「最初についてしまったイメージ」ってのは、厄介なもんですな。
たとえば私の知人、42歳の男。「日本酒を飲むと必ず二日酔いになる」と信じ込んでます。話を聞けば大学時代、先輩に“ポン酒”を飲まされ過ぎて吐きまくった思い出がまだ心にこびりついているよう。
「日本酒に罪はない、無理して飲んだこっちが悪いと分かっていても、なんか……口が受けつけないんだよね。思い出しちゃってさ」
と言って、卒業から20年経った今も日本酒を避けてのアルコール・ライフ。
お酒のトラウマってのは、飲兵衛なら少なからずあるもの。日本酒にかぎらず、ワインでも焼酎でもウィスキーでも、1つのお酒を飲み過ぎたことで地獄のハングオーバーを経験、以来「〇〇が飲めない!」ってな人はいるもんです。
テキーラ専門バー「Gatito」
そんなことを考えつつ、やってきたのは東京都品川区の大井町。JRの大井町駅から歩いてだいたい5~6分ぐらいのところ。
このお店、都内でも数少ないテキーラ専門のバーなのです。
そう、テキーラ……!
テキーラで羽目を外してしまった人は名乗り出てください。はい、その中に私もいます。“ショットガン”という言葉を思い出したくない人は誰ですか。“マルガリータ”を「甘くて飲みやすーい」と調子にのってしまった人は誰ですか。
すべて私です。
テキーラで1度、思い返すのもつらいほどの醜態をさらしました。冒頭で話した知人をまったくもって笑えません……。
お酒に罪はない。
調子にのって飲んだ私が悪い。でも……やっぱりテキーラを進んで「飲もう!」とは思わないまま、何年もが経過してしまいました。
大井町のテキーラバー、その名はガティート。
聞くところによれば、テキーラのおいしさに目覚めた店主が脱サラして始めたお店だそう。元々は大手出版社の社員だったとか。
うーん。安定した生活を捨てて、第2の人生をテキーラに賭ける……。すごいな。
私はきっと、テキーラの真価を知らずにいるんだろうな。このお店で、それを知ることができるかもしれない。
さっそく、入ってみよう。
ドアを開けてみれば、思いのほか天井が高い。入り口脇に4人用の木製テーブルが2つあって、
5人が座れるカウンターが目の前に広がる。あとで聞いたところによると、黒板に書かれているのはすべて店内にあるテキーラの名前なのだそう。
そのときテキーラに「落ちた」
そしてこちらが、
ご店主の、伊藤裕香(いとう ゆか)さん。
はじめまして、今日はよろしくお願いします。
伊藤:「よろしくお願いします。テキーラのおいしさを広めたいので、取材は大歓迎ですよ」
ありがとうございます。こちらのお店、オープンしてどのくらいなんですか?
伊藤:「今月(2017年7月)でちょうど4周年なんです」
おお、それはおめでとうございます。会社員生活からいきなりの飲食店開業と聞きましたが、そのいきさつ、教えてくれませんか。
伊藤:「私は以前、編集者として働いていたんです。当時はとにかく、過労でやられていました。忙しいけれど、やっぱり息抜きもして帰りたいんですよ。お酒を味わいたいというより、鬱憤(うっぷん)を晴らしたいだけの日もあって。『こんなときはテキーラだ!』って気持ち、わかります?」
手っ取り早く酔いたい、というか?
伊藤:「まさに。味わうものというより、一気に流し込んで酩酊(めいてい)するためにテキーラを選んだんです。でも、あるバーで出されたテキーラが私のイメージを変えました。いわゆる塩とライム付きの“ショット”じゃなくて、グラスに注がれて。飲んでみるとほのかに甘くて、香りがよくて、爽やかな味わい。このとき、私はテキーラに落ちたんです」
フォール・イン・テキーラ!
▲これがその伊藤さんが「落ちた」というテキーラ。あとでまた出てきます
伊藤:「はい(笑)。べらぼうに強くて、荒々しくてクセのあるお酒と思っていたのが、こんなにも香り豊かでおいしいものだった……そのギャップに驚きました。以来、ネットなどでテキーラを買い集めるようになったんです。自宅でテキーラ・パーティーを開いてみたら、友人たちの反応もいい。『こんなおいしいものなんだね』って反応を得て。そうするうち、自分の好きなものをもっと広めたい……という気持ちが強くなっていったんです」
脱サラ後、オーナーの道へ
▲バーカウンターの向こうにずらりと並ぶのはすべてテキーラ。店内には300種がそろう
そして開業、となるわけですね。しかしどうしてまた、大井町だったんですか。
伊藤:「ここの物件は元々がバーで、たまに飲みに来ていたんです。店内の感じもいいし、線路沿いにポツンとある感じが気に入って。あるとき、移転するとオーナーから聞いた瞬間、衝動的に『ここ、貸してください!』って言っちゃったんですよ。そしたらOKをもらえて。そこからは早かったですね。3カ月後にオープンしました」
▲店を出た右側の風景。線路と道がずっとまっすぐに続いている
会社員でなくなることに、不安はありませんでしたか。
伊藤:「辞めることに迷いはありませんでした。会社は『長期休暇を取っていいから、考え直してみては』とも言ってくれましたが、とにかく状況を変えたかったし、仕事にとても疲れていたのもあります。テキーラ専門のお店を開きたい、という思いも強くなっていました。テキーラのおいしさが日本で知られず、埋もれているのがもったいないな、って」
オープンまでの3カ月間は、どんな準備をなさったんですか。
伊藤:「ともかく飲食業は初めてですから、図書館で『飲食業を始めるにあたって』みたいな本を読んだり(笑)、バーテンダーの知人にアドバイスをもらったり。食品衛生責任者の資格を取って、日本テキーラ協会公認の『テキーラ・マエストロ』の資格も取りました。いわゆるソムリエ的なものですね。グラスやお酒もそろえて。仕事が忙しすぎてお給料を使う暇がなかったのが役立ったんです。開店資金はなんとか借金をせずに賄えました。借金は嫌いなので、やれる範囲でやろうと」
▲店名の「ガティート」はスペイン語で「子猫」の意味。ちょうど開店当時に伊藤さんが子猫を拾ったことによるそう
伊藤さんは開店にあたり、何人ものバーテンダーの友人から「テキーラだけでは経営は難しいよ」と助言されたそう。しかし当初の考えを曲げることはなかった。
伊藤:「みんなが『いいね!』っていうことをやっても仕方ない。そう思うんです」
判断はブレなかった。かくして2013年7月に「ガティート」はオープンする。
女性ひとりでやっているお店、最初はスナックと勘違いしたようなお客さんも来た。
テキーラ以外はないのか、とも何度も聞かれた。
その都度丁寧に、お店のコンセプトを伝えては味を試してもらうを繰り返し、気がつけば4年が経った。
口コミでその存在は広がり、テキーラ・ファンが増えていったのだ。
テキーラってどんなお酒?
さて、ここで基本的なクエスチョン。
「テキーラって、どんなお酒?」
きちんと説明できる人、日本にどのくらいいるだろう。サボテンから造る蒸留酒? あれ? 伊藤さん、教えてください!
【どこのお酒?】
テキーラはメキシコのお酒です。ハリスコ州テキーラ村というところを中心に、限定された地域でつくられたものしかテキーラとは名乗れません。シャンパンのように原産地呼称制度があるんです。各社合わせて、1700種類ほどの銘柄があります。
【3つの区分】
テキーラは熟成期間によってその呼び名が変わります。
一例として、それぞれ注いでみますね。
右からブランコ、レポサド、アネホと呼ばれるもの。色が透明から、うっすらと黄色味をおびて、最後は茶色になっていますね。
ブランコは熟成させず瓶詰されたものです。レポサドは樽で2カ月以上1年以内で熟成させたもの、アネホはオーク樽で1年以上熟成させたものを指します。
ブランコは、シャープですっきりとした味わい。次第に樽の風味が増して、アネホになるとウィスキーのような熟成感があるんですよ。
【何から造られる?】
原料はサボテンと思われがちですが、違います。ブルーアガベ(和名:リュウゼツラン)という植物から造られます。
▲収穫されるブルーアガベ(メキシコのハリスコ州アマティタン地区、エラドゥーラ蒸留所にて伊藤裕香さん撮影)
このブルーアガベだけで造られた「100%アガベ」のテキーラこそが、私がみなさんに伝えたいもの。丁寧につくられ、熟成された100%アガベのテキーラはバニラやキャラメル、フルーツのような複雑な香りがあります。
だから、一気飲みするなんてもったいない! 「テキーラは二日酔い必至」と思っている人も多いでしょうが、100%アガベは飲んだ翌日のスッキリ感も抜群なんですよ。
【最後にひとこと】
はい、テキーラは一気飲みするものという認識を改めましょう。これ、ホント悪い刷り込みです。
大評判の裏メニューとは
じゃあさっそく、テキーラを味わうとしましょうか。
「ガティート」は食事もおいしくて、取材後すっかり長居してしまいました。
来店したらこれは食べたい「灼熱のエローテ」(800円)。
メキシコの焼きトウモロコシ料理で、味つけはマヨネーズ、ライム、チリパウダーにハラペーニョ。上にのっているのはカッテージチーズ、そしてパクチーが散らされています。
後を引く、とはまさにこのこと! ほどよい酸味と辛味にトウモロコシの甘味が相まって、いいアテだなあ。
ここで「パトロン シルバー」(1,000円)を飲んでみました。
「パトロン」とは世界的に有名な銘柄のひとつで、「シルバー」とは先の「ブランコ」の別の呼び方。伊藤さんは先日、ここの蒸留所を見学してきたそうですよ。
さて、いただきます。
お、喉が熱くなる高アルコール独特の感じはやっぱりあるけれど、フルーティな香りが口に広がって、後口は爽やかだなあ……。
うまい。
伊藤:「テキーラの度数は総じて40度前後のものが多いんです。ウォッカやラム、ウィスキーはもっと高い度数のものもあるので、『テキーラ=ことさら強いお酒』というのも誤解なんですよ」
とはいえ、やっぱりクイクイいっては酔いそうだ。ゆっくりと口になじませつつ楽しもう。だんだんと、鼻に抜ける香りを楽しめるようになってきたぞ。
そしてまたエローテが恋しくなる。テキーラって、つまみと一緒に味わえるものなんだな。
伊藤:「そう! テキーラは食中酒なんですよ。メキシコ料理だけでなく、いろんな料理と合うことも広めたいんです。お寿司に合うテキーラだってあるんです。あ、白央さん、ちょっとこれとテキーラ、合わせてみてください」
といって伊藤さんが出してくれたのが……
なんと餃子! 「ガティート」の裏メニューとして好評なのだそう。
伊藤:「裏としてるのは、メニューに書いちゃうとみんな頼んじゃうから。食べたい人で、知ってる人が頼んでくれればいいかな、と」
なるほど。
用意してくれたのは3種の盛り合わせ(1,000円、写真上)。
手前が合挽き肉とキャベツ入りの餃子で、アクセントに沖縄産の苦菜(にがな)が入ったもの。
左のパクチーがのったものがトムヤムクン餃子で、タイ風のスパイシーな味つけでエビ入り。そしてハラペーニョがのった餃子はラム肉餃子。いずれも皮がもっちり、あんがみっちり。苦菜、唐辛子、ラムとクセの強めな味わい、お酒を呼びますね。
▲トムヤムクン餃子、エビがごろっと入ってますよ
テキーラの魅力を知って欲しい
次はレポサドタイプ、「ドンフリオ」(1,200円)をいただいてみました。8カ月間、バーボン樽で熟成されたもの。伊藤さんのテキーラ観を変えたアレです。
うって変わってなんとも……まろやか、角がまったくありません。柔らかなシルクのような感触というか、飲み心地がとてもいい。餃子とテキーラがなんの違和感もなくお互いを引き立てあう感じ、新鮮だなあ。
餃子には口当たりのいいテキーラ・カクテルもおすすめ。その名も、「パローマ」(900円)。
伊藤:「テキーラのカクテルというとマルガリータばかりが有名ですが、この『パローマ』も現地メキシコで人気なんですよ。テキーラのブランコをグレープフルーツジュース、ライム果汁、ひとつまみの塩を加えて、トニックウォーターで割ったものです」
これがサワー感覚で飲みやすく、実においしい。テキーラの香りにグレープフルーツって合うんですね。夏にぴったり!
伊藤:「これ、いいでしょ? なんで日本で流行らないのか不思議なくらい」
シメのメニューとして評判の「ガパオライス」(1,200円)。
作る直前に伊藤さんはスイートバジルを摘みに行きました。もぎたてのハーブがしっかり香る、おいしいガパオでしたよ。
最後にいただいたのが、アネホタイプの「サウザ オルニートス ブラックバレル」(1,100円)。どこか南国のフルーツのような香りがあって、ブランデーを思わせるような味わい。
ガパオのスパイシー感が残っている口に広がる熟成されたテキーラ。このミックス感、なんとも……おもしろい! こんな口中調味が世の中にはあったのですね。
伊藤:「テキーラのおいしさ、面白さをもっともっと発信していきたいんです。『今日はテキーラ飲むぞ!』って人、まだまだ少ないでしょう。そんなこと言おうものなら、『お前、なんかつらいことあったの? 今夜は酔いたいの?』って思われてしまう(笑)。かつての私もそうでしたしね」
「今夜はワインを楽しもうか」みたいな感じで、「味わうものとして」100%アガベのテキーラを選択してくれる人を増やしていきたい、という伊藤さん。
今日はいろいろ教えていただき、ありがとうございました!
テキーラの「真価」を味わいに、大井町へ足をのばしてみませんか?
ちなみに伊藤さん、沖縄にも2号店を出してるんです。
お店の名前は「TEQUILA BAR Elote」(住所:沖縄県那覇市牧志1-1-39 stepビル4-B
電話:098-917-5469)。
お近くのかたでテキーラに興味あるかたは寄られてみては?
お店情報
テキーラバル Gatito(ガティート)
住所:東京都品川区大井4-10-7 1F
電話番号:03-3774-7757
営業時間:18:00~24:00(金曜日のみ ~翌2:00)
定休日:無休
ウェブサイト:http://gatito.jp/
※この記事は2017年5月の情報です。
※金額はすべて消費税込です。