「どんな関係でもお酒は強制するもんじゃない」黒のカリスマ・蝶野正洋さんインタビュー【レスラーめし】

食えたことも、食えなかったこともレスラーをつくる。新弟子時代から現在までの食にまつわる話を、さまざまなレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。今回は蝶野正洋さんの登場です。

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※当記事は、検温や殺菌消毒・換気など可能な限りの感染防止対策を行った上で取材しています。

 

「黒のカリスマ」蝶野正洋さんのめし話

nWo JAPANやTEAM2000などを筆頭に、レスラーとして新しいヒール像を生み出し、プロレス界を変えた蝶野正洋さん。

1984年に新日本プロレスに入門、同期は橋本真也・武藤敬司らのちの「闘魂三銃士」。

その名を一躍有名にしたのはルー・テーズ仕込みの必殺技STF、そして始まったばかりの夏の大一番、G1 CLIMAX第1回・第2回大会連覇という快挙。

 

さらに94年のG1 CLIMAXで3度目の優勝を果たすと、それまでの白ベースのコスチュームから黒を基調にしたものに一新。ファイトスタイルもこれまでのテクニックの上に、反則・流血も辞さないラフ殺法を加えた荒々しい武闘派ファイターに変貌。

 

そして97年に天山広吉・ヒロ斎藤とnWo JAPANを結成すると、これまでにないスタイリッシュなヒール像が大ブレイク。プロ野球選手やサッカー選手、芸能人までも巻き込んだ一大ブームを巻き起こしました。

 

その後もTEAM 2000、ブラックニュージャパンなど正規軍とは一線を置いたチームで新日本内で力を振るい続けると共に、シングル戦でもG1 CLIMAXでは大会最多の5度の優勝を果たし「夏男」のニックネームで知られています。

 

さらにテレビ番組でもその唯一無二のキャラクターは大ブレイク。

特に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の「笑ってはいけないシリーズ」でのビンタ執行人として、お茶の間の顔になりました。

また99年から妻と手掛けるファッションブランド「ARISTRIST」も、長らくファンの心を掴んでいます。

 

暴走族時代の思い出の味は吉祥寺の松屋

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──リング上での蝶野さんというと、ケンカキックで相手をなぎ倒す武闘派ファイトが浮かびますが、新日本プロレスに入る前はサッカー部(高校時代)、さらに暴走族だった話は有名です。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:高校の時は、仲間とよくラーメンの大食いとか行ってたね。2人前3人前食べたらタダになる、ってところが昔はけっこうあったんですよ。各駅に1軒あるかないか、くらいで。

 

──昔はそういうラーメン屋がけっこうありましたよね。完食したらタダ、とか。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:うちの近所は記録を出すと値段がちょっと安くなる、くらいだったね。3人前くらいで1,500円のところを1,000円、みたいな。完食はしてたけど、でもだいたいそういうところは美味しくないんだよ(笑)。

 

──蝶野さんは8000杯近くラーメンを食べてきたラーメンマニアとしても有名ですよね。そういえば、らあめん花月嵐のキャラクターもやられてましたよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:そうそう! あそこもうまいんだけど、キャラクターとして出ている期間は他のラーメン屋に行けないのが残念でね。若い頃によく行ってたのが調布の熊王ラーメン。プロレスラーになってからもたまに行ってますよ。

 

──あと暴走族時代の仲間とは、どんなご飯を食べてたんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:悪い連中とは1,000円くらいの焼き肉食べ放題の店とかによく行ってたね。みんなで食べ比べみたいなことやってたねえ。

 

──やはり若いうちは肉ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:あとは吉祥寺のディスコで遊んだ帰りによく食べてたのが、駅前にあった松屋でね。松屋はいまは大きくなってどこにでもあるけど、俺らが若かった頃は吉祥寺まわりにしかなくてね。

 

──今も松屋の本社は武蔵野市ですもんね。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:その頃は養老乃瀧でも牛丼を出してて、めし食うかってなると、いちばんリーズナブルな養老にするか、王道の吉野家にするか、それとも地元にしかない松屋にするかで考えるんだけど、当時、松屋は味噌汁がサービスでついてきた。それで結局、松屋に行ってたね。味噌汁と一緒に牛丼を食べるのがくせになってさ。

 

──早朝の松屋に、蝶野さんを筆頭に地元の暴走族の不良たちがゾロゾロ集まってくるのって、すごい光景です。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:朝方の吉祥寺の、駅前のロータリーにある広いカウンターの松屋に行ってさ。

 

──ある意味、蝶野さんの青春の味。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:だから今でも松屋が好きですもんね。

 

──えっ、蝶野さん今も松屋に行くんですか!

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:行きます行きます。今は定食とかカレーとか、めちゃくちゃメニューも増えたけど、俺は結局、並盛にサラダと生卵かなんかをつけて食べちゃうね。松屋のサラダのドレッシングが好きでね。白いやつ。

 

俺らの代で新日本のちゃんこの伝統は崩壊してるんですよ

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──1984年に蝶野さんは新日本プロレスに入門されますが、新人時代はまずやっぱりちゃんこ番からですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:そうですね。入門から1年くらいはちゃんこ番で。俺らの場合は三銃士とフナちゃん(船木誠勝)とか7人が同期で、その上にライガーさん(獣神サンダー・ライガー)・佐野さん(佐野巧真)・畑さん(畑浩和)と3人いたんです。
その間に笹崎さん(笹崎伸司)って人が半年早く俺らの前に入っていて、この人がけっこう俺らの指導役みたいな感じだったんですね。だからちゃんこの作り方は笹崎さんに教わりましたね。

 

──それにしてもその寮生はそうそうたるメンバーですね。ちゃんこはどんなメニューを教えてもらったんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:みんな最初は「豚ちり」っていう、昆布だしとお湯だけで、豚肉をしゃぶしゃぶみたいにしておろしポン酢で食べるっていう基本のメニューを習うんです。
ただ、俺らの世代はちゃんこをつくる人数が多くて、1回作ったら次に自分の番になるのが翌週とかだから、まともに他のメニューを覚えようとしないんですよ。いちばん簡単な豚ちりしか頭に入ってなくて、当番が回ってきてもみんな豚ちりしかつくれない。

 

──毎日が豚ちりに(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:今日は俺が豚ちり、次の日は武藤さんが豚ちり、明後日は橋本が豚ちり、っていうんで、先輩から「なにやってんだ!」って文句言われて。それでなぜか兄弟子の笹崎さんが「オマエの教え方が悪いんだ! オマエが全部やれ!」って怒られて全部つくることになって、さらに俺らがレシピを覚えなくなっちゃう。

 

──ひどい新弟子ですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:ライガーさんまでは鍋でも4つ5つバリエーションがあって、1週間毎日でも違うメニュー作れるんですよ。ただ、そのうち全部を作っていた笹崎さんがジャパンプロレスに行っちゃって。

 

──ひたすらちゃんこ番をやるのがつらかったんですかね?

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:わかんないけどね(笑)。それにライガーさんとかも海外遠征に行っちゃって、後輩が入っても誰も料理を教えられなくなっちゃったんだよね。

 

──新日本伝統のちゃんこが完全にピンチに!

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:それで仕方ないねっていうんで、調理人を入れたんですよ。それが太さん(太武経さん。当時の新日本プロレス道場管理人)。

 

──ああ! そういうことだったんですね。この取材を続けてて、新日本プロレスの道場ってある時代までは選手がちゃんこを作ってたのに、途中から太さんがつくるようになって、その経緯が謎だったんですよ。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:まわりも「こいつらに食事を管理させてたら体が作れない!」って思ったんでしょうね。俺らも人の料理までつくるのなんて面倒くさかったから。だったら自分で食いに行った方がいいと思ってたんで。だから俺らの代で新日本のちゃんこの伝統は崩壊してるんですよ。

 

空腹でいることに罪悪感を覚えていた

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──蝶野さんはちゃんこをつくる方は苦手だったみたいですが、食事量はやっぱり多かったんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:みんなたくさん食ってましたよ。特に俺の時代の体づくりって、今みたいにキレのある筋肉を目指すんじゃなくって、とにかく食って練習して、体を大きくするのがメインですから。
だから食べるのも練習で、俺の中では空腹でいることは罪悪感を覚えることだったんですよ。夜に腹が減ってるって状態が、もう「練習を怠けてる」という意味。腹減ったなって思ったらラーメンとかをつくって、食べたりね。

 

──とにかく空腹にしないようにした。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:夕方にちゃんこを食べるんだけど、それも飽きてきたりするから、食べた後にファミリーレストランに行って、そこで4、5人前くらい頼むんですよ。デザートも含めて。先輩の佐野さんと、よく行ってましたね。体を大きくしたいから、食べられる食べられないじゃなくて、とにかく頼んで、食べまくる。

 

──ハードルを上げて食うって、本当に食べることも体を鍛えるのと同じだったんですね。寮で食べている時も先輩が「食え食え」って言ってくる感じですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:そうだね。でも、俺らの時は前田さん(前田日明)がやられたみたいに小鉄さん(山本小鉄)がめし食い切るまで真横についてるみたいな、そういうマンツーマンな感じではなかったですね。というのも、俺らの世代って選手の人数が多かったんですよ。
新日って、多めに若手選手を採用してもひとりしか残らないとか、そういうのが当たり前だったのが、ライガーさんの世代で3人残ったというのも異例だったし、俺らの世代も合わせて1年に7人くらいデビューしたり。新日本の歴史の中でもありえない時代だったんです。

 

──じゃあ、先輩たちも後輩を見きれなかった。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:そういうところはありましたね。でも食って体を大きくしなきゃとは思ってたから、俺ら食った後は必ず体重を測ってたんですよ。「今日いっぱい食ったから、1キロでも太ってねえかな?」って。ダイエットとは真逆ですよね。
夜に体重計に乗って105キロになって、朝起きたら103キロになってたりするから、また食わなきゃいけない。1キロのせるのに1ヵ月2ヵ月かかる。でも体重って落ちるのは一瞬なんですよ。

 

──本当の意味で自分の体にするのは簡単じゃない。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:あともうひとつ「あるある」がね、レスラーって必ず服を買いに行く時にワンサイズ大きいのを買うんですよ。要は1ヵ月2ヵ月後に体が大きくなっているはずだ、ってイメージして買うんです。服に自分を合わせていけるように、とにかくよく食ったなあ。

 

写真を飾ってくれるのが夢だったステーキハウスの話

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──闘魂三銃士(橋本真也・武藤敬司)のおふたりとの思い出ってありますか? たとえば武藤さん。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:よく荒川さん(ドン荒川)に千葉のスポンサーのところに連れて行かれたんだけど、あるステーキハウスに武藤さんと行ったんだよね。そこでタニマチの人が荒川さんと俺らに4人前の2キロの肉を持ってきてくれたんだよ。
これを4等分で500グラムずつにして、「生でも食べられるくらいの新鮮なお肉です」って見せてくれたんだけど、そしたら荒川さんが仕掛けてきてさ。「じゃあ、こいつらに2キロをひとつずつ!」って(笑)。俺らも「え、2キロですか?」って。無茶ぶりもいいとこですよ。

 

──荒川さん、いろんな仕掛けをしちゃう人なんですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:それを武藤さんと一緒に食ったよね。たしかに美味しかったよ。言い出しっぺの荒川さんも食べたんだけど、自分は1キロくらい食べたら残りはサラダに隠してた(笑)。「なんだよ、ひでえな!」って思ったよね。でもその後に回転寿司屋に連れて行かれて、俺も武藤さんも50貫くらい食べたんじゃなかったかな?

 

──さすがに食べますねえ。では橋本さんとの食の思い出は?

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:ブッチャー(橋本真也さんのあだ名)は、巡業先に行った時は俺の2倍くらい食べてたよね。2倍の量を食ったあとにコンビニに寄るんですよ。ブッチャーも最初はダイエットしてたんですけどね。目指してるのはタイガーマスクだったから、腹にサランラップを巻いたりして。

 

──それがいきなりバクバク食べるように。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:どこかでパワーファイターになるっていうんで、体を大きくするのが目標になってからは食い方も急に変わって。食い終わってからコンビニに寄って両手にポテトチップとかお菓子を大量に買い込むんですよ、深夜寝られなくなった時に空腹感がないように。腹いっぱいの状態で寝るって意識に変えられちゃってるんだよね。

 

──他の方から聞いた話だと、橋本さんは道場の前にあった川に網を投げて魚をとったりしていたそうですけど、蝶野さんは付き合ったりしてないんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:それはやってないね。それってライガーさんとかでしょ? ライガーさんとブッチャーは大親友で、ふたりとも趣味が一緒だし、思考が一緒なんですよ。ずっとガキの使いみたいなことやってるから。

 

──では蝶野さんが若い頃に食べた思い出の店ってありますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:若い頃に行っためしで思い出深いのは、やっぱりステーキハウス・リベラでしょうね。あそこはレスラーにとってはステイタスで、店からTシャツをもらえたら「認められた!」って感じるんだよね。
新弟子の坊主頭の時にも食べに行ってたけど、まだ声もかけてもらえない。それが「あ、新日本の若い選手?」って聞かれるようになったら、自分も名前が売れてきたんだなって思うよね。いつか自分の写真を店に飾ってほしいなって思ってたなあ。

 

www.hotpepper.jp

 

──何歳くらいに飾ってもらえましたか。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:たしか……海外遠征から帰ってきた88年か89年くらいじゃないですか。「やった、この中に仲間入りだ」って、嬉しかったですね。あそこに飾られている選手は、本当に一流どころだから。もちろん「この中に入っていいのかな……」って気持ちもありましたけどね、アンドレ、ホーガン、ブロディ(※)って並んでて、日本人レスラーの写真はなかなかなかったから。

 

(※)アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン、ブルーザー・ブロディ。

 

蝶野さんが語る「熊本旅館破壊事件」

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──お酒についてもうかがいたいんですけど、蝶野さんはお酒はあんまり飲まれないんですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:俺は好きじゃない! 基本的に酒は飲まないね。

 

──どうしても飲まなきゃいけない機会もあったと思いますが。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:若手の頃は、タニマチとの食事会に飲み食いする兵隊として荒川さんなんかに連れて行かれたりするんだけど、俺の世代は酒に強いやつがいたから、俺はあまり連れて行かれなかったね。
ライガーさんなんかも飲めないから、あんまり行かなかったんじゃないかな。俺の世代は飲むんだったら橋本・武藤ってのがいたから。いちど行ったら必ず朝方に帰ってきて、道場の前でゲロ吐いたままブッ倒れてるとか、よくあったけどね。

 

──そんな状態でも朝から練習とかだったんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:昔はそんなこともあったみたいだけど、俺らのときはなかったね。当時の新日本が、UWF系の人も維新軍の人たちもいなくなって、若手が必要戦力になってきたのと、荒川さんが営業として若手を飲みに連れて行くようになって「これも仕事だ」って認められた感じですね。入ってすぐくらいの頃は、吐いても練習させられてたけど。

 

──新日本がピンチの時期だといろんな変化があるんですね。そして蝶野さんがいた頃の新日本のお酒の話というと、新日本の選手とUWF選手を交流させようとしたら皆酔っ払って旅館をボロボロにしたという「熊本の旅館破壊事件」が有名です。この話についてはあちこちで聞いているんですけど、蝶野さんもその場にいたとか。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:はいはいはい、いましたいました。ただ、あれも違う視点で聞くとぜんぶ話が違うんですよ。俺の記憶で残っているのは、旅館を壊したのは後藤さんだけなんですよ。それは間違いない!

 

──旅館に飾ってあった刀を振り回してたとか。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:刀じゃなくて出刃包丁ね。

 

──どっちにしてもひどい!

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:宴会が終わったくらいに出刃包丁を持って降りてきて、猪木さんがいないもんだと思って「猪木出てこい!」って言ってたら、振り向いたら後ろに猪木さんがいて。それで平身低頭「すいません」って謝ったやつね。俺もその場は見てないけどね、人から話を聞いただけで。

 

──きっかけは前田さんと武藤さんが殴り合い始めたことだと聞きますが。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:ふたりの殴り合いは普通にやってたんですよ。それをまわりも「やれ! やれ!」って感じで煽ってね。その途中で後藤さんがいなくなって、上の方のトイレをぶち壊して水が流れ出したとか。ライガーさんとかその辺はすぐに逃げたと思うんで、たしかそれを後藤さんが追って行ったんじゃないかな……。

 

──あと藤原さん(藤原喜明)と荒川さんが殴り合ってたとか。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:殴り合ってはいないですよ。俺は最後まで見てましたから。ビルの上の階で「ここから飛び降りろ!」ってふたりの漫才みたいなのはやってたけど(笑)。若手は早いうちに逃げたりしたけど、最後は部屋の片付けまでやらされたんだよね。
だって片付けやってるのが猪木さん坂口さん藤波さんで、トップどころの選手が掃除してるから、俺らも半分酔っ払ってるけどやらざるを得ないからさあ(苦笑)。

 

──新日本の社長クラスが掃除してたら、さすがに若手は逃げてる場合じゃないですよね。

 

どんな関係でもお酒は強制するもんじゃない

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──nWo JAPAN以降、「黒のカリスマ」と呼ばれるようになってからは、新日本の正規軍ではない側の団体の顔としていろいろなお付き合いも増えたんじゃないでしょうか。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:まあ看板になると、スポンサーやら各地方のお世話になってる人やら、いろんな人とのお付き合いに行かざるを得ないよね。でも俺は白から黒になった時は会社に条件として「付き人とかいらないし、そういう夜の付き合いとかがない、フリーの契約にしてくれ」って伝えてたんですよね。

 

──扱いとしては外国人選手みたいな。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:そうそう。本隊にいた方がいろいろ保障はしてくれるけど、地方の後援会やスポンサーとの付き合いもトップどころはやるのが仕事だと言われるわけです。
以前それを断ってトラブルもあったりしたから、だったらそういうスタンスじゃない方にいたかったんですよね。

 

──日本人でそんなスタンスを取った人って、そんなにいなさそうですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:昔はね、アメリカもドイツも日本も、どこ行ってもみんな酒の飲み比べするんだよ。勝負をしたがるんだよね、昔の人は。どこの国に行ってもそう。酒で人間関係を作りたいんだよね、アルコールの強い弱いで。
ただ飲むだけならいいけど、俺はそういう飲み方は本当に嫌でさ。力を持っている人でも、もしそういう感じで来られたら「俺やらないっすよ、そんな付き合い方なら帰りますよ」って言うことありますよ。

 

──今でこそ「アルコールハラスメント」なんて言葉ありますけど、毅然と断るのも勇気がいりますよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:台湾とかロシアに行くと、ウォッカとか紹興酒とか持って一般人が絡んできたりするんだよね。それでキレたことあってさ。
いい紹興酒を持って来てみんなに注いだりするんだけど、俺のところに何回も来て俺が飲まないからって言うんだけど、またやって来る。
客人に酒を注がないと、自分だけ飲んでいる形になって格好悪いってことなんだろうけど、あんまりしつこく来るから「なんだこの野郎、てめえ勝手に飲んでろ! オマエが好きなんだったらテメエで飲めばいいじゃねえか!」って言っちゃったね。「習慣だ」って言ってくるけど、人に強制するんじゃねえよ! それが俺の考え方だから。

 

──以前、新日本プロレスのスマホサイト版 の取材で天山広吉選手に話をうかがったんですが、海外遠征から日本に帰ってきて蝶野さんやヒロさんと合流して、試合後に食事しながらのダメ出しや反省会が本当にためになったっておっしゃってました。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:天山が入ってすぐくらいは3人の小さいグループだったし、ちょうどヒロさんが俺より5、6年先輩で、天山選手がまた同じくらい離れた後輩でちょうどよかったんですね。
地方大会だと試合後に3人でめし食いに行ったりしましたよ。スタイルも考え方も少し違うけど、ヒロさんも先輩後輩ってのなくフラットに扱ってくれる人だったんで、3バカ兄弟みたいな感じで楽しかったですね。

 

──その3人が、プロレスに興味ない人まで虜にしたのがnWo JAPANでした。

 

f:id:Meshi2_IB:20210119143628p:plain蝶野:天山選手は海外遠征から帰ってきてそのまま正規軍に入ってたら、リング上の活躍に加えて夜の飲み会とか一日中やらなきゃいけなかったはず。
俺は三銃士でそういうことやってきて「これはプロレスに必要ないものだ」って思って距離を置くようにしたから、天山選手もプロレスに没頭できたと思いますけどね。プロレスはリングで見せることが最優先だから。

 

・・・

 

今でこそアルコールハラスメントという言葉もありますが、20年以上前から毅然とそれにノーを突きつけてきた蝶野さん。

プロレスラーという言葉以上の強さが、そこにはありました。

蝶野さんがリーダーとしていろんなチームを率いてきたのがわかる気がします。

 

書いた人:大坪ケムタ

大坪ケムタ

アイドル・グルメ・芸能etcよろず請け負うフリーライター。メシ通での好評連載『レスラーめし』(ワニブックス・刊)が書籍版のみの追加エピソード、小林邦昭☓獣神サンダー・ライガー対談も特別掲載して絶賛発売中!

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