夏、真っ盛り。こうも暑い日が続くと、“冷たいそばをすすりたい欲”が止まらなくなります。
強い日差しと熱気、喉の渇きに耐えながらそば屋に駆け込み、ビールや冷酒と一緒にせいろをつるっといただく。そんな至福のひとときは、もはやレジャーです。海やプール、BBQ、花火大会といった夏定番のレジャーに仲間入りしても全く遜色ありません(個人の感想です)。
「今年の夏はどこに行こうかな」と、旅先を探すようなテンションでそば屋を検索していると、「冷やしグリーンカレーせいろ」というそばを提供するお店がヒットしました。
カレー南蛮そばなら老舗のそば屋でもよく見かけますが、グリーンカレー、しかも冷やしメニューなんて聞いたことがありません。一体どんな味わいなのか? どうやって思い付いたのか? 気になって仕方がないので、早速行ってみました!
創業40年超えの“町そば”を二代目が引き継ぎ、こだわりの手打ちそばが楽しめるお店にリニューアル
今回お伺いしたのは、西武新宿線武蔵関駅から徒歩約3分、練馬区関町にある「そば処 花月庵」です。
きれいで洗練された内装から比較的新しいお店だと思っていたのですが、なんと開店したのは40年以上前とのこと。かつては、いわゆる“町そば”として地元の人たちに愛されてきたようですが、その後、息子さんが二代目として引き継ぐタイミングで、コンセプトから内装、メニューに至るまでフルリニューアルしたそうです。
現在は信州のそば粉を使用した手打ちそばを豊富なメニューで提供する他、クラフトビール、信州地酒、郷土料理にも注力するなど、定番にはないオリジナリティーのあるお店づくりにチャレンジしています。
お目当ての「冷やしグリーンカレーせいろ」をいただく前に、二代目店主の小山淳一さんにお話を伺ってみました。
“そば屋のせがれ”の運命にあらがい、バックパッカーに。世界を旅するうちに、日本食が恋しくなる
──内装、とてもすてきですね。カフェやバーのような雰囲気のお店ですが、創業自体はけっこう昔なんですね?
小山さん(以下、敬称略):そうです。父が1981年に創業しました。親戚が江戸川区で花月庵というそば屋をやっていて、父はそこで修行をしてからのれん分けのような形で独立したんです。僕が受け継いだのは2018年のことですね。
──そうなんですね。小山さんはもともとお店を継ぐつもりで、お父さんの下で働いていたんですか?
小山:いいえ、僕はだいぶフラフラしていましたよ(笑)。小さい頃からずっと親戚や友だちに「将来はそば屋さんになるんでしょ?」と言われ続けているうちに、“そば屋のせがれ”の運命を背負うのが嫌になってしまい、絶対にそば屋はやらないと決めていたんです。昔からモノをつくったり手を動かしたりするのが好きだったので、インテリアの専門学校で学び、テレビCMなどの大道具を製作する会社に就職しました。
──そば屋や飲食店とは関係ない仕事をされていたんですね。
小山:はい。そこで普通に働いていたのですが、海外で暮らすことに興味があったので、試しに1カ月有給休暇を取ってマルタ共和国という国に語学留学してみたんです。それがすごく楽しくて。英語は全然話せなかったんですけど、帰国後すぐに会社を辞めて海外を転々とする生活を始めました。
──随分と思い切りましたね。
小山:最初はバックパッカーで東南アジアを旅して、その後にワーキングホリデーのビザを取得してオーストラリアやカナダなどに住みました。そんなことをしているうちに、日本食が恋しくなってきちゃったんです(笑)。
──おおっ。
小山:毎日現地の料理を食べている中で、たまにジャパニーズレストランに行ってみそ汁やカツ丼、そしてそばなんかを食べると、すごくおいしいんですよね。そこで初めて日本食の素晴らしさを実感したというか、やっぱり自分は日本人なんだってことに気付きました。その頃からですね、そば屋を継ぐのもアリかなって思うようになったのは。
信州のそばに魅了され、無給で修行するも挫折を経験。想定よりも早く父のお店を継ぐことに
──海外でのご経験が、そばとの再会につながっていくわけですね。
小山:帰国後、どうせやるなら自分が本当においしいと納得できるそばをつくりたいと思い、まずはいろんなそば屋を巡りました。そして、信州のとあるそば屋に出合ったんです。そこのそばに感動し、飛び込みで「修行をさせてください」と申し出たのですが、住むところもなければお金もなかったので「準備してから出直してこい」と言われまして。半年間、東京・青山のそば屋でアルバイトをしました。ホールスタッフだったのですが、それでも接客やお店づくりなどのノウハウをたくさん学ばせてもらいました。
──そこで学びながらお金をためたんですね。半年後、信州のそば屋に?
小山:そうです。給料は出せないと言われたんですけど、無給でもいいから修行をさせてほしいと交渉し、朝から夕方までそこで働き、夜は弁当屋さんでアルバイトをする生活が始まりました。
──すごい、本気度が伝わってきます。
小山:はい、本気でした。本気だったんですが……やらせてもらえたのは皿洗いなどの雑用、そばの実を栽培している畑の草刈りだけで、そば打ちや調理などは学ばせてもらえませんでした。それだけならまだ耐えられたかもしれないのですが、師匠とあまりにも折り合いが悪く、精神的にもだいぶ追い込まれてしまって。結局2年もしないうちに逃げるように辞めてしまいました。
──なんと。
小山:その後、同じく信州にある製麺会社でラーメンのスープづくりを学んだり、食を起点とした地域おこしプロジェクトなどに参加したりする中で、「もう一度、そばづくりを学ぼう」という気持ちが湧き上がってきたのですが、そのタイミングで急に母が亡くなってしまったんです。父は気落ちしてお店もできない状態だったので、予定よりもだいぶ早かったんですけど、実家に戻って父を手伝うようになりました。そこで学びながら半年ぐらいかけて計画を立て、2018年にリニューアルしてお店を受け継いだという流れになります。
独学で手打ちを学び、味の濃い信州そばそのものの魅力を伝える
──リニューアルにあたって、どんなお店づくりをしたのでしょうか?
小山:まず、僕は人とのつながりに助けられてきた人生だったので、お店でもお客さん同士のコミュニケーションやつながりを大切にしたいと考えました。当時は厨房(ちゅうぼう)と客席が完全に仕切られていたのですが、オープンキッチンにしてカウンター席も用意しました。
それから、大道具の仕事がきっかけで木目の素材感が好きになったこともあって、古木を使うのが得意な信州の施工会社にお願いして、モダンな雰囲気の中にも温かみや居心地のよさを感じられる内装にしてもらいました。カウンターの柱は、長野県大町市の古城にある丸太を選び抜いて使っています。
──スタイリッシュな空間だからこそ、古木の存在感がいっそう際立ちますよね。そばづくりやメニューでこだわったポイントも教えてください。
小山:そばは機械打ちから手打ちに一新し、信州八ヶ岳産のそば粉を使って毎朝打ちたての二八そばを提供しています。八ヶ岳産のそばは味が濃厚で風味も強いところが特長なので、最初は岩塩で食べていただくことをおすすめしています。お客さんの中には、1枚目のせいろを塩だけで食べて、追加せいろを注文してつゆで食べる人もいますよ。
やっぱり、自分自身がそば屋のせがれに生まれたのにそばのおいしさをずっと分かっていなかったことを少し後悔しているので、お客さんにそばそのもののおいしさを伝えていきたいという気持ちがあります。もちろん、だしにもこだわり、羅臼昆布やしいたけ、本節かつお、さば節などをブレンドしています。
──修業時代はそば打ちを学べなかったんですよね。どうやって身に付けたのでしょうか?
小山:完全に我流です(笑)。なんせ一度も打たせてもらえなかったんで。そばの知識は有名なそば漫画から学び、打ち方は動画を見ながら、試行錯誤して身に付けました。
若年層やヴィーガンも喜ぶオリジナルメニュー開発と、信州地酒にこだわる理由とは?
──そばそのもののおいしさにこだわっているとのことですが、提供メニューも独特ですよね。
小山:そうですね。他と同じようなことをやっていても今の時代はなかなか生き残れないので、定番だけでなくオリジナリティーのあるメニュー開発にも力を入れています。特に若い人たちにそばそのもののおいしさを伝えるのはなかなか難しいので、そばを好きになるきっかけづくりとして「焦がしチーズ豆腐サラダ蕎麦」「鶏塩レモンそば」「生鴨ハムそば」など、ちょっとパンチのあるメニューも開発しています。
それから、海外生活をしていた時にヴィーガンの人たちと出会うことが多かったんですよね。その人たちに日本のおいしいそばを食べてもらいたいという思いから、かつお節など動物性の原材料は使わずに昆布としいたけでだしを取ったそばつゆの「精進せいろ」や、「大豆ミートの豆乳だれせいろ」など、ヴィーガンメニューも提供しています。ヴィーガン向けのそばが食べられるところはまだ少ないみたいで、わざわざ遠方から来てくださる方も多いんですよ。
──酒好きとして見逃せないのが、クラフトビールと信州地酒のメニューです。
小山:注目してくださってありがとうございます(笑)。そば屋にしては珍しくクラフトビールをタップで提供している他、焼酎などのアルコールメニューにも力を入れています。その中でも一番こだわっているのが日本酒ですね。僕はもともと日本酒をあまり飲めなかったんですけど、長野県は日本で2番目に酒蔵が多い地域なので、いろんなお酒と出合う機会が多くて、気が付いたらその魅力にハマっていました。そんなご縁もあって、うちでは信州地酒しか置いていません。
──そうなんですね。ラインナップのこだわりはありますか?
小山:信州にはおいしいお酒がいっぱいあるんですけど、地元だけで消費されているような小さな酒蔵もけっこう多いんです。そういうお酒も広めたいと思って、1〜2カ月に1度、長野県の酒蔵を巡ってお酒を仕入れています。
──小山さんが自ら現地で仕入れているんですか?
小山:そうです。もちろん、酒屋さんで買う時もあるのですが、なるべく酒蔵に足を運んで、蔵の方々とコミュニケーションを取りながら、その時に出合ったお酒を仕入れるようにしています。なので、お酒のラインナップも頻繁に変わりますよ。
──それは魅力的ですね。そばはもちろん、お酒から内装に至るまで、小山さんの信州に対する思い入れが伝わってきます。正直、修業時代の辛い思い出がある場所をこれだけ好きになれるのが意外に感じました。
小山:そう思いますよね。修行中は本当に辛くて、逃げ出したことでそのお店に顔向けができないのは心残りなんですけど……でも、信州のことはずっと変わらずに好きだったんです。むしろ辛い日々だったからこそ、休日に八ヶ岳の山頂まで登って大自然に癒やされたり、おいしい料理やお酒を楽しんだりと、信州の恵みに救われた記憶が強く残っているのだと思います。今こうして定期的に足を運んでいるのも、もちろんおいしいお酒を仕入れることがメインのミッションですが、それだけでなく自分自身の気持ちをリフレッシュする役割も大きいのかなと感じています。
「冷やしグリーンカレーせいろ」と信州地酒を実食!
──それでは、お目当ての「冷やしグリーンカレーせいろ」をいただきたいと思います。
──冷たいグリーンカレーとせいろの組み合わせ、絶妙ですね! グリーンカレーのつけ汁もスパイシーでおいしいです。ココナッツミルクの風味やコクもしっかりあるのですが、ほんのり和を感じさせるようなうま味もあって、これが味の濃いそばによく合いますね。
小山:ありがとうございます。グリーンカレーにオリジナルのだしを加えることで、一般的なものよりもコク深いというか、和風の味わいにアレンジしています。
──日本酒のフルーティーな果実味と芳醇(ほうじゅん)なうま味が、グリーンカレーやそばの甘さを引き立ててくれますね。これはお酒が進みます。ちなみに、お通しで付いてくるそば揚げもめちゃくちゃおいしいです。濃厚なそばの風味とカリカリの食感、しっかりとした塩味がクセになります。
小山:よかったです。つけ汁が余ったら、シメのご飯で召し上がっていただくのもおすすめですよ。
──最高ですね。このメニューはどうやって思い付いたんですか?
小山:バックパッカーをしていた頃に、タイのレストランで食べたグリーンカレーがめちゃくちゃおいしくて、もう忘れられないぐらい衝撃的な味だったんです。そば屋を始めてからもその記憶がずっと残っていて、「あのグリーンカレーの味とそばを組み合わせたい」という気持ちが抑えられなくなって、つくっちゃいました(笑)。
──商品開発は大変でしたか?
小山:そうですね、1カ月ぐらいかけて何回も試作しました。グリーンカレー独特のスパイシーさは表現したいけれど、辛すぎるとバランスが崩れてしまうので、ちょうどいいポイントを見つけるのに苦労しました。
──グリーンカレーとそばの組み合わせはかなり斬新だと思うのですが、お客さんの反応はどうでしたか?
小山:最初は恐る恐る注文した方もいたかもしれませんね。でも、食べてくださった方々の口コミでどんどん広がっていき、このメニュー目当てで来店してくださるお客さんも増えてきたんです。地元のママさんグループが広めてくれたといううわさもあります(笑)。最初は夏限定メニューで提供していたのですが、あまりにも好評だったので今は通年メニューで提供しています。
──確かに、世間話で「あそこのそば屋はグリーンカレーせいろを出しているよ」と言われたらインパクトがありそうですよね。
食べ終わった時、「次、いつ来ようかな」と思ってもらえるのが理想
──ところで、リニューアルしてからお父さんは引退されたのでしょうか?
小山:今でも手伝ってくれていますよ。メニューはもちろん、だしの取り方からそばのゆで方まで、僕のやり方に合わせてもらっています。
──もともとのお店からガラッと変わったじゃないですか。お父さんはすんなり受け入れてくれたのでしょうか?
小山:父はそんなにうるさく言うタイプではないので、世代交代する時も「お前の好きなようにやれ」と言ってくれたのですが、いざ始めてみるとめちゃくちゃぶつかりましたね(笑)。やっぱり、父も創業から続けてきたやり方にこだわりを持っているので、僕のやり方に合わせてもらうまでには時間がかかりました。
──お父さんの時代のお客さんに受け入れてもらうのも大変でしたか?
小山:そうですね、いわゆる当時の常連さんはだいぶ離れていきました。もちろん、今でも変わらずに来てくださる方もいるんですけど、本当にゼロからのスタートという感覚でしたよ。1年目はお客さんが1人も来ない日がよくありましたし、「そばでこんな値段を取るの?」「そば屋なのになんでうどんを出さないの?」などと、キツイ言葉をかけられることもありましたから。
──なるほど。それだけお父さんのお店が長く愛されてきたことの裏返しかもしれませんが、なかなか辛いですよね。
小山:今までのものを変えて新しいことにチャレンジする時は、必然的にそういうあつれきや壁を乗り越えていかないといけないと思っています。でも続けているうちに、もともとメインだった年配のお客さんだけでなく、若いお客さんが頻繁に来てくださるようになったり、居酒屋やバーのような感覚で利用してくれるお客さんがいたりと、おかげさまで客層やお店の使い方がどんどん広がっていきました。
──よかったですね。お店を続けている中で、どんな時に喜びを感じますか?
小山:そばを食べた一口目に、おいしいと言ってもらえるのが一番うれしいです。そして、食べ終わった時に「次、いつ来ようかな」と思ってもらえるのが僕の理想なので、「また来るね」とか「次はこのメニューを食べてみたい」と言ってもらえるのもすごく励みになります。
──今後、どんなお店にしていきたいですか? 目標や夢があったら教えてください。
小山:このお店を始めてから、常連のお客さんや近所の飲食店仲間と釣りに行くようになるなど、新しいつながりがどんどん生まれています。人と人がつながる場所をつくりたい、地域の交流を活性化させたいという思いでリニューアルをしたので、そういった地域の方々とのつながりをもっと広げていきたいですね。
それから、このお店は父の代から40年以上続いているのですが、今でも「こんなところにそば屋さんがあったのね」と言われることも少なくありません。意外とまだ地域に知られていないということは、これからもっと多くの方に知っていただくチャンスもあると思っています。先ほどの地域交流も通じて、お店のことをもっともっと広めていきたいです。そして、いつか海外に出店したいという大きな夢もあります。
──地域活性化と海外進出、どちらの夢も壮大ですてきですね。次は違うメニューを食べに来ます。本日はありがとうございました!
お店情報
そば処 花月庵
住所:東京都練馬区関町北2-24-5
電話番号:03-3920-7711
営業時間:月・火・水・金・土・日 11:30〜15:00(L.O. 14:30) 17:30~21:00(L.O. 20:30)
定休日:木曜日、第一・第三水曜日
書いた人:松山響
沖縄生まれ東京育ち。
編プロ→ブランディングカンパニー→フリー編集者/ライター。
女性誌のグルメ特集で“カフェ巡り”の真髄に触れ、食品宅配サービスのPR媒体で自炊にハマり、日本全国の酒蔵ストーリーをつくる企画に挑戦して太るなど、食と酒には公私ともにお世話になっている。