「孤高の革命戦士」長州力の原動力となったメシの話【レスラーめし】

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日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。 その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして “食事” だ。

その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。

プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。そんな食にまつわる話をさまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。

今回登場するのは言わずとしれた「革命戦士」長州力選手です。

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リキラリアット」「サソリ固め」「パワーホール」「かませ犬発言」「またぐなよ!」「キレてないよ」など、ひとりのプロレスラーを語る時、長州選手ほど多彩かつ濃いキーワードが出てくる選手はなかなかいないでしょう。

 

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大学時代、アマレスで五輪代表に選ばれるほどの活躍ののち、新日本プロレスに入団。藤波辰巳との名勝負数え歌、そして維新軍のリーダーとして頭角を表す。

その後、ジャパンプロレスを旗揚げして全日本プロレスに参戦。ジャンボ鶴田天龍源一郎というトップレスラーと戦う中で、長州のファイトスタイルである「ハイスパートレスリング」は全日本にも大きな影響を及ぼしました。

 

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その後、新日本に復帰し、前田日明の「顔面襲撃事件」を起こしたUWFとの抗争や、日本マット史上最多動員を誇るUWFインターナショナルとの対抗戦などでも大きな存在に。

その後引退するも、大仁田厚との電流爆破デスマッチで復帰。WJプロレス旗揚げや、新日本へ現場監督としての復帰などを経て、現在もその気迫あふれるプロレス哲学は若手レスラーたちに伝授されている。

 

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9月3日には自らお店の顧問として参加している「お肉酒場GINZA-TEI with長州力」が飯田橋にオープン。

そちらのお店で、長州力とめしにまつわる話をうかがいました。

 

スズメを焼いて、塩ぶっかけて食べてたね

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山口県徳山市生まれの長州力選手。

兄弟4人の末っ子として育ち、中学で柔道、そして高校からアマレスを始め、高校3年生の時には国体優勝と、アスリートとして目覚め世界を目指すことに。まずは山口時代の話から聞いてみましょう。

 

──長州選手は子どもの頃、食べ物の好き嫌いってありました?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:ああ、なんでも食べましたよ。好き嫌いはまったくないですね、うん。あの時代の子はもう、みんななんでも食ったよね。

 

──山口にいた頃に食べた、思い出の食べものってありますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:家のまわりの畑とか、あと家の庭なんかに柿とか、いろんなもんが植えてあってね。学校の帰りによくもぎ取って食べたりしてましたよ。とうもろこしなんかよく食べてました。焼かないで食べてましたよ、生のまま。生でも食べるとでんぷんの甘さが染みてきてね。

 

──なるほど、いろんなところから頂戴してたんですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:当時は鉄道の線路の脇に作ってた人がいたりして、こっそりいただいてたね。魚釣りに行った帰りとかにも食べてたなあ。

 

──少年時代の思い出の味ですね。自宅での家族での食事風景は覚えてますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:家族の思い出っていうと、兄弟に負けないように自分で茶碗にすくってご飯食べてたことですね。4人兄弟のいちばん末っ子だったんですよ。兄が2人いて、体格は自分がいちばん小さかったですし。

 

──食べ盛りの兄弟の中で末っ子は苦戦しそうですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:ご飯はかまどで炊いてたんですよ。あれはおいしかったね! あと当時好きだったおかずっていうと、やっぱり卵ですかね。焼いても生でもやっぱおいしい。肉とかだと、カレーの中に入ってるものくらいしか食べられなかったかな。あと、家の前に米粒をまいて、飛んできたスズメを籠で捕まえて食べたりしてましたよ。

 

──捕まえたスズメを!?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:スズメはそこらじゅうにたくさんいましたからね(笑)。血抜きして、塩ぶっかけて食ってましたね。いや、塩なんてかけずに食ってたかな? 

 

オリンピック選手の身体を作った「工事現場メシ」

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──長州選手は高校でアマレス部に入部してインターハイ準優勝・国体優勝と素晴らしい成績を残し、その後専修大学レスリング部に進まれます。重量級というのもあって、やはり身体を大きくしなくちゃいけなかったと思うんですが、ご飯はいっぱい食べました?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:大学の頃は、ぼくは寮でしたからご飯は食券制の食堂だったんですよ。しかもあんまりおかわりすると栄養士さんに怒られちゃうんです。どんぶりで出るんですけど、食べ盛りだから本当はもっと食べたい。でも仕送りとかもそんなないから、外食したりしてまで食べられなくてね。2年の終わりからアルバイトが出来るようになって、それから腹いっぱい食べれるようになったんじゃないかな。

 

──それはバイト代でもっと食べるってことですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:それがね、ぼくが行ってたバイト先ってのが、小田急線沿いに狛江ってところがあって、そこにヤマト運輸の仕分けのセンターがあったんです。今はもう機械なんだろうけど、当時はひとつひとつ手作業で仕分けしてましたね。そこは伝統的に運動部の学生を優先してアルバイトさせてくれたんです。そこの仕事を夕方までやって、そのあとヤマト運輸の社員食堂みたいなところで食事させてもらって、また帰って寮の食堂のめしを食うみたいな。もう、いくらでも食べられましたね。

 

──バイトがある日は夜メシ2回食べれるぞ! と。バイト代も入るし。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:そんな感じですよ。ただ、オリンピック目指していた時は、はじめて経済的にもしんどくなってきて、ヤマト運輸を辞めてもっといいバイトしなきゃってなってことで、深夜の仕事をはじめたんです。日本道路公団とかの。

 

──はいはい、深夜の道路工事みたいな。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:ぼくたちは体力系だから、道路の横に排水溝みたいな水路があるじゃないですか。あれのふたを開けて、車についてるバキュームで水を吸っていくんです。それでまたふたを閉める。で、また次のふたをまた開けて……それをもう、ずーっとひと晩中やっていく。それがいちばん割がいいバイトでしたね。

 

──あのふたは重いでしょうし、その作業をひと晩中やるのは大変ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:冬なんかはかなり体力的にも厳しかったですけどね。親方さんはじめ、みんな優しくてよくしてくれましたよ。作業員の宿舎みたいなところで「いくらでも食べてけよ!」って感じで。あとそういうところのおばちゃんがまた優しいんだよ。あまったご飯でおにぎり作って、持たせてくれたりね。

 

「こんなうまいもの、毎日食えるんだな」

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1974年に新日本プロレスに入団した長州力選手。アマレスで実績を残したアスリートのプロレス転向、と華やかな入団ではありますが、もちろん最初は新弟子生活からのスタートです。

 

──新日本プロレスに新弟子として入団してからは、食事はいわゆる「ちゃんこ」ですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:そうですね。やっぱり鍋ものが多かったんだけど、肉に魚にと食べられて「こんなうまいもの、毎日食えるんだな」って思いましたね。それまでの食生活と比べると最高だよなって。

 

──給料もらって、しかもこれが食えるのか! と。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:そうですよね。本当においしかったんですよ。

 

──そのなかで記憶にある「ちゃんこ」のメニューはありますか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:牛肉でつくるバター焼きかな。あれはおいしかったですね。当時としてはずいぶんぜいたくな料理だったと思いますよ。材料を頼んでいた肉屋さん、その後ずいぶんでかくなりましたからね。

 

──アハハハ、たしかに毎日、新日本プロレスの道場から肉を注文されてたら、すごい額になりそうですもんね

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:すごいですよ、1日のちゃんこ代なんて5万円くらいじゃないかな。それが毎日ですからね。本当にうまいもん食べられてたから、外に食事に誘われても行こうとはあまり思わなかったですからね。

 

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──道場の方がおいしいもの食べれるから(笑)。でも長州さんも、もちろんちゃんこ番をすることはあったんですよね? 

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:ぼくも何回かやったんですけど、そんなにうまくは作れなかったね。バター焼きとか、あとすき焼きとかは作ったのかな。今は割り下とかタレとか出来ているのが売っているじゃないですか。当時は砂糖と醤油と……って感じで自分で作らなきゃいけなかったし、作ったら作ったで「このタレ、うまくねえな」とか言われるんです。ぼくらなんかよりも、お相撲さん出身の人の方が(料理が)うまいですからね。みんな「今夜のちゃんこ番は誰だ?」って、すごく気にしてたよね。

 

──今日の「ちゃんこ」がうまいかどうかは、誰が担当で作るかにかかってると。当時「ちゃんこ」を作るのが上手だった選手って誰ですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:やっぱり、キラー・カーンとか上手だったね。そのあともお店までやってるもんね。なにを作らせてもうまかった。上の人が「ちょっと味が違うな?」とか言うとふてくされてたけどね(笑)。でも、本当においしかったですよ。そんな(料理が)うまい人がいたから、ぼくは料理しなくてもなにも言われなかったね。

 

みんな勘違いしてるよ、「いいもんばっかり食べてるだろう」って

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80年代に入ると藤波辰巳との名勝負数え歌、革命軍からの維新軍結成、そして当時日本人では珍しい長髪をなびかせてのリキラリアットなどで強烈なインパクトを残し「革命戦士」の名を確立させます。

 

──若手からトップ選手に駆け上がるなかで、当時で言えば維新軍をはじめチームとしての活動が増えてきたと思いますが、そのメンバーで食事に行ったるすることはあったのでしょうか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:いやあ、あんまりないですよ。練習や試合はもちろん一緒だけど、試合が終わってホテルに戻ってシャワーを浴びて、メシを食いに行こうとするともう10時を過ぎてますから。ホテルで誰かに会っても「おう」って声かけるくらいで。

 

──集うのはあくまで試合に関する時だけで。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:そんな夜までやってるお店もなかったからね、ホテルの近くで看板に明かりがついてれば、ラーメン屋さんだろうがなんだろうが入ってましたよ。だからみんな勘違いしてるよ、「いいもんばっかり食べてるだろう」って。巡業で日本全国、何周もまわったけど「あのお店がうまいから行こう」なんて感じで入ったことはないですね。まあ、今考えるとちょっともったいなかったかな、とも思うんだけどね。

 

──ではそんな当時、食べたもののなかで印象的なメニューはありますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:やっぱり北海道ですね。あれは網走か稚内のほうだったと思うんだけど、北海道シリーズでそのあたりで休みがあったんです。それでゆっくりしていこうっていうんで、お寿司を食べたいなと思ったところにたまたま見つけたお寿司屋さんに入って。それで北海道だから、かにみそを食おうって話になって、今でも覚えてるのがかにみそをお寿司屋さんが巻いてくれたんですよね。鉄火巻みたいにして。

 

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──かにみそ巻、ですか!

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:かにみそが凍っててさ、それを巻いていくんだよ。それもタラバガニのみそなんですね。「たぶんこれ、こっちの方にしかないよ」ってお店の人も言ってたけどね、あれはうまかったなあ……。その後も食べたいなと思って何回か探したんですけどね、もうたまたま開いてたお店に入っちゃったんで、その後はもう見つからなかったですね。今もあるのかなあ、どうなんだろうね。

 

──長州さんをそこまで言わせた「かにみそ巻」! そのお店の名前、知りたいですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:でもやっぱり北海道はご飯はおいしいですよね。ホッケとかも大きさから違うしね。その辺の居酒屋さんと北海道の居酒屋さんじゃ明らかに違いますよ。

 

──じゃあ、巡業中はだいたいひとりで食事は済ませていた感じですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:付き人をやっている選手とかはだいたい雑用とか洗濯とかしてたりして、ホテルを出るのが遅くなるんですよ。だから彼らが洗濯機を回している時なんかに「おい、めし食いにいくぞ」って声をかけたりはしてましたね。まだデビューするかしないかくらいの選手。

 

──若手に声をかけていたんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:みんなまた洗濯に戻んなきゃいけないから、急いでお寿司をいっぺんにいくつも口に放りこんでね。味わってなんていられない、なんて感じで食べてましたけどね。「1回ちょっと見て、また戻ってくればいいから!」って言うんだけどさ。みんなよく食べてましたよ。

 

「浜さん」と「源ちゃん」との酒の思い出

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──プロレスラーに食の話をうかがってくと、やはり酒の話はかかせないのですが、長州選手はけっこう飲まれる方なのでしょうか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:ああ、ぼくは飲みたいなって時は飲みますけど、量は普通でしたね。年間230本とか250本とか試合をしてるのに、毎晩飲んでたらパンクしますから。それに、飲む時も相手を選びますよ。

 

──相手を選ばないと本当に大変なことになりますからね(笑)。長州選手が見たなかで、いちばん酒が強かったプロレスラーって誰ですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:それはもう坂口さん(坂口征二)ですね。うん、坂口さんは強かったなあ……(実感を込めて)。 九州出身で、焼酎好きでね。

 

──新日本の選手にこの質問をすると、誰に聞いても坂口さんと答えますね。では長州選手が今まで飲んだ人のなかで、酒の席で印象的な選手はいますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:浜さん(アニマル浜口)とはよく飲んだね! 浜さんと最初に飲んだときは、「この人と飲むのは、これが最初で最後だな」と思ったんだけどね(笑)。

 

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──え、浜口さんは酔っ払って大変になる感じなんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:暴れたりはしないんですけど、本当に豹変(ひょうへん)するんですよ。声は大きくなるし、すごい友好的に肩とかバンバンたたいてくるんだけど、あれは初対面の人はびっくりしますよ……(思い出したかのように)あの豹変っぷり! その時は、この人とは二度と飲みたくないと思ったんですけど、最終的にはそれからずっと飲む仲になりましたね。

 

──浜口さん、普段も声が大きいイメージですから、酒を飲むととんでもないんでしょうね(笑)。その後「ジャパンプロレス」として全日本プロレスを主戦場にしましたが、全日本の選手と飲む機会はありましたか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:あんまりなかったですね。源ちゃん(天龍源一郎)くらいだね。源ちゃんは外に出るタイプだから、お互いに誘い合って行きつけのお店に行ったりしたね。まあ、源ちゃんとはふたりで楽しく飲む感じですよ。

 

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──長州選手・天龍選手が一緒に飲んでいる場は「圧」がすごそうです!

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:源ちゃんは……すごい(酒量を)飲んでましたね。まあ、全日本の選手と飲むことはあまりなかったね。源ちゃんが連れてくる若手とたまに飲むくらいで。新日も全日も、飲んだ後はラーメン食って……みたいな感じで、どこもそんな変わらないと思いますよ。ただ下戸の選手も多かったですけどね。いまのプロレス界はもっと多いでしょうけど。

 

──今の選手で昔みたいな浴びるように酒を飲む、って話はさすがに聞きませんね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:今の若いのと一緒の時に「なに飲む?」って聞いたら、普通に「あ、ワインの白でお願いします」みたいなのもいるからね。そういう時はもう、黙って帰りますよ(笑)。

 

いま家で酒を楽しむ時は泡盛のコーヒー割

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──今回は長州選手が顧問として名前を連ねている「お肉酒場 GINZA-TEI with長州力」が飯田橋にオープンしたばかりということで、こちらのお店でのインタビューになりました。やはり今でも食事は肉がメインですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:肉を食わないと力が出ないからね。肉はエネルギーの源ですよ。このお店のオープン前にランチの試食会をやったんですけど、サラリーマンが普段どのくらいの量を食べるかわからないじゃないですか。

 

──長州選手がサラリーマンの感覚をわかったら意外すぎます(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:だから、どのくらいの量を食べるかわからないんだけどさ、そこはちゃんと「満腹になるように」って伝えてあるんで。しっかり肉を食べて元気になってほしいですね。

 

──「酒場」だけに、酒ももちろん売りなんですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:そうですね。あと焼きもので焼酎のカップを作ったんですよ。茨城の笠間焼なんだけどね、ひとつひとつ自分で名前を入れて。さっき取材で会った源ちゃんと棚橋(棚橋弘至)にもひとつずつあげたんだけどね。この名前の模様がひとつずつ違うんだよ。ほら、焼けばそれなりに見えるだろ(笑)。

 

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──100個限定だそうですが、ひとつひとつ長州選手の手で書かれたというのがレアですね! 普段は長州選手はどういう酒を飲まれるんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20180907190712p:plain長州:家ではコーヒー割が多いね。泡盛とコーヒーを混ぜるんだけど、泡盛は「太郎」が好きでね。「太郎」と缶コーヒーを入れて、かちわりの氷をポンと入れて、氷を指でかき混ぜながら飲むのが今はいちばん好きですね。

 

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維新軍をはじめチームで活動しているイメージも強い長州力選手ですが、今回話をうかがってみてあまり他の選手とご飯を食べたりしていないところは「孤高の革命戦士」というイメージと重なる部分がありました。

現役当時、試合中にいつも見せてくれた、あのピリッとした緊張感は、インタビューをしたいま現在でも相変わらず。

ちなみに長州選手お気に入りの泡盛のコーヒー割は、「お肉酒場GINZA-TEI with長州力」で「RIKI割」の名前でメニューにもちろんあります。

 

ビターだけど人を酔わせる、まさに長州力のプロレスのような逸品です。

 

撮影:沼田学

 

お店情報

お肉酒場GINZA-TEI with長州力

住所:東京都千代田区富士見2-7-2 飯田橋プラーノモールCゾーン T-203A
電話番号:03-6261-6996
営業時間:月曜日~金曜日11:30 ~14:30(LO 14:00)、17:30 ~23:00(LO 22:00) 土曜日17:30 ~23:00(LO 22:00)
定休日:日曜日、祝日
公式ブログ:https://ameblo.jp/rikichoshu/

書いた人:大坪ケムタ

大坪ケムタ

アイドル・グルメ・芸能etcよろず請け負うフリーライター。メシ通での好評連載『レスラーめし』(ワニブックス・刊)が書籍版のみの追加エピソード、小林邦昭☓獣神サンダー・ライガー対談も特別掲載して絶賛発売中!

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