慶応生の胃袋を120%満たしてきた洋食店「とらひげ」は、“ひようら”の歴史そのものだ【青春グルメ 日吉編】

f:id:Meshi2_IB:20190113122943j:plain

誰にだって青春の思い出の味がある。そして、名門校と呼ばれる高校の多くが、生徒に長年愛される名店にことさら恵まれている。

学校取材の行き帰りにそんなお店に寄るにつけ、筆者ははたと気づいた。そして、お店への寄り道をノルマにもしてきた。その集大成が昨年出版した『名門高校 青春グルメ』(辰巳出版)だ。

名門高校 青春グルメ

名門高校 青春グルメ

  • 作者: 鈴木隆祐
  • 出版社/メーカー: 辰巳出版
  • 発売日: 2018/01/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

しかも、大学付属校となると、下手をすれば小学校から同じキャンパスにあり、付近の名店も幼い頃から関係各位の御用達。もはや第二のおふくろの味だ。

とりわけ私学の雄、早稲田・慶應の2校にはソウルフードだらけ。

なくなったお店も多いけれど、まだまだ踏ん張る老舗はOB・OGにとっても、母校訪問に欠かせない宿り木なのだ!

 

f:id:Meshi2_IB:20190118171036j:plain

▲今回の舞台となるのは日吉駅。東急東横線・目黒線・横浜市営地下鉄が通る、郊外のターミナル駅でもある

 

日吉でも青春グルメが次々と消え……

前回の早稲田編(下のリンク参照)に引き続き、今回は慶應の本拠地・日吉を紹介する。

www.hotpepper.jp

多くの慶應出身者が大学のキャンパスのある東京・三田ではなく、教養課程を過ごし、サークル活動のおよそベースともなる神奈川横浜市の日吉をホームグランドと認めている。日吉駅からは理工学部が置かれる矢上キャンパスも近い。

 

f:id:Meshi2_IB:20190118171405j:plain

▲日吉駅ビルには東急がドーンと入っており利便性は抜群

 

f:id:Meshi2_IB:20190118171850j:plain

▲改札前のオブジェは、多くの慶応生の待ち合わせスポットに

 

f:id:Meshi2_IB:20190118171056j:plain

▲駅の東側には慶応大学・高校の敷地が広がる。これぞまごうことなき名門校のキャンパス!(季節的に冬枯れしてますが……)

 

日吉駅の東側に広がるキャンパス内に大学と高校があり、西側の放射状に幾筋か広がる商店街の最も左を行くと、普通部(男子中学校)にぶつかるというわかりやすい構造。西側は別名「ひようら」とも呼ばれる。

f:id:Meshi2_IB:20190118171244j:plain

▲通称「ひようら」と呼ばれる日吉駅西口をパノラマモードで撮影。駅を中心に放射線状に4つの商店街が伸びている

 

実は日吉でもこのところ、老舗の閉店が相次いでいる。駅を降りてすぐの「喫茶まりも」が一昨年暮れに38年もの歴史を閉じると、昨年2月、浜銀通り脇で1984年から営業してきたパスタレストランの「マリーン」も閉店した。

f:id:Meshi2_IB:20190121103352j:plain

▲いまはなき「まりも」

 

まりものナポリタンにも地味にファンがついていたが、マリーンは店内外に慶大運動部のポスターが所狭しと貼られ、来店記念の写真や卒業生の名刺、著名OB・OGのサイン色紙で埋め尽くされ、いかにも塾生のオアシスという雰囲気を醸していた。トレンチノというかなり塩の利いた、豚を炒めてチーズを合えた炒めパスタが癖になる味で、ことに好評を博していた。

 

f:id:Meshi2_IB:20190118171119j:plain

▲いみじくも、今回紹介する「とらひげ」の姉妹店「とらの息子」の隣にひようらを代表する、パスタのお店「マリーン」があった。そのシャッターは下りたままだ……

 

ぼくは一昨年の夏場、『名門高校 青春グルメ』の取材で日吉をあらためて回った。その時も大会の後のコンパか、「慶應高校水泳部 貸切」という看板が出ていて入れず、相変わらずの盛況だなーと思った矢先。「マリーン」閉店の報を聞き、つい地団駄を踏んだ。まさに平成の終焉を感じたものだ。

現に「マリーンがなくなったよ」と何人か知己の慶應OBに告げると、一様に「えーっ」と驚きの声を上げた。

そんな彼らに「思い出の味は?」と尋ねたところ、年代を問わず開口一番に挙げる店名が「とらひげ」だった。

 

提供するのは「洋食の王道」

そんなわけで、「青春グルメ 日吉編」は「とらひげ」を紹介しよう。

f:id:Meshi2_IB:20190118171555j:plain

看板に創業1962年とあるが、実際の創業年はその1年ほど前という。場所は何度か移転している。

 

とらひげに関しては、ぼく自身、普通部の取材などで何度か日吉通いするうち、ボリュームたっぷりのランチセットに一番お値打ち感も持っていた。

f:id:Meshi2_IB:20190118171647j:plain

▲ある日の日替わりランチ(800円)。豚の生姜焼き&メンチカツというストロングスタイルのタッグが空腹を十ニ分に満たしてくれる。野菜も惜しげもなく盛ってあるのもうれしい

 

そして、とらひげは今のところ盤石である。

なにしろ、経営母体のビッグフーズは日吉一帯に数店舗も飲食店を展開。現店長の和田花美さんも創業者の娘なのだ。

f:id:Meshi2_IB:20190115135651j:plain

▲創業者の娘の和田店長を母と慕う学生も多い。生まれも育ちも日吉っ子で、そのトークは実に歯切れがいい

 

和田さん:もともと祖父が駅前でやっていた精肉店が基盤なんです。戦後すぐくらいからかな。隣が住まいでした。とらひげは父が立ち上げたんです。妹が生まれた頃にはもうあったから、1960年とかそれくらい。父が寅年生まれだから、こんな店名になったの。ひげはどこから来たのかな……。

 

NHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』に登場する海賊の名にあやかったのかと思ったが、番組の放送開始が64年だから勘定が合わない。

ともかくその名にふさわしい、豪快な洋食を食べさせるのが身上だ。

 

学生たちのニーズにガッツリ応える

日吉における青春グルメの重要な一端を担う「とらひげ」には、今となっては当事者しか知らないような歴史が隠されていた。

 

和田さん:最初はね、もっと地元客相手だったの。でも、日吉って町で慶應抜きには商売はできないでしょう。そこでどんどん学生さんを取り込もうとしてきたんだと思います。昔は麻雀屋さんがたくさんあって、半月型の箱に入れた、とんかつ弁当の出前がよく出ました。周りに今みたいにテイクアウト専門店もなかったしね。ウチより前だと、(オムライスで有名な)白鳥があったくらいじゃない? マリーンも元々は玩具屋さんだったもの。

 

f:id:ryuryusuzu:20190110152308j:plain

▲豊富な酒類に飲兵衛としては胸が躍る。今回はハッピーアワーのビールやサワーを楽しんだが、次回はワインをボトルでオーダーだな

 

やはり取材はしてみるもの。それは初耳だった。

ちなみにマリーン、味にほれ込んだOBらの支援で、復活が「あるとかないとかうわさは聞く」そうだ。そうなってくれればうれしいが……。

 

和田さん:(女子学生に人気だった)「キッチンくりの木」もなくなり、同じ系列の洋食「WAGURI」も今はとんかつだけになったわね。やっぱり揚げ物だけのほうが楽だから。一方でラーメン屋さんは確かに増えましたね。入れ替わり立ち替わりいろいろできるけど、古いところで「極楽汁麺 ラスタ」「武蔵家」「銀や」……。ウチも「どん」というお店をやってますけど(笑)。ラーメン屋さんはメニュー数少ないでしょ。でも、とらひげは独特。コックさんたちがいろいろ流行など取り入れ、アレンジしながらメニューを増やしてきたから。ずっと同じ物を出してても飽きられちゃう。だって同じ子が毎日来るんだもん。

 

f:id:ryuryusuzu:20190110152743j:plain

▲「とらひげ」の店内は清潔で広々と明るい。数年前に改装してから、女性のひとり客もグッと増えたという

 

確かに、「とらひげ」のバラエティーに富んだ日替わりやおすすめメニューを見れば、学生相手だからこその知恵と工夫がいかされている。

 

和田さん:下田寮って運動部の寮が(2006年に)できたんだけど、「高いわりにおいしくない」ってみんな言うの(笑)。それに事前の注文制だから「いきなり食べたい」にも応じてくれない。だから、昼夜と立て続けでもウチに来てくれるのね。魚料理も昔は置いてなかったの。でも、地方から来る子が食べたいって言うでしょ……。

 

そこでアジフライや白身フライならまだしも、焼き鯖(サバ)などがメニューに加わったのか!

地方出身者はなにも大学生ばかりではない。慶應は高校野球部も強豪。地方から目指してくる生徒もいるそうだ。実際、取材の数日前に内偵でお邪魔した時点で、ぼくの横の席に陣取っていたのは全員が附属からという大学野球部の部員4名。「とらひげが大学デビュー」というのがうち1人で、ほかの3人は「高校時代からちょくちょくお世話になった」との話だった。

もっとも、姉妹店の「とらの息子」のほうが若干リーズナブルなのと、高校生同士でも気後れなく入れるので、「よく通った」とは最も常連だった部員。部活により帰属先も違うのか、それともやはり世代差なのか、「マリーンロス」にはかかっていないそうだ。

彼らに聞いてもも、和田さんに自薦してもらっても、とらひげに特に看板メニューはなく、「2点盛り合わせでも800円の日替りか、AからCまであるセットのうち、680円と一番安いCランチがお得」という結論に至る。

実際、先の部員は高校時代はCランチ専従だったので、今は日替りが食べられ、「ようやく大学生になった気がする」と語っていた。

 

f:id:Meshi2_IB:20190118171658j:plain

▲日替わりランチ(一番上)の2点盛りの内容は本当に日によって変わるが、大体はソテーとフライの組み合わせで、栄養バランスにも富んでいる。和田さんはじめスタッフの“親心”を最も感じられるメニューとも言える

 

OB・OGの宴会にも完全対応

もっとも、OB・OGは母校愛がいくら強かろうが、平日日中に日吉に日参とはいかない。ところが、実は最近になってとらひげもハッピーアワーを導入。平日夕方の開店時間の17時半から2時間は、生ビールが350円、レモンサワーとハイボールが250円で飲めちゃうのだ。これを使わない手はない。

むろん休日に大学で集まりがあっても、定休日なしのとらひげ、いつだって寄れるし、現に同窓会にもよく利用される。そうなると、さらに太っ腹。土日は開店の11時から通し営業だが、なんと19時半まで上記の価格でアルコールを提供してくれる。

f:id:Meshi2_IB:20190118175605j:plain

▲お酒のメニューも豊富である

 

母校近くで昼飲みからぶっ通し宴会ができるなんて、さすがの早稲田界隈でもないのではなかろうか。しかも、とらひげはあくまで洋食店である。本格的なとんかつやステーキを肴にぐいぐい飲めるのだ。

 

そこで、メニューに「当店一番人気・おすすめ」と載っている、豚肉千枚カツ しそチーズ(写真下、定食1,200円、単品200円引き)を頼んでみた。

f:id:Meshi2_IB:20190111113509j:plain

▲いわゆるミルフィーユカツだが、量感は値段相応にたっぷり

 

f:id:Meshi2_IB:20190111113610j:plain

▲下味もしっかりついていて、ビールが加速度的に進む

 

アルコールで気持ちがつい大きくなり、これまた看板メニューの煮込みハンバーグに、シーズンスペシャルで牛タンシチューが盛り合わせられた皿を単品でオーダー。熱々の鉄鍋によそわれ出てくるそれは、見た目も味も申し分のないザ・洋食だった。

 

f:id:Meshi2_IB:20190111113351j:plain

▲特別メニューの煮込みハンバーグ&牛タンシチュー。慶應のお膝元の洋食店らしい豪勢さだったが、お値段は1,200円とさほど張らず、冬らしいディナーにありつけた

 

ほどよい濃さのデミグラスソースに浸ったハンバーグにナイフを入れれば、肉汁がたらりとあふれる。ナツメグの効いた昔ながらのバーグに舌鼓を打てば、シュワシュワのハイボールがあっという間に喉奥へと消えていく……。

 

最後の試合には親を連れてくる

そして、〆にはとらひげ創業以来のメニュー、 牛肉ニラ丼(写真下、1,000円)と決まっている。

f:id:Meshi2_IB:20190113122943j:plain

▲甘じょっぱいタレに絡んだ牛肉がニラと絶妙なコンビネーションを醸す牛肉ニラ丼。大盛りにしてみんなでシェアしたい

 

f:id:Meshi2_IB:20190113123017j:plain

▲やや甘めのタレが絡むこちらにはレモンサワーが打ってつけだ

 

これからも足繁く通い、常連なら時にありつけるという、まかないを出してもらえるようになりたい。和田さんは誇らしげにこうも語った。

 

和田さん:「いらっしゃいませ」じゃなく「おかえり」って言っちゃう子が何人もいるの。実家のお母さんが心配して「いつも何食べてるの?」って聞くんですって。それで「とらひげにはお世話になっている」と答えるらしく、果物を送ってくださったりするの。そして、学生はここ何年かはパシフィコ横浜で行わていれる卒業式の後、野球部員だったら自分が出る最後の試合には親御さんも来るから、ウチへ連れてきてくれるのよ。

 

これほど生徒・学生に愛されるお店も稀だろう。親までその存在を知っている「とらひげ」が、永久的にハングリーな学生らの胃袋を満たしてくれることを願ってやまない。

 

店舗情報

とらひげ

住所:神奈川横浜市港北区日吉本町1-5-41
電話:045-562-0066
営業時間:月曜日~土曜日・祝前日11:00~14:00、17:00~22:00、日曜日・祝日 11:00~14:30、17:30~21:30
定休日:無休

www.hotpepper.jp

 

※記事初出時、表記に不正確な箇所があったため修正いたしました(2019/2/12)

書いた人:鈴木隆祐(すずき・りゅうすけ)

鈴木隆祐

1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。教育やビジネス分野に造詣が深く、食べ歩きをいつしかライフワークとする。 『名門高校人脈』(光文社新書)、『全国創業者列伝』(双葉新書)、『東京B級グルメ放浪記』(光文社知恵の森文庫)など著書多数。

過去記事も読む

トップに戻る