大阪・梅田の純喫茶「マヅラ」の創業は戦後まもない1947年。名物マスターの劉 盛森(りゅう・せいしん)さんは、その当時から現在まで変わらずに店頭に立ち続けています。
その御年、なんと98歳!!
「マヅラ」は、そんな名物マスターとともに内装の奇抜さでも知られる喫茶店。
▲あちこちに鏡があり、さながらミラーハウスのような店内
果たしてこの独特の佇まいは、どのように育まれたのでしょうか。
戦後の混乱の中、闇市から始まった「マヅラ」
第一次世界大戦が終戦し一旦は好景気となったものの、その反動でふたたび経済危機に陥っていた時代。マスターは、そんな激動の大正9(1920)年に当時日本の統治下であった台湾で生まれました。
転機となったのは、学生時代に行ったインドネシア旅行。スラバヤの向かいにあるマドゥラ島でくつろいでいたマスターに、素敵な女性が近づいてきます。
「お嬢さんみたいな、感じのいい子やったわ。大きな木の下でお話ししました」
英語と日本語を織り交ぜながら女性と語り合ったことは、忘れがたい良い思い出となったそうです。
その後、大学を卒業して大阪に渡り貿易会社に就職。そんな中、自分でお店を経営したいとの思いが湧き出します。
「僕、音楽が好きだったから、アメリカからええ電気蓄音機を輸入して持ってたんや。これを使って名曲喫茶をやったら当たるかもしれん」
そう考え、終戦後の1947年、なけなしの私財をはたいて名曲喫茶をオープンします。店名は思い出のマドゥラ島から拝借した「マヅラ」に。闇市にて約15坪の小さな店舗からスタートしました。
オープン後、しばらくして「マヅラ」は大盛況に。ショパンやモーツァルトなどのクラシック音楽と、丁寧に入れたコーヒーの味わいに、連日多くの人が訪れたそう。やがて1階は店舗、2階は住居、3階は従業員用の寮へと建て替え、規模も大きくなっていきます。
1970年代には大阪駅前に再開発の波が押し寄せ、大阪駅前ビルの建築へ。「マヅラ」も駅前第1ビルの中に移転し、約100坪のスペースで再スタートとなります。
その時にこだわったのが店舗の内装でした。
「イメージしたのは宇宙船。ちょうど宇宙船が月に行ったというニュースもあったし、万博もあった。お茶を飲んでる間に、お客さんに夢を見てもらおうと思ってな」
▲あちこちに備えられた電球は星、天井の模様は月のクレーターをイメージしている
内装はオープン当時から現在まで手を入れておらず、当時の意匠そのまま。じつに見事なレトロフューチャー空間が広がっています。
「マヅラ」がかたくなに守り続けたこと
近隣のビジネスマンの憩いの場として、平日の昼間でも多くの人でにぎわうマヅラ。とても繁盛している様子がうかがえますが、長い歴史の中、経営に陰りが見えた時期ももちろんあったと2代目・畑光雄さんは語ります。
「お客さんが来おへん、どないしよかなぁと思ったことは何回もありますよ。なんとか来てもらいたい一心でビラを配ったり……いろいろやりました」
状況を改善すべく、さまざまな策を講じる畑さんはじめ従業員の皆さん。
そんな中、ひとつのアイデアが生まれます。
「ご飯メニューをやってみようか、となったんです。フードメニューはモーニングやサンドイッチだけだったので、豚の生姜焼きとかいわゆる定食メニューを始めれば、ランチタイムにお客さんがもっと来てくれるはずだ! と考えたんです」
その考えにはとても賛同できます。
なぜなら、「マヅラ」が入っている駅前第1ビル周辺はオフィス街だから。ビルに入っている居酒屋さんも、お昼時にはリーズナブルでボリュームたっぷりの定食メニューをラインアップし、ランチタイムはそれ目当てに訪れるビジネスマンで大混雑しているのです。
大勢の人を「マヅラ」に取り込み、売り上げを確保するための施策として、とても優れているように思えますが、その案を聞いたマスターは、畑さんにこう告げるのです。
「そんなんは絶対やめとけ。変えるな」
まさかの却下。
「親父はとことん変えるのを嫌うんです。『俺が始めた店や、(変わらないことで)つぶれても別にかめへん』って。自分の主張は絶対曲げない人なので、結局その案は採用されませんでしたね」
マスターには、変わらないことへの美学があります。
危機的状況でもあえて変化させずどっしりと構え続けたことで、安心感やくつろぎを求める人からアツい支持を得ることに成功。
ここ最近は、ビジネスマン層に加え、純喫茶ブームも相まって若い女性も多数訪れるのだとか。
「当時はいろいろ心配していましたが、なんとか乗り越えられましたし、今は親父の言う通り変わらずにやってて良かったなと思います。メニューもちょこちょこ増えましたが、結局削ったりもして、最終的に昔からほとんど変わってないですね」
変わらないことや続けることって、簡単なようで意外と難しいもの。
すぐに結果は出ないかもしれないけれど、技術は1日1日少しずつでも右肩上がりに上昇するし、周囲の認知度も地道に高まります。そうやって、「マヅラ」は再び勢いを取り戻しました。
コーヒーとパフェに癒やされよう
▲ほとんどの人が注文するホットコーヒー 250円
20年以上変わらない価格のコーヒーは、豆のこっくりとしたうま味を感じながら、酸味や苦味は控えめでとてもおいしい! スッキリとして飲みやすく、後口もじつに爽やかです。軽やかにまとまったコーヒーで、ちょっとひと息つきたいなという時にぴったりだと感じました。
▲チョコレートパフェ 550円
バナナやオレンジがのった、昔ながらのチョコパフェも定番メニューのひとつ。
▲昔懐かしの先割れスプーンで、パクリ
ああ、これもおいしい。
ねっとりとしたアイスクリームとやさしい食感の生クリーム、チョコレートソースが絡まり、甘く濃厚なチョコパフェに仕上がっています。小さな頃にデパートで食べたチョコパフェそのままの味わいで、思わずホッ。
マスターが変わらずに続けていること
お店の内装やメニュー、味わいなどが変わらないのに加え、マスターのお店での立ち居振る舞いも変わらないことのひとつ。
98歳のマスターが今なお現役で行い続けているのは、店前に立ちお客さんへ声がけすることです。
人が通ると「いらっしゃいませっ!」、お客さんが出て行くと「ありがとうございますっ!」と大きな声が響き渡ります。
▲入り口の脇がマスターの定位置
98歳とは思えないハリのある若々しい声なので、初めてこの場所を通った人はちょっとびっくりしてしまうかもしれません。
「体の続く限りお客さんを世話するのが僕の責任やと思ってます。できる限り店に出たいと思ってるけど、98歳やからずっとは無理ですわね(笑)」
そうマスターはおっしゃいますが、12時頃から18時頃まではお店に出ていて基本的には立ちっぱなし。しかも定休日の日曜・祝日以外、毎日出勤しているというから驚きです。
「立ってるのは別にね、どやこや(大変だ)っちゅうことはないな。それよりも、心のない声で『いらっしゃいませ』言うてもダメやわ。誠心誠意、心から声を出して『いらっしゃいませ!』と迎える。それを省略したらあきませんな」
ううむ……。
一言一言が深すぎ、自分を振り返って猛省するばかりです。
変わらなさを未来へ伝える
現在ウェイターとしてホールを取り仕切る3代目・畑宗一郎さんは、大学を卒業し「マヅラ」の従業員となりました。
子どもの頃から通い慣れたお店だったものの、最近になって「珍しい」と取り上げられる機会も増え、改めてお店の魅力に気付いたのだそう。
「マスターは昔からずーっとお店にいて働いているイメージ。世の中のおじいさんというのは、一般的にはこんな感じではないですよね(笑)。今はちょっと落ち着いて、家では普通のおじいちゃんになってきました」
流行を気にせず、あえて変化しない道を選んだマスターの心意気について、宗一郎さんはどう捉えているのでしょう。
「私も、新しいメニューとかは今はまったく考えていませんね。何しろ忙しいので働くのでいっぱいいっぱい、ということもあり(笑)。今後も、できる限りはこの状態を維持していきたいと思っています」
1947年、戦後の闇市でたった15坪から始まった「マヅラ」。
マスターのこだわりが詰まった貴重な空間は、これから先、未来へもしっかり受け継がれていきそうです。
系列店の「King of Kings」もすごい
同じく大阪駅前第1ビルにある姉妹店「King of Kings」も素晴らしい佇まいなので、「マヅラ」に訪れる際には立ち寄ることをおすすめします。
どっしりとした木のカウンターを備えたカウンタースペースは、格式高いオーセンティック・バーのような雰囲気。けれども、スコッチウィスキー・オールドパーは1杯540円という気軽さです。
なお喫茶としても利用でき、コーヒーは1杯300円(17時からは500円)。
「マヅラ」と同じくスペーシーな内装ですが、こちらはよりシックな雰囲気。椅子やテーブル、壁に至るまで、角がほとんどなく曲線で仕上げられているのが特徴です。
▲ほとんどすべての調度品が湾曲している
「マヅラ」は混み合っていることも多いので、ゆったりくつろぎたい時には「King of Kings」が良さそう。時間を忘れ、静かなひと時が過ごせます。
一度訪れれば、きっと忘れられない喫茶体験となる2店。
昭和をそのまま感じられる特別な空間で、ホッとひと息ついてみては?
お店情報
マヅラ
住所:大阪府大阪市北区梅田1-3-1 大阪駅前第1ビル B1F
電話番号:06-6345-3400
営業時間:平日9:00〜21:00、土曜9:00〜18:00
定休日:日曜日・祝日(予約時は除く)
King of Kings
住所:大阪府大阪市北区梅田1-3-1 大阪駅前第1ビル B1F
電話番号:06-6345-3100
営業時間:12:00〜23:00(LO 22:45)
定休日:日曜日・祝日(予約時は除く)