しめるということだ。

 

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疲れ果てて帰った日、コンビニ弁当や惣菜に飽きてきたとき、そして、手料理が無性に恋しくなった夜でも、レンジひとつで至福の時間をもたらしてくれるこの調理バッグはかなりの神ツールなんじゃないか!?

そんなことを考えながら手作り風染みうまディナーをほおばって、ひとりの夜は更けていった……。

 

reed.lion.co.jp

 

【中央線の名居酒屋】居心地が良すぎて、つい飲みすぎてしまうお店【阿佐ヶ谷・和田屋】

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シリーズ・中央線の名居酒屋 vol.3 「和田屋」(阿佐ヶ谷)

飲み屋さんが並ぶ街並みの美しさを比べたら、きっと阿佐ヶ谷が中央線イチではないだろうか。

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特に、北口の商店街「スターロード」のノスタルジックな風景の美しさは、高円寺びいきであっても認めざるを得ない。

夕暮れ時に歩き出したら、太陽を追って、どこまでも歩いていきたくなってしまうし、夜は看板の灯りに誘われて、次から次へとはしご酒をしたくなってしまう。

 

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この街では「阿佐ヶ谷飲み屋さん祭り」という、お祭りの参加店舗であれば何軒まわっても1杯無料というチケット制の街歩きイベントが行われたりもしている。

確かに、街を眺めてフラリと歩いているだけで、お酒が飲みたくなってきてしまうのだ。

どちらかというと男性に評判の高円寺に対し、ほどよい静けさのためなのか女性に好評の阿佐ヶ谷なのだが、はしご酒したくなる度の高さでは、むしろ阿佐ヶ谷に軍配が上がるかもしれない。

 

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そんなわけで、今夜も1軒。

今回は、スターロードの横丁で赤ちょうちんに引かれ、「和田屋」を訪れた。

もしかしたら、阿佐ヶ谷に来たことのない人も、この名前は耳にしたことがあるかもしれない。

麻布十番にあった、大正9年に創業したと言われる「和田屋」から発祥したお店が、都内にいくつかあり、このお店もそのひとつなのだ。

 

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夕暮れ時、なわのれんをくぐって、ガラガラと戸を開ける。

 

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開店したばかりの17時すぎ、渋めのつまみや日本酒の文字が踊る。

メニューは、ひとつずつ丁寧に手書きされている。

 

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頭上を見上げると、柔らかな灯りの数々が。

 

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この、人柄が透けて見えるような実直な文字と赤丸による強調に思わず引き付けられる。

 

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カウンターには、大皿に入った料理がズラリ。

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain最近、こういうお店は珍しくなったよね。

 

と、店主の高橋敏則さん。

さっそくビールを注文しつつ、このお店の歴史をお聞きしてみた。

 

ご夫婦と息子さんによる家族経営

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▲ビール中(580円)

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain昭和40年に麻布十番の「和田屋」本家にいて、昭和42年に新しく社長の奥さんの名前で「名物焼鳥なか」っていうお店が開店したから、今度は12年間そこにいて、昭和54年の9月に独立して、こっちに来たんです。

 

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「和田屋」本体から独立したお店と、「名物焼鳥なか」から独立したお店がそれぞれあり、いわゆるのれん会のようなグループを形成しているというわけだ。

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain同じグループだから、たまに手伝いに来てよってお願いすることもありましたよ。

 

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▲外で十数年の修行を経て戻ってきた息子さん。今では2人で厨房に立つ

 

f:id:Meshi2_IB:20171230192248p:plainそのお店は、ミッドタウンより交差点寄りの路地に入ったところですね。ペットショップがあるあたりなんです。

 

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阿佐ヶ谷「和田屋」は、ご夫婦と息子さんによる家族経営だ。

街全体で見ると若手の経営者の飲み屋さんが多いように見えるが、こうした家族経営の素敵なお店もいくつかある。

 

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ところで、入店時に表のメニューで気になった文字が……

 

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く・さ・や!

くさやはにおいがすごい、でもうまい、という断片的な情報しか知らず、今まで一度も口にしたこともなければ、見たこともなかった。

下手すると想像上の食べ物なのかな? と思うほどになじみがない。

ちょうど開店直後のお客さんが少ない時間なので、今がチャンスかもしれない。

しかも、500円といううれしい価格!

ここはひとつ頼んでみよう。

 

「くさや」初体験

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f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain最近、くさややってるとこ見ないね。このあたりじゃうちくらいしかないんじゃないかな。昔は、酒飲みならくさやとほやだけは一回経験しとけって言ったもんですよ。

 

おかみさん:においがすごいのよね。うふふ。

 

くさやの話をしているとは思えない、ほほえましいムードだ。

そんな会話をしながら、ご主人がくさやをロースターに仕込んでくれた。

 

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▲味噌で上品に仕上げた牛煮こみ(500円)。それぞれの具材の食感が際立っている

 

くさやを待つ間、看板メニューの煮込みをいただくことに。

店内には、田中眞紀子さんや加山雄三さんなどさまざまな著名人の写真が、家族写真のように飾られている。 

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plainこのなかで一番人気あるのは、阿佐ヶ谷姉妹。若い人は眞紀子さんのこと、この人誰ですかって聞くもんね。そんな時代ですよ。

 

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時代を感じるが、きれいに手入れされていて、なんとも居心地のよい店内だ。

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plainここはもともと宝石屋さんだったんですよ。それを増築して使ってる。手入れいいでしょ? 椅子替えたくらいで、あとはほとんど替えてないからね。

 

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── のれん分けのお店って、やっぱりおやじの味を守っていくものなんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain何年かすれば、もう自分の味になっちゃうよね。本家からほとんど味変わってないのは、煮込みくらいだろうねえ。

 

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f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain仲間のお店もたまに冠婚葬祭で臨時休業するときに寄ったりするけど、同じ煮物作っても、個人差あるからね。煮込みやってるのは、「和田屋」のなかでも少ないかもしれない。

 

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▲くさや(500円)

 

そんな話をしていると、プン、と強いにおいが突然鼻を突いた

聞かなくても、あ、これがくさやなんだ! と一瞬でわかった。

 

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アンモニア系のにおいなのだが、魚由来なのがはっきりわかるにおいで、意外となじみのあるくささという感じがする。

おそらく、パクチーみたいに人を選ぶ独特のにおいではなく、誰もがなにかしらでなじんでいるにおいを凝縮したという感じ。

意外にも、まったく違和感がなかった!

 

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見た目はもうちょっとドロッと溶けかかったような感じを想像していたのだが、意外にもエッジが立った感じで、しっかりかみ応えのある干物、という印象だ。

鮭とばみたいに、しみじみかんで、ゆっくり楽しんだ。

 

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▲ご主人が新潟ご出身ということで、カウンターに並ぶ日本酒は新潟のものが多い

 

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▲八海山(600円)とともに

 

どれだけ臭いのだろう……とおののいていたのだが、口に入れると、においよりもむしろうま味のほうが際立つ。

アジの干物を10倍に濃縮した、というようなイメージが近いかもしれない。

とかく異次元のモノ扱いをされがちだが、こうして食べてみると、むしろ「絶対ムリ!」という人のほうが少数派なんじゃないかと思えてくる。

 

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▲おかみさん、常連さんが飲んでは置いてゆくという一句を手に

 

おかみさんくさや、けっこう出ますよ。頼むのはご年配の方が多いですね。「他じゃあんまり食べられないのよ」って。うちのくさやは新島のなんだけど、火山が爆発したとき、新島の人たちはくさやのたれだけは混ぜに行ったんだって。

 

── 秘伝のタレみたいに守ってるんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain女房よりくさやが大事だって言うよ(笑)。

 

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ところで、「和田屋」が開店した頃、阿佐ヶ谷の街はどんな様子だったのだろう。

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain今みたいに居酒屋さんはたくさんはなかったね。随分増えたよ。

 

── 個人商店が減っていく街って多いですけど、阿佐ヶ谷の飲み屋さんは増えたんですね!

 

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f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain特に一番街のほうは、昭和40年頃、日本でも有名な飲み屋街だったの。今みたいに24時間営業のお店ってなかったから、ほかのお店が閉まると、阿佐ヶ谷にタクシーで来たりしたみたいよ。お相撲さんも来てたって。


── 終電じゃ飲み足りない人が、押し寄せてきてたんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plainでも、昔はぼったくりや怖い人がいる危ない通りって言われて、だんだん寂れていった時代があったの。もう50年近く前の話だから、今はもうすっかり落ち着いてるけどね。死んだ六本木の社長が言ってた。一番街、昔はすごかったぞ、俺たちもよく行ったよって。でも、店出すのは難しいぞって言われて、今の場所にお店を出したんです。

 

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▲2階席があり、大人数の宴会もできる

 

── そういう経緯があったんですね。ところで、阿佐ヶ谷はよくお芝居関係者が飲んでるって聞くんですけど、今もそうなんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain本当ですよ。奥に芝居小屋があるんだよね。うちは映画や劇団関係のお客さんが多いですね。よく打ち上げで30人の予約が入ったりとか。昨日もそうだったし、毎週来てくれてますよ。

 

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お店のさらなる魅力を知るべく、隣のお客さんにも、話しかけてみた。

 

── お疲れさまです〜(乾杯)。いつもこのくらいの時間にいらっしゃるんですか?

常連さん:そうです、早番担当。

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と言いながら、常連さんがマイすだちを取り出した!

 

常連さん:実家徳島なんで、すだちの果汁持ち込んでるの。置いていくとママに怒られるからね。すだちとか、あまり興味ないですか?

 

なんとも自由だ……!

ありがたくも、ボトルキープの焼酎をごちそういただいてしまった。

 

常連さん:僕は通い始めて13年になるかな。居酒屋ジプシーだったときがあるんですよ。いろんなお店をまわってたんだけど、入ってすぐの席に座ってたら「空いたから、こっち来なよ」って大将が言ってくれて。

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain継続は力なりだね。

 

常連さんと話すご主人の表情は、ますます柔らかだ。

 

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f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain気が楽だよね。「なに頼もうか」って考えなくてもいいようなお店があると。

 

常連さん:ほんと。ただいまーって感じだもんね。

 

常連さん:あんまり居心地よくて、つい飲みすぎちゃうんだよね。

 

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「若い時と違って飲めなくなっちゃった」と言いつつ週2で通うという常連さんも加わり、吉田類さんの『酒場放浪記』の話や、東北の実家でご飯を食べていたらアオダイショウが落ちてきた話、多摩川の水がキレイになった話などで盛り上がった。

 

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ちょっと席を外している間に、「横綱」のお客さんも合流してカンパイ!

 

常連さん:あれ、帰っちゃうの?

 

── 今度、母を連れて参ります〜!

 

f:id:Meshi2_IB:20171230185926p:plain酔っぱらってカメラ忘れないようにね!

 

もし中央線で1人暮らしを始めて、このお店があったら、泣いてしまうよ……。

この春上京を考えている方がいたら、「『和田屋』があるから」という1点を頼りに阿佐ヶ谷に引っ越してきても、間違いないはずだ。

 

こういうお店が近所にある生活って、どんな感じなんだろう。

この街に住む人を、ちょっとうらやましく思う夜なのだった。

 

お店情報

和田屋
住所:東京都杉並区阿佐谷北2-12-22
電話番号:03-3336-2580
営業時間:17:00~翌1:00(LO 24:30)
定休日:日曜日・祝日

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中央線の名店シリーズ 過去記事はこちら

第1回:「第二力酒造」(中野)

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第2回:「一徳」(高円寺)

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書いた人:増山かおり

増山かおり

1984年、青森県七戸町生まれ。東京都江東区で育ち、百貨店勤務を経てフリーライターに。『散歩の達人』(交通新聞社)にて『町中華探検隊がゆく!』連載中。『LDK』(晋遊舎)『ヴィレッジヴァンガードマガジン』などで執筆。著書に『JR中央線あるある』(TOブックス)、『高円寺エトアール物語~天狗ガールズ』(HOT WIRE GROOP)。

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この春、たれと辛子から卒業しませんか?エダジュンの「ナンプラー納豆ごはん」【今週は納豆】

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こんにちは、料理研究家のエダジュンです。

今週は納豆WEEK、いつもの「納豆のたれ×辛子」ではなく、相性ぴったりの「ナンプラー×ごま油」で味付けをするオススメの食べ方3選を紹介します。どれも簡単でサクッと作れますよ!

アジア料理でよく使われるナンプラーは、魚を発酵させて作った魚醤(ぎょしょう)。見た目はおしょうゆに似ていますが、魚を発酵させる工程で多くのアミノ酸が含まれ、コクとうま味をしっかり感じることができます。パスタや炒め物などの隠し味にも使えて、1本家にあると料理のバリエーションがぐんと広がります!

 

その1:エダジュンの「アジアン納豆ごはん」

【材料】(1人分)

  • ごはん お茶碗1杯(180g)
  • 納豆 1パック
  • パクチー(葉) 3g

(A)

  • ごま油、ナンプラー 各小さじ1/2

 

作り方

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1. ざく切りにしたパクチーと納豆、(A)を混ぜ合わせて、

 

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ごはんにのせる。このシンプルさがおいしい! 香りも最高。

 

その2:エダジュンの「ナンプラーたくわんの納豆冷奴」

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【材料】(1人分)

  • 絹豆腐 1/4丁(約150g)
  • 納豆 1パック
  • たくわん(みじん切り) 15g
  • かつお節 1/2袋(1g)

(A)

  • ごま油、ナンプラー 各小さじ1/2

 

作り方

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1. 納豆、たくわん、(A)を混ぜ合わせ、

 

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絹豆腐にのせて、かつお節をふりかける。くずしながら白ごはんにのせるのもあり!

 

その3:エダジュンの「ナンプラークリチの海苔巻き」

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【材料】(1人分)

  • 焼き海苔(おにぎり用) 2枚
  • 納豆 1パック
  • クリームチーズ 1個(18g)
  • 黒こしょう 適量

(A)

  • ごま油、ナンプラー 各小さじ1/2

 

作り方

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1. クリームチーズは食べやすい角切りにする。納豆、クリームチーズ、黒こしょう、(A)を混ぜ合わせ、

 

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半分に切った海苔にのせて食べる。海苔にのせて食べるとおつまみ感がアップするのがポイント。もちろん、これも白ごはんとの相性もよし!

 

ナンプラーとごま油で、いつもの納豆がちょっと変わる!

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以上、納豆のない生活なんて考えられない僕の、おすすめの納豆の食べ方3選でした。とはいえ、写真のように「アジアン納豆ごはん」にしらすと海苔をプラスするなど、具材の組み合わせはお好みで! ただし、ナンプラーは塩分が強いので入れすぎには注意してくださいね。

ナンプラーのこんな使い方もおすすめです!

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作った人:管理栄養士 エダジュン

管理栄養士 エダジュン

パクチー料理研究家・管理栄養士。株式会社スマイルズに入社。SoupStockTokyoの本社業務に携わり、2013年に独立。家で作れるエスニック料理とパクチーを使ったレシピを研究中。「料理にやっちゃいけないことはない」がモットー。パクチーレシピの数々を録した『パクチー!パクチー!パクチー!』(NHK出版)、和・洋・中・韓・エスニック・ポタージュと150品のスープレシピをまとめた『これ1品で献立いらず!野菜たっぷり具だくさんの主役スープ150 』(誠文堂新光社)が好評発売中。

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【裏ワザ】卵白と納豆を混ぜて「雲のようにふわふわなTKG」に!【今週は納豆】

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こんにちは~筋肉料理人です!

皆さん、「メレンゲ卵かけご飯」をご存じでしょうか? 卵白を泡立ててメレンゲにして、それを卵かけご飯にするとふわふわでおいしいってことで話題になりました。でも、電動の泡立器がないと作るのがなかなか大変……。ところが、卵白と納豆を合わせて混ぜると簡単にメレンゲになるんです! 卵白の臭みが消えて、おいしい卵かけご飯になりますよ~。

 

筋肉料理人の「メレンゲ納豆卵かけご飯」

【材料】1人分

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  • 温かいご飯 1膳
  • 納豆 1パック
  • 卵 1個
  • 刻みねぎ、しょう油 適宜

 

作り方

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1. 卵を卵白と卵黄に分けます。卵白と納豆、納豆付属のタレをボウルに入れ、

 

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ホイッパー(泡立て器)で混ぜて泡立てましょう。

※ホイッパーがない場合は箸を何本かまとめて混ぜましょう。

 

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納豆のネバネバの働きで簡単にメレンゲになります。

 

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2. ご飯を大きめの器に入れます。1のメレンゲ納豆をかけ、

 

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中央に卵黄を落とします。刻みねぎをちらし、お好みでしょう油をかけてできあがりです。

 

ここまで来ると、TKGも立派なごちそうです!

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卵黄をつぶし、ふわふわのメレンゲ納豆と一緒にいただきます。箸じゃ食べにくいのでスプーンで食べるのがおすすめ。

 

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メレンゲ納豆の口当たりがよく、とっても上質な卵かけご飯を食べている感じ。不思議なことに卵白の臭みが消え、納豆の匂いも柔らかくなって食べやすいです。

 

ついでに、これを少し豪華にアレンジして、「メンタイ・キムチ・チーズのメレンゲ納豆卵かけご飯」も作ってみます。

 

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基本の「メレンゲ納豆卵かけご飯」に、ほぐした辛子明太子(大さじ1)、白菜キムチ(20g)、サイコロに切ったベビーチーズ(1個分)をトッピング。ふわっとした食感のメレンゲ納豆に辛子明太子、白菜キムチが刺激を加えてくれます。メレンゲ納豆と一緒に食べることで刺激が適度にマイルドになっておいしいですね。ここまで来ると卵かけご飯も立派なごちそうです。

 

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それから、私的には「海苔の佃煮」をかけたものも素朴で良かったです。これもお試しください。おいしですよ!

 

作った人:筋肉料理人 藤吉和男

筋肉料理人 藤吉和男

料理と筋トレをこよなく愛する料理ブロガー。料理研究家としてレシピ本執筆や料理教室、テレビ出演、ボランティア活動を行う。自信のブログやYouTubeでは、簡単で美味しい魚料理や簡単レシピを専門的ながらわかりやすく紹介。レシピブログプラチナブロガー認定。

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みなさん、僕のことどれくらい知ってますか? ── つまようじより

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こんにちは! つまようじです。コンビニの箸袋に入っていて、大抵の飲食店のテーブルの上に置いてあって、食べ物が歯に挟まった時にシーハーする、あのつまようじでございます。

 

みなさん、食事を楽しんだ後は当たり前のように僕を使っているけど、僕の存在についてじっくり考えたことはないんじゃないでしょうか。僕を手に取り、じっと見つめて、「こいつ、一体なんなんだ……?」と少しでも思ったことがある人はいるでしょうか。

 

たとえば、僕の後ろに溝がついて細くなっている部分がありますが、あれがなんのための加工なのかご存じでしょうか? もし、「ここをパキッと折ると“つまようじ置き”になるんだよ」と得意げに話している人がいたら勇気を出して言ってください!

「それは間違いです」と。

 

さらにこれは、多くの人に衝撃を与えてしまうことだと思うのですが、いわゆる一般的な軸の丸いつまようじは、食べ物を刺して食べるための道具であって、歯の隙間を掃除するためのものではないのです。

驚かせてすみません……。これからじっくりそこら辺について解説していきますのでお付き合いください。この記事を読めば、きっと僕について詳しくなれるはずですヨ!

 

……と、冒頭からいきなりつまようじの独白が始まってしまったが、実際のところ、普段から何気なく使っているつまようじについて、自分は何も知らないということに気づいたのだ。そんな時に、大阪府河内長野市が“日本一のつまようじの産地”であると聞いた。なぜ大阪が日本一なんだろうか……。たこ焼きを食べるのにたくさん使うから……? わからないことだらけである。

河内長野市には創業から100周年以上の歴史を持つつまようじメーカーの「広栄社」という会社があり、敷地内に「つまようじ資料室」を併設して、その歴史のPRに努めているという。

今回は、広栄社の取締役会長である稲葉修さんにお話を聞きながら、つまようじの歴史についてたっぷり学んできた模様をレポートしたいと思う。意外な雑学が次々登場します!

 

圧巻のつまようじアートが

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河内長野市上原町にある「広栄社」にたどり着くと「つまようじ資料室」の看板が。

 

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出迎えてくれたこちらの男性が稲葉修さんである。

 

さっそく「つまようじ資料室」を案内してもらいながらお話を聞くことに。資料室へと向かう途中、最初に目に入ってきたのがこちらの絵だ。

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葛飾北斎による「富嶽三十六景」の中の「凱風快晴」という作品で、“赤富士”とも呼ばれる有名な浮世絵である。

 

しかし、こちらの絵、近づいてよく見ると……

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全部つまようじでできているのだ!

 

これは大阪市の「開明高校」の生徒が2008年に制作した「つまようじ絵」で、使われたつまようじは約20万本! つまようじを一本ずつ彩色し、地道に差し込んで作り上げた労作とのこと。かなりの大きさなので、学校で保管しておくことが難しく、「広栄社」で引き取って資料室を訪ねる人に見せているのだという。

他に、広島の「鈴峯中学校」の生徒によるつまようじ絵など何点かが展示されていた。

 

つまようじはこうして作られる

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次に案内されたのが、つまようじを製造するための機械が置かれた一角だった。

 

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ここでつまようじの製造過程を説明してもらう。現在製造されているつまようじの原料は「白樺」の木である。

 

つまようじの製造工程は以下の通りだ。

①まず、皮を取り除く

②白樺の木を切る

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③30cmほどの短い丸太状に切る

④加工しやすくするために4時間煮る

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⑤大根を桂むきするようにむいていき、2.5ミリの厚さの板にする

⑥乾燥させる

⑦1枚の板を複数の短冊状に切る

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⑧串状に切り出す(この串を「丸軸」という)

⑨つまようじの長さに切る

⑩先を削ってとがらせる

と、大まかにいうとこのような工程を経てつまようじが作られる。

 

ちなみにここにある機械が使用されていたのは昭和30年代までのことで、その頃は北海道で切り出された白樺の木を大阪にある「広栄社」まで運んできて、それ以降の加工をこの敷地内で行っていた。

 

その後、競合他社がコストを抑えるために生産拠点を徐々に中国などに移していく中で、こちらの「広栄社」は国内生産にこだわり続けた。それでも現在は白樺の木の切り出しから「丸軸」にするまでの加工を北海道にある業者の方で一貫して行っているという。

 

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このスペースに置かれている機械が作られたのは大正時代だそうで、とんでもない年季を感じる。

 

壮大なつまようじヒストリー

さて、ここからさらにさかのぼって、機械によってつまようじが大量生産されるようになるさらに前の時代について見ていこう。河内長野がなぜ“日本一のつまようじの産地”になったのか、その理由も明らかになる。

 

まず、つまようじに二つの役割があることを押さえておきたい。

  • たこ焼きを食べる時に使うように、食べ物を刺すための“食事用具”としての役割
  • 歯と歯の間に挟まった食べカスを取り除く“デンタルケア用品”としての役割

以上、二つの役割があることは誰でも理解できるはずだ。

 

英語ではこの二つは明確に分けられており、“食事用具”としてのつまようじは“cocktailpick”、“デンタルケア用品”としてのつまようじは“toothpick”と呼ばれている。

 

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こちらはアメリカ産の“toothpick”で、平たい形が特徴的。

 

稲葉さんによれば、この二つが混同されていることが大きな問題なのだという。

驚くべきことに、私たちが普段使っている軸の丸い「丸ようじ」はあくまで“食事用具”(cocktailpick)であって、本来は“デンタルケア用品”(toothpick)ではないというのだ。てっきり逆だと思っていた人も多いと思う。実際、「つまようじは歯をシーシーするためのもの」という認識の方が一般的のような気もする。

そうなってしまった理由は後述するとして、まずは“デンタルケア用品”としてのつまようじの歴史を見ていこう。

 

つまようじが最初に使われたのは、およそ10万年前のことだと言われている。ネアンデルタール人の歯の化石に歯を掃除した跡だと思われる溝が残っており、そのことから、木の枝など、なんらかのつまようじに似たものを使っていたと考えることができるのだという。

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▲アメリカの新聞でもそのことが報じられた

 

それから長い時が経ち、歯ブラシの原型を生み出したのが、仏教の祖である釈迦だったと言われている。釈迦は菩提樹の小枝の先をかんで房状にした「歯木(しぼく)」とよばれるもので歯の手入れをしたそう(その後、「歯木」の材料にはニームという木が使われるようになっていった)。

 

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「歯木」のことをサンスクリット語で「ダンタカーシュカ」といい、「ダンタ」が歯を意味するのだが、これが英語の「デンタル」の語源なんだという。歯のお手入れの源流がインドにある証は言語にも残っているのだ。

 

釈迦は口の中を清潔に保つことの重要性を弟子たちに説き、そこからインド中に「歯木」を使う文化が広まった。5世紀になって仏教を学びにきた中国の僧・法顕がその「歯木」を見て驚愕(きょうがく)。「ぜひ自分の国にもこの文化を持ち帰りたい」と考えた。しかし中国にはニームの木がなかったため、代わりにヤナギの木を使うことにした。ヤナギは「楊」とも書く。そこから生まれたのが「楊枝」という言葉なのである。つまり、「楊枝」とはもともと先のとがったつまようじのことではなく、歯を手入れするための木片、というイメージに近い言葉だったのだ。

 

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ちなみに、東南アジアをはじめ、世界のさまざまな国で今でも「歯木」が使われており、市場などで売られている。

 

中国でヤナギの木を使った歯の手入れが広まり、遣唐使・遣隋使がその文化を持ち帰ることによってようやく日本へも「楊枝」が伝来する。当初は貴族の間で使われるのが主だったが、平安末期ごろになって庶民の間へも広まった。

 

歯ブラシの原型、「房楊枝(ふさようじ)」

江戸時代になると、木の棒の先をたたき潰して房状(これが歯ブラシの原型)にし、反対側の先をとがらせた「房楊枝(ふさようじ)」というものが作られ、さかんに売られるようになった。

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どがった先端は歯の間を掃除するためのもので、これが“デンタルケア用品”としてのつまようじの原型だ。

 

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東京浅草浅草寺や大阪・道頓堀などに「房楊枝」を売るお店が出て、好評を博していたそうだ。当時の町人文化を描いた絵にもそんな模様が多数描かれている。

 

この「房楊枝」、カーブしている側面部分で舌の表面を掃除するのにも使えるようになっていたというからすごい。そんなオールマイティな“デンタルケア用品”が江戸時代からすでに普及していたのである。

 

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「房楊枝」はその後、明治時代になってアメリカから歯ブラシが輸入されてくるまで利用されていたという。

 

「房楊枝」にさまざまなバリエーションが生まれ、小型のものが作られていく延長で、歯間の掃除のみに特化したつまようじが作られるようになっていった。

 

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日本ではヤナギの木のほかに「クロモジ(黒文字)」や「ウツギ(卯木)」という木を使ってつまようじを作っていたのだが、大阪・河内長野はこの「クロモジ」の木が古くからたくさん自生している場所だった。

 

ここで、ようやく今回お話をうかがっている「広栄社」が創業する100年前(1917年)の話にたどり着くのだが、創業当時の拠点は三重県にあり、当時主流であった「ウツギ」の丸いようじを機械で製造し河内長野へ販売し、手作りの「クロモジ」を仕入れていた。

 

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その頃の河内長野のつまようじ作りは、手作業で一本ずつ作っていくしかなく、大量生産はできなかった。

 

「広栄社」の初代社長である稲葉由太郎氏は、日本に先んじてつまようじの大量生産を始めていたアメリカから製造のための機械を購入することを決意する。そして時をほぼ同じくして、原料となる木が手に入りやすい河内長野の地に会社ごと移転し、ここでつまようじ生産を一貫して行うことを決めたのだった。こうして日本初のつまようじの大量生産がスタートしたのが、1926年、大正15年のこと。

 

河内長野に拠点を移してみると、原材料が手に入りやすいだけでなく、大阪京都・神戸をはじめ関西圏の一大消費地に近いことが供給上の利点ともなり、生産量は順調に拡大。「広栄社」の他にもつまようじメーカーができはじめ、こうして河内長野は“日本一のつまようじの産地”へと発展していったというわけ。

 

昭和中期には20社以上のメーカーがひしめき、国内のつまようじの約96%、世界のつまようじの50%がこの地で作られていたというから驚く。前述の通り、その後多くメーカーの工場が海外に移され、現在は日本で使われているつまようじの多くが中国製のものになっている。

 

あのギザギザ部分の謎

さて、つまようじに“食事用具”(cocktailpick)と“デンタルケア用品”(toothpick)の区別があるということはすで書いた通りなのだが、日本ではいつからこの二つが混同されてしまうようになったのだろうか。

 

稲葉さんによると、日本ではつまようじはあくまでデンタルケア用という認識があり、料理に使うという概念はそもそもなく、海外から料理用のつまようじを突き刺して提供するパーティースタイルのオードブル料理などが入ってきて以降に根付いたものだという。

 

海外では、料理用具としてのつまようじは食材や料理を刺すために折れにくい強度のある作りになっていて、一方のデンタルケア用のつまようじは歯や歯茎を傷めないようにあえて折れやすく作られているという。

 

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しかし日本では折れやすいつまようじは品質のよくない粗悪なものと見なされ、丈夫なものが良しとされる傾向があった。そのため、現在一般的に使われているような丈夫で折れにくいものが普及していったんだそう。

 

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ところで、つまようじのとがっていない側のギザギザした部分(写真、赤丸の部分)。ここが実は「こけし」を模したものであることはご存じだろうか。

 

こうなったのには、製造工程上の理由が関わっている。まずはつまようじが2本つながっているところを想像して見て欲しい。下の写真のようなイメージである。

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製造工程では、丸い軸をつまようじ2本分の長さに整え、両端を削ってとがらせ、真ん中で切る。つまり、1本の軸から2本のつまようじができるわけだ。

 

昭和30年代ごろまでは真ん中を大きなノコギリの歯で切断していた。だが、そうするとどうしても末端がささくれ立ってしまう。そこで、ノコギリで切断するのではなく、グラインダーと呼ばれるヤスリのような機械で削り切ることにした。末端を滑らかにするためだ。

 

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しかし、この仕上げ方法には一つ弊害があった。末端部分が摩擦によって黒くなってしまうのである(写真、赤丸の部分)。

 

今でこそ我々にとってはこの部分が少し濃い色になっているのが当たり前だが、当初はユーザーに「汚れが付着している!」と悪印象を持たれてしまった。

なんとかできないかと試行錯誤した結果、その黒ずみを逆に活かして“頭部”に見立て、何本かの溝を入れて「こけし」のように加工するというアイデアが生まれた。

 

溝を入れたからといってすぐに「こけしだ、かわいい!」「親しみがわく」などと受け入れられたわけではなかったが、徐々に溝の入ったものが一般的なものとして浸透していた。今ではつまようじといえば、誰しもがこの形をイメージするはず。

 

このギザギザ部分の謎については、過去にもネット上でいろんな説が飛び交っていたようだが、結局は「広栄社」による説明で決着している。

jyajyayome.hatenablog.com

 

日本では●、海外では▲

「広栄社」では昔から海外向けにつまようじを輸出しているのだが、北欧の企業からのリクエストに応えて1950年頃から製造しているのは先端が三角形にカットされた三角ようじだ。

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実は、海外の“デンタルケア用品”としてのつまようじは先が三角形になっているものがほとんどなのだという。

 

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歯と歯の間の隙間部分は三角形になっている。そこに丸い軸のつまようじを無理に差し込もうとすると、どうしても歯の根元に大きな負荷をかけることになる。

 

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一方、先が三角形になっている楊枝であればスッと歯の隙間に入っていくため、歯茎を傷つけたりする心配もない。

 

イラストであらわすとこのような感じである。

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さらに三角ようじの底面があたることで歯茎をマッサージしてくれるのだという。三角ようじは、前述の通り歯や歯茎を傷つけないためのにあえて折れやすく作られている。安全性も高いのである。なんだか良いことづくめだ。

 

稲葉さんはこれまで諸外国をめぐり、世界のつまようじ事情をつぶさに見てまわったそうなのだが、清潔好きな傾向のある日本において、なぜかつまようじに対する認識はなかなか改善される気配がない。

 

ケア用品にこそ最大のケアを

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現在、海外で使われている歯間ケア用のつまようじの多くは、使用したい時に1本分をパキッと折って切り離せるようになっている。

 

日本製のつまようじも昔から海外に向けて輸出されているが、歯間ケア用のものはもちろん三角ようじだ。

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イタリアではパッケージに日本のイメージをあしらったものが好評で、商品名も「kimono」、「SAMURAI」、「sayonara」「geisha」などコテコテである。

 

稲葉さんのお話を聞いていて「海外で三角ようじがそれだけ主流なんだから、日本国内向けにももっと作ればいいのに」と素朴にも思ってしまったのだが、これまで何度も日本でも普及させられないかと試みてきたものの、どうしても普及しないのだそうである。それほどまでに丸ようじが圧倒的なシェアを誇っているわけだ。三角ようじに比べて丸ようじの方が格段に作りやすく、安価に製造できるのも大きな理由だという。

 

三角ようじを使って一度でも歯の間を掃除してみれば、丸ようじとは違う使い心地の良さが伝わるはず。そのために手に取ってもらうためにどうすればいいか考えた結果、「広栄社」は、スーパーマーケットではなく、薬局やドラッグストアを販路の中心に据えていくことになる。その過程で“デンタルケア用品”の開発にも力を注ぐようになっていった。

 

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歯科医のリクエストを受けて作り出した歯間ブラシや、歯茎マッサージ用のブラシ、舌の表面を磨くためのブラシ、奥歯を掃除しやすい奥歯用歯ブラシなど、さまざまなグッズを開発し、「CLEARDENT」というブランドシリーズとして販売している。

 

日本で初めてつまようじの大量生産を行ったメーカーは、こうして今や“デンタルケア用品”の専門メーカーとしての側面を持ったのだった。なんだか、人間と歯のかかわりの進化の歴史を見ているようだ。

 

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「広栄社」では、飲食店の店名が入った三角ようじの製造も請け負っていて、老舗料理店や高級ホテルからもオーダーを受けているという。個人的には、最近なかなか姿を見かけなくなったマッチ替わりに、飲食店で配ったらかなり喜ばれるんじゃないかと思うのだがいかがだろうか。

 

最後に、稲葉さんにメシ通読者に向けてメッセージをいただいた。

 

おいしいものをおいしく食べたいと誰もが思います。おいしく食べるための道具が“歯”です。それを大切にしないとおいしい物が食べられなくなってしまいます。生涯を通じて自分の歯で食べられるということが最大の幸せではないでしょうか。おいしいものを食べて質の良い人生を送るためにも日頃の歯のケアを大切にしてください。できればいつも三角ようじを持ち歩き、食後すぐに上の二辺で歯の歯垢を取り、底辺で歯茎をマッサージしておく 。日頃のケア意識こそが大切だと思います。(広栄社・稲葉さん)

 

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そう語る稲葉さん、改めてお顔を拝見すると立派な白い歯をしていらっしゃる!

 

おいしい食事は健康な歯あってこそ。

つまようじを使う際には歯や歯茎を傷めないようにくれぐれもご注意を!

 

取材協力:「株式会社 広栄社」

※「つまようじ資料室」は祝祭日や年末年始をのぞく毎週土曜日に開室(要予約なので詳細はホームページで確認を)

 

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