ネーミングだけ聞けば、たっぷりのマスタードで肉や野菜を炒めたものを想像するかもしれない。でも実際は、豚肉を大量のニンニクとショウガで炒めた、スタミナ満点のパワフル料理なのだ。
しかも東京23区の北区、十条界隈で発祥し、ほぼそのエリア限定で親しまれているご当地グルメである。
東京にそんなローカルな食べ物が存在するのか?
そもそもなんで「からし」なのか?
その実態に迫るべく、前回「渋谷に根付いた兆楽ルースチャーハン」を探求した、町中華探検隊の下関マグロと半澤則吉、そして私「板橋しっとりチャーハン」の刈部山本で、元祖からし焼きの「とん八」へ向かうことに。
からし焼き御三家、とん八・大番・みとめ
JR東十条駅北口の東側から徒歩1分足らず、とん八の前に着くと、二代目ご主人伊藤尚人さんが出迎えてくださった。
▲左から、下関マグロ、現店主の伊藤尚人さん、筆者・刈部山本、半澤則良
からし焼きというとJR埼京線の十条駅が最寄りとなる「大番(おおばん)」が有名で、私もそこで初めてからし焼きと出会った。
美味しかったのはもちろん、すき焼きのようでも、あるいは生姜焼きのようでもあり、でも全く違う、こういう食べ物が世の中にあるんだと衝撃を受けた。
調べてみると、大番と大衆酒場の「みとめ」、そして元祖の「とん八」という御三家があると分かった。
▲東十条駅北口の西側から旧岩槻街道に出てスグのところにあった「みとめ」。道路拡張で閉店してしまった
全て食べてみたところ、どれも特徴と美味しさが異なっていたが、中でも元祖であるとん八は、ニンニクと醤油ダレのパンチが強烈だった。
大番でのからし焼きを味わった経験がある下関マグロ氏、初体験という半澤氏に、どうしても「元祖」で衝撃を感じてほしかったのだ。
とんかつから「からし焼き」へ
店内へ案内され、まずはご主人の伊藤さんにお店の歴史とからし焼き誕生の経緯をお伺いした。
伊藤さん:創業は東京でのオリンピックがあった年だから、昭和39年です。もうかれこれ56年目になりますね。最初はとんかつ屋さんだったんです。
半澤:だから名前が「とん八」なんですね。
伊藤さん:ウチのオヤジ(先代の創業者)が唐辛子やニンニクが好きなもので、それと豚肉だけを炒めたものをまかないで出していたんですね。でもそれだけじゃ寂しいから、何か入れてみようと。ちょうど味噌汁に使う豆腐があったので入れてみたら、「なかなかイケる!」と。
──まかないから生まれたんですね!?
伊藤さん:食べているところをたまたまお客さんに見つかっちゃって。「オレにも食べさせてよ」となって、出したら「旨いから商品にしたら?」と言われてメニュー化してみたんですよ。でも当初は今のような料理としての完成度はなくてね。
──正式なメニューとなって、ブラッシュアップされていったと。
▲豆腐が入り、ブラッシュアップされた現在のからし焼き(800円)
半澤:からし焼きってネーミングが見事ですよね。
伊藤さん:最初は唐辛子を入れるから辛子焼きでいいんじゃないかって、ネーミングは単純な発想なんです。
▲こちらがメニュー。ほぼからし焼きが主力であることが見て取れる
からし焼きは炎とともに生まれる
ではここでご主人に調理していただくとしよう。
注文したのは、看板メニューである「からし焼き」4人前だ。
▲まずアツアツに熱したラードに豚バラ肉を投入すると……
▲ブワーッと一気に炎が立ち昇る!! 飛び散る油を物ともせず、豚肉を炒めていく
▲一旦火から外し、企業秘密というタレを注ぎ込む
▲再びファイヤー!! 護摩行のごとく炎(ほむら)が立つ
▲炎が落ち着いたところで、タレと豚肉をよくなじませる
▲ここで豚肉を取り出し、皿に盛っておく
▲鍋に残った汁に豆腐を投入
▲豆腐の水分で三度ファイヤー!!
▲炎が落ち着いたところに、ニンニク、ショウガをすりおろして入れていく
▲味を全体になじませて、仕上げのファイヤー!
▲先ほどの豚肉を入れた皿に、豆腐の入った汁を盛り付け、その上に薬味のネギとキュウリを乗せていく
ニンニクのインパクトがものすごい
いよいよ、からし焼きの完成だ。
▲へい、お待ち!
▲できたてアツアツのからし焼きを、いただきます!!
──皆さん無心になって食べていますが、衝撃が強すぎて言葉がないみたいですけど(笑)。
半澤:醤油ベースのタレの濃さとニンニクの余韻がスゴイっすね~。
マグロ:これはもう、こういってよければドラッグ(笑)。刺激が強くて、依存性が高いよね。めちゃくちゃクセになる。
──初めて聞いた時にイメージする食べ物と実際の見た目にギャップありません?
▲豆腐の上や隙間に黄色い油と混じって見えるニンニクやショウガのほうが、唐辛子よりも目立つ
半澤:唐辛子っていうよりも、ニンニクとショウガが味の主役じゃないですか。
マグロ:ここまでニンニクが強い料理って、なかなかないね。
偶然の産物として世に誕生した
▲創業当時の経緯を快く教えてくださる伊藤さん
伊藤さん:メニューとして売れ始めたのは、昭和41年くらいからなんです。人気が出ると徐々にとんかつの注文が減ってきちゃって。
半澤:その頃から名物化していったんですね。
伊藤さん:当時は近くに十條製紙(現・日本製紙。1万円札の肖像となる渋沢栄一が立ち上げに関わった王子製紙から分社した企業)の工場の他に、ヤクルトとか持田製薬とか、いろんな会社があったんです。それらに勤めている人の間でからし焼きが有名になったみたい。
──元々この場所で開業されたんですか?
伊藤さん:オヤジは最初、おそば屋さんで働いていたんですよ。その後、上十条で中華のお店を始めたんですけど、そこは借りていた店舗だったんで自分のお店を持ちたいということで、この東十条でとんかつをやろうと。
──そばから中華に行って、急にとんかつ店を始めてしまうのが面白いですね(笑)。
伊藤さん:最初は中華のつもりで物件を探したんですけど、この近くにラーメン店がすでに2~3軒あったんですよ。
マグロ:あぁ、なるほど!
伊藤さん:それで中華をやめてとんかつを始めたんです。
──そこから、からし焼きが生まれようとは!
半澤:とんかつ屋さんになったからこそ、からし焼きが生まれたわけですよね。
伊藤さん:そうですね。豚肉があったから。
半澤:偶然に次ぐ偶然の産物ですよね。
▲からし焼きには欠かせない、豚肉とニンニクによる最強タッグ
週末に混む理由はニンニク
半澤:普通、あれだけニンニクが効いていたら、食べる人も選ぶし、食べる日も選んでしまう。
伊藤さん:土曜日とかは次の日皆さん休みなんで、ニンニクを食べても大丈夫だけど、サラリーマンとか営業の方は平日食べられないじゃないですか。やはり週末にお客さんが集中しますよね。その分、平日は客足がどうしても落ちますけど。
──それでも、今日も昼営業が終わる14時直前までお客さんで一杯じゃないですか。個人経営の飲食店で、ランチの時間が終わる14時過ぎまでお客さんで一杯ってなかなかないですよ。しかもオフィス街でもない東十条で。スゴイことです。
マグロ:MAXで6人前をいっぺんに作るのに、味のブレがほとんどないってのもスゴイね。
半澤:4人前でも相当多いですよ!
──ボクは先代が切り盛りされてた時代にも伺ったことがありますが、腰を曲げながらも一度にたくさんの量を作られていましたからね。相当な肉体労働ですよ。さらに、調理中にバーっと何度も炎も上がりますし。
▲これだけの量が入って炎も上がるものを、味見までするのは至難の業
伊藤さん:あれは、肉に水分が含まれているから、油で加熱するとバーっと上がるんですよ。
──先代が作られていた時、よく小指で味見をしてましたけど。
伊藤さん:ボクは小指ダメなんです。中指じゃないと味がわかんない。
半澤:そこは継がなかったんですね(笑)。薬味に長ネギとキュウリというのは最初からですか?
伊藤さん:いや、ホウレン草とかも使ってみたんですけど、合わないんですよ。
──シャキシャキした食感が、濃いめでパンチの効いた味にはアクセントになるんじゃないですかね。
伊藤さん:そうですね。濃いめのタレの味とキュウリが合うし。
──近所の工場勤めのお客さんが来ていたということで、疲れた体に塩分補給的な意味合いで濃いめが好まれたんですかね。
伊藤さん:そうですね、白飯がススムって感じでね。
▲からし焼きにはキュウリやネギ、そしてなんといっても白飯が合う!
「からし焼きは勝手に広まっていった」説
──からし焼きを出すお店はこのへんにもいくつかありますけど、暖簾分けではないんですか?
伊藤さん:ウチから輩出した人間というのはいないです。ウチに食べに来て、こういう感じかと思って味を盗んでいっちゃったみたいですよ。
マグロ:えっ、勝手にやっちゃってるんですか!?
──見よう見まねで、アチコチに似たようなものが広まったと。ローカルフードってそういうもんですよね。先代はその状況をどう思っていたんですか?
伊藤さん:最初は気になったんでしょうね、ウチの料理マネしやがってって(笑)。「餃子の王将」でも出してるくらいですからね。
半澤:そうなんですか!?
──確か期間限定で出してたんですよ。その後も赤羽の店舗だけは続けているみたいですけど。よそのからし焼きは、まぁ甘ったるい味になりがちですね。
マグロ:ご主人がおっしゃるとおり、他のところは万人向けというか、すっごいマイルド。見た目はソックリなんだけど、味はこちらのお店のと全然違う。
▲マネのできない唯一無二の味を噛みしめながら、からし焼きの広まりを考える面々
──この十条スタイルとは別に、からし焼きっていう同じ名の付いたメニューを板橋発祥の定食店チェーン「洋包丁」で出していて。実は、からし焼きは地味に広がりをみせているんです。
マグロ:なるほど、洋包丁よく行ってたんでわかりますよ。思い出した!
半澤:でも、もっと肉肉しい感じですよね? 液体はなくて、ショウガ焼きの辛いバージョンみたいな。
丼にして豪快にかっこむ!
──とん八さんは夜営業だとお酒を飲んでいる方もいますよね。実はポテトサラダがアテにピッタリで、先代のときは盛りがすごくデカかったのを覚えています。
▲しっとりとしたポテトサラダ。アテに最適
伊藤さん:一時、大と小に分けたんですけど、サイズはひとつに統一したんです。いちいち別サイズで分けると作るのが面倒でね(笑)。
マグロ:ご飯の量に関しては、4種類から選べるのはいいですよね。
▲ライスの盛りは4パターン。左から少々、小、中、大のご飯茶碗
伊藤さん:あとはご飯の上にからし焼きを乗っけてかっこんでる人は多いですね。
半澤:丼にしちゃうと。それは美味しいでしょうね。
▲丼状態にして、ご飯とからし焼きのマッチングを一気に楽しむファンが実に多い
ロースやレバーのバリエーションも
マグロ:こちらのからし焼きは、ノーマル(豚バラ)以外にもロースがありますが、ロース派の人も当然いますよね?
伊藤さん:脂身が苦手なお客さんはね。
▲ロースからし焼きも評判
──ボクはもう完全にバラ肉派なんです。他にもメニューがありますけど、からし焼きが評判になった後で、バリエーションを増やしていったのでしょうか?
伊藤さん:オヤジもいろいろ研究していて、旨いと思うとすぐ商品化しちゃうんですよね。
──南ばん焼きも、レバースタミナ焼きも、具が豚肉+野菜やレバーになっただけで、ベースの味は同じです。
▲からし焼き同様、ショウガとニンニクの粒粒がたくさん見えるレバースタミナ焼き
マグロ:そうなの!!!?
半澤:具はバリーションをつける代わりに、味のほうを統一しちゃうって珍しいですね。そういえばこちらのとん八さんは地元のお客さんが多いんですか?
伊藤さん:最近は遠くからくるお客さんのほうが多くなりましたね。特に土日は。関東以外でも、全国から来ますよ。
意外にもマルチな顔を持つ二代目
──そういえば、何か他の記事で役者をされていたとおっしゃっていましたが。
伊藤さん:えぇ。再現ドラマとかいろいろとね、健康情報番組のレギュラーをやっていたり。
一同:エエッ!!?
▲驚きの一面も、初対面の我々にも気さくに話してくれる伊藤さん
伊藤さん:三宅裕司さんがやってた『週刊!健康カレンダー カラダのキモチ』って番組(2006年4月16日から2012年3月25日まで、TBS系列で毎週日曜7:00~7:30放送)とか。オヤジがまだ現役だった頃はお店を抜けて役者の仕事もできてたんですけど、今はもうできないです(笑)。それでもたまに仕事がきて、休みの日とかに行くことありますよ。
マグロ:未だに現役と(笑)。
伊藤さん:それとね、JBC(日本ボクシングコミッション)の公式役員をやってるんです。定休日の木曜日の他に、火曜日に試合がある場合は、昼のみの営業で、夜は後楽園(ホール)に行っちゃう場合があるんです。
──昼のみ営業の日がたまにあるのはそういう事情でしたか!
伊藤さん:そういうことなんです(笑)。タイムキーパーやっているんで、後楽園ではゴングを叩いていますよ。
▲井上尚弥や亀田兄弟の試合も担当されたという。スゴイ!(写真:伊藤さん提供)
一同:へぇーーーっ!
──メチャメチャ多才じゃないですか! 2014年にお店を改装されましたよね? そのタイミングで現在のご主人に完全に代替わりされたわけですか。
伊藤さん:そうです。オヤジが2013年までやったんですけど、具合悪くなっちゃってね。
▲改装前の外観。今とそこまで印象は変わらない
──味や作り方など、先代から引き継いだことはありますか?
伊藤さん:子供の頃から見ているから、自然に覚えちゃうんですよね。細かく、あれやれこれやれってことは、一切教わっていないんですよ。
半澤:紙に書いたレシピみたいなものはないと。
伊藤さん:えぇ。ほとんど感覚なんですよね。
マイ鍋での持ち帰りも可能!
最後に、今後についてお伺いした。
伊藤さん:いや、今まで通り、このままの形で続けていければ。支店とか出すつもりはないし。というか、チェーン化は無理なんです、ウチの料理って。
──チェーン化が不可能な最大の理由はどこですか?
伊藤さん:作る工程と、あとはやっぱり感覚かな。そこが変わると「アレ、味がブレてるんじゃないか?」ってなるでしょ。お客さんが一番そういうの分かるからね。口に入れるものだから。
半澤:ここでしか食べられないオンリーワンの味ですもんね。ところでお店で食べたら、持ち帰って家族にも食べさせたいとなりませんかね。
伊藤さん:ウチは10席のカウンターだけなので、お子さん連れのお客さんが入りづらいというのもあって、持ち帰り用の容器を用意してあるんです。
──ボクはマイ容器を持っています。
▲厨房に持ち帰り用の容器が常備されている
▲容器を持ってなくても、店内で購入してテイクアウトができる
伊藤さん:鍋を持参する人もいて、会社さんとかだとまとめて40人前とか注文受けることもありますよ。
マグロ:40人!?
半澤:マイ鍋とか容器を持参するのは近所の人ですよね?
伊藤さん:いえ、車で草加とかからも来ますよ。
──道中、鍋が揺れちゃって大変そうですけどね(笑)。
半澤:女性のお客さんも来られます?
伊藤さん:昔はほとんど来なかったんですけど、最近は友だち同士とか、一人でも来ますよ。大盛りも食べるし、時代が変わったなぁと思います。近くの病院から看護師の女性も来ますけど、ニンニク食べて大丈夫なのかなと逆にこっちが心配しちゃいます(笑)。
マグロ:それくらい魅力的ということですよ。今回食べてみて、ここにしかない味というのがよーくわかりましたよ。
伊藤さん:よほどクセになる味じゃないと、次にまた食べたくならないんですよね。中毒性がないと。
──すっかり皆さんも中毒になったみたいです。今日は無理言ってお時間を作っていただき、貴重な体験ができました。
一同:ありがとうございました!
▲全員完食! ごちそうさまでした
からし焼き、まず元祖より始めよ!
お店を出た後も、元祖からし焼きのニンニクとタレの強烈なインパクトに、すっかりノックアウト状態の面々。
──どうでしたか、元祖のからし焼きの味は?
マグロ:自分が知っていたからし焼きより俄然インパクトが強かった。あれ、調理途中でニンニクやショウガのおろしたてを入れているからだよね?
半澤:まさか調理中に、生をすりおろしてそのまま投入するとは!
マグロ:なんでこれまで食べに来なかったんだろって、激しく後悔しました。
──そう感じてもらえて本望です。今日はどうもありがとうございました。
まだ口中にからし焼きの余韻を残しつつ、それぞれの家路についたわけだが、この余韻の強さからも改めて元祖のパワフルなオリジナリティを思い知らされた。
やはりローカルグルメは元祖から注目されていくもの。是非今こそ、とん八の元祖を食べてもらって、その上で広がったからし焼きという文化に触れてもらいたい。
お店情報
とん八
住所:東京都北区東十条3-17-9
電話番号:03-3914-1208
営業日:11:30~14:00 17:00~20:00
定休日:木曜日