【いつかお店をやりたいすべての人へ】Tシャツブランド「ハードコアチョコレート」MUNEさんの場合

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以前『メシ通』でも取材をさせていただいた、東京・東中野のBAR バレンタイン

店主のMUNEさんはこれまで、子どもの頃からの「好き」を貫いた自分のお店を、一から作って経営してきた。

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来年は開店10周年。バーとともに営むTシャツブランドも含めると、およそ20年に渡って インデペンデントで仕事を続けてきたことになる。

経営はいたって順調。

今がいちばん幸せ。

いつか自分のお店を持ちたい。好きな仕事で食べて行きたい。

そんな思いを密かに抱く読者のために、MUNEさんのこれまでの歩みや、個人で事業を始めて20年近くサバイブできた理由、そして、今、思うことについて、お話をうかがってきた。

 

「Tシャツ屋さん」と「バー経営者」の二足のわらじ

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MUNEさんはTシャツブランド「ハードコアチョコレート」の代表兼デザイナー、そして、BAR バレンタインの店主として多忙な毎日を送っている。

 

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ハードコアチョコレート、通称「コアチョコ」はTシャツを中心としたインディーズのファッションブランド。

映画、プロレス、アニメ、特撮……等々のエッジーなモチーフに、ゴリゴリなパンクテイストとキッチュなかわいらしさを加えた、他にはないデザインが支持されていて、水道橋博士を筆頭に、コアチョコのTシャツを愛する著名人も少なくない。

現在は東京の東中野と大阪の千日前の2店舗を展開。

そして、BAR バレンタインは、同じく東中野のムーンロードにある。

 

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お店に入ると、カウンター奥の棚には1000タイトル以上のDVDが並び、天井や壁にはホラーにアクションのほか、往年の名作(迷作?)映画のポスターやチラシが所狭しと貼られ、店内のモニターには、常時、MUNEさんお気に入りの映画が流れている。

カウンターに並んだプロレスグッズやアメコミのフィギュアといった調度品も、全てがMUNEさんの私物。言ってみれば、MUNEさんの頭の中ををそのまま3D化してお店にしたようなものだ。

 

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日中はコアチョコの事務所でTシャツ関連の仕事をこなし、夜はそのまま、JR東中野駅を挟んで北側にあるバーのカウンターに立つ。それがMUNEさんの日課。

商売は順調。

特に、コアチョコの事業は好調で、この5月には、MUNEさんがこれまで蓄積してきたTシャツビジネスのノウハウを惜しみなく詰め込んだ著書『コアチョコ流Tシャツブランドの作り方』(鉄人社)が刊行された。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plainおかげさまで、四畳半の自分の部屋で始めた頃から比べて、ありえないくらいの成長です。親友がパートナーとして入社してくれて以降、「会社ごっこ」から本当の会社になれた。僕がやっていることは前とあまり変わらないけれど、より多くの人に伝わるようになりました。

 

BAR バレンタインも黒字経営だ。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain東中野で開店して、今の物件に移転してお店が広くなったのが大きいです。「いつも人が入ってますね」といろんな人から言われます。けれど、人が入る=売り上げが増えるわけではないし、お客さんが増えたり減ったりは水商売によくあることだから、正直な話、もう少し売り上げは欲しいかな。そうは言っても他の部分……例えば、お店で生まれる人と人のつながりや、お客さんのみんなが喜んでくれているのを見ているのは楽しいですよ。

 

映画好きのやんちゃな男子、寿司職人になる

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MUNEさんは1973年生まれの45歳。東京の墨田区で育った。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plainもともと、映画や特撮、アニメ、漫画好きの子どもでした。プロレス好きになったのは小学2年生くらいかな。パンクロックは高校生の頃ですね。どれも歴史は古いです。

 

中学生の時の夢は映画監督になること。高校生の頃は、入学祝いに買ってもらったビデオカメラで友達のおバカな姿を撮ったり、パンクバンドを組んでライブに熱中する日々を送った。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain結局、暴力的なものが好きだったんですよ。特撮や漫画では悪の組織が好きだったし、プロレスなんかそのまま暴力的ですよね。パンクなんかもまさにそう。

 

その路線が大人になった今でも変わらないことは、コアチョコのTシャツのデザインやBAR バレンタインの店内を見ればわかる。

高校卒業を前に、そんなMUNEさんにも進路選択の時期がくる。

進路として選んだのは寿司職人。

とはいえ、職人に対する憧れや飲食業への関心といった、積極的な理由はなかったらしい。

 

「どうせ親父のところで働くからいいや」

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f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain親父が寿司店を経営してたんですよ。新宿を中心に、都内に10店舗くらいの結構な規模。桃太郎寿司とかすしざんまいに近い感じですね。親父は職人じゃなくて純粋な経営者。でも、握れない経営者って職人にナメられるらしいんですよ。「プロレスラーはプロレスラーの言うことしか聞かない」っていうマッスル坂井さんの名言があるんですけれど、寿司職人の世界も一緒。それで、僕には「お前は握れる経営者になれ」って。

 

その頃バンド活動に入れ込んでいたMUNEさんは、ほかの同級生とは違って、就職も進学も考えなかったそうだ。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plainどうせ親父のところで働くからいいやって。寿司職人になったのは、なりたかったからじゃなくて、バンドをやりたかったから。「バンドができれば仕事はなんでもいい」っていうノリでした。

 

22歳、巨額の借金が突然降りかる

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寿司職人の世界に入って4年後、MUNEさんに決定的な転機が訪れる。

父親の経営する寿司チェーンの倒産だ。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plainバブルで銀行がガンガンお金を貸してくれたこともあって、親父が調子に乗って大規模店をいろんな所に作り出したんです。寿司店だけじゃなくて焼肉店とかいろいろと手を出した。それがうまく回らなくて不渡りを出しちゃった。負債は10億円くらい。お店の権利を切り売りしたりしてある程度は処理できたけど、僕の知らない所に自分や母親名義の借金があって、それは返さないとならなかった。総額で2,000万円くらいですね。

 

22歳に2,000万円の借金は、絶望的に大きい。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plainもう終わりだな、って思いましたよ。月に20万円返す計算で10年はかかる。20代をまるまる借金の返済に費やすことになるわけですからね。

 

「バンドを続ける」という仕事選びの当初の目的が「借金の返済」に変わったわけだ。

そこでMUNEさんは専業の寿司職人として働くことを決断する。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain経験にもよるけれど、寿司職人って頑張れば月に30万円から40万円はもらえるんです。そこから20万円を親に渡して、残りの10万円ちょいを小遣いにできればどうにかなる。それで、同業者のコネを使って別のお店を何軒か転々と。事情を知っている人もいたから、みんな優しかったですよ。

 

当時のことを淡々と語るMUNEさんだが、不条理に湧いた借金を返すために、それほど好きではない仕事を続けなければならないことの鬱屈(うっくつ)は、同じ境遇に陥った人でなければわかるまい。

 

昼にあくせく働き、夜はTシャツのデザインをする生活

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しかし、そこに、次の展開の「種」が潜んでいた。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain半分腐りながらも、寿司職人の他に何かできないか考えてやってたんです。小説を書いたり、イラストを描いては売り込んだり。そんななかでいちばん評価されたのがTシャツづくりだった。それで、寿司店の仕事をしながらTシャツを作り始めました。

 

寿司へのこだわりがなく、腕がよくても若いというだけで認められにくい職人の世界に嫌気がさしていたMUNEさんは、その後、寿司店を辞めてペンキ屋さんや文房具の宅配サービスなど、借金の返済を前提に稼げる仕事をしながらTシャツを作り続けた。

そして、1999年、26歳の時に、当時サラリーマンだった高校生時代の友人と「ハードコアチョコレート」を立ち上げる。最初はネットとイベントでの販売のみ。のちに、下北沢に初の店舗を設ける。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain相方が2003年に名古屋に転勤することになって、会社を辞めるかコアチョコを続けるかを天秤にかけて、コアチョコをやることになりました。売り上げ的に1人が食べるのがやっとだったから、相方を専業にして、僕は別の仕事を続けていた。社長とは言っても、昼にあくせく働き、夜はTシャツのデザインをするような生活でした。

 

コアチョコの事業が上向きになり始め、無事に借金も返し終わった2006年、MUNEさんはコアチョコの仕事に専念することになる。

 

Tシャツ屋さんは手段。バーが目標だった

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意外なことに、MUNEさんは、もともとTシャツブランドではなく、バーを経営したかったのだと言う。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain好きだった原宿の映画バーと新宿トーク居酒屋・ロフトプラスワンを足して2で割ったようなお店を作りたい、コアチョコの立ち上げ時からそう考えていたんです。

 

Tシャツブランドを先に立ち上げたのは、資金面の事情からだ。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain洋服屋さんならバーの半分以下の初期投資でできる。商品はすでに作ってあったから、あとは物件を探して棚を買うだけでいけるんじゃないかと思った。それで、Tシャツ屋さんを最初に立ち上げたんです。だから、コアチョコはあくまでバー開店の資金稼ぎ。それと、コアチョコの知名度が上がればTシャツのお客さんがバーにも来てくれる。開店した段階でお客さんがいる、そういう目算はありました。

 

コアチョコを成功させるためにやってきたブランディングの具体的な方法については著書を読んでいただくとして、MUNEさんにとってのTシャツは、目的ではなく、来たるべきバー開業のための資金稼ぎと、マーケティングの手段だったわけだ。

 

そこで疑問が1つ湧き上がる。

飲食店の数あるジャンルのなかで、どうしてバーだったのだろう?

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain普通、飲食店を開くには仕入れや厨房の用意でそれなりの資金が必要ですけれど、バーならそこまではかからない。それと、どうすれは自分が楽しく生きていけるかを考えた時に「お酒を飲みながらみんなとしゃべれる自分の城を持てば楽しいんじゃないか? それしかない」って思ったんですよね。だから、バレンタインも基本的には自分の部屋とか部活の部室とかで毎日飲み会をやっている感覚なんですよ。

 

なるほど。バー経営そのものも、MUNEさんにとっては本人が楽しく生きていくための手段だったんだ。

 

「アンタたち、そんなにお金ないんでしょう」

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そして2009年。MUNEさんは待望の店、BAR バレンタインを開店する。

1,000円で1ドリンク+おつまみのシンプルなシステムのお店だ(余談だけど、板前時代の腕を振るったお手製の肉じゃがが絶品)。

タイミングは突然やってきた。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plainその頃に通っていた明大前の飲食店の店員さんが独立して、東中野でお店をやることになったんですよ。彼が「MUNEさん飲食やりたいって言ってたでしょう? 小さいお店だけど隣が空いてる。条件もいい」って言われて、聞いてみたらめちゃめちゃよかった。それで飛びつきました。

 

お店を出す場合にはまとまった額の保証金や設備を改修するための費用が必要。

条件がいいとはいえ、相応の資金がいるはずだ。

ところが、MUNEさんに提示された条件は、ありえないほど破格だった。

 

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f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain保証金は家賃に上乗せする形の分割でいいって言ってくれたし、床のカーペットをフローリングに改装する費用も出してくれた。「アンタたち、そんなにお金ないんでしょう」って、大家さんがいろいろ考慮してくれたんです。水まわりもそのまま使えました。内装は、趣味でコレクションしていたポスターを壁に貼っただけだからタダ。お酒の代わりに手持ちの映画のDVDを並べたら映画バーの完成。だから、びっくりするくらいお金はかかっていないです。初期費用は50万円くらいじゃないですかね。

 

50万円でバーのオーナーに! 筆者の貯金でもまかなえる。

 

開業以来、資金繰りに苦しんだことはない

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開店からおよそ9年、バレンタインは黒字での営業が続いている。「もう少し売り上げが欲しい」というMUNEさんだが、開業10年後には9割がつぶれるというシビアな飲食業界にあって、10年近く続いているのは、それだけでも成功だと思う。

飲食店がつぶれる主な理由は、言うまでもなく、目論見どおりにお客さんが来ずに経営が立ちいかなくなることだ。ことに、資金繰りは、大半のオーナーが頭を痛めるところ。

ところが、意外にも、MUNEさんは、コアチョコを含めたおよそ20年にわたる経営のなかで、お金の苦労や不安を感じたことがないという。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plainない袖は振らない。手持ち資金でできることしかやらないんです。例えば、家賃は大きな固定費ですよね。コアチョコを立ち上げた時も、もし売り上げがない状態が続いた場合に何ヵ月もつか、みたいなことを先に考えた。バレンタインの時も、この金額ならいけると思ったからやったんです。

 

この姿勢は、20代で2,000万円もの借金を背負った経験が大きい。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plainお金は借りるのも貸すのも嫌い。だから、今でも経営は無借金だし、個人的にもカードで物を買ったり借金をしたりは原則しません。「お金を貸して欲しい」って言われたら「あげるよ」って言います。貸しちゃうと返してくれっていうことになって、人間関係が壊れますからね。

 

事業が続いたのは「自分を知っている」から

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コアチョコの立ち上げから20年近くの間、MUNEさんが、インディペンデントでお店を続けてこられたことには、お金以外の部分もあるはずだ。その秘訣(ひけつ)は何だろう?

そう尋ねると、MUNEさんは、ちょっとだけ考えて、「自分を知っていることですかね」と言った。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain僕は決して自分を過信しないんですよ。高校生の頃とか、校内でケンカの強いヤツランキングとかを勝手に作って、自分がどこにいるか常に意識しているような人間でした。自分にはどんな価値があって、どの位置にいるのかを常に把握していた。これは社会人になってからも変わらないです。

 

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「自分が何者なのか」を知ることは、ことに個人経営のビジネスを続けていくために必須の条件なのかもしれないと、MUNEさんの話を聞いていて思う。

例えば、自分の興味、力量、社会から求められていることをきちんと知っているのといないのとでは、仕事のありかた、その結果はおのずと変わる。

興味のないことをしても成長しにくいし、力量を見誤れば致命的な失敗につながる。社会のニーズに合わなければ、ビジネスとして成り立たない。

つまりは仕事として続きにくい。危うい。企業と違って、社員同士でそれぞれの不足部分をカバーできない個人事業ならなおさらだ。

それに、そもそも自分自身の幸福観を知らなければ、仕事で幸せになりようがないじゃないか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plainコアチョコもバレンタインも、正直、行き当たりばったりですよ。

 

そうMUNEさんは言う。

しかし、映画やプロレス、パンクロックという軸(興味)をブラすことなく、己のデザインセンスや無理のない範囲の資金(力量)を投入してTシャツ(社会から求められていること)を作り、そのうえで「お酒を飲みながらみんなとしゃべれる自分の城」(幸福観)であるバーを開店する。これまでMUNEさんが実現してきたことは、自分を知っていたからこそ事業として成立し、続いたのだと言えるのでは?

個人事業で生き残る要諦は、「自分を知る」ことにあるのだ。

 

「僕は運がいい」

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MUNEさんは、人との縁を大切にする。そして、知人友人が運んできてくれた「運」をすかさずつかむ。

実際に、バレンタインを開業できたのも、知人づてで好条件な物件の話が舞い込み、すぐさま契約。1カ月後には開店したというスピード感にある。この姿勢がなければ、コアチョコもバレンタインも、今のようになっていなかったはずだ。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain人の縁、つながりは僕にとって財産。本当に大切です。僕は運がいいんですよ。自分がやりたいことをどんどん口に出して言っていると協力してくれる人がどんどん出てくる。できる範囲で、ない袖は振らないという経営のスタイルは寿司職人だった頃に学んで、人との縁はTシャツを作るなかで育んできました。寿司職人時代は本当に嫌だったけど、今は感謝しています。

 

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写真を見るとわかるように、バレンタインは趣味性が極めて高い。

言い換えれば、一見さんにとってのハードルは高く感じられなくもない。

ところが、実際にお店を訪れると、思いのほか居心地がいい。

それも、人の縁を大切にするMUNEさんの配慮があってこそ。

その表れのひとつが「席替え」のシステム。その日のお客さんの表情やお店の雰囲気を見て、みんなが楽しめるようにさりげなく、MUNEさんが別の席すすめてくれたり調整してくれるのだ。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain初めて来てくれた時にどの席に座るかによって、そのお客さんにとって面白いお店かどうかの印象は決まっちゃいますよね。そこは気をつかっています。常連さんたちも僕の考えを理解してくれているので、一見さんに積極的に話しかけてくれたりとかアシストしてくれる。だから、「実際に来たら意外とハードルが低いお店だ」って言われることが多いんですよ。

 

辞めたいと思ったことはない

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自分の「好き」を軸にしたTシャツ屋さんとバー経営の二足のわらじ。

立ち上げ時に抱いていたイメージしていた流れになっている今が「いちばん幸せ」と言うMUNEさん。それでも、個人経営は「楽しい」「幸せ」だけでは終わらない、人知れぬ悩みや辛さがあるはずだ、と勘ぐってしまう。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plainあえて言うなら時間がないことですね。コアチョコの仕事が大きくなってきて、Tシャツのデザインなどの納期が詰まってくる。Tシャツ作りの仕事がどれだけ忙しくても毎晩バレンタインに立たなきゃいけないのは、正直しんどいと思うことはあります。おまけに子どもも生まれて、24時間全力で走り続けている実感があるんで。

 

それでも、辞めたいと思ったことはない。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plainなんでも自分の思うようにできますからね。もともとのコアチョコのイメージがあるから、バレンタインでも何をやってもみなさんが喜んでくれる。それが楽しい。

 

そんなMUNEさんに、今後の展望を聞いてみた。

 

f:id:Meshi2_IB:20180508170205p:plain今、東中野も再開発の波が来てるんですよ。いずれここを立ち退くことになったら、その立ち退き料で鉄板焼き屋さんをやりたい。自分がカウンターに立つのではなく、純粋なオーナーに近い立ち位置になりたいですね。もう少し自分の時間をとらないとダメかなって思ってます。

 

プロフィール

MUNE(ムネ)

1973年生まれ、東京都出身、Tシャツ界の悪童「ハードコアチョコレート」代表・デザイナー。年間100型以上にもなる同ブランドの全てのデザインを生み出しながら、夜は自身が経営するバー「バレンタイン」にも立ち続ける。 

コアチョコ流Tシャツブランドの作り方

コアチョコ流Tシャツブランドの作り方

  • 作者: MUNE,カトウカジカ
  • 出版社/メーカー: 鉄人社
  • 発売日: 2018/05/12
  • メディア: 単行本

 

お店情報

BAR バレンタイン

住所:東京都中野区東中野4-2-1 帆刈ビル3F
電話番号:03-5330-8336
営業時間:火曜日~土曜日 20:00~翌2:00/日曜日 20:00~24:00
定休日:月曜日
ウェブサイト:http://bar-valentine.jugem.jp/

 

書いた人:渡邊浩行

渡邊浩行

編集者、ライター。アキバ系ストリートマガジン編集長を経て独立。日本中のヤバい人やモノ、面白い現象を取材するため東へ西へ。メシ通で知ったトリの胸肉スープを毎日飲んでるおかげで、私は今日も元気です。でも、やっぱりママンの唐揚げが世界一だと思ってる。

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