喜多方ラーメンと聞くと、どういったラーメンを想像するだろうか?
あっさりした透き通ったスープに平打ち縮れ麺が泳ぎ、たくさんのチャーシューが丼を覆っている。
あの、暴力的なまでにソソるジューシーなチャーシューに、ツヤツヤでモッチモチの麺、そして芳醇(ほうじゅん)なスープの香りとコク。想像しただけでヨダレものの読者も多かろう。
それは、正しく喜多方ラーメンを代表する「坂内食堂」のラーメンに違いないのだが、なぜそれが喜多方ラーメンとイメージされるようになったのか。
そこには、昭和末期から平成にかけて一大旋風を巻き起こし、今なお発展を続ける喜多方ラーメンチェーンの存在があった。それが「坂内(ばんない)」だ。
▲このロゴマーク、誰しも一度は目にしたことがあるはず
「坂内」の登場で一気に喜多方ラーメンの認知度が高まったのだが、そこまで評判になった理由が、「喜多方ラーメン 坂内」のスタイルに隠れているはずだ。
それを突き止めるため、坂内を運営する株式会社麺食の若き社長に直接話しをうかがうことにした。
▲創業者である父・中原明氏の跡を継ぐ形で2012年から代表取締役社長に就任した中原誠社長。フレンドリーな雰囲気ながら、その語り口はどこまでも理路整然としている
本家「坂内食堂」からのれん分け
── 本日はよろしくお願いします。さっそくですが、喜多方にある有名ラーメン店で「坂内食堂」という同名のお店がありますよね。そちらが本家とのことですが、どういった関係なのでしょうか?
中原社長:父である創業者の中原明が、お亡くなりになった本家坂内食堂先代の坂内新吾さんからのれんをいただきました。
▲喜多方にある本家・坂内食堂は常に行列が絶えない(写真提供:株式会社麺食)
▲坂内食堂創業者の坂内新吾氏(写真提供:株式会社麺食)
── それで全国にチェーン展開されたわけでしょうか。
中原社長:新吾さんの奥様、ヒサさんに弊社の取締役に入っていただいて、会社を立ち上げた頃は出資もしていただいていました。今は新吾さんはお亡くなりになって、二代目が喜多方の本家を見られていますが、26歳になる三代目がいるんですよ。その三代目の彼も、実は今ウチの社員でして、飲食ビジネスを勉強させています。
▲新吾さんの奥様、ヒサさん(写真提供:株式会社麺食)
▲かつてはヒサさんも厨房に立ち、あわただしい毎日を送っていた(写真提供:株式会社麺食)
── 老舗が2代目3代目を、あえてのれん分けに修行に出すような感じですね。
中原社長:本人はこの秋から大阪の店長やるんですけど、アメリカへ研修に行かせるなどして、経験を積ませている段階です。喜多方の坂内食堂といえば喜多方の中でも老舗中の老舗ですから、あそこがコケると喜多方がコケてしまう。
── 喜多方のラーメン文化を背負っていると。責任重大ですね。
中原社長:ウチの父は喜多方市の観光大使もやっていたんです。坂内食堂だけじゃなくて喜多方市とも親密にやらせていただいています。
喜多方がどこなのかさえ分からず……
── こちらでは、昭和63年に長野県の東部町にフランチャイズ1号店を出されていますが、これまでに「坂内」以外にラーメン事業をされた経験はあったのでしょうか?
▲東部町にある1号店(写真提供:株式会社麺食)
中原社長:ウチの父はまだJRになる前の国鉄傘下にあった飲食業の会社に勤務していまして、蒲田の駅構内で立食そばや、羽田にうどん屋さんを作るなどしていました。
── 今でいうNRE(日本レストランエンタプライズ:駅そば店などを手がけるJRの飲食事業子会社)のような会社ですか?
中原社長:そうです。ラーメンをやることまでは固まっていたんですが、何ラーメンをやるのかって話になって、なら全国のラーメンを食べ歩こうと。だけど、これというものに巡り会えず、伊丹空港から羽田に帰ってくる機内で、たまたま居合わせた人たちが、「喜多方ラーメンがうまい」という話をしてたんですよ。その時、父は喜多方ラーメンを知らなかったんです。
── ええっ、それは意外なエピソードです。
中原社長:帰ってきて国鉄のネットワークを使って、駅長さんに電話するわけですよ。そしたら福島の喜多方にめちゃめちゃラーメン屋さんあるぞと。ここだ!となって乗り込んでいったというわけです。ちょうど国鉄が民営化されてJRになるタイミングで、坂内食堂の新吾さんの指導をいただきながら「くら」というお店を作るんです。
── あぁ、何軒か見かけたことあります!
中原社長:実は当時、非常に類似店が多くありまして、ウチで出したのは平仮名の「くら」なんです。というのも、国鉄からJRへ移行する際のドタバタの中で、商標取るのを忘れたんですよ。本当は「くら」を多店舗化したかったんですけど。ただお店自体は大ヒットしていて、加盟店やらしてくださいと人が列をなしている状態だったので、国鉄JRを飛び出して会社を立ち上げることにしました。それが今の麺食(坂内を展開する会社)なんです。
── よもやそんないきさつだったとは知りませんでした……。
中原社長:その並んでいた列の最初にいたのが、後の加盟店1号店の代表者になったということですね。
「麺ファースト」が喜多方ラーメンのポリシー
── 坂内のラーメンは、本家の坂内食堂もそうなのですが、醤油ラーメンにしては透明度の高いあっさりとしたスープで、その上に丼を覆うくらいチャーシューがのって、縮れた平打ち麺が特徴という印象があります。これこそが喜多方ラーメンのスタイルだと昔から思い込んでいたのですが、実際に喜多方に行くと、坂内食堂以外のお店はもっと醤油の色が濃かったり、麺も平べったくなかったりしますよね。
▲見た目の美しさが光る、シンプル・イズ・ベストな坂内の喜多方ラーメン(650円)
中原社長:はい。ただ、そもそも札幌味噌や博多とんこつなどはスープでカテゴライズしますよね。一方、喜多方のラーメンの定義って麺なんですよ。
── そ、そうなんですか!?
中原社長:言ってしまえば、スープは何でもいいんですよ。多加水の縮れ麺であれば、スープに魚介が入っていてもいいと。なんですけど、実際あっさりした醤油スープが多いので、喜多方=支那そば的なイメージになってしまったのは坂内のせいかもしれません(笑)。
▲黄金色に輝くスープにはみずみずしいモッチモチの縮れ麺が映える
── どうしてもスープの透明度に目がいってしまいますから。
中原社長:社名も麺食にしているくらいなので麺への思いが強いんですよ。僕らは麺をいかすスープという考え方なんです。
── 確かに御社名は「株式会社 麺食」ですものね。スープよりもまずは麺。これはもう哲学といってもいいのではないでしょうか。ということは、開業当時から麺を引き立たせるようなアッサリした透明度の高いスープにされていると。
中原社長:あっさりさせないと、麺が縮れているのでどうしてもスープがのってくるんですよ、たくさん。だから、あっさりしてないと飽きてしまうんですよね。
▲透明度の高い澄んだスープは、とんこつを濁らせないようじっくり煮出し、あっさりした中にジンワリとうま味が広がる優しい味わい
── 喜多方で、自家製麺にするなど、こだわるようなお店はあるんでしょうか?
中原社長:いや、自家製麺はそんなにないです。喜多方には大きな製麺業者さんが3つあっていずれも十分においしいので、ほとんどがそのどこかに製造を委託しています。本家も喜多方で一番大きい製麺業者さんに作ってもらっていますし、我々もそこから取り寄せています。
── 全国の坂内の麺を一手に引き受けていると。相当な数になりますよね?
中原社長:それはもう相当な数です(笑)。
── 坂内と言えば手もみ麺ですが、全国の店舗分で一玉一玉人力で手もみを……。
中原社長:手もみしてますっ!(と力強く)。機械だと縮れが均一になってしまうんです。手でもんだ不均一なものが、喜多方ラーメンのおいしさの決め手であるという考えです。ただ、それってある意味では「ブレが発生する」とも言い換えられる。なので月に一度店舗で試食をして、工場での手もみの指導や、麺に入れる水分量の加減などをし、ブレを抑えつつゆらぎを持たせるようにしています。けんしょう炎になってしまうパートさんいるんですけど、頭下げてやってもらってますよ。
▲工場での手もみの様子
▲人力により、しっかり丁寧にもみだしているのがよく分かる
── これだけ店舗数があって杯数が出るのでしたら、パートさんだって人手いりますよね。人件費も相当かかるのではとお察しします。
中原社長:かかってますね(笑)。なので異常にコスト高い麺です。
── それでラーメン一杯650円って……かなり安くないですか?
中原社長:ご指摘どおり、同感です。
坂内といえばチャーシュー麺!
── 坂内といえば、あのチャーシューも大きな魅力です。あの一口でいける絶妙な大きさのチャーシューが、これでもかとのったチャーシュー麺は何度もいただきました。
中原社長:ありがとうございます。チャーシューもすべて手仕込みで、店内で作ってるんです。あの一面覆い尽くすくらいのチャーシュー麺は正直、坂内くらいしかないですね。
▲厨房で一口大の絶妙なサイズに切り出されるチャーシュー
▲見よ、この覆い尽くす上に二重に豚バラ煮がのる、丼からあふれんばかりのチャーシュー麺(940円)
── 本家の坂内食堂で創業当時からあのスタイルだったのでしょうか?
中原社長:そうですね、肉そばと支那そばの2枚看板です。今でこそ豚バラ肉を使ったチャーシューって主流になっていますけど、中華料理屋さんから出てきているものなので肩ロースが多かったんですよ。坂内食堂は60年前からトロけるチャーシューですから、先取りしてたのかもしれませんね。
▲トロトロのチャーシューを用いたサイドメニュー、炙り焼豚ご飯(260円)も定番のメニュー。ラーメンとのセットは味付玉子が付いて940円
▲チャーシューにかけられたタレの照りがなんともソソる! タレは鰻の蒲焼を彷彿とさせる味わいで、炙った香ばしさと相まってまるでうな丼を食べているかのよう
旅行ブームと物産展で一気に全国区へ
── 地元の喜多方市内ではラーメンは認知されていたと思うのですが、当初は全国的な知名度はほとんどなかったんですね。
中原社長:全国区になるかならないかの瀬戸際だったんです。喜多方市は蔵の街として有名になって、その辺りからラーメン屋さんも多いよねということで話題にはなってきていたんですけど、都内にはまだ喜多方ラーメンはなかったんです。そこで坂内がヒットしまして、一時は1日1300食売ってたと言われてて、まぁ盛られてる可能性もあるかと思いますけど(笑)、行列がすごかったのは事実です。
── 喜多方という地名がまだ全国区でない時に、これが喜多方ラーメンですと言われてお客さんはすぐピンと来たんでしょうか?
中原社長:当時、旅行ブームというのがありまして、蔵の街として喜多方が一気にクローズアップされたと。その上に、ご当地ラーメンブームというのが起こるんですよ。
── 札幌の味噌ラーメンなどでしょうか。
中原社長:ですね。それと博多とんこつがツートップですけど、他に佐野ラーメンだったりが出てくる中で、一気に人気に火が付きましたね。
── 旅行ブームによってデパートの物産展もご当地ラーメンを知られる大きなきっかけとなったようですね。
中原社長:実際に物産展では相当出店させていただきまして、有名な百貨店の上層階での催しに出るとすごい行列が出来ていたましたね。
── デパートの催事というと女性客や年齢層高めのイメージありますが、自分も子ども時分、親と出かけた先でラーメンを食べるとなると連れて行ってもらえるのは坂内だったんですよ。実際にお店に行くと年配層、中でも女性が多いですよね。あっさりした味というので、年配客や女性層をターゲットにしていこうというのは当初からあったのでしょうか?
中原社長:確かに、数あるラーメンチェーンの中ではウチほど中高年層に強い会社はなかなかないかもしれません。ただ当初から意識したというよりは、その層に結果的にフィットしたということだと思います。
▲和テイストを保ちながら、モダンな雰囲気のある店内は、女性一人でも入れるような明るくも落ち着いた空気が漂っている
── 近年はショッピングモールなど、商業施設の中にオープンされる店舗が増えています。家族連れや年配のお客さんが集まるという理由で選ばれたのかなと思っていたのですが。
中原社長:60代の層が厚いというのは、これからの高齢化の流れの中では強みなのかなとは思います。
── その年配の方や家族層に強いので、ラーメンの流行の浮き沈みがあっても受け入れられ続けてきたというのはありますよね。
中原社長:年に何回か食べるかなというおじいちゃんおばあちゃんが来てくれる味でないと、本当にヒットする商品にはならないんですよ。日常でラーメン食べたいねってなった時に、「あ、近所に坂内さんあるじゃん! あそこ結構おいしいよねっ」て思い出してもらえるラーメン屋さんを目指してますから。
「小法師」と「坂内」はどう違う?
── 実は今回この取材をするにあたって、自宅から昔のチラシが出てきたんです。
▲巨人戦というのが時代を感じさせる、クーポン付きチラシ
中原社長:懐かしいですねー!! 20年くらい前?
── ええ、それくらいですね。
中原社長:歌作った頃ですよ。今もお店で流れてるんですけど、一番最初のイメージソングを高木ブーさんに歌っていただいたんです。
── このチラシの左上に「小法師」と書かれてあります。以前、実際に街で見かけた坂内さんの店舗はほぼ「小法師ブランド」になっていた気がするのですが。
中原社長:ちょうど小法師の店舗をたくさん出店していた頃ですよ。
▲高円寺北口店には小法師の名が記されている
▲坂内ブランドの初台店。こちらには小法師の文字は見当たらない
── それまでの坂内と小法師という2ブランドで展開されたのはどういった理由からだったんでしょうか?
中原社長:2ブランドにせざるを得なかったんです。「喜多方ラーメン〇〇」っていう看板を掲げた類似店が増えてしまったのが主たる理由ですね。ロゴの雰囲気からみんな一緒に思われてしまって、ウチのお店のじゃないクレームも全部、本家坂内に電話がかかってくる事態になってしまったんです。
▲外壁に施される蔵をイメージさせる装飾も、類似店にかなり模倣されたという
── それはたまったもんじゃないですね。
中原社長:それで坂内の名前は使いづらくなって、独自のブランドを姉妹店として立ち上げようと。それから20年30年たったら、類似店がみんななくなっちゃった。その頃には坂内も小法師も何が違うの? という状況になっていて、ネット上では坂内が直営で小法師がフランチャイズだとか、ガセネタが流れる始末で(笑)。
── なるほど、まぁネットはえてしてそうなりがちですから……。
中原社長:でもそれって、まだまだブランド力が足りないということ。ならばもう一回坂内に統一しようと、小法師の店舗を徐々に坂内に戻しています。
▲店内に飾られている福島の民芸品。起き上がり小法師(こぼし)は、粘り強さと一家の繁栄という願いが込められているという
── 坂内に戻した店舗含め、類似店がなくなる中で、坂内だけが残って成長していった要因は何だったんでしょうか?
中原社長:類似品にウチよりおいしいラーメンがなかった、ということに尽きるのではないでしょうか。ブームに乗って出てきちゃってただけで、絶対なくなると確信してましたから。ちゃんとルーツが喜多方にあるお店は他になかったですし。その中でブレずにやり通したということじゃないですかね。
とんこつ以外で海外で成功する道は……
── 小法師を展開されていた頃は都心の繁華街や駅前の路面店が多かったように思いますが、それから商業施設の中、そして最近は海外にも出店されていますね。
中原社長:はい。アメリカですね。
── 材料は日本から運んでいるのですか?
中原社長:味の元となるものは日本から送っています。後の食材は現地で調達していますがもうすべて違います。水が違う、野菜が違う、気候が違う。父にも現地へ行ってもらい、まぁ「左遷された」ってブーブー文句言ってましたけど、30年前の味がうまくいかなかった時を思い出しながら、同じ味になるようにレシピをイジって調整していったんです。日本のラーメンの再現率90%くらいに仕上ったんじゃないかなぁと。
── そこまでして海外でラーメンを展開するというのは、坂内のようなあっさりした縮れ麺タイプのラーメンへのニーズが高まっているということでしょうか? 海外のラーメンというと、どうしてもとんこつのイメージですけれども。
中原社長:僕らが進出した4年以上前は、9割5分とんこつというマーケットでした。アメリカ西海岸在住の日本人からは「味の濃いものしかあの人たち食べないから当たるわけない」と散々言われたんです。たとえ自信はあっても、人間そう言われると不安になるじゃないですか?
── そうですよね(笑)。
中原社長:そんな時、カリフォルニアのトーランスという街でラーメンイベントがあったんです。全米の流行ってるラーメン屋さん11店舗にプラスして日本からの招待店という枠があって、そこにウチが入れた。それで当日、やってみたら6時間待ちくらいの行列が出来たんですよ。日本からホンモノが来たと。
── なるほど!!
中原社長:カリフォルニアあたりのラーメン通は、とんこつを食べ飽きてるんです。さらに父や喜多方の製麺業者さんの社長まで来て、チャーシューの仕込みから何から全部テントの中でやってるんです。ただね、みんな本気モードだから、異国の環境でうまくいかず「こんなラーメン出せるか!」ってブチ切れてて(笑)。
── それは修羅場ですね。
中原社長:でもそれが逆にホンモノっぽく映ったんでしょうね。写真撮らせてくれとかって集まってくるんですよ。いわゆるとんこつじゃなくても喜んでくれるんだって自信が持てました。
── 海外のラーメンは値段的に高い印象がありますが、現地ではいくらくらいなんでしょう。
中原社長:平均的にはどのお店も18ドルとか、つまり2,000円近くするんですよ。高級になりすぎちゃってるなと。ウチが最初に出したお店も今は8ドルに上げさせてもらいましたけど、それでも900円くらいかな。
── それは手頃な価格だと思います。
中原社長:その分、立地も首都圏でいう日本橋や渋谷ではなくて、大宮とか町田のような郊外の場所にして。そうしたら、ぶわーっとファミリーが来たんです。出店からもう4年たってますけど、おかげさまでいまだに30分40分待たないと食べられないという状態が続いてます。
金融マンが一転、飲食の現場へ
── 国内では焦がしごまみそラーメンといった期間限定ラーメンを出されています。これは、リピーターのお客さんが通常の喜多方ラーメンの味をわかった上で、たまには違う味も食べてみたいな、という欲求を満たす部分での展開なのでしょうか?
中原社長:特に日本は競合店がひしめきあってますから、飽きられないように常連さんたちに対するメッセージでもあります。
▲焦がしごまみそラーメン(840円)は、12月3日(月)までの限定商品。作る過程を厨房で見せていただいた
▲丼に入った味噌ダレをバーナーで直に炙る! いきなりのワイルドな光景におののいた
▲坂内の透明なスープを投入
▲ゆでた平打ち縮れ麺をさっと湯切り
▲麺を投入した上に野菜とチャーシューを盛り付ける
▲香味ラー油を垂らせば完成。通常のラーメンより味噌の濃厚さでこってり感が演出されているが、野菜でもとりわけネギが多くヘルシー。さらにクラッシュピーナッツの香ばしさが食欲を増進、ペロリと食べさせてくれる
── お客さんを飽きさせない、というのは商売の基本ですものね。
中原社長:加えて、坂内の客層が高齢化しているということもあり、若いお客さんや女性の層も開拓していかないといけないなと。そんな意図もあります。こういうメニュー開発に関しては、自分がここの会社に来る前にいたレストランのシェフに手伝ってもらって、いわゆるラーメン屋さんとは違う角度から、しっかり旬の野菜などでバランスを考えて作り上げています。
── レストランにいたというのは、最初からお父様の会社を継いだわけではなく?
中原社長:父を継ぐつもりはなかったんですね。大学を出て経営を知りたいとまず銀行に入って、その後FCというものを学びたくて転職したりしたのですが、気づけば28歳。いい加減現場をやらないといけないと飲食業の中では大手の会社に入ったんですね。
── エリートの金融マンから一転、飲食の現場へ。ガッツありますね!
中原社長:実際、なに銀行員がこんなところ来てんの? とイジメられましたが、這い上がって店長クラスになったんです。その頃でした。坂内を立ち上げた経営者3人のうち2人が抜けて父一人になった時、ある日、僕のお店に食べに来たんですよ。それって父からの「戻ってこないか」という無言のサインなのかなと感じまして。長男ですし実家支えなきゃいけないから、じゃぁ入社しようとなったんですね。
▲入社までの経緯を語る中原社長。聞けば聞くほどドラマチックな人生だが、その語り口はどこまでもなめらかで、イヤな泥臭さを感じさせない
── 中原社長の入社が、坂内に新しい風を一気に吹かせたのではと察します。
中原社長:メニューに関しては、自分が入社する前から限定メニューはあって、父が基本メニュー開発をしていたんですけど、どうしてもひらめきに任せた部分があって。でも、自分は定期的に計画を立てて作りたかったんです。そこで一番最初にチャレンジしたのが、柚子胡椒を使ったラーメン。まぁ手間がかかるので店側から大反発だったんですけどねぇ。
── 手間がかかるものは現場は嫌がられますものね。
中原社長:こんなもんやれっかと(笑)。でもやったらものすごい勢いで売れたんですよ。当時お客さんの7~8%が注文してくださったけど、今は14%くらいになっています。次なにが来るのと楽しみにしている層と、いつもと違うのもたまには食べてみようかという2つのラインが出来ましたね。
── 海外で出しているラーメンを国内の限定メニューにする予定などは?
中原社長:実際ありまして、日本にファンの多い「青唐うま塩ラーメン」
という冬季限定ラーメンがあるんですね。
▲12月~2月に毎年限定販売される、青唐うま塩ラーメン(790円を予定、写真提供:株式会社麺食)
中原社長:実はアメリカではレギュラー化されているんです。日本のファンからはレギュラー化しろとすんごい怒られているのに(笑)。
── なぜアメリカだけなんだよと(笑)。他に今後の展開として考えられていることはありますか?
中原社長:今国内に64店舗あるところを100までは増やしていく計画でいます。それからアメリカは現在4店舗ですが、来年3店舗の出店は決まっています。さらにラーメン以外のものにチャレンジしたり、あるいはアジア各国から来ている外国人の社員たちがウチで育って、故郷に錦を飾る形で坂内を出すとか、いろんな展開ができたらなと考えています。
── 海外へのさらなる展開と、これまで貫かれてきた喜多方の味、その両輪をうまく回しながらますます発展されていくことを期待しています。この度は貴重なお話、誠にありがとうございました。
▲最後、福島の赤べこを持ちながらほほ笑まれる社長に見送っていただいた
外国人労働者が増えていく中で、ただ労働力不足を補うだけでなく、彼らが身につけた技術が海外にいい形で伝われば、お互いの食文化が豊かになる。
坂内のこれからの挑戦が、そうした流れのキッカケになるような気がした。
お店情報
喜多方ラーメン 坂内 初台店
住所:東京都渋谷区初台1-37-1 大和ビル1F
電話番号:03-3320-2777
営業時間:11:00~23:00(LO 22:45)
定休日:無休
ウェブサイト:http://ban-nai.com/