最近よく耳にする「二拠点生活」。
平日は都市部で働き、週末は自然豊かな土地で趣味に没頭するといったライフスタイルがよく取り沙汰されているが、その実態はどうなんだろうか。経済的にも時間的にも余裕がある人だけに許されたゼイタクという気がしないでもない。
今回取材をさせてもらったのは、東京・新宿と群馬の前橋で飲食店を営む30代のジャーナリスト。都会と地方を日々行き来し、複数の職業を持つ彼の暮らしを通して、お店を軸にした二拠点生活のありようを考えてみたい。
自習室まであるブックバー「月に開く」
2018年5月12日、群馬県前橋市にある1軒のお店がオープンした。店名は、「ブックバー 月に開(ひら)く」。前橋駅から車で約9分、前橋市千代田町3丁目の弁天通り商店街にある。
▲真っ白な外観が目印。前橋駅から徒歩だと20分ほどかかるので、駅前でレンタサイクルしてくるのもよし
お店のコンセプトは本。
店内に本棚が設けられ、小説やビジネス書、マンガなどさまざまなジャンルの本が置いてある。寄贈してもらった本が多いそうで、自由に読んでいいようになっている。
店内の広さは30㎡。
カウンター(8席)、大テーブル(4席)、窓際テーブル(2席)に加え、“缶詰部屋”と呼ばれる集中スペース(1席)もある。電源は5カ所あり、こちらも自由に使える。店名に「ブックバー」とあるが、カフェとしても利用できるため、お客さんは10代~70代と幅広いそうだ。
▲集中したい時におすすめの缶詰部屋。勉強する高校生に重宝されているらしい
ドリンクメニューは、コーヒーや紅茶、コーラなどがワンコイン価格になっている。
▲原稿用紙に書かれたメニュー表
喫茶からお酒、イベントまで
お客さんからのオーダーが多いのが、意外にもクリームソーダ(600円)。純喫茶をほうふつとさせる一杯だ。
▲このレトロな見かけで、インスタ映えも
そのほか、トースト(450円)やソーセージ盛り合わせ(600円)といった軽食も用意している。
▲いちごジャムが塗られた「ジャムトースト」。パンは、厚切りでもっちり
アルコールは、ビールや焼酎、日本酒、ウイスキーなどをそろえる(600円)。中でもレモンサワーが評判とのこと。
▲甘さ控えめのスッキリしたレモンサワー
ボトルキープも行なっていて、太宰治をはじめとした文豪たちが愛したお酒「電気ブラン」も置いている。おつまみは、ナッツやチーズ、オリーブ(300円)など。
▲カウンター席に座って、たまたま居合わせた人と会話をするのもいいだろう
そのほか「ブックバー 月に開く」では、作家を招いての一日店長、トークイベント、ワークショップ、読書会、歌会・句会などのイベントも定期的に行なっている。
東京ではブックバーを名乗るお店はいくつかあるが、前橋ではなかったために、地元の人から喜ばれているという。
尊敬をこめて「月に吠える」と命名したが……
このブックバー「月に開く」を経営するのは、東京・新宿の飲み屋街「新宿ゴールデン街」で、「プチ文壇バー 月に吠える」を経営する肥沼(こえぬま)和之さんだ。
▲店主の肥沼和之さん。飲食店経営をしながら、本業はルポタージュなどを書くジャーナリスト。個別指導のライター講座も開いている
肥沼さんは前橋と新宿にそれぞれ店舗と住居を構え、基本的に月曜~水曜は東京、木曜~日曜は前橋にいる。つまり二拠点生活をしているのだ。なぜ、そんなことをしているのだろうか?
▲店内の本棚には肥沼さんの著書『フリーライターとして稼いでいく方法、教えます。』なども並んでいる
1980年東京都東村山市生まれ。文学少年として育ち、小説家を志していた肥沼さんは、20代半ばに、萩原朔太郎の詩集『月に吠える』と出合った。そして朔太郎の病的な世界観に魅了された。
その後、小説家を諦め、会社員を経てジャーナリストに転身した肥沼さんは、2012年6月に一念発起し、新宿ゴールデン街に「プチ文壇バー 月に吠える」をオープンさせた。店名の「月に吠える」とは、もちろん朔太郎の詩集のタイトルからとった。
ちなみに肥沼さんは法人組織も立ち上げていて、その社名も「株式会社月に吠える」である。
▲「プチ文壇バー 月に吠える」の店内。10人も入れば満席になる、こじんまりとしたバー
こちらの新宿のお店は「日本一敷居が低い文壇バー」というコンセプト。カウンターに本がずらりと並び、読書好きやカルチャー好きのたまり場として20代を中心に繁盛していった。
しかしオープンから数年が経った頃、肥沼さんの脳裏にある不安がよぎった。
「朔太郎の詩集のタイトルを勝手に店名に使ってしまったけど、大丈夫だろうか……?」
そう、なんの許可も取っていなかったのである。
そこで朔太郎のお孫さんであり、当時多摩美術大学の教授を務めていた萩原朔美さんに謝罪の手紙を送った。すると手紙を送った数日後に、朔美さんがふらりと新宿ゴールデン街を訪問。店名のことを快く受け入れてくれたのだった。
前橋を活性化させて恩返ししたい
それから肥沼さんは、朔太郎への恩返しをしようと考えるようになった。
朔太郎は現在の群馬県前橋市出身であり、前橋には萩原朔太郎記念館(館長は朔美さんが務める)もある。つまり前橋は、朔太郎ゆかりの地というわけだ。
▲前橋文学館の前にある朔太郎の銅像
試しに肥沼さんは前橋に足を運んでみたが、いざ来てみると、商店街はシャッターが下りたお店が目立っていたり、若者の姿をあまり見かけなかったり……。そんな寂しい現状を目の当たりにし「前橋を活性化させたい」という思いを持つようになった。
そこで2017年4月に前橋にも部屋を借り、東京と前橋での二拠点生活もスタート。家賃とホテル宿泊数日分の代金がさほど変わらないことも大きな理由となった。
▲前橋にある肥沼さんの部屋。今年の猛暑をなんと扇風機1台で乗り切ったらしい
やがて前橋の人と交流を重ねるにつれ、新宿ゴールデン街のようにいろんな人が集まるお店を作ったら地域活性化につながるのではないか? と考えはじめた。
▲弁天通り商店街の様子。たしかに閑散としている……
バー経営のノウハウはあるとはいえ、前橋で飲食店をやるにはリスクがある。そこで共同代表として田中開さんを誘った。
田中さんは、新宿ゴールデン街で同じく本をコンセプトにしたバー「The OPEN BOOK」の店主であり、直木賞作家の故・田中小実昌さんのお孫さん。こちらはレモンサワーがウリのお店で、テレビや雑誌などのメディアによく掲載されるお店だ。
▲「The OPEN BOOK」の店主・田中開さん。2018年9月には東京・渋谷にレモンライス専門店「Lemon Rice TOKYO」をオープンさせ話題になっている
そんな田中さんとタックを組んで、コンセプト作りやメニュー開発などを手掛け「ブックバー 月に開く」が誕生したのだった。
「無理にはおすすめしませんね」(苦笑)
そんなわけで、東京と前橋の二拠点生活を始めた背景を紹介してきたが、前橋での飲食店経営や、二拠点生活は実際どうなのだろうか。店主である肥沼さんに聞いてみた。
▲何足ものわらじを履く肥沼さん
── ぶしつけな質問ですが、前橋の「ブックバー 月に開く」はもうかるんですか?
肥沼さん:もうからないですよ(苦笑)。ただ家賃が安くて、かつ物書きとしての収入や新宿ゴールデン街の店舗の売上があるから、なんとかなっています。
── それは実際に前橋にお店を開いてみたら、予想と違ったということでしょうか?
肥沼さん:予想と違う部分もありました。その1つが、思っていた以上に車社会であるということですね。当たり前ですが、車で来たお客さんはお酒が飲めません。そしてスタッフの方も車で出勤するのでお酒が飲めないんです。前橋の方に話を聞いてみると、車でショッピングモールやレストランに行って用事を完結させるそうなので、商店街や町中の個人店に行くことは少ないそうです。たしかに自転車に乗っている人も少ないです。車で外出するから、でかけるハードルも高くなって、前橋の人はなかなか外に出ないと聞いていますね。あとは、地元の人でも朔太郎の出身地が前橋であることを知らなかったり。
── たしかにお酒が飲めないとなると、売上は上がらなそうですよね……。ただ、個人店に行くのは勇気がいるのもわかる気がします。
肥沼さん:そうですよね。だから町に出るための啓蒙(けいもう)活動として、前橋ディープスポットツアーなども開催しています。あえて入りづらそうな個人店に行くんです。初めて入る飲み屋さんだともしかしたらぼったくられるかもしれませんが、それでも新宿歌舞伎町みたいな世界はないと思っています(笑)。そうやって気楽に入ってみると、個人店ならではの面白い体験ができますよ。こういう町歩きの楽しさ、個人店の魅力を若い人たちに伝えていきたいですね。その行き先の1つに「ブックバー 月に開く」があるといいです。
── なるほど。では「ブックバー 月に開く」は、本を読んでもらうためのお店というより、町に出てもらうためのお店なんですね。
肥沼さん:そうです! そのためにイベントを定期的に開催しています。ゆくゆくは新宿ゴールデン街のように、スタッフにお客さんが付けばいいなと思っています。新宿ゴールデン街の店舗では、曜日ごとにスタッフが変わり、そのスタッフに常連のお客さんが付いています。だから僕がカウンターに立つことは少ないんです。前橋でも、お店の主役は地元に住むスタッフたちになってくれればと。僕はあくまで広報担当で、裏方でいいんです。
── ぶっちゃけ二拠点生活はどうですか?
肥沼さん:もう慣れましたけど、思った以上に大変ですよ。僕のような数日ごとに行ったり来たりする二拠点生活は、無理にはおすすめしませんね(苦笑)。だけど、複数の拠点を持つこと自体はいいことだと思います!
── 「いいこと」というと?
肥沼さん:たとえば仕事とは別に、週1回趣味の集まりに行くとか、習い事をするとか。行きつけの飲み屋さんに行って、ママと話すとか。そういったことから始めてみるのもいいと思います。
── なるほど、二拠点生活の前にまずは複数の拠点を作ることが大事だということですね。
肥沼さん:はい。僕自身、昼は物書きとして堅い仕事をしているのですが、夜は新宿ゴールデン街で欲望丸出しのお客さんとしょうもない話をすることで(笑)、心身のバランスが取れているんですよね。だから、本業から離れた拠点を持つことはおすすめしたいですね。
▲まだ残暑が残る前橋駅にて
地方での飲食店経営や二拠点生活には、まだまだ理想とギャップがあるよう。とはいえ、朔太郎に恩返しするために前橋の地域活性化をめざす肥沼さん。
そんな彼のためにも、今日はふらりと町へ出かけてみてはどうだろうか?
お店情報
ブックバー 月に開く
住所:群馬県前橋市千代田町3-3-22
電話番号:070-1483-4472
営業時間:15:00~22:00
定休日:火曜日、水曜日 ※定休日以外でも臨時休業あり
書いた人:名久井梨香
フリーライター。東京都出身。新卒で大手広告会社に就職するも、会社員は向いていないと挫折。1年で退職し、その後フリーライターの道へ。趣味は、Jリーグとカレー。週1回、新宿ゴールデン街でバーテンダーもやっています。