※記事内の取材は、2021年8月に感染症対策を取ったうえ、インタビューはオンライン・撮影のみ対面といった形で実施しております。
あなたの周りで、「実家が飲食店」という人は何人思い浮かぶだろうか。もちろん地域や年代にもよるだろうが、「自分も友達の大半もそうだ」という人は決して多くはないはずだ。
一方、メディアで活躍するお笑い芸人の中には、実家が飲食店を営んでおり、テレビやライブでネタにしたりエピソードトークにつなげている人がときおり存在する。飲食店という多くの人が訪れる場所で生まれ育ったことは、性格やキャラクターにどんな影響をもたらすのか。それは芸人になる道を選んだことにもかかわっているのだろうか?
そんな「実家飲食店芸人」のひとりとして今回登場いただくのは、ジャングルポケットのおたけさん。トリオでは「キングオブコント」の決勝にたびたび進出し、個人では出演する番組でいじられキャラとして近年ますます注目を集めるおたけさんの実家は、月島にある「もんじゃ 竹の子」だ。
もんじゃ屋の息子であることと「おたけサイコッチョー!」のギャグは関係ないだろうが、芸風自体には何かしら影響があるのではないか。そんな仮説に基づいて、おたけさんに話を聞きに行った。
16歳で実家が「工務店」から「もんじゃ屋」になった
▲「月島もんじゃストリート」からは少し離れた場所にある「もんじゃ 竹の子」。不動の看板メニュー「双子もんじゃ(1,000円)」、その正体は“明太もちチーズもんじゃ”
──「竹の子」は創業20年以上と聞きました。お店ができたとき、おたけさんは何歳だったんですか?
おたけさん(以下、敬称略):18歳……? いくつだっけ?(と、店にいるお母さんに聞く)。16歳でした。母方の実家が月島で工務店をやっていて、母親はそこで設計とかをやっていたんですよ。
その工務店を畳むことになって、倉庫だった場所が空いたんです。それで何か店をやろうってことで、もんじゃ屋になりました。
▲おたけさんとお母さん
──工務店からもんじゃ屋って、だいぶ大きな変化ですよね。驚きませんでしたか?
おたけ:言われてみれば、急に飲食店をやるとなったらびっくりしそうなもんですけど、そんなことなかったですね。
月島って独特な街なんです。昔っからの商店街があって、魚屋、肉屋、布団屋……僕が子どもの頃はいろんな店が並んでたんですけど、それがコロッともんじゃ屋に切り替わることがよくあるんですよ。
このあいだまで布団屋だったオヤジが、気づいたらもんじゃ屋のエプロン付けて立ってたりして。
──じゃあ「もんじゃ屋をやろうと思う」と家族から聞かされても、特に違和感はなかったんですね。
おたけ:なんもなかったです。うちはもんじゃ屋になったのが早いほうではありましたけど、周りでもそういう店はなくはなかったんで、本当に普通な感じでした。
──同級生にも、もんじゃ屋の子はいたんですか?
おたけ:同級生だと僕だけかな。でも先輩や後輩では全然いました。その後もんじゃ屋になった友達の家もありますし。
──実家が飲食店の人が本当に珍しくない環境なんですね。逆に「親は会社員」という人のほうが少なかったりするんでしょうか。
おたけ:もちろんそういう人もいましたけど、月島周辺で働いている人のほうが圧倒的に多かったですね。あとは、魚だったり青果だったり、市場で働いている親がいる人は多かった気がします。だからピシッとしたスーツ姿の会社員はほぼ見たことなかったですね。
お店の上階に一人暮らし、鉄板メシをつくって食べる高校時代
──お店と自宅は同じ場所にあったんですか?
おたけ:それがちょっと変わってて。家は別だったんですよ。でも僕は高校生になってから、店が入ってる3階建て一軒家の2〜3階にひとりで住んでました。夕方に学校から帰ってきて、そのまま下の店で鉄板使って何かつくって食べて、って生活をしてましたね。
▲かつて一人で暮らしていた上階
──もんじゃを?
おたけ:いや、さすがにずっともんじゃ食べてたわけじゃないです(笑)。普通のご飯なんですけど、なんでも鉄板で焼いて、そのまま鉄板をお皿代わりにして食べてました。
僕としてはだいぶ高級なご飯だと思ってましたね。ステーキがジュージューいってるみたいな状態で食べてるわけで、リッチじゃないですか。常に温かいままですし。
▲双子もんじゃを焼いていきます
──たしかに、冷める心配がないですね。お店の営業時間前にさっと夕飯を済ますような感じなんでしょうか?
おたけ:オープン後でも、お客さんが入ってない早い時間なら店で食べてましたね。
──そのままお店を手伝うこともあった?
おたけ:手伝いはしてました。というか、これもまた独特なんですけど、高校生が「バイトしよう」って思ったら、普通はカフェとかファミレスから始めるじゃないですか。
それが当時の月島の高校生は、まずもんじゃ屋だったんです。この街で気軽にバイトできる店がそれくらいしかなかったって理由もあるんですけど、ひとつメリットがあって、めちゃくちゃ時給がよかったんです。当時の高校生のバイト代が時給850円くらいの時代に、1,200円くらいもらえちゃったりする。
だからみんな、もんじゃ屋でバイトするんです。僕は実家がそうだったからここでやっていただけで、周りの友達たちはどこかの店で働いてましたもん。
▲慣れた手付きで油を引くおたけさん。コロナ禍以前は暇ができるとお店に来て、ごく普通に接客をしていたそう
──へー! おもしろいですね。
おたけ:月島ではみんな通らざるを得ない道なんですよ、もんじゃ屋バイトは。まぁ僕は実家で働いてたんで、もらってるのはお小遣い程度でしたけど。
並んで待つお客さんを帰す母を見て「商売っ気がないなぁ」
──お店をやっている家と会社員の家とで大きく違うのは、親の働きぶりと家の経済状況が子どもにも見て取れるところかなと思うんです。
おたけ:あー、なるほど。うちだとゴールデンウィークなんかはすごく忙しくて、お客さんが結構並んじゃうんですよ。でもうちの親は並ばれてるのがプレッシャーになるみたいで、帰しちゃうんですよね。あんまり商売っ気がないんだなと思ってました。
▲焼き始めのポイントは「最初は具材だけ落として、汁は入れません!」
──子ども心に「お客さんを逃しちゃって大丈夫なのかな」と思いませんでしたか?
おたけ:お客さんは待ちたかったら待つだろうし、待たせればいいのに、とは思いました。でも、そもそもうちって裏通りにある店なんですよね。ふらっと通りかかって「入ってみようか」というお客さんよりも、常連さんが多くてある程度客層が落ち着いてるんです。
だから普段は回すペースがつかめているところに、イレギュラーに人がいっぱい来るとうちの親は調子が狂うみたいで(笑)。
▲「明太子は土手に入れずに真ん中で焼いて、そこに汁を入れて混ぜていきます」と、説明しながらスプーンをかえす仕草がこなれています
──観光客の一見さんより地元の人が多いんですね。
おたけ:「もんじゃを食べるならここ」って来てくれる月島の方は結構いらっしゃいます。裏通りにあることもあって、僕とは一切関係なしに、大御所芸能人で定期的に来てくれている方もいたみたいです。大通りの店じゃないから来やすかったんでしょうね。
「何をしていようがいずれ継ぐことになると思っていた」
──一方で、間近で見ているからこそ「あとを継ぐべきなのか」という悩みも生まれやすいのかなと想像していました。おたけさんはそこで悩んだ時期はありますか?
おたけ:あぁ、それは僕はもう、継ぐ方向で考えてるんで。
──えっ、それは今の話ですか?
おたけ:はい。芸人の仕事とどういう割合でやるかはまだ考えてますけど、やるってことは決めています。
▲店内には若かりし頃のジャンポケの写真が額に入れて飾られている。斉藤さんの隣がおたけさんのお母さん
──そうだったんですね。芸人になるときに「実家を継ぐか、この道を選ぶか」と迷ったわけでもない?
おたけ:それはないですね。ほかに何をしていようが、いずれ僕が継ぐことになると思ってました。こんな言い方をするのもなんですけど、うちが寿司屋だったらそうはいかないと思うんですよ。どっぷり修行しなくちゃいけないから。もんじゃはそういうのが一切いらないんで(笑)。焼けさえすれば、誰でもやれますからね。
▲汁を入れきった後、全体を混ぜていく。「このときにキャベツは刻みすぎない! 最初から細かく切って出す店もあるんですけど、うちはこのやり方です。食感が大事!」
──だからこそ、もんじゃ屋に転向するお店が月島には多い、と。
おたけ:そうなんです。もんじゃ屋のすごいメリットって、料理するのは自分じゃなくてお客さんってところなんですよ! これがもう、画期的なんですよね。誰が考えたんだっていうくらい。
焼肉屋も肉を焼くのはお客さんだけど、肉を見定めたりする仕事はあるじゃないですか。そういうのも一切ございません。どんなもんじゃをメニューにするかっていう発想だけでいける。だから二足のわらじもできないことはないのかなって思ってます。
──でも、芸人としてさらに売れて忙しくなったらなかなか難しいのでは?
おたけ:今より忙しくなる可能性がちょっと低いと思いますけどね(笑)。万が一そうなっても、店もやっていきますよ。そこまで時間がないってことはさすがにないと思うんで。45歳くらいになったら、芸人なんて結構落ち着きますからね。
そこでブレイクする人だったら話が変わってきますけど、僕らみたいな感じだとある程度仕事は決まってくるんで、わりとスケジュールが見えてくるんですよ。だからもんじゃ屋をやるってなっても、自分も店に立てるだろうなって。
月島は「どうにかなるだろうって生きてる人が多い」
──「今より忙しくなる可能性は低いと思う」とあっさり言えてしまうのがおたけさんのすごさだな、と感じました。これからもう一段階ブレイクするにせよ、現状を維持して並行してお店をやるにせよ、どちらにしても楽しく過ごしていそうな想像ができます。
おたけ:そうっすね。これもまた月島の変なところで、なんでかわかんないけどこの街の人ってみんな楽しそうに生きてるんですよ。
今って、飲食店にとっていい時代ではないじゃないですか。だからしんどいこともあるんだろうけど、それでもなんか楽しそうに生きてる。欲深くないからかもしれないですね。殺伐としてないから、たまに帰ってくると楽しいんです。
芸能界はやっぱり常に闘っている感じがあるんで、疲れるところもあるじゃないですか。この街は落ち着けるんで、もしかしたら店と芸人と両方やっていたほうが、精神的にも安定するかもしれないですね。
▲完成後、最後のひと手間。「青のりをかけるのもいいんですよ。見栄えも良くなるし」
──お店をやっていると、ただ住んでいるだけよりも、街自体に深くかかわるので地元への愛着が強くなる部分はありそうですね。
おたけ:それはあるかも。地元のつながりが強くなるんで、ただ単に「月島に住んでます」っていうのとはちょっと違うと思います。この街の人って、昔っから(月島の)外に出ないんですよ。
今でこそ変わりましたけど、住んでいる人がみんなお互いを知ってる感じで。僕の子どもの頃なんか、駅に知らない人がいたら「誰だあいつ」ってなるくらいでしたもん。未だにそういう名残はあります。
▲実食。「うちは和出汁なんで、あっさりしてて食べやすいんですよねぇ」
──ザ・下町!
おたけ:それと、月島はお祭り好きが多いんですよ。3年に1回はお神輿が出る大きいお祭り(住吉神社例祭)があるし、それ以外の年も何かしらやっていて。人がたくさん集まって盛り上がって、街全体が楽しい空気になるんです。
祭り好きって陽キャラじゃないですか。だから月島の人は基本的におじいちゃんおばあちゃんでもテンション高くて、子どももそういう子が多い。年を取っても元気でノリが軽いんです。僕も「ノリが軽い」って言われがちなんですけど、完全に月島のせいですね。
「どうにかなるだろう」って生きてる人が多いイメージなんですよ、この街って。それで実際どうにかなってる。だから僕もそうなっちゃいました。
──以前テレビ番組の企画でお祭りのコントをつくっていましたよね。
おたけ:あぁ、そうっすそうっす(笑)。ちょっと月島イズムが出てましたね。
「ナメてるってよく言われるけど、しょうがない」
──「どうにかなるだろう」という空気は、たしかにおたけさんからすごく感じます。家がもんじゃ屋という環境も含めて、街全体の空気が今のおたけさんをつくったんですね。
おたけ:変に世間知らずだから芸人の世界に飛び込めたっていうのはあったかもしれないです。世間を知っちゃってると「そんなにうまくいかないでしょ」って見極めちゃいがちじゃないですか。
僕はこの街にしかいなかったんで、そういうことをなんも考えずに「まぁちょっとノリでやってみるか」っていけちゃったところはありますね。
▲「焦げたら焦げたで、それも魅力なんで」と太鼓判を押す
──そしてそのまま進んで来ることができた、と。
おたけ:うちの相方もそうですけど、地方から覚悟決めて来てるヤツと腹の据わり方が違うっていうのは本当によく言われます。「ナメてる」って。
でもしょうがないじゃないですか。だって「田舎から出てきたやつのほうが気合入ってる」って言われても、こっちは東京都中央区で育っちゃってるんで。そこはどうしたって違いますよね。
若手の頃なんか特に、みんな“かかり”きってて前のめり感が半端ない中で、そうやって楽に考えられたのはいい武器なのかなと思ってます。
▲「将来芸人の仕事が暇になっても、店に出られる時間が増えたらそれはそれでいいかなって。先のことをあんま考えてもしょうがないんでねぇ」(おたけ)
撮影:映美
プロフィール
ジャングルポケット・おたけ
1982年生まれ、東京都出身。2006年にジャングルポケットを結成。2015〜2017年・2020年「キングオブコント」ファイナリスト。現在は『有吉の壁』(日本テレビ)、『みんなDEどーもくん!』(NHK)、『一夜づけ』(テレビ東京)などにトリオでレギュラー出演中。個人としては吉本坂46のメンバーでもある。
告知
「ジャングルポケットコントライブVo.4」
2021年12月13日(月)
開場18:30/開演19:00/終演20:00
場所:ルミネtheよしもと
お店情報
もんじゃ 竹の子
住所:東京都中央区月島3-28-12
電話:03-3533-4711
営業時間:17:00~20:00(L.O. 19:00)
定休日:本来は月曜休だが、緊急事態宣言などの影響で不定休。要電話確認。
書いた人:斎藤岬
1986年生。編集者、ライター。月刊誌「サイゾー」編集部を経て、フリーランス。編集担当書に「HiGH&LOW THE FAN BOOK」など。