日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。 その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして “食事” だ。
その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。
プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。そんな食にまつわる話をさまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。
第8回はついにこの選手が登場! 文句なしの現役ナンバーワン選手、新日本プロレスの「レインメーカー」オカダ・カズチカ。
あらためてオカダ選手の経歴を紹介すると、中学卒業後にプロレス団体「闘龍門」に入門し、19歳で新日本プロレスに移籍。アメリカでの2年に渡る武者修行後、「レインメーカー」オカダ・カズチカとして凱旋。
棚橋弘至選手からIWGPヘビー級王座を奪取、史上2番目の若さで戴冠し、その後も名勝負を繰り広げた。
打点の高いドロップキック、そして必殺技「レインメーカー」で対戦相手を次々とマットに沈め、2012年からのわずか6年間において、プロレス大賞で3度の最優秀選手賞と、5度の年間最高試合賞に輝いている。
一時の低迷からV字復活を遂げた新生・新日本プロレスの象徴として、また現在も団体のみならず日本のプロレス界を引っ張る存在であることは、誰も異論がないだろう。
獣神サンダー・ライガーさん秘伝の「ちゃんこの素」
ある日突然新日本のリングに現れて、いきなりIWGP王座を取ったかのように見えるオカダ選手。しかし、もちろん彼にも新弟子時代がありました。あの「レインメーカー」にもちゃんこを作っていた時代があったのです。
──15歳で闘龍門に入門してメキシコで修行した後、19歳で新日本プロレスに移籍したオカダ選手ですが、当然また新弟子生活からスタートですよね。
オカダ:闘龍門の頃もちゃんこは作ってたんですけど、後輩が入ってきてからは作らなくてよくなったんで、新日本に入った頃はもう作り方を忘れてたんですよね。闘龍門も新日本も基本は鍋です。自分が入った頃は吉橋さん(現YOSHI-HASHI)と内藤さん(内藤哲也)、あと平澤さん(平澤光秀)で作ってました。途中から吉橋さんと2人きりになって、その頃のちゃんこ番は1日交代だから大変でしたね。
──ちゃんこ番と練習を交互に?
オカダ:「闘龍門」の時もちゃんこ番は大変でしたけど、新日本だとちゃんこ番イコール道場番なので、忙しかったですね。先輩の服の洗濯もしなきゃいけないし、あと電話番もしなくちゃいけない。ちゃんこを作るだけじゃないんですよ。
──では新日本のちゃんこ番の日の1日のスケジュールを教えてもらえますか?
オカダ:朝8時から掃除をしなきゃいけないんで、その前に起きて掃除を終えて、10時から合同練習ですね。ちゃんこ番の日は練習で飲むお茶を大量に作って、その後にちゃんこを作って、練習の終わった選手たちが次々とご飯を食べに来るんで、その対応をして。合同練習だと当時は20人分だから、けっこうな量を作ってましたね。だいたい昼の12時から3時くらいに皆が食べるんで、その間に洗濯したり、野菜や肉が減ってたらまた足したりするんです。
──それが新日本の昼ごはん。夜もちゃんこ番が作るんですか?
オカダ:ちゃんこはお昼だけで、夜は各自なんです。
──あ、ちゃんこを作るのはお昼だけなんですね。
オカダ:そうなんです。夜は、僕はよく出前とかを取ってました。近くに「太平楽」って中華料理屋さんがあって、よくカツカレーとラーメンを持ってきてもらってましたね。今でも食べたくなるんですよ。たまに道場に行った時に電話して持ってきてもらうことあるくらい(笑)。
──ちゃんこは味付けとか教えてくれる人はいたんですか?
オカダ:新日本に入ってからは、料理に関してはけっこうライガーさん(獣神サンダー・ライガー)がいろいろ教えてくれたんですよ。「昔はこういうふうにやってたんだよ」って言って足してくれたのが、すごくおいしかったりして。
──ちゃんこに「獣神レシピ」が!
オカダ:普通の「つゆの素」とかだったと思うんですけど(笑)、味噌ちゃんことかでもそれをちょっと入れただけで全然味が違うんですよね。「あれ、こんな違うんだ」ってくらい。
──ちなみにオカダ選手の得意の鍋ってありました?
オカダ:そうだなあ、「豚肉の塩ちゃんこ」ですかね? いまだに誰かが家に来た時にはふるまったりしてますね。特に秘伝の調味料とかはないんですけど、黒胡椒を効かせてるかもしれないです。それにちょっとごま油入れるとおいしいんですよ。あー、話してたら食べたくなってきました(笑)。
1日1万キロカロリーの食事を目指していました
当時の新日本プロレスは、混迷の中から棚橋弘至・中邑真輔という後のトップ選手2人が団体の芯として活躍を見せ始めた時期。2008年に再デビューしたオカダ選手も、NOAHとの団体対抗戦に抜擢されるなど期待の若手として頭角をあらわし始めていた。
さらに2010年にはアメリカへの無期限武者修行に旅立つことに。当時アメリカ第2の団体・TNA(現Impact Wrestling)に出場しながら、「レインメーカー(=カネの雨を降らせる男)」に変身を遂げるべく、より本格的な身体づくりを行う。
──アメリカではちゃんこ番から一転、2年間一人暮らしですね。当時はハンバーガーをよく食べていたという話をお聞きしましたが。
オカダ:アメリカに着いてホテル暮らしの頃は、ハンバーガーばっかり食べてたんですけど、アパートを借りてスーパーに行くようになってからだいぶ食事も変わりましたね。身体を作るためにとにかく食べる量が多くなりました。
──身体を大きくするための武者修行ですからね。やっぱり肉メインですか?
オカダ:なんでも食べました。その頃は1日1万キロカロリーを目指してたんで。
──1万キロカロリー! どんな食事なんですか、それ。
オカダ:練習が終わった後、チョコレートジュースにバナナとプロテインを入れて、ミキサーにかけて飲んで、その後にインスタントラーメンを4袋食べて、みたいな感じですね。
──すごいですね……。ただ体重も増やさなきゃいけないし、筋肉もつけなきゃいけない。バランスよくってのも大変ですよね。
オカダ:どれだけ食べても、しっかり練習しておけば無駄な肉は後から取れますから。体重が増えなきゃ筋肉も増えないんで、やっぱり食べなきゃ身体にはプラスにならないと思うんですよ。鍛えてれば筋肉はついてくるから大丈夫。プロテインだけで筋肉を作るわけでもないし、やっぱり食べるものからだと思います。
──やはり身体を作るのは食べ物だと。
オカダ:ただ、いま僕30歳なんですけど、以前から「30歳を過ぎたら年齢的に脂肪がとりづらくなるぞ」とまわりからさんざん言われてたんですよね。あらためて一生懸命に練習やらないとなって(笑)。いいモデルチェンジしたいですからね。
──ちなみにアメリカ時代、仲のいい選手っていましたか? 一緒にご飯食べに行くような。
オカダ:アレックス・シェリーは仲良かったですね。よく家に泊まりに来てました。一緒に食事も行ったりしてましたね。また彼がすごいんですよ! 試合が終わって、次の日の朝6時ぐらいに飛行機に乗るとするじゃないですか。そしたら3時ぐらいに起きて、家に付いているジムに行ってウォーキングマシーンで1時間くらい走って、帰ってきてシャワー浴びてから出かけていく。
──ストイックな選手なんですね。
オカダ:朝イチの飛行機だろうと、翌日オフだろうと、どんな日でも身体を鍛えてるんですよ。それぐらいストイックでしたね。食べ物もサラダにチキンだけとかで、あとは水ばっかり飲んでたりして。そんな人に「今からウェンディーズに行こうよ」とか言いづらいですよ(笑)。
「いい肉はオカダに食べさせてやってください」
2年間の武者修行後、金髪にゴージャスなコスチューム姿、そして新技の数々を引っさげて「レインメーカー」として帰国したオカダ選手。2012年1月の東京ドームで凱旋(がいせん)帰国試合を行い、その翌月には棚橋選手からIWGP奪取と、ここから伝説が始まる。
当然、それ以前の若手の一員から扱いもトップ選手へ。中邑真輔や矢野通・外道らのユニット・CHAOSに加入し、巡業中もこのメンバーで活動を共にすることに。
──帰国してからは新弟子としての仕事も終わって一人暮らしですか。
オカダ:そうですね。巡業中はCHAOSのメンバーと一緒に行動することが多いですけどね。もうおはようからおやすみまでずっと一緒なので、東京にいる時はまったく会いたいと思わないです(笑)。
──巡業中はどういうところで食べたりするんですか?
オカダ:かなりバラバラです。僕はけっこうYOSHI-HASHIさんとランチに行ったり、外国人選手を誘ってどこかに食べに行ったりが多いですね。外国人はほっとくと「コンビニでいいや」って感じの選手が多いんで。
──食にこだわりのある選手はいない?
オカダ:あんまり食にうるさい人っていないんですけど、石井さん(石井智宏)は料理も作るし、こだわりもすごいですね。海外行く時とか、自前の醤油をちゃんと持って行きますから。で、醤油を忘れた時とか「醤油忘れた~!」って本気で悔しがってますからね。
──石井選手が醤油を忘れてへこむ姿って想像つかないですね(笑)。
オカダ:あと居酒屋さんとかに行った時も「醤油と七味ありますか」とか聞いて、自分だけの焼肉のタレとか作って食って「うめえ」とか言ってますね。
──ちなみに以前、中西学選手に取材して「モンスターモーニング(※中西選手の朝食)」を紹介したんですけど、オカダ選手は朝は食べるんですか?
オカダ:巡業中は特に朝は食べないですね。それも選手によって違ってて、すごい食べる人もいれば、僕みたいに朝は寝てたいって人もいる(笑)。体作り的には朝も食べたほうがいいんで、食べる時もありますけど、巡業中はパーキングでお昼を食べて、試合後にしっかり食べるってのが多いかな。
──今、普段の食事で気をつけていることってありますか?
オカダ:あんまり……ないですね。ただ時期によって変わるんですよ。大きい試合の前は玄米とかそばとか、血糖値が上がらないものを選んで食べてます。やっぱりスタミナ面とかが変わってくるんで。それで巡業とかビッグマッチが終わった後は、羽目を外すじゃないですけど、好きなものを食べますね。自分へのご褒美じゃないですけど、甘いものとか、ラーメンとか。
──甘いものって何が好きなんですか?
オカダ:別に特別なものじゃなくて、普通にコンビニで売ってるようなアイスとかチョコとかを食べちゃうんですよね。チョコパイが好きなんですよ(笑)。
──けっこうコンビニお菓子が好きなんですね。でも巡業先なんかで地元の方々においしいもの食べさせてもらう機会なんかもあるんじゃないですか?
オカダ:ありますね。地方で食べておいしかったもの……本当に多すぎるんですよ。最近だと熊本で食べた馬刺しがおいしかったですね。でも、どこに行ってもレスラーだからってすごい量の食事を出してもらえたりして、本当にありがたいんですけど、今ってそんなレスラーだからってむちゃくちゃ食べる人、いないんですよね。
──お店の人は「レスラーだからたくさん食べるだろう!」と期待しますよね。
オカダ:前にCHAOSのメンバーで鉄板焼き屋さんに行った時に、すごく高級ないいお肉を出してもらったんですよ。でも、いい肉って脂も多いじゃないですか。その頃は僕が一番若手だったから「いい肉はオカダに食べさせてやってください」って言って、全部僕に回してくるんですよ(笑)。あれはけっこうキツかったですね……いいお肉だったんですけど。
ビッグマッチ前に必ず食べる「大盛りの牛丼」
「レインメーカー」として帰国後は、棚橋選手との新時代の名勝負数え歌を繰り広げ、新たなプロレス界の象徴としてさまざまなメディアにも登場。
決めぜりふである「特にありません」からもうかがえるように、常にどこか飄々としてるようにも見えるオカダ選手。しかし帰国からの6年間、その裏にはプレッシャーもあり、それを影で救ってくれた“めし”がありました。
──オカダ選手にとって、たとえば試合前に食べるような「ゲンのいい食べ物」ってありますか?
オカダ:僕はタイトルマッチ前に牛丼を食べるんですよ。絶対に牛丼ですね。
──絶対に、なんですね。
オカダ:初めてタイトルに挑戦した2012年の時は、すごい緊張してたんですよ。それでもう食欲もなくって、でも何か食べなきゃだめだなと思って、近くに牛丼屋さんがあったんで、とりあえず牛丼を食べたんですよ。それからは何か大事な試合があるたびに牛丼を食べるようにしてますね。
──その時がIWGP初戴冠ですね。ちなみにお店は?
オカダ:吉野家の牛丼です。近くになかったら、会場に行く前にタクシーで行ったりしますから。このことは他のインタビューでも話したことあるんですけど、一度「オカダさん、本当に来るんですね……」って店員さんに言われたことがありますもん(笑)。毎回大盛りで、紅生姜とか卵もかけないシンプルな牛丼です。
──では試合会場のまわりに吉野家があるかどうかをチェックする。
オカダ:近くに吉野家がどうしてもない時は、 違う牛丼屋に入ったりしますけどね。さすがに去年のロス大会の時は諦めましたけど。僕のルーティンのひとつなんで、けっこうドキドキしましたね。ビッグマッチの時って、他の細かいことは忘れたりするんですけど、牛丼の食べ忘れだけはないです(笑)。そこから試合に向けて気持ちを上げてくんです。
191センチの体躯と抜群の運動神経から繰り出される技の数々、そして時に1時間を超えることすらあるハードな試合と、まさに常人を越えたレスラーの姿を見せ続けているオカダ・カズチカ選手。
その食生活で出てくるものは吉野家の牛丼に、コンビニで買うアイスやチョコパイと意外なほど我々に近いものでした。
今のプロレス界を支え続ける超人・オカダがそのよろいを脱ぎ捨てて普通に戻れる瞬間、それがめしの時間なのかもしれません。
お知らせ
今月からなんとこのレスラーめしが、『レスラーめし/新日本プロレス出張版(仮)』として新日本プロレススマホサイトでも連載スタート!
今回は初のコラボ掲載。オカダ選手の子どもの頃からメキシコ修行時代までを新日本スマホサイト、新日本プロレス入門後を『メシ通』で掲載します。
・新日本プロレススマホサイト「レスラーめし/新日本プロレス出張版」
撮影:沼田学