駄菓子を愛しすぎて全国250軒の駄菓子屋を巡り歩き、自分でも開業
駄菓子屋への思いが強すぎて、お子さんと一緒に全国の駄菓子屋約250軒を巡り歩いたという加須市の「駄菓子屋いながき」のオーナー宮永篤史さん。
学童保育の経営者から突然の転身、埼玉県加須市に駄菓子屋をオープン。
その経緯と、これまで回った全国の駄菓子屋で印象に残ったお店6店について伺いました。
──これまで250軒ぐらいの駄菓子屋を回られたそうですが、お店はどうやって探したんですか?
宮永さん:よく聞かれるんですけど、まず、インターネットで調べてみるんです。あまり出てこないので、問屋さんを探します。でも、問屋さんは基本的に小売をしているわけではないので、あまり相手にしてもらえないんですね。
一応、失礼にならないように買い物して、聞くと教えてくれることもあります。あとは、小学校を調べて、近所をうろうろしてみたりします。
──学校の近くに駄菓子屋があるということですか?
宮永さん:そうです。それから、昔ながらの定食屋さんとかに行って、「実は、われわれこういう感じで駄菓子屋を探しています。近所にあります?」って聞くと、やっぱり昔から住んでる人は詳しいので、そういうところで教えてもらうこともあります。
▲宮永さんお手製の商品棚に駄菓子がぎっしり並ぶ
──以前は学童保育所を経営されていたそうですね。
宮永さん:子どもたちに遊んでもらうために、学童の中に駄菓子屋を作りました。オリジナルのお金を用意して、おやつの時間になったら、そのお金を渡して、その疑似駄菓子屋の中で買い物をしてもらう。あとゲーム機もいっぱい置いていました。
──学童の中にゲーム機を置いていたと。他のところでは、なかなかないですよね。今のお店の場所は、もともと学童にあったゲーム機の置き場、倉庫として探していたんですよね?
宮永さん:学童の事業を譲渡するときに、私物を置いておけなくなったので、倉庫を探したんですよ。そうしたら、この物件が出てきたんです。
「街の風景を変えたくない」
▲手前の美容室の建物が駄菓子屋、奥の印章店だった建物は駄菓子を食べられるスペースになっている
──いながき美容室と印章店の看板をそのまま残そうと思われたのは、どうしてですか?
宮永さん:街の風景を変えたくないんです。古い住宅街なので、昔から変わってないはずなんですよ。そこにいきなり新しいものをつくっちゃうと、たぶん違和感が出ちゃうと思ったんです。自分のコンセプトとしては、本当に昔からここにそういうお店があったんじゃないかって思ってもらえるようなお店にしたかった。
建物自体が古いし看板もあるから、十分味があると思いました。最初に見にきたときに、美容室の椅子と鏡があったんです。つまり、ここで髪を切っていたんですね。
──その鏡をそのまま残しているんですね。
宮永さん:そうです。流し台があって、ハンコ屋さんからも古いゴム印とかが出てきたんですよ。ここに確かに商売をやっていた人の人生があったんだと思って、そこは敬意をもって残したいと思いました。
▲壁の鏡は美容室時代から使われていたもの
──ゲームや昔ながらの物を集めていらっしゃるから、レトロな雰囲気が好きとか、そういう趣味なのかと思っていたんですが、そういうことよりは、「先人たちへの敬意」がまずあるんですね。しかもけっこう保存状態もきれいです。
宮永さん:きれいでした。仕事へのプライドみたいなものを感じたんですよ。美容室、ハンコ屋さん、両方とも。だから、なるべくそのまま残したかった。ちょっと傷みがひどかったところは直して、床は建物が傾いていたので、平らな床を張ってありますが。
──消費税が上がったり、少子化が言われているなか、このお店は駅からも離れた場所にありますし、そもそも商売として成り立つのか気になります。なにか経営戦略みたいなことは、あったのでしょうか?
宮永さん:駄菓子屋を200軒前後回って全員に言われたのは、「駄菓子じゃ食えないよ」ということ。これから駄菓子屋を始める人間に対して、全員の先輩が言うんです。いや、そんなことないだろうと、なんとかなるだろうと始めたんですけど、本当に駄菓子じゃ食えないんですよ(笑)。
▲手際よく値段ごとに駄菓子を分類して計算
──でも、そこで、くじけずやっていこうと思ったのは、なぜですか?
宮永さん:本当に駄菓子じゃ食えないのか、ちょっと試してみようと思ったんです。駄菓子単体じゃ無理でしたけど、10円ゲーム機も置いてみたら、まあちょっと稼げるようになりました。
次は鉄板焼きもやってみようとか、そういうふうに、お金がちゃんと残る仕組みを作りたいんです。どういうレベルまでやり込めば、お金がちゃんと残るようになるのかを作れたら、駄菓子屋を新しく始める人が出てくるはずです。
──ひとつのビジネスモデルを作ろうとしているんですね。
宮永さん:ビジネスモデルとか言っちゃうと、かっこよくなっちゃうので、恥ずかしいですけど、「いながき」的なやり方をすればできると思ってもらえるかなというイメージです。実は駄菓子屋をやりたいって言う人は、けっこう多いんですよ。
──そうなんですか?
宮永さん:ええ。ただ、そんなに本気じゃなくて、なんとなく緩く暮らしていけるのかな、やってみたいな、くらいの気持ちで言う人は意外に多いんです。実際、始める人もいるんですが、すぐつぶれちゃうパターンも多いみたいで。
なぜなら、もうからないから。夢はあるけれど、みんな破れちゃう。うまくやってる人も、それなりに大変だっていう話は聞きます。1個でも万引きされたら、もう大変な損失なので。
──楽な商売ではないですよね。
宮永さん:いま駄菓子屋をやっている人は、みんな70〜80代ばかり。だから、この10年がカギだと思うんです。みんなが80歳とか90歳になっちゃうと、さすがに続けられないかと思います。
だから、向こう10年で、ビジネスモデルっぽいものを作って、それを真似してもらえれば、駄菓子屋が完全に死に絶えちゃうまでいかないで済むと思うんです。「駄菓子屋という文化を残したい」なんて、最初は考えてなかったですけど、旅して、本当にたくさんの駄菓子屋の人と話したり、駄菓子屋を取り巻く現状を知ることで、そういう気持ちになってきました。
「駄菓子屋のおばちゃん」のような存在でありたい
▲ゲームは時々入れ替えている
──皆さんの思いが集まってきて、それが今の目標につながっている。
宮永さん:よくいっちゃえば、そうなんですけど、そんなの多分、誰も背負わすつもりもないし、そんなことは誰も思ってないはずなんです。でも、そう受け取った気がしてしまったので、やってみます。駄菓子屋のおばちゃんたちって、みんないい人ばかりなんですよ。駄菓子屋が子どもたちの心を育てるという側面は、かなりあると思います。
──それはどうしてですか?
宮永さん:まず子どもが駄菓子屋で買い物をする経験をすることで、お金の計算ができるようになる。それと、知らない人同士とかお店の人と会話、コミュニケーションをすることで、たぶん、情操教育になっているんだろうと思います。
──それは他のお店ではできないことなのでしょうか?
宮永さん:コンビニやスーパーマーケットではなかなかできないですよね。ちょっとした食べる場所があって、おばちゃんと、ああでもない、こうでもないと話したり、高学年になれば、悩み相談したりとか。
駄菓子屋って、駄菓子を売っているだけじゃなくて、実は地域のコミュニケーションの礎みたいになっているんですね。自分もずっと駄菓子屋に通っていたから、そう思います。
──そうなんですか?
宮永さん:お店に違う学校の子が来て、それまで仲良くなければ、いがみ合いみたいになったりもするし、それでけんかも学ぶし、やっちゃいけないことをやれば、怒られるし、追い出される。そういうことも学ぶから社会の縮図だと思うんですよ。
──たしかに学校では学べないことかもしれません。
宮永さん:ブログにも書いたのですが、学童に駄菓子屋を作ったのも、子どもたちを遠足に連れて行って、お菓子を現地調達で買おうと思ったら、買い物ができない子が何人かいてびっくりしたのがきっかけです。
0歳から保育園に通って、土日は親と一緒に買い物行って、小学校に上がると、社会経験不足になってしまうんだと思いました。
──なるほど。
宮永さん:今、住んでいる家の近くにある駄菓子屋は、中高生がよくたまっているんですけど、その中にはなかなか家に帰らない小学生とか、明らかに悩みを抱えている子なんかもよく来ています。自分はただの客のおじさんなんで、特に何も言わないですけど、その子たちが帰った後に、おばちゃんに「あの子、ちょっといろいろあってね……」みたいな話を打ち明けられることがあったり。
▲駄菓子以外にくじ引きもある
──親でも先生でもない。言ってみれば、他人ですが、その立場でもできることはけっこうある、ということですか?
宮永さん:そう思います。なぜかというと、親とか先生だと、多分、関係性的に真に受け過ぎちゃう。だけど、その辺の知らないおじさんである自分が適当に言ったことが、意外と肩肘張らずに軽く聞いてもらえたりすることもある。
お父さんお母さんにガミガミ言われるわけでもない。自分がポロッと言った、「それ、駄目じゃん?」とか、「それ、素朴にいいじゃん」みたいな言葉が、けっこう心に残ったりするのかなと思います。
──今はそういう関係性って少ないし、なかなか難しいですよね。
宮永さん:だから、みんな駄菓子屋のおばちゃんのところに来るんだと思います。それはあの人たちが、子どもとちゃんと向き合っているから。自分もそうありたいと思います。
自分は男だし、まだあの人たちに比べると若いし、でかいし、ひげだし、長髪だから、優しい雰囲気とはちょっと違うので、おばちゃんたちのあの空気感は出せないんだけど、いいものはいい、悪いものは悪いと言ってあげられるポジションではいたいですね。
──親や先生以外に、そういう地域の大人の存在も必要かもしれませんね。
宮永さん:そう思われたら、ありがたいという感じですね。粛々と駄菓子屋業をやって、表向きは駄菓子屋文化を継承させるためのビジネスモデルを作りたい。だけど、その一方で、子どもたちに何かよくないことが起こっていれば、解決できる大人でありたいとも思っています。
宮永さんが選ぶ「ニッポンの名駄菓子屋」6選
──では、宮永さんが選ぶ6軒のご紹介をお願いします。
宮永さん:本当に簡単には選べないですけど、よりエピソードがある感じのお店をあえて選んでみました。
1.淡路屋(兵庫県)
【#いながきの駄菓子屋探訪】
神戸市兵庫区「淡路屋」
3代続く歴史あるお店。駄菓子はもちろん鉄板焼き屋並の豊富なメニューがあり、何から何まで美味しい。子供から大人まですべてを優しく包み込むような店主の人柄に、駄菓子屋としての天賦の才を感じる。日本屈指の名店とさせていただきたい。 pic.twitter.com/e8Ggu2IKPn— 駄菓子屋いながき@埼玉県加須市(旧騎西町) (@kazoinagaki) October 21, 2019
宮永さん:ここはなんと3代続く駄菓子屋です。たくさん駄菓子屋を回っていろんな人に会いましたけど、生まれついての駄菓子屋みたいな人、駄菓子屋をするために生まれてきたみたいな人って、3人だけしか会ってないんですよ。こういう、天賦の才を感じる人のことを「ナチュラルボーン駄菓子屋」と呼んでいます。
ここのイトウさんは、その中の1人です。子どもたちに対する対応が自然体で、包み込むような接し方。「大人と子ども」じゃなくて、「人間と人間」でちゃんと話をしてる感じが特に素晴らしいと思いました。あと、クレープとか明石焼きもあるんですけど、全部おいしいです。
2.川相商店(岡山県)
岡山市南区にある川相商店に行ってきました!世界のバント王川相関連の展示があり、苗字も川相だし「親戚ですか?」と聞くと「息子なんです」と(笑)なんとジャイアンツで長く活躍した川相昌弘選手の実家でした!1番緒方2番川相の時代に野球をしていたので、この巡り合わせはすごく嬉しかったです! pic.twitter.com/a4bB8MsCYg
— 駄菓子屋いながき@埼玉県加須市(旧騎西町) (@kazoinagaki) March 21, 2019
宮永さん:お店に入ったら野球の道具やジャイアンツのサインバットがいっぱい飾ってあるんです。何だと思ったら、元ジャイアンツの川相昌弘さんの実家なんです。知らないで入ったんですが、小学校のとき野球をやっていたので、興奮しちゃいました。
最初は「川相さんは親戚ですか?」って聞いたら、「いや息子なんです」って言うんです。川相さんにそっくりなお父さんが出てきて、これはマジだわって思って、そこからずっと野球のトークをしちゃいました。
「自分が野球見てたときは、日テレつければ、巨人戦やってて、1番・緒方、2番・川相の時代だったんで、ずっと見てましたよ」っていう話をしました。店内には子どもたちが将来の目標とか夢だとかを書いた紙がびっしり貼ってあるんですよ。明らかに、教育的な観点からもやっているお店ですね。なぜかサインボールとサイン色紙もらっちゃいました。今、自分のお店に飾っています。
3.やました商店(静岡県)
【いながきの駄菓子屋探訪】
— 駄菓子屋いながき@埼玉県加須市(旧騎西町) (@kazoinagaki) July 30, 2019
静岡市葵区「やました商店」
駄菓子とおでん、鉄板焼きのお店。おでんは安価で、真っ黒のつゆでダシ粉をかけて食べるいわゆる静岡おでん。公園の目の前にあるので、子どもたちは遊ぶ→食べる→遊ぶを無限に繰り返すことができる。店主は自主的に公園の掃除も行っていた。 pic.twitter.com/JV31bBmvd2
宮永さん:静岡おでんと鉄板焼きをやっている男性店主のお店で、お母さんから引き継いだ2代目なんです。駄菓子屋って代替わりも珍しいうえに、男性がやることってあまりないので、非常に珍しいお店ですね。
公園の目の前にあるんですが、子どもたちが公園に平気でごみを捨てたりするので、ヤマシタさんは公園の掃除までやっているんです。お母さんがやってた頃に、万引きに悩まされて、もうお店を閉めようかっていうときがあったらしいんですけど、息子さんが引き継いだことによって、今もちゃんと続いています。
4.星食料品店(埼玉県)
越谷市にある星食料品店に行ってきました!行ってきましたというか、ここは自分が幼少期に通った駄菓子屋で唯一現在も営業しているお店で、いまも普通に遊びにいきます!自分が駄菓子屋を始めようと思った原点のお店に旅の経過報告をしにいきがてら、名物たこせんができる様子を撮らせてもらいました! pic.twitter.com/xikAONS69Z
— 駄菓子屋いながき@埼玉県加須市(旧騎西町) (@kazoinagaki) November 25, 2018
宮永さん:これは自分が行っていたお店です。通称「星」です。星は小学校の前にあって、ゲームのできる駄菓子屋なんです。当たって、もうかって、駄菓子をいっぱい買うことができる日もあれば、外れてしまって、おけらになって(※)帰る日もある。そういう10円ゲームの原体験のお店ですね。
たこせんにマヨネーズを塗って、ラーメン屋さん太郎をかけて、甘いか太郎をのせて、たこせんをパキッと半分に折って、サンドして食べる「たこせん」というオリジナルメニューがあるんですよ。子どもの頃、めっちゃ食べてました。これが、すごくおいしい。今も変わらぬ味なんですけど、時代のあおりを食って、値段は当時50円だったのが、今は90円になっています。
(※おけらになる=一文無しになってお手上げ状態になること)
5.五時良屋(宮城県)
【いながきの駄菓子屋探訪】
— 駄菓子屋いながき@埼玉県加須市(旧騎西町) (@kazoinagaki) June 23, 2019
仙台市太白区「五時良屋」
クジ開け道具や会計の方法、陳列など店側のオペレーションが非常に整理されている。店主は子供達に対して、子供ではなく一人の人間として対話している印象だった。近々区画整理があり、立ち退きと同時に廃業する予定とのこと。本当に惜しい。 pic.twitter.com/YauDG8T0Zy
宮永さん:ここは2人目の「ナチュラルボーン駄菓子屋」。古い建物で、商品がぴしっと並んでいて、古いんだけど汚くない、きれいなお店です。80歳ぐらいのおばちゃんが子どもたちに対して、ちゃんと人と人として話すんですよね。
だから、子どもたちから明らかに信頼されているんです。オペレーションも整理されていて、例えば個別包装されてないお菓子、きなこ棒とか、よっちゃんいかみたいなものは全部、紙に入れて出すんですよ。すごく几帳面。
くじを開ける千枚通しとかはさみとか、使う道具が一歩も動かないで仕事ができるように全部ぴしっと置いてあるのに感動しました。あと、区画整理で立ち退かなきゃいけないと決まってるんです。だから、立ち退きになったらもう廃業するって言っていました。まだ、あと2年くらいはやれそうって言っていたので、もし訪れるなら今のうちにお急ぎください。
6.はしだ商店(北海道)
【#いながきの駄菓子屋探訪】
— 駄菓子屋いながき@埼玉県加須市(旧騎西町) (@kazoinagaki) November 20, 2019
北海道上川郡当麻町「はしだ商店」
商店が並ぶ通りに面した、奥行きのある広いお店。売り場が広いので豊富な種類の駄菓子があり、おもちゃや花火も扱っている。店主ご夫婦も店に立つが、息子さんに代替わりするとの事。この街の駄菓子屋文化はこれからも続いていく。 pic.twitter.com/227ayBRiHN
宮永さん:半分おもちゃ屋で、町の人ならみんな通っていたようなお店です。いろいろな社会情勢にもまれながら、商売がうまくいかない時も、田んぼや畑の仕事をしたり、郵便配達のアルバイトをしたりして、なんとかお店を維持してきたそうです。そういう紆余曲折をしながらも、ご夫婦から息子さんに引き継ぐことになっていて、「今は年金をもらって楽しくやっているよ」と言っていました。
駄菓子屋はお菓子を売るだけではなかった
駄菓子屋は、単にお菓子を売る場所でも、懐かしさに浸れる場所でもなく、駄菓子屋の店主を通してもたらされるコミュニケーションや経験が大事なのだと気付かされました。
古いようで、今こそ逆に新しいコミュニティの場なのかもしれません。
皆さんのご近所にも素敵な駄菓子屋が残っていたら、ぜひ久しぶりに童心に帰って遊びに行ってみて欲しいなと思います。
店舗情報
駄菓子屋いながき
住所:埼玉県加須市上種足3690
電話:050-5328-1137
営業時間:水曜日16:00頃〜19:00、土曜日、日曜日14:00〜19:00
※水曜日は不定期営業となります。詳しくはホームページをご確認ください。
書いた人:西野風代
ライター&編集者&夜遊び探検家。東京生まれ。週刊誌記者、女性誌編集を経て、タイに移住。雑誌やウェブのライター、フリーペーパー編集長、コーディネーターとして活動後、現在は東京を拠点に、旅やカルチャーなどの記事を執筆。