多摩エリアのローカルめしだった「すた丼」は、なぜ世界のSTADONになりえたのか【スピリット継承】

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街中で、威勢のいい筆文字のロゴに豚肉が山と盛られた丼飯の写真を掲げたこの看板を見かけたことがある人もいるかと思う。

 

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厳選された豚肉を「秘伝のニンニク醤油ダレ」で炒めたボリューム満点の丼、それが“すた丼”だ。

 

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名前から察せられるように、スタミナ丼の略。

全国にはニンニクやあんかけを丼やラーメンにしたスタミナメニューが多く存在するが、このすた丼は国立(くにたち)や国分寺など主に東京多摩地区の中央線沿線で長年親しまれた、ご当地グルメともいうべきソウルフード。しかもそれが今や日本はおろか海外にも展開する料理となっている。


牛丼やカツ丼などに代表されるどんぶりめしのチェーンが全国々浦々に展開し、気軽に食べられる存在となっている中で、すた丼は一線を画す。
注文が入ってから鍋で炒めるため、どうしてもある程度の時間がかかってしまうものの、その分手作り感があることと、できたてを食べることができる。

 

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湯気とともにニンニクの香りが立ち上る一杯は実に食欲をソソる。

 

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この味がたちまち噂となって広まり、2000年代から徐々に店舗を増やし、多摩エリア以外でも楽しめるようになった。
しかしいたずらに店舗をたくさん増やさず、独自の展開をしている。

そこには、調理をするという技術が必要になることと、すた丼に込めるある“想い”が提供する側に共有されていなければならないからだ。

 

その想いとはなにか?

 

それを知るにはすた丼の発祥からひも解いていく必要がある。

というわけで、伝説のすた丼屋を展開する株式会社アントワークスに赴き、直接聞いてみた。

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▲ご対応くださったのは営業戦略部販売促進課の昆野明日香さんだ


すた丼誕生のヒミツ

──すた丼がこの世に誕生したのは、国立駅近くにある「サッポロラーメン」といわれていますよね。

 

昆野さん(以下敬称略):はい。今は独立して当社とは別に運営されていますが、「サッポロラーメン」の創業者が「若いやつらに安くてうまいものを腹いっぱい食べさせてやりたい」という想いから、まかないとして“すた丼”を生み出しました。

 

──先代の“オヤジ”と呼ばれている創業者ですよね。すでに他界されているのが惜しまれますが、ご存命の頃に直営で3店舗までは支店を出されていたようですね。

 

昆野:3店舗経営していた頃は、国立駅南口の西側に今も「サッポロラーメン」として営業している通称“西の店”がまず創業店舗としてありました。その後に国分寺店が出来まして、さらに国立駅南口の東側に国立東店がオープンし、現在は弊社の直営店舗となっています。 

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▲2014年頃の国立東店。黒地に白い文字は伝説のすた丼屋チックだが、「本家すた丼の店」という親しまれた名で今も続けられている(写真提供:株式会社アントワークス)

 

すた丼が出来るまで

とここで、初期の頃から営業を続ける国分寺店で調理していただいたので、その工程を見てみよう。

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▲まず豚肉を油通しする。白絞(しらしめ)油を揚がらないくらいの低温で肉に油通しをすることで、余計な脂を溶かしつつ旨味を閉じ込めて火を通す

 

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▲いったん豚肉を上げる

 

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▲ネギを肉とは別に炒める

 

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▲炒めたネギの鍋に肉を戻す。肉から余計な脂が落ちているのがよく見える 

 

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▲その後に強火の中華鍋でネギと一緒に炒める 

 

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▲そこにタレを入れて、一気に仕上げの炒めに入る

 

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▲煽る時に空気を入れるので、鍋を振る回数で味が変わる。お玉の使い方一つで味がブレたり、鍋の振り方でニンニクの風味が消えてしまったり、味がショッパくなってしまったりするという

 

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▲大盛りご飯を入れて用意していた丼に炒めた具を乗せていく

 

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▲「ニンニク醤油ダレ」のパンチが効いた「すた丼」(630円)の完成!

 

作って頂いた店長はすた丼屋で働き始めて16年になるそうだが、店長の味めがけてやってくるファンがいるという。 

 

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▲国分寺店の店内。最新式の券売機など導入されてはいるが、丼に顔を突っ込んで食べるのが似合う、どこか昭和っぽい雰囲気を残すカウンターとテーブル席。ちなみにカウンター頭上の焦茶色の四角い物体は、先代のオヤジさんが使っていた勘定箱!

 

そして「伝説のすた丼屋」へ

──国分寺店と国立東店は、西のサッポロラーメンで修行された方が店長を任されるようなシステムだったんでしょうか?

 

昆野:弊社社長の早川(「伝説のすた丼屋」代表取締役社長・早川秀人氏)はもともとアルバイトで西口店に入ってるんですね。そこから社員になって店長となって店を任されるようになりました。

 

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▲社長の早川氏(写真提供:株式会社アントワークス)

 

──オヤジさんから直々に学ばれていたと。

 

昆野:先代は自分の目が行き届く範囲ということで、3店舗を近場で展開したのですが、その頃からすでにすた丼の噂を聞きつけて遠方からお客さんが来ていたそうなんですね。なので早川としては八王子など少し離れた場所にも出したい。しかし先代は、目の届かない場所には出すつもりはないと。

 

──オヤジさんとしては、近場で自分が見える範囲だけにした。

 

昆野:それと、近いと食材や従業員の貸し借りができるじゃないですか。

 

──なるほど。

 

昆野:しかし早川としてはもっと広い地域のたくさんの人に食べてほしかったんですね。早川が30歳の時、先代が50歳でガンに倒れて亡くなられたんですが、そこからゆっくりと店舗展開をしていきました。2005年頃、早川がアントワークスの代表になってから展開スピードはさらに加速しました。

 

──「スタミナ飯店」という店名を当時見かけた記憶があるのですが。

 

昆野:それと「名物すた丼の店」という屋号で展開していた時期もあったんですね。その地域ではその名前でずっと親しまれていますから、そこは残していこうということですね。現在は「伝説のすた丼屋」で統一しています。

 

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▲国分寺店は今も昔の黄色地の看板。「元祖すた丼の店」と「スタミナ飯店」の2つの名を残しているのにご注目を!

 

すた丼、「品達」を制す

──それでもいきなり、現在のように全国規模で増えていったわけではないですよね。

 

昆野:最初は1~2年に1店舗くらいのペースだったんです。2004年に早稲田店(現在は高田馬場店に移転)が23区内初進出したのを機に「伝説のすた丼屋」に屋号を変えたのですが、その後2006年に品川店をオープンしました。
 

──あぁ、品達(東京・品川駅の高架下を利用したラーメンと丼モノの複合施設)ですね!

 

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▲高架下らしいロケーションに有名店がしのぎを削る「品達」の一角にある品川店(写真提供:株式会社アントワークス)

 

昆野:品達って、全国から選りすぐりのお店を集めた施設じゃないですか。その5店舗の丼モノの店の中で、全体の売上の半分以上をすた丼が占めたんです。

www.shinatatsu.com

 

──圧倒的な売れ行きじゃないですか!!

 

昆野:凄い行列が毎日続いて、メディアにも取り上げていただいて。ここで早川は全国狙えるぞ、世界にも行けるぞと考えまして。

 

──シカゴなどアメリカにもあるんですよね。品達への出店というのがターニング・ポイントになったと。

 

昆野:それで店舗展開を加速させたんです。全国有名チェーンなどと比べるとスピードは劣りますが、1カ月に1~2店舗くらい。1番多かった年で1年で16店舗ほどでしょうか。

 

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▲2019年3月現在の店舗分布図(※公式サイトより)

 

──私が23区内で初めて食べたのが秋葉原店だったんですけど、都内ですた丼食べられるなんて思っていなかったので、「アキバですた丼食えるの!?」と大興奮しましたよ!

 

昆野:うふふふふ(笑)。

 

──最初は本当にアノすた丼なのかと半信半疑だったんですけど、食べたら、おぉ、まさしくすた丼だと(笑)。興奮したのを思い出します。

  

密かにファンの多いチャーハン

──すた丼以外にもチャーハンを置いてるじゃないですか。

 

昆野:中華鍋で煽ってるので本格的な味になりますよね。

 

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▲チャーハンも一般的な1人前の1.5倍以上はあろうボリューム! 紅生姜を添えてくれるのがニクい

 

──老舗の町中華で出てくるような、米のもつ甘みを残したみずみずしさで、町中華のしっとりチャーハン好きとしては深夜でも食べられるので重宝しています。

 

昆野:チャーハンは隠れファンの多い、評判のメニューなんですよ。

 

──すた丼をトッピングでアレンジされたメニューもありますよね。ガリバタ、あれうまいっすよねぇ。いつ頃からすた丼のメニューバリエーションは増やしたのでしょうか?

 

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▲筆者イチオシのガリバタすた丼(760円)

 

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▲玉子を中央に乗せて、そこから崩して混ぜながら食べる醍醐味はすた丼ならでは

 

昆野:ここ数年です。ガリバタがトッピングに入ったのは昨年でしたね。年に1回グランドメニューを改定するのですが、メインのすた丼は変えず、セットをどうするかとか決めています。

 

──すた丼は肉と油の食べ物ですから、バターとニンニクチップが合わないわけないですよ! カレーやラーメンもありますが、もともとのサッポロラーメンが中華ラーメン店だったことに由来するのでしょうか?

 

昆野:ラーメンはそうですね。カレーも30年以上前からあるみたいです。生姜丼も初期の頃からのロングセラー商品です。

 

──あぁ、生姜丼! 好きなんですよ。次の日の予定とか考えてニンニクが効いてない生姜丼食べることも結構あるんですけど、やはりニンニクは匂いの点で食べられないお客さん向けに開発されたものなのでしょうか?

 

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▲生姜丼(630円)に、卓上のニンニクを少し混ぜる。これがまたパンチの効いたうまさに

 

昆野:そうですね。生姜丼は一切ニンニク使ってないので。餃子も古くからありますが、以前はお店で包んでいたんですよ(笑)。

 

──えぇ、大変じゃないですか!?

 

昆野:材料だけ送られてきて、店のアイドルタイムに包んで。ニンニクも丸ごと送られてきて、お店で皮を向いてましたから。

 

──かなり手作り感強かったんですね!

 

昆野:それがほんのわずか9年前のことですからね。

 

支えているのは「すた丼世代」

──今あるすた丼のお店は、自分が見かける範囲では繁華街の路面店が多い気がするのですが、近年は郊外のロードサイドでも見かけるようになりましたよね。

 

昆野:はい。逆に都心の路面店はチョット行けば中央線沿線中心にあるわけですし、これ以上店舗数増やそうとなったら、車中心のエリアのほうがチャンスがあるのかなと考えました。

 

──これまでの中央線沿線は国立や国分寺を筆頭に学生街にあるイメージが強いですが、今でもやはり学生さんが多いですか?

 

昆野:今は30~40代男性が増えてきましたね。

 

──まさに自分の世代ですね(笑)。

 

昆野:というのは、当時学生ですた丼を食べていた方が今その年代になっているってことでもありますね。

 

──国分寺のお店で2016年に45周年創業祭が催されましたよね。“当店の辞書に「サービス精神」「お客様は神様」はない”とか、“文句のあるヤツは来なくていい”みたいなオヤジさんの考えが全面に出た、いい意味で昭和な飲食店の色合いが強かったようですが、自分ら世代にはやはり響く気がします。

 

昆野:創業祭はやはりその当時からのお客さんが多く来てくださいました。

 

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▲創業祭当日に出来たこの行列を見よ!(写真提供:株式会社アントワークス)

 

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▲メニューは手書き、店員は頭にタオルと、30年前の「すた丼屋」の店内と営業スタイルを蘇らせた店構えを完全再現(写真提供:株式会社アントワークス)

 

──今は明るくて入りやすいお店づくりになっていますが、今の学生さんは創業時のようなお店だと来てくれないんですかね。

 

昆野:今の学生さんって、当時の若者ほど量を食べないのもあると思うんですよ。それに学生数自体が減ってますよね。世の中が草食男子だとかヘルシー志向に行ってますから。

 

──なんというか、ある意味で時代に抗っているような(笑)。

 

昆野:どの外食店さんもそういった方向に寄せてきていますけど、そこは先代の「若い子らに安くてうまいものを腹いっぱい食べさせてやりたい」という想いを受け継ぐ中で、極端に時代に迎合していくつもりはないです。

 

──ミニ丼などの時代のニーズに合わせる部分はあるけれど、安くて盛りが良くてスタミナつくものをという創業時の精神はブレないと。

 

昆野:逆にこういう時代だからこそ、唯一無二の存在になっていけるのではないでしょうか。現在の理念は「食を通じて日本全国さらには世界の人々の底力になる」ですから、お客様にはすた丼を腹いっぱい食べてスタミナつけてもらって、いいこともあれば嫌なことも多いこの時代を生き抜いていっていただきたいです。

 

──働いている人は仕事終わりに「次の日も頑張るぞ」とすた丼を食べに来るパターンも多いと思うんですよ。そういう時に食うと格別においしく感じるんですよね~。

 

昆野:(無言でニッコリ)

 

──そう思っている人は全国にいると思います。今後の展開を楽しみにしています。このたびは誠にありがとうございました!

 

昭和の末期から若者の胃袋を満たし、働く原動力となってきたすた丼。それは旧時代的な食べ物ではなく、なにかとデリケートで複雑な今こそ、求められるものなのではないだろうか。でなければ、ここまで伝説のすた丼屋は店舗を増やせなかったはずだ。

日本にはまだまだ、こういった元気をくれるスタミナ源へのニーズが、表面的なマスイメージとは逆に、潜在的に多く存在しているように思えてならない。心身ともに疲れたら、すた丼をありがたくガッツリ喰らいつける、そんな環境が今以上に広く行き渡ってくれることを、1ユーザーとして願わずにいられない。

 

店舗情報

伝説のすた丼 国分寺店
住所:東京都国分寺市南町2-16-14富士野ビル1F
電話:042-323-5145
営業時間:11:00〜翌3:00
定休日:なし 

www.hotpepper.jp

 

書いた人:刈部山本

刈部山本

スペシャルティ珈琲&自家製ケーキ店を営む傍ら、ラーメン・酒場・町中華・喫茶で大衆食を貪りつつ、産業遺産・近代建築・郊外を彷徨い、路地裏系B級グルメのブログ デウスエクスマキな食卓 やミニコミ誌 背脂番付 セアブラキング、ザ・閉店 などにまとめる。メディアには、オークラ出版ムック『酒場人』コラム「ギャンブルイーターが行く!」執筆、『マツコの知らない世界』(TBS系列)「板橋チャーハンの世界」出演など。2018年5月には初の単著となる『東京「裏町メシ屋」探訪記』(光文社)を出版。

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