
新宿駅西口から徒歩9分。
雑居ビルの地下入口に「世界初のポジティブ居酒屋」と書かれた、黄色い紙が貼られている。なんでも普通の居酒屋ではなく、ポジティブを補給できるお店で、ネガティブ禁止なんだとか。
地下1階ということもあり、初めて入るには勇気がいるタイプのお店だ。

なぜ、このような特殊な居酒屋が出来上がったのか?
店長である、スーパーポジティブティーチャー福地さんにお話しをうかがった。
このお店は、お客さん超参加型の居酒屋だ!

▲選べる乾杯のリスト。「嬉しい」「ハイテンション」などから乾杯を選ぼう
ポジティブ居酒屋は、普通の居酒屋ではない。お客さんが全力で参加する必要があるお店だ。まず、乾杯を選ぶところからはじまる。
「嬉しい」「ポジティブ」「ハイテンション」などと書かれた乾杯リストから好きな乾杯を選ぶ。たとえば笑顔乾杯を選んだのなら、グループのみんなが1つずつ「笑顔になった時のエピソードトーク」をしてから乾杯をする。
それほど広くはない店内。話すエピソードトークは、その場にいるすべてのお客さんが聞いている。人前で話しなれない人間には、なかなか緊張感あふれる瞬間だが、はじめて出会った人とも自然と会話が生まれる仕掛けだ。
ひとしきりエピソードトークを終え、乾杯し終えると「さっきの話しなんですけど……」なんて、隣の知らないグループから話しかけられることもざら。
自己紹介もすっ飛ばして、いきなり深い会話が始まるのだ。
▲ドリンクもお客さん参加型メニューがたくさん用意されている
ドリンクメニューにも、お客さん参加型メニューが沢山用意されている。★マークが多いほど実行難易度が高い。
たとえば、ハイテンションボール。
「今までの人生で一番高かったテンションより、さらに高いテンションにならなきゃ飲めないハイボール」だ。
とにかくはちゃめちゃにテンションを高めて、脳の血管が浮き出るほどの大声でハイテンションを誇示しなけば、飲むことができないのだ。
ちなみに、メニューの横にかかれている「P」はポジティブの略。
このお店では、1P(ポジティブ)=1円のレートで料金を計算する。

▲来店ごとにもらえるポジティブバッジ
初回来店時は、小さな「ポ」のバッジ、2回目の来店で「ジ」をもらえる。5回来店でポジティブ5文字がすべて揃う。
10回目の来店で、でっかい「ポ」、20回目ででっかい「ジ」と、バッジがデカくなるのだ。

▲ドリンクを出すさいの効果音も選べる
5回来店し、ポジティブバッジの「ブ」まで集めると、ドリンクを出す時の効果音を決められる。
来店回数に応じて、選べる効果音も増えていくぞ。

▲ポジティブの鐘。超ポジティブな時にしか鳴らせない。鳴らすと、お店全体がポジティブになれる鐘だそう

▲ある条件を充たした時に引くと、最大の効果を発揮するというくす玉。どんな条件かはシークレット。故意に引いたら罰金1万円だ
こんな感じで、店内のいたるところにポジティブになる仕掛けが張り巡らされている。紹介したのはほんの一部。
来るたびに仕掛けもメニューも増えていて、他のお客さんとも仲良くなってしまう、そんな参加型でポジティブな居酒屋なのだ。
1,500回来店の常連さんもいる

―いま午前10時ですが、取材前にUber Eatsの配達されてたんですよね。ポジティブ居酒屋のメニューの配達ですか?
いえいえ、普通に注文あった他の店の配達ですよ。
配達して、取材受けて、夕方から営業です。
緊急事態宣言中、都のやり方に沿って営業していて、25日ぐらい休業してたタイミングでUber Eatsを始めました。
Uber Eatsで1日1万円稼ぐ、ただ稼ぐだけじゃなく満足度100%を目指すって目標を立てて、その頃は1日10時間配達してました。
―10時間!長い!
単純に体にいいし、市場調査にもなるんです。
どんなメニューが人気あって、流行ってるのか、いろんな飲食店のことが分かりました。
配達がきっかけで知り合ったラーメン屋さんが、うちの常連になって、もう300回くらい来店されてます。人手不足だって相談されて、そのラーメン屋さんでついこないだまで8ヶ月働きましたよ。
―え?ポジティブ居酒屋やりながらですよね?
もちろん。
週6日ラーメン屋さんで働いて、夕方からポジティブ居酒屋です。
―めちゃくちゃ働く!それにしても300回来店ってすごい頻度ですね
一番来てる常連さんは1,500回来店してます。
うちは日曜と年末年始が休みなので、1年間だいたい300日営業してます。
ちょうど開店7周年の日に、1,500回目の来店を達成していただきました。
―えええ、1,500回!?300日×7年で、営業日数2,100日のうち1,500日来てるんですか!?
そう。オープン半年後から来店し始めて、今週も毎日お越しになってます。
コロナ禍が始まったばかりの頃は、新規のお客さんがほぼいなくなりましたが、常連のお客さんがたくさん駆けつけてくれて。
台風で絶対お客さん来ないだろうなって日でも、店長が悲しまないようにって、合羽着こんだ常連さんがビチャビチャのずぶ濡れで何人か来たり。
そんな感じで、7年2ヶ月営業してて、ノーゲストの日が1回もないんです。
―このお店、広告出してないですよね。どうやって常連さんを増やしていったんですか?
広告は1回も出したことないですね。テレビ取材も断ってますし。
広くないお店なんでね、テレビ観ましたって方ばっかりで、今まで支えてくれた方たちが入れなくなったら不義理ですから。
やっぱり口コミが最強ですよ。縁のなかに想いが宿ってるので。
開店前の数年間は、勢いがある繁盛店と居酒屋で働きながら、経営の基礎を学んだんですけど、どちらの店も新宿近辺だったので。開店したばかりの頃は、そこで知り合った仲間とお客さんが来てくれました。
―その時のお客さんで、今も通われてる方いますか?
おめでとうって気持ちで最初は来てくれたけど、常連さんにはなってません。
開店1~2ヶ月は以前働いてた店の仲間とお客さんが来てくれて忙しかったけど、3ヶ月目から苦しい状況になりました。
客足が鈍くなっていって、仕込んだ料理が余った。そこで余った絶品ネギ豚角煮を、ご近所のお店に配って回ったんですよ。
その時に知り合ったのが、ポジティブ居酒屋の向かいにある麺屋 翔の社長です。
ポジティブ居酒屋は当時、夕方5時~朝5時までやってたんですが、ラーメン屋さんの営業終わりに店員さんが必ず来てくれる状況になりました。

自分のお店が満席になったら「この店、面白いよ!」とお客さんを連れてきてくれるバーがあったり。
そんな感じで、じょじょに近隣の飲食店関係者さん達が常連になってくれて。お世話になってるので、逆に向こうが困ってる時は恩返しがしたい。
というわけで、常連さんの割烹で人手が足りない時期、週5で昼間働いてましたよ。
1年働き続けたところで、昼間の店長になっちゃいました。
―え?ポジティブ居酒屋の店長やりながら、割烹料理屋の飲食店の店長にもなったんですか。どうなってんの
限られた時間でも本気でやってたんで。割烹料理屋の仕事は2年続けましたね。

▲常連さんの名前がふんだんに盛り込まれたフードメニュー。
「まゆちゃんの大好物オムライス」「すーさん大好きうずらの玉子」など何度も通って、同じものを頼み続けることでメニュー名になる。

▲メッセージが入ったグラス。
100回以上来店したお客さんは、指定したメッセージをグラスに入れてくれる。お客さんの来店回数は、ゲストノートに正の字をつけて記録してるそうだ
ポジティブ居酒屋で検索したら、世界に1軒もなかった
―ポジティブ居酒屋以外にも飲食店を経営されてた時期ありましたよね
ええ、哀愁居酒屋「親父の希望の光」ですね。
料理ができない70代のおじさんを雇って、運営してました。
開店前に一緒に仕込んで、おじさんには仕込んだ物を出してもらうだけの状態にしていた。それを1年8ヶ月やって閉めましたね。
ポジティブ居酒屋をやりながら、哀愁居酒屋の仕込みも手伝って、同時にお笑い活動もやってたんで、めちゃくちゃ忙しかった。
―お笑いって事務所に所属してたんですか
フリーです。コンビ組んで、4年ぐらいやってた。
M1優勝を目標に活動してたんですが、2回戦進出が最高記録。コンビは解散しました。
―そもそも、どういう経緯で飲食店を?
飲食の専門学校に通ってたんですけど、その頃はプロボクサーを目指していて。
埼玉から上京して、プロテスト2回受けたけど受からず諦めた。
夢がなくなって、ママチャリで日本一周したり、海外旅行しながら、自分探しして、やっぱり飲食だなって。

―飲食を目指すのは分かりますが、そこで選んだのがなぜポジティブ居酒屋だったんでしょう
開店半年前まではキノコに特化した店にしようと考えてて、キノコの生産者にも会ってました。
ところが、当時働いてた会社で自分の強み・他者の強みを書くワークワークショップに参加して。
社員40人がいたんですが、私の強みは全員が「ポジティブ」って書いてくれてたんです。
―40人全員が同じこと書くってよっぽどですね……!
だったら、自分の強みを活かした店にしたほうがいいなと。
「ポジティブ居酒屋」で検索してみたら1軒も出てこないんです。こりゃ開いただけで唯一無二だと。
というわけで、ポジティブ居酒屋にしました。
もともとはネガティブでどす黒いオーラをまとっていた
―店長さんは、もともとポジティブな性格なんですか?
いえいえ、ずっとネガティブな人生で。どす黒いオーラをまとってました。
キラキラした人になりたくて、そういう人の言動を真似したり、言葉使いを変えて17年経ちます。
―その結果、今ではすっかりポジティブになった
現時点でもベースはネガティブですよ。
でも、ポジティブな行動を選択し続けていれば、人はそれをポジティブと呼びます。
自分のネガティブさも認めて、オンオフを切り替えてます。ネガティブもポジティブも、どっちも好きな自分なので。
ただ、ポジティブを選択したほうが幸せなんですよ。
ネガティブな時は、人としゃべりたくないし、自分を責め続けてしまう。不安に押しつぶされそうな時もあります。
この店をオープンした当初は、そんなネガティブな自分を認めなかった。偽りのポジティブ。
次第にキツくなっていって、自分の弱さを認めるようにしました。

―なぜ、そんなにポジティブにこだわったんですか?
昔の私はネガティブで、最低の人間で、何もうまくいかなかったからです。
学生の頃なんて「絶対言わないでね」って教えてくれたヒミツは絶対言ってたし、ほぼ毎日遅刻してましたから。
―ヒミツを言っちゃうのは、ネガティブとはまた別の問題な気がするが……
自分には甘いのに、人に厳しい人間でした。
小・中・高・専門学校で一度も同窓会呼ばれてません。
そんな自分が嫌だった。ボクシングをやってる時もネガティブなままで、仲間もいませんでした。
―なにが転機で変わりはじめたんでしょう
23歳の時です。今40歳なので17年前ですね。
やることなすこと何もうまくいかず、家族とも疎遠になり、どんどん孤立していった。
好きな人できてもモテないし、こんな人生は辛すぎると。
身近なキラキラした人や、みんなから好かれているタレントさんが、どういう立ち振る舞いをしてるかを観察して、真似ていった。
笑顔が大切、ウソをついちゃダメ、悪口を言わない、とか基本的なことです。
そうすると、すこしづつ僕を好きになってくれる人が増えていった。
それでも、ガラッと思考、行動を変えるのは難しかったので、旅に出ました。
いろんな人に優しくされて、自分と向き合えた。そこでトゲが抜けていった。
それまでやりとげた事が何1つなかったけど、日本縦断できて自信が湧いて、勢いがつきました。
―日本縦断の旅で、記憶に残ってるエピソードありますか?
最初、野宿しようと思ってて、寝袋持っていったんです。
でも、公園で寝ないでくださいって起こされたり、虫が多くて寝れなかったり、暴走族の集会に巻き込まれたり。
―暴走族の集会!?
「おい、寝てる奴がいるぞ!」ってヘッドライトで照らされて。
暴走族って逃げたら追う習性があるので、追いかけまわされて。なんとか民家に隠れて、まきました。
そんなことばっかりだったんで「もう、この国は腐ってる」って、さらにネガティブになっちゃった。

▲ポジティブティーチャーのルーティン連続達成日数が掲示されてる
―それは落ち込んじゃう
このままじゃ日本縦断できないってことで、青森あたりで野宿をやめて、民宿泊まることにしたんです。
ある日、夜になっても宿が見つからなくて。通りすがりのおばあちゃんが「民宿ないよ」と教えてくれて。それだけじゃなく「うち来るか」と。
その家の老夫婦が無条件に優しくしてくれて。服を洗ってくれて、美味しいご飯食べさせてくれて、お風呂も布団も用意してくれた。
「なにか手伝えることないですか」って翌日畑仕事を手伝いました。
旅立つ時には、おにぎりとから揚げと卵焼きのお弁当を持たせてくれた。
こうやって無条件に人に優しくなれる人になりたい、と。
その気持ちを持って人と接するようにしたら、前半の辛い旅から、後半はガラッと変わった。
いままで自分にだけ向いてた矢印を、人に向けるようになったんです。
毎日新しいことの連続で、開かなかった扉がバンバン開きまくりました。
―ポジティブ居酒屋やってからも、心境に変化はありました
このお店も8年目ですけど、いろんな事があって、ポジティブの定義がガラッと変わりましたね。
前向きで明るくて、ポジティブの方がいいと信じてた。
でも、ポジティブだけで生きれるならそれでいいけど、ネガティブが必要な人もいる。自分のネガティブを認めることも大切だって気づきました。

▲現在のポジティブの定義
―そう思うにいたる、何かがあったんでしょうか
オープン2年後にありました。
当初は、絶対ネガティブ禁止お店のルールでした。
不満、悪口、ぜんぶ禁止。「3、2、1」で、ポジティブに切り替えなければ、バッジ回収。バッジがなくなれば退店というルールでやっていた。
でも、負の感情を出しちゃいけないって心にとどめて、ポジティブを上乗せしても、毒が消えてない状態なんです。
奥にあるネガティブがどんどん膨らんで、ポジティブを突き破ってくる。そんな現象が近い人たちで連発したことがあって。
たとえば、常連のお客様が急に来なくなる、お店のアルバイトの子がバックレる。そんなことが続きました。
ーなるほど、それは辛い
ばったり来なくなった常連さんのお客さんは会社やめたらしいと風の噂に聞いていて。半年後にお店に来てくれたんですけど、「ポジティブだ!」と口では言いながらも、急に気持ちがこもってしまい、なにもかもやる気なくなったそうで。「ポジティブだけじゃ、ダメですね」っておっしゃってた。
アルバイトの子も、そこから3年後に会ったんですが「お店もお客さんも大好きだったけど、自分のネガティブさを出せず、無理してポジティブで居続けるのが辛くなってしまった」と言われて。
そこで、気づきました。
「ああ、本当の気持ちを言わないことこそ、ネガティブなんだ!出さないで、ポジティブを入れても、毒になる」と。
私自身もキツかったんですよ。なにせもともとネガティブですから。
現在は「ネガティブでもいい。どうしたらそれをポジティブに変えられるか、一緒に考えて、やってこうぜ」というスタンスになりました。
どうしてもネガティブが止まらない時は、ネガティブ室(※ポジティブ居酒屋における、トイレのこと)で水に流してねって言ってます。
ーポジティブの定義が深まっているんですね
今までは常にポジティブ100%で接客したんですが、それもお客さんに応じて調整するようにしました。
100%の状態だと、入店してすぐの冒頭説明に30分かかるんです。
めっちゃ忙しいタイミングだと、説明だけで終わっちゃうんですよ。
―たしかに説明、念入りにやりますよね
でも、お客さんによっては、ちょっと食べて少しだけポジティブを摂取したい人もいる。
そんな方に100%は過剰です。なので、ご自身で選んでいただけるようにしました。
ポジティブ度合50%なら、説明も15分です。
―純粋に時間が半分になるんだ
10%を選んだ方にはそんなに絡まないけど、100%ならガンガンいきます。
50%あたりを選ぶ方が一番多いですね。
泥団子を磨くように、90歳まで続けていく

―将来の展望ってありますか?
一番の夢は、この店を90歳まで続けていくこと。
常連の娘さんが、通い始めた頃はまだ小さかったのに、もう高校1年生になって。
親戚ではないけど、成長をずっと見守れてる。これって開店したばっかりのお店じゃ絶対できないことです。
親から子ども、子どもから孫へと、代々常連になってくれるような、人生の1ページみたいなお店でありたい。
―店舗展開は考えてない?
店舗展開はしない、してる時間がもったいない。
泥団子でも磨きあげていったら、鉄より硬くなる。この店を濃縮していきたいんです。
つい先日、韓国から3年間待ってようやく来れたってお客さんがいらっしゃいました。
1週間の滞在で6日間来てくれたんですよ。日本語が出来ない方だったので、なんとか英単語で会話して。日本での一番の思い出だって言ってくれましたね。
そんな風に、小さい店だけど、ここをめがけて世界中から人がやってくる状態になれば、この店が世界になりますから。
お店情報
ポジティブ居酒屋 思いやり
住所:〒160-0023 東京都新宿区西新宿7丁目17−5 矢澤ビル地下1F
電話番号:03-5937-4123
営業時間:17:00~24:00
定休日:日曜日
書いた人:松澤茂信

珍スポットマニア。日本全国1,000ヵ所以上のちょっと変わった観光地や飲食店を巡り歩いています。
- Twitter:松澤茂信
-



