かにぱん、源氏パイ、チョコバット、カンパン。「国民的ロングセラー」の秘密をメーカーの名物広報に聞いた

静岡県・浜松市にある三立製菓は創業1世紀を誇る超老舗お菓子メーカー。誰もが知っている定番お菓子を戦前から生み出し続けています。そこで、銘菓誕生の秘密や、意外と知られていないネーミングの由来を聞いてきました。案内してくれるのは、業界では有名な「かにぱんお姉さん」!?

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※この記事は緊急事態宣言前の2020年3月に取材しました

 

「三立製菓」(さんりつせいか)という社名にピン! とくるのは静岡、それも浜松界隈の人だろう。

では、「かにぱん」「源氏パイ」「チョコバット」「カンパン」といえば?

それらの知名度はまぎれもなく全国区。いずれもロングセラーであり、もはや国民的お菓子と言っても過言ではない。

 

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実は浜松市に本社がある創立99年の三立製菓株式会社がこれらの製造・販売を手がけているのだ。

それにしても、なぜ長年にわたって人々に愛される商品を作り続けることができるのだろうか? また、これらのヒット商品はいかにして生まれたのだろうか?

これは是非とも話を聞いてみたい。ってことで、浜松に向かって車を走らせた。

 

ルーツは金平糖(こんぺいとう)

三立製菓の本社で出迎えてくれたのは、同社の広報担当で、「かにぱん」をPRするかにぱんお姉さん。

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もう、いろいろとツッコミどころ満載だが、ここはあえてスルー(笑)。

それよりも、まずは三立製菓の歴史について聞いてみることに。

 

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f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:大正から昭和にかけて、浜松は氷砂糖が地場産業だったんです。創業者である松島保平は氷砂糖製造会社で常務取締役を務めていましたが、菓子の製造に関心が高かったようです。そこで1921(大正10)年に氷砂糖を生産する過程で生じる氷糖蜜を再利用して、金米糖(こんぺいとう。漢字は三立製菓の表記)を製造したのが弊社のルーツです。大きな鍋2つからはじまったんですよ。さらに、3年後の1924(大正13)年には氷砂糖を利用してビスケットの製造を開始します。

 

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てっきり看板メニューのカンパンが三立製菓のルーツかと思いきや、素朴な金米糖だったとは!

 

軍の要請により「カンパン」誕生

そういえば、「カンパン」の中にも金米糖が入っていたと思うが……。あれは創業時のフロンティアスピリッツみたいなものを忘れないように、ということなのだろうか。

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:あっ、カンパンというのは戦後につけられた商品名ですので、当時は“乾パン”になります。乾パンは金米糖やビスケットよりも遅くて、日清戦争のときに軍から要請されたのを機に1937(昭和12)年から製造をはじめました。

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▲旧日本陸軍に納めていた乾パン。レプリカではなく本物!

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:今のようにビニールや缶ではなく、当時は布袋に入れていたんです。その中に金米糖も入れたのは、糖分の補給と水がない非常時でも唾液が出て食べやすくするためです。おにぎりの代用品と考えられていたので、生地の中にゴマが入っています。

 

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▲ビニール袋入りの初代カンパン

 

賞味期限5年! 災害時にも大活躍

戦後、カンパンは日本経済の復興とともに生産量を伸ばし、1959(昭和34)年にビニール袋入りの「カンパン」が発売される。

さらに、レジャーがブームとなった1960年代には、カンパンを行楽のお供として持って出かける人が多くなった。

 

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▲缶入りカンパン。時代によってパッケージも異なっている

 

その後、災害時の非常用食料として需要が高まり、1972(昭和47)年には、長期保存が可能な缶入りタイプを発売した。

1995(平成7)年の阪神大震災や2011(平成23)年の東日本大震災でも非常用備蓄食料として注目を集めたのはまだ記憶に新しい。

 

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▲現在のカンパン

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:缶入りタイプは賞味期限が3年でしたが、改良を重ねて5年まで延ばしました。賞味期限だけではなく、食感や口どけなど味も時代とともに改良しています。あと、一人でも多くの方に召し上がっていただきたいという思いから、以前は入っていた乳のアレルギー成分を抜きました。

 

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▲素朴な味わいがクセになる

 

カンパンの主原料は小麦粉とイースト菌。パンと同じだが、長時間熟成発酵を行い、遠赤オーブンでじっくりと焼き上げる。シンプルだが、作り始めてから完成するまで48時間も要するというから、実に手間がかかるのである。

そのため、他のメーカーは相次いで生産をやめてしまった。そんな中でも根気よく、改良を重ねながら生産してきたのが、約7割という国内シェアにつながっているのだ。

 

「チョコバット」に高級チョコは似合わない

カンパンに次いで歴史があるのは、なんと駄菓子の定番「チョコバット」

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子供向けの商品なだけにもっと新しいかと思いきや、発売は1964(昭和39)年。って、1969(昭和44)年生まれの筆者より先に誕生していたのだ。

小学生の頃、チョコバットは日常的に食べていたなぁ。ほんのりとパンの味もするし、空腹を満たすにはちょうどよかったんだよな。日本版の「スニッカーズ」と言うべきか(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:チョコバットのコンセプトもまさにそれなんです。袋入りのカンパンと同時期に発売した「サンリツパン」で発酵技術を含めたパン製造のノウハウをすでに得ていたので、子供たちの小腹を満たしてあげるにはぴったりだったかと。

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f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:それと、使用するチョコレートも自社製造です。カカオ分が少ない準チョコレートですが、逆にカカオ分が多い高級チョコを使うと不思議なことに美味しくないんです。

 

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▲チョコバットのパッケージデザイン。これも時代によって変遷が

 

あと、チョコバットといえば、当たりくじ。袋に書かれた「バット」の文字の裏側に「ホームラン」が出るか、あるいは「ヒット」を4枚集めたら、もう1本もらえるというもの。これは1967(昭和42)年からスタートし、今も続いている。

 

「源氏パイ」のネーミング由来は大河ドラマ

三立製菓のロングセラーといえば、「源氏パイ」も忘れてはならない。サクサク食感の生地や口の中で広がるまったりとした甘さと香ばしさ。旨いんだよなぁ。

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ちなみに発売は、1965(昭和40)年。今でこそパイ菓子は巷に溢れかえっているが、当時はかなり斬新だったに違いない。

 

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f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:開発の担当者が洋菓子文化を学ぶためにヨーロッパへ視察へ行ったときに、パイ生地を両端から折ったものを輪切りにして焼いた、ハート形のパルミエパイを見たそうです。これを量産化できないかと考えたのがはじまりです。おっしゃる通り、当時はまだパイが珍しい時代ということもあって、洋風の名前よりは和風の方が親しみやすいだろうと、当時放映されていたNHK大河ドラマ『源義経』から「源氏パイ」と命名しました。

 

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▲機械によるパイの量産は日本初!

 

サラッと話してくれたが、機械によるパイの量産は相当難しかったというのは素人でも推察できる。今でこそ、キレイなハート型をしているものの、当初はウサギの耳のような細長い形をしたパイを量産してしまったという。

それでも材料の混ぜ方やオーブンの温度などさまざまな条件を研究してハート型を完成させた。これは日本初の快挙である。

 

「平家パイ」も忘るべからず

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ところで、源氏パイの姉妹品で「平家パイ」があるのはご存じだろうか?

前に述べた通り、源氏パイはハート型。でも、見ようによっては矢の先端にも見える。一方、平家パイは四角形の生地の真ん中にレーズンをのせて焼き上げている。

 

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▲しっとり食感の平家パイ。こちら派も結構多いのでは?

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:平家パイはもともと「レーズンパイ」という商品名で発売していましたが、2000年に名称をリニューアルしました。源平合戦において源氏が放った鏑矢(かぶらや/放った際に大きな音が出ることから、戦いの開戦の合図として使われていた矢)が当たった盾、レーズンは矢を何本も受けた跡をイメージしています。

 

サクサク食感の源氏パイに対して平家パイはややしっとり。ほのかに香るレーズンの風味が心地良いアクセントとなっている。

 

「かにぱんお姉さん」はこうして生まれた

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最後に紹介するのは「かにぱん」

ってことで、お待たせしました! ここであらためてかにぱんお姉さんを紹介しよう。彼女は……かにぱんの国からかにぱんの雲に乗ってやってきたものの、雲から落ちてしまったというのが表向きの設定。

ちなみに年齢は、永遠の17歳とか。って、もうエエわ(笑)!

 

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▲オフィス内でのかにぱんお姉さん

 

かにぱんお姉さんの正体(?)は、三立製菓株式会社・企画開発部企画課の望月沙枝子さん。普段は商品企画や商品のリニューアルに伴うパッケージデザイン、ホームページの管理など。

一方、かにぱんお姉さんとしての主な活動は、子供向けのイベント「かにぱん教室」。

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:6年ほど前に地元の幼稚園の先生から、かにぱんを使って何かできませんかと相談を受けたんです。かにぱんはカニの形をしていますが、パンに入っている切れ込みをちぎっていくと、動物や虫、鳥、機械などさまざまな形になります。これが知育に役立つと思って「かにぱん教室」をはじめました。

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▲「かにぱん教室」は子供たちに大好評(写真提供:望月沙枝子さん) ※プライバシー保護の観点から一部画像を修正しております

 

当初は会社の制服姿で「かにぱん教室」に出ていたが、NHKの歌のお姉さんを意識して2年半ほど前から現在のド派手な衣装にチェンジすると評判に拍車がかかった。

ちなみに衣装はネット通販で購入したものをカスタマイズ。帽子についているカニは裁縫が得意な同僚に作ってもらい、会社にあったかにぱんのクッションに紐を付けてバッグにリメイクした。

 

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▲「かにぱん教室」での1コマ(写真提供:望月沙枝子さん)

 

幼稚園だけではなく、商業施設や観光地などからもオファーが来た。それも浜松市内のみならず、近隣の市町村、県外へと活動の場が広がっていった。

「かにぱん教室」は新型コロナウイルス感染拡大の影響でイベントが自粛されるまで延べ300回は開催しているという(2020年3月取材時時点)。

また、地元ローカルのテレビやラジオにも頻繁に出演している。

 

「かにぱん」が生き残った秘密はあの形にあった

では、「かにぱん」について、かにぱんお姉さんに聞いてみよう。

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f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:ルーツは「チョコバット」と同様に、1959(昭和34)年に発売された「サンリツパン」になります。サンリツパンは糖分が多く、そのまま食べても美味しいと評判でした。また、日持ちがよいので食料品店さんにも重宝され、レジャー施設の売店や映画館、プール、野球場などでも売られていました。時代に合わせてサンリツパンをベースにして、さまざまな形のパンを作ったんです。1974(昭和49)年に発売された「かにぱん」もその一つでした。

 

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▲かにぱんのルーツ、サンリツパン

 

ボーリングがブームの頃は、ボーリングのピンの形をしたパンや、日本に初めてパンダが来た際には「ランランカンカンぱん」なるパンも登場した。時代を反映しているのが面白い。

そのほかにもうさぎやサッカーボール、鯛などのパンがあったそうだが、なぜ、かにぱんが生き残ったのか。

 

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▲かにぱんの型。このフォルムに秘密があったのか!

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:かにぱんの形をよくご覧ください。限りなく長方形に近いですよね。生地を型抜きする際にロスが少ないんです。それと、かにぱんに入っている切れ込み。ちぎっていろんな形にできるのは、2000年頃にお客様からお便りをいただいて初めて気づきました(笑)。あの切れ込みを入れることで火が抜けやすくて焼きむらができにくいんです。かにぱんが生き残ったのは、ロスが少なくて、美味しい、そして、楽しいというのが理由だと思います。

 

「将来はスナックをやりたい」

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▲ビスケットを製造していた頃の前掛けと創業者、松島保平氏の旅行カバン

 

カンパンとチョコバット、源氏パイは半世紀以上、かにぱんも半世紀近くの歴史がある。ずっと同じ商品を作っているように思えるが、美味しさを追求し続けているのは言うまでもない。

また、アレルギー成分や人工甘味料の使用をやめるなど、安心して食べられるように細心の注意を払っている。そんな真摯な姿勢こそが長年にわたって愛される商品を生み出すパワーになっているのだろう。

 

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ところで、かにぱんお姉さんはこれからどのように進化していくのか。メディアにも引っ張りだこだし、このまま芸能界デビューすることは考えていないのだろうか?

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:いやいや、まったく考えてません。人とお話をするのが好きなので、将来はスナックをやりたいと思ってます。今、ヒマさえあればネットでテナント情報を眺めながら、いろいろ妄想しています(笑)。

 

かにぱんお姉さん、このたびはありがとうございました。スナックが開店したら、また取材に行きますね!

 

取材協力:三立製菓 https://www.sanritsuseika.co.jp/

メイク:山村えり子

※現在、「かにぱん」はパン製造ラインの設備更新に伴い、製造を一時休止しています。再発売の時期については三立製菓(株)の公式HPをご覧ください。 

※この記事は緊急事態宣言前の2020年3月に取材しました

書いた人:永谷正樹

永谷正樹

名古屋を拠点に活動するフードライター兼フォトグラファー。地元目線による名古屋の食文化を全国発信することをライフワークとして、グルメ情報誌や月刊誌、週刊誌などに写真と記事を提供。最近は「きしめん」の魅力にハマり、ほぼ毎日食べ歩いている。

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