7日分の食料を背負ってサハラ砂漠250kmを走り抜く── 。サバイバルマラソンは究極の“自給走”だ!

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「極限メシ」第7回目、今回のテーマはマラソンである。しかも距離は42.195kmではなく、 245km。場所は公道ではなく、サハラ砂漠や南極……。

いったい何を言ってるのか、意味がわからない人も多いかもしれない。詳細は以下のリンクをご覧いただくとして、世の中にはあるのだ、そんな過酷なマラソンというやつが。そして結構な数いるのだ、世界中から喜々として参加しにやってくる奇特なランナーたちが。

www.sportsentry.ne.jp

サハラ砂漠のマラソンでは、参加者は水以外の衣食住に関するものすべてをリュックに詰めて背負って走り、主宰者側が用意したスペースで野営し、7日間を通して走り抜く。いわば持久走ならぬ、“自給走”とでも言おうか。

そんなサバイバルマラソン(ウルトラマラソンともいう)に取りつかれたのが、今回紹介する極地ランナーの赤坂剛史さんだ。赤坂さんはモロッコのサハラ砂漠を皮切りに、ペルーのアタカマ砂漠、モンゴルのゴビ砂漠、そして南極と、世界中の極地で行われるマラソンを走破した経験を持つ。

彼はなぜこんなにも過酷なレースに挑み続けてきたのか。リタイアせず完走し続けた彼を支えたのは、いったいどんな食と栄養だったのか。(フリーライター・西牟田靖)

話す人:赤坂剛史さん

赤坂剛史さん

極地ランナー。アドベンチャーイベントプロデューサー。2008年にサハラマラソン、2009年にアタカマ砂漠マラソン、2010年ゴビ砂漠マラソン、2010年南極マラソン完走。2010年12月ファウスト挑戦者賞受賞。現在は研究職に就くかたわら、日本唯一の7日間250キロロングトレイルレース「白山ジオトレイル」実行委員長も努める。著書に『サハラを走る~245キロ!サバイバルマラソンへの挑戦。』『南極を走る』(アトリエ・レトリック)など。神奈川県出身。

 

軽い気持ちで始めたマラソンにのめりこみ……

数々の極地を走り抜いてきた赤坂さんだけに、若かりし頃からさぞやマラソンの猛者だったかと思い来や、マラソンとの出合いは意外にも社会人になってからだった。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂さん(以下敬称略):テニス仲間の一人に「マラソンやってみない?」って誘われたんです。最初に参加したのは2000年の河口湖マラソン(現在の富士山マラソン)。開催3カ月前で出場するって決めたんですが、マラソンの走り方がわからなかったので、すぐに書店へ行って、「マラソンの走り方」みたいな本を買ってきて(笑)。

 

結果は4時間2分で完走。途中、足が痛くなり「やめよう。もう二度とやらない」と思ったそうだが、初挑戦にしては上出来ではなかろうか。よくよく聞いてみると、学生時代にある競技にのめりこんだことも無関係ではないらしい。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:標高1500メートルの菅平高原でパラグライダーのインストラクターをやっていました。スクールで登るのはせいぜい高度差50m程度なんですが、機材を運んだり初心者を飛ばすために1日に何往復も登っていましたね。

 

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その回答を聞き、なるほどと膝を打った。パラグライダーへの取り組みが彼の肉体、そして心肺機能を鍛えていたのだろう。

とはいえ、マラソンよりももっと距離が長く過酷なサバイバルマラソンのどこが彼を駆り立てたのだろうか。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:その後もいろいろマラソン大会に参加して、その過程で100キロマラソンに参加した人に宿泊先でお会いしたんです。北海道の道東地域で開催される、サロマ湖ウルトラマラソンですね。そんなのがあるのか! って最初は驚いたんですが、彼らすごくイイ顔していたんですね。人生を本気でエンジョイしている感じで。その宿で、みんながみんな世界中のウルトラマラソンの情報交換していて、今思えばあの宿に泊まらなければ人生も変わっていたかもしれません。

 

「ランナーたるもの、ウルトラマラソンは走って当たり前」という経験者たちの話しぶりにすっかり感化されてしまった赤坂さんは、「自分も出たい!」と思うようになり、2002年にはサロマ湖ウルトラマラソンに初参加。その後、他のウルトラマラソンへのめり込んでいくうちに、サハラマラソンの存在を知る。

そして2007年に募集要項のパンフレットを取り寄せたとき、彼は強い確信を得た。異国の砂漠で走るなんて、一歩道を間違えば死に直結するし、何より行程は体力的に相当苦しいはず。なのにパンフに写った選手たちの写真をみると、みんなそろいもそろってとびっきりの笑顔ばかりなのだ。

 

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▲サハラマラソンのパンフレットの一部(以下写真も同様)

 

こんなイイ顔、俺もしてみたい……。

 

赤坂さんはいてもたってもいられなくなり、翌2008年にはサハラマラソンへのエントリーを決めていたのだった。

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過酷すぎるサハラマラソン

サハラマラソンのエントリー後は、過去の参加者のアドバイスをもとに、トレーニングを重ねた。

当時は栃木県在住だったため、会社の通勤距離約6キロを10キロの荷物を背負って走って通勤したり、栃木の山々を駆け巡った。さらに神奈川の実家に戻って湘南海岸を走り、砂の上を走る訓練も怠らなかった。

準備はフィジカル面だけでなく、食についても同様だ。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:こういうレースにおいて栄養面は非常に大事です。なので軽くてカロリーが高く、調理が簡単な食べ物を持って行って、合間に作ってみたりもしました。開催半年ぐらい前からは午前中は果物だけを食べて、午後は肉や野菜をあまり食べなくて野菜を中心に食べたりとか、あと水をちょくちょく飲むようにしました。そのせいでしょっちゅうトイレにばかり行っていましたね。

 

自著『サハラを走る。~245キロ!サバイバルマラソンへの挑戦。』には、自身が参加した第23回サハラマラソンの概要が記されている。

  • 開催期間は2008年3月30日~4月5日(7日間6ステージ)
  • 参加者は801名(男性706名、女性95名。日本人は10名)
  • レースの舞台はアフリカのモロッコ東南部にあるサハラ砂漠がレース
  • 走行合計は全部で245.5キロ
  • 1日30~40kmを1週間かけて走り、4日目には80km近くもあり、夜通し走らなければゴールにはたどり着けない
  • 大会中の日中の気温は34.1℃~48.0℃、湿度は20%以下。夜は10℃近くにまで下がり気温差が激しい。雨はほとんど降らない

まさに過酷というしかない環境。炎天下の砂漠でマラソンを行うという実に酔狂なレースに他ならない。

 

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▲サハラマラソンのスタート地点。ちなみに、日本人参加者の中にはタレントの間寛平氏もいた。(写真提供:赤坂剛史氏)

 

赤坂さんは食料と水、シュラフや着替えといったもののほか、けがの処置キットなど、必要なものをつめた約14キロのリュックを背負って、走り始めた。

 

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▲サハラマラソンでの様子。足が取られやすい砂地でのラン&ウォークは想像以上に体力を奪う(写真提供:赤坂剛史氏)

 

どこまでも続く砂丘、砂利、岩山。踏ん張りがきかない砂地の上り坂は体力消耗。

そんな道なき道を、大会から渡されたロードマップ(イラスト)と持参したコンパスを見ながら、走って行く。

 

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▲参加者に渡される地図。このイラストを頼りに砂漠を走る

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:耐え難いぐらいに暑いときは、風はなくて汗が滝のように流れ、頭痛がするほどでした。地面があまりに熱せられたせいで熱上昇風が竜巻になって近づいてくるんです。これはもう灼熱(しゃくねつ)地獄ですよ。日差しが強く厳しい紫外線を浴びているので、しっかり日焼け止めクリームを塗ったりして日焼け対策をしていないと皮膚がやけどしたように赤くなります。

 

水分を充分に補給できているか? 脚は大丈夫か? 身体との対話を頻繁に繰り返す。世界で最も過酷なこのマラソンは、身体が「もう無理だ、もうダメだ」と言ったら、躊躇なく照明弾を打ち上げて、リタイアを選択しなければ命を落としかねない。木陰で休んでゆっくり回復を待とうにも、砂漠には陰を作れるだけの樹木はない。サハラとはそういう環境だ。

〜『サハラを走る。~245キロ!サバイバルマラソンへの挑戦。』より〜

 

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▲アフリカの砂漠だけに、いかにもな風景が広がる(写真提供:赤坂剛史氏)

 

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▲現地のベルベル人の子どもたちからは「空ペットボトルをくれ」とせがまれた。どうやら、水くみに必要な容器が欲しかったようだ(写真提供:赤坂剛史氏)

 

やっとこさ、1日のコースを走り終えると砂漠のど真ん中に設置された、テント村で泊まる。そこには百張り以上のテントが並んでいて、10人一組での雑魚寝。いろんな国の人がいて、あたかもバックパッカーらが集まる安宿の相部屋とそっくりな雰囲気だった。

 

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▲大会中、唯一安らぎの場となるテント村(写真提供:赤坂剛史氏)

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:テントの周りに、穴を掘って囲いをつけただけの簡易トイレで用を足したり、洗濯物と水をビニール袋に入れてもみ込んで簡単にですが洗濯したり、または夕食をとったりした後、指定されたテントの中で、シュラフにくるまります。強風で何度もテントが倒されたり、朝方はかなり寒かったりで、何度も目が覚めてしまいました。

 

大活躍した「アルファ米」

当たり前だが、245kmを1週間かけて走る過酷なウルトラマラソンを完遂するには、食事や栄養は欠かせない要素である。食事はすべて自分で携行し、管理しなければならないからだ。

 

そして昼食。おれはスタート前に水を入れておいたアルファ米をCP1(チェックポイント、中継地)で一〇〇グラム食べる予定にしていた。バックパックの上部に取り入れたアルファ米を取り出してみると、中身を程良く温まっている。これは非常に美味しい昼食になると期待できた。(中略)

食べ慣れた味のアルファ米を口にした瞬間、体中の感覚が蘇ってくるのを実感した。全身にエネルギーが漲ってくるのがわかった。

〜『サハラを走る。~245キロ!サバイバルマラソンへの挑戦。』より〜

 

すなわち、マラソンのように身体に蓄えられたエネルギーによって走り抜くのではなく、走りながら適宜、食べたり飲んだりして、エネルギーを摂取して行く必要があるのだ。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:レース中は、一日に2000キロカロリー以上を摂取しなければならないという大会規定があって、それに沿って、市販のものを買い求めました。基本は、水やお湯で戻すフリーズドライの食品を3食7日分。例えばご飯はアルファ米に水をかけたままバックパックの上部に入れたまま、走るんです。すると自然に温かくなります。砂漠は最高で気温50℃の世界ですから。その他には、カレーピラフのセットとか牛丼のセットとそういった市販のものを持ってきました。気をつけたのはお腹を下さないようにするということ。お湯は完全に沸騰してから使うよう待つようにしましたし、あと手はしっかり洗うことも心がけました。お腹を壊してリタイアじゃ目も当てられませんからね。

 

アルファ米とは、炊いたり蒸したりしたお米を、熱風で急速に乾燥させた米のこと。水で簡単に戻して食べることができるため、登山などの他、災害時の非常食としても使われるお米のことだ。

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▲実際にレースで使用とした「尾西の白飯」。水を注ぐだけで出来上がる(写真提供/尾西食品株式会社)

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:缶詰も、カロリー的には理想的だしすぐ食べられて味もいいんですけども、なにせ重いでしょう(笑)。だから、缶が捨てられる初日に食べて、早々に軽くしました。あとは走りながら食べられる半生でスティック状の栄養食品を一日2本分持って行ってそれを割って少しずつ食べました。そうだ、赤飯も持って行きましたね。半分走り終わったときにお祝いで食べる用の、ちょっとした自分へのご褒美のようなものですね。

 

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▲各コースに設置されたチェックポイントは唯一、「日陰」と水分にありつけるオアシスだ(写真提供:赤坂剛史氏)

 

世界中から参加者が集まるサハラマラソンだけに、それぞれもちろんお国柄が出るのは当然のようで、イタリア人はパスタを、またインド人はカレーを持ってきたりしていたそうだ。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:71歳の日本人女性参加者は乾燥梅干しを作って持ってきていましたよ。また期間中の7日間、ウィダーインゼリーとかそういうジェルだけ食べて過ごした人もいました。その人も日本人でしたね。

 

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水の取り方がパフォーマンスを左右する

こうした食事と同様に、いやそれ以上に重要なのが「水」の存在だ。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:コース上の給水所でペットボトルに入った1.5リットルの水をもらえるんです。水はスポーツドリンクの粉をまぜたものをバックパックとウエストバックに分散して、ハイドレーションシステムでいつでも飲めるようにしました。分散したのは後ろだけだとなくなったときに気がつかないので。また、脱水症状を防ぐため、塩タブレットの服用も大事。私はこの手のものは信用していなかったんですが、実のところ、塩が不足すると体が水分を保持しにくくなるんです。その点、塩タブレットを服用していると、体の吸収力が高まり、脱水症状を起こしにくくなると。まぁ、塩っぱいし苦いのでおいしいもんじゃないですけどね。

 

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▲水分同様、塩タブレットは体調維持には欠かせないため、主催側から配布される(写真提供:赤坂剛史氏)

 

結果的には脱水症状に襲われずに済んだ赤坂さん。しかしかなり際どい局面もあった。レース三日目のことだ。

 

飲料水がなくなったらどうなるのだろう。乾燥した大気に身体の水分を奪われて、喉がカラカラになって、脱水症状に陥って、血液がどろどろとした黒い濃いものになっていく……。やがて意識が朦朧として、おれはサハラの砂の上に倒れて死ぬのか。 そんな光景をイメージした途端に、おれは強烈な恐怖に襲われた。

〜『サハラを走る。~245キロ!サバイバルマラソンへの挑戦。』より〜

 

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▲極限状態での自撮り。己と向かい合う瞬間がたびたびやってくる(写真提供:赤坂剛史氏)

 

脱水症状は幸いなかったようだが、けがをしたり、具合が悪くなったりといった、ほかの不調はなかったのだろうか。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:下痢や嘔吐(おうと)は幸いありませんでした。だけど靴擦れのせいで足の裏の皮がべろんとめくれたり、爪の中が膿んでしまったりしました。帰国後、親指と小指の爪が両方ともはがれました。私は大丈夫でしたが中には両足の足の裏の皮が全部はげてしまった人もいたそうです。

 

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▲ウルトラマラソンでどうしても避けられないのが足のマメ。どんなに激痛が走ろうとも絶えながら前へ進むしかない(写真提供:赤坂剛史氏)

 

ところで、いくら主宰者がいるとはいえ、開催場所は異国の砂漠。危険な目に遭うことはなかったのだろうか。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:治安面は問題ないと思っていました。だけど周囲をモロッコ軍が警備していましたからね。たまたま何もなかっただけかもしれません。実際、別の大会では現地の人々と折り合いがつかず、治安面でも危ない局面もあったようです。

 

果たして、初のサハラマラソンの結果は、男性完走者661人、579位。タイムは55時間12分13秒。トップから実に35時間44分27秒遅れでのゴールだった。

 

標高3500メートル、究極の高地マラソン

赤坂さんのチャレンジは止まらない。2009年4月のチリのアタカマ砂漠、その次は2010年6月の中国のゴビ砂漠でのマラソンに参加した。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:まずサハラマラソンで一緒に走っていたカナダ人に、南極マラソンのことを教えられました。聞いたときは「絶対に行くことはないだろう」って思ってたんですが、帰国後、南極マラソンのウェブサイトを見たところ「うわ、絶対行きたい!」という気持ちになってしまって(笑)。

 

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▲アタカマ砂漠マラソンのコースでは、なんとこんな渓谷も出現する。これぞまさにサバイバルレース!(写真提供:赤坂剛史氏)

 

ただし、南極マラソンに参加するためには、主催団体が運営している別のマラソンのうち二つ完走する必要があった。それはチリのアタカマ砂漠、中国のゴビ砂漠、エジプトのサハラ砂漠である。そこで、赤坂さんはアタカマとゴビの完走を目指したというわけだ。

標高約3500メートルにも及ぶアタカマ砂漠マラソンに挑むにあたっては、登山家の三浦雄一郎さんのトレーニング施設に通って高地順応に取り組んだ。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:アドバイスされたのは、口をすぼめて遠くにあるろうそくの火を消すことができるようにリズミカルに呼吸しろということ。そのおかげで高山病を免れることができたと思います。実際にアタカマ砂漠を走ってみると、剣山の上を歩いてるような固くて凸凹したところを歩いたかと思ったら、川の中をジャブジャブ走ったり、砂漠というより悪路の連続で。7日目でフィニッシュするころには、靴底がツルツルになっていました。

 

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▲アタカマ砂漠を走ったときの食事メニュー。SOYJOYやヴィダーインゼリーなどは動きながらでも食べられるので重宝した

 

一方、ゴビ砂漠マラソンは中国西部の新疆ウイグル自治区で行われる。区都であるウルムチから東南にあるトルファン付近までを走破するのだ。

こちらは高低差がかなりあり、標高2000メートル以上のところからスタートして標高100メートル以下まで、実にアップダウンの激しいコースとなった。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:気温差、高低差ともに3つの砂漠のレースの中で一番きつかった。この大会では、道に迷ってしまい倒れて意識不明になって見つかったアメリカ人がいました。非常に残念ながら脱水症状で亡くなってしまいましたが。

 

命をも落とす危険なサバイバルマラソン。どれも死と隣り合わせのレースといってもいいだろう。

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▲食事時は、世界中からやってきたランナーたちの触れあえるのが楽しくて仕方なかった(写真提供:赤坂剛史氏)

 

ペンギンをよけながら走る南極マラソン

ゴビ砂漠に続いて2010年11月に走った南極マラソンは、これまでの砂漠マラソンとは何もかにもが違っていたようだ。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:アルゼンチンの南米最南端ウシュアイアから3日かけて船で南極大陸近くまで行き、ゾディアックというモーター付きのゴムボートで上陸します。他の大会と違うのは、陸上に滞在できる時間が制限されること。スタート前に船からボートで上陸し、周回コースを回って、制限時間内をずっと走って、走り終えたらボートで船に戻る。夜のうちに船は次のレース場所に移動してまた上陸する。その繰り返し。なので砂漠のように現地でキャンプするという形じゃないんです。

 

季節は初夏。日がずっと昇っている白夜に近い時期で、南極といっても温かく、気温はー10℃から5℃ぐらいだった。目を奪われたのは、テレビでしか見たことのなかったような南極独特の風景だ。

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▲南極マラソンの様子。必然に縦走にならざるをえないため、走りにくい場面も多々あった(写真提供:赤坂剛史氏)

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:まず流氷が青くなってて見とれるくらいキレイなんですよね。あとは、ペンギンがもうあちこちにいる。南極のルールでは自然保護の観点からペンギンから7メートル以上離れなくてはならないんですが、向こうは警戒なんかしないので無邪気にこっちへ近づいてくるでしょ。するとわれわれ人間はそれに合わせて遠ざかったり、どかなきゃならないんですよ。南極では、ペンギン様の方が圧倒的にエライ(笑)。

 

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▲しょっちゅう出くわすペンギンの群れ。「見た目はすごくカワイイんだけど、結構臭いんですよね。動物園の匂いがするんです」と赤坂氏(写真提供:赤坂剛史氏)

 

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▲流氷の青さにも目を奪われた(写真提供:赤坂剛史氏)

 

夜はなんとデザート付きフルコース

南極のレースは、寒さ対策のウェア類の選択が非常に難しかった反面、バックパックは3キロほどと軽くて楽だった。1日分の行動食とウェアを入れているだけで済む。

積もった雪が深いため選手全員が一列になって進むしかなかったり、ホワイトアウトしそうになったり、走ること自体も困難は極めたが、1日の規定コースを終えて船へ戻れば温かい食事と快適なベッドが待っていた。

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▲想像以上に刻々と変わりゆくのが南極の天気の特徴だ(写真提供:赤坂剛史氏)

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:朝食と夜食は船で取るので、なんの不満もありませんでしたね。夜なんかデザート付きのフルコースですよ。だけど昼だけは自前で用意するので、バックパックには、羊かんやチョコ、飴を入れていました。砂漠ではチョコは溶けるのでNGだけど、南極なら問題ないし。ただ、温めたりして調理することはありませんでした。というのも防寒と防水対策にグローブを二重にしていたので、外すのが大変なんです。そうすると補給食を食べることがおっくうになっていきますから。

 

だからこそ、大会側がお湯を用意しているかどうかが大事になってくる。しかし、お湯が満足に用意されているかどうかは、そのときの運次第のようだ。

 

大会側が用意してくれていたお湯で、唯一残しておいたコーンスープを飲もうとしたのだが、休憩所のお湯は量が少なく、しかも冷えていた。これでは身体を思うように温められない。仕方がない。最後の手段をとることにする。つまり、動き続けて身体を温めるのだ。これは想定していたことだ。

〜『南極を走る』より〜

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂:少しでも立ち止まると寒いのでその点で他の砂漠のレースよりも大変でした。砂漠ならば立ち止まっても大丈夫ですが、南極は立ち止まると体はたちまち冷えてしまいます。だから常に体を動かしていないといけません。もう一つ嫌だったのは、大会側が指定する食事時間に自分のペースを合わせなければならなかったこと。休息時間が拘束されるのが予想外にストレスとなって蓄積していきました。

 

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▲砂漠とは打って変わって、南極は終始、寒さとの闘いだった(写真提供:赤坂剛史氏)

 

トップ選手が3日間の合計で250キロ近くまで走ったため、4日目が切り上げ最終日となった。ラストは南極北部の離島、ヴィンケ島の一周3キロのコース。

「あと一周」と主催者に言われ、名残惜しい気持ちを抱きながら雪を踏みしめ、赤坂さんはゴールを果たした。

 

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▲完走者だけがもらえるメダル。いちばん左からサハラ、アタカマ、ゴビ、南極のもの

 

ウルトラマラソンを日本でも根付かせたい

現在、赤坂さんは石川県の白山を舞台にした「白山ジオトレイル」実行委員長を務めている。自らが体験し、素晴らしさを味わったウルトラマラソンを国内でも普及させるべく尽力しているのだ。

www.hakusangeotrail.com

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂: 7日間で累積標高1万2000メートルのところを走るんです。白山は三大名峰と言われているのに、これまでそういった大会がなかったので、私が音頭を取って始めました。白山ジオトレイルに7日間出れば、人生が変わりますよ。だから皆さんぜひ参加してほしいです。もっとも、次の大会では実行委員長だけじゃなく自分もランナーになって一緒に走るかもしれないので今から戦々恐々としています(笑)。

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最後に、赤坂さんにとってウルトラマラソンとはいったい何なのか、聞いてみた。

 

f:id:Meshi2_IB:20190110143909p:plain赤坂: 三大砂漠マラソンにしろ、南極にしろ、チャレンジは常に自分との闘いでした。ここにいちばんの意味があったと思っています。己と対話しながら、弱くてちっぽけな自分と出会い、さらに自力で奮い立たせながら7日間走り続ける。必然的に人間して成長できたのも、ウルトラマラソンだからこそかもしれませんね。これからは逆に私が皆さんの人生を変えるお手伝いをしたいと思っています。

 

書いた人:西牟田靖

西牟田靖

70年大阪生まれ。国境、歴史、蔵書に家族問題と扱うテーマが幅広いフリーライター。『僕の見た「大日本帝国」』(角川ソフィア文庫)『誰も国境を知らない』(朝日文庫)『本で床は抜けるのか』(中公文庫)『わが子に会えない』(PHP)など著書多数。2019年11月にメシ通での連載をまとめた『極限メシ!』(ポプラ新書)を出版。

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