「ポン菓子機」の進化は止まらない

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(写真は発売前の製品です)

 昔懐かしいポン菓子機は今も作られている

皆さんは「ポン菓子」を食べたことがありますか?

ポン菓子という呼び方以外にも、「バクダン」「こめはぜ」「ドカン」「パンパン菓子」……。もしくはその包装から「ニンジン」と呼んでいる人もいるでしょう。何にせよ、米や麦や豆を膨らませて作る、あのサクサクとした食感のお菓子です。

 

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40代後半以上の方なら、リヤカーや軽トラックの荷台に専用の機械を積んだポン菓子屋さんが広場にやってきて、米と加工賃を渡すとその場でポン菓子を作ってくれた……という経験を持つ方もいると思います。私も、できあがる瞬間の爆発音と水蒸気の煙、大量に飛び出てくるポン菓子を、ワクワクしながら眺めたものです。

30代よりも若い方だと、駄菓子屋やスーパーで包装されたものを見かけたことがある程度で、実際に作っているところを見たことがある人は非常に少ないのではないでしょうか。

 

そんなポン菓子を作る機械を製造している会社が、国内に2社だけ残っていました。そのうちの1つを訪ね、ポン菓子機について色々聞いてみましょう。

 

サクッと解説、ポン菓子の作り方

やってきたのは東京都荒川区、南千住。駅から15分ほど歩いた工場団地に、目的の会社「有限会社ポン菓子機販売」があります。

 

大学の研究室のような室内には、ポン菓子機の部品や各種工具が並んでいました。

 

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こちらが代表取締役の吉村文明さん。会社は2003年の創業で、元々は小学校の先生をされていたそうです。
実は、ポン菓子機はもともと北九州で鉄工所をされていた吉村さんのお父様が作っていたもの。そこから吉村さんが電気の回転機構をつけたり、小型化したりするなど様々な改良を加えていきました。

 

そのあたりの詳しい話や、時代によるポン菓子機の移り変わり、最近のポン菓子機事情などは後ほど詳しく書くとして。

 

まずは、ポン菓子の作り方を見ていきましょう。

 

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こちらのポン菓子機は、吉村さんが開発した小型ポン菓子機。最大で3合の米をポン菓子に加工でき、室内でも扱える小型サイズです。本体中央には米を入れる窯、左側は窯を回転させる回転機構、右側はポン菓子が飛び出してくるフタの部分となります。

 

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まずはプロパンガスのコンロで釜全体を余熱。続いて米を入れてフタをしっかり固定し、窯を回転させながら加熱を続けます。

 

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窯の内部が10気圧程度になったら回転を停止。フタについているフックをハンマーで叩いて外せば、元の米の10倍程度に膨れたポン菓子が勢いよく飛び出してきます。 

 

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ポン菓子が飛び出すときには、大砲を撃ったようなドカン!という大きな破裂音と共に、水蒸気の煙があがります。それで、ポン菓子ではなく「バクダン」だとか「ドカン」と言う子供がいたのです。この小型機だと音は比較的小さいですが、それでもかなりの衝撃がありました。

 

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ポン菓子機は正式には「穀類膨張機」と呼ばれ、その原理は1900年代の初期にアメリカ、もしくはドイツで生まれたなど、諸説あります。

 

密閉した空間で加熱されることで、窯の内部は高温・高圧状態になりますが、気圧の低い山の上では水が低温で沸騰するのとは逆に、高圧のため窯内の米の水分は100度を超えても沸騰せず、粥状に柔らかくなっています。

 

その状態からフタを開けることで、10気圧から1気圧まで一気に減圧。水分が沸騰すると共に、急激に蒸発します。これにより、米が膨らみサクサクのお菓子となるわけです。詳しく知りたい方は、高校の物理の教科書で習う「ボイル・シャルルの法則」あたりを調べてみてください。

 

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出てきたポン菓子は香ばしい香りと米の風味だけで、当然何も味がついていません。そこに、煮詰めた砂糖を絡めていきます。

 

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鍋に水と砂糖を入れて、焦げる1歩手前まで煮詰めておいたものを、固まる前に一気に絡めていきます。結構な重労働。

 

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これで昔ながらのポン菓子が完成です。できたてのポン菓子は、袋に入れられて売られているものと比べて、まだほんのりと暖かくサクサク感が違います。食べ始めると止まりません。そういえば、子供の頃に食べていたのはこういうのだったな、と懐かしい気持ちになりました。

 

ポン菓子機で一家を養えた時代

ポン菓子の作り方がわかったところで、続いて吉村さんに「ポン菓子機販売」の歴史や、時代ごとのポン菓子の移り変わりについて聞いていきます。

 

f:id:exw_mesi:20190529015126p:plain吉村さん:この会社は妻と二人で製造業みたいな形でやっているけども、製造設備は持たずにポン菓子機の組み立てと調整を行っていて、部品は岩手の鋳物職人や北九州の旋盤工に作ってもらっている。
ポン菓子機のもともとの始まりは、親父が終戦直後に戦地から復員して開いた鉄工所。近所の金物屋さんに持って行くと現金収入になったんで、大手の製鉄所の下請けをしながらその片手間で作っていたんだ。

 

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▲1升の米をポン菓子にできる、従来型のポン菓子機

 

f:id:exw_mesi:20190529015126p:plain吉村さん:親父が若い工員に「お前ら今日残っておけ、ポン菓子機作るぞ!」というと、夕方5時から夜8時までの3時間ぐらい居残りをして、余った材料で2、3台作っていた。その頃私は幼稚園児ぐらいだったけども、すごいなと思ったよ。
当時のポン菓子機の販売価格は、サラリーマンの1ヶ月分の給料ぐらいだったはず。『13,800円』というフランク永井の歌が流行った時代だから、ポン菓子機も多分そのくらいの値段だったんじゃないかな。サラリーマンが職を失ったら、この機械を買ってポン菓子で食べていくということを想定していたんだね。

 

吉村さんのお話を元に、簡単にポン菓子の歴史を振り返ってみましょう。 

昭和30年代、ポン菓子は大変人気があり、機械もかなりの量が売れたそうです。リヤカーを引いてポン菓子機を農村へ持って行き、米を半分もらう代わりに無料でポン菓子に加工してあげる。そうしてもらった米が沢山集まったら、それを米屋に売って現金収入を得る……といったことが行れていた時代もあったのだとか。ポン菓子機1台で一家を養い、子供を医学部にまで行かせたなんて話もあったそうです。

 

昭和40年代に入ると、今度は軽トラックにポン菓子機を積んで、都市部にまで売りに行くようになりました。ポン菓子はできあがる時に飛び散るので、掃除が大変で近所迷惑になりますが、軽トラの荷台ならその心配もなし。団地の広場なら人も多く集まるし、音もある程度であれば問題になりませんでした。

 

そして、昭和50年代になると都市化が進み人々の嗜好も多様化して、ポン菓子屋は徐々に衰退していき、今ではイベントなどで稀に見る程度となりました。

 

静かに進化し続けていたポン菓子機

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▲小型ポン菓子機の初期の試作品

 

ポン菓子機を製造している会社を調べると、もう一社「株式会社タチバナ機工」が出てきますが、実はこちらは吉村さんの弟さんが福岡でやっている会社。日本で製造されるポン菓子機は、ご兄弟で守られてきたのです。

 

f:id:exw_mesi:20190529015126p:plain吉村さん:福岡にいる弟は、質の高い大型のポン菓子機を作っているんだけど、職人気質でテレビに出る気はないし、宣伝も下手だった。メディアとかに取り上げられるといっても九州のローカル番組くらいで、どうしても全国にまでは広まらない。……でも、作る物はとてもいいんだ。
だから僕は、弟と違ってポン菓子機を小さくしていこうと思ってね。大きいものはできる分量も多いけど、子供の数も少なくなってきたし、都会だと置き場所や音に困るから。

 

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▲棚に並ぶ試作品の数々

 

吉村さんは勤めていた学校を早期退職してポン菓子機の会社を始めたため、そもそも機械は専門外でしたが、本で調べたり、鉄工所や鋳物工場の職人に相談したりしながら、小型ポン菓子機の試作を繰り返しました。

 

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▲従来の3分の1程度のサイズとなった小型ポン菓子機

 

f:id:exw_mesi:20190529015126p:plain吉村さん:サイズを落とすためには釜を小さくする必要があったので、大きい機械と同じように膨らむかどうかは、やってみなければわからなかった。
だけど何回も試してみるうち、釜が小さくても同じ圧力で膨らませられるということがわかって、いよいよ小型のポン菓子機を本格的に作るようになったの。

 

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▲吉村さんはポン菓子機に関する特許も取得している

 

ポン菓子機は、構造自体はそれほど難しい機械ではないのですが、安全性を考えて釜やフタに使う金属の材質や厚み、耐熱性、強度など、色々な計算をしながら設計しなくてはなりません。また、緊急時の圧の逃し弁なども用意しておかないといけないでしょう。

そういったものを地道に克服し、工場の人の協力もあって2002年に小型ポン菓子機の試作品が完成、翌2003年には販売まで至ったのです。

 

そして現在、吉村さんはさらなる改良を加え、もっと手軽に使用できるポン菓子機を開発しました。

 

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(写真は発売前の製品です)

 

これまでのポン菓子機は、プロパンガスのガスコンロで下から加熱していましたが、プロパンガスのボンベは取り扱いが大変なため、誰でも使えるものではありませんでした。そこでプロパンガスのコンロを、家庭用のカセットコンロでも安全に使えるように改良したのが、この最新型のポン菓子機です。

さらに、圧や熱の影響を受けない部分を鉄からアルミの鋳造品に変更することで、軽量化も実現しています。

 

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f:id:exw_mesi:20190529015126p:plain吉村さん:今までは小型のものでも23キロぐらいあったのを10キロにしようと、はっきり目標を決めた。電気で加熱するとか、色々やってみたけどうまくいかなかったりして、ここまで来るのに17年ぐらいかかったね。
こういうポン菓子機をうんと小さくして、家庭の台所でも使えるようにしようなんて考えている人は他にいないでしょう。だからこそ、僕が生きている間に最後までやろうと思ったんだ。
大手の食品メーカーなら大きな機械で一気に作るんでしょうけど、小さな所で使うにはこういう機械でなければね。

 

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f:id:exw_mesi:20190529015126p:plain吉村さん:やっぱり、今の生活様式や世間一般の人の要求にあったポン菓子機があった方がいい。ポン菓子が食材として注目を集めれば、また昭和40年代頃みたいにブレイクすることもあるのかなと思う。

 

実際、最新のポン菓子事情を調べてみると、米をコンセプトにしたカフェがポン菓子機を購入し、作ったポン菓子を商品として販売するといった例が見つかりました。

 

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▲2019年4月にオープンした渋谷のライスバーガー専門店「おこめどき」のポン菓子(270円)

 

この他にも、従来の砂糖だけでなくバターを味付けに使ったものや、米の代わりにマカロニやタピオカを膨らませたもの、あえて低めの圧で硬めに膨らませてシリアルとして販売しているもの……などなど、バリエーションはさまざま。小麦や卵のアレルギーを持つお子様がいる家庭では、おやつとして購入することもあるそうです。

 

ポン菓子機、アフリカへ 

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吉村さんのポン菓子機は、今でも大小合わせて年間で60台ほど売れています。購入するのは町会や商店会のような地域の団体、食品会社などが多く、個人で購入する人も若干名いるのだとか。

 

f:id:exw_mesi:20190529015126p:plain吉村さん:海外からの問い合わせもあるけれど、輸出のための費用や手続きにさける労力がないため、現在は受けつけていません。でも中には直接機械を買い付けに来日してくれた海外の方もいて、宿泊先まで届けたこともあった。

 

吉村さんによれば、韓国ではポン菓子は今もかなり人気があり、大量に作られているそうです。ただ、機械が古く、手で回転させるようなものばかりで、使い勝手は吉村さんのポン菓子機よりも悪いようです。

他にも、経済支援などの目的で、ポン菓子機を日本からアフリカに持っていったこともありました。

 

f:id:exw_mesi:20190529015126p:plain吉村さん:とりあえずポン菓子機が1台あれば、現地で何人かの雇用が生まれる。向こうではさとうきびも採れるし、とにかく甘いものが好きなので、ポン菓子を砂糖で固めたお菓子にしているそうだよ。いずれは特産品になって、ポン菓子機もアフリカ製のものができたらいいけどね。
僕がひとりでできることは限られているので、機械を広めることも、ポン菓子を広めることも、それぞれの場所でやってもらえるのが一番いい。

 

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f:id:exw_mesi:20190529015126p:plain吉村さん:今の子供は、ものが作られている場に居合わせることがまずないんじゃないかな。現物を見せる教育というのは、活字だとか口先だけの授業では絶対に得られない効果があると思う。
ポン菓子なら7分ぐらいあれば、初めから終わりまで目の当たりにできる。しかも、自分が口に入れるものだから真剣に見るでしょ。すごくいい勉強になると思いますよ。

 

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昔懐かしいだけでなく、味のバリエーションが増えるなど、今も少しずつ変化を続けていたポン菓子。様々なフレーバーのポップコーンを売る店に行列ができたように、ポン菓子も何かのきっかけで突然ブレイクするかもしれません。その時には、店頭で吉村さんが作った小型ポン菓子機が活躍していることでしょう。

 

ただ一つ問題なのは、吉村さんも弟さんも現状後継者がいないということ。このままでは数年後には国産のポン菓子機が無くなってしまうかもしれません。

機械好き、モノづくり好き、食べ物好きの方、後継者に名乗りをあげてみませんか? 今も需要のあるポン菓子機、何かおもしろい食材や味付けが見つかれば、思わぬヒット商品を生み出せるかもしれませんよ。

 

書いた人:馬場吉成

馬場吉成

普段は元機械設計屋の工業製造業系ライターとし記事を書いていますが、利き酒師で元プロボクサーで日本酒と発酵食品を使った酒の肴を出す店も経営しているので、時々料理や運動系記事も書きます。別人と思われます。

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