日本の「家庭料理の代表格」「おふくろの味の代名詞」として、しばしば名前が挙がる料理といえば「肉じゃが」。誰もが食べたことのある料理だろう。
そんな身近な肉じゃがに関して、「我こそは発祥地」と名乗る街が日本には2つある。
広島県の呉と、京都府の舞鶴だ。今回は、肉じゃがのルーツを検証するために、広島県呉市へと向かった。
まずは「くれ肉じゃがの会」に聞いてみた
呉には、肉じゃがで町おこしをしている「くれ肉じゃがの会」という団体がある。
肉じゃがの会の会長・山下 完治(やました かんじ)さんに「呉発祥説」について聞いてみた。
──呉が肉じゃが発祥地というのは本当なんでしょうか?
山下さん(以下敬称略):(キッパリと)本当です。われわれは呉を「肉じゃが発祥のまち」としてPRしています。発端は平成7年(1995年)、京都の舞鶴市が「肉じゃがができたのは、東郷平八郎がきっかけ」として肉じゃがの発祥地ということをアピールし始めたこと。それを知って「東郷平八郎さんは、舞鶴(明治34年)よりも先に呉に赴任(明治23年)していたんだから、肉じゃがの元祖は呉でしょう!」と。そこで、呉でも肉じゃがをPRすることになり、舞鶴より2年遅れの平成9年(1997年)に「くれ肉じゃがの会」を発足しました。
──肉じゃがの誕生には東郷平八郎が関係している、と。
山下:東郷平八郎は、明治4年から11年までイギリスに留学していました。そのときビーフシチューを食べて、とても気に入ったそうです。東郷さんが、そのビーフシチューを海軍の調理人に再現してほしいと頼み、調理人が苦心した結果としてできあがったのが「甘煮」という料理。この甘煮こそが「肉じゃが」のルーツなんですよ。その後、戦後の昭和40年代後半あたりに「肉じゃが」という名前で、家庭料理として普及しました。私の調べでは『家庭画報』(世界文化社)という雑誌が「肉じゃが」という名前を使い出したようです。
──ビーフシチューが肉じゃがの起源なんですか? 味が全然違いますが……
山下:もちろん、それには理由があります。海軍ですから、船の上で調理しなければいけません。だから、使える材料や調味料も限られますよね。さらに、当時の日本では手に入らない調味料もあったはずです。そこで、醤油などで代用して、おいしくなるようにいろいろと試行錯誤を重ねたんじゃないでしょうか。実は、甘煮は『海軍厨業管理教科書』というものにつくり方が残っているんですよ。
──調理人の苦労が想像できます。
山下:それと、舞鶴よりも呉のほうが有利な部分があります。それは食材。実は戦前、呉市は広島県の県庁所在地である広島市よりも人口が多く、市街地も大きい大都市でした。だから豊富な食材が集まってきたんです。さらに、軍港になる以前の呉は漁師町。だから食べるものも魚が多かったんです。そのため醤油屋さんが多く、しかも甘めの醤油でした。食材や調味料の面からも、舞鶴より呉の肉じゃがのほうが優っています。
ライバル・舞鶴とは切磋琢磨すればいい
──呉と舞鶴のあいだで論争になったりしませんか?
山下:なっていますね(と、にこやかに)。でも今は、呉も舞鶴も決着をつけるつもりはありません。呉と舞鶴がお互いに肉じゃが論争をすることで、すごく注目されるようになりました。「肉じゃがのライバル」として互いに切磋琢磨することで、双方の街が盛り上がるならそれでいいじゃないかという考えです。だから、呉でグルメイベントがあれば、舞鶴から肉じゃがのPR団体が呉にやってきます。逆に舞鶴のグルメイベントには、私たちが行きますよ。お客さんは、呉と舞鶴の肉じゃがを食べ比べできるので、とても好評なんですよ。
▲くれ肉じゃがの会の肉じゃが。いたってシンプル
──呉の肉じゃがの特徴はどんな点ですか?
山下:「甘煮」のつくり方に可能な限り近くしていることですね。舞鶴の肉じゃがは、彩りのためにグリーンピースやニンジンを入れていますが、呉はいたってシンプル。具はジャガイモ・牛細切れ肉・糸コンニャク・タマネギです。ジャガイモはメークインを使っていますよ。イモはイベントでは2つ、お店では4つに切っています。だから、食べ応えがあると思います! あと「くれ肉じゃがの会」の肉じゃがのおいしさの秘訣は、大鍋で煮ることなんですよ。大鍋だから、肉をたくさん入れることができますよね。だから、肉のうま味がいっぱい出て、ジャガイモなどの具材に染みこんでおいしくなるんです。
甘煮を求めて「呉ハイカラ食堂」へ
甘煮に近い味が楽しめるという「くれ肉じゃがの会」の肉じゃがを、グルメイベント以外で食べられるお店がある。
そのひとつが「呉ハイカラ食堂」。
呉ハイカラ食堂では、普段から大鍋で肉じゃがをつくっている。
▲写真は、団体客用の特別メニューとしてつくっているところ
上の写真でも十分大きな鍋であるのが見て取れるが、イベントのとき「くれ肉じゃがの会」はもっと大きな鍋でつくるという。
呉ハイカラ食堂の、一般のお客さん用のメニューでは現在「海自テッパンカレー(税込1,450円)」を注文すると、肉じゃがが付いてくる。
▲海自テッパンカレーは、海上自衛隊で使われている鉄板食器に、カレー・クジラカツ・肉じゃがなどたくさん盛り付けられたボリュームのあるセット。ただし数量限定なので売り切れに注意
▲これが「くれ肉じゃがの会」と同じ「呉の肉じゃが」
▲メークインは大振りなのを4分の1。かなり大きい
▲ふっくらとしながらも、ややネットリとした、メークイン独特の食感。味もよく染みている
▲牛肉もタレの甘みと、肉自体のうまみが味わえておいしい。タレはかなり甘め
▲呉ハイカラ食堂の前には40分の1スケールの戦艦「大和」の模型がある。実はこれ、肉じゃがの会のメンバーで手づくりしたもの。甲板部分を取り外すと、なんとイベント用の厨房に早変わりするそう!
▲さらに呉では、地元歌手が歌う肉じゃがの歌まである
▲しかも作詞はさきほどご登場いただいた「くれ肉じゃがの会」の山下さん!
お店情報
呉ハイカラ食堂
住所:広島県呉市宝町4番21号 折本マリンビル3号館 2階
電話番号:0823-32-3108
営業時間:11:00〜15:00
定休日:火曜日(祝日の場合は翌日)
駐車場:あり(有料)
大正10年創業の「田舎洋食 いせ屋」に行ってみた
呉で、実際に肉じゃがを提供しているお店にも話を聞いてみたい。
市内の老舗洋食店「田舎洋食 いせ屋」の店主・加納 充訓(かのう みつのり)さんに話を聞いてみた。
──いせ屋の創業はいつですか?
加納さん(以下敬称略):大正10年(1921年)に私の祖父が創業しました。祖父のあと父が継いで、私が三代目。実は、祖父も父も海軍で調理人をしていたんです。祖父は「浅間」という船の元コック長。海軍では、積極的に西洋料理なども取り入れていたんです。そこで培った洋食メニューをお店で出していたんですよ。「いせ屋」という名は、祖父が三重県四日市市の出身だったので、伊勢国から取ったそうです。
▲店内に飾られている戦前のいせ屋の写真
──その頃から肉じゃがを出していたのですか?
加納:少なくとも、私が物心ついたときは、肉じゃがはメニューにありませんでした。それ以前については、わかりません。祖父は空襲で亡くなってしまいましたから。当時は今と違う場所にお店があったのですが、お店の建物も壊滅状態になりました。だから、当時のことがわかるものもほとんどありません。
水を使わず、男爵を使う「いせ屋」の肉じゃが
▲いせ屋の店内は昔ながらの雰囲気
──いせ屋で肉じゃがを出し始めたのはいつごろでしょうか?
加納:20年ちょっと前くらいですかね。市役所のかたが、ぜひ昔の海軍風の肉じゃがをつくって欲しいと言ってきまして。うちは老舗の洋食店ですし、先程のとおり祖父と父が海軍のコックだったというのもあったんでしょうね。そのときに、市役所のかたから海軍の「甘煮」のつくり方が載っている『海軍厨業管理教科書』のコピーをいただいたんです。
▲いせ屋にある『海軍厨業管理教科書』の「甘煮」のページのコピー
──いせ屋の肉じゃがの特徴は?
加納:海軍の「甘煮」のつくり方に忠実につくっていることが特徴です。市役所からいただいた甘煮のつくり方のコピーを元に再現しました。一般家庭では肉じゃがに水を入れると思います。でも「甘煮」は水を使いません。つまり、ウチの肉じゃがは水をいっさい使っていないんですよ。食材から出る水分のみ。ただ、再現といっても海軍の甘煮のつくり方には、材料と手順しか書いてありませんでした。ですから、それ以外の部分はいせ屋らしさが出ていると思います。たとえば、いせ屋の肉じゃがで使っているジャガイモは男爵(ダンシャク)です。
──煮物といえば、煮崩れしにくいメークインというイメージがあります。
加納:一般的にはそうですよね。ただ、昔はメークインより男爵のほうが普及していました。さらに、男爵だとホクホクした食感が楽しめるのと、味がイモの中までしっかり染みこむということがポイントですね。ジャガイモは、呉の東隣・東広島市の安芸津町(あきつちょう)産です。安芸津はジャガイモの産地で「アカマル」というブランドが有名ですが、アカマルの出荷時期ではないときは、北海道や九州など、ジャガイモの有名な産地のものを使っていますよ。
海軍の甘煮はナゾが多いからこそ個性が出せる
──同じ呉でも、呉ハイカラ食堂といせ屋でも違いがありますね。
加納:さきほどのとおり、海軍の甘煮のつくり方には、材料と手順しか書いてありません。だからこそ、地域ごと、お店ごとの個性が出るんですよ。呉と舞鶴でも違いますし、いせ屋とほかのお店でも違いがあります。ほかにも、地域ごとに食材の特徴もあるでしょうね。海軍の「甘煮」のつくり方では牛肉ですが、戦後に家庭料理「肉じゃが」として広まってからは、豚肉を使ったり、鶏肉を使ったり、ほかにもいろんな食材が入ったりして、地域や家庭ごとの個性が出ています。そういった地域やお店・家庭の個性が出るのもおもしろいですよね。
▲これが、いせ屋の「海軍さんの肉じゃが (税別450円)」。パッと見た感じ、汁気が少ない印象で、これは水をいっさい使っていないためだ。また、肉は少なめで、イモとコンニャクが多めだ
▲男爵らしい見た目。ホクホクとした食感が楽しめる
▲イモにしっかりと甘めのタレの味が染みている
▲牛肉は細切れ肉。こちらもしっかりと味が染みていた
お店情報
田舎洋食 いせ屋
住所:広島県呉市中通4丁目12-16
電話番号:0823-21-3817
営業時間:11:00~15:00、17:00~20:00
定休日:木曜日(祝日の場合は翌日)
駐車場:なし
海軍料理研究者・高森 直史さんに聞いてみた
実は、肉じゃがのルーツは海軍の「甘煮」だと突き止めた人がいる。それが、海軍料理研究の第一人者・高森 直史(たかもり なおふみ)さんだ。
高森さんは、海上自衛隊に所属し「食」に関する分野に長年たずさわってきた。呉・舞鶴、双方での勤務経験もある。自衛隊退官後は、海軍の料理に関する著書も多数執筆。
▲高森さんの著書。これはほんの一部
まさに「大家」と呼ぶに相応しい存在。そんな高森さんに、肉じゃがのルーツについて聞いてみた。
「甘煮」のレシピは研究データだった!
──肉じゃがのルーツは海軍の「甘煮」というのは本当ですか?
高森さん(以下敬称略):私は「甘煮」がルーツと考えています。発見したきっかけは、昭和63年(1988年)のテレビ番組の取材。当時は、舞鶴で勤務していました。ある日、テレビ局から、肉じゃがの起源が海軍にあるかもしれないので、調査をして欲しいという依頼がきたんです。それを受けていざ調べてみると、なんと肉じゃがのルーツが海軍にあった証拠となる資料を発見したんです。
──奇跡的な話です!
高森:それは昭和13年に現在の東京・築地にあった海軍経理学校が発行した『海軍厨業管理教科書』。それに載っていた「甘煮」が、肉じゃがの材料と調理方法と同一であることに気付いたんです。そこで当時、甘煮や肉じゃがのような料理が世の中に普及していたかどうかを調べてみたんですが、そうした事実はありませんでした。ただ、明治37年(1904年)10月8日付の『時事新報』に「ある日の軍艦の食事」として「煮込 牛肉・玉葱・馬鈴薯(ばれいしょ)」との記事がありました。でも、調味料や味付けに関しては、いっさい書いていません。だから『海軍厨業管理教科書』の「甘煮」が肉じゃがのルーツではないかと考えたんですよ。
──なるほど。「甘煮」説にこのときに気付いたんですね。
高森:ちなみに現在は「甘煮」は「あまに」と呼ばれることが多いですが、振り仮名がないので、もしかしたら「うまに」と呼ぶ可能性もあります。それと『海軍厨業管理教科書』はテキストであり、載っているのはレシピだと思われていますが、それは違います。当時の日本海軍はとても料理に対して研究熱心で、いろんな料理を試してみたり、考えてみたりしていました。『海軍厨業管理教科書』に載っているのは、その研究結果のデータ集のようなもの。「料理をつくるのに、これくらい時間がかかった」というものなんですね。だから「甘煮」でも、材料や手順が簡単に書いてあるだけで、牛肉の部位・ジャガイモの品種・コンニャクの種類・食材の切り方・分量などは書いてないんです。ただ、時間を計測する料理として甘煮が取り上げられているということは、発行された昭和13年以前から甘煮があった可能性も考えられるわけです。
『海軍厨業管理教科書』に記された「甘煮」とは
「くれ肉じゃがの会」やいせ屋、そして高森さんの話でも出てきたキーワード。
それが『海軍厨業管理教科書』の「甘煮」。
この書は一般的に「教科書」であり「レシピ」であると認識されているが、実はレシピではなかったという事実は衝撃だった。
▲これが『海軍厨業管理教科書』の表紙(高森さん所蔵の昭和17年発刊のもの)
昭和13年発刊の『海軍厨業管理教科書』は、実は呉の西隣・江田島市の海上自衛隊第1術科学校に戦後保管されていた。それが昭和53年に、舞鶴にある海上自衛隊第4術科学校に渡り、同図書館で保管されている。高森さんが所蔵しているのが、昭和17年発刊のものだ(写真上参照)。
肝心の甘煮が書かれてあるのは、163ページの「副食品煮炊標準要領」。掲載された15品目のうち、2番目に甘煮が書かれてある。
▲『海軍厨業管理教科書』の「甘煮」が書かれたページ。水をいっさい使わないのがポイントだ
▲当時、海軍の船では蒸気釜(ライスボイラー)で煮炊きしていた
手順にある「送気」というのは、蒸気を送るためのバルブを入れること。要は加熱開始ということ。現代でいえば、コンロのスイッチを入れることだ。
海軍には調理人の裁量に任せるという気風があった
──なぜレシピという形を取らなかったんでしょうか?
高森:当時の海軍には、料理に関する基礎を徹底して叩き込んだあとは、現場の調理人の裁量にまかせるという気風がありました。それと、海軍自体が料理に対して研究熱心だったんです。
──海軍が料理に対してかなり研究熱心だったのは何か理由があるのでしょうか。
高森:ひとつは栄養面です。船上で料理をつくるわけですから、船にあるものを使って料理する必要があります。しかも兵士の体調に関わることですから、栄養面を考える必要がありました。だから、限られた食材を使って栄養があるものをつくることが、海軍の調理人に求められていたんです。
──兵士を支えるための食事なので、研究する価値があった。
高森:理由はそれだけじゃありません。いってみれば、日本人の国民性ですね。当時の日本人は、料理についてうるさかったそうです。海外と違って、日本の兵士は「もっとおいしいものは出せないのか」とか、文句が多かったそうで(笑)。だから調理人たちも、おいしく食べてもらえるように、料理研究に余念がなかったんです。西洋料理なども積極的に取り入れていて、一般のホテルやレストラン・割烹など、さまざまな飲食店の調理人とも交流があったと聞いています。そうした交流の中から、いろいろな料理や技術を吸収していったんじゃないかと。調理人側の職人気質な面や研究心も、日本人ならではの国民性でしょう。
──いかにも日本的なエピソードですね。
高森:そんな海軍の調理人の努力は、その後の料理文化にも影響を与えています。昭和40年代後半あたりに、甘煮は「肉じゃが」として一般家庭に広まりました。栄養バランスもよく、材料も手軽に用意できて、調理法も簡単。しかも、老若男女に受け入れられやすい味。だから肉じゃがは、家庭料理として都合がいい。さらに大鍋で煮炊きできるので、学校給食にもピッタリ。だから、肉じゃがは庶民の定番の味になったんじゃないのでしょうか。ちなみに「肉じゃが」という名前の発祥は、よくわかりません。私は、大阪など関西からはじまったネーミングじゃないのかなという気がしています。
高森 直史さん直伝! 海軍甘煮風肉じゃが
ここで高森さんおすすめの、海軍の「甘煮」のつくり方をベースに現代家庭向けにした「海軍甘煮風肉じゃが」のレシピ(4人分)を紹介しよう。
まず、材料は以下のとおり。
和牛 細切れ肉 | 250g |
---|---|
ジャガイモ(男爵) | 中サイズ 6個 |
タマネギ | 2個 |
糸コンニャク | 120g |
ゴマ油 | 大さじ2 |
砂糖 | 大さじ3 |
醤油(濃口) | 大さじ3 |
つづいて、調理手順は以下。
- ジャガイモをすべて四つに切る。タマネギはすべて横に二つに切ったあと、それぞれ「くし切り」で六つに切る。糸コンニャクは3〜4cmに切る
- 牛細切れ肉をよくほぐしておく
- 鍋にゴマ油を入れ、中火〜弱火で牛細切れ肉を炒める。途中で砂糖を入れて、さらに炒める。焦げつかないように注意
- 加熱から約4分後、醤油を入れて弱火にし、絶えずかき混ぜる。次第に水分が出てくる
- 糸コンニャク・ジャガイモを入れ、かき混ぜたらフタをして弱火にする。焦げつかないように火加減に注意する
- 5から約20分後、タマネギを入れてかき混ぜ、中火〜弱火で煮る
- 約10分後、火を止めフタをして鍋を軽くゆする
- 約5分置いて、味をなじませたら、完成
※ なお、焦げつきそうな場合は、50ccほどの湯、または清酒をくわえてもよい
手順3〜7までは、海軍の甘煮と同じ、約34分だ。
高森さん特製の肉じゃがを試食
高森さんが実際につくった「海軍甘煮風肉じゃが」も試食させていただいた。 なお試食では、栄養面や彩りを考え、オリジナルレシピに加えてニンジン・インゲンも入れてある。
▲つくり方やその他の材料は、甘煮と同じ。味付けは甘めだ。
▲男爵のホクホクとした食感がおいしい
肉じゃがに正解ナシ! それぞれの個性を楽しむべし
肉じゃがの起源を探ってみた。こんな家庭的な料理にも、壮大な歴史が絡んでいるのがおわかりだろう。
東郷平八郎が肉じゃがの発祥に関係があるかどうかは、高森さんも正直なところ証明できるものがないという。しかし、少なくとも肉じゃがは海軍の甘煮に関係しているとみていいだろう。
そもそも、肉じゃがのルーツ「甘煮」には正確なレシピがなく、調理人の裁量に任せたもの。だから、呉や舞鶴、いろいろなお店、各家庭の肉じゃがを食べ比べてみて、それぞれの個性を楽しんでみてはいかがだろうか。
なお、肉じゃがのルーツについて詳しく知りたい場合は、高森直史さんの著書『海軍肉じゃが物語』や『帝国海軍料理物語』(ともに光人社)を読んでみてほしい。