「未知なる味と向き合うには」南インド料理ブームの立役者、稲田俊輔さんインタビュー

近年にわかに脚光を浴びる南インド料理。ブームを牽引する「エリックサウス」を取り仕切り、SNSやブログでも常に話題を振りまくキーパーソンに、食への目覚めからマニアックなグルメの楽しみ方までじっくりお話を聞きました。好奇心旺盛すぎる食いしん坊必読!

エリア原宿

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※当記事は緊急事態宣言前の2020年3月に取材したものです。

ちょっと長めの前書き

ツイッターでは「イナダシュンスケ」でおなじみ、料理人で飲食店プロデューサーの稲田俊輔さんという人がいる。サイゼリヤ利用法に関するブログが注目を集め、日々の食のつぶやきでファンをじわじわと、そして確実に増やし続け、飲食店やインド料理に関する著書も出版。食業界で近年最も注目されるひとりだ。

 

稲田さんはプロフィールによく、自身のことを「ナチュラルボーン食いしん坊」と書かれる。しかし彼は、ただ「食いしん坊」という言葉だけでおさまる人じゃない。

食べることが大好きで、ジャンルを問わず食べて探究する人は少なからずいる。好きになった食べものの食文化的背景や成り立ちに興味を持つ人も、ままいる。好物は実際に作ってみたくなるという人も、いなくはない。

稲田さんはそれらプラス、「食克己理解力」が異様に強いというか……食べてみてあまり好きになれないものでも、「どうしてこれがウケるのか?」「今の自分には分からない良さがあるのかもしれない」と粘り強く考え、その魅力をどうにかして探り、理解しようとする。

そのさまは求道的でストイックであると同時に、なんか……実に楽しそうなんである。楽しそうな発信を目にしているこっちも、一緒に楽しくなってくる。稲田さんは自分のことを「フードサイコパス」とも呼ぶ。初めて聞いたとき、「こんな言い得て妙、なっかなかない!」と即座に納得した。

希代のフードサイコパスがどんなふうに成長してきたのかを知りたくてたまらず、2時間じっくり話を聞かせてもらいました。

(聞き手:白央篤司)

 

 

異常にグルメな家庭で育った少年時代

──いきなりですが、稲田さんの子ども時代って、どんなでしたか。

 

稲田さん(以下敬称略):ものを作るのが好きでした。段ボールを切ったり、粘土細工をしたり。その延長で、幼稚園に入るか入らないぐらいの頃から料理に興味があって、餃子や創作サラダを作らせてもらったことをうっすら覚えています。工作の感覚で、「変わった餃子の包み方をしてみたい」って思ったんですね。母親だったか親戚の叔母さんだったかと一緒に作っていて、「この包み方だと焼けないね。じゃあ蒸しましょう」と蒸し餃子にしてもらったのを今思い出しました。

 

──「焼けないから作り直し」とか「これじゃダメ」ではなく、違う加熱方法を教えてくれた、っていうのがいいですね。

 

稲田:ありがたい話ですよね。今になって思えば、食に執着のある家庭でした。親族一同、料理好きで、食べることが好きで。誰も実際に職業にしていたわけではなく、完全に趣味なんですけどね。母方の祖母、父方の祖母、共にとてもグルメな人でした。

母方の祖母は鰻や中華が好きで、親戚の集まりがあると自分のお気に入りのお店で開くわけです。そのときの料理は祖母がお店と相談して決めていたんでしょうね。普段なら出てこないような、見たこともない料理ばかり出てくる。エビチリとか青椒肉絲なんかは絶対に出てこなくて。

 

稲田さんは1970年に鹿児島県で生まれた。当時はまだまだ「男子厨房に入るべからず」の気風も残る頃。稲田家は「料理する男性も当時としては多かった」けれど、親戚が寄り合うようなとき、男性は台所に入れなかった。だが「子どもだから」ということで俊輔少年は厨房入りを許される。

「祖母を頭(かしら)とした女性たちが、とても楽しそうに料理しているさまを眺めているのが楽しかった」

彼女たちがどういう献立を考え、どういう工夫をしていたかも心に残っているという。うーん、稲田さんの原風景だ。

 

稲田:あるとき、「今年はラーメンを作ろう」と祖母たちが言い出したんです。麺打ちからスープ取り、チャーシュー作りを女性陣が手分けしてやるんですね。今でいう製麺マニアの人達が楽しそうにやっているような感じで。半日かかって作った挙句、「やっぱりラーメンは外で食べたほうがいいねえ」って(笑)。

僕、チャーシュー用の皮つき豚バラ肉を下ゆでしてるときに、「これ全部チャーシューにするのもったいないから、3分の1はこのまま薄切りにして、辛子醤油で食べようよ」って言ったのを覚えてます。小学校2年生のときでした。当時から辛子やマスタードが好物でしたね。

 

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──父方の祖母という方は、どんな人だったんでしょう。

 

稲田:彼女はちょっとした有名人だったんですよ。お煮しめの達人として、それこそ地元のテレビで作り方が紹介されるような。で、そのダシは鮎の焼き干しなんです。祖母の家は目の前が川で、そこでとれた落ち鮎を使う。鍋にびっしりと焼き干しを並べて、すのこをかけて煮るんですね。具材は裏の山に生えているタケノコや、近所の豆腐屋さんの厚揚げ、そして自分の畑でとれた野菜。 

あるとき、ラジオ番組でこの煮しめを紹介するとき、「ダシはなんですか」と聞かれて「本当は鮎なんだけど、今回はないのでハイミーを使います」と祖母が答えたんです。そしたら制作側が「それだと説得力に欠けるので、煮干しとかカツオブシにできませんか」と聞いたら怒り出して。「煮しめは山の料理だ。山の料理に海のダシを使うなどもってのほか」って。

 

 

稲田:今、お正月に自分でも煮しめを作りますけど、おばあちゃんの味にはまったくもって近づけていないです。

 

パンクに目覚め、食に対して嫌悪感を持った中高生時代

稲田さんの実家は両方ともに鹿児島県内で「母方は街中の人、父方は山のほうの田舎」とのこと。都会と自然、双方にある食を子どもの頃に体験できたというのは、稲田さんの形成にとって大きかったことだろう。

 

──ご両親もやっぱり、料理好きで?

 

稲田:はい。『暮しの手帖』が全巻揃っているような家で、母がよく見て作っていましたね。「仔牛のプラムクリーム煮込み」なんてのを作ってるような人で。僕も「これ作ってみたい」と言うとサポートしてくれて。うちの親父はそんな凝った料理作らないんですけど、伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』って本があるじゃないですか。あれに書いてあるやり方そのままでパスタを作ってみたりしていました。

 

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▲写真はライター私物の文春文庫版、初版は1965年。「スパゲッティの正しい調理法」と題した一文があり、当時日本では一般的にほとんど知られていなかったアルデンテのゆで方やパルミジャーノ、各種スパゲッティ料理が紹介される。現在は新潮社より刊行

 

稲田:親父に関していえば、どこからともなくめずらしい食材を手に入れてくるんですよ。ブロックのまんまのベーコンを手に入れて、「これが本物のベーコンだ」なんて言いながらベーコンエッグ作って。醤油を作るために発酵させた豆を入手してきて、「醤油になる途中の豆なんだ」って言いながら、ごはんにのせてワシワシ食べてましたね。

 

──なんというか……ベーコンの厚さが目に浮かびました。食刺激が常に身近だったんですね。そして中高時代、より本格的に料理に惹かれていくんでしょうか?

 

稲田:それがそうでもなくて。まず中高時代ってとにかく腹が減る年頃じゃないですか。限られたおこづかいは空腹をなだめるので精一杯というのがあり。そして中学時代に、パンク(ロック)にハマったんですよ。退廃的な感じに惹かれて。すると「食べることに執着するのカッコ悪いな」というか、嫌悪感が芽生えてきたんですね。「酒とドラッグでガリガリ」に憧れたじゃないですけど(笑)。でも、自分の中に相変わらず食に対する強い興味があるのは自覚していました。

 

中学時代はブリティッシュパンクのザ・ダムド、そして高校時代はシューゲイザー系のバンドにハマり、'90年代に入ると当時一世を風靡した渋谷系にも傾倒していく。

 

稲田:渋谷系って「きれいな服を着て、おしゃれなレストランに行く」こともわりかし肯定される。それが快適で。退廃的なものに憧れてるけど、実際自分は(パンクの世界観とは対照的な)環境で育っているから、居心地の悪さもあったんでしょうね。

 

 

1Kアパートを「食のコックピット」にした大学時代

稲田さんは、自分の性格について「あまのじゃくなところがある」と言った。高校は鹿児島の名門、ラ・サール学園。「東大に行くのが当たり前」という雰囲気に反発し、京都大学を受験し合格。1989年、京都でのひとり暮らしが始まる。

そしてこの時期、本格的に料理にのめり込む。当時の生活をふり返った4連続ツイートを、ここで紹介したい。

 

 

ツリーを文字にしたものがこちら ↓

昔こういうところ(コンロが1つの1Kアパート)に住んでた。深いフライパンでニンニク唐辛子オリーブオイルをジリジリしてそこに水をザバっと注ぎ、パスタを直に入れて茹で上がりでちょうど水分が蒸発するようにコントロールして仕上げるというテクニックを編み出した。途中で具を入れたり最後にトマト足したり。

とりあえずあらゆるものを炊き込みご飯にした。それと具沢山の汁という組み合わせが定番。炊飯器は煮物にも活躍したが、その間米が炊けないのと臭いが染みつくのに閉口して、炊飯器2台持ちとなった。最終的にはテーブルにカセットコンロを置き、下ごしらえなどもそこで行うようになった。

開き直って、この部屋は「1K」ではなく「K」であると再定義した事で、非常に快適になった。月4万円でキッチンを借りておりその片隅にたまたまベッドがあるのだという認識。ゲーム機も楽器も本もビデオも何もかもベッドの周囲に配置され、動かずに手が届いた。ベッドではなくコックピットと再定義した

オーブントースターやハンドミキサーなどの設備投資を経て、「K」の機能はますます充実、最終的にはフルコース余裕なレベルにまで達した。

 

──うーーーん、フードサイコパス基地ですねえ! この頃世の中は「イタめし」なんて言葉がはやっていて、エスニックブームがあって。

 

稲田:自分もその頃、イタリアンとタイ料理にハマりました。ガス口(くち)が1つしかないキッチンで、イタリアンのフルコースを作っていて。最初は我流でしたけど、シェフのレシピ本を参考に片っ端から作っていましたね。正直、「おしゃれな料理作って、女の子にモテたい」という気持ちもありました(笑)。

 

──やっぱり、アルバイトも飲食店で?

 

稲田:飲み屋さんや喫茶店とかでバイトしつつ、同時に家庭教師や塾講師もしていたんですけど、全部辞めて飲食のほうだけやるようになりましたね。人に勉強を教えるのが苦手だし、もうストレスで。家庭教師1時間やるなら飲食店で4時間やればいいや、って。京阪三条にあるイングリッシュパブで長いことバイトしてたんです。最後のほうはお店の人から「勝手にメニュー作って、勝手に売っていいよ」みたいになって。

 

──おお、メニュー開発を学生の頃すでにされていたんですね!

 

稲田:そこのまかないが当時は仕出し弁当で、あまりにもおいしくなかったんですよ。「たまには俺が作るわ」みたいな感じで作り始めて、週一で基本「ご飯にぶっかけるもの」を作っていました。そのうち「どうせならお客さんにも出そう」ということになり、裏メニュー的に出すようになりました。インドカレーを作ってお客さんに出したのは、パブでのバイト時代が最初です。他にはビーフストロガノフとかタコライスなんかを出した覚えがあります。

 

──京都生活が稲田さんに与えた影響って、ありますか。

 

稲田:京都っぽい味つけが「自分の中心軸」であるのは間違いないです。「お揚げさんと菜っ葉の炊いたん」ってありますよね、油揚げと青菜をサッと炊いた(=煮た)だけの料理ですが、あれを家庭教師をしていた先で出してもらって、すごくおいしくて。ダシがおいしいわけですよね。

学生だから使えるお金は限られてますけど、京都ではいろんなお店に食べにいきました。おいしかった和食店で「バイトさせてください!」って頼んで、雇ってもらったこともあります。京都っていう土地は学生にやさしいんですよ。

両親も鹿児島の人でありながら、京風や関西割烹的な味つけが好きでした。だから甘みの強い鹿児島的な味つけはなじみがなかったんです。家ではヒガシマル(註:兵庫県の醤油メーカー)のうすくちがメインで。母は鹿児島から出たこともないような人なんですけどね。

 

就職5年目でドロップアウトし起業へ

──大学時代はあっという間でしたか。それとも長く感じられましたか。

 

稲田:大学時代は永遠に続くと、自らをだまして思い込もうとしていましたねえ。とにかく大人に……というかおじさんになりたくない、社会に出たくない、スーツ着たくない、ネクタイしたくないという思いがあった。大人と仕事したくなかったというか。そんな感じで、卒業が近づくにつれて絶望的な気分になっていったのを覚えています。

 

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同時に、音楽への思いがあった。なんと自分のバンドがインディーズレーベルからデビューを果たすまでに至ったが、「客観的に考えて、これで食べていけるほどの才能はない」と断念。

大学卒業後は大手飲料メーカーを希望し、入社が叶う。事業の一環として、飲食店プロデュース部門があるのに惹かれた。最初は営業職に配属されたが、「何年かやって異動希望が叶えばいいな」と考えていた。

当時のことをたずねれば「やっぱり営業というものをナメていましたね」と稲田さん。営業をのぞんで入ってきた同期たちとの能力格差も如実に感じた。そして飲食店プロデュース部門も、実際に担当者と話してみたら「実務はスペシャリストに発注して、やることは管理中心」であることもわかってきた。

次第に「自分がやりたいことは、これなのか?」との思いが募る。何より、毎日が楽しくなかった。

 

稲田:会社をサボって、名古屋港水族館によく行ってたんです(※当時、名古屋支社で勤務)。その近くにいかにもサブカルなショップがあって、求人が貼ってあったんですよ。「仕事はキツいけど、楽しい仕事です」と書いてあって。「俺、仕事楽しくないよな。この先も楽しくなる見込みないよな。ここで働いてる人が楽しく仕事をしている間に、俺は楽しくない仕事をずっと続けるのか……?」と。そう思ったら、たまらなくなって。

 

退職を決意したのは、27歳。

「いろんな飲食店でアルバイトして、30歳ぐらいで独立できればいいな」と、3年間をモラトリアムにあてようと考える。しかしそのとき、運命の大きな力が働いた。「飲食店を立ち上げるんだ、一緒にやらないか」と声をかけたのは武藤洋照氏、現在稲田さんが取締役をつとめる株式会社円相フードサービス(本社:岐阜県各務原市)を起こしたその人である。

 

稲田:彼とは25歳ぐらいのときに出会っていたんです。当時、武藤は食品会社の営業をしていて、僕とは客先が一緒になる関係で顔見知りになり、メシ食ったり飲んだりする仲になって。飲食に関する価値観を共有できる唯一の存在だったんですよ、彼もフードサイコパスで。二人でメシ食ってて、何か料理が出てきたら「この料理のここがいいよね!」ってツーカーですぐに分かり合える。「会社辞めたんだよ」と話したら、「自分も辞めるんだ。居酒屋を始めるから、手伝ってくれんか?」と。僕は30歳までフラフラするつもりだったけど、立ち上げだけ手伝うつもりで協力しました。でも始めてしまうと居心地がいいんです、常に自分のやりたいことができる状況だったんで。

 

二人がお店を始めたのは1997年のこと。今年(2020年)で仕事上のパートナー関係は23年を超える。その間に、和食店やビストロなど、様々な形態の飲食店を開業、同時にプロデュース事業も手掛けていった。

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↑ 『円相 くらうど』は以前にメシ通で取材した、稲田さんが手がけたお店の一軒。岐阜駅内にあり、郷土料理が豊富にそろう。 稲田さんは各地の郷土料理やローカルフードにも造詣が深い。

 

ちなみに南インド料理店「エリックサウス」は、川崎のテイクアウト専門店「エリックカレー」のリニューアルを依頼されたことがきっかけとなり、今に至っている。

現在、株式会社円相フードサービスは18業態の飲食事業を抱え、従業員は50数名。

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東京渋谷の南インド料理店「エリックサウス マサラダイナー 神宮前店」

 

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▲お店の中央にはカウンター席を配置。女性のひとり客も多い

 

──飲食店の業態や商品開発、レシピ作成を行うことが稲田さんの現在の仕事内容になるんですよね。複合的な仕事だと思いますが、「ご職業は何を?」って訊かれたとき、なんと答えていますか。

 

稲田:基本的には、「料理人」と答えます。「自分で考えて、自分の手で作った料理を、自分でお客さんのところへ運ぶ」ということが一番やりたいことですから。同時に僕、飽きっぽくもあるんです。やりたいことがどんどんでてきてしまう。以前に和食をやっていたときはフレンチのシャルキュトリー(註:食肉加工品のこと)や家庭料理が気になって気になってしょうがなかった。だから、和食店をやりつつ勝手に作っていました。

 

──気になったらもう、作りたくなっちゃうんですね。

 

稲田:そうやって「何かしらを並行してやっちゃう」のを繰り返しているんです。エスニック料理しかり、インド料理しかり。それが次の出店につながる。うちでビストロをはじめて計画したときには、すでに店1軒できるぐらいのレシピが手元にありました。料理人としては、和洋中に限定せずあらゆるジャンルできたほうがいい。そうするとひとつのジャンルに対して客観的になれますから。

 

インド料理にのめり込んでしまう理由

──世間は「エリックサウスの稲田さん」というイメージが強いと思います。インドカレーのレシピ本も出されましたが、インド料理は特別な存在なんでしょうか。

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▲稲田さんの著書。左が『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、右は最新刊となる『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』(柴田書店)

 

稲田:平等というか、和食でも、フレンチでもイタリアンでも等距離でありたいなと思っていますが、インド料理に一番のめり込んでしまう部分は確かにあると思います。それには2つ理由があって、ひとつは和食なんかだと社内にもう人材が豊富であること。プランニングすれば「あとは頼むね」と託せる状況にある。本当は全部自分でやりたいんですが、そうも言っていられないので。

 

──もうひとつの理由は?

 

稲田:こっちの理由がものすごく大きいんですけど、インド料理ってダントツでお客さんにフードサイコパスが多いんです。食べ物に対する執着や探究心が人一倍強いタイプのお客さん。割合でいうと、和食なら100人お客さんが来て4~5人フードサイコパスがいるイメージ。フレンチなら100人中、10数人。これがインド料理だと半分になる印象です。なので、インド料理だとマニアックで特殊なものであっても食いついてくれる人が多いんですよ。和食やフレンチだと「売れるもの」を優先しなければならず、好き放題できないという部分があるんです。

 

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稲田:インド料理って、日本人本来の味覚や価値観には合わない料理だと僕は思っているんです。

 

──それは、どういうところがですか?

 

稲田:うま味を重視しない点とか、香りの強さとか。そこを乗り越えて好きになるのは「感覚だけではなく理性で食べる」人たちなんですね。フードサイコパスの特徴のひとつとして「感性と理性を総動員して食べものに向き合おうとする」、というのがある。ひと口食べて「あ、これ口に合わない」「まずい」じゃなく、「なぜこれをおいしいと思う人がいるのだろう?」「どうやったら自分はこれをおいしいと感じられるのか?」と一度理性を挟もうとする。インド料理好きって、そこをクリアしている人たちなんですよ。受け容れがたいものを受け容れる熱意があり、自分の価値観の中に取り入れるだけの探究心があり。そういう意味で、インド料理好きってフードサイコパスの宝庫なんです。

 

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渋谷にあるエリックサウス マサラダイナーのランチカレープレート。選べるカレーのラインナップに注目。

 

──ここで聞いておきたいんですが「フードサイコパス」の定義とはなんでしょう? 過去に稲田さんが書かれたものを読むと、「食べものや食文化に対して人一倍強い関心と執着を寄せている一部の層」ともあります。

 

稲田:単純に、食に対する執着の強さとか、思いの強さが根本にありますね。あと、おいしさに対して受け身であるか能動的であるか。フードサイコパスはおいしさを探しに行く。そうじゃない人はおいしさがやってくるのを待つ、みたいな。食べものって普通は感覚で解釈するじゃないですか。もちろん感覚は大事ですけど、プラス「文脈」でフードサイコパスは解釈しようとする。その食べものの背景や文化、習慣、由来など。そして一度の食事でピンとこなくても、自分が知らない、まだ分かってない何かがあるんだろうと探りたくなるような。「うまいだけじゃつまらない」って思うような人たちのことですかねえ。

 

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▲エリックサウスマ サラダイナーのメニューより。ライスのカスタマイズも自在!

 

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▲レトルトカレーもリリースしている

 

エリックサウスは店舗によって「キャラ」を変えている

──この3月にエリックサウスの5店舗目「エリックサウス高円寺カレー&ビリヤニセンター」がオープンになりましたね。

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▲2020年3月オープンした「エリックサウス高円寺カレー&ビリヤニセンター」。たちまち行列必至の評判店に

 

稲田:ビリヤニを主軸としつつ、カレーやミールスも楽しんでもらえる店舗です。ビリヤニを出すお店も増えてきましたが、エリックサウスならではのビリヤニをお出しします。

 

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▲エリックサウス高円寺カレー&ビリヤニセンターで提供される「鯖ビリヤニ」(1,480円税別)。ビリヤニの聖地として知られるインド・ハイデラバード式に炊きあがっている

 

稲田:ただ、エリックサウスがチェーン店みたいになっていくのは避けたいと思っているんですよ。メインになるメニューは重なっているけど、それぞれ個性があって内容も違うよ、と。

 

──エリックサウスの店舗は現在、八重洲(東京駅直結)、渋谷(エリックサウス マサラダイナー)、紀尾井町(永田町駅直結、東京ガーデンテラス店)、名古屋(KITTE名古屋店)、そして高円寺(カレー&ビリヤニセンター)の5店舗がありますが、各店舗の個性やイメージを教えてください。

 

稲田:八重洲はインド料理の初心者の方というか、はじめて食べる方が南インド料理のベーシックに出会える場所とイメージしてます。紀尾井町の東京ガーデンテラス店はゴア地方がキーワード。ゴア地方ってインドの中で一番酒を飲むエリアで、料理もワインに合うようなものが多い。ゴア地方の料理でスパイス飲みを楽しめる、というのが特徴ですね。KITTE名古屋店は総合南インド料理レストラン。ここ一軒で南インドのスタンダードを網羅して味わえます。

あ、ただし各店ランチはほぼ一緒なんです。ランチのあとに個性が出てくると考えてくだされば。

 

──きょうの取材は渋谷のマサラダイナーで行わせてもらっていますが、こちらの店舗はどういう個性づけでしょうか。

 

稲田:他のお店はすべて平面展開ですが、マサラダイナーは時系列展開のお店です。前菜からはじまるコース展開、ということですね。

 

──ああなるほど。平面展開とはメニューから好きなものを選んで、単品で頼めるということですね。マサラダイナーも単品メニューはあれど、軸となるのがコース料理というわけで。

 

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▲エリックサウス マサラダイナーのTwitterプロフィール。「かなりド変態」という言葉があまりにも印象的

 

嬉しい裏切りを与える「if(イフ)料理」とは

──渋谷にあるエリックサウス マサラダイナーの名物・モダンインディアンコース(税込5,500円)はすべて稲田さんがレシピ考案されていますよね。それこそ先ほど言われた「好き放題」という感じで、存分に創作意欲を発揮されている。

 

稲田:自分が食べたいもの、興味をもってドキドキワクワクできる料理をモダンインディアンコースの中で出し続けています。ただ自分の中で相反するものがあって、コースのスタイルが徐々に完成されつつあるな、という満足感と同時に、それをまた壊したいという思いもあるんですよ。料理の内容自体は変わっていても、パターン化して印象が変わらなくなったらつまらない。

 

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▲2020年3月時のモダンインディアンコースより、アルーティッキ(上)、ピエダングロワ(下)、バナナのキャラメリゼ(左)。フランスのウォッシュチーズ「ピエダングロワ」と香ばしい焼きバナナの組み合わせが絶妙。インドのイモ餅風ストリートスナック「アルーティッキ」は優しい甘みでしっとりした食感

 

──ただ、その安定感はお客さんが求めるものでもありますよね。安心感にもつながることですし。

 

稲田:そこなんです。そこをどういうバランスでいくか。常にお客さんには「こう来たか……」という嬉しい裏切り感を与えられたらと思っています。

 

──モダンインディアンコースは2カ月に1度内容が変わります。稲田さんが実際にキッチンに入っているときとそうでないときがあるようですが、どんなシフトになっているんですか。

 

稲田:今のところのパターンとして、メニューを変えたら4~5日はキッチンに入って自分が中心になって作り、スタッフに覚えてもらうんです。そのあとの4~5日は自分がホールに出て、キッチンをチェックしつつお客さんの反応を実際に見る、という流れです。

 

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▲2020年3月のモダンインディアンコースより、黒アンガス牛リブ芯のケララビーフステーキ 新玉ねぎのローストとマサラサワークリーム。スパイシーなステーキのうま味をさわやかなサワークリームが引き立てる

 

──「自分で作って、自分で運ぶ」のが稲田さんのやりたいことと先ほどありましたが、将来的には自分のお店を作って専念したいという思いはありますか。

 

稲田:そういう気持ちもありますが、僕はそうなったら……飽きるでしょうね。だから今、すごく自分に合った状態です。

 

──それはいろいろなジャンルの料理やお店を同時に手掛ける、という状態が。

 

稲田:そうですね。あ、さきほど創作意欲とおっしゃっていただきましたが、僕はインド料理を創作したくはないんです。「もしもインドに〇〇があったら」というのがポイントというか……例えば「もしもインドにキンカンがあったら、こういう料理が生まれてたんじゃないか」といった感じでメニューを考えている。「if(イフ)料理」と呼んでるんですが、自分の創作や想像もゼロではないんですけど、なるべく自分勝手な部分は少なくして答えを出したいんです。思いつきは最小限にして、「この食材がもしインドにあったなら」というところから考えて、必然性をメインに組み立てていく。

 

──なるほど。あと2つ質問させてください。いま注目しているチェーン店はありますか。

 

稲田:世間はもっと「いきなりステーキ」を見直したほうがいいと思っています。最近あらためて食べてみて、こんないいお店だったかと。単純においしいですね。一番安いのよりひとつ上のを食べたほうがいい。「いきなりステーキ」では「トップリブ」を食え。大体どんな飲食店でも、そのお店で一番売れているものより少し高いものを食べると幸福度が爆上がりします。

 

──最後の質問です。稲田さんにとって、「素晴らしい料理」とはどんなものでしょう。

 

稲田:心が躍る料理ですね。食べる前も、間も、後もワクワクするような、興奮する料理が、僕にとって素晴らしい料理です。

 

後記

稲田さんと話していて、中学時代に塾が一緒だったS君を思い出した。

彼は分からないことがあると、分からないことが面白く思えるんだそうな。「なんで俺はこれが分からないんだろう?」ということが楽しくて、「どこかちょっとでも分かるところはないかな」と、かくれんぼで友達を探すような気持ちで机に向かうのだという。稲田さんは食べものに向き合うとき、S君と同じような気持ちなのかもしれない。

分からない自分を楽しめるって、無敵だ。

 

インタビュー内には入れられなかった言葉もたくさんある。「悪意が無いかぎり、まずいものってない」というのに、唸った。本当にそのとおりだと思う。好みじゃないものと出会ったときには、「自分をチューニングして」その好みになれそうなところを探っていく、的なことも言われていた。

食に対してすがすがしくマニアックな希代のフードサイコパス、稲田俊輔。彼は今、トルコの家庭料理に興味があるという。どんなサーチが行われているのか、そしてどんな「if」が心の中に湧き起こっているのだろうか。

心躍る試行錯誤が、稲田さんのキッチンできっと今日も行われている。

 

稲田俊輔(いなだ しゅんすけ)さん プロフィール

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鹿児島県生まれ。京都大学卒業。飲料メーカー勤務を経て、株式会社円相フードサービスを設立。多くの飲食店の立ち上げに携わり、2011年には東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』(柴田書店)がある。食全般に造詣が深い。

 

※当記事は緊急事態宣言前の2020年3月に取材したものです。

 

店舗情報

エリックサウス マサラダイナー

住所:東京渋谷区神宮前6-19-17
電話:050-5347-1462
営業時間:月~土、祝前日: 11:30~15:00、17:30~22:00 (L.O. 21:00)、日、祝日: 11:30~22:00 (L.O. 21:00)
定休日:なし

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エリックサウス高円寺カレー&ビリヤニセンター

住所:東京都杉並区高円寺南4−49−1
電話:03-5356-8803
営業時間:11:30~15:00(L.O.14:30)、
17:00~22:00(L.O.21:30)
定休日:水曜日

enso.ne.jp

 

企画・文・撮影:白央篤司(はくおう あつし)

白央篤司

「暮らしと食」、郷土料理やローカルフードがメインテーマのフードライター。CREA WEB、Hot Pepper、サイゾーウーマン、hitotemaなどで連載中。主な著書に『にっぽんのおにぎり』『ジャパめし』『自炊力』『たまごかけご飯だって、立派な自炊です。』など。家では炊事全般と土日の洗濯、猫2匹の世話を担当。

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