4カ月間、光のない「極夜」の中で探検家・角幡唯介の胃袋を満たした“ごちそう”とは【極限メシ】

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2018年2月、作家・探検家の角幡唯介さんは『極夜行』(文藝春秋)を発表した。これは日の昇らない冬の北極を4カ月にわたって歩き続けた探検ノンフィクション。

極夜行

極夜行

  • 作者: 角幡唯介
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2018/02/09
  • メディア: 単行本
 

真っ暗で何も見えず、人にも会わない単独行をいったい彼はどのようにして果たし、作品として昇華したのか。過酷な環境を乗り越えるための食事とはどのようなものだったのか。ちょうど帰国中の角幡氏に話をうかがった。(フリーライター・西牟田靖)

 

話す人:角幡唯介(かくはた ゆうすけ)

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1976年、北海道芦別市生まれ。チベット奥地にあるツアンポー渓谷を旅し、その模様を『空白の5マイル』にまとめ、2010年度には開高健ノンフィクション賞を受賞。その後、北極で全滅したイギリスの探検隊の足跡を追った『アグルーカの行方』や、漂流した沖縄の漁船の行方を追った『漂流』など、探検行とノンフィクションをハイブリッドさせた作品を発表し続けている。最新刊は2018年2月に刊行された『極夜行』(文藝春秋)。角幡唯介ブログ「ホトケの顔も三度まで」

 

太陽が沈んだままの「極夜」

── 最新刊のタイトルには「極夜(きょくや)」という、聞き慣れない言葉が使われています。ここでいう「極夜」とはどんな現象のことを指すんですか。どうしてそうしたものに興味を持ったんでしょうか。

 

角幡:冬の北極とか南極で、太陽が地平線の下に完全に沈んで出てこず、24時間中真っ暗になる現象です。僕が行った北緯80度近辺だと4カ月ぐらい太陽が出ないんですが、完全に光が来ない真っ暗闇というのは2カ月少しでした。そんな「極夜」になぜ興味を持ったのかというと、昔の極地探検記に、太陽が昇ったときの様子や「太陽が昇るまであと何日」とか記してあったからです。それを読んだとき「そんな世界があるんだ」と感心し、興味を持つようになりました。

 

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── 未知の世界への興味なんですね。そもそもネットが発達して世界のどこにも地理的な辺境がないこの現代に、どうやって探検を?

 

角幡:例えば、地図を持たずに、国内の山の沢を登ったりしているんですが、地図を持たないことによって、その目の前の山が裸の山として、見えてくるんです。そのときに見えてくる山こそ本物の山という考えもあるじゃないですか。地図に侵されていない、まったく無垢(むく)で、何の情報もない現場に突然現れる山そのもの。それを見たときに何を思うのかとか。けっこう僕は最近そういう方向に行ってますね。今回、本にした「極夜」もそうです。

 

周知のとおり、人跡未踏の地はもはやほとんどない。そんな中、角幡氏は別の未知の可能性を求めての探検に挑戦している。それが自分自身の五感や経験だけを頼りにし、本物の自然とがっぷり四つで向き合う登山であったり、4カ月もの間、太陽を見ないで旅をするという人類がいまだかつて体験したことがない探検であったりする。

このようにGPSや地図といったテクノロジーやメディアから極力離れた脱システムという方法論を用いた上で、角幡氏は地理的な未知以外の未知を追求しようとしているのだ。

 

重要なのはルートより自己の内面

── 『極夜行』では、まずグリーンランドのシオラパルク近辺を拠点にされていますね。ここを選んだ理由は?

 

角幡:シオラパルクは、人が住んでいる場所としては最北の地(北緯77度47分08秒、人口68人)だからです。つまり人が住んでいる中で一番暗いところでもある、と。あと、犬ぞりが今も普通に使われているという点も理由です。ただ、行ってみたら旅するのがすごく大変なエリアでした。氷河があれば氷床もありましたし。

 

 

── 最新作では、これまでの探検とは違って、犬を同行させています。

 

角幡:このエリアには白クマがいるので番犬として、犬を同行させました。あとやっぱりひとりで行くのが寂しかったというもあります。だったら犬を連れて行けば多少は楽しくなるんじゃないかなと。犬種はウヤミリック(現地語で首輪の意味)という名のグリーンランド犬です。すごくきれいな顔をした犬で、当時は3歳だったけどすでに40kgぐらいあって、『もののけ姫』の狼(オオカミ)みたいって言われたこともあるくらいで。

 

── この旅を行うために、2012年12月末~翌年1月のカナダ実験行、2014年1~3月のグリーンランド偵察行、2015年3~10月のグリーンランドデポ(食料や燃料などの荷物)設置行と、準備に長い時間を費やしていますね。

 

角幡:食糧とも関係ありますね。暗闇の中で、狩りができないと考えていたんです。だから肉などの食料や燃料などを、本番のルート上にある現地人の小屋に事前にデポしていきました。

 

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── 当初の計画では、2016年12月にシオラパルクを出発後、4月までかかって約1000km先の北極海周辺まで旅をする予定だったのに、実際は半分ほどの約500kmでした。最後は2月末にシオラパルクへ引き返していますよね。ルートを大幅に短くしたこの旅は、ある意味で「失敗」なのでは?

 

角幡:ルートは重要じゃないんです。暗さとか、天体の動きがそこにいる人間にどういう影響をおよぼしたのかとか、闇にまつわるいろんなことが自分の中に立ち現れてくるわけです。それがどんなものか知りたかった。

 

「極夜」の中を何カ月も探検するというまだ誰も経験したことのない未知を、角幡氏が経験すること。その経験を通して、彼自身が何を感じ、何を思うのか。それをどうやって伝えるのかが、今回の旅の目的なのだ。

ただ、誰も経験していないことだからといって、闇ばかりが広がる極地の旅を描くのは並大抵のことではないのではないか。

 


極夜の探検

▲「極夜」を旅した角幡氏の姿はインターネットでも見ることができる(実際には文字どおり、なかなかの暗さだが)

 

光がないと、人は狂う

まさに最果てといえる、光のない「極夜」の大地。当然ながら角幡氏に襲いかかる自然現象の過酷さたるや、すさまじい。

ブリザードで位置を知るために必要な六分儀(天体などの位置や高度を計測し現在位置を知る道具)をなくしたり、7時間ぶっ続けで除雪しなければならなくなったり。あるいは刻々と変化していく月の動きを元に行動しようとして眠れなくなったり。

白クマによるデポ襲来で食料を喪失したときは、暗闇の中で狩りを試みるも何も捕れないばかりか、犬までガリガリに痩せてしまい、果てには「ウヤミリック(犬)を食って生き延びるしかない」と覚悟するところまで追い詰められてしまうのだ。

 

── 光が閉ざされた闇であるがゆえに想像力がかき立てられるような気もしますが、実際はどうだったのでしょうか。

 

角幡:北極って何もないんですよ。ただ雪と氷があるだけ。面白いけど単調な世界なんです。だから、寒いなとか風が強いなとか腹が減ったなとかという、自分の生理的な反応とか身体的な反応をどう捉えて書き記していくのか。そうしたことを面白く書くため、自分という反応する装置を鍛え上げないといけないと行く前から考えていました。なので、読書をするようにしたり、自分の子どもを観察して自分と関連付けて考えたりして、備えましたね。

 

── 旅先ではハイデガー(ドイツの著名な哲学者)とかの哲学書もかなり読まれてますよね。

 

角幡:読んだら大したことが書いてないんですよ。そんなことなら俺だって考えてるよ! って(笑)。ハイデガーはそれをすごく猛烈に掘り下げて細かく分析して書いてるんです。5年前読んだときは全然ちんぷんかんぷんでしたけどね。

 

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── 一読者として興味があるのは、人は果たして真っ暗闇に居続けるといったいどうなってしまうのかということです。相当タフであるはずの角幡さん自身も、暗闇が続くことでお腹が痛くなったりやる気を欠如する「極夜病」という心身の不調に見舞われたりしているし、やはり正気じゃなくなるのかなと。

 

角幡:光がないと結局、未来が予測できないんです。光がなくて居場所がわからないと急激に近未来が予測できなくなる。近未来に自分が生きているということが想像できなくなるんです。そうなると、人は自分自身の存在基盤が揺るがされ、とてつもない不安にさいなまれます。

 

数々の困難に見舞われたりという「極夜」の日々は、やがて太陽と対峙(たいじ)することで終焉(しゅうえん)を迎える。

そのとき彼は何を思ったのか。それはぜひ彼の作品を手に取って、確かめて欲しい。

 

辛ラーメンが必携な理由

死と隣り合わせな探検では、言わずもがな食ほど重要な存在はない。

「生き延びるために食う。食えなければアウト」── そんな極限状態での食事行為は、日本で暮らしている我々にはなかなか想像がつかない世界だ。

 

── 食料は現地で買い出しして調達するんですか?

 

角幡:いえ、食料は結構な量を日本から持っていきます。それは僕が現地で買い占めないようにするため。現地は物流も非常に限られているので、住人に迷惑はかけられません。あと日本から持っていったものの方が、食べ慣れているし。

 

── 最近はインスタント系の類がどんどんと進化していて、それこそレストラン並の料理がお湯をかけるだけで作れてしまう時代です。持って行くのはそういった最新のもの?

 

角幡:うーん、その手のグルメ系のものはほとんど買ったことがないですね。国内の登山でもせいぜい柿ピーぐらいかなぁ。あ、「カレーメシ」って知ってますか。あれが僕にとってのぎりぎりの超高級食材。

 

── とすると探検行では何を日本から持って行き、現地でどんなふうに食べているんでしょう。

 

角幡:朝と夜は、インスタントの辛ラーメン、これに高野豆腐や乾燥しいたけを加えます。あとアルファ米(熱湯や水を注入して食べる乾燥米飯のこと)にカレー粉や塩、しょうゆ、ガラスープといった調味料を加えたりとか。ときどきそこに現地で買ったベーコンや村人からお裾分けしてもらったアザラシの油や肉を入れてみたりしますね。

 

── 辛ラーメンというのが具体的で説得力ありますね。

 

角幡:辛ラーメンは安くておいしいし、なにより量が多いしカロリーが高い。今のラーメンとかってノンフライとかでカロリーが低かったりするじゃないですか。あれはダメ。自分には向かない。その点、辛ラーメンはフライ麺なんで油が染み込んでいるのがいいんです。

 

── 確かに、最近だと低カロリーが良い意味で捉えられたりしますけど、価値観が思いっ切り逆なんですね。カロリーは高いほどいい。

 

角幡:あと、昼は行動食(登山のときなどに用いる、歩きながら食べられるカロリーの高い食べ物)ですね。ジッパー付き保存袋に一日分のナッツ、ドライフルーツ、カロリーメイトなんかを入れています。あとチョコレートにきな粉とゴマとサラダ油をまぜたものを、湯煎して溶かして、混ぜて固め直したものを日本から持って行っています。

 

── 野菜は食べないんですか?

 

角幡:一応、シオラパルクのお店に売られてはいるんですけど、冷凍ものが多くておいしくないんです。それに栄養面でも大したことがないし。だったらアザラシの生肉を食べていた方が体の調子が良くなる。血とかレバーとか、すごくビタミンが豊富なんです。野菜を食べるよりもはるかにビタミンが補給されていると感じますね。

 

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▲左はイッカクの肉と玉ねぎの炒め物。右は「マッタ」というイッカクの皮。これを生で食べる(2015年6月、本人撮影)

 

── 現地の人が肉だけ食べて野菜を食べないというのは理にかなっているんですね。

 

角幡:村人たちは、今でも自分たちが捕ったアザラシやセイウチ、イッカクの肉を食べて生活しているんですよ。誰かがアザラシを捕ってきて解体すると、レバーを皆で分けて生で食べたり、血をなめたりしています。それが昔からの習慣というか、まぁ単純においしいんでしょうね。彼らからもらったアザラシの生肉をそのまま切ってご飯の上にかけて醤油をばっとかけて「アザラシ丼」とかいってよく村で食べていました。

 

── 味が想像できないんですけど、おいしいんですかね。

 

角幡:おいしいです。現地に到着して最初の頃は生臭く感じるんですけど、1週間も経つと完全に味覚が慣れてきて、おいしく感じられますね。

 

── ごちそうとも言える、と。

 

角幡:そうですね、貴重なタンパク源でもあるので。あと、僕が探検に携行するアザラシの油は現地の方にお願いしてかき集めたものです。

 

── 油は液状なんですか。

 

角幡:いや。豚の背脂みたいなイメージですかね。あれよりはもう少しやわらかいんですけど。ラードみたいなイメージかな。寒いと薄いピンク色の固形になりますが、暖かいと溶けてしまって普通の液体になります。夏にクジラの油を持って行ったときは全部溶けちゃってぶよぶよの普通の液体になりました。

 

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▲イッカクの腸の塩ゆで。腸は現地で「イナルワ」と呼ばれ、よく食べられる。こりこりとした歯応えで、脂と一緒に食べると絶品!(2015年6月、本人撮影) 

 

食欲、性欲との闘い

── 探検の途中、通常は外で食べるんですか。満点の星空を見ながら晩飯を食べる、みたいなシチュエーションじゃ……。

 

角幡:いやいや、テントの中です。やっぱり寒いから。いったんテントに入ったら外に出ようとは思わないですね。

 

── やっぱり三度のメシっていうのは楽しみなんですね。

 

角幡:(ニッコリしながら)それはもう。そのときの食事の楽しさたるや、普段よりはるかに楽しみでした。というか行動中はそれだけしか楽しみがない(笑)。

 

── さっき教えてもらった3食がルーティンで回っていくという感じですか。

 

角幡:朝昼晩の3食でだいたい重さ1kg、消費カロリーは5000kcalだから、成人男性に必要な消費量のほぼ倍ですね。それでも寒いし運動量が多いから全然それだけじゃ足りないんです。だから『極夜行』本番の前の旅(2011年上梓した『アグルーカの行方』や『極夜行』前のデポ設置行)では途中、ライフルを使ってちょこちょこ捕っていました。獲物が捕れたら、持ってきた食料を予備に回したりして。捕れたら行動の日数を延ばして、みたいな感じです。

 

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▲現地の人にわけてもらった白熊の肉をテントのなかで鍋で炒めている(2015年4月、本人撮影)

 

──トータルのカロリーはやっぱり大事なんですね。

 

角幡:運動して体が疲れてくると、子孫を残す本能が刺激され性欲が高まるっていう説がありますけど、確かにそうかもしれませんね。歩き始めて2週間か3週間ぐらいのときって性欲がムキムキになるんです。もう頭の中でエロいこと考えすぎて「うわ、しまった、乱氷帯に入り込んでた!」みたいになったり。そんなことが結構あるので。だけどこれが不思議なことに1カ月とか1カ月半とか経つと性欲が全部なくなってしまう。子孫を残すよりも自分の生命を維持することに優先され、カロリーが消費されるんでしょう。

 

── まさに想像を絶する世界です。探検を経て帰ってくると、体重はかなり減っているとお聞きしましたが。

 

角幡:測っていないので何kg減ったかは具体的にはわかりません。北極の場合、体感で-10kgぐらいかな。

 

── 探検行から日本へ帰国したとき、食べたくなるものって何ですか。

 

角幡:というか、現地の村に帰ってきて、村で1週間ぐらい過ごして腹一杯食ったりするんで、いったん空腹状態は解消されます。で帰国途中、コペンハーゲン(デンマーク)に立ち寄って中華料理なんかを食ったりとかしてるうちに、帰国時には体重もわりと復活してるし、あれ食べたいこれ食いたい欲っていうのも、だいぶ満たされているんです。

 

── てっきりおなじみの日本食の名前が出てくるかと思いました。

 

角幡:ただ、それとは別にクッキーとかの甘い物が異様に食べたくなるときがあって。甘い物といってもあるときはジャムパンだったり、また別のときはスキムミルクと砂糖だったりいろいろですね。普段、そんなに甘い物ばかりバクバク食べたりしないのに、ですよ。あれはちょっと自分でも予想できないですよね。

 

食べること=狩ること

角幡氏に食のことを伺うかがう上で外せないのが、狩りについてだ。

2011年に上梓した『アグルーカの行方』では、まだ乳のみ児である子牛がいる母親のジャコウ牛を仕留めるという、生と死というものを突きつけられる描写が見受けられる。

また、2015年にかけて取り組んだ『極夜行』のデポ設置行では「デポ食料を作るためにアッパリアスという水鳥を七百羽ほど捕まえたし、北極岩魚を刺し網で捕獲し、三頭のジャコウ牛と数十羽のウサギを仕留めて旅の食料にした」と本文に記してある。北極で続けてきた狩りの経験について話を聞いてみよう。

 

── 獲物として狙いやすいのはどんな動物ですか。

 

角幡:一番取りやすいのはウサギ。グリーンランドに行ったら普通に取れます。皮を剥いじゃたら肉そのものは2kgぐらいかな。ゆでてもおいしいし、炒めてもおいしい。レバーなんか生で食べるとすごくおいしいですよ。あと内臓とか頭をあげれば犬のえさにもなるし。ウサギのほかにはキツネとかジャコウ牛とか。まぁ、ジャコウ牛は大物だから、よっぽどのことがないと狙わないですけど。

 

── 狩りで、獣をあやめることにためらいとか罪悪感はあったりするんでしょうか。

 

角幡:最初の頃は、自分がそんな動物を殺す権利はあるんだろうかって、罪悪感がありました。特にアザラシやセイウチなんかの大きな動物。目とかね、やっぱり人間と変わらないんですよね。村人とかが殺してきてさばいてるの見るたび、「人間と変わらないな。人間を殺してるようなものだ」とかそんなふうに思ったりはしました。でも最近、そこまでの感情は抱かない。どうしてもやっぱり慣れてきてしまいます。

 

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▲カヤックの旅の途中で食べたジャコウ牛の石焼とカルビスープ(2015年7月、本人撮影)

 

── 狼はどうです?

 

角幡:今回『極夜行』の旅で初めて狼を仕留めたんですが、大きさは大型犬ぐらいでしょうか。彼らって、白クマとかジャコウ牛と違ってすごく知性を感じさせるたたずまいがあるんです。狼って、よく人を尾行してくるんですけど、何かこう微妙な間合いを計っていて、人間の心をのぞき見るような視線も持っている。鉄砲で追っ払ったときの逃げ方にしろ、ただ驚いて逃げるだけじゃないんです。だから殺したときなんかは、「ああ、知性のある動物を殺しちゃったなぁ」っていう罪悪感が頭をよぎりました。だけど正直、そのときは喜びのほうがずっと大きかった。食料に余裕がずっとなかったので、「よっしゃ、これで肉が手に入ったぞ」って。

 

── 野蛮で荒くれ者のイメージがあるだけに、知性的とはかなり意外です。では最後に、これまでの探検を振り返って、ご自身が飢えて死にそうになった経験について教えてもらえますか。

 

角幡:2012年に出した『アグルーカの行方』のときは、一日5000kcalを摂取しても痩せてしまいました。あのときもギリギリの状態ではあったけど、2009年~2010年にチベット奥地のツアンポー渓谷に行ったときのような飢えではなかったですね(『空白の5マイル』に収録)。あのときは行動食が底をつき、アルファ米しかなくなってしまったので。それで、やむをえず行動中にアルファ米を食べるんですけど、そうするとそれまで動かなかった体が、動くんですよ。「あーダメだ、腹が減って動けねえ」となりつつも、いざ胃の中に入れると30分ぐらいで動ける。まさに摂取したカロリー分だけ。で、しばらく経つとエネルギーが切れて「あー足が上がらねえ」ってな感じにまたなるんですよ。まるでガス欠の車状態です。

 

彼はこのとき、寒波で3日間洞窟に閉じ込められた末、食料が全く足らなくなって飢えて衰弱、死を覚悟したという。インタビューではユーモアを交えて語っているが、よく生き残ったものだと本当に思ってしまった。

生きることと、食べること。その食べ物がどこから来るのか。角幡氏が敢行した旅の一端から、日常ではまず考えないことを突きつけられた。

 

2018年2月24日、角幡氏は再び北極へと旅立っていった。つまり、この記事が公開される頃には、彼は再びかの地に立っていることになる。

今度はいったいどんな未知の世界を、我々に見せてくれるのだろうか。

 

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書いた人:西牟田靖

西牟田靖

1970年大阪生まれのノンフィクション・ライター。多すぎる本との付き合い方やそれにまつわる悲喜劇を記した「本で床は抜けるのか」(本の雑誌社)が2018年3月に文庫化される(解説:角幡唯介)。著作に「僕の見た大日本帝国」「誰も国境を知らない」「わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち」(PHP研究所)など。

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