定食屋さんのメニューにあるとつい食べたくなる「西京焼き」。西京焼きとは、もともと京都で作られる甘味の白みそに、みりんや酒などを加えて魚をぬか漬けにした「西京漬け」を焼いたもの。ファンの多い魚料理ではあるが、ちょっと値段がはるし、家で食べるには手間がかかる。かといって惣菜として買うにはこれまた値が張る。
そんなわけでなかなか普段食べる機会に恵まれないこの食材を、わざわざ専門店とまで銘打っているお店を都内に見つけた。敷居の高い銀座でもなく、おしゃれな風吹く表参道でもなく、ここ高円寺だ。
西京焼きと聞いてイメージする京都ならではの本場感は、ここ高円寺のお店にはない。それどころか、ごく手軽にリーズナブルな価格で食べられる豊富な種類の西京焼きが、僕のような単身住まいの人間にとってもっとも親しみのある「定食」という形で提供されているのだ。
西京焼き専門の定食屋さん──。なんともレアで、魅力的ではないか。
定食の主役は「西京焼き」
お店の名は「魚き食堂」。
▲お店の最寄り駅は東京メトロ丸ノ内線「新高円寺」。青梅街道沿いにある
なにはなくとも、筆者のイチオシをご覧いただきたい。
王道の「銀だら西京漬け定食」だ(1,250円、写真下)。
じっくり焼いた香ばしい銀だらを囲むように、3種の小鉢が脇を固めている。
ごはんは大盛無料。味噌汁はしっかり出汁を取った赤だしだ。
どうだろうか。このお膳の中に、きわめてシンプルながらもひとつの完璧な世界が形成されているように思えてならない。大げさじゃなく、日本に生まれて良かったと心から感じる絶景なんじゃないか。
▲銀だらの、ふっくらとした歯ごたえがたまらない
もうひとつハズせないのが、この「銀ムツ西京漬け」(定食1,000円、写真下)。
▲銀ムツのほどよい弾力と甘さ、味噌のほのかな塩気があいまった味わいで、白米をかきこむ手がとまらない
肉派の人にもすすめたい
西京焼きにそれほど執着がないという人にも、このお店をおすすめしたい理由がある。
それが鶏肉メニューだ。たとえばこの3種盛定食(1,250円、写真下)。
▲左から、銀しゃけ昆布醤油漬け(本来はサーモンハラスが取材時に切れていたため変更)、カレイ西京漬け、鶏モモの旨辛味噌漬け。どれもしっかりした味漬けでごはんが進みまくる
さらに、納豆や生卵、ソーセージといったオプショナルアイテムも。単身者のニーズにガッツリ応えようとする姿勢が頼もしい。
▲万一、白米が余ってしまってもノープロブレム。フィニッシュするためのアイテムがちゃんと用意されている
実家はロケ弁界のチョー有名店
店内はカウンターのみのこじんまりとした造りで、店主がひとりで切りもりしている。森大樹さんだ。
▲少年のようにはつらとした森さん
森さん(以下敬称略):実家が代々木上原にある仕出し弁当の「金兵衛」なんです。小さい頃から、銀ダラの西京焼きなんかにすごくなじみがあったんですね。でも、あくまでお弁当という形で提供しているので、通常は冷めた状態じゃないですか。これを焼きたてで出したらもっと美味しいんだろうなぁというのはずっと考えていたんです。
映画やテレビなどの映像関係、芸能方面で働く人間で「金兵衛」の名を知らぬ者はいないだろう。いわゆる「ロケ弁」の中でも圧倒的な知名度と、高い人気を誇る名店である。それだけに「実家が金兵衛で……」と軽くおっしゃるので、驚いてしまった。しかし、同じ飲食業界とはいえ、あれほどの実家を継がずにこんな形で独立されているとは。
森:10代の頃、実家近くのデパートの中にある飲食店で働き始めたのが、最初の飲食業の経験です。その後は留学したり、芸能事務所のスタッフやったり、IT業界に就職してみたり。飽き性なこともあっていろいろ経験したんですけど、結局は実家で働いてた期間がいちばん長かったですね。ただ「継ぐ」というのは考えなかったです。
本格的に飲食業で独立しようと思い立ったのは今から5年ほど前。そこからいくつかの飲食店で修行を重ね、2018年春、多くの飲食店がひしめく高円寺にこの「魚き食堂」をオープンさせた。
▲火加減も命。お客さんを待たせすぎない時間で、ふっくら焼き上げる
あえて「サワラ」を扱わない理由
ここで森さんに専門店にした経緯や、西京焼きへの考えを語ってもらった。
森:焼きたての西京焼きは僕自身、ほとんど食べたことなかったんですよ。もちろん、西京焼きって美味しいのはわかっているけれど、実際に食べに行く機会やお店が意外とない。だったらそれに特化してやってみようかなと。
最初から「専門店」を志向したのは、森さんの哲学から来ているという。
森:なんでも、初めてのことをやりたかったんです。誰もやったことがないことにチャレンジしてみたくて。留学先の上海では、ひと旗あげようと「からあげ屋」に挑戦してみたりもしたし。
なにを勉強しに行ってたんすか! とツッコミたいところだが、根っからのアイデアマン体質なんだろう。
しかし、お店のメニューを見るといろんな魚の種類があるのだが、西京焼きの定番ともいえるアノ魚が見当たらない……。
森:ええ、お察しのとおりウチでは「サワラ」を扱ってないんです。実はサワラってそんなに脂が多い魚じゃないので、西京焼の良さがあまり出ないと思っていて。むしろ、「ひらす」なんかはお勧めしますね、サワラ好きな人には。
▲お店のメニューを見てみると……
▲確かに「サワラの西京漬け」が……ない!
お弁当や持ち帰り可、UberEATSにも対応
ところでお店のメニューを見ればお気づきかと思うが、「西京焼き専門」をうたっていても、西京焼きしかないわけではない。それでもオンリーメニューへの憧れは抱いている。
森:サバの塩焼き専門の定食屋さんってあるじゃないですか、あれくらい本当はメニューを絞りたい。でも、それだと僕の生活が成り立たないので(笑)、まぁ種類はこれくらいあったほうがいいかもですね。仮にランチで3日間連続で来て下さっても飽きないくらいの。
▲ほとんどの魚は北海道・小樽からの直送
お客さんの意見もふんだんに取り入れ、ときにはメニューを改良することも。
森:3種盛りの内容を変えて欲しいとか、メニュー増やして欲しいとか、野菜をとりたいとか、日々いろんなリクエストを頂きます。オープン直後に女性のお客さんが来て「お味噌汁がしょっぱかった」ってハッキリ言われて、ちょっと薄味にした方がいいのかなって思ったり。貴重なご意見はなるべく取り入れていきたいなと考えています。
全国でも珍しいであろう「西京焼き専門店」。高円寺に住む自分にとって、この「魚き食堂」は腹が減ったとき脳裏に浮かぶ候補の上位をここ1年ほどずっと占めている。魚系の定食といえばもうここ1択といっていい。だからこそ、どうか続いて欲しいと願うばかりだ。
▲(まだ焼いていない状態の)西京漬けの切り身も持ち帰り可能。またお弁当の持ち帰りや、Uber EATSにも対応している
店舗情報
魚き食堂
住所:東京都杉並区高円寺南2-7-2
電話:03-6383-1515
営業時間:11:30頃~21:00(20:30LO)※ただしごはんがなくなり次第終了
定休日:日曜日
書いた人:神田桂一
ライター/編集者。『POPEYE』『スペクテイター』『ケトル』などカルチャー誌で執筆したり、Yahoo!特集でルポルタージュなども。近著に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(共著、宝島社)など。