関東のとんこつ狂いをとりこにした伝説のラーメン店「もりや」が千葉・松戸で再々スタートを切っていた

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「なんでんかんでん」の成功によって、博多の極細麺のとんこつラーメンが認知されるようになった1990年代。博多とんこつラーメンをうたうお店があちこちで見受けられるようになった。

しかし、「なんでんかんでん」の独特のクセあるニオイと濃厚さ、そしてバリカタ麺の食感を知ったユーザーにとって、とってつけたような“なんちゃって九州ラーメン”は一口で違いがわかるほどクオリティの差が歴然としていた。

そんな中、「なんでんかんでん」に引けを取らないくらい濃厚で本格な「博多長浜らーめん」をうたうラーメン店も台頭。そのひとつが東京・足立区にあった「金太郎」だ。

現在、東京の東側でとんこつラーメンの行列店というと、足立区の「田中商店」が有名だが、田中商店を作り上げた田中さんは実はこの金太郎で腕をふるっていた。

そしてもう一人、田中さんと一緒に厨房に立ち金太郎の味を作っていたのが、今回ご登場いただく守谷武さんである。

守谷さんも金太郎閉店後とんこつラーメンに携わり続け、今年2019年1月に千葉県松戸の松飛台(最寄駅は新京成線五香駅か元山駅から徒歩15分程)という場所で「もりや」を再々スタートしている。 

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足立区、いや東京東部から千葉にかけてのとんこつラーメンシーンは、金太郎に端を発するお二人を抜きに語ることは出来ない。そしてファンの間では田中派と守谷派といったように、ファンを二分するほどの影響力を誇っている。いわば関東とんこつ界の双頭といってもいい存在だ。

かつて両者が作り出すラーメンに魅せられた筆者としては、今回、片方の雄である守谷さんの功績を多くの人に知ってほしいと考えた。もちろん、どのようにして千葉・松戸での開店に至ったかも。

真実を知るには直接ご本人に伺うしかない。開店して多少は落ち着かれたであろう4月の某日、時間を頂くことができた。

 

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 ▲快く金太郎開店当時の頃からのお話をしてくださる守谷武さん

 

「なんでんかんでん」でノウハウを学ぶ

──さっそくですが、ラーメン店を始められたきっかけからお聞かせ下さい。

 

守谷さん(以下、敬称略):自分、高校卒業してサラリーマンをやってたんですけど、バブルが弾けてその翌年くらいから何か手に職をつけたいなと思ったんです。その時に「金太郎」のオーナーからやってみないかと声をかけられて。

 

──「金太郎」にはオーナーさんがいらっしゃったんですね。

 

守谷:そうそう。一緒にやるかって言われて、始めたのが「金太郎」ですよね。それで「田中商店」の田中剛さんと出会ったの。田中さんは運送会社に勤めてたんだけど辞めて、俺もサラリーマン辞めて。で「金太郎」始める前に、とんこつラーメンの味を「なんでんかんでん」で働かせてもらって作り方を学んで。

 

──えぇ、そうなんですか!? どうりで「金太郎」とラーメンが似てると思ってたんですよ。

 

守谷:「なんでん〜」はアルバイトですけどね。でもラーメン作ったり、麺上げしたりってのはアルバイトが主体。今、「御天」ってお店やってる方のもとで働いてましたよ。

 

──「御天」ご主人の岩佐さんですね! 以前インタビューさせて頂きました。

www.hotpepper.jp

 

守谷:そうだったんだ! 岩佐さんがやっぱり一番のとんこつの師匠っていう感じかもなぁ。

 

──ご自身が金太郎でラーメンを作る上で、工夫した部分などありましたか?

 

守谷:チャーシューに力を入れようと。

 

──チャーシューは柔らかいけど食べごたえがあって衝撃でした。

 

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▲現在の「もりや」のラーメン(650円)。とんこつスープは、コクを感じつつも飲みやすい

 

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▲ピンク色の鮮やかなチャーシューを切り出す守谷さん

 

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▲チャーシューメンの調理作業中。丼を覆わんばかりのチャーシューが盛られる

 

──当時「バリカタ極細の本格博多麺」というのもインパクト強かったと思うのですが。

 

守谷:「なんでんかんでん」は替え玉が有名になってお客さんもわかってるんだけど、二十数年前の当時って、替え玉ってシステム自体がこっち(都内の東側)のお客さんに浸透してなくて。まだそういう時代でしたよ。

 

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博多長浜で長年愛された製麺所の麺を茹でる守谷さん

 

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▲茹で上がった麺を器に盛り付けるところ

 

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▲この極細ストレート麺ならではの、噛むと独特の粉っぽいような食感と風味、そしてコシが味わえる

 

本格濃厚とんこつで「金太郎」が一躍環七の繁盛店へ

──足立区に「金太郎」がオープンしたのはいつ頃でしたか?

 

守谷:えーっと、自分が21歳か22歳の時なんだよなぁ……。今47歳なんで25年くらい前か。最初1年くらいは全然お客さん入らなかったけどね。でも常連の方は「いつ来てもお客さんが入ってないけど、オレにしたらこっちのお店が美味しんだよね」って言ってくれた。それから約半年後、実はその人は雑誌編集者で、雑誌に載ることになって。そしたら、雑誌からテレビから取材オファーがあって、それから一気に忙しくなったかな。 

 

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▲2004年5月に閉店した「金太郎」の跡地(当時の住所:足立区一ツ家3)の様子

 

──当時はとんこつ臭をかなり周囲に漂わせていましたよね。環七を走ってても車の中から分かるくらい。お店の上がマンションのベランダになっていて、よく苦情来ないなと感心してたんですけど(笑)。

 

守谷:苦情は来なかったんですよ。その頃になると住んでる人もそんなにいなかったから。それにニオイが出るという条件で最初から借りた物件だったんですよね。それから数年後に、まんま同じ屋号で大田区に店を出して。

 

──千鳥店(東急池上線千鳥町駅から数分の第二京浜沿い:大田区千鳥2。2004年7月に閉店)ですよね! 行きましたよー。懐かしい。

 

守谷:そこもニオイが出る条件でOKしてくれたんですけど、2~3カ月したら周りから苦情が来て。そしたら大田区の区役所の方が来て、数値とかそういうの測って。でも隣はシンナーとかの薬品扱ってる工場でしょ(笑)。それがいいニオイに思うかそうでないかの問題ですよ。

 

ついに「もりや」として再スタート

──「金太郎」がまだ営業されている時に、田中さんが「田中商店」を出店され、話題になりました。その時、「金太郎」は守谷さんお一人でされていたのですか?

www.hotpepper.jp

 

守谷:自分は千鳥店にいたんですよ。その後、千鳥店が閉じることになって、自分は地方のラーメンを勉強しようと思って現場とは違う職についたんです。ラーメンの催事とか、お土産用ラーメンとか、そういうものを勉強しにいってたわけ。

 

──その後、すぐ足立区鹿浜のお店「もりや」を始められたんですか?

 

守谷:その前に、知り合いから三十数店舗展開する煮干しラーメン店を博多ラーメンに切り替えたいという話が来たんです。着手したら想像以上の売上が出た。その後、2007年頃に鹿浜で「もりや」を始めて。

 

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▲オープンして間もない頃、2007年3月に撮影した鹿浜時代のもりや(当時の住所:足立区鹿浜5)

 

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▲足立区鹿浜にオープンした当初「もりや」で提供されていたラーメン

 

──その時、豚とまとというオリジナルのメニューを開発されてますよね。

 

守谷:豚とまとはね……そう(回想しながら)。きっかけっていうのがトマトが嫌いでね、自分。

 

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▲現在も提供されている豚とまと(100円)。つけ麺のつけ汁のような形で出てくる

 

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▲ラーメンのスープを入れながら、好みの濃度に調整

 

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▲麺を入れて食べると、トマトの適度な酸味ととんこつスープのコクが合わさった豊かな味わいが口中に広がる

 

──へぇ、そうなんですか!

 

守谷:鶏のトマト鍋を食べた時に、豚キムチの豚とキムチって合うから、鶏とトマトだって合うんじゃないかと思って。で、やってみたら完成度はなかったけどインパクトがスゴい強くて、これもうちょっと改良したら商品になるなと。それを100円で出したいと思ったんです。

 

──メチャメチャお得ですよ。

 

守谷:食材の原価はスゴいかかってますもん。ホントもう宣伝費みたいな感じでやってますね。

 

──確かに他にない、オリジナルな食べ方ですもんね。

 

守谷:ここまで味が変わるのかっていう衝撃と、そういうのもラーメンの面白さだと感じてほしいんですよ。本当は200円くらいにしないと商売にならないけど(笑)。

 

──首都圏で考えた場合、ラーメン1杯650円も今となっては破格です。

 

守谷:そうだと思う。作りとかは凝ってなくて、安い食材で目一杯美味しいものをってことでやってるから。

 

──それに、いまだに替玉券を出してるってのがスゴイなぁと。昔はどのとんこつラーメンの店もやってましたけど、今ほとんどやめちゃってますし。

 

守谷:前は印刷業者に作ってもらってたんだけど、今は自分らの手で安い紙にコピーしてハサミで切ってる。何か考えてコストを抑えなきゃ。

 

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▲「金太郎」時代、カラー紙にロゴ入りで印刷業者に発注していた替玉券。当時は有効期限を設けていた

 

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▲現在の手作り替玉券は有効期限なし。また「もりや」鹿浜時代から、替玉かトッピング一品のどちらかを選べるようになった

 

千葉で心機一転し「もりや」をオープン

──鹿浜のお店は現在、別の方が店名を変えて続けておられます。一方で、守谷さんは新たにご自身のお店を新京成線の八柱駅そば(千葉県松戸市)で開店されました。当初は駅近で、移転後の現在は駅から離れていますが、車での来店が便利な場所に移転されたのでしょうか?

 

守谷:駅前よりも郊外で家賃がやっぱり安いし、車が何台か置ける駐車場も可能かと。あと居抜き物件なら、その分移転に関わる経費を抑えられてラーメンも安く出来るでしょ。そう考えたら、ここがベストでしたね。

 

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▲八柱駅の近くにあった頃の「もりや」(松戸市常盤平陣屋前、2010年1月撮影)

 

──それがニーズとピッタリハマりましたね。

 

守谷:自分、宣伝しないしネットとかもやらないし。貼り紙に「1月9日11時からオープンします」とだけ書いたら広まってくれて、開店から忙しかったですよ。 

 

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▲現在の店舗。土日ともなれば外待ちもできるほどの盛況ぶり 

 

旨みは保ちつつ「濃すぎない」ように

──金太郎の頃は、こんなに濃い本格長浜とんこつラーメンが東京で食べられるのかと話題になりましたが、八柱でご自身のお店をオープンされて以降は、濃度よりも全体のバランスで美味しさが醸し出されているように感じたのですが。

 

守谷:基本の作り方は変わってませんが、金太郎の頃に比べたら、濃度というか豚の骨の量は少ないですよ。どっちかといったらサッパリして、食べやすくしてます。

 

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▲現店舗に移る前、八柱駅のそばにあった頃の「もりや」のラーメン

 

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▲鹿浜「もりや」がオープンしてしばらく経った頃の、筆者が最高濃度と感じたスープのラーメン。ライティングや撮影したカメラの違いで単純比較できないが、上の八柱駅近時代のラーメンのほうがマイルドそうに見えないだろうか

 

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▲その最高濃度に感じた鹿浜もりやのラーメンを飲み干したところ。その頃のラーメンは丼の底に砂のような骨の髄が大量に残っていた

 

──そういった路線に舵を切ったのはどのタイミングだったんですか?

 

守谷:鹿浜の時からそういう方向性はあったんですけど、脂に頼らず、とんこつのダシそのものを味わえるようなスープにしています。

 

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▲スープの状態を入念に確かめながら寸胴をかき混ぜる守谷さん

 

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▲寸胴の上に見えるのは豚の頭。入れて間もないので原型を留めているが、数時間で粉々になるという。スープには他にもゲンコツなどが溶け込んでいる。これだけでも旨みたっぷりなのが分かる

 

──あくまで旨みは保ちつつ、食べやすさも意識すると

 

守谷:ケモノ臭は多少はするんですけど、濃すぎると食べられない人が出てくるんですよ。マニアの人はそれでいいんでしょうけど、普通の人は、高菜とかちょっと入れて味変しながら食べて、スゴい美味しかったって帰るのがほとんどです。

 

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▲卓上に常備されている薬味類。紅生姜や辛子高菜はもちろん無料(ただし、取りすぎず適量でお願いしますとのこと)

 

ラーメンに「こうあるべき」はない

──今回味わってみて、とんこつマニアはもちろん、そうじゃないお客さんまで満足させる一杯に仕上がっているのがよく分かりました。

 

守谷:それはね、手抜きしてないから。

 

──東京の、特に住宅や店舗が密集する場所ではニオイの苦情があるので、なかなかスープが炊けず、どうしても濃度を落とさざるを得ず、薄いスープになってしまうという話はよく耳にします。

 

守谷:自分はバランスを一番重視しているんですよ。さきほど言ったような旨みと濃さの、全体のバランスをね。

 

──麺についても伺わせてください。一番のポイントの硬さに関しては、昔からずっと変わらず、お客さんが自分で選べるようになっていますが、あえて硬さ指定「しない」状態が、守谷さんにとってスープと一番バランスがいいと?

 

守谷:いや、そこはお客さんによって変わってくるので。自分のラーメンはこうなんだって押し付けても、お客さんの好みもありますし。でも元となるスープと麺のバランスは、これからも崩さないつもりです。

 

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▲選べる麺の硬さ。マニアの性なのか、筆者はほとんど生に近い粉おとしで必ずお願いしている

 

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▲替玉(100円)も、筆者はもちろん粉おとしで。替玉した時のほうがより硬さが感じられるのだ。丼に投入する前に必ず、茹でたてをそのまま食べることも忘れない

 

──守谷さんのとんこつラーメンという基本がまずあって、そこから先は、お客さんが好きなように美味しく味わってくださいという感じでしょうか。

 

守谷:ラーメンはこうあるべきなんて決まったものはないと思ってる。たかがラーメンじゃないですか(笑)。自分だって普通の中華そばも好きだし、食べたい時に食べたいもの食べればいいんじゃないかな。

 

──ですね!

 

守谷:昔の「なんでんかんでん」なんて行列スゴかったじゃないですか、何時間も並んで。作る側としては申し訳なくてね。ウチは「あ、今日空いてるな」って、ポンと来てもらえたらなと思いますよ。

 

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▲気軽に食べてほしいというラーメンを、手を抜かず真剣につくる男の姿。職人とはこういう人のことを呼ぶのだろう

 

──行列に並ぶのもそうですけど、ブームを追いかけることに皆疲れてるようにも見えます。そういう人が今ホッと出来るようなラーメンって、守谷さんの作られるようなラーメンなんじゃないかと思うんです。そういう人たちに「そういや俺たちの好きだったラーメンって、こういうのだったじゃん」って思い出してほしいなと。最後に守谷さんご自身が今後こうしたいということはありますか?

 

守谷:あ、ないですよ。動けるまで続けられればってだけで。

 

──いつ来ても、いつも通りのとんこつラーメンが食べられるとホッとしますし、やっぱ美味しいわ! って思えるラーメンを常に出してもらえるのは嬉しい限りです。これからも期待してます!

 

これまでカウンター越しに何となく認識していたが、今回初めて面と向かってお話を伺った印象は、とても気さくで面倒見のいい近所のニイチャンのようだった。

そういう方が「気軽にラーメン食べ来てよ」と言ってくださると、じゃあ友だち誘って行こうかって自然と思えてくる気がするのだ。

そこで供されるラーメンは、丁寧に手抜きせずに作られた旨みがギュッと詰まっていて、ホンモノのとんこつイズムを感じずにいられない。

環七ラーメン隆盛のあの頃から変わらないものが、千葉県松戸の片隅に息づいている。

 

店舗情報

もりや

住所:千葉県松戸市松飛台112-26
電話:047-389-9770
営業時間:火〜土曜11:00〜14:30、日曜11:30〜14:30
定休日:月曜日

 

※記事初出時、表記に不正確な箇所があったため修正いたしました(2019/6/10)

 

書いた人:刈部山本

刈部山本

スペシャルティ珈琲&自家製ケーキ店を営む傍ら、ラーメン・酒場・町中華・喫茶で大衆食を貪りつつ、産業遺産・近代建築・郊外を彷徨い、路地裏系B級グルメのブログ デウスエクスマキな食卓 やミニコミ誌 背脂番付 セアブラキング、ザ・閉店 などにまとめる。メディアには、オークラ出版ムック『酒場人』コラム「ギャンブルイーターが行く!」執筆、『マツコの知らない世界』(TBS系列)「板橋チャーハンの世界」出演など。2018年5月には初の単著となる『東京「裏町メシ屋」探訪記』(光文社)を出版。

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