昨年大ヒットしたDA PUMPの「U.S.A.」を山下達郎風にカバーした動画を公開後、150万回再生されその斬新なアイディアと圧倒的なクオリティで話題となったポセイドン・石川さん。
ポセイドン・石川「U.S.A.」ミュージックビデオ
突如としてあらわれた才能。しかし、ここに至るまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
今回はそんなポセイドンさんのこれまでの軌跡と、下積み生活を支えた思い出の「ソウルメシ」、そして愛してやまない達郎さんの楽曲をひたすら聴き込んできたからこそ辿り着いた「山下達郎サウンド」への敬意と魅力を語っていただきました。
音楽の道を志すも、日本画の道へ
──ポセイドンさんは2月にメジャーデビュー作『POSEIDON TIME』をリリースされましたが、その反響についてはどんな風に感じていますか?
ポセイドン石川さん(以下、ポセイドン):反響をいただいている理由が一発で分かるので、とても恐れ多い気持ちなんですが……(笑)。色々な方が関わってくださった結晶のような作品なので、自分にとっては忘れられないアルバムになりました。
──素晴らしいアルバムだと思います。
ポセイドン:そもそも、メジャーデビューは雲の上の存在のような、自分とは無縁のものでした。だからそれを目指すということすらしてこなかったんです。でも、好きな音楽を作り続けてきた結果として今回の盤が出来て、「これまでのような気持ちではマズいな」と、今気を引き締めているところです。
──じゃあ、新しいスタートを切っているという感覚ですか?
ポセイドン:そうですね。もうまったく未知の領域です(笑)。
──そもそも、ポセイドンさんが音楽に興味を持ったきっかけというと?
ポセイドン:中学の頃、英語のリスニングの授業でカーペンターズの曲がかかったんですよ。そこで「なんて素晴らしい曲なんだ」と思ったのがきっかけでした。その頃、ちょうど実家にピアノがあったので、帰ってすぐにその和音を見よう見まねで弾いて……。そこから始まりました。
──家にピアノがあるということは、音楽との距離が近い家庭だったんですか?
ポセイドン:僕の両親はギター教室で出会って結婚しているので、子供にも「音楽をやってもらいたい」という気持ちがあったみたいです。自分自身は覚えていないですけど、小さい頃にピアノ教室に通わせてもらったりもしていたそうで。
──素敵なエピソードですね。
ポセイドン:それで音楽にどんどんのめり込んでいったんですが、自分の場合、何かに夢中になると、それしか見えなくなるんですよ(笑)。それもあって、影響を受けたアーティストは、数えるほどしかいないんです。ただ、自分が好きな方々については、とにかく聴き倒していくような感じでした。
──カーペンターズからどんな風に興味が広がっていったんですか?
ポセイドン:最初に聴いたカーペンターズの曲が、ビートルズ「Ticket to Ride(涙の乗車券)」のカバーだったんで、そこからビートルズを好きになって、中学時代にアルバムを全部揃えました。中でも『ザ・ビートルズ(ホワイトアルバム)』の「Martha My Dear」が好きで。その曲を錚々たるジャズ・ミュージシャンたちも演奏していたことから、ジャズに興味が広がりました。
Martha My Dear (Remastered 2009)
ポセイドン:ジャズの入り口はオスカー・ピーターソンの『We Get Requests(プリーズ・リクエスト)』ですね。楽譜は読めないので、「この音はどんな風に鳴っているんだろう?」と一つ一つの音に耳を傾けながら聞いていました。
──なるほど。
ポセイドン:高校に入ってからは工業高校の美術コースに通って、家に帰ったらピアノを弾く生活でした。「音楽学校に行きたい」という気持ちもあったものの、楽譜が読めないので断念したんです。なので、「耳で聴いて、それを真似する」ということが、自分の音楽スタイル形成の上で非常に大きな要素となりました。
──楽譜を読めないことが、逆に音楽人生を豊かにしたのですね。
ポセイドン:「誰かの曲を達郎さん風にしよう」という発想や、「達郎さんだったらこう弾くだろうな」という感覚も、全部耳から入ってきたものから広がっていったものですね。
耳を頼りに「達郎さん」の音楽の秘密に近づく
──なるほど、達郎さんの魅力も、全部耳でコピーすることで理解していったんですね。
ポセイドン:大学を出たあと、絵の勉強をするために京都の画壇に入って、同時に藤ジャズスクールという音楽教室でジャズピアノを習っていました。そこからライブハウスに出入りするようになって、そこで知り合った友人に達郎さんの『COZY』をもらって聴いてみたらものすごく感動したんです。
ポセイドン:それから、ライブの中で1曲だけ、達郎さんにオマージュを捧げたり、カバー曲を披露させていただくうちに、並行するように自分の中で達郎さんの存在がどんどん大きくなっていって。
──はい。
ポセイドン:そして、地元の石川に帰ったときに、初めて「アルバム一枚を達郎さんから受けた影響で作りたい」と思ったのが2017年の「東京SHOWER」でした。これは、実は京都時代にアルコール依存症になったところから再起した頃の作品でもあります。
──達郎さんの音楽を聴き込むうちに、その秘密が垣間見えた瞬間はありましたか?
ポセイドン:達郎さんの楽曲は、やっぱりコーラスがひとつの特徴になっているんじゃないかと思います。たとえば、僕がカバーした「USA」にしても、達郎さん風にするためには4声×4声の計16本の声を重ねたトラックを「低域」「中域」「高域」の3つにそれぞれ用意しています。
──あの『USA』にそんな秘密が……。
ポセイドン:低域には「ウーワー/ウーワー」というコーラスを重ねて、真ん中には「トゥットゥルットゥ」というバッキングを入れているんですが、そのバッキングの間隔は、達郎さんの「新・東京ラプソディー」から勉強したものでした。「これぐらいの和音で歌ってらっしゃるんだな」ということを耳でひとつひとつ学んで、それを応用していったんです。
──あの複雑な達郎さん風コーラスの研究も、耳を頼りに行なったものだったんですね……! では、ポセイドンさんが好きな達郎さんの作品というと?
ポセイドン:思い入れのある作品という意味なら、『RARITIES』ですね。自分がいいライブができなくて、悔しい思いをしているとき、このアルバムをよく聴いていました。「BLOW」と「君の声に恋してる」が続く流れがすごく好きなので。
──心の支えでもあったアルバムなんですね。
ポセイドン:たとえば、今回リリースした『POSEIDON TIME』の「黄色い声が聴きたくて」にも、「君の声に恋してる」の影響が感じられると思います。でも、曲単位で言うと、一番好きなのは「希望という名の光」。ライブで生で聴いたときはもう、純粋に感動しました。『FOR YOU』に入っている「FUTARI」のコーラスも、すごいですよね。どういう風に録ったら、あんなに深いところからコーラスが立ち上がってくるのか、聴いても全然分からないんですよ。
──達郎さんは録音環境や録音方法などにも、かなりこだわる方ですよね。
ポセイドン:本当かどうかはわからないのですが、聞いたところによると、「とある電力会社の電気ではいい音が録れない」ということで、電柱を海外のものに変えたそうで。でも、逆に音がクリアになりすぎてしまって、また元の電力会社の電柱に戻した、という逸話があるんです(笑)。
──達郎ファンには有名な話ですよね(笑)。
ポセイドン:それから、作品作りに関しては「締切で諦めるだけ」とも言っていて、そこもすごく素敵だな、と思います。達郎さんのような方でも、最後まであがいていく、という。あと、これも聞いた話でしかないのですが、達郎さんは練習のためにカラオケに行かれるそうで。自分の声を保つために色々な努力をされていることも素敵です。
恩師の死、挫折、そして……。
──さて、さっきも少し話してくれていましたが、今回のメジャーデビューまでには長い下積み時代があったと思います。その期間を支えた“ソウルフード”はありますか?
ポセイドン:石川県に『今伴』という豚足専門店があるんですけど、そこの豚足がもう、絶句するぐらい美味しいんですよ。それをライブの終わりに打ち上げで食べていましたね。あとは、「USA」のMVを撮った場所の近くの片町にある『三幸』という有名なおでん屋さん。あとは、『宇宙軒食堂』のとんバラ定食ですね。そのとんバラ定食の大盛りに目玉焼きをトッピングして、そのボリュームでも1000円ちょっと。それが、自分がいいライブができたときの一番のご褒美でした。
──京都時代にお酒に溺れてしまったのは、何かきっかけがあったんでしょうか……? また、それをどんな風に乗り越えたんでしょう?
ポセイドン:もともと僕は絵の勉強をするために京都に行ったんですが、そこで自分の先生だった石川先生(「ポセイドン・石川」という名前はこの先生から取られている)という方が亡くなられたんです。僕はその先生の紹介で画塾に入りましたし、画壇のレベルにもついていけずに、そこにいられなくなってしまって。それで画壇をやめるわけなんですが、そこで目標がなくなってしまったんですね。
──……それは辛いですね。
ポセイドン:でも、負けて金沢に帰ることもしたくはなくて。そこで、自分の弱い気持ちに負けてしまって、気づいたら酒量がどんどん増えていきました。音楽をやりながら、ライブハウスに入り浸って、お酒をずっと飲んで。ついには「酒を飲んだポセイドンには関わらない方がいい」という状態になりました。お酒の失敗談は、本当にたくさんあります。そういう自分にうんざりしていたし、周りの人々もさすがに見かねるような状態になってしまって……。
──負の連鎖に陥ってしまったのですね。
ポセイドン:そこで、アルコール依存症の治療の病院に入ることにしました。そこでやっと、自分を見つめなおしたんです。それから、お酒を飲みたいという気持ちは徐々になくなったんですが、心にぽっかりと空いた穴はそのままで。「何か夢中になれるものを見つけないといけない」と思ったときにあったのが、やっぱり音楽でした。
──ああ、音楽が救いだったと。
ポセイドン:「ずっと向き合いたかった音楽に、もう一度真摯に向き合おう」と思ったんです。なので、これは結果的にですけど……。こういう事も無駄ではなかったのかもしれないな、と思っています。
──なるほど……。正直にお話しいただきありがとうございます。
ポセイドン:いえいえ(笑)。石川に帰ってからは、稼ぎもなかったので、並行してラーメン店でバイトをしながら、ライブを続けるというフリーター生活でした。自分より演奏も上手くて、才能があるような人たちもどんどん辞めていって。そんな中で、「東京SHOWER」のMVを撮ったことがきっかけで、YouTubeから認知が広がっていったんです。
──はい。
ポセイドン:もともと絵や音楽が好きだった理由と同じで、表現をすること自体が好きな人間なので、「MVを作る」ということも、自分にとっては特別のことだとは思えなかったんですよ。それに、飲食の仕事は、好きではあったものの、料理が特別上手いわけではないですし、どちらかというと仕事は雑で……。
──そうだったんですか(笑)。
ポセイドン:よく怒られてました(笑)。自分の天職という意味では、「音楽の仕事が天職だ」とは今も思えてなくて、「これが本当にそうなんだろうか?」とずっと考えています。ただ、自分の場合、人に楽しんでもらえると嬉しくなるんですよね。
──なるほど。
ポセイドン:なので、今やっていることもその延長戦上だと思うし、最近は「シティポップ芸人」という肩書で呼ばれて、「芸人なんですか? ミュージシャンなんですか?」と聞かれることも多いですね。でも、「なりきりアーティスト」と言われても、そう悪い気はしないんです。ただ、音楽はぞんざいにしたくはなくて、「ここだけは譲れない」というところは、今回の『ポセイドンタイム』でも制作の過程で色々と希望を伝えていきました。
「達郎さん」という心の師を得た幸福
──『POSEIDON TIME』には、ポセイドンさんの人気に火が付いた達郎さん風のカバー曲だけでなく、オリジナル曲も収録されていますね。
ポセイドン:今回はタイミングを考えても、全曲カバー曲になってもおかしくはなかったと思うんですよ。僕は最初、それでも仕方ないと思っていました。でも、「ちゃんとアーティストとしての面も出してほしい」ということを、スタッフの方々が言ってくれて。これはとても嬉しかったです。それで、オリジナル曲も収録されることになりました。
──曲によって色々な幅がありますよね。たとえば『4』だと、ポセイドンさんが昔やられていたアバンギャルドなジャズを連想させるサウンドで――。
ポセイドン:でも、語りは『サンデー・ソングブック』で(笑)。達郎さん風の楽曲に仕上げるときは、達郎さんが立ち会わなさそうなシチュエーションや、やりそうにないことを、あくまで失礼に当たらない範囲でやらせていただきたい、と思っているんです。たとえば、「握手会GENERATION」もそうで、「達郎さんは、アイドルの握手会にはまず行かないだろうな」と。
ポセイドン・石川「4」ミュージックビデオ
──なるほど、達郎さんがカバーしなさそうな曲が並ぶ、ポセイドンさんのカバー曲の選曲とも繋がっているんですね。
ポセイドン:そうですね。「シャチに目をつけられて」だって、達郎さんがシャチに追いかけられることは、まずないと思いますし、「黄色い声が聴きたくて」も、達郎さんはそんなことはおっしゃらないと思うので(笑)。
──絶対言わないと思います(笑)。
ポセイドン:この曲は、自分が東京で初めてライブをしたときに、なぜか女性の方がたくさん観に来てくれて、黄色い声援を浴びせてくださった経験がヒントになったんです。それがすごく嬉しくて、楽屋で「自分は黄色い声を聞くために音楽をやっているのかもしれない……」という話をしたら、それがウケて出来た曲でした。
ポセイドン・石川「黄色い声が聞きたくて」ミュージックビデオ
──(笑)。『POSEIDON TIME』には、多くの人がポセイドンさんを知るきっかけになったカバー曲があって、それ以前から作ってきたオリジナル曲もあって……ポセイドンさんをここまで連れてきてくれた色々な音楽が、全部詰まっているのかな、と思いました。
ポセイドン:そうですね。次第にオリジナル曲も聴いていただけるようにして、最終的にはオリジナル曲だけでアルバムを出すことが理想ですけど、しばらくはこういう形の作品を作っていこうと思っています。
──では最後に。ポセイドンさんが達郎さんからもらったものというと、どんなものなのでしょう?
ポセイドン:何かをもらったというよりも、僕にとっては気が付いたら自分の心の深いところにいる、神様のような、師匠のような存在なんです。もちろん、僕自身が実際に達郎さんに会ったことはないですし、会えるとも思っていないです。でも、「自分が師匠だと思えるほど夢中になれるものがある」ということ自体が、とても恵まれたことなんじゃないかな、と思うんですよ。それが自分の場合は、山下達郎さんだったということなんだと思います。
ポセイドン石川・オフォシャルサイト
撮影:横山マサト