僕が結婚相手の両親に「女川町のかまぼこ」をどうしても贈りたかった理由

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こんにちは。天谷窓大(あまや そうた)です。

唐突ですが、婚約者の実家へ挨拶に行くことになりました。

「『ウチの娘はやらん!』なんて、テレビドラマのように言われたりするのかな……」
なんて思いつつ、もっぱらの悩み事はこれ

 

手土産って、何を持っていったらいいんだろう……

 

まがりなりにも「娘さんをください!」なんて切り出す場です。「自分はこういう人間です」という自己紹介のメッセージを込めなければ、と思ったのです。

「いまの自分をストレートに伝えられる食べ物って、なんだろうなぁ……」

悩みに悩んだ末選んだのが、宮城県の小さな漁師町、女川町(おながわちょう)のかまぼこ屋さんが作るかまぼこでした。

ちなみに婚約者の地元は、北陸・福井県の港町、敦賀(つるが)市。豊富な海の幸で知られる港町です。「えっ? 他所の港町の海産物を持っていくなんて、ケンカ売ってんじゃないの?」と思われるかもしれません。

でも、そうじゃなくて。

互いの人生を分かち合いたいと思えるほど大切な人に、どうしても女川町のかまぼこを食べてもらいたい理由が自分の中にあったのです。

 

未曾有の震災から始まった僕と女川町との関わり

宮城県・牡鹿(おしか)半島の根元に位置する女川町(おながわちょう)。人口約6,500人(平成31年3月31日現在)の小さな町ながら、全国各地から人々が訪れる人気観光地です。

JR女川駅前の商店街「ハマテラス」の一角に店舗を構えているのが、同町で80年あまりにわたって営業する老舗蒲鉾店『蒲鉾本舗 髙政(かまぼこほんぽ たかまさ)』。名物の「笹かまぼこ」を中心に、三陸の海の幸をふんだんに使ったかまぼこ・すり身製品を製造、販売しています。

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▲ハマテラス内にある蒲鉾本舗 髙政の店舗

 

数ある店のなかから、僕がどうして髙政のかまぼこを選んだのか──。

その理由は、この人物との出会いにありました。

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蒲鉾本舗 髙政の4代目社長、高橋正樹(たかはしまさき)さん。

高橋さんとはかれこれ8年のお付き合いなのですが、出会いのきっかけは、女川町が甚大な被害を受けた2011年の東日本大震災でした。

 

女川町は、東日本大震災においてもっとも大きな波被害を受けた場所。2011年3月11日、宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震によって発生した20メートルもの大津波は女川町一帯を飲み込み、町全体の8割が壊滅。900人以上の尊い命が失われました。

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駅前商店街を抜けた港湾地帯に残る旧・女川交番が、当時の凄惨な状況を残しています(写真上)。町の中心部にかつて存在していたこの交番は、大津波によって2階建ての建物が基礎ごと引き抜かれ、横倒しとなりました。

当時、僕と高橋さんは、女川町の住民有志によって立ち上げられた臨時災害放送局「女川さいがいFM」のスタッフとして、町の高台の小学校に設けられた避難所の一角から支援情報や、その後も頻発していた余震の情報を24時間体制で伝える役目を担っていました。

 

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▲女川で働いていた頃の筆者(左奥)

 

あちこちに「家であったもの」「職場であったもの」の破片が積み上がり、どう動くべきかもわからないまま、日常を取り戻すため戦う毎日──。そのなかで「髙政」が行っていたある“行動”が、僕にとって忘れられなかったのです。

 

被災直後、ひとりひとりに配って歩いた「できたての笹かまぼこ」

それまで経験したことのないほど大きな震災により、町の中央部にあった髙政の工場は甚大な被害を受けました。家族や従業員を波から逃がすため奔走した2代目社長の政一(まさいち)さんはその波に巻き込まれ、帰らぬ人となりました。

 

しかし。

この極限状態においても、髙政は歩みを止めなかったのです。

 

建物が安全を確認すると、すぐさま無事だった設備を稼働させ、焼きたての温かい笹かまぼこを被災した町内の人々に無料で配布。その数は約10万本にものぼりました。 

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地元三陸の海で獲れたイシモチ(シログチ)やキチジ(キンキ)などの高級魚を新鮮なまますり身にし、丁寧に焼き上げたのが髙政の笹かまぼこです。

そんな銘品といってもいい地元の食が、支援物資も十分に届かず、ときおり降雪もあるほどの凍える気温のなかで、どれほどの人の命の灯をつないだことでしょうか。

かくいう僕自身も、避難所の片隅に置かれたプレハブ小屋で絶え間なく襲ってくる余震に身構えながら髙政のかまぼこを口にしていました。震える手でかじりついたその味は、ノドから胃を通り抜け、布に水が染み込むようにスーッと染み渡っていったのを覚えています。

 

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「どうして、こんなに美味しいものを生み出す素敵な町がこんな目に遭わなきゃいけないんだ…」やり場のない怒りを抱えた僕に、高橋さんはこう話してくれたのです。

 

高橋さん:普段からこの町じゃ、まわりの人が困っていたら、どんなに自分が辛くとも手を差し伸べてくれる人がいるんだ。不思議だよな。女川ってさ、自分以外の人に一生懸命になれる町なんだわ。これから自分だけで生きていくか、まわりの人と生きていくか……そう考えたら、俺は、まわりのみんなに楽しく生きてほしいなって思うんだよな。

 

「美味いから行こうぜ」って言われる町にするんだ

その後、被害を免れた社屋の一角を地元の水産業者に開放し、町の水産業そのものを守ろうと高橋さんらは奔走。やがてそれは町全体を巻き込み、若手が中心となった女川町の「復興計画」となって、目を見張る勢いで実現していきました。

その結果、できあがったのが、いまの女川町の町並み。いまとなっては、かつてこの町を大災害が襲ったことすらすぐに思い出せないほどになりました。

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高橋さんは言います。

 

高橋さん:震災を忘れないでほしいってあまり言ってこなかったのは、なにより僕ら自身がいちばん忘れたかったから。それを言わないのは嘘になるしね。外から来た人に忘れないでっていうのは嘘になる。悲しい町、苦しい町、がんばってる町から、「美味しい町」に代わったほうが絶対いいわけでさ。

 

そこには「復興」という二文字だけでは表しきれない、切実な思いが込められていたのです。

 

高橋さん:俺たちは、ここ女川で楽しく生きていきたい。だから人が来て「楽しいよね」「あそこまた行きたいよね」という町を作らなきゃいけない。悲しみをひきずっていたら悲しい街になっちゃうじゃん。だから、僕らは悲しみという感情さえも捨てたんです。いいもの、いい人は、どんどんみんなで伸ばしていく。「出る杭は打たれる」ということわざがあるけれど、女川では「出る杭はどんどん磨く」。出る杭は磨かれればどんどん尖って、やがて心に刺さるんだ。

 

それまで「復興支援ボランティア」としての肩書をつけて女川町に足を運んでいた僕は、いつしか「女川町に惚れ込んだひとりの人間」へと変わっていました。

 

「食べて応援」って言葉は嫌い

災害からの復興支援。その気持ちの表し方としてたびたび耳にするのが「食べて応援」という言葉。「いまだから言うけれどさ、食べて応援って言葉、大嫌いなんだよ」と高橋さんは話します。

 

高橋さん:震災があったから(復興のために)美味しいものを作りたいっていうのは、なんか変な話じゃない。私ら食い物屋は食い物屋として勝負をしないといけない。「これ被災地で作ってるんだ」という気持ちで買ってもらうのではなくて、たとえまわりがガレキだらけでも、食べて感動してもらえるかまぼこを作らないと。震災の被害を受けてかわいそうな町、復興に向けてがんばってる町、よりも「女川は美味しい町」と呼ばれたほうが絶対にいいわけ。

 

その言葉通り、女川町を訪れたさまざまな人がその美味しさに感激し、SNSやメディアを通じて口コミをつないだ結果、いまや髙政のかまぼこは地元宮城のみならず、全国各地から注文が殺到する大人気ブランドへと成長を遂げました。

 

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▲髙政のかまぼこは通販はもちろん、東京でも手に入る。池袋にある宮城県のアンテナショップ「宮城ふるさとプラザ」で随時販売中だ

cocomiyagi.jp

 

それでも高橋さんのすごさは、それを鼻にかけるようなそぶりを一切見せないところ。

 

高橋さん:もともと女川は鮮魚の町。加工品というよりも、生の魚で美味しいものがいっぱい水揚げされる場所なんだ。俺たちのかまぼこは、いわば「入り口」。「女川にはこれよりもっとおいしいものが山ほどあるから、ぜひ女川に来てください」と伝えるための役割を担えたら、と思っているんだよね。

 

高橋さんと一緒に眺める女川港の海はとてもおだやかで、とれたての海の幸をめがけるウミネコたちの元気な鳴き声に満ちていました。

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結婚の申込みは就職活動のようであり、就職活動はまた結婚の申込みのようなもの──。

我ながら禅問答のような言葉ですが、その根底にあるのは「自分がたどってきた道のりと思いを相手に最大限に伝えること」であると信じています。

だから僕は、愛する女川町でともに8年間走った、いちばん大好きな食べ物を、人生が変わるほどのかまぼこを、いちばん大切な相手に贈ることに決めました。

 

取材協力:蒲鉾本舗 髙政

www.takamasa.net

 

書いた人:天谷窓大(あまや・そうた)

天谷窓大

フリーランスのイベントディレクター・構成作家。 焼き芋専門フェス『品川やきいもテラス』をはじめ、フードイベントの企画運営に携わる。コミュニティFM全国ネットのラジオ番組『もっとつながるFM』では、ディレクター兼パーソナリティとして各地の個性的なプロジェクトを取材・レポートする。とにかく移動が大好き。

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