メジャーデビューまでしたロックミュージシャンが愛媛でカレー屋さんを立ち上げるまでの話

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世は空前のバンドブームだった

1990年代初頭。平成の幕開けと共に、世は空前のバンドブーム。

深夜のテレビ番組ではメジャーデビューを夢見るミュージシャンが毎週のようにステージに立ち、多くの若者が熱狂した。

 

そんななか、アマチュアバンドの登竜門「フレッシュサウンズコンテスト」で3000組を超えるミュージシャンの頂点に立ったバンドがある。

THE COKES(ザ・コークス)だ。

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(写真提供:藤田晴彦さん)

 

ヴォーカリストでリーダーでもある藤田晴彦さんは、愛媛今治市の出身。

大学時代に松山でライブ活動を開始した藤田さんの曲は、メッセージ性の高さが若者にうけ、瞬く間にファンを獲得。当時、地元でのコンサートでも1000人を動員するという記録を打ち立てた。

 

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(写真提供:藤田晴彦さん)

 

しかし、藤田さんは1991年にメジャーデビューを果たしたものの、3年後の1994年にレコード会社から契約解除を言い渡される。その後、さまざまな仕事を経験しながら、現在は愛媛でラジオのパーソナリティー、コラムニスト、フリーライターとして活動中。そして、カレー屋さんを経営しているという。

 

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「夢を職業にすること」には一度はつまづいたものの、さらに「好きなことを仕事にする」を目指し、また実現しつつある藤田さんにお話をうかがった。

 

ホールの床が抜けそうになって、クレームがきた

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──藤田さんといえばTHE COKES。当時はすごかったでそうすね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:学生の軽いノリで始めて、たまたま人気が出て全国大会で優勝してしまったもんだから、調子にのってずっとやっていただけですよ(笑)。
テレビ局に呼ばれたときも番組が愛媛で放送されてなかったので、右も左も分からずに東京に行って、焼肉ごちそうになって「やったー!」みたいな。

 

──修学旅行みたいですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:地元のライブも、当時は松山にライブハウスがなかったので、ラフォーレ原宿・松山っていうファッションビルがあって、そこのホールでやったんですが、300人のキャパがすぐに埋まってしまった。しかもみんなノリがいいもんだから下のフロアから「床がぬけそうだ」ってクレームが来ました。そこでもっと大きなイベントスペースを借りて開催したんですが、そこが1000人でした。

 

──アマチュアバンドで1000人の集客は驚異ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:イベントプロモーターの方も、僕らのライブとプロのミュージシャンのライブが重ならないようにずらして予定を組まれてました。小さい町ですから、そういうライブやコンサートに行く人ってだいたい限られています。だから必ずバッティングしないようにしていたんですね。

 

──そこまで話題になったのはなぜでしょう?

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:僕らのバンドのメッセージが、若者へ向けての応援歌、自分への応援歌だったから……ですかね。自分は高校生のときは丸坊主で剣道やっていたんですよ。抑圧された青春時代を送っていました。だから大学生になって、抑え付けられていたフタが外れたみたいに髪の毛を伸ばして、ドレッドヘアーにしてバンドやって(笑)。「もっとみんな弾けちゃって楽しんでいいんだよ!」というメッセージが共感を得て、高校生たちにうけたんだと思います。

 

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(写真提供:藤田晴彦さん) 

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:だから、音楽がカッコイイとかじゃなくて、ちょっと違った形のムーブメントだったと思います。「学校の校則を見直そう」といったテレビ番組のゲストで呼ばれたり、新聞や雑誌でも社会派の記事として取り上げられることが多かったです。社会派といってもかわいらしいもんですけどね。「先生、お腹が痛い」っていう歌を歌ったり(笑)。

 

──そして東京でメジャーデビューとなるわけですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:事務所は山下達郎さんのスマイルカンパニー、レコード会社はソニーレコードです。でも、松山がピークでしたね。もちろん地元に帰ってきたらお客さんは来ていただけるんですけど、全国ツアーとかやっても、松山ほど入りません。

 

──現実は甘くなかったと……。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:東京でのライブも渋谷エッグマン新宿ロフト三軒茶屋ヘブンズドア下北沢の屋根裏……いろいろまわりましたけど100人、200人が精一杯。しかも対バンがスピッツとか、デビュー前のブランキー・ジェット・シティとか、すごい人たちばかり。全国区の厳しさを思い知らされました。

 

ある日、突然のクビ

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 (写真提供:藤田晴彦さん)

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:ソニーレコードからアルバムを2枚出すんですが、結局は契約解除を言い渡されます。ようは「クビ」ってことです。その時は辛かったですね。

 

──いっけんすると華やかな音楽業界ですが、厳しいですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:え? ちょっと待って、明日からどうすんの? クビってことは給料ないんだ……って、目の前が真っ暗になりました。ずーっと毎日、音楽しながらメシを食っていくのが当たり前だと思っていたのに、突然はしごを外されたようでショックでした。またアマチュアバンドに戻るのか、と。

 

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──自分だったら、しばらく立ち直れそうにないです……。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:そこで、どうにか金を稼がないといけない、と思って働き始めたわけですが、これがやってみるとけっこう面白い。松山で学生時代にアルバイトはしてましたが、東京で音楽以外で働くのは初めてだったので、すごく参考になることが多かったんです。

 

──意外とポジティブ!

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:コンビニでバイトしたこともありました。そこでは強盗対策として、レジに一定の金額がたまると金庫へ移したり、仕入れがコンピュータ制御になっていて、天気によっておにぎりの個数や種類が違っているんですよ。そういうのが新鮮でしたし、接客の勉強にもなりました。

 

──コンビニ以外ではどんな仕事を?

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:バイク便をやっていたときがあるんですが、自分のバイクを持ち込むとギャラの半分がもらえる。会社のバイクを使うと手取りは減るけど、ガソリン代と整備費用は会社もち。最初はたいした仕事はないんですが、こいつはちゃんと仕事するってわかるとギャラのいい仕事を任せてもらえるようになります。

 

──信用も大事なんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:ある日、渋谷から静岡の清水市までの配達で2万円の仕事があったんです。天気のいい日に高速道をバイクで走って、午前中で終わってマグロ丼でも食べて帰るか!って(笑)。時間の自由もきくし、旅も好きだし、うまいものも食えるし、こりゃ天職かもしれないなって思いました。

 

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f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:「金はいくらかかっても良いからとにかく急いで届けてくれ」というオーダーもありましたね。バイクだろうが、タクシーだろうが、新幹線だろうが、飛行機だろうがかまわない。で、いろいろ調べていまなら新幹線が早い、とわかったら大急ぎでバイクで東京駅まで行って新幹線に飛び乗る。それがもうゲームみたいで面白いんですよ。

 

──音楽関係は?

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:そういうバイトをしながら、夜はクラブで歌ってました。外国人のお客さんが多くて、もうすっごい盛り上がりなんですよ。みんな踊って騒いで。週末なんか入りきらないくらい。それでギャラもいただける。「こっちのほうが楽しいな」みたいな(笑)。だからそれほど苦労したとは思ってないです。

 

──クビになったはずが、充実した生活に。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:どの仕事でも、プロフェッショナルがいました。一流の人がいて、一流の仕事ができて、厳しいんだけど、優しくて凛(りん)としていて。そういった人と接することは自分にとってすごくプラスになりましたね。

 

「もしここで路頭に迷ったら、どうする?」

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:そのころ妻と出会って結婚が決まったときに、いつまでもバイトで食いつないでいくわけにはいかないと思って、次に何をやろうかと考えました。
みんなに感謝される仕事ってなんだろうと考えた時に、「あ! お花屋さんだ」と。花を持って行って怒られることってないじゃないですか。毎日、花に囲まれて過ごすのも素敵だし。

 

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f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:でも、たんなる花屋さんじゃつまらない。だったら、すごい安い花屋さんをやろう。で、安くするためにはデリバリーしかない。店舗がなければそのぶん安くできる。歌舞伎町とか新宿二丁目とか毎日、需要がありそうなところをターゲットにすれば商売ができるんじゃないか。ということで始めたんですよ。

 

──いかにももうかりそうです。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:ところが、待てど暮らせど注文が来ない。これは後からわかるんですが、じつは当時の歌舞伎町あたりはそのスジの人たちがお店に生花を飾る代わりに「お花代(編集部注:いわゆる「みかじめ料」)」を徴収していたんですね。こりゃヤバイぞと思ったものの、人も雇っているし、そうすぐに止めるわけにもいかない。

 

──いきなりピンチ!

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:そこで渋谷のモヤイ像の横で余った花をドーン! と売りました。ルイ・ヴィトンの偽物を売っている露天商の隣で。その隣には屋台でチヂミを売っているグループがいました(笑)。それもまた社会の裏側を見ることができて面白かったです。

 

──サバイバル能力が高すぎます(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:ただ、おまわりさんが来て、やめろと言われたらやめなきゃいけない。でも以前から渋谷で野外ライブをやっていたので、そういうのには慣れてました。

 

──路上ライブの経験がいかされましたね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:唐揚げ弁当の移動販売もやりましたね。妻とニューヨークに旅行したとき「もしここで路頭に迷ったらどうする?」という話になって、故郷、今治の名物「せんざんき」をジャパニーズフライドチキンとして売ればヒットするな、というアイデアが元になって唐揚げ弁当屋さんを始めました。当時は競合も少なかったので、行列ができて1時間で売り切れるくらい人気があったんですが、同じくおまわりさんに注意されては移動の繰り返しでした。

 

──アイデアを実行に移せる行動力がすごい。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:「これはいつまでもできないぞ」思っている時、たまたま地元のラジオの制作会社から連絡があって「しゃべれるし、音楽もわかるんだからラジオの仕事やってみないか?」とオファーがあって、それをきっかけに故郷に帰ることにしたんです。

 

──契約解除後も、仕事を楽しんでいる感じがします。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:ラジオでもこういった話をすると「大変だったね」とか「かわいそう」ってよく言われますが、大学を中退したときから自分の力で生きていこうと決めていたので、どんな状況でも食っていけるだろうと……なんとなくですけど考えてました。切羽詰まった感じはなかったですね。
学生時代にいろんなバイトを経験したことも、サバイバル能力が上がった要因だと思います。

 

──どんなアルバイトを?

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:焼き鳥、イタリアンレストラン、あらゆる飲食をやりました。肉体労働もよかったですね。体を鍛えられて、お金ももらえるし。ちょっと変わったところでは興信所のアルバイト。素行調査なのに目立つ格好で行って見つかってしまったり、浮気調査では、依頼されたお店を間違えてしまったりとズッコケだらけでしたけど(笑)。

 

──松山に戻ることは抵抗なかったですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:妻とふたりで終の住処を決めようということになって、海外も含めた日本全国で自分たちが一番住みたい場所の条件を書き出すことにしたんです。食べ物がおいしい、災害が少ない、家賃が安い、いつも花が咲いている、海がある、山がある、温泉がある…… って書き出したら「これ、松山やん」ってことになった(笑)。いままで気づかなかったけど、すごい素敵な場所に住んでいたねって。

 

──すぐ足元に理想の地があったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:松山の中でも候補がいくつかあったんですが、最終的に北条に決めました。うちのおばあちゃんが、戦災で松山を焼け出されて移り住んだのが北条だったんです。だから、僕の子どもの頃の原風景に北条の海があったのはたしかです。ただ、それを抜きしても一番住みたい場所を探したらここだったんです。

 

──カレー屋さんにしようと思ったきっかけは?

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:うちの両親が夜になったらライブハウスになるようなカレー屋さんをやっていたんですよ。だからカレーの道具とレシピがあったんですね。もちろん自分もカレーが好きで、東京では築地でカレー粉、スパイスなどを買ってきて、カレーパーティーなどもしてました。そのとき「これ、売り物になるんじゃないの?」という話になって「じゃあやってみるか!」と思ったのがきっかけですね。

 

空き店舗を自分たちで改装して

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──カレーの特徴は?

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:とにかく、身体にいいもの。人の身体に入るものなので、いくらおいしくても体に悪ければ意味がない。おいしくて身体にいいのが大前提です。ただ、材料をいいものを使うということは当然コストもかかるので、郊外型の家賃が安い場所じゃないとできない。
ここは、特に安く物件を借りることができたので、その分、材料費に回すことができて、おいしくて体にいいカレーを提供できています。

 

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──材料にはどんなのを使っているんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:卵は北条の産みたて卵、チーズは100%無添加のナチュラルチーズ、国産牛豚ミンチのハンバーグ、スパイスもたっぷり使用しています。ご飯はいまどき珍しい天日干しの有機米です。お日様の力でうま味が増します。卵かけご飯で食べたいくらい(笑)。
ルウは地元産タマネギをあめ色になるまで炒め、ローストビーフ用牛肉、フルーツなどとじっくり煮込んでます。

 

──スパイスは?

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:スパイスはニューヨークから空輸してます。マンハッタンのインド人街にある「ロイヤル」というすっごい辛いけどうまいカレー屋さんがあるんです。そこと同じものを使いたくて。たぶん、日本でもここにしかないようなスパイスもありますよ。

 

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f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:ピクルスは、共同経営者の小林が作っているんですが、北条産の野菜類で漬けています。カレーに合うように、酸味を抑えた仕上がりになっています。

 

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──地元の食材をメインに使っているんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:北条に引越ししてきた当時は過疎化が進み、商店街もシャッターが降りているお店が多かったんです。そこで、駅前を活性化しようと、東京で飲食業経験のある人に協力してもらい、八百屋さんのストックルームだった空店舗を、自分たちで改装しました。

 

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f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:そしてできたのが大人のカリー工房CURCOVA(カルコバ)です。カリーの「CUR」、コーヒーの「CO」、そしてバイタリティーの「VA」です。

 

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f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:ここでお店をやっているからには、地元の生産者さんにも還元したい。みんなが利益が出るようにしたいですね。お店はいま、数人のスタッフが交代で厨房に立ってます。

 

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──スタッフはどんな方がいるんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:各自、本業をもっている方です。整体師さん、ホテルのフロントマン、オープン当初は、ウェディングプランナー、椅子職人、壁職人などの方々の力も借りました。

 

若い頃「後に残るものは残酷だな」と思っていた

──これからやってみたいことは?

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:お客さん商売はしてみたかったので、カルコバで夢がかなってうれしいです。カルコバはこの先もおいしくて身体にいいものを提供していきます。

 

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f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:次にしたいことは「後に残るものを」と思っています。2000年に松山に帰ってきて、ずっとAMラジオの仕事をしていますが、ラジオは残らないんですよね。それが刹那的に感じて、カッコいいなと思っていた時期もあったんです。チベットの修行僧が砂に絵を描いてバラまくみたいな(笑)。

 

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──表現が詩っぽい!

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:今、若い頃の作品を見たり聞いたりしても反省点ばっかりですよ。当時の幼かった自分に対して、言いたいことがたくさん出てくる。「お前、もっとこうしろよ」とか「もっとこうすればよかったな」とか、「あまりに歌詞が稚拙だな」とか(笑)。

 

──それは自分も思い当たるふしがあります。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:「残る」って残酷だなって思ったんですよ。若い頃の写真も含めて。それが今は逆にすごく「残したい」って思いに駆られてて、これまでずっとやってきた自分の仕事の最小公倍数を見てみると、やっぱり「何かを伝えること」なんですよ。音楽もやった、味もやった、しゃべりもやった、となると、活字しか残ってないんですよ。なので、活字でみなさんに何か残すようなことをしたいと思っています。

 

──文字は残りますもんね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:それで、去年から「輝け甲子園の星」という高校野球の雑誌で記事を書いてます。高校野球が大好きなので。それ以外にも地元スポーツ雑誌や愛媛新聞、産経新聞のコラムなども手掛けています。ゆくゆくは自分で本も出したいですね。

 

マネされる、を目指したい

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:マネされたら嫌なことってあるじゃないですか。でも、本当にいいことやっていたら、むしろマネしてほしいと思うのが本物だと思うんですよね。今はカレー屋さんやっていますけど、体に良くておいしくて安いものをみんなにマネできるものならやってもらいたいくらい。

 

──たしかにそうですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:でも、仕込みなんかホント大変なんですよ。玉ねぎの皮むき、千切り、炒めるのも時間もかかるし、夏場は汗だくだし、冬は時間がかかるし、腱鞘炎になりそうだし……もう「マネできるならやってみろ」というくらい重労働。

 

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f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:活字も同じで、一生懸命に取材して、それを悩みながら書くのって大変ですよね。でもそれって、読者のためであり、クライアントさんのためでもあり、自分の文章を見たり聞いたりした人の幸せにつながればいいな、と思って書いているところってあるじゃないですか。心のビタミンになればいいな、と思って書いているところって、あるじゃないですか。

 

──文字の持つ力って、ありますよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190228174412p:plain藤田:本当にいい仕事ができるようになると、自分の仕事が盗られるとかじゃなくて、むしろマネしてほしいと願うようになると思うんです。そういうところを目指したいですね。 

 

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気に入った場所で暮らし、本業を持つ複数人で店舗を運営し、地域を活性化する。

そして、自分自身も好きなことを仕事にする。藤田さんの働き方、生き方には、これからの日本を生きるヒントが詰まっている気がしました。

カルコバができた当時、過疎化が進んでいた駅前には、いま新しいお店がいくつもできています。藤田さんがまいた種が花を咲かせ、その花の種がまた芽吹く。

藤田さんのチャレンジは続きます。

 

お店情報

北条駅前大人のカリー工房 カルコバ (CURCOVA)

住所:愛媛松山市北条辻434-3
電話:089-904-5725
営業時間:11:30~15:00、土曜日・日曜日も営業
定休日:不定休

curcova.blogspot.com

 

書いた人:星☆ヒロシ

星☆ヒロシ

夫婦で食べ歩きが趣味。夫は食べる専門で、妻は呑む専門。若いころは海外へも足を運んだが、最近は日本の良さを再認識し、旅をしながらその土地ならではのおいしいものを食べ歩く。

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