あなたがこの記事を読んでいるのは、職場へ向かう混み合った電車内だろうか? それとも運よく座れた帰路の快速急行の中だろうか? テレワークの合間の息抜き中かもしれないし、どこかの飲食店でランチが運ばれてくるまでの暇つぶしかもしれない。
そんな現代社会で当たり前に行っているルーティンや信じて疑わない常識が、1冊の読書体験で覆されるとしたら──。
2018年に出版された『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(奥野克巳著、亜紀書房)はまさにショッキングなドキュメントだ。
何より驚かされるのは、この本に記されたマレーシア・ボルネオ島に住む少数民族「プナン」の文化や習慣、考え方である。
- 「貸して」と言われモノやお金を貸しても決して返ってこない
- 「ありがとう」「ごめんさい」に相当する言葉がない
- 基本、日々反省せずに生きている。
- それゆえにか鬱病や自殺がほぼない
- 食料は主に狩猟で得られる野生の動物。万一、獲物が獲れない時はジッと数日間でも我慢して次の収穫をひたすら待つ
- 生みの親と育ての親がいて、そこに優劣がなくみんなで子育てを行う
わずかこれだけの要素を挙げるだけで、彼らの社会が我々のそれとは対極をなすことが容易に想像できるのではないか。
今回は、著者であり人類学者の奥野克巳氏(以下、敬称略)にインタビューを試みた。氏はこれまでプナンの人たちと寝食をともにしながらフィールドワークを続け、その研究成果を世に発表している。
狩猟生活の驚くべき中身とは? フィールドワークの醍醐味と苦労とは? こちら側とあちら側の幸福感の違いとは?
未知なる森をさまよう気分でしばしお付き合い願いたい。
話す人:奥野克巳(おくの かつみ)さん
立教大学異文化コミュニケーション学部教授 1962年生まれ。バックパッカーとして、メキシコ先住民テペワノを単独訪問し、バングラデシュで仏僧になり、トルコ・クルディスタンを旅し、商社勤務を経て、インドネシアを一年間放浪後に文化人類学を専攻。主な著書に『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』(2020近刊、亜紀書房)、『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(2018、亜紀書房) 、『「精霊の仕業」と「人の仕業」 ボルネオ島カリス社会における災い解釈と対処法』(2004、春風社)、『Lexicon 現代人類学』(2018、石倉敏明と共編著、以文社)、 『人と動物の人類学』(2012、山口未花子、近藤祉秋と共編著、春風社)、『セックスの人類学』(2009、椎野若菜、竹ノ下祐二と共編著、春風社)、訳書に、 ティム・インゴルド『人類学とは何か』(2020、共訳、亜紀書房) 、レーン・ウィラースレフ著『ソウル・ハンターズ シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』(2018、共訳、亜紀書房)、エドゥアルド・コーン『森は考える 人間的なるものを超えた人類学』(2016、共監訳、亜紀書房)など。
放浪の果てに西プナンへたどり着いた
──著書では、マレーシアはボルネオ島に住むプナンの暮らしをご紹介されていますが、不勉強ながら日本から比較的近くのアジアの島に狩猟採集民がいるなんて存じ上げませんでした。
奥野:ボルネオ島には1万人強、マレーシア・サラワク州にはおおよそ7千人のプナンが暮らしています。居住地と言葉から東プナンと西プナンに分けられるのですが、私が研究対象にしたのはブラガ川上流(ビントゥルの東方)に住む人口約500人の西プナン。彼ら西プナンは獲物を追いかけて移動を繰り返す遊動民なんです。
▲ボルネオ島内には、北部にはマレーシア、ブルネイ、南部にはインドネシアと3つの国が共存している
──奥野さんご自身はこの西プナンの調査に至るまでにどういう経緯を経て現在に至ったのでしょうか。
奥野:高校生の頃から世界を放浪したいと思っていて、大学卒業までの間にあちこち旅したんです。メキシコを皮切りに、東南アジア、南アジア、西アジアと。大学卒業後、一旦就職した後、会社を辞めて、インドネシアに行きました。カリマンタンの奥地に非常に魅力を感じたので、そこに2年間住みました。1994から1995年のことです。
──カリマンタンの方はなんのために?
奥野:シャーマニズムや呪術といった目に見えない存在にかねて関心を持っていたので、大学院で人類学を専攻しました。その研究対象として、インドネシア・西カリマンタン(ボルネオ島)に住む2,000人ぐらいの焼畑農耕民の村をフィールドワークしたんです。
▲奥野氏へのインタビューはリモートにておこなった
──その後、同じ島でも北側のマレーシア領にある西プナンの調査へと移っていくわけですね。
奥野:農耕民の次は狩猟採集民の生活を見てみたいと考えて、2000年ごろから東プナンの居住地を歩き回りました。ところが、調査許可が下りなくて。その一帯では森林伐採反対運動が行われていて、マレーシア政府が警戒していたからです。外国人に反対運動を煽ったりされたくなかったんでしょう。
──なるほど。ある意味、成り行きで西プナンだったと。
奥野:おっしゃる通りです。森林伐採の反対運動をやっていない西プナンなら大丈夫、ということで許可が下りたんでしょう。調査を始めたのが2006年。その年に一年間一緒に暮らして以来、春と夏の年2回のペースで通っています。
森の野生動物とプナンの食生活
プナンは日々、生きるために食べる。生きるためには、食べなければならないというテーマがあるのみ。そのことがプナンの日常の中心にどっしりと根を張っている。
〜『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』より(以降の引用はすべて同書より)
──狩猟採集民であるプナンはどんな風にして食べ物を得て生活しているんでしょうか?
奥野:たいていは森の中で狩猟採集をして食べています。吹き矢やライフル銃で動物を仕留めたり、セイランやキジといった鳥を罠でつかまえたり。滞在中、彼らの狩猟にできる限り同行して、そこで獲れた獲物、採れた植物や果物などはよほどのことがない限り、口にしました。
──森で獲れる野生動物というと……。
奥野:ヒゲイノシシ、シカ、ジャコウネコにマーブルキャット。猿はブタオザル、テナガザル、リーフモンキー、カニクイザルの4種類。鳥はサイチョウやセイラン、キジなど、爬虫類はオオトカゲ、ヘビ。それからあらゆる魚の類ですね。昆虫以外は何でも食べますよ。あえて昆虫を食べないのは、それだけ森に食べるものが豊富にあるからです。
▲プナンにとっていちばんのごちそうは、なんといってもヒゲイノシシだ
──なるほど、タンパク源には事欠かない。
奥野:獲物を集落まで持って帰ると、たとえ午前2時でも午前3時でも叩き起こされて皆で食べるんです。それも1日に4回も5回も。その結果、お腹を下したり嘔吐したりするんですが、それでも食べ続ける。という風に彼らは食に対しては非常に貪欲です。獲物がないときには食べないで耐え忍ぶ反面、あるときには、ひたすら食べることに集中するんです。
──調理法としては、やっぱり丸焼きみたいなのが多いんですか。あるいは生?
奥野:丸焼きとかスープにしたりとか、あと油があるときは揚げたりしますね。生で食べることはほぼないですね。あ、ヒゲイノシシの脳だけは若干、生か。頭部を燻してそこから脳を取り出して、クリーム状にとろっとした状態で食べます。
▲ヒゲイノシシの肉はワイルドなベーコン、といったところか。香ばしくて絶品!
──肉の味付けなんかはどうなんですか。東南アジアなので、やはり香辛料付けたりとか?
奥野:彼らは香辛料なんかはあまり使いません。それぞれの肉の風味を味わっている、と言えると思います。私たちは肉を食べるときソースをかけたり、香辛料を使うことによって臭さを取っているわけですけど、彼らは臭みも含めて楽しんでいるという感じがします。
味つけはあえてせず、肉の風味そのものを味わっている──というのは意外だった。
過去に本連載で取材した「洞窟オジさん」を例に出すまでもなく、「肉の風味よりも味がついているかが、美味しさの決め手になる」と勝手に思い込んでいたからだ。
主食はヤシから採れる澱粉
──動物の肉以外のものについても聞かせてください。著書には、川で魚を捕るプナンの写真も掲載されていましたが。
奥野:魚はいろんな形で調理しますね。焼いたり、揚げたり、スープにしたり、状況に応じてです。どれも美味しいですよ。下流の魚屋さんで一尾5,000円ぐらいで売っているような高級魚もたくさん捕まえられますね。
▲大雨の翌日には、流れが変わった川岸にたくさんの魚が打ち上げられ、そのまま食料となる
──著書内では主食として「サゴ澱粉(でんぷん)」も紹介されていました。これは?
奥野:サゴヤシという木をくりぬいて1日がかりで抽出した、いわゆる澱粉※の一種ですね。水アメ状になったサゴ澱粉を箸で巻き取って、汁物に浸してから食べます。ただ、精製前のサゴ澱粉は水分を含んでいてものすごく重いし、集落まで運んでくるのが大変なので、最近のプナンはサゴ澱粉を買っていますね。
※米やじゃがいも、とうもろこしなどの穀物に含まれる、ブドウ糖の集合体
──えっ、買うんですか?
奥野:はい、彼らが住む集落の近くに暮らしているクニャーという農耕民から買っています。ただ、お金を介した取引は1980年代に森林伐採がされるようになってからです。森が丸裸になり、サゴ澱粉を産出する木が遠くなってしまったため、森林伐採から得た賠償金によってプナンの人たちは初めて貨幣を得て市場経済に接したわけです。
──そこがちょっと意外でした。
奥野:クニャーはアブラヤシ農園や雑貨店の経営などをやっていて、プナンはそこでクーリー(日雇いの労働者)としても雇われています。そうした雑貨店で、プナンの人たちは油や塩、ソース、ケチャップ、あとお酒を買ったりしていますね。熱帯の暑熱を一日中浴びた後、40度とか50度のお酒を売店で買って、一杯やるんです。支払いは掛け売り。溜まった借金の返済のために働いている面もあります。
抵抗感を抱いた理由は「人間の形をしているから」
▲獲物を火で焼いて食べるのはよくある風景
──フィールドワークをおこなう上では、ラポール(友好的な人間関係と信頼関係、単なる顔見知りという範囲を超えた人間関係)の構築がとても重要だと思います。当然、現地では彼らと寝食をともにしながら、奥野さんも同じものを食べるわけですよね。美味い・マズイでいうなら味の方はどうなんでしょうか。
奥野:自分が食べていちばん美味しいと感じたのがヒゲイノシシですね。肉部分はもちろんですけど、睾丸がけっこう美味しいんですよ。
──イノシシ類はブタに近いせいかなんとなく想像できまずが、逆に「これは絶対無理」という食べ物があれば。
奥野:最初の頃、猿全般がダメでした。猿って丸焼きにすると「ほぼ人の形」をしているんです。あれにどうも心理的な抵抗を感じてしまって。
──そ、それは確かにキビシイ……。
奥野:それでもあるとき、食べるものがなくなってブタオザルを食べたところ、すごく美味しいことに気づきました。特に彼らが好む乳呑み児が絶品なんです。ほぼ全部ゼラチンで。テナガザルなんかも美味しかったですね。
▲ブタオザルは、プナンにとって森の恵みのひとつ
──これでほぼ苦手も克服した、と。
奥野:いや、今でも苦手なのがあって、それがリーフモンキーのスープなんです。葉っぱばっかり食べている猿の腸の内容物を煮たものなんですが、あれは周囲3メートル以内には近づけません(笑)。腸内に入っているのって糞になる直前のものなんですよね。彼らは「薬になる」て言うんですが、あれだけはどうしても無理ですね。
そもそも「所有」の概念が存在しない
▲オオトカゲも素手で捕まえる。もちろん、貴重な食料のひとつだ
プナンがTシャツを着て、スリッパを履いていたり、ビールを買って飲んだり、ことによると、車を持っていたりしても何の不思議もない。プナンの見た目は、現代人とそれほど変わらない。とはいうものの、プナンは、日本を含む現代社会で営まれている暮らしとは「別の生の可能性」を私たちに示してくれるように思われる。
──ところで、先ほどプナンの食べものについて伺いましたが、フィールドワークを行う際にわざわざ買って持って行く食べものはあるんでしょうか。さすがに、インスタントラーメンとか日本食とか保存食の類は欲しくなりますよね。
奥野:プナンの集落までは、南シナ海に面した都市ビントゥルから車で5時間ほどなんですが、必ずインスタントラーメンや缶詰、ソース、ケチャップなどをダンボール一箱分持って行きます。基本は狩猟採集ですから、2、3日何も食べるものがないケースもあるので、予備食として用意するんです。ただ、気がついたら、ほとんど勝手に食べられちゃってますけどね。
──大事な非常食すらも、プナンの人たちは断りなしに食べちゃう。
奥野:食料だけじゃなく、お金もそう。こちらの財布を見せてお金があるということが分かると、「ちょうだい、ちょうだい」とせがんでくるんです。子どもの発熱が続いてるので町の病院に行きたいとか、昨日から何も食べていないので、雑貨屋で何か食べるものを買いたいとか。
──大胆なたかり方というか。
奥野:最初はカルチャーショックでした。最初に(公用語の)マレー語で「貸してくれ」と言われて、お金やものを貸すんですが、返してもらったことは記憶にある限り一度もない。ただ、後からわかったのはマレー語と違って、プナンの言語には貸す・借りるという言葉がなくて、「ちょうだい」を意味する「マニ」という言葉しかない。つまり、貸借の概念がないんです。
──マレー語で、「貸してくれ」と言っていたのは「くれ、ちょうだい」という意味だった。
奥野:その通りです。つまり、私たちにとって当たり前な個人所有という概念がプナンにはない。その代わり、彼らは何でもシェアリングというか共同所有するんです。段ボールに詰めた私の食料は、どちらかというと「悪気なく使ってしまった」という感じでしょうか。そこにあれば「誰でも使っていい」と考えるんです。
それは、その場にいるすべての人間存在に、すべてのプナンに、自然からの恵みに頼って生き残るチャンスを広げるためではないだろうか。「今」分け与えて、「あと」で、ない時には分けてもらう。そうすることで、互いに支えあって、みんなで生き延びることができる。個人所有を前提として貸すとか借りるのではない。そこには、あるものはみなで分かち合うという精神がある
──オレのものはみんなのもの、みんなのものはオレのもの……。
奥野:逆に、物を独占しようとする人は嫌われます。そういう人物がいるとみんな距離を置く。その考えは子どもの育て方にも反映されてて、たとえば小さな子が飴玉を独り占めしようとすると、「隣にいる誰かにも分け与えなければならないよ」と諭すのが親の役目になっています。
──とすると、分かち合える、あるいは分け与えられる人物は尊敬される。
奥野:そうです。分かち合いを最も率先して行う人物こそがリーダー、つまり「ビッグマン」になれるわけですね。ビッグマンは最も尊敬されるのと同時に、最もみすぼらしい。なぜなら自身は何も持たないからです。もしもビッグマンが、何らかの形で自分のところで物を止めてせしめたり、もらったお金を何か自分だけのために使ったりすると人々は彼を毛嫌いして、みんな離れていきます。
▲獲れた獲物はすべて家族や仲間で平等にいただく。ある意味で究極のシェア社会
「反省しない」から鬱病も自殺もない
悲しいとか寂しいという情動もまた、共同体の中で共有されるのである。優しさにあふれた女性だけでなく、酔いどれも子どもも、とにかくみなが一斉に寂しい、悲しいと囁きだす。そこでは、感情もまたみなで共有される。
──プナンたちが共同所有しているのは物質だけなのでしょうか?
奥野:いえ、ものやお金に限りません。彼らは知識や技能、さらには感情も共有します。それは狩猟民のエートス(社会的習性)と深くかかわっている。狩猟民が生きていくための生の様式と非常に合致していると思いますね。だからなのか、マレーシア政府が学校を作ってプナンの子どもたちに通わせようとするんですが、大方は卒業せずに辞めていきます。学校に行って知識を個人的に得るのではなくて、共同体で生活する中で、大人たちから狩りの技法とか自然の法則だとか、生きていくのに必要な術や知恵を共有するんです。
── 何か失敗したら個人に責任を負わされるという、日本社会のあり方と正反対といいますか。
奥野:そうなんです。個人に問題を帰することをしないわけですね。「ありがとう」もない代わりに「ごめんなさい」もない。貸したバイクをパンクさせたまま何も言わずに返してきたりとか、壊れてペチャンコになった状態の空気入れを何も言わずに返却に来るのはしょっちゅうです。
──プナン同士でもそんな調子ですか?
奥野:そうです。誰かのミスで狩りや漁で失敗したり、集落全体の収益を一人がピンハネしたりしても、個人に責任を求めたり、反省を強いたりはしません。共同体や集団の問題として扱われるだけ。原因を作った人は謝らない。反省もしない。共同体全体にダメージを与えたとしても決して謝罪なんかしない。
──日本の社会通念だと、単なる開き直りにしか見えません。
奥野:そうですね。感情や知識、さらには責任を共有するという彼らの流儀が最初はわかっていなかった。フィールドワークを始めた当初は「プナンは反省しない文化なんだ」と思っていました。
──そうではないんですね。
奥野:これは彼らの時間の捉え方とけっこう関わっています。つまり「今現在とここに生きている」ことがすべてというか。だから過去を振り返らないし、未来についても思い悩まない。それが徹底している人たちなんじゃないか、ということですね。例えば過去の概念に関していうなら、誰か身内が亡くなったとしても、生前の故人に思いを馳せるようなことはしない。故人の遺品は徹底的に処分するし、墓すら建てない。反対に、未来に対しても自己を投影しない。子どもに対して「将来、何になりたいの?」と聞いてもポカンとしていますから。
──確かに反省するという行為は、過去を振り返るということですものね。もう終わっちゃった過去は振り返らない。この部分に、知的好奇心を満たす以上の衝撃を受けました。すごく俗っぽく言ってしまうと、自分が抱えている日常的な悩みがすごくちっぽけなものに思えてくるというか。
奥野:大学の授業でこのことを取り上げると、学生らもかなり驚くようでいろんな意見が出てきます。「個人の責任追求ではなく、みんなが集まってどうしようか、というようなことを協議するのであれば、これはこれで共同体全体で反省しているんではないか」とか。
──改めて自分たちの社会を考え直す絶好のきっかけになりそうな気がしています。
過去を振り返らないから反省しないのか。共同体全体で反省するのか。
どちらかわからない。どちらにせよ、自己責任でがんじがらめの日本人にとって、彼らの生き方はまるで夢のようだ。感情は互いにシェアされ、反省しないことで精神的なストレスも生まれない。ゆえに鬱病や自殺もない。子育てすらもたくさんの大人でやるのが常。母親は子どもを預けて仕事することだってできるのだ。
島の辺境に暮らすプナンの人たちからすると、万事、自己責任を求められ、ストレスで苦しむ日本の生活こそが「極限」なのではないだろうか。
コロナ禍とプナンの関係は……?
──新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大以降、プナンは大丈夫なんでしょうか。彼らのような先住民は「感染症に弱い」という勝手なイメージがありますが。
奥野:確かに、森の中で暮らす彼らは感染症に対して非常に無垢です。そもそも狩猟採集の時代には感染症そのものが存在せず、その後、農耕民が出てきてから発生するようになったんですね。なので、ひとたび感染症が流行すると大変です。私が初めて現地に足を踏み入れる前年の2005年に麻疹(はしか)の大流行があったそうで、私の通っている共同体では13人、その隣の共同体では14人が当時亡くなったそうです。主に子どもや幼児が命を落としたと聞いています。
──果たしてプナンは新型コロナウイルス感染症を知っているのか、気になります。
奥野:2020年に3月に入ってから、懇意にしているプナンの男性から電話がかかってきたんですよ。彼らの集落から遠く離れた電波の通じる場所から。そのとき私は「3月の初めにそっちへ行くつもりだったけど、行けなくなった」と言いながら現地の状況について聞いたんですが、彼らは新型コロナ(ウイルス感染症)の発生を知りませんでした。
──彼らはラジオとかテレビは持っていない、ということでしょうか。
奥野:そもそも電気が通っていない。発電機でテレビを付ける人たちもいます。スマホはだいたい持っていますが、電話として使うんじゃなくて音楽を楽しむだけなんですよね。充電は近くの小学校で借りてという感じで。電話がないので、今どうなっているかわからないです。
新型コロナウイルス感染症が全世界的に猛威をふるっている現状を鑑みれば、プナンのような先住民たちが何の影響も受けないとは考えにくい。
しかし、彼らの無事を願ってやまないのは、奥野氏や筆者だけではないはずだ。その社会のあり様こそが、自然の中で生きることの尊さや、世界の深遠さを教えてくれるのだから。
写真提供/奥野克巳
書いた人:西牟田靖
70年大阪生まれ。国境、歴史、蔵書に家族問題と扱うテーマが幅広いフリーライター。『僕の見た「大日本帝国」』(角川ソフィア文庫)『誰も国境を知らない』(朝日文庫)『本で床は抜けるのか』(中公文庫)『わが子に会えない』(PHP)など著書多数。2019年11月にメシ通での連載をまとめた『極限メシ!』(ポプラ新書)を出版。