行列のできるカレーの名店「curry草枕」
「こんなクソな仕事、さっさと辞めたい」
真面目なサラリーマンであればこそ、誰もが一度は口にしたことがあるこの思い。そして、頭の隅を横切る「好きなことで飯が食えたら」という心の声も。
新宿のカレー屋さん、「curry草枕」店主の馬屋原亨史(うまやはら りょうじ)さんは会社員からカレー屋さんに転身した脱サラ飲食店開業組だ。僕が馬屋原さんに興味を持ったのは、今年9月に馬屋原さんのブログを読んでから。タイトルは「開店10周年。趣味を仕事にする難しさ」。
開業2年で半数が消えるシビアな飲食業界で10年も生き残り、経営は順調そうだ。そんな評判な店のオーナーなのに、意味深なタイトルのエントリで心情を吐露する馬屋原さんに直接話を聞きたいと思った。会社を辞めてカレー屋さんを立ち上げた経緯やお店を続けるなかで見えてきたこと、そして、「趣味を仕事にする難しさ」とはどんなことなのだろう?
始まりは大学生時代の「カレー部」
馬屋原さんは、大阪生まれ茨城育ちの38歳。カレー屋さんの「カ」の字もない田舎町に住んでいた馬屋原少年にとって、カレーとはお母さんが作るお家のカレーであり給食のカレーだったという。
馬屋原:カレーは好きだったけど普通の男子中高生レベルの「好き」。でも、家族でスキーに行った時はカレーばかり食べていたし、受験の時も弁当は持たずに学食でカレーを食べてました。特にこだわりはなかったですけれどね。
そんな、馬屋原さんのカレー人生が始まったのは大学生時代だ。進学した北海道大学の学生寮には食堂がなく、寮生たちが当番制で自炊していた。そこにいたスパイスをそろえてこだわりのカレーを作る友人に触発され、見よう見まねでカレーを作り始めたのだそうだ。
馬屋原:寮では半年ごとに部屋替えがあり、各部屋では、例えば「寮内新聞を作る」とか、それぞれ趣旨を決めたんです。そのなかに「カレー部」があった。本気でやりたかったから「毎日必ず1食はカレーを食べる」「市販のルーは使わない」「外食はカレーのみ」とか決めて。
ストイック過ぎる活動内容が裏目に出たのか、馬屋原さんはのちに体を壊したらしい。日本のカレー史的に見ると、ちょうど札幌でスープカレーブームが始まる直前の時期だった。
満たされない会社員生活に降って湧いた転機
カレー三昧の学生生活を終えた馬屋原さんは、就活中に誘いを受けた空調設備関連の企業に就職する。
馬屋原:資本もあって待遇もよく、女性も長く働けるようなホワイト企業でした。でも、現場監督っていう職種が……。現場監督って100点取ってなんぼ。ミスのないことが前提で、そこからどれだけ利益を出すかなんですよ。それに、誰かに直接ほめられたり喜ばれる職種じゃなかった。
配属先の大阪でも、暇を見つけてはクセの強い個人経営のカレー屋さんを中心に食べ歩いていた馬屋原さんに、転機は突然やってきた。
馬屋原:「両親がスープカレー屋さんを開くから手伝ってほしい」と大学の後輩から相談されて、作り方をアドバイスしたり励ますことに。そのお店が大繁盛したんですよ。なにより楽しそうに仕事をしているのがよかった。自分の腕と裁量で仕事ができてお客さんに喜んでもらえる。「ごちそうさま」って感謝の言葉も付いてくる。「素晴らしい仕事だ。僕もやりたい」と思ってしまったんですね。
手伝ったカレー屋さんが繁盛したとはいえ優良企業の正社員という恵まれた立場を捨て、経営はおろかバイト経験すらなかった飲食業界に単身飛び込むのは無謀では? でも、馬屋原さんはそうは思わなかった。
馬屋原:札幌ではどのお店も適当。修行した感じは皆無で、店主がうまいと思うカレーを気ままに出していた。「カレー屋さんってそういうもんだ」って思い込んでたんです。会社を辞めてお店を開くのは怖かったですよ。ただ、仕事が忙しくて使う暇がなかったぶん貯金があった。そのうちの500万円でお店を始めてダメなら旅行でもして次を探せばいいやって思ったんです。若かったこともありますね。嫁も子どももいなかったし。
初月給は時給換算で50円
28歳だった2006年、馬屋原さんは新卒で3年勤めた会社を辞めて、新宿三丁目でcurry草枕を開業する。カウンター10席ほどの小さなお店だ。場所決めでは「人が多い」ことを第一に考えた。
馬屋原:僕のカレーはちょっと特殊だから、人のいない所では厳しい。札幌でやろうと思って学生時代に通ったカレー屋さんの人に聞いたら「スープカレーブームで最近はダメ。毎月10軒できて10軒つぶれる」という恐ろしい答え。当時住んでいた大阪も考えたけど、10年前は保守的な印象があって。だったら東京だなと。新宿三丁目にしたのは単純に人が多くて家賃が手頃だったから。お店の前に大きな木があったのはよかったかな。木を眺めてカレーを作ってなら飽きなさそうだから。
開業資金は貯金で賄い、会社員時代に培った空調整備の技術を駆使して、店作りは自分でやった。学生時代から作り続けてきたカレーの味にも自信がある。ところが開店してみると、最初の1年は「普通なら撤退してもおかしくないレベル」の散々な結果だったという。
馬屋原:お客さんが来ないから誰も雇えず、独りでカレーを作る毎日。お店は週休2日でも、なんやかんやで実際に休めるのは週に半日だけ。それなのに最初の2、3カ月は経費を引いたら2、3万円。時給に換算すると50円くらいですよ。半年経って10万円。1年でようやく20万円くらい自分の月給を出せるようになりました。カレー屋さんになりたくて始めたから、収入が減るのは仕方ないと割り切ってましたけどね。開店から2〜3年は金銭面より体力的にキツかった。買い出しと仕込みの時間を含めれば、1日13時間労働でしたから。
経営が順調でも心底安心することはない
口コミで客数は順調に増えて、手狭になった新宿三丁目のお店から二丁目にある現在のビルに移転。以降も草枕は緩やかな右肩上がりで成長しているという。「開店から10年で一番いいのは今」と言う馬屋原さんだが「全く売れなかった開業当時が頭にこびりついて離れない」とも言う。
馬屋原:「どうせお客さんは来ない、マーフィーの法則じゃないけれど、お米を炊いたらなおさら来ない」って、最初の2、3年で刷り込まれちゃった。昔の話と思えればいいけど、まわりを見ればつぶれていくお店はたくさんありますしね。わりとネガティブなんです。
高名なジャーナリストの田原総一朗さんでさえ、80歳を過ぎた今でも「明日仕事がなくなるかもしれない」という恐怖で夜中に目が覚めることがあるらしい。組織に頼らず一匹狼で食っていくことは常にそんな葛藤との戦いなんだろう。それでも「サラリーマンよりカレー屋さんのおやじのほうが全然いい」と思っている。
馬屋原:会社員時代はずっと胃痛に悩まされていたんです。ミスすれば人が死ぬような現場なのに、新卒のペーペーが仕切らされていたんだから当然ですよ。カレー屋さんになってからはそれがない。お店の移転の時はさすがに痛んだけれど。無事済んだのはお客さんとスタッフのおかげです。
草枕の “タマネギカレー” を食す
ここで、curry草枕のカレーの登場。試食に選んだのは定番の「チキン」(780円)と「海老とプチトマト」(980円)の2種類だ。10段階ある辛さのグレードのうち、チキンは3番(お店のオススメ)、海老とプチトマトは7番(馬屋原さんのオススメであり、お店のスタッフに一番好評)をチョイス。
まずはチキンから。スパイスの香りが鼻腔を突く。サラサラしたスープ状だがスープカレーとは違う。透明感のあるあめ色のつぶつぶはベースのタマネギ。curry草枕では小麦粉は使わず、タマネギのみでベースを作る。「ルーカレーでもスープカレーでもないから、仲間内では『タマネギカレー』と呼んでいます」と馬屋原さん。
ライスは北海道産の「大地の星」を使用。主にイタリアンやフレンチレストラン向けにリゾット、ピラフ、パエリア用として出荷されているらしい。ちなみに、馬屋原さんの大学時代の先輩が減農薬栽培で作ったものだ。
こだわりのカレー、いただきます!
ひと口食べると、エッジの効いた香りが口から鼻へと抜ける。脂をあまり使っていないせいか、さっぱりした印象。うまい。これならお腹いっぱい食べても胃もたれすることはなさそうだ。弱火で煮込んだというチキンは柔らかく、口の中でホロホロほどける感じ。辛さについて言えば、3番は爽やかな万人向けか。お店がオススメしているのもわかる。
次に、海老とプチトマトをいただく。海老はプルプル。火の通しかたが絶妙なのだろう。トマトをひとかみ。程よい甘さと酸味が舌に心地いい。
よくできてるなあ。辛さは7番で頼んだのだが、食べた瞬間は3番との大きな差は感じられない。が、後から波のようにやってきて、額から噴き出す汗。とはいえ、辛いもの好きの人ならまだま余裕だろう。個人的には辛さ7番にチーズ(120円)をトッピングしてコクとマイルド感を足すというのがベストだと思う。ただし、デートの時は3番あたりに抑えたほうがよさそうだ。
そこで、自家製ヨーグルトをベースにしたラッシー(250円)を一飲み。甘さ控えめの爽やかな味わい。カレーの辛さをいいあんばいに緩和してくれる。
好きなもので飯を食うのは意外と辛い
カレーに夢中で、肝心なことを忘れていた。ブログに書かれていた「趣味を仕事にする難しさ」とはどういうことなんでしょう?
馬屋原:仕事となれば経営やお金のこととか、いろいろありますよね。一番好きなカレーが、自分と社会の手あかにまみれて色あせていくのは辛い。それと、驚きがなくなった。プライベートで他所のお店に食べに行っても、レシピも作り方も想像できちゃうんですよ。そのうえ「あのスパイスを入れたらアクセントがつく」とか「自分ならこう作る」とかって機械的に考えちゃて、カレーそのものを純粋に味わえない。カレーマニアにとってこれは本当に辛いことなんです。
わかる気はする。でも、大好きなカレーでお客さんに喜んでもらえてお金も残る。支えてくれるスタッフがいて時間の余裕もできた。これってものすごく幸せなことでしょう?
馬屋原:確かに今は幸せです。幸せなんだけれど……。お店を始めた頃はエキサイティングでしたよね。不動産の契約も内装も自分で決めてカレーのアイデアを練って、「お客さん来るかな、来るかな」ってハラハラして。ドーパミンが出てむっちゃテンション上がります。経営ってそういうものらしいですよ。ニトリの会長も「経営にはスリルが必要」って本に書いてたし。それが今みたいに安定してくると……ぜいたくな悩みだってことはわかってるんだけど。
好きなことで飯が食える=100%ハッピー、ってわけにはいかない。人生ってヤツは何かにつけてトレードオフで、一筋縄ではいかない男と女の関係みたいだ。出会った頃は何もかもが新鮮で、10年連れ添う間にいい関係も築けたし今でも愛していることに変わりはない。けど、どこか虚しい。ドキドキが足りない。いや、男としてこんな幸せはないってわかってるさ。だけど、だけどね……。
馬屋原さんが考える「続くお店」と「続かないお店」
「10年で1割しか残らない」という激しい競争下でcurry草枕が生き残ってこれた理由を、馬屋原さんはどう考えているのだろう?
何か秘策があったのか?
馬屋原:もう一度お店に来てもらうにはどうすればいいのか? 2度め来てもらえなくてもまわりの人に、「あそこのカレーはおいしかった」と言ってもらうにはどうしたらいいのかを、常に考えながらやってきた結果10年続いたのだと思います。
馬屋原さんのリピーター作りの秘策の1つは、カレーそのものにある。curry草枕で出しているカレー7種類のベースとスパイスは同じだが、10段階ある辛さのグレードを変えることで味の印象がガラリと変わるように設計されている。つまり、単純計算で70通りの味が楽しめるわけだ。
馬屋原:僕のカレーは、1回食べただけだとよさがわかってもらいにくいと思うんですよ。コクはないし脂が少ない。スパイスだけがとがっていて、そういうのが好みの人以外には受け入れ難い味だと思う。なので、何度か食べてから判断してほしいんです。
ラッシーのサービス券を付けているのも対策の1つ。ラッシー目的でもいいのでもう1〜2度来てもらえたら、よさをわかってもらえるんじゃないかと。あとは食後の印象。特に辛いカレーの場合、食べ終わった後に体が反応するらしいです。家に帰ってから「あそこのカレーは、うまかったような気がする」って。
一方で「1、2年で廃業を余儀なくされるお店には、1つの傾向がある」と馬屋原さんは言う。
馬屋原:飲食店っていろいろな要素でできていますよね。味や値段、接客に立地、他にも清潔さとか。そのどれかに大穴が開いているお店は大体つぶれています。他のジャンルと違い、カレー屋さんは味さえよければ立地の悪条件を吹き飛ばせる。でも、それ以外の要素で、お客さんとしての僕自身が我慢ならない所のあるお店はつぶれていますね。
飲食店で独立したい読者の皆さんへ
将来飲食での独立を考えている読者は少なくないと思う。そこで、馬屋原さんに具体的なアドバイスをうかがってみた。
馬屋原:自分のやりたいジャンルのいいお店をできるだけ多く食べ歩いたほうがいいです。優れた先人のマネをする所から積み上げていくのは人類史的に続いてきたスタイルだから。正直な話、新しい発明なんてできないですよ。
同時にマネしたくない悪い所もたくさん見ること。いろいろなお店のいい所と悪い所を見てその理由考えていくと、自分にとっての理想のお店が見えてきます。僕自身が面倒くさがりでぐうたら。最短で行きたいタイプなんで。先人の知恵を利用するほうが効率がいいですよ。
とんでもない。厨房に立ってキビキビ仕事をこなす馬屋原さんに「ぐうたら」なんて言葉は似合わないっす。
馬屋原:ぐうたらを極めようとすると、皮肉にもどんどん真面目になるんですよ(笑)。本当はもっとダラダラいきたい。自戒の意味も込めて「今年はもうちょっと純粋に、単純に、あんまり考えずにカレーを楽しんでいきたい」ってブログに書いたんです。
カレーで金持ちになろうとは思わない
最後に、開店10周年を迎えて今後、curry草枕をどうしていきたいのかうかがってみた。
馬屋原:「次は2号店」とかってまわりからは言われますけど、僕自身はこのお店だけで十分。カレー屋さんになりたかっただけで飲食企業のオーナーになって億を稼ぎたいとかじゃないから満足なんですよ。お客さんを待たせたくないから移転したのに、最近は階段の下まで行列ができることがあるので、お店を広げることはあるかもしれません。
あと、従業員にできるだけいいお給料を払いたいから、細かい所の効率化は進めたい。カレー屋さんだからそんなに高い時給は無理だけど、ちょっとはいいお給料を出したいと思っています。
カッコよすぎるぜ、馬屋原さん。
飲食の素人ではあるが、今回の取材を通して感じたcurry草枕が10年続いた理由を僕なりに考えてみた。
第1に、当たり前だけど、タマネギベースでスパイスのとがったオジリナリティーのあるカレーそのもののおいしさ。第2にホスピタリティー。馬屋原さんは、お客さんとしての自分が嫌だと思うことはやらないし、気付いたら改善する。第3は「金より愛」に重きを置いた経営スタイル。大好きなカレーを作ってお客さんを喜ばせ、従業員や出入り業者などの協力者にもマメに配慮する。
結果的にだけれど、これって「三方良し」(「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」)っていう近江商人の心得と一緒。突き詰めれば、どれもが馬屋原さんの人柄からにじみ出るものなんだけれど。
とかいうふうにあれこれ考えると、馬屋原さんじゃないけれど、肝心のカレーに集中できなくなるので読者の皆さんがcurry草枕に行った際には一心不乱にカレーを味わってくださいね。
開店10周年、本当におめでとうございます!
お店情報
curry草枕
住所:東京都新宿区新宿2-4-9 中江ビル2階
電話:03-5379-0790
営業時間:11:30~15:00 18:00~21:00
(ラストオーダーは閉店20分前。売り切れ仕舞いの場合あり)
定休日:無休
撮影:Alin Huma
書いた人:渡邊浩行
編集者、ライター。アキバ系ストリートマガジン編集長を経て独立。日本中のヤバい人やモノ、面白い現象を取材するため東へ西へ。メシ通で知ったトリの胸肉スープを毎日飲んでるおかげで、私は今日も元気です。でも、やっぱりママンの唐揚げが世界一だと思ってる。