丸い食パンしかないお店
「B級パンと呼ばれることに抵抗はありません。部活帰りの腹ぺこの学生たちが立ち寄って食べるような気取らないパンをつくっていきたいから。大人になって懐かしく思い出すのは、そんなB級パンだと思うんです」(まるい食パン専門店『つるやパン』パン職人 西村洋平さん)
パン職人、西村洋平さん(31歳)はそう言います。
こんにちは。
パンに目がないメシ通レポーターの放送作家、吉村智樹です。
いつも「どこかにおいしいパンを焼くお店はないか~?」と、鼻をふがふがさせながら街をさまよっています。
2016年4月1日、滋賀県にとても珍しいパン屋さんがオープンしました。
それが「まるい食パン専門店 つるやパン」。
その名の通り「丸い食パン」だけを焼くお店です。
▲琵琶湖の東端に広がる長浜市朝日町。いにしえの城下町の風情が残る街なみ
場所は長浜市の朝日町。
かつては羽柴秀吉が築いた長浜城の城下町として栄え、現在も由緒あるお屋敷が数多く残っている、たおやかな雰囲気を漂わせた街です。
▲「まるい食パン専門店 つるやパン」外観
そんな落ち着いた街なみに、一軒のパン屋さんが。
▲丸い食パンがそのまんま看板になっている。インパクト絶大だ
丸い(円筒状の)食パンそのものを掲げたビジュアル系な看板は強いインパクトを放ち、素通りを許しません。
▲あちこち「丸」が目を引く店内
▲「MARUISHOKUPAN」(マルイショクパン)
▲店にあるのパンは「丸い食パン」(ラウンドパン)だけ
▲陳列棚まで丸い食パンを模したカタチをしている
▲わざわざ地元滋賀県の杉の木を使ったオーダーメイドだ
店内は文字通り、置いてあるのはなんと「丸い食パン」のみ。
バケットもクロワッサンもベーグルもなし。
誰もが食パンと聞けば思い浮かべるであろう、あのスクエアなパンもない。
ひたすら“まるい食パン”だけがころんころんと並んでいるのです。
円筒状なのでこちらでは食パンを「一斤」ではなく「一本」と呼びます(1本 340円、1/2本 180円、1/4本 100円)。
そしてその丸い食パンは、普段はおよそ30本、多い日で70本も売れるほどなのです。
理にかなった波打つ焼き型
▲「まるい食パン専門店 つるやパン」店長の童顔パン職人、西村洋平さん
柔和な表情で、高校生だと言われたらきっと信じてしまうお若いお顔立ちの店長、西村洋平さんに、さっそくキッチンでの作業を見学させていただきました。
▲生地を切り分け
▲波を打った焼き型に生地を並べる
▲事前に発酵させた生地をミックスするので膨らむのが早い
仕込みは“中種(なかだね)製法”。朝イチで小麦粉、水、パン酵母をこねて約2~3時間発酵させたもの(中種)を残りの材料とミキシングし、生地を作ります。
「こうするとすでに熟成が進んでいるので、風味が豊かになり、かつソフトで柔らかな仕上がりになるんです」
▲焼きあがると、キッチンに甘くやさしい香りが立ち込める
お話をうかがううち、丸い食パン(専門用語で言うラウンドパン)が続々と焼きあがっていきます。
湯気とともに、甘くやさしい香りがキッチンにたちこめます。
小学生の頃、給食室のパンケースラック周辺を包んでいた、あの懐かしい香りです。
丸いだけではなく、表面が波を打っているのも特徴。
締め付け用工具のボルトが並んでいるようで、面白いフォルム。
いまからでっかいロボットでも作るかのような。
「焼き型が波打っている方が表面積が広いので熱が通りやすいんです。それにお客さんからは『波の部分があるおかげで好きな厚みで切る目安になる』と評判がいいんですよ」
▲専門的にズバリ「ウエーブ」という名の焼き型
確かに食パンの耳が波打つことで、焼きの利点だけではなく、ナイフを入れるときのスケールにもなって便利ですね。
生地の中に具材がたっぷり!
そして、単に丸い食パンというだけではなく、大納言小豆や求肥(ぎゅうひ)がたっぷり入った「まるい食パン大福」(1本 550円、1/2本 280円 1/4本 150円)や、小麦全粒粉や黒糖で仕込んだ「まるい食パングラハム」(1本 380円、1/2本 200円、1/4本 110円)なども。
さらに枝豆やベーコン、チーズがふんだんに練りこまれた「つまみ」(1本 550円、1/2本 280円、1/4本 150円)など、生地や風味のバリエーションが豊富なのにも意表を突かれました。
▲大粒の大納言小豆や甘い求肥(ぎゅうひ)をたっぷりねじ込む
▲求肥が熱で溶け、ねばねばとおもしろい食感に
▲こちらは枝豆、ベーコン、チーズ、ブラックペッパーがぎっしり
▲食パン自体をお酒のおつまみにできるという、その名もストレートな「つまみ」
「食パンをお茶うけにするって、あんまりないでしょう。食パンそのものをおやつにしたりお酒のおつまみにできたら面白いだろうなって考えたんです。なので生地自体の塩味は抑え、加える食材の味をいかすようにしています」
この食パンをおつまみにしてパーティなど開いたら、それまでもめていた案件も丸く収まりそうです。
そもそもナゼ食パンを丸型に?
ここで根本的な疑問が。
なぜ食パンを丸くする必要があるのでしょう。四角いままで問題ないのでは?
「丸い食パンは四角い食パンに比べ体積が小さいため、よく火が通るんです。短時間で均等に効率よくふっくら焼けるうえ、生地に部分的なストレスがかからず“焼きすぎ”も“焼きムラ”もない。さらに丸い方が耳が薄くなり、パリッと仕上がるんです」
ええ! いいこと尽くしじゃないですか。
▲生地は綿のように柔らかく、ほの甘く、耳は薄くてしなやか
では一枚、いただきます。
おお、なんて、やわらかい(涙)。
シルキーできめが細かく、自然な甘み感じられます。
そして耳の食べごたえが楽しい。
とても薄く、だからって簡単にちぎれず伸びもする、剛柔あわせもった新食感です。食パンが丸いと、こんなにおいしくなるんですね。
丸い食パンが普及しない理由
そうしていただいているうちに、ここでさらなる疑問が。
なぜおいしく仕上がる丸い食パンが一般にはさほど普及していないのでしょうか?
「丸い食パンはデリケートで、取り扱いがむちゃくちゃ難しいんです。焼きたての食パンにたとえ一カ所だけでも圧力がかかると、たちまち形が崩れ円筒ではなくなる。普通の食パンは焼きあがった時点で型から取り出せるけれど、丸い食パンは型から抜かず最低30分は冷やさないと台に置くことすらできないんです。それに陳列が難しい。陳列するとスペースのレスが生じるため、たくさん並べられない。ほかのパンと一緒に焼けるような簡単なものではないんです。『そもそも丸い食パンなんて、どんな袋に入れて売るつもりや?』って知人からも反対されました。なので丸い食パンに全神経を集中するため、それしか扱わない専門店にしました。専用の袋を特注したとき、『こいつ、本気やな』って周囲も認めてくれましたね」
丸くてやわらかく、やさしい味わいの食パンの裏には、そ、そ、そんなに硬質で強固な思いがあったのですか。
▲丸い食パンを入れる袋を特注した。それは、それだけを売るという覚悟の表れだった
サンドウィッチも当然丸い
さらにこの「つるやパン」でクローズアップすべき点は、サンドウイッチや総菜パン、菓子パン、ラスクなどなど、ストイックなまでに「丸い食パンひとつで、どこまでやれるか」に挑む果てしないスピリッツ。
丸い食パンしか扱っていないのに調理法は多岐にわたり、毎日来ても、いやそれどころか1日に2度来ても違う味や食感を体験できるのです。
サンドウイッチは午前11時からは注文したその場で調理してもらえるシステムで、とてもフレッシュ。
▲注文してから作るサンドウイッチ。なかには見慣れぬメニューも……
▲丸い食パンに、特製焼きそばソースを垂らす
▲その上から焼きそばをトッピング
▲紅ショウガを乗せて。できたてだからパンがじめっとしていない
ソース焼きそばのサンドイッチ(180円)を目の前で作ってくれるお店なんて、そうそうありません。
具材の組み合わせも自由で、味の変化も楽しめます。
▲トッピングの組み合わせも多種多彩。 「ハム+ハム」なんて食いしん坊っぽくてイイ!
▲サンドイッチだけではなく丸い食パンを使った総菜パンも充実。キャベツサラダをはさみ、ジューシーでパリッとはじけるウインナーを乗せた「ホットドッグ」(200円)
▲丸い食パンをくりぬき、3種類のきのこを使ったグラタンを閉じ込めた「きのこグラタン」(190円)
▲角切りベーコンがごろっごろ。ソースが濃厚な「ピザトースト」(200円)が焼きあがる
▲丸い食パンを使ったラスクもさまざまな種類が。こちらはうずまきがかわいい「ブルーベリー」(90円)。ラスクはラスク用に特別な食パンを焼く
そしてこれら丸いメニューの数々はイートインスペースでいただくことが可能。しかも“テーブルまで丸い”という丸尽くし。
▲ブロック塀まで丸い食パン仕様!
「スープ(140円)も自家製です。朝7時からやっている“朝ベイク”は購入後にこちらでトーストして温めて食べることもできます」
モーニングに丸い食パンをトーストでいただけるなんて。
その日一日が、円滑に進みそうです。
▲購入してからトーストしてくれる「朝ベイク」サービス。アツアツをお店でいただける
焼サバはパンに合うのか?
そしてサンドイッチにはさむ具材が、これまた猛烈にユニーク。
まず目を疑うのが「焼サバ」(250円)。
食パンに塩焼きのサバ……ですか。
どうしても、ごはんのおかずというイメージが拭えないのですが。
「決して奇をてらっているわけではありません。はじめはツナサンドにしようと思っていたんです。ところがツナだとパンが湿ってしまって、うまくいかない。そこで、ここ長浜市の名物“鯖そうめん”をヒントにしました。滋賀県はかつて若狭湾で採れたサバを行商人が徒歩で運ぶ“鯖街道”が通っていたので、サバとはゆかりが深いんです。そして食パンに大葉とガリを敷き、塩焼きしたサバを乗せ、和風のサンドウイッチにしてみました。サバの身がジューシーだと好評なんです」
▲「焼サバ」のサンドウイッチとはいったい……
▲大葉を敷いて
▲ガリを乗せて、さっぱりと
▲自家製タルタルソースを蛇行させ
▲塩焼きしたサバをドーン!
▲焼サバのサンドイッチの完成
▲焼サバは実はすごい好評で、熱狂的ファンがいる。このように大量注文が入ることも
▲焼サバのサンドイッチは手作り(日替わり)スープとの相性抜群
焼きサバをどかんと乗せる大胆なアイデアは、いきなりそうなったわけではなく、身をフレークにしてみたり、ピザソースを合わせたり、サバカレーにしてみたりと、試行錯誤の繰り返しから生まれたものなのだそう。
新しいB級パン「みたらし」
いや、でも、ですよ。「焼きサバ」は滋賀県の歴史に通じているゆえになんとか理解できます。
しかしながら、しょっぱいハムに“みたらし団子のたれ”を塗った「みたらし」(150円)は、さすがに無理めなマリアージュでは?
▲正直、抵抗感がぬぐえない「みたらし」
▲自家製マヨネーズをたっぷり
▲そこに赤耳ハムを乗せ
▲ハムの上にみたらし団子のたれをどろーん! や、やめたほうが……
▲ああ、塗ってしまった……
▲しょっぱいハムと甘いたれがマッチング。見た目にUFOのような「みたらし」完成
こんなふうに見たことも聞いたこともない攻めた珍ドイッチがいくつも!
丸い食パンの専門店なのに、これはトガりすぎなのでは。
「“みたらし”も食べてもらえば理由がわかります。照り焼き風味のサンドイッチを考案しようと思って、いろんなソースを試すうちに、みたらし団子のたれに行きついたんです」
そうなんですか……(消極的に)では「みたらし」を(うつむき加減に)いただきます。
んん!
こ、これは、うまひ!
甘じょっぱいたれと、いい意味でチープで気取らない味の赤耳ハムが、マヨネーズという万能なアレンジャーを介し、見事なデュオをみせてくれています。
そして、なぜしょう、間違いなく初めて食べたのに、郷愁を誘うのです。
「異素材どうしの味の組み合わせなので、あえてパンそのものにはあまりコクが出ないようにしています。コクを出しすぎると「つるやパン」らしくないなあ、と。なので基本は本店で生み出された素朴な味わいを受け継いでいます」
本店……。
創業65年目にして2号店誕生
ここでもう一度、つるやパンの看板をプレイバックしてみましょう。
オープンしたのは2016年のはずなのに、看板には「SINCE 1951」と書かれています。
つまりこの「まるい食パン専門店 つるやパン」は、なんと創業65年目にして誕生した、まさかの2号店だったのです。
初めて食べたのにどこか懐かしい味がするのは、パンの製法が65年に渡って培われたものだからかもしれません。
長浜に根付いた「本店」
▲創業65周年を迎えた「つるやパン」本店
昭和26年(1951年)に創業した「つるやパン」は同じ滋賀県湖北の木之本という街にあります。
▲目印はコッペパンを持ったピンク色のたぬき
▲「つるやパン」本店は多くの商人、旅人、武将らが頻繁に利用した旧街道「北国街道」の途上にある
江戸時代に畿内から越後国までを結んだ「北国街道」沿いに軒を構え、いまなお歴史浪漫あふれる景観に溶けこんでいます。
▲長浜は北国街道の宿場町で、また湖上交通の要衝の地として栄えた。往時の名残をいまなおいたるところに目にする
▲江戸時代、参勤交代にも使われた北国街道。長浜の歴史浪漫を感じさせる景色がそこかしこに
創業者は西村秀敏さん。
「まるい食パン専門店 つるやパン」店長のパン職人、西村洋平さんの祖父です。
「おじいさんは戦後、学校給食が日本に入ってくるとき『これからはパンの需要が増えるはずや』とひらめき、工場を建て、職人を雇ってお店を始めたそうです。学校給食用の製パン業者としてスタートしたため、うちは食パンとコッペパンを自家製する技術があったんです」
創業時の食パンづくりは学校給食がメインだったのですか。食べてノスタルジアを感じたのは、それもひとつの要因だったのかも。
▲学校給食が起業のきっかけだった「つるやパン」。そのため古くからコッペパンを焼く技術と設備があった。ゆえに看板もコッペパン
ここで気になるのは「つるや」という屋号。これはいったどこから?
「もうすっごい適当なんです。おじいさんが『近所に“かめや”と“はとや”と“うさぎや”があるから、じゃあうちは“つるや”で』と。そんなふうに街中、動物の名前の屋号ばっかりだったそうです」
豪快にシンプルな理由で、おじいさんの鶴の一声で幕を開けた「つるやパン」の歴史。
しかしそのキャッチーな店名は地元に根付き、永く人々に愛されています。
愛すべきレトロなB級パン
本店の店頭に並ぶのは、創業当時から現在もある、コッペパンでバタークリームと赤いゼリーをはさんだ「スマイルサンド」(135円)、三代に渡って大好評の「チョコたぬきぱん」(165円)。
さらに40年目を迎える、パンでカステラをはさんだ「カステラサンド」(145円)、魚肉ソーセージが一本つっこんで揚げた「ランチパン」(150円)などなど、レトロでしみじみとおいしい、愛おしいB級パンばかり。
▲創業時のバタークリームの独自製法をいまに受け継ぐ「スマイルサンド」
▲一見チープな印象の「チョコたぬきぱん」だが、中のクリームだけではなくパン生地自体にチョコを練りこんだ意外とゴージャスな逸品
たくあんをはさんだサラダパン
滋賀のローカルパンとして、地元の人々の暮らしにそっと寄り添ってきた、つるやパン。
そんなつるやパンが8年前、突如としてスポットライトを浴びることとなります。そのきっかけが、いまや日本のB級ローカルパンの最高峰との呼び声が高い「サラダパン」(145円)。
▲サラダの概念を問いただしたくなる「サラダパン」
▲「つるやパンといえば『サラダパン』」という印象をいだく人も多い
つるやパンの「サラダパン」に、なぜそんなに注目が集まるのか。
それは創業1年目からの現役パン職人である祖母の智恵子さん(88歳)が、サラダとうたいながら、生野菜ではなく“千切りしたたくあんのマヨネーズ和え”をコッペパンではさんだ商品を開発したから。
▲「サラダパン」の中は“千切りたくあんのマヨネーズ和え”がぎっしり
▲「サラダパン」を発明した西村さんの祖母、智恵子さん。手にしているのは、西川貴教さんが主催した滋賀県下最大の音楽イベント「イナズマロック フェス 2016」ver.のレアなパッケージの「サラダパン」
突然来たサラダパンブーム
この”たくあん meets. パン”という異業種交流にもほどがある「サラダパン」が地元の夕刊紙に取り上げられ、さらにそれを読んだ全国ネットのテレビ番組『カミングアウトバラエティ!! 秘密のケンミンSHOW』と『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系列)がたて続けに放映し、その影響で一躍日本中から注文が殺到することとなったのです。
「サラダパンは昭和32年に販売を始めたもので、ずっと昔からうちにあったんです。それがテレビで取り上げられて以降、1日 3,000本を売り上げるまでの大ヒット商品になりました。でもおばあちゃんは決して珍しいものを作って目立とうなんて発想はなかった。そもそもは惣菜パンのひとつとして、刻みキャベツなど野菜と手づくりマヨネーズを和えたコールスローパンを考案したんです。ところが製造後すぐにキャベツの水分がパンに移ってしまうため、キャベツをたくあんに変えたんです。それが独特の食感で人気が出て、うちの定番商品となっていました」
コッペパンにたくあんをはさんだ「サラダパン」は、しゃきしゃきして本当においしい。
決してゲテモノではありません。
そしてキャベツだとパンが湿ってしまうから、「じゃあ、たくあんで」という智恵子さんの切り替えの早さ、柔軟性と斬新さに驚かされます。
「そうなんです。そして『キャベツのかわりに、たくあん』っていうエピソードは広く知られてはいるのですが、ひとつだけ、伝わっていないことがあるんです。それは、もとより『コッペパンにサラダをはさむ』『マヨネーズをはさむ』というアイデア自体、おばあちゃんには先見性があったということ。サラダをはさんだパンなんて、滋賀にはほかになかったと思うんですよね」
そうですね。
たくあんにばかり目が行きがちですが、言われてみれば、目からうろこ。
調べてみると日本で三角形に切ったサンドイッチのテイクアウト販売が始まったのは昭和36年からなのだそう(東京の茗荷谷駅近くにあったフレンパンが開始したという説がある)。
その4年前にすでにコッペパンにコールスローサラダをはさもうとしていたのですから、滋賀どころか全国でも珍しい挑戦だったはず。
智恵子さんは日本の惣菜パンの先駆者のひとりなのです。
ここをもっと評価すべきですよね。
▲智恵子さんは88歳にして現役のパン職人
長浜に帰ってきた西村さん
こうして全国から脚光を浴びることとなった「サラダパン」は、従来の一軒の小さなパン工場では「これ以上もう製造できない」という状況にまできてしまいました。
そして同業他社や他業種の有象無象なアドバイザーたちから「専用のラインを持て」「工場を増設してもっと生産能力を上げろ」の声がしきりに高まるのです。
その頃、孫である西村さんは東京にいました。
西村さんは祖父母や両親がパンを焼く姿を見て職人に憧れ、自らも辻製菓専門学校で製パンを学び、東京のパンの名店で働いていたのです。
「つるやパンを自分が継ぐという考えは、当時はなかったです。親族経営でうまくまわっていたし、正直言って自分は継がずにもっと大きな店を持ちたいと考えていました」
そんなおり、東京にいる西村さんのもとへ、いとこの専務から「戻ってこないか? 一緒に何か新しいことを考えよう」と声がかかったのです。
いつか滋賀県へ帰りたいと考えていた西村さんは、この誘いを受けて帰郷し、「つるやパン」の従業員となりました。
「サラダパン」で原点回帰
その頃の「つるやパン」は降って沸いた「サラダパンブーム」に翻弄(ほんろう)され、方向性を再確認しようという時期でもあったのです。
「利益のみを考えれば、サラダパンを増産して全国のコンビニに置けるようにすればよかった。でも一族全員、その考えはなかったですね。もともと滋賀県の子どもたちのために食パンやコッペパンを焼いていた会社です。新しい機械を導入し、人を雇ってライン化するって、そんなパン屋さんじゃなかっただろうって。地元の方々に『これ少し変わってるけど、これがおもいで想い出の味だよね』って笑いながら食べてもらえる。そういうお店だったよねって、皆で意見が一致したんです」
そんなふうに「今後『つるやパン』をどうするか」というテーマの親族会議が開かれ、西村さんをはじめ、全員が出した答は「原点回帰」でした。
「街なかで、子どもからお年寄りまで楽しめる地元密着型のパン屋さんに立ち返ろう」。
一族でそう確認しあったのです。
智恵子さんが発明した、たくあんをはさんだ「サラダパン」は、メジャーなステージより、たくあんがよく似合う一家の団らんを選んだのでした。
パン屋さんが消えるのは寂しい
されど、じゃあ「原点回帰」って、なに?
なにをどうすることが「原点回帰」になるの?
過疎化が進んでいる現実が横たわる長浜市で、ただ単純に「これまで通り」というわけにはいかない。
いとこの専務から「新しいことをやらないか?」と誘われ東京から滋賀へと戻ってきた西村さんは、創業65周年を目前に、あと10年、あと20年と「つるやパン」を継続させ、かつ進歩させるためになにかいい方法がないか、そのヒントを求め、長浜の街を歩きました。
久しぶりにめぐった長浜の街は、ずいぶん変わっていました。
往時はにぎわっていた通りは閑散とし、なかでも同業の内藤製パンの工房兼店舗が廃墟化している姿にはショックをおぼえたのだそう。
「ここも地元に愛されていたお店でした。店主さんがお亡くなりになり、その後しばらくは奥様がやっていらしたんですが、跡取りがおらず閉店したようです。建物はつぶして更地にするということでした。それを聞いて『街からパン屋さんがなくなるのは、さびしいものだな』と感じたんです」
朽ちたまま放置されていた空き店舗を前にし、パン屋さんという存在が街のコミュニケーションための重要なスペースになっていることを改めて感じいった西村さんは、ここでひらめきます。
「『自分がこの建物に住み込んで2号店を開こう』と思ったんです。ここでパンを焼いて、調理して、お客さんはそれをすぐに食べられて、具材の組み合わせを変える指示を出したり、職人としゃべることもできる。そういうお店がやりたい。ビジネスマンや主婦のみなさんが気軽に訪れて、部活帰りの学生が立ち寄って、おもしろがってもらい、記憶に残る「おもいでパン」のお店。それこそ地元密着で、原点回帰じゃないのかって考えたんです。そして焼くとすれば、やっぱり甘みがあって、ふわっとしている本店の味。うちが突然ハード系とか始めたら、それはおかしいですよね。
そうして西村さんはこの廃墟化したパン工房をリノベーションし、本店でもすでに焼いていた丸い食パンだけに特化した、前代未聞の専門店を開くこととあいなったのです。
▲閉店したままの状態だった内藤商店
▲木造パン工房の廃屋を改築し「街のパン屋さん」を復活させた
▲すっかりきれいになった新天地で製造と接客にいそしむ西村さん。ずっと職人一筋だったので、お客さんとの触れ合いはとても新鮮だという
▲「つるやパン」2号店に生まれ変わった建物。「おもいで」に残るよう、遊び心が随所に
「長浜の味」になりたい
「この2号店ができてまだ1年経っていません。だから、これが”原点回帰”なのか、正解だったのか、それはまだわかりません。すぐに答は出ないと思います。ただ、この場所は北國街道で本店とつながっているんです。これは偶然なんだけど必然のような気がします。長浜の人たちに愛される”長浜の味”になりたい。その願いが、この道でつながっているのかな。よく『この丸いパンで大阪にお店を出したら、めっちゃ売れるんじゃない?』と言われるし、実際そうなのかもしれないけれど、それをつるやパンがやるというのは、あまりにもドラマやストーリーがないと思うんです」
地元に密着し、長浜の味と呼ばれるパン屋さんになりたい。
65年目にして同じ長浜市内に2号店を出した西村さん。
思えば「焼サバ」や「みたらし」のサンドイッチも、智恵子おばあさんがたくあんで作った「サラダパン」のように、作る人食べる人のことを考えた末に、大胆に飛躍したもの。「つるや流」ともいえるパン作りのスタイルは脈々と受け継がれ、長浜の食文化となっているように思いました。
「新しい商品を生み出してゆく半面、初代サラダパンにはさんでいたコールスローや、たまごサラダのレシピは、およそ60年前におばあちゃんがあみだしたものを再現しています。60年の歴史を丸い食パンにはさんでいます。ぜひ食べにいらしてください」
その思い、その味、まさに「マル」でした。
▲祖母の智恵子さんが「本当は『サラダパン』にはさみたかったサラダ」のレシピを忠実に再現
▲「サラダのサンドイッチ」(170円)。60年以上前の「たくあん」以前のコールスローサラダがこのお店で食べられる。お客さんの目の前で調理するというシステムを構築したからこそ、この元祖「サラダパン」が再び日の目を見ることとなった
▲「丸いパンって不思議です。シンプルな形だけに、いろんなことができそうな気がするんです」と西村さん。いま「きつねうどんを表現した丸いサンドイッチができないか」と考えているところなのだそう
お店情報
まるい食パン専門店 つるやパン
住所:滋賀県長浜市朝日町15-31
電話番号:0749-62-5926
営業時間:7:00~17:00
定休日:水曜日
つるやパン 本店
住所:滋賀県長浜市木之本町木之本1105
電話番号:0749-82-3162
営業時間:月曜日〜土曜日 8:00〜19:00、日曜日・祝日 9:00〜17:00
定休日:無休(臨時休業あり)
ウェブサイト:http://www.tsuruyapan.jp/
※この記事は2016年12月の情報です。
※金額はすべて税込みです。