子どもの貧困率は全国平均で7人にひとり。その多くが、離婚し母親だけで子どもを育てる、いわゆる母子家庭だ。
今回の極限メシでは、国内の貧困に目を向けてみる。話を聞いたのは、貧困シングルマザーの支援を行うNPO代表の山崎ちぐさ(仮名)さん。彼女が活動する西日本の中核都市は生活保護が20人に1人、所得水準は周囲の府県の中でも低水準に留まっている。正確なデータはないが、シングルマザーの数も周囲の市町村に比べて多いと言わざるをない状況だ。
彼女はなぜ貧困家庭に手をさしのべるのか。「食料支援」を軸とした活動の中身はいったいどうなっているのか。そこからどんな現状が浮かび上がってくるのか──。
※プライバシー保護のため、取材対象者およびエピソード中の登場人物の個人情報は伏せてあります。ご了承ください。
支援先はSOSをくれたシングルマザーたち
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──実は私自身が関西出身で、木造モルタル造りの小さな住宅がひしめく密集地帯で育ちました。そのとき隣に住んでいた人たちは40年以上経った今もずっと繋がっていて、貧しい庶民同士の助け合い精神みたいなものが当時はすごくあったように思います。山崎さんの活動の動機もそれと共通したものがあるのではないでしょうか。
山崎さん(以下敬称略):そうですね。昔、近所にいたおばさんみたいな存在に私もなりたいというふうに考えています。煮物とかの料理を持って行ったりはできないけど、お菓子やカップ麺を送ったり。「子どもと一緒に開けています」とか返事が来たら私もうれしくなりますし。
──やっぱりそうなんですね。活動の拠点にされているNPOはいつ頃から始められたんですか。
山崎:NPOを立ち上げる前、児童養護施設で働いていました。そこには児童虐待を受けて保護されたり、両親が覚せい剤で逮捕されたりといった理由で育てられなくなった子どもが預けられていました。あるとき、「先生の家に行きたい」と言われて、あまりの不憫さに私自身が不安定になったり……。4年間の勤務で、本当にいろいろなことがありました。
──なるほど。そうした場所での体験が現在の活動の下地になっていると。
山崎:その通りです。それで、主な活動内容ですけど、ひとり親世帯への食材支援が中心で、今は約10世帯に月1万円以下分という、支援をさせていただいています。あとはご家庭の悩みを聞いて問題解決のために動くこともありますね。支援の希望をしてくださるのは、私のブログやSNSを見て「助けてください」とSOSをくれたお母さんたち。一回面談をさせてもらった後に支援を開始します。
過去を思い出すのが辛くて面談ができない
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──現在の支援先はどんなご家庭なんでしょうか。
山崎:約10世帯のうちほとんどは子どもが1人。喘息持ちのお子さんがいたり、お母さん自身がメンタルをやられていたり、それぞれが何かしら困難を抱えています。共通していえるのは、どの家庭も主に「不仲」という理由から実家とのつながりが切れてしまっているということです。
──確かに離婚後は実家の支援なしでは苦しいだろうなと思ってしまいます。お母さんたちの収入も決して多くはないでしょうし。
山崎:家庭の月収は7~12万円。子育て中で、この収入はやはりキツイですよね。本来ならば元のご主人から養育費をもらいたいところを、すべての世帯とも一銭ももらえていないのが実情です。父親と子どもとの面会も実現していません。
──養育費が払われないから面会させないのか、それとも離縁後、疎遠になったことで実現しないのか……。
山崎:別れた経緯については無理に伺ったりはしません。なので、はっきりとは申し上げられませんが、疎遠になっていることは間違いありません。個人的な経験から、養育費を支払っている人の方がずっと多いと思っていたんですが、逆なんですね。支払っていない人の方がずっと多いし、面会も実現せず縁が切れているケースの方が多いんですよ。
──私自身が子どもと別れて暮らしていますが、養育費も払うし、娘とはたまに一緒に過ごしています。とはいえ、そういったお話を聞くとたまらない気持ちになってしまうんですよね。
山崎:養育費の申請をお手伝いをするケースもあります。無料法律相談に同伴もしますし。相談者がお母さんひとりだと、ご主人のことを話すだけで、辛すぎて過呼吸になってしまうこともあったりするので。
──思い出したくない記憶をしゃべるのは誰だって辛い。
山崎:まさに仰る通りです。トラウマが重なるとなおさらそうなります。
生活保護打ち切りの理由は「貯蓄」
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──さきほど、各家庭の収入をお聞きする中で、月7万円という数字もショッキングでした。とてもじゃありませんが、生活が成り立ちませんよね。
山崎:そうですね。実際、そのお母さんには生活保護の受給申請を勧めたことがあるんですが、彼女は「以前は2年間生活保護を受けていた」と言うんです。その家庭には子どもが3人か4人いて、毎月30万近くもらえたので、受給前と同様に節約して、あまった分を貯金して暮らしていたと。そしたら、生活保護を止められてしまったそうなんです。「生命保険がかけられないので、何かあったときのために貯蓄していた」と説明したけどダメだったって。
──月30万が、いきなり0円に? それはあまりに酷な。
山崎:そのとき、保護課の担当者がひんぱんに家の中を見に来たり、子どもに「お兄ちゃんアルバイトしているのかな」と聞いてきたりして、お金の出入りを事細かくチェックされたそうで。彼女はそういうやりとりにほとほと嫌気がさしていたそうで、「切れてよかった」ってせいせいしていましたが。
──なんのための福祉なのか、と言わざるをえない。
山崎:あるご家庭は、ご主人が西洋人で、以前はご主人の祖国で暮らしていたそうです。でも、ご主人がまったく働かなくなって奥さんの稼ぎだけで家族が生活する状態になってしまった。それで子どもが立てるようになったころ、日本へ逃げて帰ってきたと。ただ、猛反対を押し切って結婚したせいか、帰国後は自分の実家には頼れなかったそうです。
──せめて養育費さえ受け取れれば……。
山崎:養育費以前に、そもそも音信不通なんですね。 離婚時に養育費はもちろん、誕生日やクリスマス、入学時などにまとまったお金を払うという取り決めをしたにも関わらず、最初の月に半分くれただけで、あとは連絡ひとつくれない。そんな感じだからでしょう。そのご家庭にキャラクターのふりかけを送ったところ、全部食べてとっくになくなっているのに、娘さんはその容器をずっと大切に持ってくれているって聞いて。こういうときに「やっててよかった」と思います。
そういえば先日もこんなブログ(下記リンク)がちょっとした話題になった。
ここでは児童扶養手当について言及されているが、こうした制度面がいかにシングル親家庭にとって命綱となっているかが、痛いほど伝わってくる。
子どもの貧困はすなわち親の貧困
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──いろんなケースがあるとはいえ、やはりパートナーとの関係性がひとつのポイントになっているような気がします。
山崎:支援しているうちのひとりは、ご主人に殴られて子どもと裸足同然で家から出ています。真冬の時期にですよ。実家までも遠い。そのお母さんから家を出た直後に連絡があって。たまらず「○○市に行けば母子寮があるよ」って教えたら、最終的にはそこに落ち着けました。彼女は志が高い人なので、「2年で(元の町に)戻る!!」と宣言して、実際戻りましたが、母子寮にいる他のお母さんは、どっぷりはまっているというか、ぎりぎりまで居ようという感じだったようですね。
──DV家庭に共通してみられる傾向があるとすれば?
山崎:共通しているのは「旦那さんの仕事が続かない」ということでしょうか。宅配の仕事をするために借金してトラックを買ったけども、結局続かなくて借金だけが残ったりとか。
──やはり経済的な苦境って大きな理由になるんですね。
山崎:子どもの貧困って、そのまま親の貧困なんです。子どもを助けてもお母さんに時間と経済面でのゆとりがなかったらダメ。月々の生活で精一杯なんですから。子どもたちの教育に対する投資とかを考える余裕がまったくない。
言うまでもなく、貧困とは「単にお金がないこと」ではない。自分の生活を省みる時間も気力もなく、ましてや改善する手立てがない状態のことだ。
子どもは常にサインを発信している
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──今、こちらの自治体ではそういう、貧しすぎて生活自体が困難な家庭ってどれくらいあるんでしょうか。
山崎:市が把握しているケースで困難な家庭が70世帯あるそうです。そのうちの8割がひとり親。学校とかから「毎日同じ服を着ている」とか、不登校になっているとか、子どもがお母さんの面倒を見ているとか、そういう情報で分かったりするようです。
──注意深く子どもを見ていると、やはり何かしらのサインを発していると。
山崎:ただ、意外ですけど、役所が今一番大変だって言っていたのは父子家庭なんですよ。奥さんが急死されて、あまりお金には困っていないんだけど、家の中がもうぐちゃぐちゃ。私たちが訪問すると「役所の頼りになんかなるか」って言われて拒絶される。だからうまくコミュニケーションをとれない。パンフレットを渡しても、一切連絡が来ない。で、子どもが学校に行ったり行かなかったり。
──それは経済的問題でなく、生活の質が下がったがゆえだと思いますが、いずれにせよ子どもの成長には影を落とすでしょうね。
山崎:問題を抱えた家庭の子たちに進学を諦めるケースが多いですよね。でも、子どもは「それでいい」って言うことも多い。お母さんが辛い思いをするのが嫌だからって。私はそれを直接聞いたとき、つい号泣してしまいました。
──環境はやはり大きいですよね。仮に富裕層の住む地域なら、名門校に通うのが当たり前になるわけで。
山崎:この地域は貧困家庭も多く、学力も低いんですが、ウチの市の意識調査によると、他の市区町村に比べて将来に夢を持っている子の割合は多いらしいです。これには本当に驚きました。やる気はあるのに、大人になっていくうちにそれがうまくいかなくなっていくんだなって。
学校給食が「唯一の栄養摂取」
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──ところで、今回いちばん聞きたかったのが、貧困家庭の子どもたちの食事環境や栄養はどうなっているのかということです。何を食べているのか、いやそれ以上に「ちゃんと食べているのか」の方が気になってしまいますが。
山崎:こういう家庭の親たちは働きづめで、帰りも遅い。だから夕食をしっかり作る余裕はあまりなくて、総菜を買って帰ることが多いんですね。自炊するのが一番安いし、内容面でも栄養面でも理想なのかもしれませんが、作っている時間がない。結果、節約することができない。その分、お母さんたちは、「あのスーパーでは惣菜が夜になると〇割引きになる」といった情報に関してはすごく詳しいですけどね。
──お得情報も大事だけど、たまには温かい手料理も作ってあげたらと思ってしまいます。
山崎:支援先のケースで、そこの子はもう高校生で時効だから話しますけど、小学生の頃は「給食で全部食べてきて。家に帰ってきてからも食べるものがないからおかわりいっぱいしてきて」と親から言われたそうです。ということは、毎日食事はお昼の1回だけ。給食がない夏休みとか冬休みはまったく食べられない。
──育ち盛りにとっては、これほどきつい話もない。
山崎:まぁ、そこまで極端な子はそういません。だけど、朝起きたときには、親はすでに働きに出てるから、ひとりで支度して学校に行って、家に帰ってきたら、母親が用意した惣菜を電子レンジで温めて、ひとりで食べて、ひとりで寝て……という、独居老人じゃなくて独居児童は把握しているだけで何人かいますね。心配なのは、そういう子の家が不良の溜まり場にならないか、ということですけども。
──発展途上国の飢餓と違って、非常に可視化されにくい部分でジワジワ状況が悪化していくような感じがしますね。つながりの欠如が引き起こす危機というか。
山崎:だからね、お金がないだけだったらそんなに貧困でもないわけです。実家とか友達とかとつながっていたり、近所のおばさんが「これ食べて」「お米届いたからどうぞ」とか声をかけてくれたら全然違うと思うんです。私が支援しているご家庭は実家とのつながりがないからね。中には毒親みたいなおじいちゃんおばあちゃんもいるだろうけど、そういう方は子どもとの縁が切れたまま孤独死するというケースもあるようです。
子ども食堂には恥ずかしくて行けない
▲山崎さんは、支援先の母子家庭にレトルト食品、カップラーメン、お菓子、お米、缶詰などを支援品として送っている ※実際の写真をいただいた上で編集部で再現
──ここ数年で「子ども食堂」という存在がメディアでもよく取り上げられるようになりました。こちらの近所にもあったりするんでしょうか。
山崎:いくつかあります。私自身は子ども食堂は直接携わっていないんですが、ときどきボランティアで手伝いに行ったりしているので、ある程度事情は知っています。どこも、運営方法はバラバラですね。子どもが無料で、大人が来る場合は200円とか300円取ってたりとか。普通の食堂の営業時間外の午後2時~5時にやっているところもありますし。一方で月1回というペースでやっているところもあります。
──運営は大変ですよね、やはり。
山崎:JAさんが余った野菜をそれぞれの子ども食堂で均等に分けていたりしますね。そういう寄付がないと確かに成り立たないとは思います。
──どんな子が子ども食堂を利用しているんですか。
山崎:全体から見たら利用してるのは経済的に困っていない感じの子が多い、というのが印象ですね。そこは親が恥よりも「タダだから」ってことで行かせるみたいですが。
──ということは……あんまり役に立ってない?
山崎:そんなことないですよ。実際、それで助かってる子もいます。私が知っている小学校高学年の男の子のケースがそうです。お母さんがずっと働いていて、起きたらいつもおにぎりが一個だけ置いてあって、親が夜帰ってくるまでそれだけで過ごさないといけないという。
──おにぎり一個では、明らかに足らないでしょうね。
山崎:もちろんです。だから、子ども食堂ができたおかげで、おにぎり以外にも食べられるようになったんです。そこは冬休み夏休みとか、給食のない休みの時期にやっているので、その子なんかはそこで食いつないでるわけですよ。
──なるほど。
山崎:その子には高校生のお兄ちゃんもいるんですが「お兄ちゃんも来ていいのかな」って店主に聞いて一緒に来たりとか、余り物をタッパーにつめて持たせたりしているようですね。ただ、食堂の人が「帰り道が危ないからついて行こうか」って言ったら、遠慮するみたいで。
──なんとも切ない。ただ、そういう親だったら、人様に頼るなとか恥かかせるな! とか言って怒りそう。
山崎:そうなんです。万事そんな感じで大人になっていくので、自己肯定感も育ちにくいし、学校ではどんどん落ちこぼれていく。
──山崎さんが支援するご家庭のお子さんは利用しているんですか。
山崎:勧めてみたんですが、「私は確かに困っているけど、そういうところには行きません」って言われて。どうしても恥だという意識が消えないみたいです。
支援活動の難しさを感じるとともに、どうにももどかしさを覚えてしまった。人様に迷惑をかけない、いわば「恥の意識」は確かに美徳ではあるものの、ときにより困難な局面を呼び込みかねない。親のプライドの犠牲になるのは、子どもたちなのだから。
依存を嫌う母親ですら食べ物は拒否しなかった
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──山崎さんご自身のお話をうかがえたらと思います。そもそもこうした活動を続けるのは、児童相談所での経験以外に、ご自身の生い立ちも関係あったりするのでしょうか。
山崎:私は母子家庭で育っていて、その経験はやはり原点になっています。両親は小学4年のときに離婚して、母の方に引き取られて。母親は絶対に人様に迷惑をかけることだけはしたくないっていう人で、生活保護は受けず、お昼の仕事と夜のスナックの掛け持ちで働きに出ていました。家計は苦しかったですね。中学のバレーボール部で必要なサポーターとかウェアが買ってもらえなくて、勝手にこっそり親の財布を開けてみたら500円しか入っていなかったことがあります。
──親の世代だと、やっぱり人に頼ることをよしとしないんでしょうね。
山崎:近所の人が、私や弟の「面倒を見とくよ」と申し出ても拒絶するくらいで。ただ、肉じゃがとかの惣菜を入れて持ってきてくれた分は喜んで受け取っていましたね。勤め先のスナックでもそう。一品料理のおばんざいみたいなものをカウンターに並べるようなお店だったんですけど、ママが里芋とかをタッパーに入れて持って帰らせてくれたりして。母親は喜んでもらってきて、私らに食べさせてくれました。
──父親との縁はそれっきり?
山崎:私は父親に会いたがったんですが、母親がなかなか許してくれなくて。23歳になってやっと再会しました。ただ離婚後、お酒とタバコを始めて、還暦近くで癌で急死したんです。亡くなったとき、父親のカバンには、私が送った年賀状が入っていたそうです。
──とすると支援活動を始めた動機は、自分自身の経験がやはり大きいんですね。
山崎:そうですね。生活保護を拒否し、他人に頼ろうとしなかった母親が、食材だけは受け取ったことがずっと自分の中にありました。それに私自身、勤め先のスナックとか近所のおばさんがタッパーにつめてくれた肉じゃがの味が忘れられなくて。それで私も近所のおばさんの代わりになれたらと思ったんです。
情弱に陥らないために
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──ご自身の体験から、食べ物の記憶が鮮明に残っているのがよく分かりました。
山崎:そのころ関わっていたフードバンクで起こったできごとにも背中を押されました。ある男性がやって来て「給料日まであと5日あるけど、食べるものも、それを買うお金もない。自分は食べなくてもいいが娘二人にはご飯を食べさせたい」って頭を下げたんです。当時のフードバンクは施設とか団体が対象だったんですが、相談員たちが話し合って、「これはいくらなんでも非常事態だから」と、とりあえず3日分の食材を提供したそうです。それだったら、個人に直接渡すのが効率的じゃないですか。
──明日食べるものがないという人間にとっては切実な問題です。
山崎:今後は食料支援の規模拡大とともに、お母さんたちを別の形でサポートしたいと考えています。「自分なんか変われない」とあきらめて新しいことにもチャレンジしない方が多いんですね。自信がないし、つながりもないし、情報もないから、ずっと同じ低収入の仕事をしてしまう。社会はドンドン変わっていくのに、お母さんたちは年収アップしないまま。これは本当にもったいない。だからスキルアップのお手伝いができたらと思っています。
──まさにそこですよね。情報に貧していることがすべての原因になっているという。
山崎:毎月食材を送るだけじゃなくて、貯蓄の方法とか、やりくりの上手な方法とか、生活で役立つ情報を提供できると理想的ですよね。
これからも貧困にあえぐシングルマザーの支えとなっていく。山崎さんの表情からはそんな強い意志がうかがえた。と同時に、彼女の活動もまたいろんな面でサポートや控除が必要なのではないだろうか。私も陰ながら、山崎さんの支えになりたいと思っている。
書いた人:西牟田靖
70年大阪生まれ。国境、歴史、蔵書に家族問題と扱うテーマが幅広いフリーライター。『僕の見た「大日本帝国」』(角川ソフィア文庫)『誰も国境を知らない』(朝日文庫)『本で床は抜けるのか』(中公文庫)『わが子に会えない』(PHP)など著書多数。2019年11月にメシ通での連載をまとめた『極限メシ!』(ポプラ新書)を出版。