海外の変なニュースから最新トレンドの体験レポート、迷惑メールへの突撃記事まで幅広いジャンルのおもしろ記事を発信するロケットニュース24。インターネット好きなら一度は見たことがあるだろう。
そんなロケットニュース24の中でも、体を張った実験記事や不気味なカワイさのコスプレ記事で異彩をはなつ看板記者、佐藤英典さん。
ネットでおなじみの佐藤記者に「人生を変えたメシ」を伺いました。
▲佐藤さんの実家がある島根県松江市の宍道湖
人生を変えたメシは、島根の牛丼
ー本日は「人生を変えたメシ」についてエピソードをうかがいます
人生を変えたメシは、牛丼です。
ー牛丼!? ずいぶん身近なメシですね。
話しは、地元・島根で過ごしていた時代に遡ります。
当時、地元の島根で商業高校に通ってました。
ぼんやり作家になりたい気持ちはあったんですけど、当時はブログもない時代で。ひたすらノートに、物語や日々の雑感とか書きたいことを書き殴ってました。
▲佐藤記者21歳頃の写真
ーなにか執筆にまつわる勉強をされてたんですか?
いえ。
作家になりたいって言っても、ライターの修行とかしてたわけじゃないし、人生経験のない単なる生意気なガキだったので。
とにかく、うっすいこと書いてましたよ。
学校を卒業してからは、バーで働いてました。
バーの社長は音楽仲間で、昼は内装業をしていた友人です。
小さなお店でしたけど、ライブも出来るお店でして。
そこで、人生を変える出会いがありました。
22年前なんで、私が28歳頃ですね。
ーどんな出会いでしょう
東京・青山のイタリアンレストランで働いてたシェフです。
うちのバーの向かいでイタリアンレストランを営業されてました。
いろいろ事情が合って、島根にやってきた50代の方ですね。
レストランが終わると、必ずうちのバーに来て、ずっとグチを言うんです。
「島根は田舎過ぎて、遊び場がない」とか「暇でしょうがない」とか。
当時の私は、地元を盛り上げたい若者だったから、最初はその人が嫌いでしたね。
「この店、ちゃんと片付けしてないな」とか文句も言ってくるし。
ー毎日グチられたらしんどいですね
そうなんです。
でも、知識も経験も段違いなんですよ。音楽も、お酒も、料理も詳しい。
ある時、その方が「ペルノあるか?」ってフランスのお酒を注文されて。全然知らないお酒だったし、ぶっきらぼうに「そんなのありません」って言ったんです。
ーほう
そしたら、「佐藤、お前は物を知らないくせに偉そうだ。知らないなら知らないですむのに、学ぶ姿勢がない」って言われたんです。
もう、ハッとしました。顔がすっごく赤くなりましたね。
「なんだ、佐藤、怒ってんのか?」って聞かれたんですけど、そうじゃなくて、恥ずかしかったんですよ。
そこで素直に、恥ずかしいんですって答えたら「知らないことは恥ずかしいことじゃない、知らないことを恥ずかしいと思わないことが恥ずかしいことだ」って言われて、「ああ、この人、俺に物を教えようとしてたんだな!」と分かりました。
そこからすごく好きになって、人生の師匠になりました。
▲外国人の友人との宅飲みでの佐藤さん。25歳ぐらい。
ー一転して師匠に!
バーが夜勤務なので、空いてる昼にシェフの買い出しに付き合ったり、お店の手伝いをしてました。
「佐藤、腹減ってねえか?」ってよく聞いてくる人で。関係が微妙だった時は「そんなに腹減ってない」って答えてました。一緒にメシ行きたくないですから。
でも、師匠の人柄が分かってからは、よく牛丼屋に行きまして。そこで食べた牛丼が、人生を変えたメシです。
ーおお! そこで食べた牛丼が人生を変えたんですね
牛丼それ自体というより、一緒に食べながら、師匠から教わったことで人生が変わった。
その時に、アタマの大盛りも学習して。師匠は東京にいたから、特殊な頼み方知ってるんですよ。アタマの大盛りなんて、島根の牛丼屋で働いてる人が分かってたのか微妙ですけどね(笑)。
2店連続でクビになり、東京に上京する
ーなにがきっかけで、島根から東京に上京されたんですか?
元々、師匠が働いてた青山のレストランに、後輩が口利きしてもらって勤めてたんですね。
30歳の時に、そのレストランに遊びに行ったら、料理長が「あんた、何やってんだ」って聞いてきまして。「無職です」って答えたら、「じゃあ、東京来い」って、いきなり上京が決まりました。
ちょうどその頃、勤めてたバー、クビになってたんで。
ーえ、なんでクビに?
社長が「自分は正しいんだ」って気持ちが強い人だったんですが、言うこと聞かなかったら、摩擦が生まれちゃって。「辞めて欲しい」と言われました。
その次に勤めたお店も、クビにされたんで、2店連続でクビ。私、クズなんですよ。
▲バーをクビになったあとに勤めたレストランでの写真。後に、ここもクビになる
ー2店連続!? なぜ?
社長派と反社長派、内部で派閥が生まれちゃって。
反社長派だったので「やりたいことあるなら。自分でやれ」ってクビになりました。
そんな状況だったんで、東京出れるなら出てみようって、青山のレストランで働き始めました。
でも、そこの料理長も剛腕な方でして。
嫌になっちゃって、店内改装で1ヶ月休業になるタイミングだったので、1年も経ってないですけど辞めました。
ー結構、職を転々とされてたんですね
その後は、引越し屋さんに無理やり入社しました。
ー無理やり入社?
縁あって引越し屋の社長と知り合ったんですが、断らせないように、社員で一番低い給料でいいから入社させてくれと頼みまして。誰より早く働くし、ずっと休まない、そのかわり1年間続けたら給料を倍にしてくださいって条件を出しました。
結果1年後、倍にはならなかったけど、10万円昇給しました。
ー引越し屋さんではどんな仕事を?
お客さんからの御礼メッセージがよく届くので、社内ネットワークに流したり、社内報作ったり。無理やり仕事作ってました。
3年ぐらい勤めてるうちに、文章書くだけでやっていきたくなって辞めました。
ロケットニュース初期の頃、月100記事書いていた
ーそこでようやく文章の道に入るんですね
そうです。2009年8月頃ですかね。
文章の仕事をネット検索したら、ロケットニュースがライター募集してたので応募しました。
ーライター経験なかったのに、よく採用されましたね
サイト見て、好んでる記事の傾向は感覚的に分かってたんで。応募時に企画提案を5本投げたんです、やる気あるよって伝えたくて。
私はロケットニュースで3人目のスタッフなんですけど、当時は向こうも選ぶだけの余裕がなかった。とにかく早く誰か来てくれって状態だったのもありますね。
ータイミングもばっちりだったんですね
ロケットニュースも2008年12月にドメイン取得したばかりだったんで、死に物狂いでした。
当時の報酬は、1記事書いて1,000円。
今思えば安いんですけど、「月100本書けば10万か。生活できるな」って普通に思って働いてました。
ーいや、月100本ってどえらい量ですよ!
無理やりでしたけど、当時はなんかやれたんですよ。
月100本書いてましたけど校正もしてないし、誤字脱字もあって、もう無茶苦茶。
昔の記事なんて恥ずかしくて読めないです。
今は週休2日で、稼働は20日ぐらい。
日に2本書いてるんで月40本ぐらいですね。初期の名残りで手数勝負です。
ー40本……それでもめちゃくちゃ多い……! ロケットニュースってはじめてすぐに人気サイトになったんですか?
2010年頃から人気になりました。
Twitterとの親和性高くて、Twitterが広がると共に、どんどんPVが上がっていきました。
あまりに勢いよく伸びるもんだから、社内でも「ずっとこうじゃないよね」って話してました。
ー佐藤さんは、顔出しで体を張った記事の印象が強いです。スタイルを確立したきっかけとなる記事はありますか?
「『鼻』で音楽を聞くと臨場感あるサウンドに!? 実際にやってみた」って記事です。
ロケットニュースって、初期は全然人間が出てこないサイトだったんだけど、これじゃとっつきにくいよねってなって。私をキャラクターとして出していこうと。
初めて顔出ししたやつなんですけど、うまくハマって、気を良くしちゃって。
しょうもない記事ですけど、今でもこういうの好きですよ。人がどうでもいいと思うことをちゃんとやってみたいんです。
ーそこから順調にライターのキャリアを積んでいったんですね
2012~2013年頃は辞めたいなって時期もありました。
これやって何になるんだろって。その頃はふざけた事も考えられずに、落ち着いた記事を書いてました。
気持ちも全然乗らないんだけど、目の前のことやってくしかないのかなと続けていました。
ー辛かった時期によく食べてたメシってあります?
メシではないんですが、同郷のマスターがやってる歌舞伎町のバーで、しょっちゅうお酒飲んでました。
気分が良い時はカンパリ飲むんだけど、そういう気分じゃなかったから、ビール飲んでました。
ーやっぱりそんな時はお酒ですよね。ここ数年、佐藤さんはポールダンスもされていますが、タンパク質や栄養にも気を使ってらっしゃいますか?
タンパク質よりも野菜はできるだけ摂るようにしています。
というのは、長年食べ歩きを続けていたので、「胆石」なんですよね。
だから以前よりも油モノや甘いモノは控え目にしています。とはいえ、時々食べてますけど。
ーその他、印象に残ってる記事はありますか?
後日談含めて好きなのが、パルコリニューアルの記事。
地下にカオスキッチンっていうフロアが出来たんですけど、どこから来たのか分からなくなるような不思議な作りで。
他の商業施設と全然違う、町を作ろうとしてたんだって書いたら、開発担当者から連絡が来ました。「まさにそうだ、分かってくれて嬉しい」と言ってくれて、後日、インタビューすることになった。
担当者さんは気づく人に気づいて欲しいとおっしゃってたんですが、気づける自分でいられることに嬉しさを感じました。
ーなるほど。もっと変装したり、身体を張るようなヘビーな記事を挙げるのかと思っていたので意外です
そういう人かと思わせといて、ほんとはこっちって振り幅を楽しみたい。
これからもバカと真面目を使い分けていきたいです。
ー最後に佐藤さんにとって食とは何ですか?
食ってそれ自体楽しいものですよね。美味しいもそうですけど、楽しいものであるべきかなと。
師匠もお店で勤めていらっしゃるときに言っていました。「美味しかったよりも楽しかったと言って欲しい」と。ただ食べるだけではなくて、それを取り巻く環境も含めて、豊かなものであって欲しい。
自分はライターという仕事を通じて、そのための情報をお伝えできれば良いと考えています。体当たり系も含めて、楽しんでいただけるようにがんばります。
書いた人:松澤茂信
珍スポットマニア。日本全国1,000ヵ所以上のちょっと変わった観光地や飲食店を巡り歩いています。
- Twitter:松澤茂信