空に浮かぶオムライス
瀬戸内海に面していて、タオルが有名で、最近だと加計学園の獣医学部新設問題が話題で……と、情けないことに今治市について私が知っていることはそのぐらいであった。
しかし今回、今治市に安くてボリュームのある料理を出す味わい深い飲食店があることを知り、一気に私の中の今治の名物ランキングにそのお店の名が刻まれた。
その名は「フェニックス」。
まずはお店の外観を見て欲しい。
すごい。
情報量が多くてぼーっとしてくるので、ひとつひとつの看板を見ていく。
「家で食べるより安上がり」のキャッチフレーズがたまらない。
懐かしいテイストの絵とその上の実物写真看板のギャップ。
オムライスが空に浮かんでいるようだ。
お店の裏はコンビニの駐車スペースになっているのだが、もしや! と思ってそっち側にまわってみるとやはり看板が。
ドキドキしながらいざ店内へ
看板群に圧倒され、ドキドキしながらお店に入ってみる。
と、店内は一転して落ち着いた雰囲気。
カウンター席と4つのテーブル席で構成されたコンパクトなお店である。
本棚にマンガが置いてあったりして、いかにも町の食堂という感じだ。
もっと大阪っぽい看板にしたかった
「いらっしゃい」と出迎えてくれたのはお店を一人で切り盛りする菅チエ子さん。
今回は事前に取材を申し込み、比較的忙しくないという時間を選んでお店を訪ねた。
── 表の看板、すごく目立ちますね!
チエ子さん:本当はもっと大きい看板にしたかったけど、ここら辺は風の通りがいいけえ、倒れたら困るのであれぐらいになったんよ。台風で倒れたこともあったからね。
── このお店はいつから営業されているんですか?
チエ子さん:25年前になります。それまではずっと大阪に住んで、コーヒーと軽食のお店をやっとったんよ。主人は靴を作るメーカーに勤めていてね。
── 大阪にお住まいだったんですね! そう聞くとあの看板もちょっと大阪っぽい感じがします。
チエ子さん:そうでしょう。もっと大阪の看板のようにしたかったんだけど。ちょっとここでは難しくて。
チエ子さんは若い頃に実家のある今治から大阪へ出て、以来数十年を大阪で過ごしたのち、ご主人のお仕事の都合で再び今治に戻られたそうである。
そして25年ほど前に「フェニックス」をオープン。お店の名前はもともとこの場所にあった別のお店の名前をそのままとったもので、力強い不死鳥のイメージでチエ子さんも気に入っているのだという。
ちなみにオープン当時は、チエ子さんのお母さんの久美子さんもお店の一員として働き、串カツや揚げ物も出していたのだとか。その久美子さんも7年前に亡くなり、今ではチエ子さんが一人でお店に立っている。人手が足りないため、このお店の合言葉は「セルフサービス」となっている。
お水やおしぼりはもちろん、料理も、できあがったものをチエ子さんがカウンターに置き、それをお客さんが自席まで運んでいくスタイルだ。
それによってチエ子さんは厨房での料理に集中でき、お腹の減ったお客さんを待たせずに済むというわけ。食べ終わった食器は各自でカウンターまで下げる。
安いうまい、焼豚玉子飯
冒頭で今治に対する知識がまったくなかったことについて書いたが、この地に来る直前に調べてみたところ、今治には「焼豚玉子飯(やきぶたたまごめし)」なるご当地グルメがあって有名なのだという。
かつて今治に存在した「五番閣」という中華料理店のまかない飯として生まれ、その後ソウルフードとして今治市内の複数の飲食店で作られるようになったとか。
ここ「フェニックス」のメニューにも「焼豚玉子飯」があり、外の実物写真看板としても宙に浮いている。
さっそくいただいてみることにした。
── 「焼豚玉子飯」は今治の名物なんですね。
チエ子さん:そうよ。もともとは中華料理のまかないでね。今はB級グルメとかっていうみたいで。私の弟が働いている「白龍」っていうお店も有名よ。他にも有名なお店があって行列で並ぶところもあるけど、うちは並ばんのよ(笑)。そやけえ、早く食べられる。はい、どうぞ。
── うわ。おいしそう! いただきます!
玉子を3つも使って作られた目玉焼きにスプーンを差し込むと厚みのある焼豚とタレに浸ったごはんが現れる。ほうばってみて驚くのが焼豚の柔らかさである。ホクホクとほぐれるような食感。
甘じょっぱいタレとの相性も間違いなし。玉子の黄身を割って全体と絡めた時のさらなるうまさよ。
この上ない多幸感だ。ボリュームたっぷりで(タレ味、600円)という破格値。
── この豚肉、柔らかくて本当においしいです。
チエ子さん:他のお店では豚バラ肉を使ってるんよ。中華料理であるでしょう? タコ糸でしばってね。もともと中華料理屋さんでできたメニューだから、他のお店だと肉をヒモでしばってお湯の中で炊いて(煮てから)タレに漬けるんよ。うちは中華料理じゃないけえ、作り方が違って、肉をそのまま切ってタレの中で炊くわけ。それで、タコ糸で縛ってやるのが手間じゃけえ、縛らないと煮崩れする豚バラじゃなくて、ロースを使ってるんよ。それで柔らかいんよ。とにかく糸で縛るの面倒なもんで(笑)。
── なるほど。柔らかくてジューシーで最高です。タレも絶妙ですね。甘いけど後味はさっぱりしていますね。このタレは……?
チエ子さん:自分で作ってるよ。弟のところで最初習って、それを自分の好みにあわせて甘めにアレンジしたんよ。砂糖と醤油とみりんとで作って、でもみんなに教えてあげても「同じようにできん」って言って結局は買いに来る(笑)。少し甘口やから、辛くしたい人はカラシやコショウをつけて食べるよ。
── タレだけを買いに来る人もいるんですね。あと、この目玉焼きは「みかん玉子」というのを使ってるんですか?
チエ子さん:そうよ。うちはこだわりは何もないけどね。卵とお米は地元のいいものを使ってるよ。焼豚玉子飯は、玉子を2つ使ってるお店も多いけど、うちは3つ。多い方がいいかと思って。
── サービス精神が旺盛なんですねー! 焼豚玉子飯はお店によって結構味が違うんですか?
チエ子さん:それぞれ味は全然違うよ。値段も違う。うちは安い方ね。
大ボリュームなワンコインオムライス
チエ子さん:あとうちはオムライスもおいしいって言ってくれるお客さんがおるんよ。
── おお、ぜひ食べてみたいです!
と、いうわけで次に作ってもらったのがオムライスだ。
愛媛県のグルメを紹介したガイドブックにもこのオムライスが紹介されたことがあるという。
── これもまたボリュームがすごいですね。オムライスは500円なんですね。
チエ子さん:そう。
── おいしい! 絶妙なケチャップ具合です。玉ねぎの歯応えがアクセントになっていて。
チエ子さん:オムライスも評判いいんよ。まあ、どこでも食べられるけどねぇ(笑)。福神漬けと一緒に食べてみてね。
── 本当だ。すごく合いますね。まさに福神漬けと合わせるべきオムライスって感じです。
ナポリタンもやっぱりデカかった
チエ子さん:あとは、うちでナポリタン(600円)ばっかり食べるお客さんもいるよ。評判いいよ。ボリュームがあるんよ。鉄板に乗せて出すんです。
── ナポリタンですか! もうかなりお腹いっぱいだけど、せっかくだしそれも食べてみたいです。
やっぱりデカい。
チエ子さん:熱いから気をつけてね。下に玉子が敷いてあるからね。
── これもまた、すごい量ですね。あ、本当だ! 下に目玉焼きがある。
チエ子さん:ちょっと少なめにしてあるよ。普段はもう少し多いよ。
── これで少なめ……。ナポリタンもやっぱり玉ねぎのシャキシャキ感がたまりませんね。
チエ子さん:うちはこの紫たまねぎを使うんよ。
チエ子さん:甘みがあるから。それで、料理する時は全部ベチャーッと炒めないのよ。野菜はそもそも生で食べられるからあんまり炒め過ぎないようにする。
── これ、パスタはどれぐらい使ってるんでしょうか。結構な量ですよね。
チエ子さん:150グラムか、200グラムか、それぐらいよ。人によって量は加減してるけど、男の人だとやっぱりこれぐらいないとね。最近はゆでる時間も短くておいしいパスタがあるから助かるよ。はい、これはトッピングの煮玉子。
── うわー! なんとも美しい。
チエ子さん:ラーメンにも入ってる煮玉子よ。焼豚玉子飯と同じタレに漬けてる。それは一日漬けてるから、だいぶ味が染みてるよ。
トッピングメニューには「煮玉子(100円)」のほかに「カレールー(100円)」「マヨネーズ(50円)」「ケチャップ(50円)」があり、メインディッシュに添えて食べるお客さんが多いという。
カレーはまさかの350円
今さらながらこちらがお店のメニュー。カレーライスはなんと350円だ。
── 常連さんがよく食べるのはどれなんですか?
チエ子さん:いろいろよ。毎日違う人もいれば、カレーばっかり食べる常連さんもいるしね。オムライスばっかりの人もおるよ。
── ラーメンも気になるなあ。次の機会に絶対食べます!
……と、先ほどからボリュームのあるメニューを次々注文している私だが、食べきれない分はチエ子さんがパックにキレイに詰めてお弁当にしてくれた。
持ち帰って帰宅後の晩ごはんにさせてもらった。
── こちらに来るお客さんはどんな方が多いんですか?
チエ子さん:ここら辺で建築関係の仕事をしている職人さんが多いかねー。昔はタオル関連の仕事の人が多かったけど、最近はタオルの会社が減ってしまって。25年前は景気がよかったけどね。今はどうしたらお客さんが入るんかわからんのよ(笑)。
── 地元のお客さんが多いんですねー。
チエ子さん:あとは自転車の人が多い。誰かに紹介してもらって寄ってくれるらしいね。
今治は、瀬戸内海に浮かぶ島々を経由して広島県の尾道市と呉市を結ぶ「しまなみ海道」の中心部に位置している。「しまなみ海道」はサイクリングロードとして整備されているため、自転車愛好家の方がよく今治に訪れ、国道沿いの「フェニックス」に寄っていくことが多いのだとか。取材時にも「しまなみ海道」を渡って自転車で来たという若いお客さんが来店していた。
チエ子さん:自転車で松山まで行ってそこから船に乗って山口県から沖縄まで行ったりする人もおるみたい。最近増えてるんよ。
── チエ子さんは、お休みの日は何をされてるんですか?
チエ子さん:なーんにもせん(笑)。どこも行かん。バラの花が好きだけえ、庭のバラの花を手入れして、主人のご飯を作って一日終わり。とにかく、お店が赤字にならんようにだけしてねぇ。
── ここはお値段もリーズナブルというか、お安いですもんね。
チエ子さん:でも、値段を上げたらもっとサービスしないといけなくなるでしょ(笑)。うちは夏もクーラーがないし、扇風機だけかけて、扉全開にして、それでも決して涼しくないしね。そういうお店だけえ。はい、コーヒーどうぞ。
── ありがとうございます。
チエ子さん:サイフォンで入れているからまあまあおいしいよ。常連さんが朝来て飲んでいく。今日のはモカよ。
自宅で焼豚玉子飯を再現してみた
その後「焼豚玉子飯がとにかくおいしかった。また食べたいです」と話していると、持ち帰り用のセットも販売しているのだと教えてもらった。
保存容器に柔らかい豚ロースの塊と煮玉子たくさんとチエ子さん特製のタレがたっぷり入ったセットで、希望すれば1,000円で販売してくれる。お正月にはたくさん売れるのだとか。
その後、来店したご常連さんに「せっかく今治に来たら加計学園見ていかんと!」と話しかけてもらって盛り上がった(実際、お店の外から大学の建物が見えるぐらい近所なのだ)。
あの一件以来、「今治」という地名の読み方を日本中の人が覚えてくれたという。その点だけはよかったとご常連さんが話していた。
お持ち帰り用の「焼豚玉子飯セット」を購入して帰り、翌日、家で再現してみた。
お肉を好きな厚さに切り分け、ご飯の上に並べて上からタレをかける。
そこに乗せる目玉焼きを自分で作るだけで完成である。
ちょっと目玉焼きの形がキレイにならなかったけど、そのおいしさは「フェニックス」でいただいたもの、そのままだ。
でもそれを食べていると、あのお店の落ち着く雰囲気中でチエ子さんのお話しを聞きながら過ごす時間がよみがえってくるような気がした。
また味わいたいなーと、さっそく「フェニックス」が恋しく思えてくるのだった。
お店情報
フェニックス
住所:愛媛県今治市別宮町7-3-19
電話番号:0898-32-9620
営業時間:7:30~11:00、11:30~17:00
定休日:日曜日