13歳から43年間野宿していた「洞窟オジさん」はかつての住処でナニを食べていたのか?【極限メシ】

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2004年にベストセラーとなった「洞窟オジさん」(小学館)をご存じだろうか。当時13歳だった少年が家出し、57歳で発見されるまでの43年間、人知れず洞窟や森の中で過ごした日々を描いた1冊である。

 

洞窟オジさん (小学館文庫)

洞窟オジさん (小学館文庫)

  • 作者: 加村一馬
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • メディア: 文庫
 

 

廃坑となった洞窟で雨風をしのぎ、腹が減れば狩りや採取、魚釣りで食料を調達。少年は人間が作り出した便利なシステムから遠くかけ離れたところで自然と格闘し、命をつないできた。

長い野宿生活の中で、彼はいったい何をどうやって食べ、生きてきたのか。究極のサバイバルライフは十数年前になぜ終わりを迎えたのか。73歳となった現在、どういった暮らしをしているのか。「洞窟オジさん」こと加村一馬さんに話をうかがった。しばしの「家出」にお付き合い願いたい。

話す人:加村一馬(かむらかずま)さん

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昭和21年8月31日生まれ。群馬県大間々町(現:さくら市)出身。両親から逃れるため、13歳の時に家出を決意。足尾銅山の洞窟をはじめ、栃木新潟など転々として、43年にわたり、サバイバル生活を送った。現在は社会復帰し、障がい者支援施設に勤務。

 

かつての住処だった洞窟は今

加村さん:岩山の上に立って、砂利道の道路を見てたんだよね。そしたら「仙人がいる」って噂が立っちゃってよ。消防団とかみんな来て、山狩りされたんだよ。だから逃げた逃げた。

 

60年近くも前のことを加村一馬さんは、つい最近のことのように話した。

 

加村さん:家を飛び出してから3回冬を越した後だったかな。そのころになると着てきた学生服はすりきれてたし、髪は肩まで伸びてたね。

 

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▲「当時は山全部、木が生えてなくて岩がむき出しだったんだ」と加村さん

 

加村さんと私が話していたのは、栃木県西部、かつて足尾銅山があった山の中。

道のすぐ横には、飲めそうなほどきれいな渓流(写真下)が5〜10メートル下に流れている。

 

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▲透き通るほど清らかな水が流れる渓流

 

加村さん:あれが最初に住んでた洞窟の入口だよ。

 

川の対岸の緑に目をこらす。するとコンクリートで四角く覆われた坑道の入口(写真下)が見えた。

 

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▲画面中央部が黒くなり、その左側にグレーの柱が見える。これこそが加村さんの住んでいた洞窟の入口だ

 

親の虐待に嫌気がさして家を飛び出した

その後、群馬県東部の福祉施設まで戻ってきた。ここは現在、彼が住んでいる場所。洞窟から施設まで、車で小一時間の距離だ。

自分で育てているというブルーベリー畑、その脇にあるあずま屋で、加村さんに話をうかがった。まずは生い立ちについて。

 

加村さん:生まれたのは昭和21年(1946年)の8月。群馬県の大間々(おおまま)というところ。今の施設があるところとそんなには遠くないね。食べ物もろくに買えないのに、子供が8人もいる貧乏な家だった。両親はなぜかオレだけイジメてたんだよ。木の枝に逆さ吊りにされたり、雪の降る真冬にお墓にくくりつけられて一晩放置されたりね。オレだけメシをくれなかったりしたんだ。

 

そんな生活に耐えかねた加村少年は、昭和34年(1959)の夏の終わりのある日、30キロ以上先にある足尾銅山を目指して、家出した。

 

加村さん:銅山のことは社会科の授業で習ってたから知ってたんだ。そこなら洞窟がたくさんあって、誰にも見つからなさそうだしね。家を出る前に大量の干し芋と塩、醤油、マッチ、ナタ、ナイフ、砥石を通学カバンに押し込んだ。そしてスコップを手に家を出たんだ。

 

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それから加村さんは、国鉄足尾線(現在のわたらせ渓谷鐵道)の線路を伝って足尾銅山へと向かって歩いていった。

 

加村さん:さっき洞窟まで行った後で(自分が住んでいる)施設に帰ってきたわけだけど、車だとあっという間(片道小一時間)だっただろ。当時は歩いて7日ほどかかったのかな。ほとんど寝ずに線路伝いに歩いたね。汽車が通ると脇に避けて、通り過ぎたらまた歩き出すって感じで。疲れて頭が朦朧となりながら歩いてたよね。

 

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▲加村一馬さんがかつて歩いた線路

 

愛犬シロとともに山の奥深くへ

孤独と疲れがピークだった少年を救ったのは、彼の「相棒」だった。

 

加村さん:家出して2日目かな。聞き慣れた犬の鳴き声が聞こえてきたんだよ。まさかと思って後ろを振り返った。するとそのまさかだった。シロが追いかけて来てくれたんだ。あのときは嬉しかった! 嬉しくてボロボロ泣いたよね。もしシロがいなかったら、オレは今生きちゃいねえよ。

 

シロは秋田犬の雑種。家族の中でもシロを一番かわいがっていたのは加村さんだった。

 

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元気づけられた加村さんはシロとともに、どんどん歩いて行く。

 

加村さん:線路ばっか歩くのが嫌になったんだよ。だから途中、左に曲がって川沿いの砂利道を上っていったんだ。見つかって家に連れ戻されたら、親にまたこっぴどく殴られちゃうからな。人目になるべくつかない穴を探して、奥へ奥へと歩いて行ったよ。

 

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▲60年前、加村さんがシロと歩いたかつての道。この橋は当時もあったのだそう

 

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▲周囲には現在も銅山関連の史跡が残っている。ときにはクマの出没も

 

そして洞窟生活が始まった

歩き始めて1週間後、加村さんは山の中腹付近にある、ひとけのない洞窟を寝床と決めた。安心したのか、洞窟内に入ってすぐ、加村さんはシロを抱いたまま、眠り込んでしまう。

 

目を冷ました加村さんは、すぐに〝家づくり〟に取りかかる。穴を封じるように木やツルを集めてドアや天然の寝床を作ったり、薪を集めてマッチで火をおこしたり、燠(おき。赤くおこった炭火のこと)が常に絶えないようにしたりした。

 

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▲最初に住んだ洞窟を描いてみる。左からコウモリ、ヘビ、シロ、ベッド、加村さん、たき火、スコップ、そして出入り口。出入り口の反対側へ洞窟が続いていたため、たき火をしても煙は奥へと抜けた(以下イラスト/西牟田靖)

 

ところがその後ほどなくして、加村さんはぐったりしてしまう。

 

加村さん:洞窟に辿り着いてほっとしたのかな。熱出して、寝込んでしまったんだ。川の向こう側に人がいてオレは川を渡っていこうとする夢を見てたら、耳が猛烈に痛くなった。あまりに痛すぎて、しまいには目が覚めちゃった。シロがオレの耳をかじってたんだよ。ありゃ痛かったよ。でももし、あのときシロがかじってくれなかったら、きっとオレは三途の川を渡ってた。

 

意識のない状態から脱した加村さんは、這々(ほうほう)の体でなんとか川まで下り、ボロ布を水で濡らしてから、洞窟に戻った。再び横になると、ボロ布を自分の頭の上に置いた。

 

加村さん:するとそれを見てたシロは、あとでボロ布を川の水で濡らして、熱を出してるオレの頭にかけてくれたんだ。あの犬はほんとうに利口だったんだ。頭に載っけてくれた濡れたボロ布は泥だらけだったけどな(笑)。

 

木の実やキノコから、アリやコオロギまで

翌日、やっとの思いで起きあがると、今度はミミズを焼いて煮た汁を作って飲んでみた。熱を出したときに効くという。そのことは家で親たちが作っていたのを見たことがあったので知っていた。

 

加村さん:近くの廃坑で拾っていた缶詰の缶に入れてさ。それが熱冷ましになったのかな。熱はさーっと引いたな。だけど、すごくまずかった。熱に効くってことで飲んだんだけど、いやー臭くて飲めたもんじゃねえよ。泥臭くてよ。変な臭いがしたもん。

 

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▲足に竹が貫通したときはヨモギで手当てをし(左)、高熱のときはミミズ汁を作って熱を冷ました(右)

 

加村さん:懐中電灯なんかあるわけねえからな。今もそうだけどよ、暗くなれば寝る、明るくなれば起きるという生活をしてたね。季節にもよるけど、時間でいったらだいたい午前6時に起きて夕方6時半に寝るって感じだな。

 

突如始まった野宿生活で、彼は完全狩猟採集による生活を送ることになる。それはいったいどんなものだったのか。

 

加村さん:(家から持ってきた)干し芋ばかり食べるわけにはいかないからね。食べられるものを探したり、捕まえたりして、なんでも食べてたよ。

 

手っ取り早く食べられるのが、そこらじゅうに自生している植物や菌類だ。

 

加村さん:木の実、山菜はよく食ったね。小さい梨みたいな実や柿とか。柿はそのままだと渋いから全部とっておいて洞窟の中にしばらく置いておくんだ。すると熟れて食べられるようになる。キノコは毒があるかどうか見分けて食べたよ。小さいころ、親が採りに行ってたキノコを見てどれが食べられるのかわかってたから。でも松茸は食べられるって知らなかった。「でっかいキノコがあるなぁ」と思って蹴っ飛ばして歩いてたよ。今考えるともったいないことしたよな。

 

お手軽なインスタントフードという意味では、洞窟や森に住む虫たちも同様。貴重なタンパク源となる。

 

加村さん:カタツムリはたくさんとってそのまま焼いて醤油をかけて食べたりしたな。サザエみたいな味がしてすごくうまいんだよ。殻が容器代わりになるので楽だし。アリもさんざっぱら食べたな。山に入ると、こんなでっかい(1cmほど)のがいるんだよ。赤いのが。捕まえて食おうとしたら噛んでくるんで、頭をとって頭以外を食うわけ。お尻の方に蜜が入ってるから甘くてうまかった。あとは洞窟の中によくいた便所コオロギ(カマドウマ)。これイナゴみたいな味がして、香ばしくてなかなかなうまかったよ。ナメクジも試しに食べてみたけど、あれは気持ち悪かった。あれはな水ばっかりなんだよ。食っても何の味もねえ。焼くとなんにもなくなっちゃうしよ。

 

ワナや弓矢で「ごちそう」を仕留める

植物や昆虫やカタツムリ、植物は見つけてつまみ上げさえすれば、比較的簡単に食べられるが、育ち盛りの少年にとってそれだけで腹が満たされるわけがない。そこで加村さんは、ごちそうとなる獣を仕留めるべく、知恵を絞った。

 

加村さん:イノシシは最初、落とし穴を作ったよね。深さ1.5メートルぐらいの穴を掘ってさ。底に竹を三本刺してワナを作って、イノシシを誘い出したんだよ。すると、こっちの方に向かって突進してきたので、とっさに走って逃げて作っておいた穴をぴょんと跳び越えたんだ。するとイノシシはまんまと穴に落っこちてる。あのときは嬉しかったよね。だって狙ったとおりに仕留められたんだから。重すぎて持ち上げられなかったから穴の中で解体したけどな。

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▲イノシシ用の初期型ワナ(左)、山鳥用のワナ(右上)、ウサギを捕まえる様子(右下)

 

ほかにも試行錯誤しながら、さまざまなワナを試したそうだ。

 

加村さん:いろいろ作ったよね。竹のしなりを利用して、下の横棒に触れると上の横棒がガシャンって落ちるようにしてた。二本の棒の奥に餌を置いてな。するとその餌欲しさに山鳥がひっかかるんだ(下のGIF動画参照)。さっき言ったイノシシも2回目以降は山鳥用のワナを大きくしたものを使って捕まえてたな。

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▲「生えてる竹に反動がつき、バタンと横棒がしまるってワケ。このワナがあれば、うり坊(猪の子ども)ぐらいは捕れるぜ。これぐらいのワナだったら10分もありゃ作れるんだよ」

 

加村さん:竹と藤のツルで弓矢を作って(写真下)、サルを撃退したりもしたよ。洞窟にためこんでた保存食を狙ってたからね。木の高いところで命令してる体の大きなボスザルを射止めたら、途端に群れはあちこちに散っていったよね。

 

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▲以前行われたサバイバル教室で大好評だったのがこの弓矢。その貫通力は凄まじかったという

 

加村さん:ヘビは髪の毛とか羽毛を燃やした臭いにつられて寄ってきたり、冬なんかは石の下に固まってたりしてた。よく食べたねぇ、ヘビは。ネズミとかコウモリは棒で叩いて捕まえたな。コウモリはくぼみに隠れたり、棒を振るのを避けたりするからなかなか捕まえられなかったけどね。

 

自力で学んだ道具作り

不思議なのはまだ中学生だった加村さんがなぜここまで実用的な道具を作れたのかということだ。さすがに親に教わったのでは。

 

加村さん:ワナは小さいときから自分で作ってた。だって親も教えてくれねえし、メシはくれねえからな。学校に行かなくなり、サボってワナを仕掛けて動物や鳥を捕まえたり、魚を捕ってたりして食べてたね。その当時によく食べてたのはたオスの鶏。オスって全然価値がないから、飼い主が手放しちゃうんだ。そうやって野生化した鶏を捕まえて食べてた。

 

狩猟についてしゃべり始めると、加村さんの話はとまらない。

 

加村さん:ヘビは棒で叩いて小骨を砕いてから食べたよね。だって最初の頃、仕留めてすぐ輪切りにして飲み込んだら、胃袋でヘビの肉が動くのがわかったんだ。あれが気持ち悪かったんだよ。あとは棒に巻き付けて焼いたり、生き血を飲んだり。ヘビは精がつくっていうけど本当だよ。いつの間にか股間が膨らんでたってこともあったよね。ウサギは、二股に分かれた棒を巣穴の出入り口に突っ込んで首を押さえつけて捕まえたね。その後はしめてから、木から吊り下げて血抜きをしたよ。ウサギって歯が強力だから、人差し指を噛まれてケガをしたこともあった。今も痕になって残ってるけどね。

 

恐るべきワイルドボーイ、加村少年。彼のように、幼少期から得た知恵や経験がなければ、とうに詰んでいたのではないか。

 

 

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▲捕まえたカエルを腰に吊り下げ洞窟まで持って帰る(左)、ウサギの血を抜く(中央)、ヘビの小骨を叩いて砕く(右上)、イノシシの干し肉づくり(右下)

 

傷だらけのサバイバル生活

しかし、そんな狩猟生活も決してヤワじゃない。ケガに苛まれることも日常茶飯事だったようだ。

 

加村さん:しょっちゅうケガしてたよ。ここ(母指球。親指の付け根の肉が膨らんでる部分)もひどいケガをしたな。でも一番ひどかったのは、足のここ(右のふくらはぎの膝のすぐ下)のケガだね。ウサギを追いかけて竹藪に入ったとき、割れた竹が右足のふくらはぎに刺さって貫通したんだよ。血がドクドク流れるし、歩けないし。だけど薬なんかねえからな、よもぎの葉をつけてじっとしてるだけだよ(笑)。

 

ケガをして歩けなければ狩りどころではない。それこそ飢え死する危険だってある。

 

加村さん:実際、ふくらはぎに竹が貫通したときは飢えたな。食べ物を探しに行けないから。1週間ぐらい食えなくて頭がボーっとしてきたんだよ。それでもっと食わねえと死んじゃうでしょ。あのときは便所コオロギ(カマドウマ)食ってしのいだのかな。まあ2、3日食えないことはしょっちゅうだった。だから飢えてヤバかったことはよくあったんだ。その都度、ひもじかったよ。でも家に帰ろうとは思わなかったな。あんな家は二度と帰らねえ。家帰るんだったら死んだ方が良いって思ってたから。

 

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▲左手中指の先にある傷が、竹でふくらはぎが貫通した傷跡

 

危険な目に遭ったエピソードを話せば枚挙にいとまがないが、いちばん危なかった相手はなんと人間だった。

 

加村さん:あるとき、鉄砲を持って狩りをやってるヤツらが洞窟の入り口までやってきて、穴の中めがけて、猟銃をバーンとぶっ放したことがあったんだよ。あのときはおっかなかったな。それで洞窟の中を逃げるでしょ。弾がバンバンと(坑道の側壁に)跳ね返りながら、オレの方に向かってくるわけ。もし弾が当たってたらそこでおしまいだったよ。当たらなかったけどな。

 

さすがの狩猟名人も、まさか自分が狩られる側になろうとは、想像すらしなかったに違いない。 

 

加村さん:あとはこの洞窟を出た後の話になるけど、クマに襲われたことがあったんだ。慌てて木に登ったらクマも登ってきやがって。それでナタでクマの手を切ったら手だけ残して木から落ちて、そのまま逃げてったんだ。残していったクマの手を見たらオレの顔の倍ぐらいあったな。手だけで。

 

洞窟暮らしの衣・食・住

洞窟暮らしも時間が経つにつれ、さまざまな変化が出てきた。

 

加村さん:1年もすると持ってきた醤油がなくなって、塩だけになったよね。そしてその塩もなくなっていったんだ。すると肉なんかただ焼いてるだけで、食っても味がしねえんだよ。でもなサルの野郎が食ってた実を食ってみたら塩っぱくて。それを摺り下ろして、かけて食うようにした。するといくらか美味しくなったね。

 

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着替えはどうしたのだろう。聞いてみるとほぼ原始人さながらの格好だった。

 

加村さん:服にしろ靴にしろどんどんすり減ってきて。だからそのうち、イノシシの皮を体に覆ったり、靴を作ったよね。パンツとか履いてないよ。ただ、トイレはなさすがに洞窟の中ではしなかった。外で用を足してたね。それで、水浴びをしたかって? しねえしねえ。もちろん口をゆすいだりもしねえ。だってそのころはな、川の水が赤くてよ、魚なんか一匹もいやしなかったんだよ。

 

実は近くを流れる川は当時、鉱毒に汚染された死の川だったのだ。だからこそ彼は、川のそばに暮らしていたのに、水を飲んだり、魚を捕って食べたりしなかったのだ。

 

加村さん:体に垢が溜まっちゃってよ。首を撫でると手に垢がぶわっとつくの。垢で団子作れそうなぐらいにな。口をゆすいだりすることもなかったよ。だからなのか。そのうち歯が抜けはじめたんだ。グラグラしてくるから、自分で抜いちゃってて。洞窟を去ってしばらくすると歯がみんななくなってっちゃった。

 

洞窟に住み始めて3年以上たったある日、ついに相棒のシロが元気をなくしてしまう。三日三晩寄り添ったが、手の施しようがなく、そのまま亡くなってしまった。

 

加村さん:洞窟は岩だから硬くてシロを埋めてあげられなかったんだよ。それで、シロを抱きかかえて洞窟を出たんだ。山をいくつも超え、ピンク色の蘭の花が咲き乱れているところで、シロを埋めた。その後、さらに山をいくつも越えて、新潟の方へと行ったんだよ。

 

その間、加村さんは木の根元に穴を掘ってそこで暮らしていた。普通に横穴を掘っただけならば土が崩れるのだが、気の根元の下だと土は崩れないという。

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▲木の根の下を掘ってねぐらにする(左上)、イノシシの皮を使って作った靴(左下)、洞窟内で使っていたベッド(右)

 

「黒くて三角の食べ物」の正体

加村さん:ちょうどそのころだよ。新潟で夫婦に会ったのは。最初に会ったときオレを見て腰抜かして動けなかった。というのも、あのころイノシシの皮を体に巻き付けてたからな。靴もイノシシの皮だったし。

 

目の前に原始人さながらの男が現れれば、無理もない。それでも新潟の夫婦とは、次第に打ち解けていったという。

 

加村さん:会って何回目かのとき、黒くて三角の形をしたものを「食べろ」って渡されたんだよ。真っ黒だから食べ物ってわかんなくてな、何だこりゃと思った。でも食ってみたらうまいったらありゃしない。なぜそれが「おにぎり」だってわからなかったかって? 小さいとき、おにぎりなんか食ったことなかったんだよ。

 

そのうち、加村さんは夫婦の農作業の手伝いをするようになり、ついには家に住むまでに。

 

加村さん:その家には1カ月以上はいたかな。同じぐらいの息子が戦争で亡くなったらしくてな、自分の子供として生きてみないかって言われたんだ。でもそのうち近所の人が見に来るようになったんだよ。「なんだありゃ、変なのがいるぞ」って。それで迷惑かかるからってことで出て行ったんだ。そのときは山の生活の方がいいやっていうのもあったしな。

 

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別れ際、夫婦に新しい服やリュック、財布をもたされた加村さんは、親切にしてもらったことを胸の内で感謝しながら、夫婦の元を去った。

そして山を降り山菜を売って暮らすようになる。生まれて初めて彼はお金というものに触れるようになったのだ。

 

加村さん:夫婦に服をもらったから、人が集まるところに出て行けたんだ。もしイノシシの皮を着たままだったら、みんなびっくりしちゃうよ。そのころはね、お金の使い方なんてわかってなかった。でもお金は貯まる。それで、山菜や蘭を売ってるときだったかな。ふと、お店というものに生まれて初めて入ってみたんだよ。甘いにおいのする黄色くて長い食べ物が気になったので、そのとき財布の中にいくらか入ってた紙を、他の人の真似をして一枚出してみたんだよ。するとその、黄色くて長い食べ物と一緒に別の種類の紙をいっぱいくれるんだよ。後になってわかったんだけどそのとき1万円札を渡してたの(笑)。

 

甘いにおいのする黄色くて長い食べ物とは、むろんバナナのことだ。

 

加村さん:その後、バナナを買ったのはいいけど、食い方が分からねえんだ。だから丸ごと食ってみたんだ。硬かったけど、甘くて最高だった。それで、次に中だけ食べたらもっと美味しいの。それからはバナナ狂いになっちゃったよ。

 

その後、彼は心機一転。茨城県の小貝川(こかいがわ)で魚を捕って暮らすようになる。

 

加村さん:ヒッチハイクしたとき乗せてくれた運転手と釣りの話になって。今度は釣りをして暮らそうって思って、小貝川のそばで降ろしてもらったんだ。

 

加村さんは釣った魚を売って生活するようになる。まわりからは釣り名人として慕われ、釣り雑誌にも掲載されるほどに。そんな生活が10年以上続いた。

その間、元社長だったというホームレスに、自分の名前が書けるように字を教わったり、お金の使い方を教わったりした。

 

「味のついた肉」は最高

現在、加村さんが住んでいるのは、広大な敷地を持つ障害者施設の離れの小屋。知人の紹介でここに住みながら、施設の用務員として日々、さまざまな仕事を任されている。

 

加村さん:今の仕事は、ブルーベリー畑の管理をしたり。周りの草刈りをやったり、まぁ何でもだよ。あとそこの建物の前の車止めのコンクリート固めたり。イノシシよけのブルーベリー畑の柵を作ったり。ブルーベリーを売るためのあずま屋を作ったりした。こっちの生活は人間関係でイライラすることもあるから、そんなときは山に行ったり、近くに穴を掘ってそこで過ごしたりするんだ。そんなの年中だよ。いっそのこと山で生活しようかなって思ったりもすることもある。山は自由にできるからね。でも暮らしはこっちの方がいいやな。オレのためにわざわざ週1回、車で訪ねに来てくれる、前ここで職員をやってた女性がいるんだ。あの女性がいなかったらオレはとっくに山に帰ってたと思うね。

 

加村さんは人びとと触れあう中で現代生活に慣れ、人を慕い、定住に行き着いたのだ。

 

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▲加村さんが植え育てたブルーベリーの畑

 

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▲売り上げは多いときで年70〜80万円にもなるらしい

 

そんな加村さん、今現在はどんな物を食べているのだろうか。

 

加村さん:週1回、その元職員の女の人に車で連れて行ってもらって、スーパーに買い出しに行くんだ。買うのはサーモンの刺身とか肉とか米、味噌汁。刺身は三つか四つまとめ買いしてな、全部でだいたい1万円くらいにはなるかね。自炊はしてるよ。電子レンジはあるけど使い方わかんねえから、もっぱらカセットコンロ。それで米も炊くし。

 

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▲週1回の買い出しに付き合ってくれる元職員の女性に会うということで、インタビュー終了後、一張羅に着替えていた

 

加村さん:肉はもっぱら味付済みの肉。塩こしょうとかはめんどくせーからもうやらねえよ。簡単だよ、焼けば済むんだから。ははは。味噌汁はインスタント。お湯かければいいだけだから楽。やっぱり楽できるなら楽したいからな。もう飢えないから、最高だよ。食べものも味もするしな。オレはもうダメ人間だよな(笑)。

 

そういって自虐的に笑う加村さんに聞いた。野山を駆け巡っていて身が引き締まった野生動物の肉とスーパーで買う肉。どちらがいいのかと。

 

加村さん:いやスーパーの肉の方がうまいね。だってスーパーの肉は味が付いてるんだもん。イノシシとかウサギって肉そのものがうまいっていっても味がついてなかったからな。そりゃ味付の方がいいに決まってるよ。

 

私はてっきり、野生動物の肉の方が美味しいと即答すると予想していた。ところが答えは逆だった。つまりは肉の質よりも「味付け」が大事なのだ。

面倒な狩りをして手に入れた獲物よりも、お金さえ払えば食べ放題の肉。加村さんは不便な生活をさんざん送っていたからこそ、今まで享受していなかった現代社会の便利さを味わい尽くしているのかも知れない。好きなだけ自然をかけずり回った自由と引き替えに。

 

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▲かつてねぐらにしていた銅山の付近を遠目に眺める。「今後は自転車で日本一周してみたいね。もし、死が近いってわかったらこっそり山に行って、誰にも気づかれずに死ぬつもりだよ」

 

書いた人:西牟田靖

西牟田靖

1970年大阪生まれ。家族問題から国境、歴史、蔵書問題まで。扱うテーマが雑多なフリーライター。「僕の見た大日本帝国」(角川ソフィア文庫)、「誰も国境を知らない」(朝日文庫)、「わが子に 会えない」など著書多数。2018年には「本で床は抜けるのか」が文庫化された。

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