いま、日本プロレス界の中心に君臨しているレスラー
アニマル浜口トレーニングジムでプロレスの基礎を学び、2006年5月に子どもの頃からずっと憧れだった新日本プロレスでデビュー。
その抜群の身体能力とセンスで頭角を表し、裕次郎(現:高橋裕二郎)選手とのタッグチーム「NO LIMIT」は海外、特にメキシコCMLLでも大ブレイク。その後ヘビー級に転向しシングルプレイヤーとして成長するも、右膝前十字靭帯断裂による長期休養という急ブレーキ。
復帰後は念願だった「20代でのIWGPヘビー級王座戴冠」も果たせず、なかなか結果を出せない時期が続きました。
写真提供:©️新日本プロレス
大きな転機となったのが2015年のメキシコ遠征。それをきっかけに、ふてぶてしい態度と予想もつかない行動をリング内外で見せ、敵選手だけでなく新日本プロレスオーナーに対して批判をぶつけるなど歯に衣着せぬ発言を繰り返すように。
そのストレートな言いざまとベビーフェイスでもヒールでもない存在で新たに脚光を浴びるなか、EVIL、BUSHIらと「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」を結成します。
写真提供:©️新日本プロレス
その勢いは止まることなく、IWGPヘビー級王座やIWGPインターコンチネンタル王座ほか数々のタイトルを奪取したのをはじめ、2016年・17年・20年にはプロレス大賞最優秀選手賞を受賞。
ユニットとしてもSANADAや高橋ヒロム・鷹木信悟らを加えタッグ・ジュニア戦線すべてを独占。試合会場を「L・I・J」のTシャツを着たファン一色に染めるほどの支持率で、もはや新日本だけでなく日本プロレス界の中心に君臨している存在と言っても過言ではないでしょう。
写真提供:©️新日本プロレス
今回のレスラーめしは、ひさびさに新日本プロレス公式スマホサイトとのコラボ掲載! 新日本のスマホサイトではプロレスラーになる前の子ども時代の内藤選手のめし話、こちらの『メシ通』版は新日本プロレスに入門以後の話が中心となります。
文句なしにプロレス界の現在の顔である内藤選手の身体は、いったいどんなめしで作り上げられたのか? その答えはいきなり予想外のものでした。
そもそも食べ物にあまり興味がない
内藤:あのー、そもそもオレはあんまり食に興味がなくて。食べたことのないものを口にするということにちょっと抵抗があって、出来るだけ「知ってるもの」を食べたいんですよね。もともと食べるのがあまり好きじゃないんです。満腹状態になるのが嫌いなんですよ、お腹が苦しいってのが。
──お腹に食べ物を溜めるのがイヤだと。
内藤:好きな食べ物はあるんですけど、いちど気に入るともうそればっかりですね。
──いろんなものを食べたいっていう欲求がないんですね。
内藤:プロレスラーって全国を巡業で回るので、食べることがすごい好きな人はいろんな所に行ってあれ食べて……って羨ましく思われる職業でしょうね。でもオレはそういうのにあまり興味ないので……「もったいない!」って思われそうですけど。まあ食べるのが好きだったら、プロレスラーはいい職業だと思いますよ。
──そういう意味では内藤選手はこの職業に合ってないんですね(笑)。
内藤:あと、けっこう好き嫌いもある方なんです。苦手なものっていうと、パッと浮かぶのでいえば白子とか、魚介類とか、ちょっと動いてるもの。あと、顔がついている食べ物が苦手ですね。
──魚みたいな顔がついている食べ物を見て、どこか「かわいそう」っていう気持ちが湧く感じですか?
内藤:そういう感情が出てくるところはありますね。切り身とかならいけるんですけど。でも「さっきそこの水槽で動いてた魚です!」と言われたら、ダメかもしれないですね。
──人を倒すのが仕事なのに、魚はかわいそうってのも不思議な話ですね(笑)。レスラーといえば肉を食べるイメージですけど、お肉は食べます?
内藤:食べるんですけど、あんまり脂身が好きじゃなくて、高級なお肉は苦手です。基本的に脂身がなければ肉はなんでも大丈夫ですね。脂身も健康を意識して、とかじゃないんですけど。
でも昔から父親に「お前、30過ぎたら食には気をつけたほうがいいぞ」って言われてましたね。当時は「そんなの関係ない」って思ってましたけど、最近は脂には気をつけるようになりましたね。
プロレスが好きになったのも、もんじゃ焼きが好きになったのも父親の影響ですが、それ以外でも(父親に)言われたことに影響されている部分はありますね。
デビュー前に1食2合のご飯で35キロの増量
──いきなりの「めしに興味ない」からのスタートに面食らいました! まずは新日本プロレスに入門された頃の話からうかがいたいんですが、内藤選手は入門時の同期っていらしたんですか?
内藤:いや、自分が入った時はオレひとりの入門で、同期がいないんですよ。すぐ上が平澤(光秀)さんで、すぐ下がYOSHI-HASHIとオカダ(・カズチカ)で、その4人でちゃんこ番をやった期間は長かったですね。
──新日本の寮だと基本はちゃんこですよね。それまで料理って自分でやることありました?
内藤:う~ん、ご飯を食べる時にレトルトのカレーをかけるくらいですね(笑)。
──料理未満って感じですね(笑)。
内藤:でもちゃんこだと野菜が切れてればOK、くらいの世界なので。オレとしては美味しかったと思うんですけどね。得意の味付けは……キムチちゃんこかなあ。味噌を入れて作る味噌キムチちゃんこはよく作ってましたね。
──ちゃんこを作って、先輩から怒られたり褒められたりとかはありましたか。
内藤:なかったですね。当時の新日本は会社自体が低迷期で、道場に選手があんまり来てない時期だったんで。食べる人もあんまりいなくて。
写真提供:©️新日本プロレス
──じゃあ先輩から「食って身体を大きくしろ!」ってのはあんまり言われなかったんですか?
内藤:「そう言われるんじゃないか?」ってイメージで入ったんですけど、案外言われないんだなって驚いたくらい、何も言われなかったですね。アニマル浜口さんのジムに通っていた時点で、身体は大きくしてたんですよ。最初60キロだったのを95キロまで。
──35キロの増量!
内藤:プロレスラーになるには体重を増やさなきゃと思って、白米をたくさん食べましたね。1食2合を目標にしてました。
──ということは1日3食だと6合?
内藤:そうですね。それにレトルトのカレーとかチャーハンの素で味をつけて。食べ切れなければ味噌汁やコーラとか、水分で無理矢理流し込んで。
──凄い! でもそれだけ身体を作っていったからこそ、寮生活ではそこまで苦労しなかった。
内藤:そうですね。そんなに食べるのが好きじゃないので、もしめしのことで先輩からいろいろ言われてたら、そこで新日本を辞めてたかもしれないですよ(笑)。
地方巡業の食事はご当地名物よりもコンビニで
──若手時代は天山広吉選手の付き人もされてますよね。一緒にご飯を食べに行ったりはしましたか?
内藤:そんなに頻繁ではないですけど、「めし行こうよ」って言われて焼き肉に行くことはありましたね。当時30代の天山選手が「最近は昔ほど食べられなくなっちゃったよ~」とか言いながら当時のオレより全然食べてましたから、「この人、全盛期はどのくらい食べてたんだろう」って思いましたよ(笑)。
──天山選手とふたりの時はどんな話をしていましたか。
内藤:プロレスの話が多かったような気がします。試合についてはもちろんですけど、天山選手ももともとはプロレスファンで、ファン同士のトークみたいな感じもありつつ、レスラーとしての会話もありつつ……いろんな角度でプロレスの話をしていた気がします。
──ひとりの時のご飯は簡単に済ませる感じですか。
内藤:基本はコンビニさえあればいいです。
──特に地方だと試合が終わって食事をするとなると、お店を探すのも大変って聞きますね。ちなみにお酒は?
内藤:基本的には飲みません。
──なるほど、そうなるとなおさらわざわざ外に出ていって飲み食いしなくても……ってなりそうですね。たとえば今だとロス・インゴ(ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン)のメンバーとご飯に行くことってありますか?
内藤:そうですね……誰か共通の知り合いがいたりしたら食べに行ったりしますけど、選手だけ、たとえばBUSHIとふたりでどっかに行こうってことはないですね。
──じゃあ試合が終わったら、コンビニに寄ってホテルに帰るだけって感じですか。
内藤:そうですね。夜のうちに2、3食分買い込んでおくんですよ。それで次の日の朝、昼もそれを食べて……みたいな。
ただ、温めなきゃいけないものは食べられないので、冷たいそばかうどんになりますね。だから、だいたい麺類が多いです。オレは同じメニューが続くのはそんなに苦じゃないんです。お腹さえ満たされれば、それで十分です。
海外での修行時代の「安定の味」はサブウェイのサンドイッチ
──若手時代を日本で過ごしたあとは、タッグチーム「NO LIMIT」でアメリカとメキシコに遠征されてますよね。
内藤:最初に行ったアメリカでは3カ月半ずっとホテルに滞在したんですけど、そこの目の前にレストランとハンバーガー屋があったので、毎日そこで食べてましたね。
朝はハンバーガー、昼と夜はレストランみたいな生活でした。毎日それだったけど、選択肢がないならそれでいいやってタイプなので、苦ではなかったです。ただちょっとメニューが油濃かったかな。
──当時タッグを組んでいた裕次郎選手は満足出来てました?
内藤:裕次郎(現:高橋裕二郎)選手はそんな食生活じゃダメだったみたいで、ひとりでいろいろなお店に行って食べたり飲んだりしてましたね。だからもう、生活はまったく別で、試合のときだけ顔を合わせるって感じで。
──続いてのメキシコは、やっぱりタコスですか?
内藤:そうですね。タコス屋さんがものすごくいっぱいありました。ただ、オレは当時メキシコに行くのがすごく嫌で。行く前は「治安の悪い国だし、入国したら生きて帰ることは出来ない」と思ってましたよ(笑)。でもタコスを食べるのは楽しみでしたね。
写真提供:©️新日本プロレス
──やはり本場の味は試しておきたいですよね。
内藤:それで一番最初に泊まったホテルのそばに屋台のタコス屋さんがあって、そこではじめてタコスを食べたんですよ。そこでいきなりあたりまして(笑)。
──あたりましたか……。
内藤:1カ月くらい下痢が止まらなかった。それでタコスに恐怖心が出て、「やっぱり新しいものに挑戦して食べるのは危険だな」って……。
──食のチャレンジが出来なくなってしまったんですね(笑)。
内藤:その後で美味しいタコスに出会って、また食べられるようにはなったんですけど、最初の印象は最悪でしたね……。
──なかなか海外だと、日本のような安心感で食べられるものはないですよね。
内藤:そこで出会ったのがサンドイッチチェーンのサブウェイなんですよ! アメリカだと店舗数もめちゃくちゃあるんで、よく行くようになりました。
──たしか全世界だとマクドナルドよりサブウェイの方が店舗数が多いんですよね。
内藤:あ、そうですよね。ロングを2本とか3本買いだめして、3食サブウェイにしていたこともよくありましたね。メキシコだとちょっと高いんですけど、他に替えもきかないし、安心ですから。サブウェイにはとにかく助けられました!
──ちなみにどんな組み合わせで食べるんですか?
内藤:日本だと、ローストビーフにわさび醤油。パンは必ず焼きますね。あとオリーブがちょっと苦手なんで、必ず抜いてもらいます。ただ海外のサブウェイって日本とメニューが違うんですよ。海外のお店だとピザソースをかけてもらって、ピザっぽい組み合わせにして食べてましたね。
ファミレスでのプロレストークが楽しかった少年時代
──内藤選手とめしというと、たびたび東スポの記者を呼びつけてインタビューを行う「ファミレス取材」のイメージが強いですね。
内藤:行く回数はちょっと減っちゃいましたけど、ファミレスは今でも好きですね。なんで東スポの記者をファミレスに呼ぶかっていうと、オレがプロレスファン時代に、試合が終わったら友達とファミレスに行って「この後、どうなるんだろう」ってプロレストークをする時間が楽しくて好きだったんです。
その気持を忘れたくないっていう思いから、東スポの記者をファミレスに呼んでるんです。
──プロレスファン時代からの思い出の聖地だと。
内藤:頼むのは、やっぱりドリンクバーですよね。ドリンク飲み放題でひたすらジュースを飲みながらプロレスを語るみたいな……メロンソーダが好きでしたね。
──当時に比べると、ファミレスのドリンクバーも進化しましたよねえ。
内藤:種類も増えましたよね。そうだ、中学生の時に友達みんなでファミレスに行って、ドリンクバーで何杯飲めるかっていう対決をやったことがあるんですよ。それをちょっとやりすぎて、先生に怒られたって思い出があって。
あれは誰かがチクったのかなあ……。みんなで「オレもう何十杯目だぜ!」とか競い合ってたんですよね(笑)。
──子どもたちがドリンクバーで(笑)。何杯くらい飲んだんですか?
内藤:う~ん、どのくらいだろう……? 3ケタ行くか行かないかで競ってましたね。
──え、みんなの合計ではなく、ひとりで3ケタですか?
内藤:そうです! そりゃ怒られますよね(笑)。
──友達全員でそれぞれ100杯飲んだら、すぐカラになっちゃいますよ! それは先生から怒られるのも当然です。
内藤:途中でトイレにこもったりして、かなりの長期戦でしたね(笑)。
──足立区のヤンチャな光景って感じですね。
内藤:あとファミレスっていうと、父親と姉に「プロレスラーになりたいんだ」って直訴したのもファミレスでしたね。別に自分の人生の転機をファミレスで迎えたいと思っていたわけじゃないんですけど(笑)、たまたまファミレスが人生のターニングポイントになってる気がします。
──友達とバカ騒ぎも出来るし、家族で深い話も出来るし、安心して食事も出来る場所という(笑)。
内藤:そうですね。今も量はそんなに食べないので、普通にひとり分だけ食べられれば満足します。
──最近、お気に入りのファミレスってありますか?
内藤:そうだなあ……ジョリーパスタとか。あれはファミレスに入りますか?
──入れていいと思います!
内藤:麺系がやっぱり好きなんでしょうね。パスタは好きです。わりと好きなメニューがあるのと、種類もいろいろあるし。もちろんドリンクバーもつけて。さすがに大人になったので、何十杯も飲んだりしないですよ(笑)。
写真提供:©️新日本プロレス
ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(日本の制御不能な奴ら)の名前どおり、これまでのレスラーとはぜんぜん違う予想不可能なめしインタビューとなった内藤哲也選手。さすがプロレス界のゲームチェンジャー!
これからはちゃんこよりも、ファミレス育ちのレスラーが当たり前になる時代なのかもしれません。