日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして “食事” だ。その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。
プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。そんな食にまつわる話を、さまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。
第7回の登場は元クラッシュギャルズにして、現在はプロレス団体「マーベラス」代表の長与千種さん。
1984年にライオネス飛鳥さんと「クラッシュギャルズ」を結成し、それまでの女子にない男子レスラー的な技を取り入れ、ダンプ松本さんとの抗争は日本中の女子を熱狂させた。
さらに『炎の聖書』など歌も大ヒット。歌番組やドラマにも多数出演。
一度はプロレス引退するも復帰、その後 GAEA JAPANを設立して里村明衣子をはじめとした名選手を生み出し、指導者としての腕も確かであることを証明した。
2014年に女子プロレス団体・マーベラスを旗揚げし、新たな女子プロレスの時代を築き上げるべく代表そして指導者として選手たちを育てている。
「梅干し」を持っているだけで寮のシンデレラでした
長与さんが最初に入った全日本女子プロレス(以下・全女)。以前ブル中野さんからも話を聞いた、若手時代の全女の食生活のひどさは衝撃的でした。
長与さんは中野さんより3年ほど早い入団ですが、その頃の全女の生活は?
── ブル中野さんによると、寮住まいの練習生には米しか与えられなかったそうですが、長与さんの時代はどうだったんですか?
私たちの頃も寮生は米だけですね。全女はどれだけお金がもうかっても、そこだけは変わらなかったです(笑)。新人も多かったし、「お前のかわりはいくらでもいるから」って扱いなんですよね。だから、お米をどうおかず風にアレンジするか、いつもすごい考えてましたね。味を変えたり、つぶしてお餅風にしたりして。もち米じゃないんですよ(笑)。
── では「お金もないし、おかずもない」のは長与さんの頃から変わらない?
もっとひどかったんじゃないですか? 私が全女に入った頃は会社が倒産するのしないのって話がしょっちゅう出てて、何回も目黒不動前にあった会社の荷物を片付けさせられてましたからね。事務所移るらしいよ、って話が出ては荷物をまとめて、話がなくなって荷物を解いて……みたいな。会社はギリギリっていうか、お金を借りまくっていたようでしたから。
── 練習生として入ってみたら、いきなりそんな状況で。
でも全女って、ギリギリで経営を立て直すんですよね。そのパワーはすごかったです。そんな中だから、米しかなくても仕方ないな、って感じでしたね。ただ関東近郊から来ている寮生は、日曜日に家に帰ることが出来るんですよ。そこで家メシを食べられるわけです。なおかつ缶詰とか、いろんなものをいただいて寮に戻ってくるわけですけど、わたしたち地方組はもう手ぐすね引いて待ってますよね。
── おこぼれに預かろうと。
そうですそうです! 練習すると甘いものも欲しくなりますけど、しょっぱいものも欲しくなるわけです。だから梅干しとか持って帰ってきた子はまさにシンデレラですよ!
── 梅干しだけでそんなレベルに!
もう、寮の中のシンデレラです。「その一粒をどうかいただけないか……」って。だから梅干しにまつわるトラウマみたいなのがありますよね。その後、紀州南高梅を食べたときは「こんなおいしい梅干し、あったんだ!?」って冗談抜きに驚きましたからね。ひとつずつ袋に入れて売ってるんですけど、それを買えるまできた自分って、出世したな……って(笑)。
ごはんと一緒に炒める具さえ買えなかった
そんなギリギリの経営状態の全日本女子プロレスも、クラッシュギャルズの大成功で長与さんが復活させることになります。
しかし、そこに至るまでの若手時代の食生活はとにかく悲惨でした。
あと練習生の頃の思い出っていうと、「タバスコごはん」。
── それって名前どおり、タバスコを混ぜたごはんですか?
そうです。寮の台所には調味料はいちおうあるんですけど、それを使うおかずがないわけです。ごはんとかを炒めるんだけど、そこに入れる具すら買えない。それでタバスコを突っ込んでみようと思ったんですね、赤い色がついたらケチャップがついた感覚になって、ちょっとうれしいじゃないですか(笑)。
── まあ、たしかに色は……。でも味は?
作っているうちに異臭がしてくるんですよね(笑)。辛さの異臭が。でもそれを食べていると、だんだん口の中が麻痺してきて、どんどん食べられるんですよ。それさえもおいしかったです。
── とりあえず「味がついている」というだけで。
ダンプさん(ダンプ松本)がまだ本名で試合してた頃とか、作ってやったりしてましたね。ウチの同期の間では「タバスコごはん」は有名ですよ!
── ブル中野さんは「紅生姜ごはん」って言ってましたから、各世代にあるんでしょうね、そういうのが。
あと、ぜいたくするときは「マヨネーズごはん」を食べてました。
── マヨネーズは調味料になかったんですね。
そうなんです。買わないとダメ、でも本当にお金がなくって。それで近所に酒屋さんがあったんですけど、その当時コーラの1リットルの瓶を返すと40円もらえたんですよ。それでケースごと◎◎したことがあって……。
── 時効ですけど、完全にダメな話です!
瓶が並んだケースが外にいっぱいあって……わかります?
── わかるけど、やっちゃダメですよ!
夜中にケースごとガチャガチャガチャ! って持っていって。それで自分たちもバカだから翌日とか翌々日に瓶を持っていくんですよ(笑)。でも酒屋のおばちゃんは黙ってニコニコしてお金をくれるんです。ぜんぶおばちゃんにはバレバレだったと思うんですよ。それで「頑張るんだよー」って言ってくれて。
── ありがたさしかないですね……。
そのお金でマヨネーズのでかいのが買えるんです。もうごはんにマヨネーズをガーッとかけて、もうパーティーですよ。こんなパーティーなことないよ! って食べてました。あと卵なんかも買ってね。もうセレブな感じですよ、気持ちが。
── 卵とマヨネーズが最高のぜいたくとは! ちなみにブル中野さんの練習生時代の給料は月に5万円で、そこから寮費の5千円を抜かれて4万5千円だったそうです。長与さんの頃は?
自分たちの頃も同じで、寮費を抜いて4万5千円をもらう約束だったんですけど、その頃は本当に団体がよくなかったので、その額がちゃんと出たことはほとんどなかったです。最初は1万円で、その後も2万円だったり3万円だったり。入団を決めたのは月刊平凡か明星のレスラー募集に「給料10万円!」て書いてあったからなんですけどね(笑)。でも「女子プロレスラーになったら月給10万円なんだ」って思ってましたね。
── 実際、デビューしてから10万円もらえたんですか?
(首を大きく振って)ぜんぜんです! 選手になると1試合いくら、みたいに給料をもらえるようになって、普通のカードが6,000円、メインのカードに入ると8,000円なんですけど、選手が多い時代なんでそもそも試合に出られないんですよ。第1試合にすら入れないと、ひもじい思いが続くんです。そうなると目黒不動前の商店街で、「はぎれ」って言うんですかね、キャベツの端とかをいっぱいもらってくるんです。
──こう言っちゃなんですけど、ウサギの餌みたいな。
ウサギの方がぜんぜんいいですよ! あの街で生きていく術を覚えましたね。知恵をフル回転して、どうやって生きていくか考えてました。
── ほとんどサバイバル術の世界ですね(笑)。
ボコられてもいいから食べちゃおう
なけなしのお金で買った、マヨネーズを盛り付けたごはんがごちそうだったという練習生生活。しかし先輩選手との交流していくなかで、長与さんに人間らしい食事が出来る生活が訪れます。ごはんを食べさせてくれたのはあの伝説の女子プロレスラーでした。
── しかしあらためて壮絶というか、肉とかを食べられる環境じゃなかったんですね。
ないです(キッパリ)! ケンタッキーフライドチキンのお店に行けただけで本当に幸せでしたから。とんかつ屋さんとか、入団して何年目で行けたかな……そうだ、人のお金で行かせていただいたんですよね。
── ビール瓶の話に続いて悪い話が!
寮から出てやっと一人暮らしするようになったんですけど、試合に出られないからとにかくお金がないんですよ。2万円くらいの家賃すらも払えなくって、6カ月とか滞納しちゃって。それを知ったデビルさん(デビル雅美)がお金ぽーんと出してくれて、「みっともないことしてんじゃねえ! 家賃払ってこい!」って。
── カッコイイですねえ。
「先輩になったらすげえんだ」って思わされましたね。それで何万円も持って家賃を払いに行って、そのお釣りが出たんですよ。それで不動前に戻ってきたら、たまたまとんかつ屋さんの前にきて……そのにおいが、またいいんですよね。それでもうおなかも空いてるし、もうボコられてもいいから食べちゃおう、っていうんで、そのお店に入ってとんかつを食べちゃったんです。
── あらら。
帰って正直に言ったら、褒めてくれましたけどね。
── デビルさん、いい先輩ですねえ。
その後、デビルさんの家に転がり込んで住ませてもらうことになるんですよ。そこで作ってくれるのが肉ですよ、肉。豚の生姜焼きとか、いろんな肉。「肉ってこんな味するんだ!」って本当に思いましたね。
── 今の『週刊プロレス』の選手名鑑で、長与さんの好きな食べ物見たら「肉」って一文字書いてあったんですが、その執着がその頃に出来たのがよくわかりますね(笑)。では、食事に関してはデビルさんにお世話になりまくったと。
デビルさんは本当に言葉遣いとかにも厳しいけど、ちゃんと守るとすごくかわいがってくれるし、ぜいたくまではさせないまでもごはんは食べさせてやるっていう。「男気」じゃないけど「女気」みたいなのがありましたね。ごはんも作ってくれましたし。冷蔵庫にあるもの全部好きに使っていいよって言ってくれてたんですけど、貧乏性なんで卵かけごはんとかマヨネーズごはんしか食べられなくて。でも本当ごはんが食べられるだけでうれしかった。
── やっとごはんに苦労しない生活が訪れたんですね。
それにデビルさんの家って当時はまだ珍しかったビデオデッキ、しかもリモコン付きのがありましたからね。そのビデオデッキで、みんなで壊れるくらいまでプロレスの試合を見まくって……あと各部屋に冷暖房があって、「偉くなったらこうなれる」ってのがすべてそろってた。そのうち自分も全女のトップをはるところまでいったんですけど、若い子にはぜいたくはさせないまでもごはんは食べさせようってのはデビルさんから学びました。
クラッシュギャルズの時代
そして全女入団から4年目、長与さんはライオネス飛鳥さんとクラッシュギャルズを結成。プロレス界のみならず芸能界をも席巻、国民的レスラーになっていきます。
── クラッシュギャルズの結成で長与さんは一気に国民的スターになりました。ごはんもいいものを食べられるようになったんじゃないですか?
そうですね。ただなんでも自由に食べられるようにはなったんですけど、仕事が増えたぶん自由にできる時間がなくなって、そこでお弁当というものに目覚めさせられるわけです。
── テレビ番組にも出まくってましたからね、音楽番組にドラマにと。お弁当が食事の中心になっていくのはわかる気がします。
テレビ局にラジオ局・レコード会社、行く先々でお弁当が出てきて。そのうち「あそこのテレビ局のお弁当はうまい」とかわかってくるようになって。
── 思い出のお弁当ってありますか?
まい泉のお弁当とかおいしかったですね。あとは何だろう……うちは両親の実家が漁師だったんで、それまで魚を食べたいって思うことがなかったんですよ。
── 子どもの頃、あまりに日常的にありすぎて。
でもお弁当で魚と肉を選べたりすると、魚を食べることが増えましたね。お弁当に入ってる魚って、ほぼほぼ骨が抜かれてるじゃないですか。
── だいたいシャケとかサバとかで、骨は少ないですよね。
そうするとおいしく感じるんですよね。骨があると面倒くさい(笑)! でも、本当に弁当にはうるさくなりましたね。忙しくなって自分の時間がなくなってくると、弁当を食べている時だけがリラックスできる時間だったりするんですよ。だから、お弁当のチョイスにはこだわりますよね。
── 1日のわずかな安らぎの時間としての食事という。
あとその頃から姉と一緒に暮らすようになって、ごはんも作ってもらうようになるんです。お弁当ばっかり食べてると、生意気なもので家庭の味が欲しくなるんですよね。姉の料理も田舎の味だったりするから、それがごちそうに感じるようになるんです。それで、すっかり外に食べにいくことはなくなりましたね。巡業中とか、若い子や付き人を連れて行く時以外は。
── ちなみに当時の長与さんくらいトップレスラーだと、巡業先の後援者なんかとおいしいごはんを食べに行ったりすることもあったと思うんですけど、思い出の料理ってありますか?
それが自分は極端に人見知りなので、お食事会とかに呼ばれても箸をつけないんですよ。食べることにも気を使ってしまうというか。今でもあんまり手をつけられないですね。もうそれがクセになっちゃって。気を使ってしまうクセ、あとシーンとなることが怖くて、ずっとしゃべってしまうクセですね。その後にひとりで食べるラーメンの方が思い出に残ってたりしてね(笑)。
── あと全女といえば“三禁”(飲酒禁止・タバコ禁止・恋愛禁止)が有名ですけど、長与さんはお酒は飲まれるんですか?
私、お酒が飲めないんです。飲まされたことはあるんですけど、体質的に受け付けないみたいで、飲むと頭がガンガン痛くなって。体に合わないってわかったのはけっこう年いってからで。血液検査で腕にアルコール綿を塗られたときに肌が真っ赤になって「お酒飲めないでしょ?」って言われて初めてわかったんですよ。
── 三禁関係なくアルコールは飲めなかったんですね。あとの2つに関しては本題に関係ないのでここでは聞きませんけども(笑)。
全女は三禁とかいってましたけど、そんなのみんな破るもんじゃないですか? 破ってる人もいたと思います(笑)。私をはじめ(意味ありげに)。
「先輩の言うことは絶対」とか、そういうのはクソくらえだから
全日本女子プロレスで頂点をつかみ、引退した長与さん。しかし、「女子プロレスをやるために生まれた」とまで称賛された長与さんの才能を世間は再び求めました。
タレントとして活動していく中で、新たに巻き起こった90年代女子プロレスブームの最中に復帰。そして自らの団体「GAEA JAPAN」を設立しました。
団体旗揚げ戦に出場した新人たちは、これまでの女子プロレス界を覆すほどのインパクトのある試合を見せ、「驚異の新人」と呼ばれます。GAEA JAPANは90年代後半以降の女子プロレス界をけん引する団体に成長するまでに。
── 全女で選手として活躍した後、95年からGAEA JAPANで選手兼団体代表として活動されます。全女の時に出来なかったことを、食事に関してもやろうと思われたんじゃないですか?
そうですね。GAEAの時はまずぜいたくはさせないまでも食べられるように、それに全女の頃は「レスラーとしての体を作る」ということをやらせてもらえなかったし、その術もわからなかったんですよね。でもGAEAの頃はいろんなものを調べて取り入れることが出来るようになりました。だから食に関してはうるさかったですね。とにかく体を大きくするために食べろ、それも体にいいものを取れ、と。その頃からちゃんこ鍋ですね。
── 男子団体っぽい感じですね。
でも長与流のこだわりはあって、全女時代に巡業で日本全国いろんなところを回ったんですけど、すごく印象に残った食事が北海道の利尻だったんです。民宿みたいなところしか泊まるところがなくて、そこに皆で泊まったんですけど、お味噌汁があまりにおいしくて! それで聞いたら、そこのおばあさんが「利尻の昆布を使ってて、日本一おいしいよ」って言うんですね。知名度は日高昆布の方があるんだけど。それでGAEAのちゃんこはこだわって利尻昆布使ってました。それにいりこだしとかも入れて、肉も鳥・豚・牛いろんなのを使ってました。もちろん野菜も取りますし。
── 全女時代とはまったく逆で、選手の体のために徹底した食指導を行ってたんですね。
タンパク質もプロテインだけでなく、ちゃんとした食で取らせるために養鶏場に卵を頼むようになりました。箱ごと注文して、それをゆで卵にして黄身は近所のひとにプレゼントするんです。選手には白身だけを軽くお醤油とか塩コショウだけで10個とか20個とか食べさせてましたね。良質な筋肉を育てるために。
── 当時、男子団体だと「パンクラス」が肉体改造のための食事で話題になりましたが、GAEAもかなり徹底してたんですね。
量を食べるのは胃に負担かけるじゃないですか。せめて材料だけは良いものを、ってのはありましたね。
2005年4月にGAEA JAPANは解散、ほぼ同時期に全日本女子プロレスも解散し、女子プロレスはいちど冬の時代を迎えます。しかしその後、それまでの全女的な空気を持たない新団体が次々と誕生。女子プロレスの新時代が到来します。
そんな新潮流のなか、長与さんも他選手の挑発に乗る形で再度リングに呼ばれることに。選手として試合にも復帰しながら新団体「マーベラス」を誕生させます。
── 現在は長与さんはマーベラスを率いているわけですが、今の選手の食事はどんな感じなんですか? またGAEAの頃とは違う感じですか。
今はその頃とは違って無理を言わないです。食べろ食べろとは言わない。なぜかというと、今はGAEAの頃と比べてさらに素晴らしい情報があって、自分の体を作るために何が必要かわかるんですよね。食事を食べることとプロテインをうまく使い分けてるし、炭水化物のなかでもお米は糖分を含むからどうこうとか、理屈を全部わかってますよね。魚や肉はこれくらいでって自分のバランスがわかってるんです。
── 90年代からさらに体を鍛えるメニューが精密になったんですね。
卵も昔みたいに「白身を食べろ」とか言わなくなりましたね。今はそれに対応する素敵なプロテインがあるので、もう昔とは違います。
── じゃあ昔みたいに皆で一緒にちゃんこ作って食べるって感じではない?
そうですね。選手は寮で共同生活をしていて、みんなで作って食べることもありますけど、基本は自分がおなかが空いたら自分で作って。朝はヨーグルトを食べる選手もいれば100%ジュースとか飲む選手もいて、昼間に食べて夜はカーボカットをやる選手もいますし。「一緒に食べなきゃダメ」とか、そういうことは思わないですね。自分の体は自分で動かすんだから。そういう食事の面を見てても、今の子たちはセルフプロデュースが上手いですよ。プロレスラーって自分のなかにビジョンがないとダメなんで、どうあるべきか、どう強くなりたいのか、その先に映っている理想像にどう向かっていくか。
── それに加えて、経験に即したことを聞いてくれれば長与さんが教えてくれるわけですもんね。
自分が教えられることも多いです。トレーニングマシーンとかも自分の時代とは違いますから。昔みたいにとにかく筋肉を増やすみたいなのと違って、体幹運動とか緻密な鍛え方をしてますよね。「すごいな~」と感心して見てますよ。自分がよく言ってるのは「絶対はない」っていうこと。「先輩の言うことは絶対とか、そういうのはクソくらえだから」って。自分はそういうのを破ってきた方なんで。今の子は昔に比べて弱いとか言われがちですけど、五輪の主軸になってる若い選手とか、本当にすごいじゃないですか。昔は昔でよかった、今は今でいいんだよって。今の若い子を信じないで、何を信じるの? って思いますね。否定から入ってしまうと、伸びるものも伸びないので。
── 過去のやり方にこだわるのではなく、今の子の可能性を今のやり方で伸ばす、と。
ただ、寮に入ってきて、はじめて料理を作るみたいな子も多いんですよ。それまでずっと親御さんが作ってくださってて。だから頑張って作ってみたけど、まったく味がない料理が出てきたりして(笑)。あと今の子はごはんよりもプロテイン、みたいなところはありますよね。最近はプロテインもいろんな味があっておいしいじゃないですか。ここでも(寮を指差しながら)シェイカーをシャカシャカ振る音がずーっと聞こえてきますし(笑)。
今はマーベラスの選手たちと共にする時間が多い長与さん。話にもあったとおり、全員一緒に食事をすることはあまりないが「選手たちがごはんを食べているのを見るのが好き」だと言う。
本当に気を許した人と食べるときは、あまりしゃべらないです。気を使わずに、それをわかってくれてる人といるのが楽。高級なグルメとかより「あそこのパン屋さんがおいしいよ」とか言って、普通に買ってきてくれたパンを食べたりするのが幸せですね。クラッシュギャルズ時代とかは、あまりにも忙しくなりすぎて外の世界との接触もなかったし、いろいろなものを食べにいくこともあんまりなかったので、どこかに大きな忘れものしている気がしますね。時間があればまた違う楽しみ方も出来たと思うんですけど。
── 人気絶頂だった頃の食の思い出よりも、貧しかった時の食の思い出の方が強烈だったりするわけですしね。
それを思うと、練習生の頃のごはんにマヨネーズとかタバスコとか、好きなものをかけて食べていたのが自分にとって最高のグルメだったかもしれないです。卵1個のために九州の醤油を送ってもらったんですよ。「この卵、濃くっておいしいんだよ~」って言いながら。あれは最高のグルメでしたね。
全女の練習生として、クラッシュギャルズの成功の絶頂期、GAEA JAPANの旗揚げ、そして今のマーベラスと、ここまで時代によって食の光景が違う人はベテランの男子レスラーでもなかなかいないだろう。
その時代その時代でいろいろな刺激を受けながら成長してきた長与千種さん。そんな彼女が今の時代の空気を受けて、これからどんなレスラーを生み出すのか。いまや名伯楽となった彼女の姿からは、期待しか浮かばない。
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