男性でも「摂食障害」になってしまう理由 精神保健福祉士・斉藤章佳さんインタビュー

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▲斉藤章佳さん。手にしているのは自身の著書。右から『万引き依存症』『男が痴漢になる理由』と、その韓国語版

 

私自身が「摂食障害」だった

話題の著書 『男が痴漢になる理由』『万引き依存症』(イースト・プレス刊)の著者で、精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳さん。

長年、アルコールや薬物、性、ギャンブルなど依存症の治療に携わってきたが、そんな斉藤さん自身、実は若い頃に「チューイング」といわれる摂食障害に苦しんだという。

沖縄でのホームレス生活でそれを克服したという斉藤さんに、男性でも摂食障害になる理由、克服した経緯、依存症の病理、沖縄での食の思い出などを聞きました。

 

──「摂食障害」といえば、女性がなる障害というイメージがありましたが、男性の場合はどういう人がなりやすいのでしょうか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:体重制限のあるスポーツをやっている人は、みんな何かしら経験していると思いますね。臨床の中で出会う男性の摂食障害の人は、ボクシングや柔道といった体重の階級がある人たちです。

 

──体重制限する、食べない、というところから、なぜ摂食障害という状態になるのでしょうか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:昔のスポーツ指導は、いわゆる「スポ根」でした。休憩時間に日陰に入るなとか、水を飲むなとか、炭酸を飲むと負けるとか、運動生理学が現場にほとんど浸透していなくて、とにかく「気合と根性」がまだ残っている時代だったんです。
指導の方法も、今でいうパワハラみたいなことが多かったですし、それができないやつは弱いやつ(負け組)という雰囲気がありました。

 

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──斉藤さんご自身はサッカーをやられていたそうですね。始めたのはいつ頃ですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:小学校からです。本格的にやり始めたのは中学の部活に入ってからですが、高校生の時、ちょうどブラジルからカズ(三浦知良)が帰国して、Jリーグが盛り上がっていた時期でした。私は地元でストッパー(ボランチ)というポジションをやっていて、県の選抜選手や優秀選手に選ばれたりしました。
当時、日本の旅行会社が企画した、テストを受けて合格した人がブラジルのチームに半年留学できるプランがあり、親に頼み込んでそれに申し込みました。やっぱり本場で学びたい、プロになりたいという気持ちが強かったです。

 

──その留学プログラムは、どのような内容だったのですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:現地の家庭にホームステイして、トップチームのひとつで練習したり試合したりできるというものでした。20年以上前ですから、経済発展する前のブラジルで治安が非常に悪く、子どもたちがすぐ近寄って来て、「チェンジ! チェンジ!」って言うんです。これは、日本製のものと交換してくれという意味ですね。
Made in Japanは海外ではブランドなんだと実感しました。子どもたちは裸足で、服もボロボロでした。ホームステイ先のご主人からは「絶対に夜道をひとりで歩くな」とか「車の窓は絶対に開けるな」とも言われました。夜はどこからともなく銃声が聞こえていました。

 

サッカーができなくなった時に感じた、絶望や劣等感

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──そんな環境でサッカーを学ぶのは過酷ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:向こうの子どもはハングリーなんです。生活の中にサッカーがあり、サッカーの中に生活がある。日本は経済的には発展していても「ジャポネース」と言われ、「サッカーが下手な日本人」とバカにされていました。
私も大きいほうだったので、体力的な差や体格的な差は感じなかったのですが、一歩めの瞬発力とハングリーさが違うことを痛感しました。彼らはプロになれば、現在の貧乏な生活から脱出できるわけです。だから、チームメイトを蹴落としてでも上にはい上がろうとするので、我々とはメンタリティが全然違うんです。

 

──具体的にどのようなことを学びましたか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:コーチからは徹底的に体重と体脂肪をコントロールしなさいと教えられました。それをコントロールしない選手は二流だと言われました。午前と午後、練習後に体重を測り、記録します。オーバーしている選手は、午後の練習で落とせと言われました。そこで私が学んだことは「体重と体脂肪を管理できる人が一流だ」ということです。

 

──とても厳しい内容だったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:半年ほどで帰国しましたが、とても貴重な経験ができました。ところが、帰ってすぐ、練習中に大きなけがをしたんです。半月板損傷よりもっと激しい損傷で、膝の関節を支えるクッションの役割をする半月板が大きく破れてしまったんです。「痛いな」と思いながらも、数カ月我慢して走り込みや筋トレをしていたら、どんどん悪化してしまいました。

 

──その後は、どうされたのですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:内視鏡手術をして半月板を削り、リハビリに約半年かかりました。当時、高校2年で、一番伸びるはずの時期にそういうことになってしまったので、まわりはどんどんうまくなっていくのに、自分は筋トレしかできない状態でした。
とにかくサッカーしかやってこなかったので、人に負けないものがそれしかなかったんです。人に優越感を感じるものをなくしてしまい、自信を喪失してしまいました。

 

──サッカーがよりどころだったのに……と。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:自分に酔うものがなくなってしまったという感じです。依存症の人が酒や薬をやめて間もない時期って、すごく不安定になるんです。自分が酔えるものがなくなる、まさに素面(しらふ)で生きている状態になるので、いろんな感情が「痛い」んです。
人より劣ってると感じたり、この先どうしたらいいんだろうという絶望的な気持ちになる。劣等感、孤独感、寂しさ、焦り、絶望感、不全感など、今思うとその時は裸で道を歩いているような感覚でした。

 

アディクション(依存)が引き起こすこと

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※以下、沖縄の風景の画像は本文とは関係ありません。

 

──つらい時期だったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:試合もベンチだし、トレーニングで走れないのに、食べる量だけは高校生ですから変わらず多いままでした。練習しているときは太らなかったのが、けがしている間、同じ量を食べたていたら、かなり太ってしまいました。

 

──練習できないストレスで、余計に食べたくなってしまう

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:ブラジルで学んだ「体脂肪と体重をコントロールできていない状態」になったのです。そうすると、さらに劣等感や孤独感が強化される悪循環のサイクルです。これをどうにかしないと、けがが治ったときに試合で走れないと思ったんですね。それで、「食べなければ太らない」と思いついたのです。
外に出してしまえば太らない。でも、一度食べ物を胃に入れてしまうと簡単には吐けないので、食べ物を口の中でかんで出す「チューイング」という行為を始めました。これをやっていると、その行為中は嫌なことを忘れられる、惨めな自分に向き合わなくて済むんです。今考えると、これはまさにアディクション(依存症)なんですね。

 

──摂食障害も依存症の一種なんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:依存するものが、サッカーから食べ物に変わったんです。出すと言っても少しは食べるんです。でも、それ以上は食べ過ぎになると思ったら、口に入れて出す。そうすると、食べた感覚を脳が錯覚するんです。
本来、体重のコントロールはプレーの質を上げるための手段であったはずなのに、それ自体が目的に入れ替わってしまったんです。リハビリが終わって復帰したものの、結果的に筋力も体力も落ちてしまって、けがした左足をかばいながら練習していたら、右足の半月板も損傷してしまいました。
また手術してリハビリか、とこの時はさらに絶望しました。高校最後の試合にはなんとか出られましたが、やっぱり「けがさえしていなければ……」と思いました。この「けがさえしなければ……」というのは、その後もずっと言い訳をするための思考パターンとして自分の中に定着してしまいます。

 

──その後、大学に進学されるんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:自分の中では「本当はもっとできるはずなのに」という思いがありました。でも、「けがのせいで」というとらわれからずっと抜けられずにいたので、大学に行ってもサッカー部には入らず学生生活を過ごしました。
ずっと自分に言い訳をしながら生活していました。そうなると自然と体重コントロールは気にならなくなります。でも、腐った気持ちではいたので、ストレスがたまるとチューイングは20歳くらいまで時々やっていました。今考えると、ストレスへの対処行動になっていたのです。
大学ではフットサルの普及活動をやっていましたが、当時はまだサッカーより格下の人がやるくらいに思いながら不全感を抱きながらやっていました。

 

──大学では何を学んでいたのですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:社会福祉学や保健福祉学を専攻する学部に進学したのですが、そこで明確に何かをやりたくて入学したわけではないので、将来の方向性も定まらず、卒業後の進路はまったく決まっていませんでした。
別に福祉の仕事をやりたいとも思わなかった。ただ、実習やボランティアで行った児童自立支援施設(※当時は教護院)での経験があったので、サッカーを通して非行少年を更生に関われたらいいなとは思っていました。

 

※児童自立支援施設……犯罪などの不良行為を行ったか、あるいはそのおそれがある児童、家庭環境等の環境上の理由により生活指導が必要な児童を入所させ、または保護者の下から通わせて、必要な指導を行い、自立を支援することを目的とする施設。子どもの日常の生活を支えるとともに学校に代わっての学科指導、職業指導などが行われています。退所後の児童に対しても必要な相談や援助を行います。

 

逃げるようにひとりで沖縄

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──大学生の頃に沖縄に行かれたんですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:大学最後の春休みに、卒業旅行のつもりで、バイトで貯めた10万円ほど持って逃げるようにひとりで沖縄へ行きました。それまでも何度か友人と旅行で行ったことはありましたが、まず国際通り周辺……桜坂という、東京で言えば新宿2丁目のような裏通りへ行きました。

 

──いきなりディープなところへ行かれたのですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:現地に着いて、ホテルに行く前にそこへ飲みに行ったんです。実はホテルも決めてなかったんですが。以前にも行ったことのあるバーで地元のおじさんらしき人に声をかけられました。大きなリュックを背負っていたので、旅行者だとすぐわかったんでしょう。「おごるから」と言われ、50〜60代くらいの男性3人と一緒に、つぶれるまで飲み続けました。
オトーリ(御通り)」という宮古島の古くからある習慣で、テーブルに置けない三角形のグラスで、30度近くある菊之露という宮古島の泡盛をストレートでみんな飲んでいきました。「最後まで残った人が勇者」という飲み方です。私も若かったですし、酒も弱い方ではなかった。特にもともとが体育会系でしたから、絶対に負けないと思って飲んでいました。

 

目が覚めたら、一文無しになっていた

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f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:でも、みんな肝臓の鍛え方が違うのか、顔色ひとつ変えず酒を飲んでいくんです。私には泡盛の耐性があまりないので、一升瓶の2本目以降はまったく記憶がありません。将来の目標がなく逃げて来ていたので、酒が進み、最後はブラックアウト状態になりました。朝気づいたら、桜坂の通りで寝ていたんです。
起きたら持ち物は何もなかった。お金も全部取られていたし、本当に着てる服だけしかありませんでした。当時PHSを持っていたのですが、それもなくなっていて、パニックになりました。

 

──警察には行きましたか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:親は就職活動をちゃんとしているだろうと信じていたはずなので、沖縄に行くことは誰にも言っていませんでした。罪悪感や後ろめたい気持ちがあったから、警察に行くと親に連絡されてバレてしまうと思い、行きませんでした。
だから、どうしていいかわからず、近くの公園で座って、まさに途方に暮れていたんです。

 

──それから、どうしたのですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:3日くらい、何もいいアイディアが浮かばず、ベンチに座ってにいたら、ホームレスらしき人に声をかけられました。「お前さん、そこで何をしているんだ」と言われたので、「観光で来た」と言ったら、「3日前からそこにいただろ」と言われてしまいました。そして、不思議とそれまでのことをすべて話したんです。
サッカーで挫折して、大学時代は過去の栄光にすがっていて、すべてまわりのせいにして、身動きが取れず、逃げて沖縄旅行に来たら全部取られてしまった。どうしていいかわからず、ここにたどり着いた。それまでのことを全部、30分くらいかけて洗いざらい話したんです。そのホームレスの人はずっと黙って聞いてくれました。

 

──不思議な出会いですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:自分がどん詰まりに直面した時、利害関係がない人が声をかけてくれたことによって、生まれて初めて全部正直に話すことができたんです。後から振り返ると、これはカウンセリングだったんだと思いました。
私にとって、これが最初のカウンセリング体験だったんです。体育会の「気合い」と「根性」の世界で生きてきたので、「弱音を吐くやつは弱いやつだ」「男らしくない」と言われ続けてきて、他人に悩みを打ち明けたことがありませんでした。人に悩みを打ち明けて、その後にスッキリする、という経験は生まれて初めてでした。

 

──すべてを打ち明けることで救われた。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:当時、大学で学んでいた心理学で、クライエント中心療法というカール・ロジャーズという人が創始した心理療法で、ひたすら傾聴するというやり方です。「受容」「傾聴」「共感的理解」という、カウンセリングで最も重要なポイントがありました。私にとっては、このホームレスがロジャーズに見えました。

 

賞味期限切れのサンドイッチの味

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──そのホームレスの人は斉藤さんのお話に対して何と言っていましたか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:私の話については何のアドバイスもありませんでした。でも、その時、3日ぶりに食べたのが、賞味期限切れのコンビニのミックスサンドイッチでした。そのホームレスの人が何も言わずくれたんです。それはもう、とてつもなくおいしかったです。胃の中に染み渡りました。だから、今でもサンドイッチは大好きです。

 

──忘れられない味になったんですね。その後は、どうしましたか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:その人が提案してくれたのは、「シケモク拾いをやってみないか」ということでした。私はタバコを吸わないので、何のことかわからず、「シケモクってなんですか?」と聞いたくらいです。人が吸ったタバコのまだ吸えそうな吸い殻を拾うというミッションでした。私も体育会系なので、先輩から言われたら基本的に「はい」しか言わないので、それからひたすらシケモク拾いをしました。
そして、夜7時くらいにホームレス仲間がその公園にぞろぞろ集まってくるのですが、みんな太っている。ということは食べものがあるんですよ。みんな食料を持ってきて、それを分けてくれるんです。シケモクと交換で。酒も出てくるんですよ。
今となっては、私にとって狂い水の泡盛でした。そこで、食べるものには困らない特殊なコミュニティーがあるんだと知りました。パシリのようなことをしながら、公園の水道で体を洗って、過ごしました。

 

──それは、何日くらい続いたのですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:一週間くらいして、このままだと親に申し訳ないという気持ちが出てきて、このコミュニティーからそろそろ脱出しようと思いました。
ホームレスの人にカウンセリングをしてもらったことで、自分の中である程度、心の整理がついたことが大きかったですね。過去の自分と決別して、新しい自分で生きて行くという決断ができつつありました。

 

──公園での生活と決別したのですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:それで、シケモク拾いは朝の9時くらいから始めないといけなかったので、6時か7時にそのコミュニティーを抜け出しました。目的はなかったんですが、せっかく沖縄に来たんだから、沖縄を歩いて一周しようと思ったんです。
とにかく何かを成し遂げたかったんです。海沿いに歩けばなんとかなると思い、夜はビーチで寝たりしました。やっぱりお金がないので、仕事をしないといけないと思ったのですが、身元も曖昧な状況で、電話もない。
仕事の面接に行ったとしても、連絡先がないと仕事ができないんです。その当時、『田舎に泊まろう!』というテレビ番組がありましたが、それみたいに、「今晩泊めてください」と家を回るしかないと思い始めたんです。

 

誰かに助けを求めるということ

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──それはなかなか大胆な行動ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:これをやり始めて気づいたんですが、見ず知らずの汚い若者を泊めてくれる家なんて、ないじゃないですか。普通、みんな警戒しますよね。
だから、それを解くために思いついたのが、ホームレスの人にしたのと同じように今までの話を正直にして、困っているから助けて欲しいと相手に訴えることです。最初の家でやってみると「ひと晩くらいなら」と食事をごちそうになり、泊めてもらいました。これはビギナーズラックでした。ハマりましたね。

 

──その家の方が親切で良かったですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:そこでわかったのが、人に助けを求めるのは、生きるためのスキルなんだということです。もちろん断られたことのほうが圧倒的に多いのですが、お金を貯めて帰らないといけない。だから「仕事をさせてほしい」と言って、家業を営まれている家では投網を縫ったり、畑仕事や土木作業などをやりました。
肥溜めをすくって畑に肥料としてまくという仕事は、1日8,000円くらいもらえて給料がよかったですね。その後、2、3日は全くにおいが取れませんでした。

 

──日替わりで、いろんな仕事をやったんですね。何日くらいかかりましたか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:本島を一周するのに1ヵ月ちょっとかかったのですが、だんだん慣れてくるんですね。「前の家でもやらせてもらったので」と言って、「ここでも何か仕事がありませんか」と聞いて回りました。けっこうお金が貯まって、帰るための旅費くらいは余裕で稼いだので帰ることにしました。
その体験を通して、自分を必要としてくれるところなんてない、自分の居場所は自分で作らないといけないと体験的に学びました。そして、働くのは飯を食うため、生きるためなんだと身をもって実感しました。このふたつが大学4年間で学んだことで一番大きいことでした。

 

──素晴らしい体験だった。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:でも、そのきっかけは飲酒で泥酔して、家出してしまった体験なんですよね。それから、大学のある岡山に帰って必死に進路を考え、まずは福祉の領域の中では有名な「社会福祉士」という資格を取ろうと思いました。

 

沖縄での経験が、依存症治療に携わるきっかけになった

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──社会福祉士とは、どのような資格ですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:社会福祉士は、いわゆる「ソーシャルワーカー」と呼ばれる社会福祉専門職の国家資格です。身体的・精神的・経済的なハンディキャップのある人から相談を受け、日常生活がスムーズに営めるように支援を行ったり、困っていることを解決できるように支えたりすることが主な仕事となります。
また、他分野の専門職などと連携して包括的に支援を進めたり、社会資源などを開発したりする役割も求められます。地域を基盤として、さまざまな場所で活躍しています。そして、精神や心理の領域にも関心があったので、専門の国家資格である「精神保健福祉士」という資格も取りました。社会福祉士の資格を持っていると、試験科目が半分免除されたんです。

 

──それからすぐ就職したのですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:平成14年11月に榎本クリニックに就職しました。その時は依存症治療で日本で有名なクリニックということも知りませんでした。精神保健福祉士の専門コースを受講している時に、先生から先輩が働いているから受けてみたらと誘われ、ちょうど榎本クリニックに男性の欠員があったので、採用されたんです。
榎本クリニックは高齢者、思春期、青年期、アルコール、メンタルと専門分化して治療活動をしていたのが当時は先進的だったんです。私は引きこもりや人格障害、非行など、思春期の問題には興味があったんですが、アルコール依存症を担当するフロアに欠員があったので、そこへ配属されました。
実は、正直にいうとアルコール依存症には全く興味がありませんでした。

 

──初めから依存症を専門にされるつもりだったわけではないのですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:今から思えば、沖縄の公園で出会ったホームレスの人たちの多くは、アルコール依存症やなんらかの依存症だったと思います。みんなで宴会しながら、「酒で自分の人生は狂ってしまった」とか「ギャンブルで自己破産した」と話していました。
もしかしたら、薬物依存の人もいたかもしれません。だから、そこにいた人たちはみんな、なにかしらの依存症だったんです。だから、そこでの経験と、今の仕事とのつながりを感じています。それ以来20年近く、ここで依存症治療に携わってきました。

 

──最初はアルコール依存症の治療をご担当されていたんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:そうです。アルコールフロアで依存症治療の基礎を学びました。すべて依存症対応の基礎はアルコールなのです。その次は薬物依存症ですね。当時、薬物依存症の治療は日本では行われていませんでした。
榎本クリニックが医療機関では日本で最初に始めたんです。それで、薬物依存症治療の部門の立ち上げに携わり、その後は新しく開院した新大塚榎本クリニックの立ち上げ責任者兼マネジャーとなり、その後も飯田橋、御徒町の責任者を経て、今は大森と約3年ごとに新しいクリニックの立ち上げをやってきました。

 

──それだけクリニックが拡大しているということは、依存症の治療に需要があるということなのですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:そうですね。クレプトマニア(窃盗症)や、性依存症の治療も、他ではやっていなかったので、「なかったら作れ」というのが当グループの精神で手探りで開拓してきました。

 

──まさに「自分の居場所を自分で作る」ということですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:きっとそういうのが性分に合っているんだと思います。やはり沖縄の経験は大きかったと思います。

 

ありのままの自分を受け入れられるか

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──摂食障害や依存症から抜け出すには、どうしたらいいのでしょうか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:生きがいは大事だと思います。依存症の人でも、耽溺(たんでき)しているもの以外の健康な依存先が社会の中に見つかるかが大きいですね。あとはやはり自己受容です。今の自分でOKなんだということ。
この体とこの顔とこの性格をちゃんと受け入れることができていれば、また、大切な人との健康的なつながりがあれば、アルコールや薬物などにハマる必要がないんです。

 

──自分自身で自分を受け入れられないから、依存症になるんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:今の惨めな自分を消したいわけです。そこに向き合わないために必要なのが、また棚上げしてくれるのが、いろんなアディクション(依存症)です。最初は減量が目的だったのが、減量という行為そのものに耽溺してしまうんです。とはいえ、私の場合、それがなかったら、あの時もっとしんどかったと思いますね。
死を考えていたかもしれません。自分の生活のすべてだったサッカーができなくなった、すごく大きな喪失体験ですから、むしろ別のアディクションがあったことで乗り越えられたという側面はあります。

 

──以前、ある種の摂食障害の人は「やせすぎの状態」を保つことによって、なんとか生き延びていると聞いたことがあります。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:依存症は「サバイバルスキル」でもあるんです。だから、摂食障害の人にも無理にやめさせることはしません。気がすむまでやってなさいよ、というか、必要がなくなったら自然と症状を手放します。
依存症は、周囲がやめさせようとすると、どんどんひどくなります。だから、結局は伴走する、見守るしかないんです。そして、相手が相談したい時に相談を受けます。これを最近は伴走型支援と言ったりしますが、私は「タフラブ(見守る愛)」といっています。

 

──どのような相談をされているのですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:彼らは他者から、ありのままの自分を受容される経験が少ないんです。特に母親からそういう経験をしていない人が多い。頑張っている自分じゃないと認められないという経験の方が多いから、今の等身大の自分でOKなんだという体験を積み重ねる必要があります。私は沖縄で過去の話を何回もしてきたので、今考えると、それが棚卸しになってよかったんだと思います。

 

──同じ話を繰り返し聞いてもらうことによって、そういう自分を受け入れてもらっているという経験ができたわけですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:要は、「自分はたいしたことない」とわかるわけです。他人は自分のことをそれほど気にしていないという気づきは大きかったです。だから、進路を迷っている学生には、たとえ話として沖縄でホームレスをやるか、依存症になるか、どっちかやってみなさいという話をします。依存症になってみると限界がわかります。
でも、依存症から回復を続けている人はみんな楽に生きています。悟ったように角が取れていきます。あまり頑張っていないですし、他人によく見せようという努力もあまりしないですね。回復している人と話していると「私の方がよっぽど病気だな」と感じることの方が多いです。

 

──頑張りすぎは良くない、と。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:自分のために頑張るのはいいのですが、依存症の病理は、人のために頑張りすぎてしまうこと。そこが落とし穴ですね。

 

──摂食障害にならないために、食とうまく付き合うにはどうしたらいいのでしょうか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:ごく自然な感情であれば、食べたいものを食べたほうがいいのではないでしょうか。なんでもやりすぎは良くないということですね。

 

依存症の人に助けられた

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──他に沖縄で思い出に残っている食事を教えていただけますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:私のなかでは沖縄の賞味期限の切れたミックスサンド菊之露。あのふたつは強烈なインパクトですね。だから、もう泡盛は絶対に飲まないです。飲みだすと止まらないんじゃないか、という思いがあるので飲まないです。あとは、グルクンという魚の唐揚げ、海ぶどう豆腐チャンプルソーメンチャンプルといった普通の沖縄料理が好きです。その後も沖縄には時々行くんですが、本島ではなく離島に行きます。石垣島最高ですね。石垣牛もおいしいですね。

 

──沖縄での経験が、その後の人生の転機になったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:沖縄で学んだのは、人生に無駄はないということです。アルコール依存症の当事者が主催してくれた講演会で、今話したような内容を体験談として「仲間」という機関紙に掲載してくれたことがきっかけで、沖縄国際大学で講演したこともあります。

 

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▲アルコール依存症の自助グループ“仲間と共に歩む会”の機関紙「仲間」

 

──学生が聞いたら、とても響く内容ですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:私はアルコール依存症の人に助けられたので、恩があります。アルコール依存症の臨床を始めてから、治療は受けていなかったものの父方の祖父も実はアルコール依存症だったと気づきました。沖縄のホームレスの人より前に、アルコール依存症の人に出会っていたんですね。

 

──実は、それほど前から、依存症とはご縁があったということですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:そうなんです。こういう体験をアルコール依存所の自助グループ(AA)では「ハイヤーパワーのおぼしめし」と言います。目に見えない大きな力でつながっているんだなと。なによりも依存症の人たちは、回復していく姿がすごく魅力的な人たちです。人が変わる瞬間に立ち会える仕事なので、やりがいがありますね。性犯罪などの加害者臨床はまた別ですが、それはまた違うところにやりがいがあります。

 

──それは、どういうところですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:性犯罪の場合は、同じ男性なのに、なぜこんなひどいことを繰り返すのだろうという純粋な疑問です。人を傷つけることで自分のパーソナリティーを安定させて優越感や達成感を味わう。
悲しいかな、世の中には、こういう人が一定数います。子どもへの性犯罪を繰り返す人は、「もし子どもが騒いでいたら、どうしたんですか?」と聞くと、「たぶん殺してました」と平気で答えたりします。この加害者性は、実は自分たちの中にもあるんですよ。そういう気づきもありますし、なんでこうなってしまったんだろう、という純粋な好奇心が強いです。
加害者臨床を続けていられる源は、他者への純粋な好奇心です。本当にひどいことをしてきた人が多いのです。しかし一方で、性犯罪を撲滅する、という崇高な思いだけでは続かないと思います。なぜ同じ人間なのに、こういう人生だったんだろうという好奇心から、この加害者臨床を続けています。

 

「考えるな、感じろ」

──依存症ではなくとも、人間誰しも日々、落ち込んだり悩んだりすることはあると思うのですが、メンタルを安定させるための秘訣(ひけつ)はありますか。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:依存症の当事者たちから学ぶことはたくさんあって、彼らは病気が進行していくとどんどん孤独になっていき、周囲との関係を切っていきます。最後は自ら死を選んでしまうような人もいます。いっぽう、回復する人は、依存症という病気で失った人間関係、つながりを少しずつ取り戻していきます。
最近よく「アディクション」の反対は、「コネクション(関係性)」と言われますよね。脳性まひという障害を持ちながら小児科医として活躍されている熊谷晋一郎先生は、「自立とは依存先を増やすこと」とおっしゃっていますが、これは依存症の当事者研究でも実証されていることです。

 

──失った人間関係を取り戻すことが回復につながる。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:自身のメンタルヘルスを保つには、自分の依存先を、つながりを社会のなかに増やすこと。安心して助けを求められる関係を作っておくこと。愚痴が言い合える関係があるだけで心の負担は軽減されます。
孤独な人に、依存症は取りつくんです。よく心理臨床の分野では言われますが、男性は「THINK(考える)」が得意なんですよ。「THINK」ではなく「FEEL(感じる)」でいきましょう。困った時はFEEL=今自分が何を感じているかに立ち返った方がシンプルでいいんです。思考はうそをつきます。

 

──どのようにしたら、そういうメンタリティを保てるのでしょうか。

 

f:id:Meshi2_IB:20181226193827p:plain斉藤:案外、人は今自分の中で何が起きているか正確には知りません。最近、マインドフルネスなど瞑想(めいそう)がはやっていますよね。ちょっと目を閉じて、自分の体の重さを感じながら、どこが痛いのかとか、力が入っているとか、感じてみてください。そういうときの体の反応は、何かを言おうとしているのです。
特に男性は「FEEL」をもっと洗練させていくといいと思います。そのほうがきっと世の中が平和になりますね。ブルース・リーの有名な言葉に「考えるな、感じろ」というのがありますが、これからの時代、人とのつながりを保つためにも、自分が何を感じているのかを言語化していく力や、人と対話する力を育てていかないといけないと思います。今日は体験談を聞いてくれて、ありがとうございました。

 

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▲学生時代に沖縄旅行で撮影した写真(写真提供:斉藤章佳さん)

 

依存症の治療に携わっていらっしゃる斉藤さんご自身が摂食障害に苦しまれていたと聞いて驚き、ぜひその経験をおうかがいしたいと思いインタビューしました。

「人に助けを求めるのは生きるためのスキル」「人のために頑張りすぎない」「依存先を社会の中に増やす」といった言葉は、現代社会に生きるうえで、とても重要な要素なのではないでしょうか。

 

※撮影(沖縄風景):渡邊浩行
沖縄の風景画像は、本文の情景をイメージしやすくするための補足画像であり、内容と直接関連はありません。 

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書いた人:西野風代

西野風代

ライター&編集者&夜遊び探検家。東京生まれ。週刊誌記者、女性誌編集を経て、タイに移住。雑誌やウェブのライター、フリーペーパー編集長、コーディネーターとして活動後、現在は東京を拠点に、旅やカルチャーなどの記事を執筆。

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