特殊すぎる名古屋の「町中華」事情、そのルーツを知る人物が語った意外な歴史とは

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私は自分のブログ『永谷正樹のなごやめし生活』でチャーハンとラーメンのセット、「チャーラー」を食べ歩き、「チャーラーの旅。」というタイトルでレポートを公開している。

nagoya-meshi.hateblo.jp

 

すでに30回近くも続いていて、近所にある中華店はほとんど食べに行った。

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その中で気がついたことがある。

名古屋エリアでは、東京でブームとなっている「町中華」が極端に少ないのだ。私の住む郊外ではとくに。

子供の頃は町の至るところにあったのだが、店主の高齢化や後継者がいないことから閉店を余儀なくされたのだろう。

その代わりに“大陸系中華”と呼ばれる中国人が経営する中華料理店がここ10年くらいの間で続々とオープンしている。郊外では今や町中華よりも大陸系中華の方が多いのではないかと思われる。

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※写真はイメージです

 

町中華と大陸系中華の違いは、看板を見れば一目瞭然。大陸系中華の多くは、中国の国旗、五星紅旗を思わせる赤と黄のど派手な色使いなのである。

中には、中国でしか使われていない漢字が店名に用いられていたりする。日本人は読めないので看板として意味があるのかとツッコミたくなる。

 

店内に入ると、もっと驚く。

どの店もメニューがほとんど同じなのである

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※写真はイメージです

 

上の写真のように、メニューに必ずあるのが、チャーハンや中華飯などのご飯ものとラーメンや台湾ラーメンなどの麺類のセット。昼が750円くらいで、夜は900円くらい。また、夜には選べる料理1~2品に生ビール1杯が付くセット。これがだいたい1,000円くらい。いずれも安くてボリューム満点。これらのセットはどのお店にも必ずあるので、店名こそ違うものの、実は中国の巨大企業が経営しているのではないかとさえ錯覚してしまう(笑)。

 

名古屋における大陸中華のルーツとは

ほぼ中国一色になりつつある名古屋の大衆中華事情。大陸系中華は、いつ、誰がはじめたのだろうか。雲をつかむような作業になりそうだが、少し前に一通のメールが私のもとに届いた。その内容は以下の通り。

 

私は名古屋市内にて『中国料理 龍美(りゅうみ)』を経営しております、斎藤隼と申します。

この度、雑誌関係の取材を依頼したく、お問い合わせさせていただきました。お時間ございましたら、一度お話をさせていただきたく思います。宜しくお願い致します。

 

ライターという職業柄か、ときどきこのような依頼メールが自分の元へも舞い込んでくるが、「取材してほしい」と言われてホイホイと行くようなことはしない。それが読者のみなさんにとって興味がそそられる内容とは限らないからだ。だから普段は気にとめないことが多いのだが、『中国料理 龍美』という店名に引っかかった。

お店には行ったことがないものの、名古屋の栄や伏見など繁華街のほか、自宅の近くでも見かけたことがある。たしかここも大陸系中華だったと思うが、メールの差出人は斎藤、とある。何はともあれ、大陸系中華の謎を解くカギとなるかもしれない。メールを返信し、電話で連絡を取り合った。そこで驚愕の事実が明らかになったのである。

 

斎藤さんは開口一番、こう語った。

「私の父が1999年に開店させた『中国料理 龍美』が、名古屋での中国人経営の中華料理店の第一号だと聞いています」

 

もっと話を聞いてみたいと思い、名古屋市中区錦2丁目にある『中国料理 龍美』長者町店へ向かった。

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▲こちらが『中国料理 龍美 長者町店』

 

現在、斎藤さんは28歳。生まれは中国だが、4歳から日本で暮らしている。

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▲応対してくださった斎藤隼さん

 

斎藤さんによれば、2019年の5月に父親の蔡洪涛(さい こうとう)さんが他界し、自身が『中国料理 龍美』グループの代表になったという。

蔡さんとはいったい、どんな人物だったのか。

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▲在りし日の蔡洪涛さん(写真提供:斎藤隼氏)

 

斎藤さん:父はもともと中国のホテルで料理人として働いていました。来日したのは1992年、27歳のときです。ビザには2年という期限がありました。一緒に来日した人はほとんど帰国しましたが、父は残りました。日本のことが大好きで、料理や文化などいろんなものを吸収したかったからだと思います。

 

「夜のセットメニュー」が町中華界に革命を起こした

蔡さんは来日して5年が経った頃、市内の千種区覚王山にあった『眞弓苑』という中華料理店で働きはじめた。そこで料理長の渡邊長生さんに出会い、蔡さんは本場中国の味を、渡邊さんは日本人が好む町中華の味を互いに教え合い親交を深めた。

 

当時、蔡さんは32歳で渡邊さんは59歳。ちょうど親子のような関係だった。この出会いが蔡さんの人生を大きく変えていった。

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▲蔡さんがかつて勤めていた『眞弓苑』。2018年に惜しまれつつ閉店した(写真提供:斎藤隼氏)

 

『眞弓苑』は覚王山のほか、池下と東山、栄に4店舗展開していた。営業時間は夕方6時から翌朝4時。にもかかわらず、連日大盛況。

その秘密は、当時の町中華としては画期的なメニューにあり、訪れたお客さんの大半が注文していた。

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▲『眞弓苑』で働きはじめた頃の蔡さん(写真提供:斎藤隼氏)

 

斎藤さん:それが渡邊さんが父とともに考案した夜のセットメニューです。当時の中華料理店は夜のメニューにセットはなく、単品だけしかありませんでした。あれもこれもと注文すると、どうしても金額が高くなります。割安なセット、それも食事だけではなく生ビールが付くものも用意していたので、お客さんのさまざまなニーズに応えることができたのだと思います。

 

斎藤さんの話を伺っていて頭に浮かんだのは、コーヒーなどのドリンク代のみでトーストやゆで卵、サラダなどが付く名古屋の喫茶店のモーニングサービスだ。最近ではドリンク代に100円~200円をプラスするのが主流になりつつあるが、おトク感はハンパない。

『眞弓苑』は深夜まで営業するお店だったので、割安なセットどころか割増にしてもおかしくはない。実際、セットを用意する前もかなりの賑わいだったという。そんな中でセットメニューを提供したのでさらにお客さんが増えたのは言うまでもない。

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▲『中国料理 龍美』第一号店(写真提供:斎藤隼氏)

 

安い&ボリューム満点のセットが主流に 

その後、渡邊さんは1994年に独立して名古屋駅の近くに『中国料理 千龍』を開店させた。蔡さんが千種区神田町に『中国料理 龍美』の一号店を創業したのは、それから5年後。渡邊さんも蔡さんも『眞弓苑』で好評を博したセットをメニューに取り入れた。以来、セットメニューは名古屋における大陸中華のマストアイテムとなっていく。

 

これは『龍美』の「生ビールセット」(1,080円、写真下参照)。

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上の写真は「唐揚げ(4個)」と「焼き餃子(6個)」の組み合わせだが、ほかにも「麻婆豆腐」や「ニラレバ炒め」など全18種類あり、その中から好みのものを2品選べる。

 

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さらに、プラス380円でラーメン(醤油味または台湾ラーメン)もしくはチャーハンが付く。1,460円で料理2品を肴に生ビールを飲み、ラーメンかチャーハンで締めくくることができるのだ。そりゃ評判になるのは当たり前だろう。

 

こちらは「ニラレバ定食」(980円、写真下参照)。

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定食は、メイン料理と日替わりの小皿料理、ミニラーメン、ご飯、漬物という内容。「ニラレバ炒め」以外に「青椒肉」や「油淋鶏」、「肉団子」など全10種類を用意している。メイン料理が日替わりとなる「日替わり定食」は800円と激安。

注目すべきは、このボリュームだ。山盛りのご飯はまさにマンガ飯。量が多くて安いのも大陸系中華の特徴でもある。

 

斎藤さん:これは中国ならではの「足りないより残してほしい」というおもてなしの文化なんです。セットに限らず、一品料理もかなりボリュームがあります。

 

名古屋中華”をもっと広めたい

蔡さんや渡邊さんが研鑽を積んだ『眞弓苑』では、セットメニューのほかにもう一つ名物があった。それは名古屋のご当地麺。そう、台湾ラーメンである。

台湾ラーメン自体は、千種区今池にある『台湾料理 味仙』が昭和40年代に台湾料理の坦仔(タンツー)麺を激辛にアレンジしたのがはじまりとされる。そのことについては、以前「メシ通」でも私が触れたとおり。

www.hotpepper.jp

 

『眞弓苑』が好評を博していた90年代には、すでに多くの中華料理店やラーメン店が台湾ラーメンを出していた。

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斎藤さん:父が『眞弓苑』で働いていた頃、というか今でもそうですが、『味仙』さんがすごく繁盛していたんです。で、『味仙』さんの人気メニューをお店で出せないかということになって、父と渡邊さんは何度も足を運んで研究したそうです。とくに台湾ラーメンは、いろんなお店に食べに行き、試作と試食を繰り返して『眞弓苑』の味に仕上げました。

 

『龍美』の「台湾ラーメン」(600円、上下の写真参照)は、豚挽肉とニンニク、唐辛子などを煮込んだ自家製の台湾ミンチが味の決め手。もともとは豚挽肉ではなく、鶏ミンチを使っていた。これは覚王山にあった屋台で食べて美味しいと思った台湾ラーメンを参考にしたという。

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斎藤さん:当初は鶏ミンチでした。ある日、仕入れるのを忘れてしまい、豚挽き肉を代わりに使ったんです。豚挽肉は他のメニューにも使っていますし、仕入れコストも安いのでそのまま使うことにしました。『千龍』では今でも鶏ミンチを使っていますよ。

 

『龍美』の台湾ラーメンのベースは、丁寧に下処理をした豚骨と鶏ガラをじっくりと煮込んだ澄んだスープ。しっかりと旨みが抽出されているので、ピリ辛の台湾ミンチを合わせても、辛みよりも旨みの方が強く感じる。それがここの台湾ラーメンの特徴だ。

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完成した台湾ラーメンを見て、気がついたことがある。私も含めて地元の人にとって、台湾ラーメンと聞いて思い浮かべるビジュアルがまさにこれなのだ。

では、元祖である『味仙』はどうなのか? しいて言うなら、こちらの名古屋では「『味仙』の台湾ラーメン」となる。やはり、発祥の店であり、他店と比べて激辛である『味仙』の台湾ラーメンは地元でもどこか特別感があるのだ。

それに対して、『龍美』の、いや、大陸系中華の台湾ラーメンは、いつでもどこでも食べられるという日常感がある。

 

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台湾ラーメンはチャーハンや天飯、麻婆飯などのご飯ものと組み合わせた「麺・飯セット」(写真上参照)も好評だ。

昼は800円、夜は980円とこちらも安くてボリューム満点。また、台湾ラーメンのほか、醤油、味噌、豚骨から選ぶこともできる。

 

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斎藤さん:台湾ラーメンと同様に、手羽先の辛口煮や青菜炒め、小袋、台湾風辛口酢豚(880円、写真上参照)など『味仙』さんの人気メニューも研究して取り入れました。今では中国人の経営するお店には必ずと言っていいほどある定番メニューになっています。セットメニューと台湾ラーメンをはじめとする“名古屋中華”をこれからも広めていけたらと思っています。

 

世代を超えて受け継がれるワザと味

2002年、蔡さんは西区上小田井に二号店を開店させた。郊外ではあったものの、ここもたちまち繁盛店に。以降、次々と店舗を展開していった。以前と比べてビザの発行が容易になり、中国人スタッフを招きやすくなった事情もある。

 

斎藤さん:その頃、父のもとには名古屋でお店を開きたいという中国人が多く訪れました。父はメニューのレシピなどすべてのノウハウを包み隠すことなく伝えました。そこには『龍美』の名物であるセットメニューや台湾ラーメンがきっと含まれていたはず。中国人が経営する中華料理店がどこも同じようなメニューになっているのは、父が教えたメニューがベースになっていると思います。

 

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▲在りし日の蔡洪涛さん(左)と、渡邊長生さん(写真提供:斎藤隼氏)

 

大陸系中華のルーツとなった町中華『眞弓苑』は2018年に閉店した。

『眞弓苑』で料理長を務めた渡邊長生さんは2011年にこの世を去り、『中国料理 千龍』は現在、息子さんたちが後を継いでいる。

渡邊さんと蔡さん。日中2人の料理人が作り上げたセットメニューと、味仙とは一線を画す台湾ラーメンは、今も名古屋の多くの人々の胃袋とハートを満たしているのだ。

  

店舗情報

中国料理 龍美 長者町店

住所:愛知名古屋市中区錦2-12-30
電話番号:052-222-8788
営業時間:11:00~15:00(14:45L.O.)、17:00~翌1:00(翌24:45L.O.)
定休日:土曜日、日曜日

 

書いた人:永谷正樹

永谷正樹

名古屋を拠点に活動するフードライター兼フォトグラファー。地元目線による名古屋の食文化を全国発信することをライフワークとして、グルメ情報誌や月刊誌、週刊誌などに写真と記事を提供。最近は「きしめん」の魅力にハマり、ほぼ毎日食べ歩いている。

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