カプリチョーザを青春時代に楽しんだ筆者が、創業者の娘に話を聞いたら驚きの連続だった

国内外に約100店舗を展開するカジュアルイタリアン「カプリチョーザ」。看板メニューの「トマトとニンニクのスパゲティ」が創業以来45年も愛され続ける理由を、創業者の娘・本多理奈さんにお聞きしました。

エリア渋谷(東京)

皆さんは、「カプリチョーザ」と聞いて何を思い浮かべるだろうか?

目に焼き付くような真っ赤な看板。カジュアルだけど、ちょっとオシャレな気分に浸れる内装。圧倒的なボリューム。「トマトとニンニクのスパゲティ」や「ライスコロッケ」といった激うまメニュー。恋人や友達と過ごした、甘酸っぱい青春の記憶。家族との楽しい外食の思い出。もしかするとバブリーだったあの頃を思い出す人もいるかもしれない。

かくいう私も学生時代、カプリチョーザは“ほんのちょっとだけ背伸びをしていく店”の代表格だった。通い慣れたチェーン店よりも小洒落た雰囲気の中で、大皿メニューを2〜3品頼み、わいわいシェアする。ライスコロッケの“唯一無二感”も捨てがたいが、トマトとニンニクのスパゲティを初めて食べた時の衝撃は忘れられない。おいしい記憶とともに、楽しい思い出も、甘酸っぱい思い出もたくさん刻まれている。

▲カプリチョーザの「トマトとニンニクのスパゲティ」

カプリチョーザは2023年に創業45年を迎え、国内外に約100店舗を展開するフランチャイズチェーンである。正直、店に訪れた回数で言えば他のイタリアンレストランチェーンの方が圧倒的に多い。でも、なぜかカプリチョーザで過ごした日々のことが、記憶に強く刻まれている。

このインパクトの秘密はなんだろう? なぜ、「トマトとニンニクのスパゲティ」は多くの人から愛され続けるのだろう?

その謎を解き明かすべく、発祥の地である「カプリチョーザ 渋谷本店」に突撃。創業者の娘・本多理奈さんに話を聞いてみた。

 

19歳で単身イタリアへ。料理の腕を磨き、大阪万博のシェフに任命

──本日はよろしくお願いいたします。早速、カプリチョーザの創業ストーリーをお聞きしたいのですが、お父さん(本多征昭さん)はどのような経緯でこの店を開いたのでしょうか?

 

本多理奈さん(以下、敬称略)父は北海道札幌出身で、実家は農業を営んでいました。3人兄弟の長男だったので、農家を継ぐことが決まっていたのですが、若い頃から「イタリア料理を学びたい」という夢があり、19歳の時に船で2カ月かけて単身イタリアに渡りました。

 

──船で2カ月!? すごい行動力ですね。昔から料理人になりたかったのでしょうか?

 

本多:そうですね。もともと手先が器用な人で、絵を描くのも上手ですし、ボランティアで時計の修理なんかもやっていたみたいです。特に料理の腕は格別で、イタリアでも国立エナルク料理学校を外国人初となる首席で卒業し、ヨーロッパの数々の料理コンテストで入賞するほど。その腕や努力がイタリア政府に認められ、1970年に開催された大阪万博イタリア館のシェフに任命され、日本に帰国することになります。

▲ものづくりが得意だった本多征昭さん。創業時から現在まで残る木製の看板も、征昭さんの手作りなのだとか

──全然リアルタイムではないのですが、確か1970年の大阪万博はアメリカや西洋の料理が日本の食文化に根付くきっかけを作ったと言われていますよね。そこにまさか、日本人のシェフがいたとは……。

 

本多:父にとっても「日本にイタリア料理を広めたい」という思いがいっそう強くなる経験だったのではないでしょうか。この万博がきっかけで、イタリアンレストランで本場仕込みの調理を指導する機会をいただいたり、銀座の有名店でシェフを務めたりしたこともありました。ちなみに、その店で当時アルバイトをしていた母(本多惠子さん)に出会うことになります。

 

──なるほど。そんな運命の出会いもありつつ。

 

本多:カプリチョーザを開業することになったのも、実は母がきっかけなんです。ある時、父から「ケーキと紅茶を出すカフェをやってみたら?」と言われた母が、軽い気持ちで渋谷に新しく建つマンションの店舗物件を内覧しました。すごく個性的ですてきな物件だったのですが、カフェ経営で採算がとれるレベルの家賃じゃないな、と(笑)。すると父が「ここで自分のイタリアンをやってみよう」と思い立ち開業に至ったと、母から聞いています。

 

──そうだったんですね。ちなみに「カプリチョーザ」という店名の由来は?

 

本多:カプリチョーザはイタリア語で「気まぐれ」という意味。当時の母の気まぐれな雰囲気をイメージして付けたと言われています(笑)。

 

圧倒的なボリュームと本格的な味で行列店に。あの「イタ飯」ブームの火付け役だった!?

──オープン後の反響はどうだったのでしょうか?

 

本多:駅から少し離れた坂の途中という立地、宣伝を打つ予算もない中でのスタートでしたが、徐々に口コミで広がっていき、1年後には連日行列ができて、多くの常連さんでにぎわうようになったそうです。

数年後には現在の本店に移転して店の規模も大きくなったのですが、それでも長蛇の列が途絶えない繁盛店になりました。私も物心付いた頃には1週間ほとんど休みなく働いている父の姿を見ていました。

 

──何が成功の要因だったんでしょうか?

 

本多:やっぱりボリュームと味が衝撃的だったみたいですよ。当時はとにかくお客様が驚くような量を提供していました。それこそ「洗面器パスタ」なんて呼ばれていましたから(笑)。しかも、味は本場イタリアの本格的なもの。当時、パスタと言えばミートソースかナポリタンが主流の時代。本格的なイタリア料理を食べようと思ったら高級店に行かないと味わえませんでした。それをカジュアルに、リーズナブルな価格で、お腹いっぱい食べられる。

 

──いわゆる「イタ飯」、みたいなイメージですか?

 

本多:そうそう、よくご存じで(笑)。80年代後半のバブル時代にイタリア料理ブーム、通称「イタ飯」ブームが起きるのですが、その言葉がはやる前から父は「うちはイタ飯屋だ」と言っていたそうです。おかげさまで、マスコミからはイタ飯ブームの火付け役として数えきれないほど取り上げていただきました。

要するに、高級なイタリアンではなく、日本風にアレンジしたイタリア料理を気軽にたらふく食べられる「食堂」のような店を目指していたんだと思います。

 

お客様に喜んでもらうことが一番。そうやって商売は大きく育つもの

──お父さんの仕事に対する姿勢で印象に残っていることはありますか?

 

本多:とにかくお客様を喜ばせること、驚かせることが大好きでした。お客様の笑顔を見て、自分も喜ぶみたいなところがあって。だから、料理のファンでありながら、父のファンとして通い続けてくださったお客様も多かったようです。余談ですが、女性のお客様にはウインクすることを徹底していたのだとか。

 

──イタリア人じゃないですか(笑)。

 

本多:そうそう、イタリア文化ということで。それから、この子たちはすごく食べそうだなと思ったらパスタの量を増やしてみたり……。

 

──お客様、一人ひとりのことを見ていたんですね。

 

本多:はい。一人ひとりのお客様に喜んでもらうことを一番に考えるべきだ。お腹も心も満たされれば、お客様はまた来てくれる。そうやって商売は大きくしていくものだと、父はよく言っていたそうです。 これは祖母(征昭さんの母)の教えみたいですけど。祖母も北海道で商売を繁盛させた人で、その背中を見て育ったところはあるのかもしれません。

 

──料理の素質があるだけでなく、ビジネスの心得もしっかりと学ばれていたのですね。

 

45年愛される看板メニュー「トマトとニンニクのスパゲティ」の秘密

──カプリチョーザの看板メニューと言えば、やはり「トマトとニンニクのスパゲティ」ですよね。これはいつ、どのように誕生したのですか?

 

本多:創業時から存在するメニューですが、どうやって考案したのかは誰も知らないんです。

 

──最初から看板メニューとして売り出したのでしょうか?

 

本多:お客様のことを見るシェフでしたから、やっぱり多くのお客様に支持されたことで看板メニューに育っていったのだと思います。今でもスパゲティのオーダーの約4分の1はこのメニューですからね。ここまで長く愛され続けているのは本当にありがたいことです。

 

──まさにロングセラーですよね。45年の歴史の中でレシピは変えているのでしょうか?

 

本多:いえ、ほとんど変わっていないと思います。ただ、当時は今よりもたくさんの油を使い、その油が膜を張ることで熱が逃げていかないようにしていたそうです。ボリュームのあるパスタを最後まで熱々のまま食べていただくための工夫ですね。

 

──なるほど、確かに今もトマトとニンニクのスパゲティは熱々のイメージがあります。食材はシンプルな気もするのですが、なぜか家では再現できないんですよね。これ、どうやって作っているんですか(笑)?

 

本多:あはは(笑)。ちょうど厨房でパスタをゆで始めて、これからソースを作るところみたいなので、特別に少しだけお見せしますよ。

 

──いいんですか!

 

いざ、厨房に潜入

本多:これはニンニクと唐辛子を油でソテーしているところです。強火にかけ、焦がさないように鍋を揺らしながら香りを立てていきます。

 

──存在感のあるニンニク! これがうまいんですよね〜。

▲ニンニクへの火の通り具合をチェック。そのまなざしは真剣そのもの

本多:ニンニクと唐辛子を十分にソテーできたら、トマトソースを入れます。

 

──このトマトソースはどこで作っているんですか?

本多:イタリアの契約農場で栽培された完熟トマトを使い、現地の方に1年分仕込んでもらっています。ただ、本店だけはトマトソースとミートソースを店舗で仕込んでいるので、他の店舗とはちょっと味が違うかもしれません。

 

──そうなんですね!

 

本多:このタイミングで、味をなじませるために塩水を加え、焦がさないように鍋を揺らしながら煮詰めていきます。

──塩水を加えるんですね。パスタをゆでている塩水と塩分の濃さは一緒ですか?

 

本多:いいえ、それぞれ濃度が異なる塩水で調理しています。試行錯誤を重ねてたどり付いた黄金比なので、比率は企業秘密とさせてください(笑)。あっ、ちょうどパスタがゆで上がったみたいですね。

▲ソースを煮詰めた鍋にゆで上がったパスタを入れて、混ぜ合わせていく

本多:パスタとソースを混ぜ合わせながら、オリジナルの粉チーズを加えてさらに混ぜていきます。

▲粉チーズを投入し……

▲手早く……

▲豪快に……

▲混ぜる!

本多:お皿に盛り付けて完成です。

──めっちゃ、いい香り……! 食欲が刺激されまくりです。

 

本多:せっかくなので、熱々の出来たてを食べてくださいね。

▲「トマトとニンニクのスパゲティ」、出来たてをいただきます

▲見よ、このソースの存在感……! もっちり歯ごたえのあるパスタに、熱々でオイリーなトマトソースがしっかり絡みます

▲うま味たっぷり、濃厚なお味。トマトの程よい酸味、時折顔をのぞかせる唐辛子のスパイシーさも絶妙なバランス

▲食べごたえのあるニンニクがアクセントに。辛味は少なく、コク深さと香ばしさを堪能できます

──いやぁ、やっぱりおいしかったです。昔の思い出にちょっぴり浸りながらいただきました。お腹いっぱいになるだけでなく、心もほっこりするというか。満足感がすごいです。

 

何度も断り続けたチェーン展開が、父の味を後世に伝えることに

──創業ストーリーをお聞きしていると、正直チェーン展開するような店じゃない気もします。でも実際は、国内だけでなく海外も含めて約100店舗を展開されています。そこには、どのような経緯があったのでしょうか?

 

本多:おっしゃるとおり、フランチャイズチェーンを前提に考えられた店ではないですし、父はずっと厨房に立ち続けて全ての料理に責任を持つような人だったので、チェーン展開には向いていませんでした。そもそも当時はまだ「チェーン店」や「フランチャイズ」という言葉が世の中に浸透していませんでしたからね。

始まりは、レストランチェーンを運営する株式会社 WDIのスタッフが「渋谷にすごくおいしいイタリアンがある」といううわさを聞いて食べに来てくださったことです。そのおいしさや盛況ぶりに感動し、早速フランチャイズ展開を持ちかけたそうですが、当然ながら最初は父に断られたそうです。それでも閉店後に何度も足を運んでくださり、少しずつ父の心もほぐれていきました。とはいえ、承諾してもらえるまでに数年かかったみたいですが……(苦笑)。

 

──すごい熱意ですね。

 

本多:本気じゃないとできませんよね、ありがたいことです。でも、承諾をもらったあともすごく大変だったと聞いています。なにしろ、レシピはもちろん、経営ノウハウも哲学も、全て父の頭の中にある状態でしたから。WDIの社員の方が厨房に入り、感覚的な父の言葉や調理する様子を一つひとつ粘り強く文字に起こしていったそうです。

 

──45年間変わらないカプリチョーザの味は、その熱意と努力のたまものなんですね。

 

本多:全てのレシピを書き起こした1年後、父は病に倒れ、この世を去りました。少しでもタイミングがずれていたら、父の味は今の世の中に残っていなかったかもしれない。そう考えると、奇跡的なご縁ですよね。本当に感謝しています。

 

100店舗展開でも守り続ける、手作りならではのおいしさ

──でも、お父さんの職人技や手作りならではの温かさみたいなものは、チェーン展開していく中でどうやって受け継いできたのでしょうか?

 

本多:おっしゃるとおり、“手作り”は今でもすごくこだわっている点の一つです。カプリチョーザはセントラルキッチンを持っていないので、野菜も魚も肉も各店舗の厨房で下準備するところから調理が始まります。

 

──えーっ、かなり手間がかかりますよね。

 

本多:はい。こんなに手作りにこだわっている全国チェーン店は希少だと思いますよ。でも、手作りならではのおいしさって確実にありますよね?

 

──間違いないです。

 

本多:どうしても、店舗ごとや日によって味や仕上がりにブレが出てしまう時があるのは否めないんですけど。それでも、手作りは大切にしたい。

 

──カプリチョーザの料理は、なぜ記憶に残るのか。ほっこりした気持ちになれるのか。その理由が少し分かった気がします。

 

本多:ありがとうございます。お客様から「思い出の味」とおっしゃっていただくことが本当に多いんです。45年って3世代ぐらいの歴史があるので、そこにはいろんな方々の人生の思い出が詰まっているんですよね。最初はデートで利用していたお客様が、結婚して家族で通うようになり、今は孫を連れてお越しくださることもありますから。

 

──まさに先日、都内のカプリチョーザに行ったのですが、キッズチェアやお子様メニューも充実していて、子ども連れのお客様に対するホスピタリティも最高でした。しかも、スマホでセルフオーダーできて、温かさは残しつつ、便利に進化しているなと。

 

本多:良かったです! 効率性とホスピタリティを両立できるような、人に優しいテクノロジー活用をこれからも追求していきたいと思っています。

 

──さらなる進化を楽しみにしています。最後に、今年45周年を迎えられたということで、意気込みをお願いします。

 

本多:ここ数年、コロナ禍の影響で店舗数が少し減ってしまったのですが、徐々に外食産業も活気を取り戻しつつあるので、45周年をきっかけに、また皆様と一緒にカプリチョーザを盛り上げていきたいと思っています。

そして、私は温故知新を大切にしているので、父が残してくれた味や技術、温かさを守りながら、これからのお客様のニーズに合わせた新メニュー開発や、物価高などの時代の変化にも柔軟に対応し、お客様を喜ばせることを第一にチャレンジを続けていきたいです。古き良きものは残し、新しいものも取り入れながら、この先も皆様に愛されるカプリチョーザを大事に守っていきたいと思います。

 

──次はライスコロッケを食べに行きます。本日はありがとうございました!

 

店舗情報

カプリチョーザ 渋谷本店

住所:東京渋谷区東1-3-1 カミニートビル1F
電話番号:03-3407-9482
営業時間:11:00~15:00 (L.O. 14:30)、17:00~22:00 (L.O. 21:30)
定休日:水曜日

www.hotpepper.jp

 

書いた人:松山響

沖縄生まれ東京育ち。

編プロ→ブランディングカンパニー→フリー編集者/ライター。

女性誌のグルメ特集で“カフェ巡り”の真髄に触れ、食品宅配サービスのPR媒体で自炊にハマり、日本全国の酒蔵ストーリーをつくる企画に挑戦して太るなど、食と酒には公私ともにお世話になっている。

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