目白「蝶屋」は現代の竜宮城?5000匹の羽ばたきに導かれ「蝶取り名人」の人生哲学に触れた夜

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目白通りの地下にひっそりとたたずむ「蝶屋(てふや)」の店主・柿澤清美さんは、そのスジには周知の「蝶捕り名人」であり、指折りのパイオニア。齢75歳にして、今も国内外を忙しく飛び回る研究者だ。

蝶を追っては山の幸に出会い、それを摘んではまた蝶を追う。熊とは戦わないが蜂は制す。そんな自然界との逢瀬を重ねるうち、この店には、一種異様な営業形態が出現した。

営業は水曜日のみ! 店内の壁を埋める標本棚には約5,000匹の標本を展示・販売! そして向かいのカウンターには、季節・旅先その時どきの旬として、絶品の大皿料理がこれでもかと並ぶのだ。

情報の洪水に頭クラクラ、目もチカチカの、目白タウンの水曜日。「好きなことしかやらない」を極めた粋人に、たっぷり話を聞いてきました。

 

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「僕の人生は蝶一色。お店よりも蝶のほうがずっと大切です」

柿澤さん:この店を始めたのは40年ぐらい前になるのかな。当時の目白にはまだまだお店が少なかったから、昼は珈琲を出して、夜はお酒を出してという感じでスタートしたんです。
でもそうなると、なかなか僕の本職である蝶を採りにはいけなくなるでしょう? 蝶って種類によっては年に2週間ぐらいしか出会えないものもいるから、そこを外すと翌年までチャンスがなかったりして、それが悩ましくてね。だんだんと営業日が少なくなるうちに、とうとう水曜日のみになっちゃったんです。

 

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柿澤さん:今は蝶を採りたいという人たちのためにツアーを組んだり、毎日とにかく動き回ってます。仕事と休日の境もなければ、仕事と趣味の違いもない。もし家にいたとしても、蝶の生息地を整理したり、図鑑の出版のために原稿を書いたりしてます。僕の人生は蝶一色ですね。

 

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▲「ツアー」のための航空券の束。行き先はマレーシア!


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▲柿澤さんは、舞台『幻蝶』に登場する蝶マニア・戸塚(内野聖陽)のモデルにもなった人物でもある。「東宝さんからいきなり話がきてね、演技のリアリティのため実際に蝶を採るところも見てもらったし、劇場用パンフレットには僕も全面協力しました」

 

柿澤さんは取材の冒頭から、ハッキリと「店よりも蝶が大切」と断言。しかしこの極端な「我が道をゆく」にこそ、この店ならではの愉楽がある。
それはたとえば、古民家の土間で看板も出さずに密かに営業を続ける蕎麦屋を発見したときの興奮や、その日の営業を終えたバー店主と、店/客の垣根を越えグラスを交わすときの高揚にも似た感覚。柿澤さんの「部屋」へと招かれ、不可視の秘密を共有しているかのようなスリルが、不思議な居心地の良さへとつながっているのだ。

 

柿澤さん:「部屋」っていうのは本当にその通りだね。僕はここで暮らしているわけじゃないけど、これだけ自分の好きなものばかりに囲まれて営業しているわけだから、僕の書斎や工房を一般解放しているような感覚もあります。
そもそも蝶だけの商売をやるのであれば、小さなマンションを借りればいいわけです。でも、それだと夢がないでしょう? 自分の趣味を貫いて、それをお客さんとも共有できる、サロン的な場所であるというのが面白いんです。

 

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▲約200種・5,000匹の標本には(常連さん曰く)「かなり良心的」なプライスがつけられ、もちろん購入も可能。ときには店内で小さなオークションが開催されることも

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▲柿澤さんのライフワークである自主出版の採集・観察マップ。この情報量で26巻目!

 

柿澤さん:もちろんこの店の経営はまっかっかの大赤字ですよ。近所の人たちには「いつも閉店中のあの店がいつまでも潰れないのは目白の七不思議のひとつ」なんてささやかれてます。
ざっくばらんに話しちゃうと、家賃が20万近いでしょ? それで週に6時間ぐらいしか営業してないんだから、儲かるわけがない。しかも、いちいち計算するのが面倒だから、男性は5,000円、女性は3,000円で時間無制限の食べ放題・飲み放題。
正直この料金には失敗しましたけどね。だって女性のほうがずっと飲むんだもん!

 

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▲カウンターの奥にはソファ席も。この日は柿澤さん行きつけのクラブのママさんらがご来店

 

「標本づくりに比べれば、料理なんか簡単なもんですよ」

 蝶の権威の明るい愚痴に、常連たちから笑いが起こる。聞けばみなさん「柿澤ツアー」の常連でもあるようで、こと蝶の世界では、柿澤さんを知らない人などいないのだとか。
それではお聞きしたい。そもそも「何故に蝶なのか」と。

 

柿澤さん:必ずその質問はされるから、お客さんとして飲みにきてくれるわけじゃないメディアの人たちには「人とのコミュニケーションが苦手だから蝶しか友だちいない」って話してるんだけど、今日はそれだけじゃ終われなさそうだね。
最初の出会いは小学生の頃です。僕は長野で生まれ育ったんだけど、山にいくと毛虫がたくさんいるじゃないですか。うちの親父は消毒液なんか撒かないタイプだったから、日頃から彼らともうまく付き合っていく必要があったんです。
そしたらある日、親父が「これがきれいな蝶になるんだよ」と教えてくれて、何匹かカゴに入れて持ち帰ってみたら、羽化の瞬間に立ち会えたんです。実際に目の前で蝶が羽を広げたときには感激しました。目の前に広がる「静かだけど美しい変化」というのに心をつかまれちゃったんです。

 

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柿澤さんの語気は力強く、とても70代とは思えないほどのバイタリティーに溢れているが、少年時代の日本には、やはり「元気がなかった」という。柿澤さんは「国が貧しかったし、今みたいな遊び道具なんてなかったからね。夏休みの自由研究だって、女の子はアサガオの観察、男の子は昆虫採集に行くというのが当たり前の時代でした」と回想する。

 

柿澤さん:ある上級生が作った蝶の標本が本当に眩しく見えたんですよ。でも、当時は標本用のキットなんて売ってませんから、すべては創意工夫です。蝶を採る網だって、釣竿の芯に針金を通して、先端を輪にして自作してました。便利になった今だって、やってることはあの頃と変わりませんね。
ハッキリ言って、蝶や標本づくりに比べれば料理なんか簡単なもんですよ。僕は一度も飲食店で働いたことがないし、すべては見よう見まね。今は味見だってロクにしないけど、評判は悪くないですよ。

 

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それでいてこの大皿料理のすべてを3時間ほどで仕上げてしまうというのだから、辻褄が合わない。もしかして柿澤さん、魔法の杖でも持っていますか?

 

柿澤さん:今だに普通の杖もつかずに生きてます(笑)。僕がなんで料理ができるかといえば、それはお酒が好きだからですよ。
僕はこれまでごはんを炊いたことってないのね。お米を食べるのはホテルの朝食バイキングで「おかゆ」をちょこっとぐらい。そのかわり、居酒屋や小料理屋の一品料理というのは大好きで、いろんな店のいろんな味をダラダラとつまみながら、ここまで生き延びてきたわけです。そうなると、自然と舌は肥えていくし、味も覚えていくから、あとはそれを自分で再現すればいいだけだった。料理は最初から失敗しませんでしたね。

 

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柿澤さん:あとは前職での経験もあるのかな。僕はもともと内装屋をやっていたんです。クラブとかバーのデザインね。そういうお店っていうのは開店前に関係者を集めたレセプションをやるでしょう? そこでなにかトラブルがあっちゃいけないから、自分は招待客より早く行くんだけど、そこで「今日の料理を味見してくれ」となるわけ。僕の料理の基本は、そういう華やかなパーティー料理の模倣でもあるんです。

 

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▲これが「ひとまず」の盛り合わせ。どこから食べても温かな味、そしてボリューム!

 

「産地直送」に偽りなし。「僕は地球を食べているんです」

 興味がなければ炊飯器すら触らない。アンテナに触れればプロの味へとまっしぐら。やはりここ食においても柿澤さんは徹底している。
それにしても柿澤さんの料理は「天賦の才」とまとめてしまうには惜しいほどに滋味深く、豊かな味わい。表の看板には「産地直送  旬の味覚」とあるが、ここにも秘密がありそうだ。

 

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柿澤さん:うちの料理は僕の遠征先によって決まるんです。山に入れば自分で採ってきた山菜やきのこを出すし、浜辺でいい漁師さんに出会えれば魚料理になる。ランカウイ(マレーシア)に行けば現地のハーブ類をつかってトムヤムクンをやったりね。ランカウイにはこれまで560種類ぐらいの蝶が確認されていて、とにかく密度が濃いんです。そう、すべては蝶のため。蝶のオマケに「食材探し」があるんですよ。

 

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▲山の恵みたっぷりの自家製酒も「蝶屋」の楽しみのひとつ。これは上質なポートワインのような甘みが素晴らしい「山ぶどう酒」

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▲あまりにも飲みやすく、これはあっという間にカラになってしまった!

 

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▲ほのかな土の香り、渋味が特徴の「またたび酒」にもファンが多い

 

柿澤さん:今日が沖縄料理なのは、与那国島から帰ってきたばかりだから。やっぱり自分の足を使って、その土地ならではの食材を探すのは楽しいですよ。料理の8割は素材の鮮度が決めると思いますし、こういう生活を続けていると、「地球を食べている」という意識にもなる。感覚が鍛えられるんです。
ほら、写真ばかり撮ってないでもっと食べて! この「揚げ豚足」なんかはなかなか珍しい味ですよ。

 

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珍しくも絶品です!  しっとりと香ばしい衣に歯を立てれば、ゼラチン質の奥までしっかりと染み込んだ複雑な旨味がヒタヒタと溶けてゆく。この日はほかにも与那国島の地元漁師から譲り受けたという「海ぶどう」や「グルクン(タカサゴ)」が、素材の地力を引き出す最良の調理で振る舞われ、賑やかな晩餐となっていた。

 

柿澤さん:この「海ぶどう」もすごい歯ごたえでしょう? もし僕が海に入れれば、海藻や魚も自分の手で獲ってきたいところなんだけど、小さな頃に諏訪湖で溺れて以来、腰までぐらいしか水に入れなくてね。
でも、もし僕が潜れたら、地球の面積「残り7割」への興味というのも抑え切れなくなって、いくら時間があっても足りなかったかもしれないけどね。

 

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柿澤さん:そのかわり、山の食材に関しては精通しているつもりです。山菜やきのこの本もつくったことがあるし、そこには専門書にも載っていないものまで網羅しました。僕は絵を描くのも大好きだから、すべてに図版をつけてね。

 

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▲筍。皮を剥き、また皮を剥き、芯の柔らかなところのみを食べる。これまた贅沢!

 

柿澤さん:これからの季節(取材日は2月下旬)はやっぱり山菜ですね。いちばん美味しいのは、現地で採ったものをその場で天婦羅にすることなんだけど、この店でもなるべくそれに近いものを味わってもらえるよう頑張りますよ。
秋はきのこ尽くしになるけど、これには食べ方があって、まずは隣の客が食べるのを見て、そこから5分待つの。隣に異変がなければ大丈夫(笑)。
もちろんこれは冗談だけど、山というのは、深入りすればするほど事故や危険もいっしょについてきてしまうものなんです。

 

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スズメバチ酒は命と引き換え? 店主の壮絶サバイバル奇譚

ここから話は店主の壮絶なフィールドワーク経験へ。「熊との睨み合いは何度もあるし、マムシに噛まれたり、10メートルの崖から転落したり、これまで7回ぐらいは死んでいるんじゃないかな」と柿澤さん。とくに印象的なのはスズメバチとの攻防で……

 

柿澤さん:スズメバチには1回で7箇所を刺されて、大変な目に遭いました。蜂を採るときは必ずひとりフォローをつけるんだけど、その日は僕が襲われたときに、たまたまその人が立ちションしててね(笑)。「ギャーッ!」っと両手で蜂を払ったら、それまで採っていた網の中の蜂も逃げ出して、みんなで復讐しにきたんですよ。
痛みですか? それ自体は30分ぐらいで引いてくるんだけど、怖いのは血圧の急降下。途中で気を失って、起きたら東京のベッドでしたね。
でも、あんな毒を持った生き物がこんなにも上品な甘みを出してくれるんだから、蜂採りというのもやめられなくてね……

 

と出されたのは、たっぷりの宿敵が焼酎に沈んだ「スズメバチ酒」。これを目当てに集まる常連も多いという「蝶屋」ならではの美酒である。

 

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柿澤さん:これだけの甘みがあるのに、砂糖なんかひとつまみも入れていないんです。相当にいい蜜を持ってるんだろうね。見た目とはまったく違う味がするでしょう? 女性のお客さんにブラインドで飲んでもらって、あとで種明かしすると「キャーッ!」っとなるんだけど、そういう人ですらおかわりしてくれますから。
ほら、もうカラになっちゃった(笑)。

 

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とにかくこれが柿澤さんの料理にぴったりと合うのだ。目の前には静かに眠るスズメバチ。背中には蝶の羽ばたき。柿澤さんの隣には食虫植物のマニアが嬉々とし、カウンターの奥には(お名前を書くことはできないが)正真正銘の人間国宝が、美しい着物を揺らしている。
翌朝に、今日のことが夢だったと聞かされても不思議ではない光景だ(←酩酊中)。

 

柿澤さん:僕は「来るもの拒まず去るもの追わず」で営業しているから、お客さんは20代もいれば70代もいて、職種もさまざま。芸術とか美術関係の人も多いかな。
大物政治家だって、大企業の社長だって、ここで蝶の話をしているぶんには平等です。彼らといっしょに蝶を採りに行くと、「もし採れなかったら困るから僕のぶんも採っておいてよね」なんて、まるで子どもみたいなことを言うんですよ。彼らぐらいになれば、標本を買ってしまえば一発なところ、自分で網を持って歩き回ることで、子どもに戻っているんだろうね。

 

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柿澤さん:手塚治虫の漫画に蝶を探す短編(「ZEPHYRUS(ゼフィルス)」)があるんだけど、どうしても主人公の少年と同じものを採りたいというお客さんもいました。最初は「柿澤さんが採れないなら諦めもつくのでいっしょに探してください」と頼まれたんだけど、僕の知ってるスポットに案内してあげたら、1日で50匹も採れちゃった。本当に嬉しそうな顔をしてたね。
彼らのそういう様子を見ていると、やっぱりこの店は続けていきたいし、儲けのことばかり考えて生きるのはつまらないと思いますね。

 

言うならば、「蝶屋」は現代の竜宮城である。蝶やスズメバチに招かれ美酒三昧を続けるうち、柿澤さんの人生哲学、そして清新な視野という玉手箱までを持ち帰らせてくれるのだ(なおかつ精神は「若返って」しまう!)。

 

柿澤さん:だって、お金儲けしている人に「将来的にはどうしたいですか?」って聞くと、十中八九「南の島でなにも考えずにゆっくりしたい」みたいな答えが返ってくるじゃないですか。でも、本当にそれが最終目標だったら、そこまでお金持ちになる必要はないですよね。「なにも考えずにゆっくり」なんて、お金がなくたってできる。老後を待たなくたって、実行できることじゃないですか。
だったら「いかに日々好きなことをやって暮らしていくか」を考えたほうがいい。好きなことを極めていけば、心は歳を取らないし、お金には代えられない人間関係も生まれる。「好き」こそが人生を豊かにしてくれるんですよ。

 

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お店情報

蝶屋(てふや)

住所:東京新宿区下落合4-27-5 B1F
電話:03-3954-4164
営業時間:18:00~24:00(水曜日のみ)
ウェブサイト:http://tefuya.cocolog-nifty.com/

 

書いた人:善行積太郎

善行積太郎

三度のメシよりメシが好き。お酒はもっと好き。酒飲んですぐ寝るのはもっと好き。原稿も写真もやります。性善説を念頭に記事をつくっています。

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