
給食には、切ない思い出がある。
僕は食べることがとても遅く、「反芻してるのか」「胃が4つあるのか」「トータル、牛か」と級友に責められるほどに、ゆっくりゆっくりと給食を噛み続ける子どもであった。
みんなが早々にごちそうさまをしても、僕だけがいつまでも給食を片付けることができず、そうこうしているうちに掃除の時間が始まり、机を教室のうしろへと移動させられ、そこでひとり、級友たちが床を掃く姿を見ながら、ぽつんと終わりの見えない給食と格闘していた。
「食べ終わるまで、そこを動かないこと」
担任の教師の言葉が、耳に刺さる。
焦りで胸が詰まり、涙をこらえながら食べる給食は、味がしなかった。ボロボロとこぼれる揚げパンの砂糖に、どこからともなく蟻が群がり、みじめな気持が募った。
いまでもあの給食の日々のことを思うと、痛みを感じる。
「ああ、たべるってなんて楽しいんだろう」。そう思えるようになったのは給食からの呪縛が解けた、青春の終りの頃であった。教室という閉じた世界から解放され、どんなにゆっくり食事をしようとも、それを誰かに責められることなどないゾーンをようやく手に入れた。
こうして一応、大人になった僕だが、3年前から、鳥取県に半移住している。
月のうち15日間ほどは東京で打ち合わせや稽古などをし、残りの半分は鳥取の作業場で執筆などの作業をしている。元来、昆虫が好きで、ある日突然に「東京には虫がいない」と智恵子抄みたいなことを思い、自然豊かな鳥取県にひとつ、作業場を持つことを決意した。
いつまで続くかなと思ったが、こうして3年が経ち、タマムシなどが迷い込んでくる作業場でキーを叩く日々を過ごしている。
作業場は、鳥取県の山奥の、住民90人ほどのちいさな村の中にある。
鳥取に来るときはいつも仕事を抱えており、そのまま作業場に閉じこもってしまうのが常なので、近所の人とはほとんど面識がない。仕事が終われば、いつもすぐさま東京に帰ってしまうので、村の人から「あの家にはモノノケが住んでいる……」と噂されてもしかたのないほどの、謎の存在となっている。
そんな、ある日のこと。
いつものように東京からの宿題を持ち込み、鳥取の作業場で仕事をしていると、ポストの音がなった。
なんだろうと、その投函された紙をみると、それはこの作業場がある集落の、地域運動会のお知らせであった。1週間後、近所の小学校の体育館を借りて、地域住民による運動会を開催する旨が書かれていた。
よい機会だ、と思った。
3年も経つのに、いまだ集落の人たちに挨拶もきちんとしていない。ここはひとつ、この地域運動会に参加し、自分の存在をアピールしよう。こうして僕は、参加を決めた。
そしてやってきた、1週間後。
体育館には、続々と集落の人々が集まってきた。
見たところ、過半数が60歳オーバーのご老人。そして残りも、50歳周辺の中年ばかりで、今年31歳である僕と同年代は見当たらず、子どもたちが数人いるだけであった。
おやおや。
これ、僕、この運動会で、目立ってしまうのではないか。
若さというアドバンテージだけで活躍してしまうのではないか。
「東京からスポーツヒーローが現れたで!」
「若さの躍動だで!」
「ママ、僕、あの人みたいな大人になりたいけえ!」
鳥取弁で口々に僕を称賛する声を想像し、僕はひとり、半笑いを浮かべた。
運動会は、紅組・白組・黄色・青組の4つのチームに分かれて行われる。僕は青組へと振り分けられた。
開会宣言が終わると、体育館内はすぐさま熱狂に包まれた。大縄跳び、玉入れ、借り物競争。思っていた以上の白熱がそこにあり、みな額に汗を浮かべ競技に参加し、声を嗄らして自分のチームを応援している。
その様子を見て、ふとしたことに気がついた。年に一度のこの地域運動会は、ただの健康促進のためのイベントではない。急速に過疎化に向かうこの集落の中で、いま何人の人が生きていて、何人の人が去ったのか、それをみんなで確認するための場でもあるのだ。
そして、それはコミュニケーションの場でもある。たった90人ほどしか住んでいないこの村には、居酒屋などといった気の利いたものなど、存在しない。そこで、コミュニケーションツールとして、運動会を開催しているのだ。昔、誰かに「100回飲み会をするよりも、1回キャタピラリレーを一緒にするだけで、人はぐっと仲良くなれる」という話を聞いたことがあったが、事実その通りで、僕は運動会に参加して間もなく、同じチームの人と肩を組んで応援歌を歌うようにまでなっていた。共有感が、ハンパなかった。
地域運動会に参加してよかったと、心から思った。
運動会はつつがなく進行し、紅組と、僕の所属する青組との接戦となった。その下では黄組・白組が逆転優勝を狙うべく、虎視眈々と控えている。
最後の競技は、「メドレーリレー」だった。
見た限り、僕より若い青年はこの体育館にはいない。青組を優勝に導く男となるべく、僕はここぞとばかりにアンカーへ立候補した。
審判から、競技の説明がある。
「第1走者、第2走者、第3走者は、1周したら次の人にバトンをつなげてください」
なるほど。
「そして、アンカーの人だけ、コースの真ん中に置いてある豆腐を一丁、食べてください」
え?
豆腐を食べる?
それ、誰が得するの?
まさかの説明に、前にいた第3走者のおばあさんに尋ねた。すると、このメドレーリレーのハイライトこそアンカーが豆腐を食べるパートであり、いかに早く走ったからといっても、豆腐で足止めを食らう可能性もあるので、とにかく若さとガッツで乗り越えてほしい、的なことを言われた。
多少、動揺はあったものの、相手はあの豆腐である。そんなもの、飲み込むように食べてしまえば、一瞬で消すことができるであろう。
そう高を括り、僕は豆腐を食べるイメージトレーニングをすることもなく、自分のもとへバトンがまわってくるのを待った。
青組のバトンは、ぶっちぎりの1位で、僕のもとへとやってきた。第3走者のおばあさんは目を白黒させながら、僕へとバトンを託した。
さあ、ついにこの集落に名を轟かせる瞬間が訪れた。
こんにちは、みなさん! 僕は、怪しい者ではありません! いつも集落の日陰を歩き、みなさんが農作業しているその合間も作業場にこもっていやらしい文章を書いている人間ですが、けっして害のある者ではありません! さあ、みなさん、僕の爽やかな走りを、ご覧ください!
勢いと共に、半周を走る。するとそこに、豆腐が一丁、パックに入ったまま、置かれていた。出たな、豆腐よ。すぐに成敗してくれる。ビニールのふたをはがし、箸で一気にそれをかきこむ。
ものすっごく、食べづらかった。
豆腐の一気食いというのは、やってもらったら分かると思うが、非常に飲み込みづらい。なんというか、ノドを上手く通ってくれないのである。
焦って箸でぐちゃぐちゃに混ぜ、流動食にして飲み込もうとするのだが、むせてしまい全然減らない。そして、混ぜれば混ぜるほど、なぜか量が増えていく。
そのうちに、紅組たちも僕に追いつき、各者一列になって豆腐をすすりだした。これは全員、ここで足止めを食うぞと思いきや、僕以外の3人は、まるで魔法のようにするするすると豆腐を食べ、あっという間に走り去ってしまった。
全員が、ゴールテープを切った。青組の最下位は確定し、僕はひとりコースの上に取り残されたまま、豆腐と対峙することになった。
「……がんばれー!」
全然減らない豆腐をすすっている僕に、突然、応援の声が飛んだ。
「がんばれー!」
「ゆっくり、ゆっくり!」
「もうあなたひとりなんだから、焦らず食べて!」
組の境を越え、集落のみんなが一丸となって、僕のことを、応援してくれている。
生まれも育ちもしていない、山陰の地で、見ず知らずの人たちに注目されながら、ひとりで豆腐を食べる。
死ぬほど、みじめだった。
あの小学生の頃の給食の悪夢を思い出しながら、無我夢中で豆腐と格闘する。
「あーあ、あれ、混ぜちゃったんだ」
「豆腐は混ぜると、水を吸って量が増えるのよねえ」
そんな声が聞こえてきた。なぜ、最初にそれを教えてくれない。
「お兄さん、がんばってー!」
幼稚園児の声も聞こえた。
涙目になりながら、口の中を豆腐いっぱいにする。
まだ、半分も残っている。
とたん、口の中の豆腐が「ぶっ」と噴きだす。
「あーあ……」
引くような声が周囲から漏れる。
3分経過。
5分経過。
8分経過。
「がんばれ~……」
「大丈夫だよ~……」
「つらかったら醬油を貸すよ~……」
完全に応援にも飽きたみんなの、優しさが、痛い。
もう、ダメだ。
ついに僕は「すいません、これ、家に持ち帰って食べてもいいですか……?」と諦め、会場いっぱいの「ああ、これでやっと家に帰れる!」的な拍手に包まれながら、食べ残しの豆腐パックを片手に、ゴールテープを切った。
「大変だったね」
「豆腐って、食べづらいでしょう」
「オレたちはもう何十年も毎年あの競技やってるから、混ぜないで塊のまま飲み込むメソッドがセオリーなんだけどさ、はは、そんなのわかんねぇよなぁ」
体育館から作業場へと戻る道すがら、村の人たちが優しい声をかけてくれた。
僕は、嬉しいような、恥ずかしいような、なんだか寂しいような気持ちになった。
「Tシャツの裾のところに、口から噴いた豆腐の跡が残っている中肉中背の男に優しくしてくれてありがとうございます。よろしければ、これからも仲良くしてください」
そんな言葉も言えぬまま、作業場に戻ると、荷物をまとめ、東京へと逃げるように帰ったのである。
その豆腐は、新幹線の中で、おいしくいただきました。



