ダイヤモンド・プリンセス号 宿泊療養施設でのコロナ特殊清掃とは?未知の脅威との対峙【極限メシ】

2020年2月、ダイヤモンド・プリンセス号で行われたコロナ特殊清掃。その未知の脅威に晒された最前線で当時何が起き、何を食べ、何を感じたのか。現場作業を行ったひとり、大邑さんに話を聞いた。

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ダイヤモンド・プリンセス号(11万5875トン、乗客定員2706名、乗員1100名)で起こったクラスターを覚えておられるだろうか。2020年2月、乗客・乗員3711人の約2割に当たる712人が新型コロナウイルスに感染し、14人が死亡したあの事態を。

 

その船の除菌を担当した中にいたのは、特殊清掃業者だった。普段、孤独死などの現場で消臭・除菌を行う彼らはなぜその大役を担うことになったのだろうか。

 

現場作業を担当したひとり、特殊清掃・家財整理専門会社エバーグリーン(株式会社金田臨海総合)代表の大邑政勝氏にZoomで話を聞いた。当時、今より遙かに未知のウイルスだった新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)と対峙するという極限下で彼は何を食べていたのか。またその経験は、コロナ禍において、どのように役に立っているのか――。

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エバーグリーン代表 大邑政勝氏

 

亡くなった方からの最期のメッセージ

――本日は取材を受けてくださり、誠にありがとうございました。大邑さんが代表をつとめておられるエバーグリーンという会社ですが、通常はどんなことをされている会社なんでしょうか?

 

大邑政勝さん(以下、大邑):建物の清掃や産業廃棄物の収集運搬、遺品整理、そして特殊清掃も手がけています。ダイヤモンド・プリンセス号での除菌作業は、弊社が加盟している一般社団法人日本特殊清掃隊へ依頼された仕事でした。同業者からヘルプをお願いされたんです。

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遺品整理を行う大邑氏(写真提供:エバーグリーン)

 

――船内の除菌作業についてお聞きする前に、まず特殊清掃についてお伺いさせてください。どんな作業内容なんですか?

 

大邑:孤独死や変死のほか、ゴミ屋敷、ペットの多頭飼い、火災や水害の現場に伺って作業に入ります。部屋を空にした後、臭いの元を絶ち、オゾン消臭器を使って、消臭・除菌を行っていきます。
例えば、孤独死の場合ですと、体液が回ってしまった床を一部取り除いたり、臭いが染みついた壁紙を部分的に剥がしたりといった作業を行います。それを半日ないし1日かけてやった後、オゾン消臭器を1週間ほど連続で作動させる――という流れです。

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オゾン消臭器を使用している様子(写真提供:エバーグリーン)

 

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寝室での孤独死によるフローリングまで染み込んだ体液除去を含む特殊清掃の事例(写真提供:エバーグリーン)

 

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ゴミ屋敷での孤独死による室内の片付けと特殊清掃の事例(写真提供:エバーグリーン)

 

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浴室での孤独死の特殊清掃の事例(写真提供:エバーグリーン)

 

――今まででどんな現場を担当されたんですか?

 

大邑:一例として、孤独死に関してお話しましょう。夏場によくあるのが、ご遺体の損傷が激しくなって、近隣の方が気づいて通報するというケースです。その場合、ご遺体から体液が出て、床やその下の階へと染み出てしまうことが珍しくありません。
寒い時期は浴室などで、ヒートショックで亡くなっている方が多いです。あとは、暖房がガンガン効いている部屋だったり、こたつの中だったりします。
難しいのは湯船で亡くなっているケース。お湯または水に残された部位に関しては、警察は引き取らないんです。布団の上で亡くなられた方の頭皮などもそう。
ご遺体の一部だということが明白な場合は、警察に伝えて引き取りに来ていただきますけどね。

 

――本当に大変な仕事をされているんですね……。

 

大邑:特殊清掃というのは、誰かがやらなきゃいけない必要な仕事です。異臭や虫の発生は、不幸にも亡くなってしまった方が、「こういう状態になってしまった」と訴える最期の手段、最期のメッセージなんですね。
現場に行くスタッフには、たとえ臭いがすごくても、「くさいね」という言葉を発することは絶対NGということにしています。亡くなった人たちに対しての尊厳という部分がありますからね。そこは徹底させています。

 

未知のウイルス、コロナと対峙する

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――ダイヤモンド・プリンセス号の除菌作業を依頼された経緯について、改めてお聞きします。

 

大邑:2020年3月18日、同業者である株式会社ユニゾンからヘルプの要請があったんです。「とても1社じゃ対応しきれないので協力してほしい」と。
要請があったのは、私が理事をつとめる特殊清掃業者の団体「一般社団法人日本特殊清掃隊」でした。北関東から九州まで日本各地に点在しており、加盟する複数の業者からの選抜メンバーでダイヤモンド・プリンセス号の除菌作業に携わりました。

 

――1社だけじゃ、あの大きな船の除菌作業は無理でしょうからね。

 

大邑:もともとベルフォアジャパン株式会社という世界展開している災害復旧企業が3月上旬から中の除菌作業をやっていたんです。そこにユニゾン、そして我々、日本特殊清掃隊などの特殊清掃業者が加わったというわけです。

 

――もともと大邑さんたちが行っていた特殊清掃と、ダイヤモンド・プリンセス号の船内での除菌作業。具体的にどこが共通しているのでしょう?

 

大邑:ひとつは装備です。大規模災害などでも使われる特別な防護服を着て、ゴーグルと防毒マスクで顔を覆ったり、手袋を二重で装着したりして、直に皮膚の露出がない状態にします。それは感染症に罹患(りかん)するのを防ぐために欠かせない鉄則です。

 

――なるほど。当時、未知のウイルスだったコロナを防ぎながら作業をするのに有効だったというわけですね。

 

大邑:もうひとつは作業内容です。特殊清掃とコロナ除菌は、同様の作業を行いますからね。私たちが作業を依頼される前の2月半ばのこと。帰国者を受け入れていたホテル三日月での除菌・清掃作業をテレビで見ていて、装備が同じだということに気が付き、そのときに確信したんです。コロナの除菌作業を依頼されたら、我々も役に立てると。

 

――実際にユニゾンからの依頼を受けたときは、どんな心境でしたか?

 

大邑:連絡を受けたときは、未知のウイルスへの不安よりも「こういうときだからこそ、私たちが行かないといけない」と、自分たちを奮い立たせる気持ちのほうが強かったです。

 

――かっこいいですね。まるで、映画の主人公たちみたいです。

 

大邑:映画ほどではないですけど(笑)、使命感は確かにありました。
そもそも日本特殊清掃隊という組織を作ったきっかけが「世のため、人のためにならないといけない」というもので、2018年6~7月の西日本豪雨で生じた水害や、火災現場といった災害復旧を、コロナ禍になる前から手がけていました。

 

――大邑さんの会社から、派遣した人は何人おられたんですか?

 

大邑:2人です。私とスタッフの長谷川昌彦で現場に向かいました。全従業員に声がけはしていましたが、「家族に『そういう現場には行くな』と言われた」と参加を断る者がほとんどだったんです。当時は未知のウイルスでしたから、断るのも無理ありません。

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大邑代表に同行した長谷川昌彦氏

――長谷川さんはなぜ、ひとりだけ承諾したんですか?

 

長谷川:前職は消防士で、搬送中に心臓マッサージをし続けたけれどお亡くなりになった――というような生き死ににたびたび接していました。消防士も特殊清掃士もそうした生死に密接しており、「人の役に立てる仕事」という意味でとてもやりがいを感じています。
ですので、大邑社長から誘われたときも、ぜひやりたいと思いましたし、不安はありませんでした。家族の反対は、ひとり暮らしなのでありませんでした。

 

――大邑さんに再びお尋ねします。船の前に集合されたのはいつですか? どのぐらいの人数が集まったんですか?

 

大邑:依頼があった翌日の3月19日に、横浜ベイブリッジのそばの大黒ふ頭に停泊しているダイヤモンド・プリンセス号の元へと車で駆けつけました。すると、山のように大きな船体(長さ290メートル、18フロア)が目の前に現れました。
私と長谷川のほかに、日本特殊清掃隊に所属している東北・関東・関西・九州の業者から、合計20人ほどが集まりました。
代表理事の会社である東京TCワークス株式会社(ほっとアルファー)、あとは栃木株式会社エヅリン茨城特殊清掃会社スイーパーズ愛知株式会社レリック岡山株式会社ラスティック福岡株式会社ダスメルクリーンも来ましたし、大分株式会社NICObit、あとは埼玉株式会社エスコートランナーも来ましたね。

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【ダイヤモンド・プリンセス号の前にて撮影】※ 左から、神野(レリック)、森川(TCワークス)、延原(ラスティック)、江連(エヅリン)、小山(スイーパーズ)、大邑(エバーグリーン)(写真提供:日本特殊清掃隊)

 

――作業に携わった方たちの、全体の内訳は?

 

大邑:実際に現場で特殊清掃に従事してるプロの特殊清掃業者と、ユニゾンからの手配の作業員が加わり合計30名で作業にあたりました。

 

――九州のスタッフも機材を積んで車で来たんですよね? よく間に合いましたね。

 

大邑:いえ、飛行機に乗って身ひとつで来ました。「作業をするための資材・機材・薬剤も含めて、すべて現地で支給しますので身ひとつで来てください」と言われていたんです。

 

――身ひとつというのは、なぜ?

 

大邑:WHO(世界保健機関)とCDC(米国疾病予防管理センター)などが策定し、厚生労働省が認めた除菌方法があって、現場はこの取り決めに準じて厳格に運用されていました。そのため私たちも到着後すぐに船内に入れたわけではなく、船外で半日ぐらい事前指導(研修)を受けました。そこで防護服の着脱の方法から防毒マスクや手袋の着け方などの細かな指導を受け、やっと船内に入れたという感じです。

 

――事前指導を半日受け、防護服を着て手ぶらで船内へ入っていったと。入っていくとき、最初に見えたものってなんだったんですか?

 

大邑:従業員の方たちが出入りするバックヤード側っていうんですかね? 裏口から入って、業務用のエレベーターを使ってフロアに移動していきました。すると映画さながらの世界が、目の前に広がっていました。天井からシャンデリアが吊り下げられ、足下はふかふかの絨毯が敷かれて、まさに豪華客船という感じでした。
ベルフォアのスタッフが3月上旬から作業を行っていたこともあり、船内はすでにゾーン分けがされていて、除菌作業済みのため立入禁止の箇所もあちこちにありました。

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【防護服着用→ミーティング→船内へ向かう】(写真提供:日本特殊清掃隊)

 

――実際の作業の流れは?

 

大邑:私は屋内の洋食レストランと、プールサイドにある屋外レストランの2つのエリアを担当しました。屋外レストランはバーを併設した、100席以上もあるフードコートのような広い場所でした。
具体的な作業は、洋食レストランの場合だとまずは壁から始め、次に机と椅子を加速化過酸化水素という薬剤を染み込ませた紙で一方向に拭き上げていきました。最後は床で、カーペットクリーナーという掃除機のような機械を使って、加速化過酸化水素を噴霧し、全体を除菌していきました。

 

――コロナ禍で一般的に使われているのは、アルコールや次亜塩素酸ナトリウムですよね。加速化過酸化水素という名前、あまり聞いたことがありません。これはどんな薬剤なんですか?

 

大邑:小学生のころ、校庭で転んで膝から血が出たときに、保健の先生が塗ってくれたオキシドール。傷口に塗ると白い泡がブクブクと出てくる、あれです。そのオキシドールに除菌効果のある成分を加えたもの、と考えていただければ結構です。加速化過酸化水素はカナダのバイロックスという会社が作っていて、船内の除菌作業はすべてそれを使って行いました。もともとは手術室やオペ用の台を拭いたり、医療用として病院の除菌で使われていた薬剤です。

 

――拭いたのはどの範囲ですか?

 

大邑:除菌作業の大原則として、「人が触るところ」を重点的に行います。だから、天井などの人が触らない場所はやりません。要は、手の届くところから膝の高さまでが拭き上げる基本的な範囲です。椅子だったら、肘掛けの部分とか、座るときに持ち上げたり前後に移動させるのに触ったりする座面のヘリの部分。そういったところを重点的に拭いていきました。

 

――作業は何人で担当したんですか?

 

大邑:場所によって違いました。5人や10人のところもあったり、最後は全員でオープンデッキのプールサイドを拭き上げたりもしました。
船でのコミュニケーションは、先に入っていた作業者の大部分が外国人でしたので、基本的に英語でした。作業指導をする外国人、私たちには日本語が話せるダイヤモンド・プリンセス号の乗員が、それぞれに通訳として付いてくれました。
「ここのエリアの作業は、この道具を使ってこうしてください。薬剤を使って上から下、右から左のように、必ず一方向で拭いてください。ゴシゴシと往復するように拭くのは止めてください」と、現地の指導は一貫してそれだけでしたね。

 

――レストランだから、気を付けたことというのはあったんですか?

 

大邑:厨房側に関しては冷蔵庫、テーブル、食事を運ぶカートにカゴ類と、外から中まで徹底的に拭きました。一方、食器関係とかカトラリーに関しては、ダイヤモンド・プリンセス号の乗員が専門でやるということで、触りませんでした。

 

――やっていて、大変だったことは?

 

大邑:防護服が暑かったことです。季節は3月でしたので船内に暖房は入っていませんでしたが、暑くて仕方がありませんでした。防護服はサウナスーツのように、着ていると尋常じゃない量の汗をかくんです。通常の特殊清掃でも防護服は着るんですが、今回のように休憩時間以外ずっとというのは初めてでしたので、大変でした。
あと、ゴーグルが熱気で曇って見えなかったのもしんどかったです。かといって外せないですからね。前が見えなくて、作業がしづらかったです。

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【船外写真・休憩含む】(写真提供:日本特殊清掃隊)

 

――休憩は?

 

大邑:2時間おきに30分の休憩を取りました。残業はなくきっかり8時間。船から下りるたびに、防護服を着脱するためのテントに入ります。ここでまず手袋を外してください。ここでゴーグルを外してください。ここで防護服を脱いで、最後にここで手、足を除菌して出て行ってください、というのが一連の流れになっているんですね。

 

――休憩のときの食事はどうでしょう?

 

大邑:食事は、現地で用意していただいたものです。サンドイッチとか、横浜の仕出し屋さんの幕の内弁当とかを買ってきていただいて、それを食べていました。ダイヤモンド・プリンセス号の真横に駐車している私たちの車の中で、船を見ながら食べていました。同行した長谷川や、日本特殊清掃隊のメンバーと一緒に。

 

――食事のとき、口からコロナに感染するんじゃないかと危惧したりは?

 

大邑:当時はコロナそのものが未知すぎて、食べていて怖いという感情を抱くことはありませんでした。口から入るとすれば、結局手に付いたものからなんです。船から下りた後も、乗ってきた社用車に常備しているアルコールでさらに手を除菌して食べていましたから、不安はなかったです。あとは、粘膜感染もありますから、不用意に目や鼻を触らないようにしなきゃとは思ってましたけどね。

 

――なるほど、基本通りの感染対策を徹底されていたんですね。そして8時間働いた後は、翌日まで休むことになります。大邑さんたちはどこに泊まられたんでしょうか?

 

大邑:当初は毎日自宅から通って、自宅に帰るつもりでした。自宅や会社のある千葉県の木更津から船までは、車を使ってアクアライン経由でわずか30分でしたので。
そして初日の作業が終わり、ひとり車で帰路についている途中でした。自宅まであと5分というところで、妻から電話がかかってきて「家に帰ってこないでください」と。理由を聞いたら「両親やいろんな人たちから『そんなところに行って感染して帰って来たら大変だから、帰ってこないように言いなさい』と言われた」とのことでした。当時コロナというものは、それぐらい未知のものだったんです。今現在は大丈夫です。普通に家に帰れています。

 

役に立った船内での経験

――ダイヤモンド・プリンセス号の除菌作業をやり終えた後は?

 

大邑:私たちの船内清掃の様子がメディアで報じられた2020年4月以降、さまざまな企業から「自社で感染者が出た際にすぐ対応してもらえますか?」という相談をたくさんいただきました。日本特殊清掃隊に寄せられた相談の件数は、多いときで1日500件ぐらい。特に強い危機感を持っておられたのは、1フロアで何百人もの人が働いている大企業でした。

 

――体制を整えて除菌作業が実際にできるようになったのはいつごろですか?

 

大邑:5月ぐらいです。相談があればいつでも動けるように、専用の車両を決め、その中に、薬剤・防護服などの消耗品関係を積んでおきました。6月には依頼を受けたらすぐ移動し、依頼当日に作業ができるようにしました。

 

――船内の除菌作業で得たノウハウはその後の除菌作業に役に立ったと思いますか?

 

大邑:基本は同じです。防護服にゴーグル、防毒マスクを装着して、加速化過酸化水素で一方向に、人が触りそうなところを重点的に拭いていきます。加速化過酸化水素は、当初なかなか手に入らなかったんですが、その後、手に入るようになりました。

 

――それで遺品整理・特殊清掃などの通常の業務を行いつつ、コロナ除菌作業も行ったと。

 

大邑:そうです。だから、うちのスタッフは日中に遺品整理の現場へ行き、夜はコロナ除菌の現場に行って、日付が変わるころに帰って来るというサイクルで、2020年の6~7月は動いていました。そのころはかなり忙しく、スタッフが倒れないか心配するほどでした。
それ以降、一旦は落ち着いて2020年の暮れぐらいから2021年の1月ぐらいまで、もう一度ピークが来ました。といいますか、そのころの依頼が一番多かったですね。弊社だけだと12~1月はコロナ除菌作業の仕事だけで月30件ぐらいありましたから。

 

――実際にコロナで亡くなられた方のお宅のお掃除というのはされたんですか?

 

大邑:数は少なかったですがやりました。葬儀屋さんから依頼されて。「自宅でコロナを発症し、入院したが亡くなってしまった方がいらっしゃる。ご遺族の方たちが入る前に、故人の方の部屋に先に入って除菌をしてもらえませんか」というものでした。

 

――人が触る範囲というのが広いという点で、個人宅の除菌は、気を使いそうな気がします。

 

大邑:船内の除菌作業と基本は同じです。リモコンだったり、机の上のペンであったり、人が触りそうなもの、布団で寝ているようなら布団だけでなく、その周辺の触りそうなところも除菌します。そうしたところをやった後、最後はオゾン消臭器で全体的に空間の環境を整えます。

 

宿泊療養者用ホテルでの無言のやりとり

――コロナ除菌作業はその後も、会社を中心にたまに個人宅の仕事をするという感じだったんでしょうか?

 

大邑:いえ、2021年1月以降のピークが落ち着いた後は宿泊療養者用ホテルへとシフトしていきました。2021年9月などは宿泊療養者用ホテルの除菌がほとんどでした。
「ホテルAは20人、ホテルBは50人退所しました。明日新しい方たちが入ってくるので、それに備えて部屋をきれいにしてください」と、そんな流れでした。

 

――感染者と近い位置での作業ですよね。

 

大邑:そうです。さっきまで感染者がいましたとか、扉1枚挟んで今そこに感染者がいます、みたいな、そんな状況での作業でした。

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宿泊療養者用ホテルでの作業(写真提供:エバーグリーン)

 

――これまでより感染のリスクが高くなりますね。

 

大邑:だからこそ、これまで以上にかからないように気を付けました。なんといっても気を付けたのは飛沫でした。
例えば、エレベーターが共用の場合、空間にウイルスが漂っている可能性があるんですね。なので、乗る前に消臭除菌剤を撒いてから乗るとか、乗ったら目をつぶって息を止めておくとか、そういうことは徹底するようにしていました。

 

――実際の作業はどうだったんですか?

 

大邑:ホテルなので、作業は普通のルームメイクのイメージですね。前の人が出た部屋に、新しい人を受け入れるために2人一組で行く。
部屋に入ったら、まずはひとりが風呂場を掃除して、もうひとりは部屋のゴミを片付けてシーツを剥がしたり、床を掃除したり。それぞれが担当作業を終えてから、2人でバーっとベッドメイクをしてさらに除菌をして、はい次、という流れ作業です。こうした作業を防護服を着てやっていました。これは2021年の9月の上旬ごろがピークで、1日120部屋ぐらいやりましたね。

 

――このころ、食に関して何かエピソードはありますか?

 

大邑:療養中の皆さんはホテルの部屋からは出られないため、食事も朝昼晩と支給されたものとなります。担当の職員の方々が配るときも、食べ終わった後の容器やゴミを出すときも、直接のやりとりはありません。

 

――大邑さんたちは、宿泊療養が終わった後の部屋の掃除ですよね?

 

大邑:そうです。彼らの宿泊療養期間が終わって部屋を出た後のタイミングです。すると、よくゴミ袋にメッセージが書いてあるんです。「ご苦労様です」といった具合に。
中には、机の上にわざわざメモ書きを残されていた方も多くいらっしゃいました。「自分の不注意のせいで感染してしまったのに、こんなにたくさんの人たちによくしてもらった。そのおかげで完治して出ることができました」と書いてありました。

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別の方からの手紙(写真提供:エバーグリーン)

 

――直接会わない状況なのに、胸を打たれる話ですね……。

 

大邑:彼らは期間中ずっと宿泊療養されているので、そこが唯一、外部の人とリアルに近い状況で接触する機会だったんでしょう。
もちろん皆さん携帯電話をお持ちでしょうから、電話では家族や友達とはコミュニケーションが図れるんですけど、ナマの人間とのやりとりという意味では、私たちや職員の方たちとしか、図るチャンスがありませんからね。

 

――そうした書き置きを目にしてどうでした?

 

大邑:タイムラグがあったり、扉越しだったりしますけど、そうした文通のようなやりとりは心が温かくなるといいますか、正直嬉しいものでした。この仕事をしていてよかったなと思いました。

 

――ダイヤモンド・プリンセス号や企業、個人宅、そして宿泊療養者用ホテルとこれまで大変多くの現場でコロナ除菌作業を続けてこられたわけですが、そんな中でご自身・自社としてどんなコロナ対策をされていたんですか?

 

大邑:一番怖いのは飛沫なんですよ。マスクさえちゃんとしていれば、私はそんなに感染するリスクはないと思っています。それは感染者が宿泊療養しているホテルの清掃・除菌作業を、毎日100件以上続けて確信したことです。あとはこまめに手を洗ったり、目や鼻を汚い手で触ったりしないようにする、といった基本を守ることです。
そうしたやり方で、今のところ誰も感染していません。ですので、我々のやり方は間違っていないということなんでしょう。

 

――素晴らしい。それは普段からの感染症対策というのが、いかにしっかりしていたかということの何よりの証拠ですね。

 

大邑:そういうことですかね。光栄です。

 

――今回は歴史的な仕事をされましたよね。これは語り継がれる仕事だと思います。お疲れさまでした。

 

大邑:ありがとうございました。

 

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書いた人:西牟田靖

西牟田靖

70年大阪生まれ。国境、歴史、蔵書に家族問題と扱うテーマが幅広いフリーライター。『僕の見た「大日本帝国」』(角川ソフィア文庫)『誰も国境を知らない』(朝日文庫)『本で床は抜けるのか』(中公文庫)『わが子に会えない』(PHP)など著書多数。2019年11月にメシ通での連載をまとめた『極限メシ!』(ポプラ新書)を出版。

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