
その日、僕は編集者の北尾修一さんと打ち合わせのため、東京都内・恵比寿に来ていた。北尾さんは、カルチャー誌である『クイック・ジャパン』元編集長であり、日本のユース・カルチャーに精通している人物。昼メシでも食べながら打ち合わせをやりましょう、と呼び出されたのだった。
指定された「マリデリ」という聞き慣れないお店の場所をネットの地図で調べて、僕は少し驚いた。なぜならそこは、「エンジョイハウス」というクラブのスペースだったから。実は以前一度だけ、その場所で僕がDJをやったことがあったので、クラブであることは建物に入る前から知っていた。
ん、クラブで打ち合わせ?
そもそも昼間っからやってるのか(んなわけないハズだが……)

▲JR山手線恵比寿駅の西口から信号を渡ると、やがて2、3分ほどで五差路にたどりつく。「マリデリ」はこのすぐそばにある
多少の不安がありつつも、その日、北尾さんにプレゼンする企画のことで頭がいっぱいで、昼メシのことなどは忘れていた。
果たして、たどり着いた場所はクラブではあったが、クラブではなかった。
どういうことかと言うと、場所自体は「エンジョイハウス」という以前から知っているクラブなのだが、ドアには「マリデリ」という看板が掲げられており、昼間限定で空いているお店ということらしい。

▲この建物の2階に「マリデリ」がある
お店のドアを開ける。

北尾さんは先に入って待っていた。
僕が席に座るなり、「ぜひ、まりさんのブッダボウルを体験してみてよ」と北尾さん。
ブッダボウル!?
わけもわからず注文して出てきたのがこれだ。

▲ブッダボウル(Mサイズ 1,000円)
一目でほれ込んでしまった。あたかも孤島のような、いや小さな宇宙というべきか。ひとつの皿の中で完璧な秩序というものが存在している。
目がくらむほどビビッドな野菜の色と、盛り付けの美しさ。それらが食欲を刺激してくる。
ヴィーガン料理でありつつ飽きさせない
思えば昔から進んで逆張りをするような人間だった。
みんなが右といえば、自分は左へ。ま、ライターなんてそんな天の邪鬼ばっかりなのかもしれない。神田桂一の名前を世間に知らしめる大きなきっかけとなった『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』も、そんな性格の産物に他ならないが、これ以上は話が長くなるのでやめておく。
ただ、昨今のグルメサイトにおける「肉偏重主義」にはちょっとした反発を感じていたのは確かだ。その証拠に、こう見えても僕は結構昔からヴィーガン料理が大好きで、いろんなお店を食べ歩いてきた。確か『メシ通』でもいま住んでいる東京・高円寺のお気に入り店を紹介させてもらったはずだ。
そんな僕をしても、このブッダボウルは視覚だけで十分酔わせる魅力、いや魔力を持っている。

さっそく一口食べてみる。なんというか、しびれる……!
なんなんだろう、これは。
聞けば、入っている野菜20種類近く。ひとつひとつの食材にあった調理が施されているという。

▲この花はナスタチウム(キンレンカ)といって食べられる花なのだ。ちなみに、花言葉は「愛国心」(!)
オシャレぶったおいしくないヴィーガンプレートが世にあふれる昨今、これは町中華のチャーハンのようなヴィーガンプレートというか。ずっと飽きさせず、食べ終わるまで箸を置かせない(実際にはスプーンだが)魔力を持っているのだ。
だからといってそっけないわけではなく、ちゃんとオシャレだから憎らしい。
僕は5分くらいで一気に食べきってしまった。調子にのって、マサラソーダというよくわからないドリンクも頼んで、飲んでしまった。これは飲んだら少し舌がしびれる刺激的なソーダ水。ブッダボウルとの相性は抜群だ。

▲「マリデリ」のあるお店は、夜営業は「エンジョイハウス」というクラブになっている。そのため、奥にはご覧のようなダンスフロアが(昼間はこんなギラギラしてないけど、撮影のためにつけてもらった)
そんな僕を見ながら北尾さんは、うんうんとうなずいて……いなくて、まったく見ずに一心不乱にブッダボウルを食べていた。
彼だけじゃない、そのとき店内には意外にも男性客のおひとりさまが数組いたのだが、みんな貪るようにブッダボウルを食べていた。
みんな、野菜を求めてきてるんだろうか。その姿に不思議な連帯感すら覚えた。
ちなみに、北尾さんはこのとき、すでにブッダボウルを自ら経営する「百万年書房」で本にすることを決めていたそうだ。
とにもかくにも、僕のブッダボウルとの出合いはこうして始まり、すっかりハマって、今に至る。
店主は超評判のパン屋さん出身
後から知ったことだが、ブッダボウルはもともとアメリカ西海岸で生まれたのだそうだ。ヘルシーで栄養バランスが優れていることから、流行好きなクリエイターやファッションモデル、セレブの間で話題になり、一気に広まっていったのだという。
ブッダボウルを直訳すると「仏様の器」。仏教のような寛容さを持った、何でもアリなサラダボウルということだろうか。
そんなブッダボウルを味わせてくれる数少ない日本人が、この「マリデリ」の店主、マリさんこと前田まり子さんである。

マリさんは、マリデリを始める前、神奈川県の葉山で「カノムパン」という知る人ぞ知る伝説的なパン屋さんを13年もの間、切り盛りしていた(現在は鎌倉に移転)。
今でこそ当たり前になったが、当時は珍しかった天然酵母を使ったパンは大評判で、全国から通販の注文も絶えなかったという。
マリさん:「パンの通販自体もまだ珍しかったんです。送ってない県はないんじゃないかなっていうくらい全国からオーダーをいただいていましたね」
その他、ケータリングや料理教室、またフードアーティストとしてテレビやラジオなどでも頻繁にとりあげられ、店は葉山でも有数の繁盛店となった。
マリさんのパンをこねる手は、ゴッドハンドならぬ「ブレッドハンド」と呼ばれていたそうだ。なぜか彼女がこねるとおいしいパンになる、と。こねる手によって味が違うなんて素人にはなかなか信じがたいが、他の人にはまったく再現できなかったという。

▲マリさんの手には魔法の菌が宿っているとしかいいようがない
マリさん:「葉山での生活はとても楽しいものでした。何かを一心不乱に打ち込んでやれたというのは自信にもつながったし。パン屋さんって重労働だから肉体的にはぼろぼろになったんだけど、精神的にはとても安定していました。でも徐々に東京に戻りたいなという気持ちが芽生えてきて」
みんな野菜を求めていた
全国のパン好きがこぞって詣でるほどまでなった葉山の「カノムパン」。そんな評判店をマリさんはあっさりと手放し、葉山から東京へ戻ってくる。
マリさん:「葉山から東京に戻ってきて、最初は友人のお店のお手伝いをしていました。その後、広尾にある知人のお店を間借りして、まずお弁当屋さんをスタートしました。ただ、売れ行きはそこまで芳しくはなくて。それでなんとかしようと思ってお弁当のメニューを自分の得意なヴィーガンプレートに変更したんです。そうしたら、がぜん手応えがあって。それで、思い切ってお店としてやろうと思ったんです」
お弁当の中身をガラリとヴィーガンメニューに変えた途端、がぜん売れ始めるというのも、なんだか東京っぽいし、今の時代だなぁと思う。
神田のような人間は、東京にいたるところにいたのだ。

新たにオープンするお店の場所は、土地勘があって大好きな街の恵比寿に決めた。ちょうどクラブのスペースが昼間遊んでいることで営業させてもらえることになったのだ。
看板メニューは、もちろん「ブッダボウル」。
こうして2017年の8月1日、「マリデリ」がオープンした。

▲マリデリの店内。異国のレストランのような雰囲気が好きで訪れるお客さんも珍しくない
マリさん:「ブッダボウルはアメリカ発祥のもの。いろいろ由来はあるんだけど、なんといっても名前がキャッチーでしょ? これはいけると思って。私も得意な分野の料理だし。野菜がおいしく食べられるといううわさを聞きつけて、始めてすぐ、お客さんがちょこちょこ来てくれるようになったんです」

▲旅好きなマリさんはこれまでいろんな国を訪れる上で、その土地で吸収してきた文化や料理の集大成がブッダボウルになっている
引き算型のシンプルな料理
見た目のインパクトから意外に思われるかもしれないが、マリさんの料理はいわば「引き算タイプ」。素材の良さを最大限に引き出すため、非常にシンプルな料理法で作られている。
マリさん:「ブッダボウルにしても、手の込んだ処理や面倒なことはしていないので、どれも一般家庭の台所で作れるレシピばかりなんですよ」

▲「マリデリ」、ある日のメニュー。基本的にはブッダボウルの中身は日替わりだ
冒頭に登場し『ブッダボウルの本』を編集した百万年書房の北尾修一氏はこう語る。
「最初にブッダボウルを食べたとき、これまで経験したことのないおいしさに最大級の衝撃を受けました。1998年に宇多田ヒカル『Automatic』のMVを初めて見たときと同じくらい驚愕(きょうがく)したんです。今はまだ名の知れない存在だけど、これが大人気にならないわけがない。そう確信しました。ブッダボウルは身体の不調なときだけじゃなく、心が不調なときも食べたくなる。そもそも外食でそんな料理って他にあんまり思い当たらないじゃないですか」

▲『ブッダボウルの本』(前田まり子著、1,480円+税、百万年書房 刊)は今年7月17日に発売された
そう、体が弱ってるときも、心がマイってるときにも、どっちも絶好調なときにも。
「ブッダボウル」には、僕の人生に必要な野菜がたんまりつまっている。いや、大げさじゃなくて。

お店情報
住所:東京都渋谷区恵比寿西2-9-9 2F
電話番号:非公開
営業時間:火曜日〜金曜日 12:00〜15:30
定休日:土曜日、日曜日、月曜日、祝日
営業日、営業時間に関する詳細はTwitterを参照してください
書いた人:神田桂一

ライター/編集者。『POPEYE』『スペクテイター』『ケトル』などカルチャー誌で執筆したり、Yahoo!特集でルポルタージュなども。近著に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(共著、宝島社)など。



