シリーズ・中央線の名居酒屋 vol.2 「一徳」(高円寺)
中央線沿線で最もアナーキーなイメージを持つ街といったら、間違いなく高円寺だろう。
バンドマンや芸人、役者や作家など、何かを作る人が集い続ける街だ。
最近ではむしろ、古着の街と言ったほうが通りがいいかもしれない。
だが、個人経営の小さな飲み屋さんの数は、それをはるかに超える。
昼から飲んでいてもまったく後ろめたさがないどころか、早朝から開店する飲み屋さんさえある。
駅前のロータリーで飲んでいる人も多い。
飲兵衛に、とことん優しい街なのだ。
そんな高円寺の中でもよく知られている飲み屋さんといったら、「大将」だろう。
駅の南北に支店を持つ焼き鳥店で、高円寺に住む人でその名を知らない人はまずいない。
若いバンドマンがにぎやかに打ち上げする風景は、完全に街の一部になっている。
高円寺「一徳」のマスター、木下卓也さんのこと
そして、同じ焼き鳥店でも、一風違うムードが漂うのが、今回紹介する「一徳」だ。
バンドマンがにぎやかに打ち上げをするというよりは、文化人が1人でフラリと訪れ、ゆったりと1日を締めくくっているようなイメージ。
この佇まい、2002年開店とは思えない。
マスターが常駐するメインの建物のほか、道を挟んだ反対側に離れがある。
この2店構成が、なんともソソるのだ。
見てのとおり、ビールの大瓶が560円、焼酎250円〜とリーズナブルな高円寺価格なのだが、不思議と羽目を外す若者はあまりおらず、落ち着きと心地よいにぎわいとを両方とも味わえるお店だ。
うちは真面目に飲みにくるお客さんが多いんだよ。勤勉な飲兵衛さんが。
そう話すのが「一徳」のマスター、木下卓也さんである。
私は以前、高円寺界隈に10年ほど住んでいたのだが、その間、我が心の「高円寺いい男ランキング」1位を常に独占していたのが、こちらのマスターだ。
普通、いくらカッコよくても、面と向かって「カッコいいですね」とはなかなか言えないものだが、「一徳」のマスターのカッコよさは、なぜか臆面もなく口に出せてしまう。
高円寺在住のスタッフが作るタウンマガジン『SHOW-OFF』の男性スタッフ陣に「高円寺で一番いい男って、『一徳』のマスターですよね」と何度か聞いたことがあるのだが、その度に皆が静かにうなずいたものだ。
女性だけでなく、男性も認めるカッコよさなのだ。
以来、高円寺のよさを伝えたくて、このお店に女友達を連れて何度か訪れているのだが、マスターのいるカウンター席は埋まってしまっていることが多かった。
そんなわけで、久しぶりに訪れた。
「一徳」のカウンター席にて
あーい、味噌もつ煮込み、つぼ2丁!
師走の木曜、22時に戸を開けると、マスターの渋い声が響いていた。
今日もほぼ満席だ。
辛うじて空いていた席に腰を下ろし、ビールを注文する。
注文すると、このように石をペーパーウェイト代わりにして伝票が置かれるのが面白い。
これ知ってる? この子が記事書いたの。
4年も前に『SHOW-OFF』で取材したときの記事を、大切に取ってくださっていた。
お客さん:マスター、なんか優しい顔で写ってる!
店内には、ゆったりとジャズが流れていた。
和やかなムードでゆるやかにお客さん同士がつながりつつ、おのおのの時間を楽しんでいる。
── 今日はカッコよさだけじゃなく、しっかり料理を味わっていきますね! マスターの串、何がおすすめですか?
うちはみんなおいしいって言ってくれるからなあ。
お客さん:皮タレがいいよ!
── じゃあぜひそれを。皮のタレ、お願いしま〜す。
あいよ!
▲皮(100円)。カリッと焼かれた食感が最高
一瞬、マスターが席を外した。
いい男というのは、いないときでさえ、かっこよさが残像のごとく残るのだなあと思った。
ゆったり流れていたジャズが、ユーミンの『ダンデライオン』に変わった。
── BGMは有線じゃなくて、マスターがDJみたいに変えてるんですね!
時間あるときはね。忙しいときはテレビやラジオつけてるよ。
ビールをセルフで注ぎながら、高円寺から引っ越したという話をした。
前は高円寺に住んでるって言ってたよね。男と暮らすんだったら、よく働く男にしときなよ。
── 以前マスターとお話したとき「高円寺の男には気をつけろ」っておっしゃってましたよね(笑)。
そう。高円寺にはそういういい男は少ないんだ(笑)。長いこと、ここで16年見てるからわかるよ。
女性のお客さん:働いて、かつ嫁に「飲みに行っていいよ」って言ってくれる男じゃないとダメだよね〜。
── この街にはバンドマンが多いから、緩やかな人は多そうですよね。
でもバンドマン、一時より減ったよ。演劇やる人も減った。裕福な家庭の子じゃないと厳しいよ。
高円寺には安いアパートが多いイメージがあるが、決して付近の他の街と比べて家賃が安いわけではない。
かつてはあちこちにあったという銭湯も街に2、3を残すばかりとなり、「バンドマンの街=高円寺」という時代は徐々に変わりつつあるようだ。
ユーミンの『卒業写真』をBGMに、松任谷正隆氏やオノ・ヨーコの家柄のよさへと話は発展していった。
昭和世代の男はこれ聴いて、女と別れたこと思い出して泣くんだよ。
男性のお客さん:そうそう!
女性のお客さん:えー? 女子が初恋思い出して泣く歌だと思ってた!
「高円寺はみんながユルいから」
「一徳」のよさは、こうした心地よい交流感だ。
マスターを囲むようにしてカウンターが配置されているので、どの席からもマスターの存在を感じられる。
カウンターの大きさがほどよく、声を張り上げなくても、向かいのお客さんと店内の話題を共有できる。
1人で静かに飲みたいときは、適度なざわめきが音の壁のようになって、お店の一部になりつつ、1人の時間をゆったり味わえる。
「一徳」が、落ち着きとにぎわいの両方を併せ持っているのは、きっとこの絶妙なカウンターの距離感が生み出すところが大きいのだと思う。
ホッピー(480円)を追加して、隣り合った1人飲みのお姉さんに話しかけてみた。
聞けば、高円寺在住だという。
上京して初めに住んだのが中央線沿線で、以後沿線を転々としているそうだ。
中央線ユーザーが恐れる「飲み過ぎて気づいたら大月駅にいた」という経験を持つ、ツワモノの女性だった。
お姉さん:最初が中央線だったから、なんだかそれ以外の沿線に住めないんですよね。高円寺がすっごい好きで、離れたくない。
── でも数ある中央線の駅の中で、なぜ高円寺に? サブカル好きなんですか。
お姉さん:サブカルっていうより、高円寺の自由なところが好きなんじゃないですかね。中野はどこか都会すぎるし、阿佐ヶ谷はファミリー感がありすぎるんですよ。でも高円寺はみんながユルいから、どんな格好で歩いててもいい。そこが好き。
── 西荻窪は高円寺に比べると、ちょっと知性が必要な感じしますよね。高円寺みたいにすっぴんでは歩けない。
お姉さん:そう、高円寺はなんでもアリな感じがいい! 私の地元とかだと、公園でたばこ吸ってるだけで「あそこの娘さんたばこ吸ってた」とか言われちゃうから。
そうそう、高円寺って、「別に誰も自分のこと見てない感」が心地いいのだ。
お姉さんと一緒に、ホッピーをぐいっと飲み干した。
イワシあるけど、食べる?
── ぜひぜひ!
▲脂がのってふっくら、塩の粒のシャリ感もたまらない(2本 200円)
隣の席にいた、若い男女が声を掛けてきた。
男性:それ、なんですか?
イワシの塩焼き。今の時期だけ出してるんだよ。
男性:じゃあ、こっちにも1本。
── イワシ、おいしいですね!
うまいだろ? 脂ノリノリ。
この男女は、20代だという。「一徳」から歩いて10分くらいのところにあるライブハウス「Show Boat」で、友川カズキ氏のライブを見てきた帰りだそう。
「一徳」のことはゴールデン街のお店で聞いて知り、気になっていたそうだ。
男性:「サブカル」って言葉が横から聞こえたから、つい話しかけちゃいました。
女性:映画好きなんですか?
── 映画というか、みうらじゅんさんが、すごく好きなんです。
女性:みうらさんの『カリフォルニアの青いバカ』とかいいですよね。若いとき、めっちゃかっこよくないですか?
サブカル話に夢中になっていたら、いつの間にかラストオーダーの23時が迫っていた。
いよいよ、本題に迫っていこう。
「誰でも焼けるの。クルクル回しときゃいい」
── 今日は、マスターの「焼き」に対する心意気を聞かせてください!
ぶっちゃけて言うとさ、炭が焼いてくれんだよ。俺じゃないんだよ。炭の上に乗っけとけばさ、誰でも焼けるの。クルクル回しときゃいい。何の技もいらねえ。
マスターはそう謙遜するが、そんなはずはないのである。
マスターは、中央線沿線の某焼き鳥店で長年修行の末、このお店をオープンしているのだ。
実はわたしは鶏の皮が大のニガテなのだが、さっき頼んだ皮のカリッと感とほどよく絡んだタレに、思わず「おいしい!」と思ってしまった。
生まれて初めて、焼き鳥の皮をおいしいと思ったのだ。
この味はマスターのカッコよさ補正を超えた、マスターの腕によるものに違いない。
あとはね、肉に「うまいよ〜」って言ってあげたり、にらみつけながら焼けばうまくなる。
こんなふうに照れながらジョークをかますマスターも、またカッコいいのだ。
── よく「串打ち何年、焼き何年」とか言うじゃないですか。
あ〜あんなのウソだよ(笑)。串打ち1日、焼き1日。何が大変かっていったら、毎日コツコツおんなじ作業の繰り返しだってことだね。
ところで「一徳」は、故・若松孝二監督の行きつけだったお店としても有名だ。
監督のお気に入りは、レバーだったという。
東中野に住んでて、電車に乗って来てくれてたの。国際映画祭で賞もらったとき、成田空港から「今から行く」って電話があったんだけど、普通賞もらったらもっといいとこで飲むんじゃないのって思ったよ(笑)。
── 帰国して一番に食いたいもの、だったんですね! 監督が初めて来店されたのは、いつ頃だったんですか?
開店して、最初の頃だね。クマさん(篠原勝之さん)を従えて来てたんだよ。唐十郎とか四谷シモンとか、一斉にうちに来てた。
── 監督はどんな風に飲まれてたんですか?
とりあえずレバー。酒は芋焼酎飲んでたね。本当はストレートで飲みたかったみたいだけど、ドクターストップが出てたから、お湯割りで。
── じゃあ私も、その若松監督セット、お願いします!
▲これが、「若松セット」だ! 芋焼酎お湯割り(420円〜)、レバー(100円)。香ばしく、ほんのりレア感がある
── 監督とは、どんな話をされてたんですか?
恐れ多いから、俺から話しかけることはあんまりなかったよ。お店では優しい人だったけど、撮影してるときはめちゃ怖い。うちで撮影してたときも、緊張の糸がピーンと張ってた。
2012年公開『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』のラストシーンに酒場が出てくるが、そのロケ地がここ「一徳」なのだ。
誰もがほれぼれするマスターの美声
── 「一徳」には開店当初から文化人が多かったから、今も落ち着いた大人のお客さんが多いんですね。
その影響はあるやろね。監督は「お前らみんな面倒見るぞ」って感じの器の大きい人だから、みんな付いてくるわけよ。
── 監督も、マスターを男として認めてらしたんでしょうね。男はかくあるべき感がにじみ出てますもん。
女性のお客さん:それ、わかります!
マジ? 嘘でもうれしいよ。でも、俺なんかがいい男って、たいしたことない街だな(笑)。
── では、マスターの思う、いい男とは?
それはですね(低音のキメ声で)。
一同「いい声〜!」
男性のお客さん:その声はズルいよ〜!
自慢話していい? 発注したときに、留守番電話を聞いた業者のお姉さんが、わざわざどういう顔の人かって見に来たことあるんだよ。
女性のお客さん:マスター、映画の吹き替えやっててもおかしくない声だもん。
NHKドキュメンタリーから、オファー待ち(笑)。
ネットで検索していただくと情報が散見されるはずだが、マスターは太くて低い、本当にいい声なのである。
こうして、いい男の条件は語らずとも客席中に伝わったのであった。
残念ながら『メシ通』ではこの声をお伝えすることができないので、ぜひ実際に訪れてみてほしい!
最後に、店名を冠した「一徳豆腐」を頼んで、店名の由来を聞いた。
マスターの名前とは一文字も重なっていないが、「一徳」の二文字は、どこから来たのだろう。
▲マスターいわく「あったかいだし豆腐」(330円)。すごくいい香り。
ちょっと前に亡くなった小説家の船戸与一が、俺の親分なんだよ。『山猫の夏』って作品があるんだけど、その主人公の弓削一徳って名前を俺にくれたの。女の人はあんまり読まない作家だけど、きっとそれを読むだけで正月は素敵に過ごせるよ。熱い気持ちになってくると思う。今日はありがとうね。
帰り道で、さっそく『山猫の夏』を注文した。
主人公はきっとマスターに似た、いい男に違いない。
お店情報
一徳
住所:東京都杉並区高円寺北2-11-1
電話番号:03-3336-4059
営業時間:17:00~23:30(LO 23:00)日曜日・祝日 16:00~23:00(LO 22:30)
定休日:火曜日
中央線の名店シリーズ 過去記事はこちら
第1回:中野