「大食いブームとはいったいなんだったのか」元チャンピオンのジャイアント白田さんに聞いてみた【串カツしろたや】

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フードファイター、いわゆる「大食い」の世界の有名人といえば、誰が思い浮かぶだろうか。

テレビ東京系列の番組『TVチャンピオン』で好評シリーズとなった大食い企画で1990年代の半ばから活躍し始めた赤坂尊子、新井和響、岸義行といったフードファイターたちが「第一世代」。

その後、2000年代になって頭角を現した小林尊、ジャイアント白田、射手矢侑大たちを「第二世代」。

2005年以降に登場するギャル曽根、キング山本こと山本卓弥といったファイターを「第三世代」とするのが一般的なようで、そこから現在活躍する、もえのあずき、アンジェラ佐藤といった若きタレントたちへとつながっていく。

この中の誰を真っ先に思い浮かべるかは世代によって微妙に異なると思う。筆者にとっては「第二世代」の小林尊、ジャイアント白田といった名前が一番に思いつく。自分自身、よくテレビを見ていた時期だったということもあるのだが、単純にブーム自体の盛り上がり方が群を抜いていたような印象があるからだ。

あの頃テレビをにぎわせていたフードファイターたちは今どうしているのだろうか、と気になって調べてみたところ、前述のジャイアント白田こと白田信幸さんが大阪の道頓堀で「串カツ しろたや」という串カツ店をやっていることを知った。

今回、その「串カツ しろたや」で串カツを食べつつ、白田さんに大食いブーム当時のことやお店をオープンするに至った経緯を聞くという光栄な機会を得た。

貴重な話をたっぷり聞くことができたので、90年代~00年代頃の大食いブームを記憶している方はぜひ読んでみて欲しい。

 

お店は道頓堀「くいだおれビル」の中

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というわけでやってきた道頓堀。大阪と聞いて多くの人が思い浮かべる繁華な通りで、「かに道楽」や「づぼらや」の巨大看板が路上にせり出し、多くの観光客でにぎわっている。

 

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食いだおれ人形こと「くいだおれ太郎」が立っている「中座くいだおれビル」の3階に「串カツ しろたや」がある。

 

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お店がオープンしたのは2009年の7月で、もうすぐオープン9年目を迎えるという。

 

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出迎えてくれたのはジャイアント白田さんこと白田信幸さんご本人。

 

準優勝が悔しくて胃のトレーニングを開始

195cmという身長ゆえ、その迫力にちょっと緊張したが、終始物腰柔らかく、穏やかな表情でお話を聞かせてくれた。

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白田さんが初めてテレビに出たのは2001年の春のこと、当時大学4年生だったという。自分が他人よりも大食いであることを自覚していた白田さんは、大学3年の頃から「超大盛りラーメンを30分以内に完食したら〇〇円贈呈します!」というようなうたい文句を掲げた「チャレンジメニュー店」と呼ばれる飲食店を友達と巡っていたのだとか。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:寿司50皿を1時間以内に食べたら賞金1万円っていうお店があって、内容からしたら賞金が結構高い穴場スポットだったんですよ。やってみたら結構簡単に成功して。それもそうで、高校生の頃に家族で回転寿司に行った時にすでに40皿近く食べていたんですよね(笑)。

 

お腹いっぱい食べられて賞金までもらえるという夢のような条件を掲げる飲食店を巡るうち、テレビ番組の大食い大会に出場する逸材を探しているリサーチ会社に白田さんの名が知られることになった。

そして「今度大食い大会があるので出場してみませんか?」と声がかかり、テレビ東京の『TVチャンピオン 全国大食い選手権』に出演することになったそうだ。

「一回戦ぐらいだったら突破できるかもしれないな」と思って出場したところ、結果はいきなりの準優勝。優勝を逃したとはいえ、大きなインパクトを残した白田さんにその後もテレビ局や大食いイベントからの出場オファーが舞い込むようになる。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:ギリギリのところで負けたので、次に出る時は絶対勝ちたいなって。もしかしたら優勝できるんじゃないか? みたいな思いがありました。もう少しで日本一になれるかもしれないという感触があって、それが原動力になっていたし。まさに「闘争心にも火が付いた」という感じでしたね。

 

「自分なりにもっと胃を広げないとと思って試行錯誤しながらトレーニングをした」結果、最初のテレビ出演から5カ月後に放送された『TVチャンピオン 全国大食い選手権』では見事優勝を果たす。

ちなみにトレーニングの内容について聞いてみると「簡単に言うと、食べる量を少しずつ増やしていって、胃の容量を広げていくんです。その頃、番組や大会に出ていた人たちはみんなそれぞれ独学でトレーニングしていたと思います」とのこと。

「私がそのトレーニングをマネすることはできますか?」と、愚問を承知で聞いてみたが「無理っすね(笑)、無茶苦茶しんどいっす」とのことであった。ちなみに、トレーニングの結果、白田さんの全盛期の胃の最大容量は12リットル以上にもなったという。

 

永遠のライバル小林尊への思い

じわじわ盛り上がりつつあった大食いシーンにジャイアント白田、小林尊などのスター選手が現れたことによって一気にブームが過熱。前述の『TVチャンピオン』以外にも、2001年にはTBS系で『フードバトルクラブ』という特番シリーズがスタートしたり、日本各地で頻繁に大食い大会が開催されたりする状況になった。

当時の白田さんにはフードバトル系の番組はもちろん、大食いとは無関係のバラエティー番組からも出演依頼があり大忙しだったという。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:特に、ジャイアント白田と小林尊の二人のライバル関係っていう構図がテレビ局的にもおいしかったというか(笑)。それでドーンと盛り上がったというのがあると思います。尊くん、顔もいいし、その二人が必死に争っているというのがウケたのかもしれません。

 

白田さんのライバルとして数々の名勝負を繰り広げた小林尊さんはその後海外に渡り、数多くの世界記録を達成。ニューヨークを拠点に今も活躍する現役のフードファイターである。その小林尊さんに対する思いについて聞いてみた。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:一緒に戦っていた頃は、トレーニングの仕方も独自にそれぞれで模索したし、そもそも、番組とか大会自体もそれまでにあまり前例がないというか似た系統の番組がないところから始まっていたから、僕や尊くんも一緒になってどういうものにしていこうかって考えていたし、一つのブームを一緒に作った感じがするんです。だから尊くんとは今でもすごく仲が良いし、会うと当時の思い出話で盛り上がりますよ。人生の中でも特別な思い出を共有した相手、ライバルであり仲間であり「強敵」と書いて「友」と読むみたいな(笑)。

 

takeru-kobayashi.com

▲小林尊さんは現在、ニューヨークを拠点にしながらフードファイターとしての活動を続けている

 

やがてブームが過ぎ去り……

ジャイアント白田と小林尊。二人のライバル関係という構図のおかげもあって一気にエスカレートした大食いブームだったが、その矢先の2002年、中学生が給食の早食いをして死亡してしまうという悲しい事件が起こる。

それを機に大食い関連のテレビ番組は一気になくなり、ブームも収束した。その期間、白田さんは調理師学校に通い、調理師免許の取得を目指している。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:実は、大食いでテレビに出るずっと前、高校の頃から飲食業界で働きたいと考えていて、30歳までにお店を持とうと思っていたんですよ。もともとは大学に進学せずに調理師専門学校に入ってすぐに飲食業に進みたいなと思っていたんですが、うちの父が息子を大学に行かせたいという思いが強くて、そうか、じゃあ大学ぐらい出ておくかっていって、近所の大学を選んだんですけど(笑)。2002年の春以降、テレビ出演の仕事がなくなったので、そこで自分の夢をかなえる準備をしようと、今が調理師免許を取るタイミングだと思ったので専門学校に通い出したんです。

 

その後、2005年頃から再び大食い系の特番がちらほらとテレビで放送されるようになる。当然、かつて頂点を極めた白田さんにもまた声がかかったが……。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:僕の中では2002年の段階で自分なりにやり切ったという思いがあったので、正直いうと「うわーまたか」という感じもありました。大会に出る前のトレーニングってすごく時間がかかるんですよ。3カ月ぐらいは時間がつぶれちゃうんです。しかもそれを一回だけじゃなく年に何回かやるとなったら、胃の容量が小さくならないように、定期的に容量を保つトレーニングをしていかないといけないんです。大会前の密に、トレーニングをする時間以外にも絶えず訓練していかなきゃならない。それを突き詰めてしまうと、自分の中でどういうスケジュールでやっていったらいつまでに胃の容量がどれぐらいになるのかなって全部計算できちゃって、ただただしんどい作業をこなしていく感じになっていくんです。

 

トレーニングの過酷さに加え、すでに飲食業界で自分の夢を叶えようと動き出していたこともあってなかなか気が進まなかったという白田さんだが、信頼しあっていたテレビ関係者のラブコールにこたえ、再度フードファイターの世界に舞い戻ることにした。しかし、長期間のブランクのせいで、復活戦は「とてもじゃないけど胃を全然作り切れてなくて、ダメダメな結果になってしまった」という。

そこで、改めてハードなトレーニングを自分に課すと同時に、2007年をもって引退することを決め、予め引退を宣言した上で最後の大会に臨んだ。

「出るからには最低でも優勝、負けるっていう選択肢はなかったです。やるからにはもう強い姿しか見せたくないなって」と本人が語るとおり、優勝をもって最後の大会を終えている。「引退したことについて後悔はないですか?」という質問にはこんな答えが返ってきた。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:2001年とか2002年は、番組もアスリートみたいな見せ方で取り上げていて、他の選手も記録に挑戦してレベルがすごく高かったんですよ。やってる方としてもやりがいがあってモチベーションも高いし。そこから徐々に時代がかわってきて、割ともっとバラエティー寄りというか、記録を突き詰める方向性でもなくなってきて。そうなると僕としてはモチベーションを保てないなと。もう尊くんはアメリカへ拠点を移していたし、自分にとっての強力なライバルも正直いなくってしまった。だから後悔はないです。

 

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▲「現役引退後は一切大食いのトレーニングをしていない」と白田さん

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:トレーニングしないと胃ってどんどん縮んでいっちゃうんで、全然食べてないです。最近でもテレビ番組に呼んでもらうことがあるんですけど、「あの白田が今は小食!」っていうところでウケを取っている感じです(笑)。

 

ブームの中で得たもの、失ったもの

大食いブームを振り返ってみて、自分にとってプラスになったことについて聞いてみた。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:ブームで得たものというと、いろんな大会で優勝して若いうちに結構な額の賞金を手にすることができたので、そのお金で日本中の飲食店を食べ歩けたことですね。調理師学校に行っていた頃、とにかく暇があればずっと食べ歩いていたんですよ。それはお金があったからできたこと。しかも、いくらでも食べられる胃の容量があったんで(笑)。その経験が飲食店をやる上ですごく大きな財産になりました。あと、有名になってたくさんの人に覚えてもらえたことですね。お店を出すにしても「あの白田のお店だ」っていうことでインパクトもあるし、今も会いに来てくれるお客さんがいますし。

 

反対にマイナスになったことについては「マイナスな面はほとんどないっすよ。強いて言うとテレビに一番出てた頃、プライベートで人に囲まれすぎてちょっと大変だったぐらいで。僕、そもそもデカいし目立つじゃないですか。それでちょっと疲れるような時はあったけど、それぐらいかな」とのこと。

また、「ハードなフードファイトやそれに向けてのトレーニングを繰り返したことによる負荷は残ったりしていませんか?」との問いには、「特にないですね。トレーニングしている当時も、体の負担は意外と大丈夫で、それよりも精神的な部分の負荷が大きかったですね。本当にしんどいんで。でも今はもう普通です」と、淡々と語る。

 

2007年にフードファイトの世界から身を引き、翌2008年に期間限定のうどん専門店「しろたや」のプロデュースを手掛けた後、いよいよ自らのお店「串カツ しろたや」をオープンさせた。

競合店のひしめく道頓堀で串カツ店を始めるにあたってはプレッシャーも大きかったが、大阪中の串カツを片っ端から食べ歩いて研究するうちに見えてくるものがあったという。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:いろんなお店の串カツ食べているうちに、ここがこうだったらもっといいのになぁとか。ソースの味がこうだったらもっといいのにとか。自分なりに改良できる余地があるなっていうイメージができたんです。串カツって、パン粉を粗くするとソースの吸い込みが良くなるんですよ。つまり理想の串カツを作ろうと思ったらパン粉の粗さとソースの味付けの濃さを綿密に計算する必要があるんです。そこを自分なりに工夫していって、正解というか、白田ならでは串カツの解釈が見えてきたので、それが実現できればお客さんに認めてもらえるんじゃないかと思いました。

 

サクサク衣に自家製ソースが絶妙マッチ

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実際に、白田さんおすすめの串カツを揚げてもらった。

 

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「串カツ しろたや」では、特に多忙な時を除いては白田さん自らが揚げ場に立ち、串カツを揚げているという。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:串カツ屋で串カツを揚げるっていう当たり前のことをしているだけで「ジャイアント白田が本当に揚げていて驚いた!」みたいにお客さんが喜んでくれるから、得ですよね(笑)。

 

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衣はサクサクと軽い食感。

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かむことに喜びを感じるような軽快な食べごたえである。甘みを感じる「ぷりぷり海老」、塩をかけて食べるのがおすすめだという「たこ唐揚げ」が絶品。

 

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「れんこん」のシャクっとした歯応えも素晴らしい。繊細なうま味が衣の中からあふれ出す。

 

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白田さんが独自に作り上げたこの店のソースは「串カツ しろたや」の味の要となっている。単品での販売も行っており、ソースだけを買いに来るお客さんもいるという。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:串カツを食べ歩いている時に一番感じたのは、「素材の味を引き出すソース」というものが意外に少ないなということでした。ソースの個性が強すぎて何を食べてもソースの味になってしまう。うちのソースは一歩引いて素材の味を引き立てるバランスにしてあります。実は日本でもトップクラスの有名焼肉店で、ビーフシチューの隠し味に使われたりもしているんですよ。こうやってハードルを上げすぎると、食べたときに「普通やん!」って言われそうだけど(笑)。

 

白田さんの言う通り、「たまねぎ」にしても「れんこん」にしても野菜そのもののうま味がソースと衣によってグッと引き出されているという印象を受けた。

 

評判の「ジャイアント串」とは

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:僕のおすすめは、れんこんとかアスパラとか野菜系です。僕自身が野菜が好きだっていうのが大きいんですけどね(笑)。よく取材の方に「こだわりはなんですか?」と聞かれるんですが、うちはこれといった特色があるような感じではなくて、総合力というか、食べた時の感想や印象、お会計をした後の満足度も含めて「あ、よかったなこのお店」みたいに思ってもらえるバランスを一番に考えています。

 

メニューの中には大きめのウィンナーやなすを使った「ジャイアント串」もある。

中でもおすすめだという「ジャイアント関西風だし巻き」を出してもらった。

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▲下が通常サイズの「関西風だし巻き」、上が「ジャイアント関西風だし巻き」だ。持ち上げると手がプルプルするほどの重量感

 

串揚げになっただし巻きを食べるのは初めてだったのだが、かぶりつくと、今まで知らなかった自分を叱りたくなるほどの完璧なおいしさ。しっかりダシの効いただし巻き自体がそもそもおいしくて、そのうま味がサクっとした衣にギュッと包まれているのである。そりゃあおいしくないわけがない。

それにしてもボリュームがすごい。元フードファイターの目の前でそのボリューミーな串カツをに食らいついている時、自分は今すごい貴重な経験をしているのかもしれないなと思った(しかし、この一串だけで私の胃袋はすっかり満たされてしまったのであった)。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:だし巻きおいしいでしょう? こうして出している串カツ店は割と珍しいかもしれません。「ジャイアント串」は、うちならではの名物みたいな感じで喜んでもらっているんですが、でもうちの串はそもそも基本全部デカめなんですよ。その割には手ごろな値段になっていると思います。

 

道頓堀エリアのど真ん中という場所柄、5月の連休や夏休み時期、秋の連休は大阪観光のついでに来店するお客さんが多くなるという。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:観光シーズンは大阪以外からお越しになるお客さんが7、8割になりますね。道頓堀のこの立地なので、通り自体がとんでもなくにぎやかになりますから。逆に地元の方はそういう時期をあえて外していらしてくれますね。この辺りが混雑する時期がわかっているんでしょう。観光のお客さんが来てくれるのももちろんうれしいけど、大阪のお客さんがうちの味を気に入ってくれるのもすごくうれしい。オープンから9年近くなってやっと浸透してきたんだなぁと思います。自分で言うのもなんですけど、この立地で地元の方に満足してもらえる味を提供するって結構大変なんですよ。味にうるさい大阪のお客さんが、ビルの3階まで上って食べに来てくれるというのはやっぱり簡単なことじゃないです。

 

白田さんにとって、「串カツ しろたや」の味はまだまだ発展途上なのだという。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:自分自身の技術や経験も積み重なってきたので、もっと試行錯誤していきたいです。これから向こう3年ぐらいの中でいろいろと試していきたいんです。味だけじゃなく、メニューもいろいろと変えていってもっともっと良くしていきたいです。

 

「こだわりは特にない」とほほ笑みながら語る白田さんだったが、「食」というものが人に与える影響については並々ならぬ深い思いがあるという。

 

f:id:Meshi2_IB:20180703120828p:plain白田さん:ちょっとかっこよく言うと、飲食店って人生に彩りを添えるものだと思うんです。人の思い出の1ページに刻まれたりもするというか。たとえば大阪に旅行に来た人が「あの時、大阪のしろたやでおいしい串カツを食べたなー」みたいに、いつかふと思い出してくれたりすることもあると思うんです。うちで食事してくれたことがいい思い出になったらうれしいなと思います。そう思ってもらえるような串カツ店を目指して頑張っていきたいです。

 

最後にどうぞと白田さんがサッと揚げてくれたのはなんと「雪見だいふく」の串カツ。かんだ衣の中からとろけるようなバニラの甘みがあふれる、締めのデザートとして大好評だという一品。揚げ加減がかなり難しいのだとか。

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肉や魚や旬の野菜、時にはスイーツまで、素材のおいしさをじっくり味わうことができて、しかも気軽にいろいろ食べ比べられる串カツの楽しみを改めて感じることができた。

 

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おそらく、普通の人の何十倍、何百倍もの食べものを胃におさめて来たであろう白田さんが、その経験の先にたどり着いた味。

道頓堀にお越しの際はぜひ「串カツ しろたや」でその味を確かめてみて欲しい。

 

お店情報

串カツ しろたや

住所:大阪大阪市中央区道頓堀1-7-21 中座くいだおれビル3F
電話番号:06-6213-1360
営業時間:11:00~16:00(LO 15:30)、17:00~23:00(LO 22:00 ドリンクLO 22:30)
定休日:無休
ウェブサイト:http://www.shirotaya.com/

 

書いた人:スズキナオ

スズキナオ

1979年生まれ、東京育ち大阪在住のフリーライター。安い居酒屋とラーメンが大好きです。exciteやサイゾーなどのWEBサイトや週刊誌でB級グルメや街歩きのコラムを書いています。人力テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーでもあり、大阪中津にあるミニコミショップ「シカク」の店番もしており、パリッコさんとの酒ユニット「酒の穴」のメンバーでもあります。色々もがいています。

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