ハンガリー料理「グヤーシュ」が思い起こさせた“母なる味”【自由が丘】

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ふとしたことで、古い記憶がよみがえり、胸がいっぱいになってしまう――そんな経験をしたことはないだろうか。私の場合、1999年の東欧旅行の思い出がそれにあたる。

ハンガリーの首都、ブダペストにあるゲストハウスの女主人、テレザさんのことを思い出すたびに、懐かしく、そして切ない気持ちになってしまうのだ。

 

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▲ブダ地区とペスト地区を分けているドナウ川

 

テレザおばさんは、気分屋でお節介で世話焼き。昼から午後にかけての宿の閉鎖時間帯に宿の外に出ず、部屋の中にいたら「いつまでいるの、出ていきな」と怒鳴ってくる。

その一方、睡眠薬強盗に遭い多額の現金を盗られたり、入国を拒否されユーゴスラビアから帰ってきたり、といったトラブルに巻き込まれ、しょんぼり宿に帰ってくると、「食べなさい」と言って赤いシチューを振る舞ってなぐさめてくれた。

 

シチューは確か、「グヤーシュ」という料理名だったはずだ。

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▲筆者とテレザおばさん。僕の本や記事に写真が載るのを楽しみにしてくれていたが、2001年には逝去

 

自由が丘駅徒歩10秒で行けるハンガリー料理店

これまでのように当時のことを断片的に思い出すのではなく、「グヤーシュ」を実際に食べてみよう。

今年の春、そんな風にふと思い、都内に数軒しかないハンガリー料理店の一つに出向いた。 

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目的地は、東急東横線の自由が丘駅の改札を出てすぐの「自由が丘デパート」という商業ビル。駅からビルまでは、ものの10秒ほどだ。

 

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こちらが今回訪れたお店「キッチンカントリー」。「自由が丘デパート」の3階にある。 

 

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店先のガラスケースには、食品の見本のほか、民芸品が陳列されていた。

 

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店内はヨーロッパのこぢんまりとしたレストランのような雰囲気。

 

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駅徒歩10秒という立地だけあって、一番奥の窓からは駅前のバスやタクシー乗り場が見える。角度によっては東急東横線の高架になった駅のホームまで見えるほど。

 

喜ばれるのは「素朴で手間をかけた料理」

ハンガリーはヨーロッパ中央部、内陸部に属している。国土は日本の東北6県よりもやや大きく、人口は約1,000万人。アジア系民族のフン族が民族のルーツにあるからか、名前の並びは日本などと同じ姓・名の順。国土はなだらかな丘陵地帯になっていて牧畜や農業がさかんだ。

食材にはパプリカ(肉厚で大きなピーマンの親戚)を沢山使ったり、味付けをした野菜や果物。主食はパンで、チーズや蜂蜜も使う。基本、味付けは素朴でごくごくシンプルなものと思っていい。

 

ハンガリー料理という日本では珍しい料理をなぜ提供しているのだろうか。店主である齋藤一正シェフは話す。

 

もともと私の父がフレンチのシェフをしていたんです。父の代でも「グヤーシュ」は出していましたが、当初はあくまでフランス風のハンガリー料理。ハンガリー料理の専門店として店を始めたのは、私がヨーロッパ修業を終えて帰国した30年前のことです。(齋藤シェフ)

 

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▲お店を切り盛りするのは齋藤一正シェフと奥様。齋藤さんの父親がはじめたこのお店、創業は半世紀以上前のこと

 

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▲左端は在りし日の先代。テレビの草創期から取材を受けている名店なのであった。(お店の許可を得て掲載)

 

この店の味は現地のものに比べ塩味を薄めにしています。それ以外は基本的に同じ。煮込み料理は、たっぷり3時間はかけますよ。だけど決して手は抜けません。ハンガリーの人は、こうした素朴だけど手の込んだ田舎の味、つまり母親の味というものこそ好むんです。(齋藤シェフ)

 

手間をいとわず、本場そのものの味を追求しているからか、外交官やその家族をはじめ、在日ハンガリー人が噂を聞きつけて、訪れるという。ときおり、みな故郷の味が懐かしくてたまらなくなるのだろう。

 

夏限定「サクランボのスープ」は甘酸っぱい味わい

それでは、実食してみよう。まずは飲み物。

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右はたまたまお店に仕入れてあったというスロベニア、左はクロアチアのビール(ともに800円)。どちらの国もかつてはユーゴスラビアを構成する地域であったが、内戦を経て独立した。

栓を開けてあるのは左のクロアチアビール。なお普通のビールは580円だ。

 

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ワインは白と赤の各種ボトルがあり、どれも3,000円台。ハンガリーは歴史の長いワイン名産の地であり、貴腐というカビの一種を使った甘いトカイワインは世界的に名高い。また、グラスワインは800円より提供している。

  

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冷たいサクランボのスープ、850円。白いのはクリームだ。

 

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9月中旬までの限定メニューです。色味的に一見デザートのようですけど、ハンガリーではスタートのスープとして出されています。ただ、サクランボの甘みと酸味が効いているので日本人のお客様はデザートとして最後に召し上がる方が多いですね(齋藤シェフ)

 

実食して思ったのは、フランスの冷製スープである「ビシソワーズ」と同じカテゴリーの料理だということ。

しかしチェリーの果肉やスープの味自体の甘酸っぱさは、確かにデザートっぽくもある。

 

ハンガリー人にとってグヤーシュは家族の証だった

次はこちら。

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▲トルトットカーポスタ(ロールキャベツ)1,580円

 

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みじん切りタマネギと肉、パセリの味のハーモニーが絶妙。これもハンガリーではお袋の味なんだそうだ。

 

そして、いよいよグヤーシュ(1,580円)をいただく。

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グヤーシュの赤い色はパプリカに由来する。この「赤」はイタリアだとトマト、ロシアは赤カブ(ビート)となる。そう、それぞれの国に、それぞれの「赤」があるということだ。

 

そして、こちらの「赤」はじわっと体中に染み渡る味。しっかり煮込んであり、すっぱみもある。メニューには「ハンガリー風ビーフシチュー」と書いてあるが、より滋味を感じる気がしてくる。

 

この味に思わず、在りし日のテレザさんの表情をダブらせた。「いつもキレイですね」と私からお世辞を言われ、ルンルンと舞い上がっている彼女の姿が脳裏に浮かぶ。 

 

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最後は、ハンガリークレープ「パラチンタ」(680円)をいただくことに。

生クリームがたっぷりかかった、少し厚めでモチモチっとしたクレープといったところか。現地産の上質な小麦粉を使用して使ったからこその美味しさだろう。

そこへチョコレートやキウイフルーツ、ブルーベリー、チェリー、オレンジ、さらにカッテージチーズが華を添えている。

 

完食し、すっかり満足して店を出るとき、齋藤シェフは私のプロフィールを聞いた上で言った。「ハンガリーの味が恋しくなったら、またいらっしゃい。もう戦場なんか行くんじゃないよ」と。ハンガリー人は、「グヤーシュ」を振る舞った人を、自分の家族、自分の子どもとして扱うようなところがある、という。

 

このお店で、「グヤーシュ」やその他のハンガリー料理をいただいたことで、一瞬テレザおばさんに昨日会ったかのような錯覚に陥った。

酸っぱくて、食道や胃にじわっと染みわたっていく素朴な味が、私の17年前の記憶を頭の奥から引き出したのだった。

 

お店情報

キッチンカントリー

住所:東京都目黒区自由が丘1-28-8 自由が丘デパート3F
電話番号:03-3717-4790
営業時間:11:00〜14:00 18:00〜22:00(LO 21:30)
定休日:水曜日
ウェブサイト:http://www.restaurant-country.co.jp/

※金額はすべて消費税込です。

※本記事の情報は取材時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新情報はお電話等で直接取材先へご確認ください。

 

書いた人:西牟田靖

西牟田靖

1970年大阪生まれのノンフィクション・ライター。多すぎる本との付き合い方やそれにまつわる悲喜劇を記した「本で床は抜けるのか」(本の雑誌社)を2015年3月に出版。代表作に「僕の見た大日本帝国」「誰も国境を知らない」など。

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