岩野響さん、15歳。職業は、コーヒー焙煎士
中学2年生の時にコーヒーの焙煎を始め、卒業後は高校に進むことなく、群馬県桐生市の自宅に焙煎所を兼ねたお店をオープン。持ち前の鋭い嗅覚と味覚をいかして焙煎されたコーヒーは地元で評判を呼び、ネットの記事がきっかけで市外からのお客さんが訪れるようになった。
1週間ぶんの豆を1日で売りきるという大盛況ぶり。焙煎への熱意と独学で身に付けた技術は、あの伝説の大坊珈琲店の大坊勝次氏も一目を置いているという。
15歳という若さで焙煎士になった岩野さんはどんな少年なんだろう?
コーヒー焙煎の道に進んだ経緯。焙煎士としての毎日やコーヒーに込める思い。そして、15歳の職人として今考えていること。都内に滞在中のご本人に会って話をうかがってきた。
毎日11時間、焙煎機の前に立つ15歳
滞在先の都内のホテルで初めてお会いした岩野さんは初々しくて穏やか。落ち着いた空気をまとった、いたって普通のティーンエイジャーだ。この岩野さんが話題の焙煎職人なんて。普段、どんな毎日を送っているのかが気になる。
岩野さん:朝7時くらいに起きてから洗濯や家事をします。毎朝必ず家族のぶんと自分のぶんのコーヒーを入れるんですよ。自分のぶんは味の調整のため。その日はどういう感じで焙煎しようか、朝みんなで飲むコーヒーで決めるんです。
焙煎の具合はその日の天気や温度、湿度に合わせて変わる。
朝のコーヒーでその調整を考えるわけだ。
それから自宅に隣接した仕事場のHORIZON LABO(ホライズン・ラボ)に出勤する。
HORIZON LABOは桐生市内の高台にある。
テラスから市内を一望できる気持ちのいい場所だ。
そこで1日、岩野さんは焙煎に没頭する。
岩野さん:焙煎は9時くらいから始めて。終わるのが夜の8時くらいですね。お昼ご飯はちょっとした合間で食べるので、落ち着いて休むことはありません。
なんと1日11時間労働。
しかも、毎日同じペースで仕事をする。
大の大人でも毎日11時間通しての立ち仕事はきついはず。
昼休みも取らないなんて、大丈夫なんだろうか?
岩野さん:同じ焙煎士の方から「そんなに気が持たない、味が落ちちゃうよ」って言われるんですけど、そんなこともないんですよ。楽しい仕事なのでずっとやっていられます。肉体的にもきつくないですよ。やればやるほど新しい発見があるので本当に面白いんです。
焙煎するコーヒー豆の量は1カ月で400kg。決まった休日はない。
岩野さん:毎月テーマを変えて味付けをしているんですけれど、焙煎してばかりだとテーマが思いつかなくなるので、美術館に行ったり陶芸家の展示を見に行ったりします。行きたいところがあればふらりと行ったり。そういう日が月に2、3日あります。
焙煎のアイデアはコーヒー以外からインスピレーションを受けたり思いついたりするという岩野さん。
休みの日も生活の中心にコーヒーがある。
自然体の求道者。
肩に力が入っているようには見えない。
岩野さん:焙煎自体が好きなことから始まっているので、焙煎をやっているのが一番楽しいんですよね。
岩野さんは、心の底から焙煎という仕事が好きなんだ。
コーヒーの話になると思慮深げな面持ちが崩れ、丸眼鏡の奥の瞳をキラキラさせる。
その表情からもわかる。
小遣いを握りしめて喫茶店に行く小学生
小さな頃から、岩野さんの身近にはコーヒーがあった。染織職人とお父さんと服飾職人のお母さんがコーヒー好きで、焙煎士からコーヒーを買って日常的に飲む。そんな家庭に育った。
岩野さん:コーヒーを好きになったのは、小学校3年生くらいの頃でした。最初に飲んだ時には「コーヒーって面白い。不思議な飲み物だ」と感じました。あんなに真っ黒い液体なのにおいしい。おいしいコーヒーって、嫌な苦味じゃなくて甘い感じっていうかコクがあるんですよね。
飲み方はミルクや砂糖を入れるのではなくブラック。
ブラックが好きな小学生なんて会ったことがない。
そんな響さんは、小学校5年生くらいから喫茶店に通うようになる。
しかも1人で。小遣いを握りしめて。
岩野さん:その頃は桐生にも古い喫茶店があって、そういう喫茶店に行くのが好きでした。最初は自転車で桐生市内。あとは高崎に行ったり。お店では普通にコーヒーを飲んでその場所にいさせてもらう感じでした。喫茶店独特のマスターと常連さんとの会話とか、雰囲気が好きだったんですよ。薄暗い感じとか時間が積み重なった感じとか。
学校に行けない。居場所を探す毎日
岩野さんの幼かった頃のエピソードと若くして焙煎士になったことからは、天賦の才を持ったコーヒー少年がなるべくして焙煎士になった、というイメージが頭に浮かぶ。
でも、話はそうスムーズじゃない。
中学生の時に試練がやってきた。
学校に行けなくなったのだ。
原因は岩野さんの障がいにある。
アスペルガー症候群だ。
小学生の時には「ちょっと変わった男の子」くらいで認められたのが、中学生ともなるとそうはいかない。
頑張ってもまわりの子達と同じようにできないことが目立つようになった。
岩野さん:宿題とか板書ができないんですよ。僕は本を読むのは好きだし文字も書けるんですけれど、いろいろ試したけどできない。できるはずなのにできないっていう感じが苦しかった。「なんでなんだ?」って。
中学2年に進級した頃、学校に行くのをやめた。
岩野さん:みんなが普通にできることができないことに、最初は納得いかない感じがありました。でも、やってみても両親に手助けしてもらってもできない。それなら別の何かを見つけた方が早いんじゃないか、って納得がいくようになって、「自分にできることは何だ?」って探し始めたのがその頃だったと思います。それで、学校に行かなくなったらなったでやることがなくなった。両親は仕事をして兄弟は学校に行って、僕1人だけ何もすることがない。自分を見失ったというか存在意義がなくなっちゃった。
もらった焙煎機で焙煎を始める
そこから岩野さんの模索が始まる。
家事から始めて、叔父さんの家業の土木作業や、両親の仕事の手伝い等々。
「自分にできること」を探すなかで、自分の味を作れるスパイスカレー作りにハマり、隠し味としてのコーヒーに改めて出合う。
その縁から知人に手動式の焙煎機をもらい、コーヒーの焙煎を始めた。
中学2年生の夏のことだ。
岩野さん:スパイスカレーにハマっていたからコーヒーには関心が向かわなかったけれど、父に言われて本格的に始めました。焙煎のことは何も知らないなかから始めたので、最初はおいしくなかった。でも、やっていくごとに面白くなってきました。スパイスカレーと違って、コーヒーは豆と焙煎機1台で始められますよね。シンプルなのに奥が深いという部分がやりやすかったし、魅かれる部分があったんです。昔からなじみがあったこともあるんだと思います。
手動式の焙煎機で自分の感覚を頼りに試行錯誤する毎日。
日中は父親の染織の仕事を手伝い、夜から朝にかけて焙煎を試す。
おいしいお店のコーヒーを飲んでは焙煎のプロセスを想像し、実際に試しては感じをつかんでいく。「手動式だったのがよかった」と岩野さんは言う。
岩野さん:全部感覚で焙煎するものだったからこそ、「コーヒーの気持ち」みたいなことがわかってきた。まずく焙煎したコーヒーは、コーヒーを殺してしまっていることなんですよね。どうすれはコーヒーが心地よく生きた状態にできるのか、を突き詰められたのが楽しかったんです。それと、居場所を探していた時期だったことも関係していると思います。学校に通う合間の趣味としてならば、こんなにハマれなかったと思います。
酸味と苦味の「交じり合う一点」を目指して
岩野さんは深煎りのコーヒーにこだわっている。
岩野さん:一般的に深煎りは「焦げたコーヒー」っていうイメージを持たれると思うんですけれど、なんというか、コクのあるコーヒー、甘い苦味のあるコーヒーを求めています。
「甘い苦味」ってどういうことなんだろう?
岩野さん:奥深いというか甘い感じなんですよ。深過ぎると嫌な苦味が出るし、浅くなると酸味がとがっちゃう。そのとがり具合を省きながら、酸味と苦味のお互いが融和してくれる一点があるんです。
旅行などの外出の際にも持ち歩く普段使いの道具で、岩野さんが自分で焙煎したコーヒーを入れてくれることに。
岩野さんはどんなふうにコーヒーを入れ、どんな味がするんだろう?
岩野さんの使っているコーヒーミルは富士ローヤルの「みるっこ」。
小さなボディとかわいい見た目ながら、業務用にも使用できる本格派。
ミルのメモリを5に設定すると、やや細かめにひける。
豆はホンジュラス産。1人分の目安は10グラム。
対してお湯の量は100mml。
ネルドリッパーはカリタの先がとがったタイプ。
お湯を湯沸かしポットからコーヒーポットに移す。
適温の85℃から80℃くらいに落とすためだ。
豆全体に均等に行き渡るようお湯を注ぎ……
30秒ほど豆を蒸らして……
中央から外周に向かって渦を巻くように細かく、丁寧に注ぐ。
そのため、ポットの口は細いものを使っている。
抽出されたコーヒーは茶色というより赤い。透明感のある美しいたたずまい。
岩野さん:おいしく焙煎できた豆で入れたコーヒーは、紅茶に近い赤みがあるんですよ。
味見をする岩野さん。いかがですか?
岩野さん:はい。大丈夫です。お口に合うといいんですが。
コーヒーをひと口含むと、深煎りだけに存在感のある苦味がグッとくる。
ところが、不思議なことに、苦味は引き波のようにスーッと引いて、クリアで穏やかな味わいが広がる。
そして、舌の上に感じるころっとした丸い甘み。
おいしい。毎日のように喫茶店に出入りしているけれど、こんなコーヒーは初めてだ。
それと、不思議と落ち着く。
この感じは何だろう。
岩野さん:後味のすっきりした感じが、これまで出せなかったんですよ。深煎りにしてしまうと、どうしても焦げた感じになってしまって。
岩野さんの言う「酸味が消えて苦味が出始める瞬間の『交じり合う一点』」って、こういうことだったのか。
ネパールで気付いた「焙煎に大切なこと」
岩野さんが影響を受けた人に大坊勝次さんがいる。
2013年、惜しまれながら閉店した南青山の名店、大坊珈琲店のご主人だ。
知人の引き合わせで出会って以来、今でも手紙でやりとりをしている。
いわば憧れの大先輩だ。
大坊さんのコーヒーの味わいを表すのに「7.0」というポイントがあるのだと岩野さんは言う。
岩野さん:大坊さんがよくおっしゃるんですけれど、酸味と苦味がお互い消えるポイントなんです。
「酸味と苦味がお互い消えるポイント」というと、岩野さんが求めている「交じり合う一点」に近い。
その「7.0」のポイントに「やっと近付けるようになった気がする」という岩野さん。
きっかけは昨年7月にコーヒー豆の産地、ネパールを訪れたことだ。
岩野さん:人がどういう環境で豆を育てているのか、どれだけの人が関わっているのかを実感できたんですね。ネパールの国や、街並み、農園の人のコーヒーへの思い。そういうことは、ネットや本ではわからないですよね。実際に行って現地の状況を見て、それまで捨ててしまっていた申し訳ない部分に気付けたっていうか。
何に気付いたんだろう?
岩野さん:「7.0」のポイントには、味だけでなく、コーヒーやコーヒーに関わる人たちへの思いというか、感覚的な部分が必要なことに気付けたんです。大坊さんは本当に素敵な方で、コーヒーと対等に本気で向き合って焙煎をされています。これは全くの主観なんですけれど、コーヒーに対してきれいな気持ちで向き合わないと、そのポイントは出せないんじゃないかと思うようになりました。ネパールに行く前から大切にコーヒーに向き合ってきたつもりですけれど、より繊細に向き合わないといけない。その気持ちで焙煎することで、以前と比べて「7.0」のポイントに3歩くらい近付けるようになった気がします。
作り手の周囲に対する思いがコーヒーをよりおいしくする。
岩野さんは「データにならない」という言葉を使う。
「数値化できない」「スペックに表れない」という意味合いだ。そこを大事にする。
岩野さん:データにならないから無駄なものって言われてしまうかもしれないんですけれど、そういう精神的なものを追い求めちゃうんですよ。そこが素敵で必要な部分なんじゃないかと思うんです。
料理は科学の側面があるし、なにかとエビデンスが要求される時代にあって、ちょっとスピリチュアルでロマンチック過ぎる考え方だと思う人もいるかもしれない。
いや、岩野さんのコーヒーがそのエビデンスだ。
HORIZON LABOでは販売するコーヒーのテーマを月ごとに変えている。
例えば1月は「音で感じる世界」。2月は「自然の美しい循環」というようにだ。
なぜなんだろう?
岩野さん:毎月毎月感じることが変わってくるんです。その気持ちをコーヒーに込められたらいいなって。それに焙煎するごとに新たな発見があって、それを今でも研究中。それを豆に込めたいと思って月ごとに変えています。ただ、そのエネルギーをそのまま思い切り込めるというよりも、強すぎない感じ。穏やかななかに、少しでも感じていただけたらって思っています。
HORIZON LABOの「LABO」は研究室の「LABO」。
岩野さんは日々の生活のなかで感じたことや気付いたことを焙煎に込めていく。
HORIZON LABOのコーヒーは岩野さんの、その時々の最新で一番素直な姿なんだ。
15歳の少年にとっての「仕事」とは
お話をうかがっていて、岩野さんのコーヒーに対する姿勢の真摯(しんし)さや洞察の鋭さ、考えの深さに改めて驚いた。
とても15歳の少年とは思えない。
世間一般の15歳といえば遊び盛りの真っただなか。
勉強を放り出して、友達とゲーセンに行ったり近所のコンビニでダベったり。
そんな同年代の子達を岩野さんはどう見ているのだろう?
岩野さん:楽しそうだとは思うんです。でも、僕は美術や文化を学んだりするのが好き。コーヒーって文化ですよね。国ごとに違って、日本にも独自の喫茶店文化があります。それが焙煎を仕事にする前から好きだったんですよ。
いくら好きだとはいえ、岩野さんだって15歳の少年だ。
焙煎室にこもるコーヒー漬けの毎日にマンネリを感じたり、同世代の子たちの姿を見て遊びたい気持ちが湧き上がるでしょう。
岩野さん:例えばの話、僕に障がいがなく普通に学校に通っていたら、あんな感じだっただろうって思うことはあります。ただ、遊びたいというのはないんですよ。以前からいろんなことをやってきたけれど、何も長続きしなかった。飽きるっていうのは無理があるっていうことだと思うんですけれど、コーヒーに関しては嫌々じゃない。常に新しい発見ができる。最近は自分の思いをコーヒーに込められるようになってきたので、また違う楽しみが出てきました。
そんな焙煎士という仕事を、そして、コーヒーのことを、岩野さんはどんなふうに考えているのか聞いてみた。
岩野さん:豆を生かすも殺すも焙煎士の力次第なので、責任のある仕事だと思います。農園の方がどんなにおいしく作っても、お客様が丁寧に入れても、焙煎士がおいしく焙煎できなければまずいコーヒーになってしまうので、つねに真剣に取り組んでいます。僕はコーヒーを通して世間とつながることができて、お客様と会話もできる。お金もいただける。コーヒーで居場所を確立できる。「生きている価値」っていう感じですよね。そのうえで、こだわったコーヒーをお客様に飲んでもらいたいっていう気持ちで、今はやっています。
そして、これからは「コーヒーのある暮らしをどんどん提唱していきたい」と岩野さんは考えている。
岩野さん:コーヒーを穏やかな環境で飲む。一見いらないようで、そのゆとりが大事じゃないかと思うんです。僕のコーヒーがいろんな環境になじんで行って、いろんな方に飲んでもらう。強烈な個性を飲むのもアリなんですけれど、「その人の生活にぶつからない」のがいいですね。けれど、そこから「岩野響」っていうものをほんの少しでも感じていただけたら、という気持ちなんです。もちろん、いろんな飲みかたがあっていいし。
「その人の生活にぶつからない」というのが、岩野さんらしい。
HORIZON LABOのコーヒーは通販で
▲HORIZON-COFFEE オリジナルブレンド(200g/1,728円)
現在、HORIZON LABOのコーヒー豆は通信販売が中心とのこと。
実店舗で扱っているのは、渋谷ヒカリエのd47食堂のみだ。
予想を超える売れ行きで、家族で対応することが難しくなったためHORIZON LABOでの販売は中止している。
飲食店では桐生市内の矢野園とカフェレストラン・ニルスで味わうことができる。
昨年末、岩野さんは2冊の本を出版した。岩野さんを、HORIZON LABOのことをもっと深く知りたいと思った方は、ぜひ、手に取ってみてください。
2月は焙煎したコーヒーを携えてモナコに行く予定の岩野さん。
HORIZON LABOで焙煎機の前に立ち、モナコで発見した何かをコーヒーの味にいかすのだろう。
ひと皮むけた、いや、焙煎士だけに「ひとはぜ」も「ふたはぜ」もキメた岩野さんの3月のコーヒー、楽しみですね。
岩野響(いわの・ひびき)
2002年生まれ。焙煎士。小学校3年生でアスペルガー症候群と診断される。優れた味覚、嗅覚を活かし、高校進学をせずHORIZON LABO(ホライズン・ラボ)を開業。現在は通信販売で月替わりのオリジナルブレンドのコーヒー豆を販売している。
コーヒーはぼくの杖~発達障害の少年が家族と見つけた大切なもの
- 作者: 岩野響,岩野開人,岩野久美子
- 出版社/メーカー: 三才ブックス
- 発売日: 2017/12/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
お店情報
【閉店】HORIZON LABO(ホライズン・ラボ)
住所:群馬県桐生市小曾根町4-45
通販サイト「毎日が発見ショッピング」
※このお店は現在閉店しています。
※飲食店の掲載情報について。
書いた人:渡邊浩行
編集者、ライター。アキバ系ストリートマガジン編集長を経て独立。日本中のヤバい人やモノ、面白い現象を取材するため東へ西へ。メシ通で知ったトリの胸肉スープを毎日飲んでるおかげで、私は今日も元気です。でも、やっぱりママンの唐揚げが世界一だと思ってる。