芥川賞作家・西村賢太が自身の半生で見てきた食風景と、消えない郷愁の味

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中篇小説『苦役列車』で、2011年に第144回芥川賞を受賞した西村賢太さん。中卒で日雇い仕事に従事する自意識過剰な主人公・北町貫多の無為な日々を描いた本作は、自身の実体験を織り交ぜた“私小説”の伝統を受け継ぎながらも、どこかユーモラスで現代的な作風は多くの共感を集め、純文学としては異例のヒットを記録しました。

 

西村さんは“貫多もの”と言われる一連の作品で、貧苦に喘いだ自らの青春時代を赤裸々に描いてきました。実体験では小学5年生の時、父親が逮捕されて両親が離婚。それからは貧乏生活を余儀なくされています。最終学歴が中卒だったことから定職に就くのも難しかったようです。

 

そのため、西村さんの作品に登場する主人公は屈折した内面を抱え、恋人や家族、職場の同僚などに粗暴な態度を取ることも珍しくありません。そんな理不尽とも言えるアウトロー的な描写が全編に渡って繰り広げられるものの、その読後感は不快感よりも、人間臭い温かみのある印象を与えます。

 

それは西村さんが自己を厳しく客観的に見つめているからであり、情けないけど愛すべき主人公の姿が読者の共感を呼ぶのでしょう。そして、そうした“人間臭さ”は食の描写にも溢れています。

 

今回は、西村さんにご自身の半生を振り返っていただきながら、食にまつわるお話を伺いました。

 

幼少期は自意識の強い子どもだった

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──祖父の代から続く運送業者の家庭に生まれたとのことですが、小さい頃は何不自由なく育ったそうですね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村さん(以下敬称略):わりと裕福でしたね。零細企業ではあったんですけど、借金や無理な資金繰りなどはなかった印象です。

 

──家族の仲はいかがだったんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:家族団らんって記憶はないんですけど、父親が早い時間に夕食をとる習慣があって、午後5時には家族と一緒に夕食を食べていましたね。
ただ父親は独自のこだわりを貫く人だったので、すごく食事にもうるさかったんですよ。僕の誕生日に母親がステーキを焼いてくれたんですけど、帰宅した父親がそれを見て「こんなんじゃご飯のおかずにならない!」って言って、カツに揚げ直させていました。

 

──母親をはじめとするご家族が大変でしたね……。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:口答えをしようものなら、すぐに手が出ました。いまだに僕は初対面の人に対してきょどると言いますか、おどおどしちゃうんですけど、それは小さい頃の体験にあるんじゃないかと。

 

──外食をすることはあったんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:しょっちゅうしていました。特に土曜の夜は多かったです。当時、ポツポツと増え始めていた焼肉屋とか、ラーメン屋が多かったですね。

 

──当時の焼肉屋さんは高くて、今ほど激安店もなかったですよね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:高かったですね。一軒だけ近所に食べ放題の走りみたいな焼肉屋ができて、そこに行くことが多かったです。

 

──普段は厳しいとはいえ、家族を焼肉屋さんに連れて行くところに父親の優しさも感じます。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:ただ、僕は小さい頃から引きこもりっぽいところがあったので、積極的に外食をしたいタイプではなかったんですよ。特に家族と出かけるのが嫌でしたね。

 

──たしかに、思春期は家族と一緒に行動するのが嫌になりますよね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:恥ずかしい。みっともない。友達に見られたくない。そういう自意識の強い子どもでした。

 

──記憶に残るおふくろの味はありますか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:土曜のお昼に月2回ぐらい、マカロニサラダが出たんですよ。茹でたマカロニにハムとキュウリとマヨネーズを和えた簡単なもので、それだけが昼飯に出てくるんです。ご飯すらなかったんですけど、それだけで腹いっぱいになりますし、よく子どもの頃に食べた思い出があります。決して美味しくはなかったですけど、嫌いではなかったです。

 

──『苦役列車』に出てくる貫多は秋恵という女性と同棲しますが、食事に関して口喧しく言うシーンが頻繁に出てきます。西村さん自身、女性と同棲していた時は、父親のように手料理にうるさかったんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:貫多はものすごく献立にこだわりますけど、僕自身はそうでもないんですよ。むしろ相手の女性が自発的に料理をしてくれていたので、僕のほうから何か言うってことはなかったです。ただ貫多のようにネチネチと言いたかった願望はありますし、そこには父親の記憶もあるのでしょうね。

 

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西村さんが、小説に目覚めたのは小学5年生の時。当時、映画化やドラマ化が相次ぎ、一大ブームを巻き起こした横溝正史(推理作家)の小説を読んだのがきっかけでした。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:横溝正史の小説を読み始めた時は、まだ家も裕福だったので、本を買うと言うと、大抵お金をくれるんですよ。母親は本を読めば頭が良くなると考えていたんです。
ただ買った本を見せなきゃならず、横溝正史の文庫は表紙が気持ち悪いので、「こういうのを読むと頭がおかしくなる」と言われていました。それが今は職業になっているので、わからないものですね。

 

──それまで、マンガも含めて読書に興味はなかったんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:ほとんどなかったですね。Wikipediaに姉の影響で『赤毛のアン』を読んだとか書いてあるらしいんですけど、そんなの一回も読んだことないんですよ。

 

──父親が捕まったのは、小説に目覚めたのと同時期ですね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:1978年の秋です。それで両親が離婚して、千葉の船橋に転居したんです。それから母親が働き始めて、僕はやりたい放題になりました。横溝正史の小説を読むきっかけになったドラマ『横溝正史シリーズ』は22時放映だったんですけど、父親がいた頃は盗み見していたんです。
とはいえ必ず見つかって怒られるんですけど……。船橋に引っ越してから、母親は仕事で疲れているし心労もあったんでしょうね。帰宅するとすぐに寝るから見放題になりました。

 

──両親の離婚を悲観するのではなく、ドラマが見放題になって喜ぶところも西村さんらしいです。ただ読書家なのに、学校の成績は悪かったそうですね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:小学生の頃から勉強は苦手だったんですけど、中学に入って、なおさら勉強についていけなくなって。まずアルファベットが覚えられなかったですからね。

 

──中学1年で躓(つまず)いたんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:どうにもならなかったですよ。あと算数から数学になって、何も分からなくなっちゃった。国語も、小説は何となく感覚で読んでいたんですけど、文法なんて分からないし、“てにをは”も理解してなかったです。

 

──小説を読む時に支障はなかったんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:たぶん小説を読む脳って、国語とは違うんですよ。そもそもテレビドラマの筋が追えれば小説も読めるじゃないですか。それに、横溝正史は誰にでも分かるものすごく上手い文章なので、それをしょっぱなに読み続けていたのが影響しているのかなと思います。例えるなら、最高の日本語の先生にマンツーマンで授業を受けていたような気がします。

 

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──両親の離婚後、食事はどうしていたんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:一日に300円、現金をもらっていたんですよ。それがお昼代です。夜は、何かしら母親が家に用意してくれていたものを食べていました。ただその300円は、本を買うお金を別でもらえるような状況ではなかったので、本代に充てていました。
当時は古本屋を使うって知識もなかったので、新刊を書店で買ってましたね。ただ今と違って文庫本が非常に安かったんですよ。300円あればお釣りがきたし、2日分プールすれば500円の本も買える。けっこうな使い出がありました。

 

──毎日、お昼抜きですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:70円ぐらいのカレーパンを買って、あとの230円は本代にするって感じでしたね。家に帰るとカップラーメンとかがあるので、お昼は我慢して、帰宅後にそれをむさぼり食ってました。

 

──食べ盛りの10代前半で、食よりも小説を優先するあたりに小説家の萌芽を感じさせます。中学3年生の2学期から、ほぼ不登校になったそうですが、それは勉強がついていけなかったのが大きな要因ですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:それもあります。行ける高校も見当たらないし、定時制に入る意志もなかったので、学校に行ってもムダだと思ったんです。だったら朝もゆっくり寝て、一日自分の好きなことをしていたほうが有意義じゃないですか。その時点で人生を投げていたんでしょうね。夢もまったくなかったですから。

 

──不安はなかったんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:僕はのんきなところがあって、不思議なぐらい不安じゃなかったんですよ。

 

──とはいえクラスメイトが進路について話していると不安になりそうですけどね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:今だから言えるというか、後出しじゃんけんみたいになりますが、必ず何とかなるだろうって変な自信はあったんです。思い出すのは、まだ学校に行ってた中学2年生の時に、自分のことを書くって作文があって、「たぶん推理作家になるだろう」みたいなことは書いているんです。半分当たってましたね(笑)。

 

──作品に学生時代の話は、あまり出てこないですよね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:まず中学時代は思い出がない。家の中での光景しか思い浮かばないです。小学生時代は、これから書く予定ですけどね。

 

中卒後に家を出て、アルバイトを転々と

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中学卒業後、家を出て東京・鶯谷で一人暮らしを始めた西村さん。中卒で雇ってくれる会社がなかったため、定職には就かず、日雇い仕事を転々としました。そのため、その日暮らしで家賃も滞納するほど生活は困窮していたそうです。

 

──そのまま実家暮らしを続けるって選択肢もありますよね?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:とにかく実家にいると陰気で、このままじゃ自分がダメになると思って早く家を出たかったんです。

 

──とはいえ家を出てからも、母親にお金の無心をしていたそうですね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:23歳まで無心していました(笑)。ところが僕に連絡先が分からないように、母親が行方をくらましたんですよ。それっきり会ってないです。ただ僕が芥川賞を獲って、しばらくして何かで調べたのか手紙が届いたことがあります。それ以外はまったくの没交渉ですね。その手紙が届いた後も、連絡は取ってないですから。

 

──お姉さんとも会ってないんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:姉も18歳で家を飛び出していったんですけど、それっきりですね。

 

──家族に会いたいって気持ちはないんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:まったくないんですよ。その点は母親と姉に感謝しているんです。なかなか普通は、ここまで家族のしがらみもなく、放っておいてくれないじゃないですか。

 

── 一人暮らしを始めて間もなく、今も鶯谷にある24時間営業の人気居酒屋店『信濃路』に通い始めたそうですけど、10代半ばで入るには度胸がいる場所ですよね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:今は飲み屋として認知されていますけど、当時は立ち食いそばがメインだったんです。安いし、ざっかけない(大雑把だった)ので、その頃は何も言われなかったんです。今はつまみ出されるでしょうけど。

 

──信濃路では何を食べることが多かったんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:とにかくお金がなかったので、いかに腹を膨らませるかということに苦心していたんです。信濃路ではかけそばが150円で食べられたので、これは重宝していましたね。それまでラーメンでも、そばでも、つゆはほとんど飲まなかったんですけど、その頃から一滴残さず飲み干す習慣がつきました。

 

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──小説にも、いろんなアルバイトを転々とした経験を綴られていますが、特に印象に残っている仕事は何ですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:長編『蠕動で渉れ、汚泥の川を』に書いていますが、17歳の時に住み込みで働いた洋食屋ですね。そこはご飯がつく上に、週払いにも対応してくれるということで始めたんです。当時、日払いや週払いというと、肉体労働しかなかったんです。なので飛びつきましたね。

 

──それまで飲食店の経験がないのに、よく雇ってもらえましたね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:今は面影がないですけど、当時はほっそりしていて、利口そうな少年に見えていたんです。しかも実直そうな雰囲気で、物腰も柔らかくて言葉遣いも丁寧。

 

──たしかに西村さんは口調が穏やかで、小説やエッセイのコワモテなイメージとは真逆ですよね。洋食屋の住み込みは、どんな住環境だったんですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:他の従業員と住むんじゃなくて、屋根裏部屋みたいなところに一人で住まわせてもらったんです。

 

──かなり好条件のアルバイトですね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:このまま調理人になってもいいかなって気持ちもあったんですけどね……。ご飯もすごかったですよ。夕飯はお店と同じメニューを出してくれるんですけど白飯は食べ放題。ただお昼は粗末なんですよ。作業をやりながらなので缶詰ぐらいしかおかずがなくて。ただ長続きしなくて、4カ月ぐらいで辞めました。

 

10代の時に食べたものは今も郷愁で食べている

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36歳で同人誌に小説を発表するようになり、2004年に発表した『けがれなき酒のへど』が文芸雑誌『文學界』に転載。2007年に『暗渠の宿』で野間文芸新人賞を受賞した西村さんは一躍、文壇で注目を浴びるようになりました。

 

それでも、西村さん自身の中にある軸はブレません。高価な食べ物には目もくれず、家で飲む時のつまみは缶詰など安価なものが主。外で飲む時も、安居酒屋や回転寿司で済ませることが多いといいます。それは小説家として成功した今も変わらないと、自身の小説やエッセイにも綴っています。

 

──小説家になっても、それほど暮らし向きは良くならなかったようですね。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:38歳で専業作家になったんですけど、短編で本がまとまっても入るのは5、60万円ぐらいで、年収だと200万円にもならない。40歳の時に野間文芸新人賞をもらって、これで何とかなるかなと思ったら何もなりゃしないんですよ。
賞金だって生活費で、すぐになくなりますからね。ぜんぜん単行本の売り上げも伸びなくて、原稿料が1枚につき500円上がった程度でした。あの時は先行きが不安でヤバかったですね。

 

──ところが芥川賞を受賞して一躍、売れっ子作家になります。芥川賞を受賞して食生活は変わりましたか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:賞を獲る前には、自分なりに贅沢なものを食べられるようになっていたので特に変わらないです。

 

──接待や打ち合わせで高価なお店に行く機会も増えたんじゃないですか?

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:たしかに編集者が選んでくれるお店は高級になりましたけど、それだとあまり美味しくないので、最近はもうちょっと大衆的なところにしてもらっています。基本的に僕はタバコが吸えて、座敷じゃなければどこでもいいんです。

 

──必ずしも高級な食事が、その人にとってご馳走ではないということですね。昨年末に出た新刊の私日記『一私小説書きの日乗』シリーズでも、頻繁に出てくるのは信濃路や回転寿司で、あとは家飲みが多いですよね。酒のつまみとして、よく出てくるのが福神漬けです。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:「酒悦」というメーカーの福神漬けの瓶詰めが美味しいんです。酒悦はらっきょうの瓶詰めも美味しい。これは両親が離婚する前から食卓にあったので、その延長で食べてます。

 

──他に定番のつまみとして登場回数が多いのは缶詰のウィンナーです。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:先ほどお話した洋食屋のお昼に出てたんです。その時に美味しいと思って、いまだに食ってますね。普通のウィンナーも好きなんですけど、10代の時に食べたものは今も郷愁で食べているところがあります。

 

──最後に今日は西村さんが愛する私小説作家から、食についての描写が印象的な作品を持参して頂きました。

 

f:id:exw_mesi:20190529112723p:plain西村:藤澤清造の長編小説『根権現裏』(新潮社/西村賢太が“没後弟子”を名乗る大正時代の私小説作家)です。主人公が金もないのに何かを食べたくて寿司屋に行くんです。
当時の寿司屋は立ち食いで雑に食べられたんですね。そこでわずか20銭分のお寿司を折詰にしてもらって、歩きながら食うんですけど、その描写がずっと頭の中に残っています。僕自身、寿司を食べる度に思い浮かべる文章ですね。

 

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起伏に富む半生を過ごされてきた西村さん。アルバイトを転々とする生活を送っていた10代の頃は、特に苦しい生活を余儀なくされていたようですが、青春時代の味にはおそらく、いろんな思いが詰まっているのでしょう。

 

その人にとって本当に食べる価値のあるものとは何か──。小説家として成功しても、自分という軸を見失わずにいる西村さんの姿に触れて、そのようなことを考えずにはいられませんでした。

 

撮影:武田敏将

 

書いた人:猪口貴裕

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北海道出身。出版社勤務を経てフリーライターに。エンタメ系を中心に様々な媒体で節操なく寄稿。アイドル誌やゲーム誌の編集にも携わる。女性アーティストを中心に紹介するウェブサイト「LADY SOUL」主宰。

Twitter:@carrosse21

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